ちゃば日記
1日目『ヒトになった猫』
私の家には、一匹の子猫が居る。
「ちゃば、ただいま!」
「みゃ〜」
名前はちゃば。ミルクティーみたいな明るい茶色の体毛をしているから、私がそう名付けた。マンチカンのメスで、まだ1歳にも満たない赤ちゃん猫。お母さんの仕事の同僚さんが猫を飼っていて、そこで生まれた子猫達の中の一匹を里親として引き取る形でお迎えした。
「よしよし....お利口にしてた?」
「んにゃぁ」
「そっかぁ〜、ちゃばは良い子だね〜....♪」
猫好きの私にとって、ちゃばの存在は癒しそのものだった。どんなに疲れて帰ってきても、ちゃばがこうして甘えてくれるだけで一気に疲れが吹き飛んでしまう。そのお礼として私がちゃばにしてあげられることは、とにかく最後まで大切に育ててあげる事。この子には、幸せな一生を送ってほしい...その一心で、私はちゃばと毎日を過ごしている。
ところが、そんなある日のことだった。
『もしもし、初ちゃん?』
学校からの帰り道、私のスマホにお母さんから連絡があった。
「どうしたの?」
『ちゃばちゃんが.....ちゃばちゃんが大変なの!』
「えっ.........」
突然のことに、私は思わずスマホを落としそうになる。ちゃばに一体何があったのか、私は一秒でも早く知りたくて急いで家まで帰ってきた。
「ちゃば!!お母さん、ちゃばは!?」
「おかえり初ちゃん、こっちのお部屋よ。」
「ねえ、ちゃばどうしたの!?何があったの!?」
「見てもらえれば....すぐ分かるわ........」
お母さんの表情は、明らかに深刻そうだった。私はちゃばが居るという部屋のドアを思い切り開けた。
「ちゃば..........っ!?」
............そこには、私が知っているちゃばの姿はなかった。
「.....みゃぁ?」
ミルクティーのような鮮やかな茶髪。それと同じ毛の色をした猫耳と尻尾。大きくつぶらな瞳に、小さな口から見える八重歯。小柄で華奢な体型をした人間の女の子が、きょとんとした表情を浮かべながら畳の上に座っていた。
「..........えーっと」
五秒程、間隔を置いて。
「この子、誰?」
私はお母さんにそう尋ねた。
「ちゃばちゃんよ、一応.....お買い物から帰ってきたら、こうなってたの......」
確かに、私が朝学校に行く前はいつも通り猫の姿をしていたし、話を聞く限り少なくともお母さんが買い物に行く直前までは猫だったということになる。たった一瞬の間に、一体何がどうなってちゃばはこうなってしまったんだろう。
「.....ちゃ、ちゃば?」
恐る恐る、私はその女の子に向かってそう呼びかけてみた。すると、
「みゃぁー」
女の子はまるで返事するようにそう鳴いて、手足を使い四つん這いで私の方に歩み寄ってきた。
「ほんとに、ちゃばなの?私のこと分かる....?」
「みゃぁ、んぅぅ」
ピクピクと猫耳を震わせながら、女の子は私にすりすりと甘え始めた。間違いない、この甘え方はちゃばそのものだ。
「....ちゃば.....とりあえず良かった、想像したようなことにはなってなくて......」
人間になってしまった原因は分からないけど、ひとまずちゃばが無事だったことに私はほっと胸を撫で下ろした。
......................
.................................
「よく食べるなぁ.......」
両手を使い、一心不乱に茶碗の中にあるご飯を食べるちゃば。人間の姿になったことにより、キャットフードや猫用のおやつだけでなく人間用の食べ物も食べられるようになったらしい。ただ、当然お箸を使える筈もなく手や顔にいっぱいご飯粒を付けながら食べている。
「ちょっと心配だけど.....この様子なら、大丈夫なのかしら....?」
「多分.....あっちゃば、顔拭いてあげるからこっちおいで。」
「んぅ〜」
人間になってしまったものは仕方がない。元に戻る方法が見つかるまでは、ヒトとしてちゃばをお世話してあげることにしようとお母さんと相談して決めた。
「ヒトだろうと猫だろうと、ちゃばはちゃば、大切な家族に変わりはないからね。」
「そうね、初ちゃんがそう言ってくれるならこの子もきっと安心すると思うわ。」
ご飯の時間が終わると、私はちゃばを連れて自分の部屋に戻った。ちゃばにとっては見慣れた景色の筈なのに、視界が猫の頃より高くなったせいかきょろきょろと見回している。
「ちゃば、おいで。」
「みゃっ」
私が呼ぶとすぐ寄ってきてくれるのは、人間になっても変わらない。見た目が変わっても、やっぱりこの子はちゃばなんだなと私はすっかり安心していた。
「ちゃば。これから君は、しばらく私と同じ....人間の生活をすることになると思う。人間には、やって良いことと悪いこと、色んなルールがあるの。少しずつで良いから、一緒に覚えていこうね。」
「......?みゃぁん」
一瞬首を傾げるも、ちゃばはすぐにそう鳴いて返事した。多分分かっていないと思うけど、いきなりは難しいだろうから少しずつ覚えさせていこう。この子がヒトとして生きる上で不自由なく暮らせるように導いてあげることが、今私に出来るたった一つのことだから。
これは、ヒトになってしまった子猫・ちゃばと、飼い主である私・音羽 初.....そしてその周りを取り巻く家族や友達との、平凡で平和な日常を綴った日記である。