概要
 第五次コルナンジェ攻防戦は、
ロフィルナ王国の王都コルナンジェで繰り広げられた戦闘である。都市全域の空域、地上、地下を舞台に約24日間続いた。軍人と民間人の死傷者は甚大で、それぞれ約60万人、約30万人に及んだ。
第三次ロフィルナ革命の最終局面が背景にある。セトルラーム軍は侵攻軍本隊を差し向け、全面攻撃を仕掛けた。
アリウス率いる王党派は、複数勢力からなる連合艦隊と市民の協力を得て防衛に徹した。ティラスト派は戦力温存のため参戦せず、過激派が地下テロで混乱を広げた。共立機構は介入を控え、監視ドローンで戦況を記録した。王党派はコルナンジェを保持したが、都市は壊滅状態となり、第六次攻防戦へと緊張が続いた。
背景
 第四次コルナンジェ攻防戦の後、コルナンジェは電力網の停止と食料不足により危機に瀕した。避難民が急増し、疫病が市民を襲った。王党派は、各支援勢力の巡洋艦とフリゲート艦、装甲車、民兵「黎明の盾」を結集し、防衛線を整えた。作戦会議における戦略の食い違いが連合を揺さぶったが、アリウスの指導力で一時的な結束を維持した。聖焰会の集会は希望を鼓舞する中、過激派が地下トンネルを拠点にテロを繰り返し、宗教施設を攻撃した。セトルラームは、
ユミル・イドゥアム連合帝国の撤退で補給が途絶え、軍を再編した。
フリートン大統領は、地域の覇権を握る計画を始動し、あらゆる戦力を動員した。ティラスト派は、東部戦線での再編に失敗した。コックスの演説は支持を集められず、脱走者が続出した。共立機構は人道危機に対応し、平和維持軍を増派したが、総議会の議論で本格介入を控えた。多くの市民が空爆の脅威に晒され、地下シェルターに避難した。
 
経緯
セトルラームの空域攻撃(1007年4月10日~4月16日)
  1007年4月10日、セトルラーム軍は大部隊を繰り出し、王都上空を襲撃した。空爆が防衛陣地を直撃し、炎が広がった。ドローンが衛士団の通信網を無力化した。アリウスは巡洋艦とフリゲート艦を指揮し、対空砲で応戦した。黎明の盾は民衆区で対空ミサイルを放ち、複数の
T3戦闘機を撃墜した。ユリーベルの装甲車は工業区で敵の地上部隊を牽制した。過激派は地下からロケット弾を放ち、偽の避難指令で市民を混乱させた。共立機構の監視ドローンは戦況を記録し、医療ドローンを展開したが、過激派の妨害で一部が破壊された。アリウスは大聖堂から放送で市民を激励し、抵抗の意志を固めた。
地上と地下の激戦(4月17日~4月26日)
 4月17日、戦闘は地上と地下トンネルに波及した。セトルラームはドローンと地上部隊を投入し、衛士団の弾薬庫を破壊した。トンネルの崩落で夥しい数の犠牲者が生じた。過激派は爆発物で地下を攻撃し、衛士団とセトルラーム双方に損害を与えた。アリウスは装甲車を工業区に差し向け、サンリクトの海兵隊が河口で補給を確保した。セトルラームのサイバー部隊が衛士団の指揮を攪乱し、部隊を分断した。ティラスト派の残党が市民の士気を揺さぶった。聖焰会の集会は縮小した。黎明の盾は過激派の拠点を急襲し、指導者を拘束した。ユリーベル陸軍はドローンを撃破し、工業区を守った。セトルラームは空爆を強め、残る工場を破壊した。貴族区でセトルラームの地上部隊が宗教施設を包囲したが、衛士団の反撃で後退した。
王党派の逆転とセトルラームの後退(4月27日~5月3日)
 4月27日、王党派は衛士団、残存艦隊、装甲車、黎明の盾を結集し、貴族区での反攻を展開した。アリウスは、
スイートクルーザーの電子妨害装置を駆使してセトルラーム軍の防御を突破した。サンリクトの海兵隊は河口で敵の潜水艦を排除し、補給を確保した。黎明の盾は過激派の拠点を潰した。セトルラームの空爆は宗教施設を半壊させたが、衛士団の反撃でドローンを多数喪失した。5月1日、ユリーベルの装甲車が工業区で敵の地上部隊を撃破した。共立機構は5月2日、平和維持軍を郊外に展開し、セトルラームに停戦を求めた。セトルラーム内部の厭戦感情と議会の圧力により、フリートンは一時撤退を決断した。5月3日、アリウスは大聖堂にて勝利を宣言したが、都市の7割が廃墟となり、第六次攻防戦への緊張が続いた。
影響
 第五次コルナンジェ攻防戦は、
イドゥニア世界に多様な変動を呼び起こした。政治領域で、王党派の勝利はアリウスの指導力を固め、連合内の結束を強めた。ティラスト派は戦力温存により存在感を残したが、ヴァルヘラ州軍部隊の離反で組織の再構築が停滞した。社会的に、過激派のテロは恐怖を植え付けた一方、市民は自警団を再編し、共同体意識を新たに育んだ。聖焰会の役割は薄れ、民衆区で独自の支援ネットワークが生まれた。経済的に、工業地帯の破壊は生産を滞らせ、地下経済が台頭した。王室は資金不足を露呈し、補給ルートの変更を促した。文化の観点から、アリウスの演説は抵抗の象徴として浸透したが、宗教施設の損壊は市民による芸術運動を呼び起こした。国際的に、セトルラームの攻撃は
共立同盟の亀裂を生み、ヴァンス・フリートンの戦略が再考を迫られた。共立機構の遅延対応は議論を巻き起こしたが、平和維持軍の行動が地域の安定に向けた新秩序の機運を高めた。戦闘は決着せず、第六次攻防戦への緊張を増幅した。
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最終更新:2025年10月09日 21:07