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プレイ日記/黄巾の乱/孫堅/上級 - (2012/11/23 (金) 23:32:21) のソース
孫呉。それは文武両面に名将が揃う、すばらしい勢力である。私はそんな孫呉の基礎を築いた孫堅で中華を統一することにした。 設定はすべて史実とした。 早速、市場を開発し金収入を安定させることにした。その一方で人材探索も並行して行った。 最初に見つかった人材は、呂岱である。登用には時間がかかったが何とか配下に加える。 なぜ時間がかかったかといえば、軍師・程普の助言が当たらなかったからである。頑張ってくれよ、程公。 兵舎の開発が終わった頃、呉景に輸送隊1000を率いさせ、江東の占領に向かわせた。 私は最初から下邳を捨てて、人材の多い江東に引越しするつもりであった。 しかしこの作戦に大きな穴があることに私はまだ気付かなかった。 呉景が頑張っている間に再び人材の探索を開始する。陳珪の登用にことごとく失敗したので、[[公孫度]]やら張魯やら糜竺やら呉には似合わない将ばかり見つかった。序盤で米道と富豪を得られたのはよかったが。 年が明けて185年。 江東への引越しも終わり、下邳は空っぽになった。山賊が沸いているが、勝手にしやがれ。 ここで私はある疑問を持った。 江東に引越し、人材探索を行っていたが、能力の高い将は虞翻ぐらいで、あとはそこまでであった。 なぜであろうか。江東ならもっと呉にゆかりのある人材、例えば、張昭とか甘寧とか[[太史慈]]とか・・・ 太史慈。待てよ・・・ 太史慈がはじめに仕えた君主は確か北海の孔融だったような・・・ 私は危うくコントローラーを落としそうになった。 そう。太史慈は北海に登場するのである。 私はすぐに朱治・孫堅・程普を下邳に送り返し、北海の占領に向かわせたのであった。 つづく 朱治の輸送隊を送り込んだのは、6月であった。何とか北海に滑り込み探索一発目で太史慈を発見、登用に成功した。続いて国淵、劉繇、孫乾も登用できた。 まずは荒れ果てた下邳を復興し、北海の開発も並行して行うことにした。 依然として平和な江東諸都市の武将には柴桑・寿春の占領をさせた。 このままでは中原に進出できないと悟った私は、小沛の管亥を討つべく軍備を増強させるのであった。 つづく