雪下の誓い

 最前まで眼下に広がる草の絨毯を揺らしていた雨粒も、今はもう線の細い小雨と成り果てて、緩やかに大気を舞っている。雨脚が弱まるにつれて、この数時間感じていた蒸し暑さが嘘のように、周囲の気温が低下し始めていることにジャイロは気付いた。頬に触れる冷たい霧雨を、人差し指と中指の無くなった右手で軽く拭う。この分ならば、そう時間をかけず、雨は雪に変わるだろう。
 やがて雪へと変わりゆく雨の中で、ジャイロは記憶が焼け付くような懐かしさを覚えた。今はもうこの世にいない、唯一無二の親友の残り香を色濃くその身に纏わせた老馬が、ジャイロの愛馬との再会を喜ぶように、毛並みの良い尾を揺らしていななく。あの偏屈なスローダンサーが、射命丸文を背に乗せることを受け入れ、従っている。その事実が、文に対する警戒を薄れさせる。この女は敵ではないと、ジャイロは精神で理解していた。
 老馬のたてがみを軽く撫でた射命丸文は、背中の片翼を羽ばたかせ、鞍から飛んだ。

「よ、っとと」

 空宙で姿勢を崩しながらも、一本下駄で草原の大地を踏み締めた文の体には、血と雨で濡れたブラウスがべっとりと纏わり付いている。髪の毛もしとどに濡れている。ブラウスの下には黒の下着一枚しか着用していない様子だった。ジャイロは、文の下着が透けていることよりも、斯様に濡れそぼった薄着でこの冷え込みの中を過ごすことを心配しかけたが、当の文本人は己の状態など気にも留めていない様子だったので、口に出すのは憚られた。それよりも、文の言葉が、その態度が、今はそんなくだらない話をしている場合ではないことを言外に示している。ジャイロはなにも言わず文の次の言葉を待った。

「ジャイロさん。私は、あなたに『彼』の言葉を伝えなければならない。そのために、私はあなたを探し、ここにたどり着いたのです」

 三度目に聞いた文の声は、はじめて聞いた時よりも、些か重たく感じられた。
 ほんのそれだけで、ジャイロは悟った。いったい文が誰の言葉を背負って、己の体を血と雨とで汚しながら、それすらも厭わずにジャイロを探し続けて来たのかを、悟ってしまった。
 だから、ジャイロは次に告げられる言葉に備えることができた。

「『親愛なる友人ジャイロ・ツェペリに、“ありがとう”』……と」

 一音一音を慈しむように、文はゆっくりと喉を震わせた。

「私の命を救ってくれた……ジョニィ・ジョースターという男性からの伝言です。これは、彼が、自分にとって一番大切な人に……、あなたに、心から“伝えたい”と願っていた言葉です」

 そのとき、ジャイロの胸中を満たしていた懐かしさが、急激に熱を持った。身構えてはいたものの、それを真正面から受け止めた途端、胸を内側から焦がすように溢れ出した感情が、己の意思に反して、久しく感じることのなかった震えをジャイロのからだにもたらした。

 ジョニィ・ジョースターと過ごした旅の記憶が、一斉にジャイロの脳裏を駆け巡る。楽しかったこと、苦しかったこと、それらを二人で乗り越えて、互いの秘密を打ち明けあったこと。きっとまだそう遠くない日々の思い出が、焼け付くような熱を持って、ジャイロの心を焦がす。

「そうか……ジョニィのやつが……そんなことを」

 やがて、ふっ、と微かな笑みが漏れた。文とジョニィの間になにがあったのかは計り知れないが、ふたりの関係性は、なんとなく理解できた。ジャイロが神子と出会いともに戦ったように、ジョニィも文と出会い、ともに死線をくぐり抜けてきたのだろう。
 怒りとも悲しみともつかぬ熱い感情が、次第に心を満たすあたたかさとなって、ジャイロの全身へと染み渡っていく。ジャイロは肺の中でとぐろを巻いていた重苦しい空気を吐き出しながら、自嘲気味に笑った。

「ったく、礼を言いたいのはこっちだっつーのによォ……どいつもこいつも、オレよりも先に逝きやがる。どいつもこいつも、だ……“ありがとう”だなんて言い残しやがって」

 文は、なにも尋ねようとはしなかった。ホル・ホースはハットの庇を右手で抑えたまま、文よりも後方で伏し目がちに腰を落としている。野暮な問いかけがないことが、今はありがたいと感じられた。
 頬を濡らす冷たい霧雨が降り積もり重なり合い、やがて水滴となってジャイロの頬から顎へと伝い、しずくとなってぽたりと落ちた。ジャイロは、清々しい感情すら抱きつつ、顔を上げた。

「お前さん、文とか言ったな。ひとつ、教えてくれるか」
「ええ、私に答えられることならば……いえ。きっと、私には、答える義務があるのだと思います」

 文は、当惑することなく、問い返すことなく、鷹揚に頷いた。これからジャイロに問われる質問の内容は既に予測されている様子だった。ジャイロもまた、概ね返答の方向性の分かりきった問いを投げるつもりであった。

「ジョニィは、最期まで『正しい道』を歩んでいたか? 自分の道を曲げることなく……己の心に従ってよォ」
「ええ。私の知るジョニィ・ジョースターは……どこまでも勇敢な男性でした。最期まで『立ち向かう』ことをやめず……『諦める』ことをせず……そして、どこまでも『優しかった』……それが、私が看取ったジョニィさんの歩んだ『道』です」
「そうか……、そうか。だったら、いいんだ……それを聞いて、オレはひとつ『納得』できた」

 ジャイロの中で蟠っていたやりきれない感情が、ほんの少しだけではあるものの、氷解してゆく。ジョニィのことは誰よりも理解しているつもりだ。そのジョニィがジョニィらしく生きて、そしてその最期を看取った文の目に、最後の瞬間までそういうふうに映っていたのだとしたら、ジョニィの死についてはひとつの『納得』がいった。同時に、最期まで己を貫いたジョニィの命を奪った卑怯者の存在を思うと、最前いだいた感情とは別種の、内蔵を内側から熱く焦がすような感情が彷彿と湧き上がってくるのを感じた。
 ジャイロは低く唸るように声を響かせた。

「だったら……そのジョニィをやったのは、誰だ」
チルノという妖精です。おそらく、DIOという男に操られていたのだと、思われます。ジョニィさんは、自分を殺そうと襲い来るチルノを、それでも助けようとして、……そして、卑劣な罠にハメられて……命を落としました。あまりにも、呆気無く」
「その、チルノって奴も死んだことは知っている……放送で聞いたからな」
チルノは、私が殺しました。あまり後先のことは考えず、あの瞬間私の心と体を支配した感情に任せて、この手で」

 文の物言いに、後悔は感じられない。冬の湖面のような冷徹さをもって、淡々と事実だけを語る文の瞳を、ジャイロは知っている。頭ごなしに文を否定する気にはなれなかった。

「そうか……そういうことなら、それはいいんだ。オレがその場にいたなら、オレがそうしていたかもしれねーからな……殺すか殺されるかっつー状況だったなら、尚更だ。だがよォー……そうなると残る問題はチルノを操っていたDIOっつーヤローだ。そいつは今も、人を裏で操ってのうのうと生きている……ッつーことだな」

 今度は、自分自身の瞳にドス黒い炎が宿るのを、ジャイロは我ながら理解した。
 DIO――ディオ・ブランドー。Dioとは違う、もうひとりのディオ。騎士道精神を重んじるポルナレフを、己が汚れたる野望のために操り、利用し、幽々子を、メリーを傷付け、この場所で出会ったもうひとりのツェペリを死に追いやったドス黒い悪意の原点。

 回転の技術をもたないウィル・A・ツェペリという男は、ジャイロにとって身内と呼べる存在とは言い難い。けれども、ツェペリが最期に遺した『命の輝き』を目の当たりにしたジャイロは、彼の死に敬意の念を抱いている。同時に、その死をもたらしたDIOに対し、心中では静かに義憤を抱いていた。そのDIOの悪意がチルノを操り、今度は友であるジョニィを殺したのだ。ここへ至ってはじめて、ジャイロはDIOという男に対し憎悪にも近い激しい怒りを覚えた。指の欠けた右手でつくった拳が震える。右手からは、どくどくと血が滴っていた。

「その様子を見るに……ジャイロさん、あなた、DIOと戦おうというおつもりですか」
「DIO……ヤローは、ツェペリのおっさんと、ジョニィの仇と言っていい。自分の手は汚さず、他人を道具みてーに使って人殺しをさせる……オレはそーいう胸クソの悪いヤローがどーにも気に喰わねェ。もしも見つけたら……このオレがただちにブッ倒す……これは確定事項だ」
「そう、ですか……きっと、ジョニィさんも同じことを言うのでしょうね。DIOの配下であるヴァニラを『始末』しようとしたジョニィさんなら」

 無言の間が生じる。ジャイロの意図を察した文は、記憶を辿るように視線をあらぬかたへ送った。

ヴァニラ・アイスという男のことです。私とジョニィさんは、DIOを盲信するヴァニラに命を狙われ、そして撃退した。ジョニィさんは言っていました……この殺し合いはみんなで生き残るのだと。私のことも、ジャイロさんのことも死なせない……そのためにも、このヴァニラはここで『始末』しなければならないのだ、と」
「ああ、オレの知っているジョニィなら……きっとそういうだろうな。ジョニィはそういうヤツだ……殺すと決めたなら、一切の情け容赦なく殺しにかかる」
「でも。その戦いでヴァニラを仕留め切れなかったことが原因で、ジョニィさんの能力の概要がヴァニラに知られ、そのヴァニラから情報を得たチルノに……ジョニィさんは殺されたのです」

 ジャイロは眉根を顰めた。

「お前さん、なにが言いてえんだ」
「ジョニィさんの意思は、結局ヤツらの悪意の前に殺された……無意味だった、と言い換えてもいい。私には、DIOに立ち向かうことが本当に賢い選択だとは思えない」
「いいや、無意味なんかじゃあねーぜ……ジョニィが生きた意味は、今もここにある」
「え」
「お前さんは、ジョニィの意思を『死なせたくない』と思った……だから、このオレを探して、ジョニィの言葉を伝えようとしたんじゃあねェーのか」

 文は衝撃に打たれたように目を見開いて、押し黙った。

「そしてジョニィの意思は、オレの中で今も生きている……生きている以上、オレはDIOを倒す……それが『受け継ぐ』っつーことだ。文、オメーはどうなんだ。ジョニィの心は、ほんとうに死んじまったのか」
「受け、継ぐ……、私は……」

 小さな音が、ジャイロの鼓膜を揺らす。なにかが、細かく回転する振動音だ。ふいに視線を下げると、文の細くしなやかな指先で、艶のある爪が高速で回転し、周囲の霧雨を巻き込んで水滴を弾き上げている。やがて、文の左腕から、妖精のような風貌をした小さなスタンドが姿を表した。文が自分で出した、というよりは、スタンドが自動的に発現した、といった様子だった。
 見覚えのあるスタンドを目の当たりにしたとき、ジャイロはまず、瞠目した。

「お前ッ、……まさか」
「ジョニィさんの力を、『遺体』を通じて受け継ぎました……しかし、この力を受け継いだからといって、私にはジョニィさんのように爪を『回転』させることはできない……この力を使って、なすべきことも……わからない」
「お前さん……『遺体』を……持っていたのか」
「ジョニィさんが、遺してくれたもの、です……今はもう、奪われました。ファニー・ヴァレンタイン大統領に、なにもかも……ぜんぶ、奪われました」

 文の声がひそかに震えた。屈辱に身を震わせ、目線を伏せる。ジャイロは、文が一切の荷物を持っていないことに気付いた。

「野暮なことを訊くようだが……お前さんのその翼は」
「大統領に、奪われました……私のプライドと一緒に」
「……そうか。そいつは、厄介な相手を敵に回しちまったモンだな」

 ジャイロは、文にかける言葉を、一瞬見失った。どんな慰めの言葉も、嘘臭いように感じられた。

 大気を舞う霧雨が、気温の低下に伴って、徐々に形を持ち始めている。白い結晶となったそれらが、はらりはらりと二人の頭上に降り注ぐ。ふたりの愛馬が、ぶるる、と息を吐き出して震えた。

「正直に言って……私はDIOなんて、どうでもいい……関心が、沸かない。ただ、奪われたものを取り戻したい……ファニー・ヴァレンタイン大統領を倒して、ジョニィさんが遺してくれた希望を……奪い返したい。そうしなければ……私は、なにもかも奪われて、失って、コケにされたままで……ッ」
「文……」
「私は……『負け犬』のまま終わりたくない。『ゼロ』に向かっていきたいッ……『マイナス』のまま、途中で逃げ出すクズに成り下がるのだけは……耐えられない」

 頭上に緩やかに積もり始めた雪を振り払いもせず、文は低く声を絞り出した。瞳が僅かに赤く充血している。ジャイロは、死んだはずの友が目の前にいるような錯覚を覚えた。文と出会ってすぐに感じた、胸を焼くような懐かしさの正体は、これだ。
 文の瞳の中には、ジョニィがいる。この黒髪の少女の心の中に、ジョニィは今もまだ生きているのだ。それに気付いたとき、ジャイロの脳裏に、雪降りしきる中、ジョニィと二人で乾杯した日の記憶が鮮明に蘇った。

「そうか……そういうことなんだな、ジョニィ」
「ジャイロさん……?」

 ジャイロは、視線を下げて、己の腕を見る。今はもう、左腕は欠損して、右の指も欠けている。黄金長方形のスケールで回転させることは可能だが、現実的に考えるならば、どこまで戦えるか、疑問は残る。対して、射命丸文には、可能性がある。伸びしろがある。なにしろ、まったく知識のない状態から、自力で爪を回転させるところまではこぎ着けたのだ。
 射命丸文は、受け継ぐものだ。この女は、ジョニィの意思を、無意識だろうが確実に受け継いでいる。

「いいだろう。だったら……お前に、『黄金の回転』の秘密を教えてやる……ツェペリ家の『技術』を、可能な限り叩き込んでやる」
「え……、でも」
「その代わり、タダで教えてはやらねェ……条件がある」
「……条件」
「大統領をブッ倒す、それはいい……自分自身の『運命』に『決着』をつけるためにそれが必要だっつーんならよォ……それは他人が否定できるコトじゃあねーからな。だが……ジョニィの力を受け継いだオメーが、ジョニィの意思を踏みにじるような真似をすることだけは……許さねえ」
「ジョニィさんの、意思……」
「ジョニィは、みんなで生き残ると言った……操られているチルノを、それでも救おうとした……その心を、他でもないオメーが踏みにじることだけは……オレは、絶対に許さねえ。もしもオメーが、殺し合いに乗るだとか……そーいうジョニィの望まねえことをするっつーのなら……オメーはオレが、ここでブッ倒す!」

 ジャイロの右手の中で、鋼球が音を立てて回転している。黄金長方形による、完璧な回転だ。回転は、ジャイロの手から滴る血を巻き上げて吹き散らしている。濡れていようが、雪の中だろうが、回転に淀みはない。それは、文の返答次第で、即座に鋼球を放つという意思表明だった。
 射命丸文は、自分の指先を見つめた。不完全で、美しいとはいえない、ただ回っているだけの爪の回転。対して、ジャイロは欠損した指ですら、見惚れる程に鋼球を回して見せている。

「私は……殺し合いがどうとか、そんなことはもう、どうでもいい……ただ、死にたくない。そして、このまま終わりたくない……ただのそれだけです。けれど、大統領と戦った私には分かる……私が前に進むためには、その『回転』が必要不可欠なのだと」

 粛然とした静寂の中、ジャイロの手元で唸りをあげる回転音だけが文の鼓膜を揺らしている。ジャイロも、後ろにいるホル・ホースも、なにも言おうとはしない。文の言葉を、みなが待っているのだ。

「大統領はこの手で仕留める、これは絶対よ。そのために必要なら、DIOを倒すことにも協力します。ジョニィさんが望んだことを、どこまでやれるかは分からないけれど……きっと、ヴァニラ・アイスを仕留めようとしたジョニィさんならば、DIOのことも、許すとは思えない」
「わかってんのか、そのために死ぬかもしれねえんだぞ」
「勿論、死にたくはありません。けれども、現状私は負け犬のままです……このままなにも成せず『負け犬』のまま死ぬくらいなら……せめて『ゼロ』に向かっていきたい」

 自分自身、なにを言っているのか、よくわからなかった。大統領を倒すため、黄金回転の技術を得たいという理由が第一にあることは、間違いない。けれども、今はそれ以上に、ジャイロの言葉を真正面から受け止めて、後ろに引き下がるような言葉を返すことが耐えられなかった。口をついて出た言葉が、それだった。
 ジャイロの手元の回転音が、緩やかに鳴りを潜めてゆく。ニョホ、と特徴的な笑みをジャイロは漏らした。

「上等だ……オメーがそういう精神で挑むっつーのなら、オレも教え甲斐がある」
「あやや、なんか……上手く乗せられた気がしないでもありませんが……よろしくおねがいします、ジャイロさん」

 数時間ぶりに、文の頬が緩んだ。握手の手を差し伸べようとも思ったが、ジャイロの右手を見るとそれも憚られたので、軽く会釈をするに留めておくことにした。

「おーい、文」

 ふいに呼び止められた声に振り返ると、ホル・ホースがなにかを放り投げた。放物線を描いて手元に落下してきたそれを、文は受け取った。折り畳まれた衣服が入ったビニール袋だった。開封し、中身を取り出してみたところ、ベージュ色のテーラードジャケットにキュロット様のパンツ、同色のキャスケットに、白のブラウス、それから赤のネクタイがセットで入っている様子だった。

「あの、ホル・ホースさん。これは」
「最後の支給品だ。幻想少女のお着替えセットっつーことなんで、使うこたぁねえと思っていたんだがな。文にはそれがよォーく似合いそうだと思ったんでよ」
「なぜこれを私に」
「バーカ、おめー自分の姿見てみろよ」

 ホル・ホースがけらけらと笑う。訝しげに眉根を寄せつつ、文は軽く両手を掲げて視線を降ろす。雨が降りだしたあたりから、自分の外見というものにはまるで頓着していなかった文だが、ここへきてようやっと、己の状態に気がついた。
 あちこち裂けて、自分の血や、大統領の返り血がじわりと滲んだブラウスは既に雨と汗に濡れて、ぴったりと文の体に張り付いている。ひと目で男の欲情を誘えるほど大胆な体型をしているという自負もないが、華奢ながらも適度に丸みを帯びた体の線が浮き彫りになっている。よく見れば胸元は下着も透けて見えている。それに気付いた途端、文は己の顔が熱くなるのを感じた。

「な、なな、なんで言ってくれなかったんですか!」
「オメーそれどころじゃなかったろ。あんなピリピリされてちゃあ、言うに言い出せやしねえ」
「違いねえ」

 ホル・ホースが笑うと、つられてジャイロも笑った。
 取り急ぎベージュ色のジャケットを取り出した文は、それをブラウスの上から羽織り、胸元を隠すようにジャケットの布を引っ張った。遅れて気付く。ジャイロを探すという目的を果たした今、自分自身の精神にほんの少しの余裕ができている。
 ホル・ホースは、幽谷響子から託された基本支給品一式の入ったデイバッグを肩にかけて立ち上がると、元々自分に支給されていたデイバッグも文の足元へと投げて寄越した。デイバッグの中に入っていた紙を広げると、中には大型のスレッジハンマーが入っていた。文が支給品の確認を済ませて、スレッジハンマーを再び紙に戻す頃には既に、ホル・ホースは文に背を向けていた。

ホル・ホースさん、どうして」
「ああ、そいつも持っていけや。荷物なんかふたつあってもしょーがねェし、なによりおれには皇帝がある。そーいう直接戦おうっちゅう武器は、どォーにも向いてねえ」
「あの、いえ……そういうことを言っているのではなく、そんなまるで、これでお別れみたいな」
「そう言ってンだよ。無事ジャイロと出会うことが出来た以上、おれの役目は果たしたと言ってもいい」
「そんなことは……っ」
「おー、なんだ、おれと離れることを寂しいと思ってくれるのかい。こいつは嬉しいねェ、あのプライドの高い文ちゃんが」
「……っ、はあ、誰が」

 文は思わず唇を尖らせて、ぷいと視線を背けた。首を回して文を振り返ったホル・ホースは、白い歯を見せて明るい笑顔を見せた。心地の良い、前向きな笑顔だと文は感じた。

「どっちみち、DIOとやり合おうっつーのなら、おれは付き合えねえ。おれは別に奴に従ってるってワケじゃあねえが、真正面からDIOを敵に回そうなんて考えられるほど、命知らずじゃあねえ」
「おい、待て。オメー、DIOのことを知ってんのか」
「オイオイ、勘違いするんじゃあねえぜ、ジャイロ。おれも一度雇われたことがあるってだけで、DIOの能力とか、そういうモンについてはなにひとつ知らねー。だが、ひとつ分かることがあるとするなら……DIOは底知れねえ闇を抱えた野郎だ。戦おうってのなら、それ相応の『覚悟』をもって挑むことだな」

 大統領に、DIO。これから挑まなければならない強敵たちを思えば、早くも辟易する思いではあったが、しかしここまで来て引き下がることもできない。文は胸中でわだかまり始めた不安を、吐息とともに吐き出した。暖かな息が、白い湯気となって霧散してゆく。

ホル・ホースさん……あなた、これからどうするんですか」
「面倒だが、おれにはやらなくっちゃあならねーことがある」
「……聖白蓮に会いに行くんですね。寅丸星をとめるために」
「おうよ。響子の願いも果たさなくっちゃあならねー今、DIOとやり合おうなんて寄り道こいてる場合じゃねー」

 ホル・ホースはなんでもないことのように笑っている。努めて冗談ぽく笑って見せていることが、文にはわかった。
 文は、この場所にたどり着くまでに過ごした、ホル・ホースとのふたりの時間を思い返した。ホル・ホースは、利用しようと嘘をついて、騙して取り行っていただけの文を許し、受け入れてくれた。生きる希望を失っていた文に、もう一度“生きたい”という願う心を思い出させてくれた。
 今ならばわかる。ホル・ホースは、文をジャイロと引き合わせるために、ただそれだけのために、自分の命を張って、先の決闘に参加したのだ。ホル・ホースが命をかけてくれたからこそ、ジャイロは警戒することなく文と向き合ってくれたのだ。

「あなたというひとは、まったく、どこまでも」

 呆れ半分ながらも、文は笑った。笑わずにはいられなかった。

「じゃあな、文、ジャイロ……死ぬんじゃあねーぜ」

 ホル・ホースは、最後にもう一度にっかりと笑顔を弾けさせると、それきり二度と振り返ろうとはしなかった。あてがあるのかは知らないが、ホル・ホースは西の方角へと向かって歩き出している。元々東側をうろついていたので、魔法の森を迂回して西へ向かうつもりなのだろう。
 伝えなければならない言葉がある。このまま行かせてはならない。
 文は、大きく息を吸い込んだ。

「――ホル・ホースさん。今まで、ありがとうございました!」

 ホル・ホースは振り返らず、人差し指と中指だけを伸ばした左手を軽く振った。

「本当に……本当に。ありがとうございました……ホル・ホースさん」



【D-5 草原/真昼(西に向かって移動開始)】

ホル・ホース@第3部 スターダストクルセイダース】
[状態]:鼻骨折、顔面骨折、濡れている
[装備]:なし
[道具]:基本支給品(幽谷響子)、幻想少女のお着替えセット@東方project書籍
[思考・状況]
基本行動方針:とにかく生き残る。
0:元気でな、文。そして待ってろよ、響子。次はおめーの願いを叶える番だ。
1:響子の望み通り白蓮を探して謝る。協力して寅丸星を正気に戻す。
2:誰かを殺すとしても直接戦闘は極力避ける。漁父の利か暗殺を狙う。
3:DIOとの接触は出来れば避けたいが、確実な勝機があれば隙を突いて殺したい。
4:あのガキ(ドッピオ)は使えそうだったが……ま、縁がなかったな。
5:大統領は敵らしい。遺体のことも気にはなる。お燐のことも心配。
[備考]
※参戦時期はDIOの暗殺を目論み背後から引き金を引いた直後です。
※白蓮の容姿に関して、響子から聞いた程度の知識しかありません。
空条承太郎とは正直あまり会いたくないが、何とかして取り入ろうと考えています。
※東側はある程度探索済みなので、西の方角(C-5、B-5方向)に向かって歩き出しました。



 雪の降り始めた草原の大地を、二頭の馬が並んで歩いている。向かう方角は、北だ。蓬莱山輝夜が去っていった方角へと向かい、ジャイロと文はふたり馬を進める。馬上の文は既に着替えを完了しており、ホル・ホースから受け取ったベージュ色の衣装に身を包んでいる。時たま肩や頭に乗った雪を払い落としながら、文は今度の衣装はあまり汚したくはないな、などととりとめのないことを考えていた。

「ああ、そういや文……オメー、ルポライターっつってたよな」
「え、ああ、文々。新聞というものを発行しています。人里ではけっこう人気があるんですよ」

 ふいにかけられた言葉に対して、文は嘘はつかない程度に前向きな情報だけを伝えた。ジャイロはそれ自体はどうでもいい様子で、ふーんと鼻を鳴らした。

「じゃ、なんとかネンポーっつーのは、オメーの知り合いが書いた記事か」
「はて、案山子念報のことでしょうか。姫海棠はたてという新聞記者が書いている記事です。まあ、私からすれば三流以下の低俗な記事ですけどね」
「そいつには同意するぜ、ありゃあ確かに低俗だ」
「読んだんですか」
「ああ、クソみてーな記事だったがな」
「ふむ。興味ありますね……今、ここにありますか」
「ない。メリーっつーヤツのスマホに送られてきたのを読んだだけだ」
「スマホとは」

 ジャイロはなにも答えなかった。ただ前を見て馬を進めるのみだった。聞きなれないスマホなる道具の概要も気にならないことはないが、ジャイロが答えない以上、文はスマホについての言及は切り上げることにした。

「で、どんな記事だったんですか」
八雲紫っつー妖怪が殺し合いに乗って、その場にいた参加者を皆殺しにしたっつー内容だ。本当のトコロはわからねーが、魂魄妖夢はそこで紫に殺されたらしい。その記事を見て、幽々子がパニックに陥った」
「あやや、どうして八雲紫が……というか、そもそもの話、彼女がそんなことをするとは思えないのですが」
「幽々子もそう言ってたが、本当のトコロは誰にもわからねー。捏造かもしれねーって話だぜ」
「はあ、なんですかその記事、クソですね。真相がなにもわからないじゃないですか」

 歯に衣着せず、文は思ったことをそのまま口にした。
 文は、真実を暴くことをポリシーとしているものの、なんでもかんでも暴いて記事にすればそれで人気が出るなどとは微塵も考えていない。読者が求めているものはなんなのか、それを無視してただ真実を暴いたところで、幽々子がそうなったように、混乱を招くだけだ。

八雲紫魂魄妖夢を射殺する瞬間の写真もあったが、なんだってそーなったのかは一切書かれちゃいねー……低俗な記事だったぜ」
「論外ですね。私から言わせれば……読者というのは、大抵の場合、心が動いた瞬間に『楽しい』とか『悲しい』とか感じるものです。極論を言えば、読者は涙を流すほど喜んだり、悲しんだり、笑ったり、そういうカタルシスを得たいと感じている」
「一理あるな」
「けれども、そういう風に起こった事実だけを衝撃的に伝えられたところで、ギョッと驚く感情が先にたって、流すべき涙も乾いてしまう。その先にあるのは、混乱だけです。そんな記事を本気で面白いと思って書いたのなら、私は彼女を軽蔑します。新聞記者として。まあ、元より取材に行きたがらない不良記者ではありましたけど」
「お前さん、案外と新聞書くことに関しては真面目なんだな……意外だぜ」
「こんなこと、初歩の初歩でしょうが。読者がなにを思うかを度外視して書かれた記事など、ただの自己満足です。まあ、単に混乱を招くことだけを目的として書かれた記事という可能性もありますが……どちらにせよ、新聞記者としては三流以下ですね」

 元より文には、殺人事件を記事にはしたくないというポリシーがあった。このゲームに参加させられてからというもの、誰かが誰かを殺す記事を書こうと思ったことは一度もない。殺人事件の記事を読んだところで、読者は暗鬱な気持ちになるだけで、そういう事実があったのだと重く受け止めるか、もしくは軽く流されるだけだ。対して、ジョニィから取材した『スティール・ボール・ラン』レースの概要は、どれも面白い話ばかりだった。遺体の概要について詳しく聞けなかったことは心残りだが、前代未聞のレースに命をかけて挑んだ男の体験談に心を動かされる読者はきっといるはずだ。文は、はたての書いた記事を否定する。

「そもそも、なぜにあの八雲紫がそのような凶行に走ったのか。それを暴かずして、なんのための新聞というのでしょう」
「だったらよォ……文、おめーが真実を暴いてやりゃあいいんじゃねーか」
「えっ、私が、ですか」

 文は、思わずジャイロを見た。
 ジャイロは、なんでもないことのように前を向いたままだ。

「なにもジョニィとまったく同じ道を歩むことはねえ。オメーにはオメーの道がある……ジョニィの意思を継いだからといって、その道を否定することはねえ」
「私の、道……ですか」
「っつっても、ツェペリ家の技術についてはネタにするんじゃあねェ~ぞ。これは一応秘密なんだからな」
「あややっ、それは残念ですねえ。きっとみんな喜んで読んでくれると思うんですが」

 冗談っぽくくすくすと笑う。本気で黄金の回転をネタにするつもりは、最早文にはない。聖人の遺体のことも、今はもう文だけの秘密だ。
 聖人の遺体を揃える権利も、その秘密を知る権利も、文だけにある。ファニー・ヴァレンタイン大統領を打倒し、聖人の遺体を奪い返していいのは、他でもない自分だけだと、文は信じて疑わない。その秘密を、軽々しく新聞で広めることは、自分自身が許さない。

「ですが、そうですね……殺人事件を記事にするのはポリシーに反しますが、一度は参加者を混乱の渦に巻き込んだ事件の真相を暴いて、それがまったくの誤報と知らしめることがもしも出来たとしたら……それは、記事としてはなかなかセンセーショナルで面白いのかもしれません」
「そうしたら、幽々子も喜ぶだろうな」
「ふふ、そうですねえ……それと、ジャイロさん。『SBR』についての取材もこれから受けてもらう予定ですから、インタビューに対する回答もある程度用意しておいてくださいね?」
「ハァ~~~~~!? 黄金回転の秘密を教えるだけじゃ飽きたらず、そこまで面倒見てやらなくっちゃあならねーのか!?」
「まあまあ、いいじゃないですか。諸々の秘密については伏せておきますから」

 文は得意気に笑った。一度記事を書くと決めたなら、嫌がろうが必ずインタビューには答えてもらう。今までもずっとそうしてきた。『文々。新聞』は、当事者の生の声を載せた記事であり、それは今後も変わらない。ジョニィは死んだが、彼の意思は必ず記事にする。その決意は揺らがない。そう思った時、ジャイロの言葉の意図が、少しだけ理解できた。
 ジョニィの心は、まだ死んではいない。ジョニィのインタビューをまとめたメモは、今も文のポケットの中に潜んでいる。既に濡れてくしゃくしゃになってはいるものの、字は問題なく読める。仮にメモがなくなったところで、ジョニィの言葉は、今でも文の記憶の中に残っている。
 進むべき道は、曇天から降り注ぐ白い雪に覆われて、視界は覚束ない。けれども、絶望の暗闇の中でもがいていた頃よりは、幾らか道は歩きやすくなった。文が踏みしめる道は、確かに前へ向かって続いている。
 川沿いに北へと進むと、やがて雪で霞んだ視界の中に、一軒のレストランと思しき建物が見えた。いったん馬を止めて、ジャイロを一瞥する。ジャイロは、こくりと小さく頷いた。それを合図に、ふたりの馬はまた歩き出した。


【D-5 草原(レストラン・トラサルディーは目前)/真昼】

ジャイロ・ツェペリ@第7部 スティール・ボール・ラン】
[状態]:疲労(小)、身体の数箇所に酸による火傷、右手人差し指と中指の欠損、左手欠損
[装備]:ナズーリンのペンデュラム@東方星蓮船、ヴァルキリー@ジョジョ第7部、月の鋼球×2
[道具]:太陽の花、基本支給品
[思考・状況]
基本行動方針:主催者を倒す。
1:文に『技術』を叩き込み、面倒を見る。
2:まずは幽々子らと合流。その後、花京院や早苗、ポルナレフと合流。
3:メリーの救出。
4:青娥をブッ飛ばし神子の仇はとる。バックにDioか大統領?
5:DIOは必ずブッ倒す。ツェペリのおっさんとジョニィの仇だ。
6:博麗の巫女らを探し出す。
7:ディエゴ、ヴァレンタイン、八坂神奈子は警戒。
8:あれが……の回転?
[備考]
※参戦時期はSBR19巻、ジョニィと秘密を共有した直後です。
豊聡耳神子と博麗霊夢、八坂神奈子聖白蓮霍青娥の情報を共有しました。
※はたての新聞を読みました。
※未完成ながら『騎兵の回転』に成功しました。


射命丸文@東方風神録】
[状態]:鈴奈庵衣装、漆黒の意思、少し晴れやかな気分、疲労(小)、胸に銃痕(浅い)、片翼、牙(タスク)Act.1に覚醒
[装備]:スローダンサー@ジョジョ第7部
[道具]:基本支給品(ホル・ホース)、スレッジハンマー@ジョジョ第2部
[思考・状況]
基本行動方針:ゼロに向かって“生きたい”。マイナスを帳消しにしたい。
0:ありがとうございました、ホル・ホースさん。
1:ジャイロについてゆき、黄金の回転を習得する。
2:遺体を奪い返して揃え、失った『誇り』を取り戻したい。
3:姫海棠はたての記事を読む。今のところ軽蔑する要素しかない。
4:幽々子に会ったら、参加者の魂の状態について訊いてみたい。
5:柱の男は要警戒。ヴァレンタインは殺す。
6:なりゆき上、DIOも倒さなければならない……。
7:露伴にはもう会いたくない。
[備考]
※参戦時期は東方神霊廟以降です。
※文、ジョニィから呼び出された場所と時代、および参加者の情報を得ています。
※参加者は幻想郷の者とジョースター家に縁のある者で構成されていると考えています。
※ジョニィから大統領の能力の概要、SBRレースでやってきた行いについて断片的に聞いています。
※右の翼を失いました。現在は左の翼だけなので、思うように飛行も出来ません。しかし、腐っても鴉天狗。慣れればそれなりに使い物にはなるかもしれません。
※鈴奈庵衣装に着替えました。元から着ていたブラウスとスカートはD-5に捨てました。


【支給品情報】
○幻想少女のお着替えセット
【出展:東方Project書籍】
ホル・ホースに支給。
書籍に登場した各種東方キャラのバリエーション衣装が取り揃えられている。
射命丸文の鈴奈庵衣装、霧雨魔理沙の茨歌仙衣装、博麗霊夢八雲紫の香霖堂衣装などその種類は多岐にわたっており、その他の人物の衣装もある程度支給されている。
ただし、ゲームに参加していない東方キャラの衣装は入っていない。
鈴奈庵衣装は射命丸文に譲渡された。


170:悪魔の円舞曲を踊りましょう 投下順 172:After Rain Comes Stardust
170:悪魔の円舞曲を踊りましょう 時系列順 172:After Rain Comes Stardust
164:路男 ジャイロ・ツェペリ 189:また来年も、お月様の下で。
164:路男 射命丸文 189:また来年も、お月様の下で。
164:路男 ホル・ホース 184:黄昏れ、フロンティアへ……

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最終更新:2018年08月03日 23:37