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その後の天谷一族
- 全ての出来事に幕を引いた天谷の家。残った五人は、ひとまず十七代目当主の宣言どおり『天谷一族』という団体を解散する。
- 元々天谷の家には財産らしい財産もなかったのだが(ほとんどが、復興費用として消えた)家屋と、打って貰った刀と、手元に辛うじて残った十万両の現金をそれぞれ分配。
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散っていき、足元の土台となった彼らの願いは・・・「人間らしい普通の一生」
その思いを叶えるべく、彼らは心の赴くままに旅立つ。
平造:夢だったという行商人になり…時には単身、時には馬車に乗り…東へ西へと渡り歩いて生計を立てる。後に、長く留まった湯治場にて若き日に体験した鬼退治の事や、各地を渡り歩いた体験を合わせ…子供向けの読み物を書き上げ、それをまた売り歩いたという。 尚、守り刀として受け取った衛久守 刈刃は、生涯たったの一度たりとも斬る為に抜かれることはなかった。
遥・兵衛・北杜:現金を平等に五等分したのち…三人は京都を後にし、鎌倉へ。そこで、ごく普通の平民の家族として暮らすことに。ちなみに、鎌倉に移り住んで三年後…北杜に血が半分だけつながった妹が生まれる。もっとも、親戚同士の婚姻であるため・・・そんな事はあまり気にするようなことでもなかったのだが。
風雅:飛鳥という名を返上した後・・・ひとり屋敷に残る。そして、出家し・・・僧侶となった後は、51人の一族たちを弔い続け、静かに柔らかに・・・その生涯を終える。余談だが、将棋が馬鹿みたいに強い坊さんがいる。という事で・・・寺院に参拝に来た客より、勝負を申し込みに来た将棋さし達のほうが多かったとかそうでもなかったとか。
これは、陽の当たる世界の物語。
斜陽とひっくり返った世界の話は、また次の機会に。
最終更新:2011年12月07日 23:09