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濮陽 - (2012/05/03 (木) 01:25:29) のソース
>現在の河南省濮陽市。 >古くは帝丘と呼ばれた都で、春秋期には兵家必争の地となり近隣の城濮や鉄丘で決戦が行われた。 >後漢末期には[[曹操]]飛躍の地となる一方、[[呂布]]により最大の窮地に立たされた場所ともなった。 >後に[[司馬懿]]の兄、[[司馬朗]]が兗州刺史として一帯を治め、寛大な統治により住民に慕われた。 >なお、北宋期にはこの地で澶淵の盟が結ばれている。 #CONTENTS *基本情報 -収入は上級時のもの。初級だと25%増、超級だと25%減。 |金収入|兵糧収入|開発地|港関|耐久|特色|h |600|4000|15(9+6)|1|3900|槍| -闘艦なしでも水上から開発地攻撃可能。COMも非常によく攻撃してくるので、護岸工事は必須か。 -闘艦があれば東の開発地も水上から攻撃可能。 -領内の遺跡・廟候補地は1つ。珍しいことに草地のど真ん中にある。 *濮陽を攻める **[[鄴]]、[[平原]]から -鄴から攻める場合は、濮陽の城兵や武将メンツに応じて安全策でいくか速攻策でいくかを適宜判断したい。 --安全策で行くなら、濮陽と頓丘港の近さを利用した棺桶作戦で城兵を削ってから上陸しよう。 ---棺桶作戦に参加しない部隊は、水上から開発地を破壊しておこう。ただし陸からの撹乱や偽報に注意。 --速攻戦で行く場合は頓丘港を落とした後は一気に部隊を上陸させること。もたもたしてると再び頓丘港を落とされて戦力を分断されてしまう。 ---上陸後ある程度乱戦になることは覚悟すること。できるだけ強い武将を派遣したい。 -平原から攻める場合は、鄴と同じ方法のほかに、臨済港経由で陸路から攻めるか方法がある。 --水軍適性B以上、すなわち火矢が射てる武将が少ない場合はこちらのルートの方が消耗戦になりにくい。陸戦に自信があるならオススメ。 --北海が敵勢力下にある場合でも、臨済港の東の隘路を足止め用の陣などで塞いでしまえば交戦せずに済む。 --囮部隊をこちら側に派遣し、敵の主戦力を釣り出しておく手もある。 **[[北海]]から -距離が有るので主戦場が読み辛い。迎撃部隊が出てきたら、平野の手頃な場所に施設を建て待ちの方が無難か。 --敵の内政施設地帯を逆に利用する手もあるが、敵は自施設上を素通り出来る点に注意。 --他の都市からも攻められるなら、こちらからの部隊はなるべく囮に。 **[[小沛]]から -南から普通に攻めるのは抵抗が厳しく、[[陳留]]から迎撃に出てくる可能性も有る。 --出来れば難所行軍が欲しい所であり、有るなら浅瀬から侵攻しよう。 --部隊を二つに分け、浅瀬からの部隊を囮にする手も良い。 **[[陳留]]から -南から攻めるなら、渡から北二マス目の本道に施設を建て、少しでも壁を作りたい。 --また火薬錬成が有るなら、渡北から火球で城を攻撃→迎撃部隊が出たら陳留領に戻る→敵城に近づく→また火球攻撃といった悪魔戦法も可能。 *濮陽を守る **[[鄴]]、[[平原]]からの敵 -[[頓丘港]]は湿地に囲まれ、おまけに城が近過ぎて施設が建てられず守り辛い。 --更に内政施設が河から攻撃される。 -とりあえず火船で内政施設に届く場所を潰しておきたい。 --最悪でも上陸だけはされない様に、港近辺を死守しよう。 **[[北海]]からの敵 -距離が有るので迎撃に出てる間に他から攻められる危険性が有る。 --出来れば、予め[[臨済港]]に近いほうの浅瀬付近に陣でも作って攻める気を殺いでおきたい。 ---資金が有るなら櫓と投石台地獄を築き、防備を固めよう。 -何も手を打っていない状態で攻められた時は、騎馬で速攻隘路を押さえるべき。 --それも駄目なら、内政施設付近で損害覚悟で戦うしか無い。 **[[小沛]]からの敵 -南ルート --基本的に、下の陳留の項参照。 -北東ルート --敵が難所行軍を持っている場合、浅瀬を渡ってこちらから進軍してくる場合がある。 ---湿地で施設も建て辛く、すぐさま迎撃しないと内政施設を破壊される。 ---この場合は予め浅瀬出口付近に櫓や陣を建てて、なるべく南から来させたい。 **[[陳留]]からの敵 -道が狭いため、施設で塞げばかなり耐えられるが、一旦突破されると森が多い上に施設の援護が期待できず非常に厄介。 --可能なら南の平地で、施設を建てつつ防御したい。 ---ただし、平地自体は陳留領なので、部隊と施設がそこにある限りずっと出撃される。 *周辺地図 #image(bokuyou.PNG) *未発見武将 -シナリオ番号の対応関係は[[こちら>都市別未発見武将]]を参照。 |年| |名前|>|>|>|>|>|>|>|>|>|>|>|>|シナリオ|h |184|BGCOLOR(#30f):|[[于禁]]|1|||||||||||12|| |~|BGCOLOR(#f0c):|[[陳宮]]|1|||||||||||12|| |~|BGCOLOR(#00f):|[[程昱]]|1|||||||||||12|| |~|BGCOLOR(#30f):|[[董昭]]|1|||||||8||||12|| |~|BGCOLOR(#f09):|[[李豊]]|1|||||||||||12|| |186|BGCOLOR(#06f):|[[王忠]]|1|2|3|||||8||||12|| |188|BGCOLOR(#00f):|[[楽進]]|1|||||||||||12|| |~|BGCOLOR(#0f0):|([[劉琦]])|1|||||||||||12|| |~|BGCOLOR(#0cf):|[[劉磐]]|1|||||||||||12|| |189|BGCOLOR(#0f0):|[[伊籍]]|1|2||||||||||12|| |192|BGCOLOR(#03f):|[[呂虔]]|1|2||||||8||||12|13| |193|BGCOLOR(#03f):|[[王粲]]|1|2||||||8||||12|13| |196|BGCOLOR(#f0c):|([[呂玲綺]])|||3||||||||||| |198|BGCOLOR(#0f0):|[[胡班]]|1|2|3|4||||8|9|||12|13| |207|BGCOLOR(#0cf):|([[劉琮]])|1|2||||||||||12|13| |210|BGCOLOR(#00f):|([[楽綝]])|1||3|4|5|||8|9|10||12|| |215|BGCOLOR(#00f):|([[程武]])|1|2|3|4|5|6|||9|10||12|13| |240|BGCOLOR(#03f):|[[羊祜]]|1|2|3|4|5|6|7||9|10|11|12|13| |243|BGCOLOR(#f60):|[[濮陽興]]|1|2||4|5|6|7|8|9|10|11|12|13| |253|BGCOLOR(#06f):|[[丘建]]|1|2|3|4|5|6|7||9|10|11|12|13| -S14の未発見武将は [[王忠]]、[[韓忠]]、[[顔良]]、[[魏続]]、[[眭元進]]、[[宋憲]]、[[張曼成]]、[[張宝]]、[[程昱]]、[[文醜]]、[[方悦]]、[[鮑信]]、[[穆順]]、[[劉岱]]、[[呂威璜]]、[[呂虔]] -S16の未発見武将は [[方悦]]、[[穆順]] ----