コトノハバース・フューチャーストーリー
『堕天使の休日』
「..........はぁ..................」
とあるワンルームアパートの一室。いつも自分が寝ているベッドに腰掛けながら、初は重い溜め息を吐いた。
「もう、いつまでもそんなに嫌そうな顔してないの!」
そんな初を強い口調で叱るのは、同級生の虹富 玲亜。彼女も初と同じく青空小の卒業生であり、今は動物を扱う仕事に就く為に大学に通っている。
「....いや、誰だって嫌な顔するだろ......こんな面倒事に巻き込まれたら..........」
「気持ちは分からなくないけど、今はダメ!だって.......」
玲亜の背後から、小さな女の子が顔を出す。白い髪に薄紅色の瞳、幼稚園児程の外見だが、着ている服は何故かサイズが合わず袖が有り余っている。瞳を僅かに潤ませながら、女の子は初の顔を見つめていた。
「....おねえちゃ、まだおこってる...?」
「大丈夫だよ〜、初お姉ちゃんは今ちょっと考え事してるだけだから。祈空ちゃんに怒ってるわけじゃないからね〜♪」
女の子の正体は、祈空だった。本来であれば小学六年生である筈の彼女が、何故か今は小さくなってしまっている。
「ほら、祈空ちゃんも不安そうにしてるでしょ?大人の私達が暗い顔してたら、祈空ちゃんまで暗い顔になっちゃうの!」
「分かった分かった、悪かったよ......ったく、何でこんなことに.........」
.....................
..................................
事件が起こったのは、数時間前。祈空はいつも通り、初の仕事を手伝う為に蛍音市までやって来ていた。
「初先輩、何処に居るのでしょうか.....?」
祈空が初を探していると、駅の方から騒ぎ声が聞こえてきた。声がする方へ向かうと、其処に居たのは依頼とは別のノイジャーだったのである。
「お前ら動くな!!動いた奴はコイツの餌食だぞ!」
ノイジャーの男は、手に覚声機を持って怒鳴り散らしている。周りに居る人々は全員萎縮してしまい、動くことが出来ない様子だった。
「や、やめて下さい!」
現場に駆けつけた祈空は、男に向かって叫んだ。
「あぁ?何だ嬢ちゃん、たった今動くなっつったよなぁ?」
「どうしてこんな事を......今やめれば罪にはなりません、どうかそれを捨てて下さい!」
「ヘッ、そう言われて止まる俺じゃないぜ。お前らよく見てろ!俺に逆らえばどうなるか.....そこの嬢ちゃんで思い知らせてやる!」
その頃、騒ぎを聞きつけた初と、大学が終わって帰宅途中だった玲亜も、偶然同じ時間に現場に到着していた。
「....居た、あいつだな。余計な仕事を増やしやがって......!」
「待って初ちゃん!あそこ、祈空ちゃんが!」
「!!」
男の太い腕に押さえつけられ、祈空は必死にもがいていた。
「く.....っ....!やめ....やめて下さい.....っ!」
「ヘッヘッヘ....お前みたいな悪い子は、もう二度と俺に逆らえないように......」
すぅっと大きく息を吸い、男は覚声機に向かって叫ぶ。
「小さくなっちまえ!!」
すると、祈空の身体がたちまち縮み始めた。
「....っ!?何、こ....れ......っ!?」
祈空が着ている制服の袖がどんどん垂れ下がっていき、スカートも脱げ落ちた。身体が縮んだことでサイズが合わなくなった服が、祈空の上に覆い被さっていく。
「ヒャハハハハハ!!どうだ!ガキになっちまえばもう大人には逆らえねえだろ!お前らもこうなりたくなきゃ、大人しく........」
「........................下衆が」
突然、低く冷たい声が辺りに響き渡る。それと同時に、男の身体から炎が噴き出した。
「うわぁッ!?アッチチチチ!!」
あまりの熱さに、男は堪らず祈空から手を離す。その瞬間、倒れそうになった祈空の身体を抱き支えながら、黒衣の堕天使が現れた。
「て、てめぇっ!!」
「随分好き勝手やってくれたな。だが.....此処から先は行き止まりだ。」
脱げ落ちた服で祈空の身体を包むように抱き抱えると、初は瞳を金色に光らせた。
「な、何を.....うわぁっ!?」
すると、何処からともなく鉄の棒が降り注ぎ、男の周りを取り囲むように地面に突き刺さった。
「くそっ、出られねえ!でも、こんな時の為の覚声機だ!こんなものすぐに小さくして......」
「させないよ!」
今度は光の弾丸が飛んできて、男の手に命中した。玲亜の加速符号、《玲虹》だ。
「あ痛ってぇ!?」
男の手から弾き飛ばされた覚声機が、初の元に飛んでいく。すかさず初はそれを掴み取り、ポケットに仕舞い込んだ。
「この野郎ッ、返せ!!ってか此処から出せ!!」
「出して欲しければ、祈空の身体を元に戻す方法を教えろ。これを使えば戻るのか?」
「し、知らねえよ!俺だって初めて使ったんだ!」
「チッ、素人が.........後で情報屋に聞くしかないな。」
数分後、男は駆けつけてきた警察に逮捕され、巻き込まれた人々も無事に解放された。しかし、祈空の身体だけは元に戻る気配がなかった。
「うぅ.....」
「........この馬鹿!何であんな無茶した!」
「ふぇっ....ご、ごめんなしゃぃ.......」
「初ちゃん、今は祈空ちゃんに当たってる場合じゃないよ。とりあえず何処か落ち着ける場所に移動しよう?」
「..............分かったよ....」
こうして、初は玲亜と共に、祈空を保護するべく一度自分の家に戻ってきたのである。
...........................
.............
「あのノイジャーが使っていた覚声機は、《小人と巨人 -ピグミー・アンド・ジャイアント-》.....人、物問わず大きさを自由に変えられる能力を持っている。一度大きさを変えられたものは、24時間経過しないと元の大きさに戻らないらしい。」
情報屋から送られてきたメールを見ながら、初は二人にそう告げた。
「良かった、ちゃんと戻れるんだね。でもそれまでは見守っててあげないと......」
「....悪いが玲亜、任せて良いか。私は本来の依頼に戻る。」
「そっか、ほんとは別の依頼入ってたんだもんね。分かった。」
「すまないな......じゃあ行ってくる。」
初が立ち上がり、再び出掛けようとした時だった。
「.....おい、離せ。」
小さな手でロングコートの裾をきゅっと握りしめ、何かを訴えかけるように初を見つめる祈空。その目には、今にも溢れ落ちそうな程の涙が浮かんでいた。
「おねえちゃ........いかないで......」
「精神まで幼児退行してるのかよ.......大体、そんな格好で連れ歩けるわけないだろ。」
「やだぁ......ういおねえちゃも、いっしょがいい.....」
「駄目だ。玲亜と一緒に大人しくしてろ。」
すると、突然初のスマホに電話がかかってきた。抱きつこうとする祈空を手で制しつつ、初は通話ボタンを押した。
『よう、堕天使ちゃん。さっきはご苦労だったみたいだな。』
「....何だ、あんたか。」
電話の主は、いつも初にノイジャーや覚声機の情報を提供している情報屋、MC.ムーサだった。
『取り込み中悪いが、ちょっとオレに時間くれるかい?伝えたいことがあってよ。』
「.....分かってるよ、さっさと本来の依頼に戻れって言いたいんだろ?」
『あー、その事なんだがな。実は他のコに任せることにしたんだ。』
「......は?」
予想外の返答に、初は思わず素っ頓狂な声をあげる。
『お前さんがいつも連れてる嬢ちゃん、さっきの騒ぎで小さくされちまったんだろ?せっかくなんだから、元に戻るまで一緒に居てやったらどうかと思ってな。』
「.....いや、何が“せっかく”なんだよ。言ってることがさっぱり分からないんだが?」
『せっかくはせっかくさ。こんな機会滅多にねえだろ?たまにゃ一緒に遊んでやりな、元に戻るまでで良いからよ。お前さんの羽休めにもなるだろ?』
「だからって勝手に依頼取り消すなよ!私が受け取る筈の報酬はどうなる!」
『報酬?ああ、だったらさっき巻き上げた覚声機があるだろ?そいつの報酬金を口座に振り込んでやったよ。ま、臨時収入ってヤツだな。』
「全然意味違うから!!何でもかんでも勝手に進めるな!」
『まぁまぁ、タダ働きより良いじゃねえか。そいつで嬢ちゃんに美味いもんでも食わしてやりな。んじゃ、ごゆっくり〜⭐︎...あ、収穫はまた今度渡してくれれば良いぜ。』
「おい、待て!私の話を...........切れた.......」
スマホを耳元から離し、初は再び溜め息を吐いた。
「......あの髭男........今度会ったら一発ぶん殴る.............」
「どうしたの?もしかしてお休み貰えた?」
「............あぁ。」
初が力無くそう返事すると、途端に祈空の表情がぱぁっと明るくなった。
「おねえちゃ、あそべるの?やったぁー!」
「遊ぶとは一言も言ってないだろ....」
「でも、このままおうちに帰すわけにもいかないでしょ?ここ最近初ちゃんも仕事ばっかりだったし、たまには一緒に遊ぼ?」
「............」
玲亜に諭され、祈空の視線にも耐えきれず、少し考え込んだ末に初は言った。
「................今日、一日だけだからな。」
「わぁ〜........!」
三人は、再び街へとやって来た。祈空も今の身体に合うサイズの服を買って貰い、すっかりご機嫌な様子だった。
「とりあえず繁華街まで来てみたが.....何か、いつも以上に賑わってるな。」
「ハロウィンだからじゃない?ほら、あっちにもこっちにも、ハロウィンの飾りがいっぱいあるよ。」
至る箇所に置かれたカボチャのランタン、壁に飾り付けられたお化けやコウモリのパネル。売り子は魔法使いの格好をして、道行く子ども達にお菓子を配っている。
「.....そういえば、もうそんな季節か。」
「ねー、毎日忙しいとこういうイベントも忘れちゃうなぁ。」
「ういおねえちゃ、れあおねえちゃ!」
「何だよ忙しないな。」
「のあね、あれほしい!あれ!」
祈空が指差す先には、棒付きのキャンディが売られている出店があった。
「あっ、良いね〜ペロペロキャンディ!よーし、お姉ちゃんが買ってあげよう!」
「わーい!」
「おい、子どもだからって簡単に甘やかすな。」
「すみませーん、キャンディ三つ下さいな!」
「くださいなー!」
「話を聞け........ってか、私は要らないぞ!」
初はそう言ったが、結局三人仲良くキャンディを貰うことになった。
「美味しい?祈空ちゃん。」
「うん!あまくておいひぃ!」
「良かったね〜♪初ちゃんも...って食べてないじゃん!」
「要らないって言っただろ.....こっちは浮かれてる場合じゃないんだよ。」
そう言って、初は辺りを見回す。一見平和そうに見えても、こういった繁華街にもノイジャーが潜んでいる可能性は十分あるからだ。
「現行犯を押さえれば、取り消された分を取り返せる。臨時収入ってのはそういう事だ。さて.......」
「....ねえ、初ちゃん。」
「何だ、こんな時にまで仕事の事考えるなって言いたいのか?悪いがその頼みは....」
「さっきのこと、責任感じてるんでしょ?」
玲亜の一言に、初は思わず一瞬固まる。
「私の勘違いだったらごめんね。祈空ちゃんを事件に巻き込んじゃったこと、気にしてるのかな....って。今の初ちゃん、怒ってるというよりも凄く焦ってるように見えるもん。」
「.............................。」
初は何も答えない。だが、誰がどう見ても「図星を突かれたんだな」と見破れるような、複雑な表情を浮かべていた。
「....ふふ、やっぱりね。情報屋さんも、きっとそれを察してくれたんだよ。失敗を気に病んでたら仕事なんてまともに出来ないだろうし、それならいっそお休みにしてあげようって思ったんじゃないかな?」
祈空には聞こえないような静かな声で、優しく語りかけるように玲亜は言葉を紡ぐ。初はその言葉に、心が少しずつ落ち着きを取り戻していくのを感じていた。
「失敗を巻き返そうとして、躍起になっちゃう初ちゃんの気持ちは私も凄くよく分かるよ。でもね、そんな時こそリフレッシュしなきゃ。ゆっくり休んで、頭を冷やして.....そうすれば、きっと次は上手くいくよ♪」
「...............そうだな......玲亜の言う通りかもしれない........」
初は目を閉じ、ゆっくりと深呼吸をする。そして、再び目を見開くと、強張っていた表情を僅かに緩ませた。
「......悪かった。玲亜の言葉で気付かされたよ....もう二度と同じ失敗を繰り返さない為にも、今はゆっくり休まないとな。」
「ふふっ、良かった.....♪よーし、そうと決まれば思う存分楽しまなきゃね!」
「おねえちゃ、あっち、かわいいのいるよ!はやくはやく!」
「うん、今行くよ祈空ちゃん♪ほら初ちゃんも、一緒に行こう?」
「.....ああ。」
こうして、ようやく乗り気になった初と、玲亜と祈空の三人は、ノイジャーに邪魔されることもなくハロウィン街で休日を満喫したのであった。
..................................
.....................
「本当に、ご迷惑をおかけしました......」
次の日。情報通り、覚声機の効果を受けてから24時間経過した祈空の身体は、元の身長に戻っていた。
「....私の方こそ、怒鳴ったりして悪かったな。もう少し早く駆けつけていれば、祈空を巻き込まずに済んだものを.....」
「いえっ、先輩が来るまで大人しくしていなかった私の責任でもありますから....!でも....そんな私を助けてくれて、本当にありがとうございました......♪」
「......気にするな、お前が無事なら何よりだ。」
二人は顔を見合わせ、お互いに笑みを浮かべた。
「うんうん、良かった良かった!それに、祈空ちゃんのお陰で昨日はすっごく楽しめたしね!」
「はい!素敵な時間を過ごせました♪」
「......にしても、小さい頃の祈空は随分なお転婆だったみたいだな。」
「確かに、早く早くってはしゃいでたもんね。今の祈空ちゃんからは想像出来ないなぁ。」
「えっ、あっ、えっと、あれは........」
突然、祈空は思い出したかのように頰を赤くして照れ始めた。
「.....その........小さくなった今なら、二人に甘えても大丈夫かな.....って.........」
「なっ......幼児退行してるわけじゃなかったのか!?」
「へぇ〜、祈空ちゃんってば私達に甘えたかったんだ〜?可愛いなぁ〜♪」
「うぅ......っ、だ、だって、一人っ子の私にとって、先輩達は本当のお姉さんみたいな存在で......」
「良いよ良いよ〜、祈空ちゃんにならいくらでも甘えられたいなぁ♪さ、おいで!お姉ちゃんがぎゅーってしてあげる!」
「は、恥ずかしいので大丈夫です....!忘れて下さい〜〜!」
耳まで真っ赤に染めながら逃げる祈空と、それを追いかける玲亜を見つめながら、初はまた溜め息混じりに呟いた。
「......あいつ.....自分が置かれた状況を逆手に取るなんて、意外と策士だな..........」
FIN.