「プレイ日記/反董卓連合/馬騰/上級/馬騰騎馬隊の漢室復興記2」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
プレイ日記/反董卓連合/馬騰/上級/馬騰騎馬隊の漢室復興記2 - (2014/01/24 (金) 18:12:41) の1つ前との変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
基本設定PSPK
上級/討死無し/妖術、落雷無し/能力変動無し/いにしえ、追加武将有り
縛りルール
登用できるのは漢室が普通、重視の将のみ。/処断できるのは基本漢室無視の将のみ。
使用兵装は騎兵のみ。
プレイ年数205年5月1日からの新縛りルール
漢室普通、重視の敵将の扱い
捕まえるごとの捕虜期間は90日間としてそれ以上になる場合は解放。
漢室普通の敵将の扱い
統率、武力、知力の何れかが85以上ある武将は
最初の1回目の登用に応じなかった場合は次に捕虜に出来るまでは登用不可
所属勢力が滅びた場合は何時でも何度でも登用可能。
敵将の扱いに制限を入れることによって最後まで激闘になるかな
と思い新縛りルールを追加しました。では、プレイ日記再開します
* 第6章
205年4月
長安、上庸より漢中に曹操軍が進攻する
非常に不味い江陵、柴桑攻略にほぼ戦闘系将は使ってしまって文官タイプしか移動させられるのがいない。
取り合えず時間稼ぎになるように文官と登用したばかりの馬忠を漢中に移動させる
黄祖が武陵の近くで廟を発見。劉曄に連環を付ける。
計略系で個人的には連環が一番のお薦めです。
2部隊同時に計略を仕掛けられるので実質計略の気力消費が半分だと考えて良いのではないでしょうか?
4月21日柴桑攻略
長沙の兵糧があまりなく180日分ずつしか兵糧を持たせず出撃させたせいで
馬騰、馬超等の数部隊が次のターンには兵糧が0になると言う状況でした。間に合ってよかった。
また、江陵を見ると敵将の人数が47に夏侯惇等も移動してきたようです。
柴桑攻略部隊は都市に入城すぐに漢中に移動させる、漢中へ移動していた文官たちを柴桑に移動させる。
7月孫堅軍と2年の停戦を結ぶのに成功。周瑜不在だったので楽勝でした。
また、柴桑攻略時に捕らえていた許靖等を登用した。
8月11日江陵攻略
周泰、張遼の部隊が撃破されるなど流石は曹操軍。
迎撃部隊が呂布、夏侯淵、夏侯淵、岳飛と超一流ばかり。
また、どの部隊も明鏡か洞察がいて計略の防御も完璧でした。今後の苦労が窺えます。
張魯、張衞、張衞、張燕、張南、郭氏、韓セン、曹休、藏覇、陳矯を処断。
この頃、漢中防衛戦は砦、土塁を挟み敵部隊へ間接攻撃。敵部隊の先陣は戟兵なので矢盾発動
が面倒です。まあ、弩兵と戦い兵を減らされるよりましなのかもしれませんが。
まだ、戟兵の後ろには甘寧丼蘭、趙雲衝車が続き(勿体ないなぁ)白起槍兵、顔良騎兵、蒙恬井闌が進攻中まだまだ、終わりが見えません。
11月1日江陵に城陽から曹彰騎兵、呂布戟兵が進攻してくる。まだ、内政途中だというのに‥‥
11月11日江陵攻略から90日登用できなかった
夏侯淵、夏侯惇、王翦、田豊、紀霊、関平ら数十名は解放。
潘璋、賈華、蒋欽、徐バク、崔州平を得る。
漢中防衛戦で趙雲、ホウガ、歩シツを捕らえる。90日以内に登用できるまで忠誠が下がってくれると良いが‥‥
11月21日呂尚、白起を捕らえたので処断。柴桑へ廬江から大軍が出撃。徐晃、典韋等がいる。
造幣を開発中だった藺相如を撤去で急いで呼び戻し停戦に行かせる。
206年
曹操軍
江陵が落ちても今だ都市数21武将数192と断トツ呂尚が死んでもまだ、張良がいる(論客で登場先程負けました。)
馬騰軍
江陵、柴桑を得て都市数16武将数は3桁に乗り武将数107何とか分散すれば3ヶ所の攻防戦が可能でしょうが
まあ、名将揃う曹操軍を相手にはできない作戦ですね。
1月
曹操軍と4ヶ月の停戦を結ぶ。柴桑の港前に人壁を並べて何とか凌ぐことができました。
趙雲獲得。馬超、張遼らのようにエースとして活躍してもらいましょう。早速馬雲リョクと結婚してもらいました。
2月
孫堅軍と停戦24ヶ月延長藺相如対戦相手にでた孫権を一撃粉砕。
馬騰「お主孫権を相手にしてストレス解消しなかったか?」
藺相如「さて、なんのことか私には解りかねます。」
馬騰「‥‥‥‥‥」
ホウガ、歩シツ解放。全く忠誠度が下がりませんでした。残念です。
3月
在野の李異、吾粲登用。
城壁強化の研究修了。
4月君主孫堅死亡孫策が後継。
また、1人漢室重視が亡くなってしまった。
馬岱が武官推挙で冷苞を連れてきてくれたので早速冷苞には後方の人材が1人しかいないところに送る。
5月
襄陽から敵部隊が江陵へ進攻する。廬江から柴桑へ上庸から漢中へ新野から北東港経由で江陵へと多方面から曹操軍がやって来る
やられっぱなしも芸が無いのでこちらからも仕掛けられるように武将を移動させる。
柴桑へは賈ク、劉曄、李カイ、貂蝉、荀攸ら計略部隊を送る。
漢中へは馬騰、馬鉄、馬休を。江陵へは張遼、呉懿、ホウ徳らを防衛部隊とし。
江州へ馬超、趙雲、馬雲リョク、馬岱を派遣する。
ちなみに5月11日現在の曹操軍の進撃部隊数
襄陽2部隊、新野10部隊、上庸9部隊、廬江4部隊が進軍中まだまだ、増えると思われる。
馬雲リョク「本当に大丈夫なのでしょうか?」
馬岱「我らが襄陽を陥落させるまでもってくれれば良いのですが‥‥」
馬超「ふん、襄陽など我が一撃をもって粉砕せん!」
趙雲「では、参りましょうか!」
5月21日江州から襄陽攻略作戦開始
馬超(騎神)+黄権(規律)+楊大眼(疾走)15000
馬岱(補佐)+王累(運搬)+霍峻(不屈)14000
馬雲リョク(騎将)+徐氏(跪計)+鄒氏(楽奏)11000
趙雲(洞察)+馬忠(踏破)11000
計51000で桟道から襄陽急襲を目論む
9月11日江陵防衛戦で捕らえた鮑叔牙を登用。知力が83と縛りルールセーフなので
忠誠が下がったところでいただきました。
どの防衛戦も辛いですが呂布の弩兵がいる江陵防衛戦となかなか計略部隊の連環が
うまくいかない柴桑防衛戦はかなり辛いです。呂布の弩兵応射がかなりのダメージです。
11月11日には新たに伊籍、全宗、関靖を登用。徐晃、典韋解放。また、会う日まで(出来れば戦いたくないが‥‥)
襄陽攻略成功。范増、韓玄、楊泊処断。だれも登用に応じなかったので牢屋へ90日ねな間に何人獲れるか
そして即座に藺相如に曹操軍との半年の停戦にいってもらう。しかし、曹操と会うまで60日って‥‥逃げたか?
12月21日曹操が移動したようで停戦交渉が早くも実現。対戦相手は曹操本人。張良でなくてよかった。
半年の停戦に成功。一番楽だと思われていた漢中も衝車、井闌に土塁、城塞を破壊され
かなりの危険な状態だったので1発の停戦成功ありがたい。
馬良を在野で発見。まだ、未発見ぶしょうでいたことに感謝しつつ登用。
207年未だ未だ終わりが見えない。
曹操軍
前年の攻防戦で武将が少し減り184人に総兵力が110万から97万に減少‥‥‥だから?って言うレベルか‥‥
許昌を落とす前に馬騰が死ななければ良いが‥‥‥
馬騰軍
都市数17武将数116人に曹操軍から後1つ都市を奪えば都市数が並ぶが
趙雲を得たことで戦術の幅が広がった。
1月
捕虜の岳飛登用。寿命的には後7年位だが間違いなくうちのエースの1人として活躍してくれるだろう。
早速岳飛、陳慶之、鄭成功の三人には義兄弟になってもらった。32歳トリオの結成
しかし、同年義兄弟は誰が長兄に設定されるのかな?
2月在野の蒋エン、捕虜の呂威壙、王朗、張春華を獲得。
明鏡の蒋エンには是非馬超の副将を他三名はモブキャラとして大いに活躍してもらおう。
3月襄陽で捕虜にした文ペイ、満寵、楽進らを解放。
4月天水、零陵でイナゴ発生がっかり来たところに在野の徐庶が仕官しに着てくれる。塞翁が馬
7月停戦切れ曹操軍との戦いがまた始まる。
7月21日時点で上庸、甘寧槍兵、蒙恬騎兵等の七部隊、長安、張コウ戟兵、文シュウ騎兵ら八部隊が漢中へ
新野、張良、黄忠らの4部隊が襄陽へ2部隊が江陵へと。廬江から夏侯惇、王翦らの八部隊が柴桑へと進攻してくる。
柴桑は前回同様計略部隊に任せ江陵へは烏林港(孫策領)からの上陸だと思うので馬休、馬鉄で充分だろう
襄陽は中廬港を挟んでの戦いとなりそうなので3兄弟の岳飛、鄭成功、陳慶之+呉懿を派遣する。
漢中は馬騰、ホウ徳、張遼を起きあわよくば反撃して上庸を奪いたいところだ。
そして馬超、趙雲らを天水へ移動させる。
10月1日
廟3ヶ所目百出、神算で悩んだ結果神算を黄権に付ける。
240年死亡と長命な黄権ゲームクリアーまで活躍してくれるだろう。
3都市の防衛戦が続くなか天水より長安攻略作戦開始
馬超(騎神)+楊大眼(疾走)+王甫(明鏡)15000
馬岱(補佐)+霍峻(不屈)+蒋エン(明鏡)15000
馬雲リョク(騎将)+徐氏(跪計)+鄒氏(楽奏)12000
趙雲(洞察)+崔州平(指導)+馬忠(踏破)1000
黄権(神算)+徐庶(深謀)+王累(運搬)10000
計62000
お気付きかもしれませんが神算、深謀が同一部隊になってます。
まだこの時点では黄権の知力が83しかないので経験を稼がせる意味で同一部隊にしたのですが出撃させてすぐに失敗したと気づきました。
208年赤壁の年
各地の攻防戦は続く。
漢中防衛戦昨年10月に疫病が発生
昨年からの戦いで敵部隊を土塁、城塞越しに敵部隊を騎射で撃破先頭の部隊が衝車3部隊となった時点で土塁、城塞の前へと討って出るがそれが失敗に顔良の井闌の火矢攻撃、衝車曹否に撹乱で馬騰が混乱させられる。
それを何とかしようとホウ徳を突出させてしまい曹操部隊に包囲され袋叩きにあい撃破されてしまう。
王異を捕らえられてしまい今は、馬騰部隊も危機的状況。
柴桑防衛戦
賈ク(連環)+貂蝉(傾国)+荀攸(百出)部隊と劉曄(連環)+李カイ(機略)部隊で撹乱、偽報で防衛させるが敵部隊が多く厳しい
周泰、朱桓の部隊で水上戦を仕掛けるが夏侯惇、文ペイ、ホウガ、李典らの部隊に逆撃を受ける。文ペイ部隊は撃破出来たが
周泰、朱桓部隊の兵力もかなり減らされ撤退。
襄陽防衛戦昨年10月にこの都市も疫病発生。
鄭成功、岳飛、陳慶之で中廬港を挟んで新野からの曹操軍と戦う。
張良の部隊の神算で鄭成功が混乱させられ何も出来ないまま集中攻撃にあい撃破されてしまう。
敵部隊には関羽もおりかなり厳しい戦いとなった関羽は何とかようやく撃破し、張良の気力も尽き
鄭成功の2度目の出撃ができる兵力も整い反撃に討って出ようとしているところで208年を迎える。
江陵防衛戦
烏林港(孫策領)を挟んで馬鉄(補佐)、馬休(長駆)、鮑叔牙(補佐)、趙累(補佐)の騎兵隊の騎射で敵部隊を撃破していく。
こちらは烏林港周辺の森のお陰でたまに馬鉄の部隊が混乱させられる以外は被害無し、また、補佐がよく発動してくれてかなりの楽勝モード遠距離攻撃なので敵将が捕らえられないのが残念。
長安攻略戦
敵部隊の出撃は少なめで黄権の部隊で撹乱をかけ、馬超、趙雲、馬岱、馬雲リョクで多少の敵迎撃部隊を撃破していく。
長安包囲が完成した頃漢中へ進軍中だった長安からの部隊が戻ってきた処で昨年終了。
各戦線で捕らえた敵武将。
筰融処断。簡雍、程秉らを捕虜に残りの捕虜期間30日に登用できれば良いが‥。また、逢紀、文ペイ、李厳も捕らえたが縛りルールの能力のため残念だが解放せねば
208年1月襄陽在野のホウ統、黄月英を得る。
反董卓連合では諸葛亮は下ヒなんですよね、残念。
3月
在野の張翼を得る。中堅武将として防衛戦、攻略戦の補助として活躍してもらおう。
長安を攻略する。賈キ、郭奕処断。
4月には何時ものように曹操軍と停戦一息いれる
今回は江陵以外はかなりボロボロなので長めに一年停戦。
基本設定PSPK
上級/討死無し/妖術、落雷無し/能力変動無し/いにしえ、追加武将有り
縛りルール
登用できるのは漢室が普通、重視の将のみ。/処断できるのは基本漢室無視の将のみ。
使用兵装は騎兵のみ。
プレイ年数205年5月1日からの新縛りルール
漢室普通、重視の敵将の扱い
捕まえるごとの捕虜期間は90日間としてそれ以上になる場合は解放。
漢室普通の敵将の扱い
統率、武力、知力の何れかが85以上ある武将は
最初の1回目の登用に応じなかった場合は次に捕虜に出来るまでは登用不可
所属勢力が滅びた場合は何時でも何度でも登用可能。
敵将の扱いに制限を入れることによって最後まで激闘になるかな
と思い新縛りルールを追加しました。では、プレイ日記再開します
* 第6章
205年4月
長安、上庸より漢中に曹操軍が進攻する
非常に不味い江陵、柴桑攻略にほぼ戦闘系将は使ってしまって文官タイプしか移動させられるのがいない。
取り合えず時間稼ぎになるように文官と登用したばかりの馬忠を漢中に移動させる
黄祖が武陵の近くで廟を発見。劉曄に連環を付ける。
計略系で個人的には連環が一番のお薦めです。
2部隊同時に計略を仕掛けられるので実質計略の気力消費が半分だと考えて良いのではないでしょうか?
4月21日柴桑攻略
長沙の兵糧があまりなく180日分ずつしか兵糧を持たせず出撃させたせいで
馬騰、馬超等の数部隊が次のターンには兵糧が0になると言う状況でした。間に合ってよかった。
また、江陵を見ると敵将の人数が47に夏侯惇等も移動してきたようです。
柴桑攻略部隊は都市に入城すぐに漢中に移動させる、漢中へ移動していた文官たちを柴桑に移動させる。
7月孫堅軍と2年の停戦を結ぶのに成功。周瑜不在だったので楽勝でした。
また、柴桑攻略時に捕らえていた許靖等を登用した。
8月11日江陵攻略
周泰、張遼の部隊が撃破されるなど流石は曹操軍。
迎撃部隊が呂布、夏侯淵、夏侯淵、岳飛と超一流ばかり。
また、どの部隊も明鏡か洞察がいて計略の防御も完璧でした。今後の苦労が窺えます。
張魯、張衞、張衞、張燕、張南、郭氏、韓セン、曹休、藏覇、陳矯を処断。
この頃、漢中防衛戦は砦、土塁を挟み敵部隊へ間接攻撃。敵部隊の先陣は戟兵なので矢盾発動
が面倒です。まあ、弩兵と戦い兵を減らされるよりましなのかもしれませんが。
まだ、戟兵の後ろには甘寧丼蘭、趙雲衝車が続き(勿体ないなぁ)白起槍兵、顔良騎兵、蒙恬井闌が進攻中まだまだ、終わりが見えません。
11月1日江陵に城陽から曹彰騎兵、呂布戟兵が進攻してくる。まだ、内政途中だというのに‥‥
11月11日江陵攻略から90日登用できなかった
夏侯淵、夏侯惇、王翦、田豊、紀霊、関平ら数十名は解放。
潘璋、賈華、蒋欽、徐バク、崔州平を得る。
漢中防衛戦で趙雲、ホウガ、歩シツを捕らえる。90日以内に登用できるまで忠誠が下がってくれると良いが‥‥
11月21日呂尚、白起を捕らえたので処断。柴桑へ廬江から大軍が出撃。徐晃、典韋等がいる。
造幣を開発中だった藺相如を撤去で急いで呼び戻し停戦に行かせる。
206年
曹操軍
江陵が落ちても今だ都市数21武将数192と断トツ呂尚が死んでもまだ、張良がいる(論客で登場先程負けました。)
馬騰軍
江陵、柴桑を得て都市数16武将数は3桁に乗り武将数107何とか分散すれば3ヶ所の攻防戦が可能でしょうが
まあ、名将揃う曹操軍を相手にはできない作戦ですね。
1月
曹操軍と4ヶ月の停戦を結ぶ。柴桑の港前に人壁を並べて何とか凌ぐことができました。
趙雲獲得。馬超、張遼らのようにエースとして活躍してもらいましょう。早速馬雲リョクと結婚してもらいました。
2月
孫堅軍と停戦24ヶ月延長藺相如対戦相手にでた孫権を一撃粉砕。
馬騰「お主孫権を相手にしてストレス解消しなかったか?」
藺相如「さて、なんのことか私には解りかねます。」
馬騰「‥‥‥‥‥」
ホウガ、歩シツ解放。全く忠誠度が下がりませんでした。残念です。
3月
在野の李異、吾粲登用。
城壁強化の研究修了。
4月君主孫堅死亡孫策が後継。
また、1人漢室重視が亡くなってしまった。
馬岱が武官推挙で冷苞を連れてきてくれたので早速冷苞には後方の人材が1人しかいないところに送る。
5月
襄陽から敵部隊が江陵へ進攻する。廬江から柴桑へ上庸から漢中へ新野から北東港経由で江陵へと多方面から曹操軍がやって来る
やられっぱなしも芸が無いのでこちらからも仕掛けられるように武将を移動させる。
柴桑へは賈ク、劉曄、李カイ、貂蝉、荀攸ら計略部隊を送る。
漢中へは馬騰、馬鉄、馬休を。江陵へは張遼、呉懿、ホウ徳らを防衛部隊とし。
江州へ馬超、趙雲、馬雲リョク、馬岱を派遣する。
ちなみに5月11日現在の曹操軍の進撃部隊数
襄陽2部隊、新野10部隊、上庸9部隊、廬江4部隊が進軍中まだまだ、増えると思われる。
馬雲リョク「本当に大丈夫なのでしょうか?」
馬岱「我らが襄陽を陥落させるまでもってくれれば良いのですが‥‥」
馬超「ふん、襄陽など我が一撃をもって粉砕せん!」
趙雲「では、参りましょうか!」
5月21日江州から襄陽攻略作戦開始
馬超(騎神)+黄権(規律)+楊大眼(疾走)15000
馬岱(補佐)+王累(運搬)+霍峻(不屈)14000
馬雲リョク(騎将)+徐氏(跪計)+鄒氏(楽奏)11000
趙雲(洞察)+馬忠(踏破)11000
計51000で桟道から襄陽急襲を目論む
9月11日江陵防衛戦で捕らえた鮑叔牙を登用。知力が83と縛りルールセーフなので
忠誠が下がったところでいただきました。
どの防衛戦も辛いですが呂布の弩兵がいる江陵防衛戦となかなか計略部隊の連環が
うまくいかない柴桑防衛戦はかなり辛いです。呂布の弩兵応射がかなりのダメージです。
11月11日には新たに伊籍、全宗、関靖を登用。徐晃、典韋解放。また、会う日まで(出来れば戦いたくないが‥‥)
襄陽攻略成功。范増、韓玄、楊泊処断。だれも登用に応じなかったので牢屋へ90日ねな間に何人獲れるか
そして即座に藺相如に曹操軍との半年の停戦にいってもらう。しかし、曹操と会うまで60日って‥‥逃げたか?
12月21日曹操が移動したようで停戦交渉が早くも実現。対戦相手は曹操本人。張良でなくてよかった。
半年の停戦に成功。一番楽だと思われていた漢中も衝車、井闌に土塁、城塞を破壊され
かなりの危険な状態だったので1発の停戦成功ありがたい。
馬良を在野で発見。まだ、未発見ぶしょうでいたことに感謝しつつ登用。
207年未だ未だ終わりが見えない。
曹操軍
前年の攻防戦で武将が少し減り184人に総兵力が110万から97万に減少‥‥‥だから?って言うレベルか‥‥
許昌を落とす前に馬騰が死ななければ良いが‥‥‥
馬騰軍
都市数17武将数116人に曹操軍から後1つ都市を奪えば都市数が並ぶが
趙雲を得たことで戦術の幅が広がった。
1月
捕虜の岳飛登用。寿命的には後7年位だが間違いなくうちのエースの1人として活躍してくれるだろう。
早速岳飛、陳慶之、鄭成功の三人には義兄弟になってもらった。32歳トリオの結成
しかし、同年義兄弟は誰が長兄に設定されるのかな?
2月在野の蒋エン、捕虜の呂威壙、王朗、張春華を獲得。
明鏡の蒋エンには是非馬超の副将を他三名はモブキャラとして大いに活躍してもらおう。
3月襄陽で捕虜にした文ペイ、満寵、楽進らを解放。
4月天水、零陵でイナゴ発生がっかり来たところに在野の徐庶が仕官しに着てくれる。塞翁が馬
7月停戦切れ曹操軍との戦いがまた始まる。
7月21日時点で上庸、甘寧槍兵、蒙恬騎兵等の七部隊、長安、張コウ戟兵、文シュウ騎兵ら八部隊が漢中へ
新野、張良、黄忠らの4部隊が襄陽へ2部隊が江陵へと。廬江から夏侯惇、王翦らの八部隊が柴桑へと進攻してくる。
柴桑は前回同様計略部隊に任せ江陵へは烏林港(孫策領)からの上陸だと思うので馬休、馬鉄で充分だろう
襄陽は中廬港を挟んでの戦いとなりそうなので3兄弟の岳飛、鄭成功、陳慶之+呉懿を派遣する。
漢中は馬騰、ホウ徳、張遼を起きあわよくば反撃して上庸を奪いたいところだ。
そして馬超、趙雲らを天水へ移動させる。
10月1日
廟3ヶ所目百出、神算で悩んだ結果神算を黄権に付ける。
240年死亡と長命な黄権ゲームクリアーまで活躍してくれるだろう。
3都市の防衛戦が続くなか天水より長安攻略作戦開始
馬超(騎神)+楊大眼(疾走)+王甫(明鏡)15000
馬岱(補佐)+霍峻(不屈)+蒋エン(明鏡)15000
馬雲リョク(騎将)+徐氏(跪計)+鄒氏(楽奏)12000
趙雲(洞察)+崔州平(指導)+馬忠(踏破)1000
黄権(神算)+徐庶(深謀)+王累(運搬)10000
計62000
お気付きかもしれませんが神算、深謀が同一部隊になってます。
まだこの時点では黄権の知力が83しかないので経験を稼がせる意味で同一部隊にしたのですが出撃させてすぐに失敗したと気づきました。
208年赤壁の年
各地の攻防戦は続く。
漢中防衛戦昨年10月に疫病が発生
昨年からの戦いで敵部隊を土塁、城塞越しに敵部隊を騎射で撃破先頭の部隊が衝車3部隊となった時点で土塁、城塞の前へと討って出るがそれが失敗に顔良の井闌の火矢攻撃、衝車曹否に撹乱で馬騰が混乱させられる。
それを何とかしようとホウ徳を突出させてしまい曹操部隊に包囲され袋叩きにあい撃破されてしまう。
王異を捕らえられてしまい今は、馬騰部隊も危機的状況。
柴桑防衛戦
賈ク(連環)+貂蝉(傾国)+荀攸(百出)部隊と劉曄(連環)+李カイ(機略)部隊で撹乱、偽報で防衛させるが敵部隊が多く厳しい
周泰、朱桓の部隊で水上戦を仕掛けるが夏侯惇、文ペイ、ホウガ、李典らの部隊に逆撃を受ける。文ペイ部隊は撃破出来たが
周泰、朱桓部隊の兵力もかなり減らされ撤退。
襄陽防衛戦昨年10月にこの都市も疫病発生。
鄭成功、岳飛、陳慶之で中廬港を挟んで新野からの曹操軍と戦う。
張良の部隊の神算で鄭成功が混乱させられ何も出来ないまま集中攻撃にあい撃破されてしまう。
敵部隊には関羽もおりかなり厳しい戦いとなった関羽は何とかようやく撃破し、張良の気力も尽き
鄭成功の2度目の出撃ができる兵力も整い反撃に討って出ようとしているところで208年を迎える。
江陵防衛戦
烏林港(孫策領)を挟んで馬鉄(補佐)、馬休(長駆)、鮑叔牙(補佐)、趙累(補佐)の騎兵隊の騎射で敵部隊を撃破していく。
こちらは烏林港周辺の森のお陰でたまに馬鉄の部隊が混乱させられる以外は被害無し、また、補佐がよく発動してくれてかなりの楽勝モード遠距離攻撃なので敵将が捕らえられないのが残念。
長安攻略戦
敵部隊の出撃は少なめで黄権の部隊で撹乱をかけ、馬超、趙雲、馬岱、馬雲リョクで多少の敵迎撃部隊を撃破していく。
長安包囲が完成した頃漢中へ進軍中だった長安からの部隊が戻ってきた処で昨年終了。
各戦線で捕らえた敵武将。
筰融処断。簡雍、程秉らを捕虜に残りの捕虜期間30日に登用できれば良いが‥。また、逢紀、文ペイ、李厳も捕らえたが縛りルールの能力のため残念だが解放せねば
208年1月襄陽在野のホウ統、黄月英を得る。
反董卓連合では諸葛亮は下ヒなんですよね、残念。
3月
在野の張翼を得る。中堅武将として防衛戦、攻略戦の補助として活躍してもらおう。
長安を攻略する。賈キ、郭奕処断。
4月には何時ものように曹操軍と停戦一息いれる
今回は江陵以外はかなりボロボロなので長めに一年停戦。
6月結局長安の捕虜で獲得できたのは張飛の奥様夏侯氏1人という寂しい結果に
7月梓潼、長安でイナゴ発生‥‥勘弁して次の月には陳登死亡とどうにも辛い月が続く。
こんなときはと孫策軍に停戦の名を借りた八つ当たりを実施
しかし、落雷を落とすまでには至らなかった残念。‥‥とまあ、こんなおバカなことをやっている間にも長安開発は進み
人材を次の戦いに備え適所に分けるとホウ統県令イベントが、適所に分けたのに勝手なことをまったく
10月カク昭が武官推挙で丁奉を連れてくる久しぶりの優秀な人材彼には柴桑防衛戦で戦ってもらおう。
武官推挙はこれまでも何回かあったのだがシャマカ、張横と漢室無視だったので登用できなかったのです。
表示オプション
横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: