妖怪の語義

古代の社会では、舶来した漢語を通じて得られた知識に順い「妖怪」などの語は「ふしぎな現象」そのもの全般を表していた。次第に詳細のわからない現象を、具体的な形を伴った存在の仕業であるとするようになったので、「現象を起こす存在」の側を主に「妖怪」などと呼ぶようになったと考えられる。

「妖怪」に内包される対象は、洋の東西を問わない。仏典や漢籍あるいは蕃書に説かれる存在は、普遍的に存在するものとして自然に捉えられて来た。


総称語彙

  • 妖怪(ようかい)  妖恠・夭怪などは異体字による表記。
  • おばけ、ばけもの(化物) 妖化物・老魅・妖精・怪物・妖怪・怪異は漢語主体の熟語表記。
  • 変化(へんげ)、妖怪変化
  • 付喪神(つくもがみ)、神佐備(かむさび)
  • 化生(けしょう)、化生の者(けしょうのもの)
  • 怪異、怪物、妖異、妖魅、老魅、 恠異は異体字による表記。
  • 魔、魔物、妖魔、魔神
  • 魔性(ましょう)、魔障、魔性の者
  • 異形、異形の者、異類異形
  • 百鬼、百鬼夜行、百怪、百魔
  • 精(たま)、精霊、妖精、精怪、精魅
  • 鬼(おに・もの)、邪鬼、怪鬼、、悪鬼、鬼神
  • 天狗(てんぐ)、釈魔、狗賓、天狐*1
  • 天魔、魔縁、魔道、魔民、魔軍、外道、天魔外道、悪鬼外道
  • 魑魅魍魎(ちみもうりょう)、悪鬼魍魎
  • すだま(魑魅)
  • まがもの(妖魔・妖鬼・禍物・枉物)、よこし(横禍)、まが(禍・厄)、まがつひ(禍日)
  • わざわい(禍)
  • しるまし(怪・徴)
  • もののけ(物の気・物の化・勿の怪)
  • あやしみ(妖・怪・奇)あやし(霊・奇)
  • あやかし(妖・夭)
  • つきもの(憑物)、みさき(御崎・御裂)
  • まよいのもの(迷の者) 遊魂・游鬼・迷魂
  • しょうなきもの(生なき物)、しょうあるもの(生ある物)

これらの語彙が総称として用いられて来ている。時代や社会階層によって用いられる語彙の幅には差違があるが、それぞれに厳密な使い分けがあるわけではなく、それぞれは同義の語、おたがいを内包しあった言葉として用いられて来た。

傍訓の関係

『妖怪一年草』(ばけものひととせぐさ)などのように、近世の大衆的な出版物には妖怪(ようかい)怪異(かいい)妖異(ようい)怪物(かいぶつ)あるいは妖化物(ようかぶつ)老魅(ろうび)妖精(ようせい)など、上記の一覧に示したような漢語に対し「ばけもの」の和語を読みがな(傍訓)につけている例が多い。しかし、これは「閑話休題」に「それはさておき」、「奇異」に「ふしぎ」という読みがながつくのと同様、近世の版本に一般的に見られる読みがなの振り方の傾向(義訓・熟字訓)でもある。

「妖怪」が「ようかい」という熟語として通用していたことは中世から近世にかけての節用集*2に見られる。また物語や実用書にもその用例は一般的に見られる。

【妖怪】

一般に想起される妖怪たちの大半は、自然に存在する変化や精霊(すだま・もののけ)たちに過ぎない。「ばけもの」や「おばけ」も意味して来たところの多くは変化・精霊のことを表している。

天地から自然と生じるものたちを「気化」と呼ぶ。これには鉱物などのほか、一部の植物や「化生」に分類される含生たちがあてはまる。これらは雨露の滋沢・風日の吹晅の作用によって生まれると考えられており、赤忌とは無縁の存在である。

しかし、悪魔や妖鬼、怨霊たちなど盆血(人間の魂や体)を奪うことに益を持つ存在たちの印象が勝ってゆくことによって、妖怪そのものは「邪悪なもの・人間に危害を加えるものである」と、かたよって規定されることも多い。

まがもの

悪魔や妖鬼・邪鬼たちのこと。夜見(よみ)から帰った伊邪那岐から生じた大禍津日、八十禍津日などに見られる禍日(まがつひ)は、この象徴である*3

怪異・わざわい・しるまし
古くは君主たちの行動に対して不化(天地)が生じさせる現象が「怪異」として観測・記録され、それらが何を示すかという点が緯書(いしょ)*4で取り扱われて来た。「ふしぎな現象」そのもの全般を表す。

吉事(よきこと)凶事(あしこと)に大きく区分される。凶兆とされる凶事を「しるまし」、大きく災害をもたらす凶事は「国の厄」(くにのまが)と称される。

【変化】

「へんげ」は「ばけもの」のことである。自然物として存在する気化のものたちや器物、そして動物・植物などの人間以外の含生たちは多かれ少なかれ、この要素を持っている。

能『土蜘蛛』に「化生の者とて掻き消すように失せにけり」「化生の者を退治つかまつろう」などの詞章が見られるように、「けしょうのもの」という言葉も、同様の意味を持つ。

妖化物

中世から近世にかけての節用集*5や絵巻*6に用例が見られ、「ばけもの」という読みがなが付けられている。これ自体も「妖怪」に「ばけもの」という読みがなをつける例と同様、「妖化物」という漢語につけられた、和語の読みがな(義訓・熟字訓)の一つである。

【生なき物・生ある物】

天地に存在するもの全てが生なき物・生ある物とに分けられるのと同様に、妖怪たち全般も、生なき物・生ある物とに大別出来る。「生なき物」は実体を持たないため人間は完全に退治する手段を持つことが出来ない。いっぽう「生ある物」は実体を保持しているので、その実体そのものの存在が重要になって来る。実体を失うと存在をする事が困難になるため、そこが弱点として顕わされる事がある。

 生なき物にあたる妖怪   生ある物にあたる妖怪 
 無化の精霊   有生の精霊 
 無化の天象・時候   有生・器物の変化 
 迷の者   河童天狗竜蛇 

「生なき物の動くにはあらじ」という言葉のように、普通に考えれば動き回る生物(非情物にあたらない生命体)のみが「生ある物」であるが、妖怪たちを含めて考えた場合、形を持つ「実体」の有無が区分の大きな基準となって来る。そのため、器物や鉱物のような動き回らない非情物であっても「実体」となる「物質」がある存在は「生ある物」に含まれる。

【神と妖怪】

本居宣長は「神」について「尋常(よのつね)ならず、すぐれたる徳(こと)のありて、可畏(かしこき)物」*7だと示している。妖怪の一部にも霊力や徳が高く、寺社に崇敬されている存在がいるが、本質的に両者の間に大きな隔絶はない。強大な勢(ちから)すぐれた徳(こと)を持った存在が「神」として祀られる。

また「神」を装った「妖怪」が人間をだまして自信を祀らせる行動をとることも、昔話をはじめ各地に見られることである。逆に、何も能力を持たないはずだった存在(生ある物と生なき物、いずれでも)が人間によって篤く信奉された結果、強大な勢(ちから)すぐれた徳(こと)を持つようになることもある。

はじめから「神」として生じたものたちは「神」として存在しつづけなければならない。そこから逸脱することは出来ず、世の中の含生(生物)たちが起こす「神」として受けなければならない。それは人間の体内に無数の含生がおり、それらの活動によって清朗にもなり痛楚をうけることにもなる関係性とひとしい。

最終更新:2024年05月30日 19:15

*1 「てんぐ」を「天狐」と表記する例は飯綱法の天狗たちの文献に見られる。天狗を狛犬の呼称に用いている例もあり、使い分けを持つ流派がいくつかあったと見られる。

*2 易林本『節用集』など

*3 本居宣長『道云事之論』には「万の厄(まが)はみなこの神の所為なり」とある。

*4 経書(けいしょ)と対となる存在。

*5 易林本『節用集』

*6 「妖化物之絵」

*7 本居宣長『古事記伝』