鍵 その後

鍵 その後 改訂

とてつもなく暴走しているけれど、こういう風に、歩き続けなきゃいけないんじゃないかと思ったんだ。
で。時系列から浮いてしまっているので、改訂する。
おそらく帝国歴1095年冬。
帝國SSにとって95年は運命の年。


 時代はうつろいつつある。かつては機神は絶対と言っていい力を持ち、一つの王国を成し、それを保つほどだった。今、この帝國では、その機神に与えられる座はすこしずつ低くなっている。
 鑓の機神は、公爵家の切り札だった。
 ノイナにもミノールにもそう使うつもりがあり、鑓の機神そのものにも、他に無い力がある。帝國にいくばくかの貢献を、今でも行いうる機神を所蔵していたというのは、幸運だったのだろうとマルクスは思う。ただ、今の帝國の求めることは、公爵家の力の枠を超えている。それゆえの今日であり、それゆえの今日からだった。
 いつもと違う控えの間で、ノイナはいつもと趣の違う女性らしい正装と共に、少し物憂げに長椅子に腰かけていた。香りのよいお茶も、脇机ですっかり冷めている。マルクスにもその気持ちはわかる。これより皇太子殿下、それに大公殿下に相対せねばならない。
 それでも、マルクスは少しの思い出し笑いをしてしまい、この道すがらにもノイナに肩を叩かれていた。彼女曰く、女学生が皇太子殿下にお目通りなんてほんとどうかしてる、と。女学生、というのが学院の中の女子部の者らの自称らしい。今はその制服ではない。学院の身分、修道会の中に寄宿しながら勉学を行うもの、としてここにきているわけではない。あくまで公爵家の太子として、一門宗家太子にお招きを受けているのだ。
 たしかに、あちらも宗家の太子であるし、ノイナの一門の家の継子となることが決まった身であるから、そういった者同士、したしくお話をしたいと申されるなら、それほど可笑しくはないだろう。まあ、そんなことを廊下を歩きながら言って、また肩を叩かれもしたのだが。
 やがて控えの間に、呼び出しの使者が訪れる。応じてマルクスは先に立ち上がった。ゆこうか、と手を差し伸べると、ノイナはうなずき返してマルクスの手を取る。うん、と答える声には、やはりそれなりに期するものがあるようだった。いつのまにか大人の女性の顔立ちになったようにみえる。けれど不思議なもので、何かの拍子があると、以前のままのノイナに、するりと入れ替わるようにも思える。たとえば見つめるマルクスに、いぶかしげに、なに?と問いかえしているときには特に。
 マルクスも、美しきわが主にして伴侶となる姫と共に皇太子殿下の御召を受けるのは光栄だと思ったのさ、などと応じる。ノイナはすこしだけ眉をひそめ、もう一方の手で、マルクスの肩を軽くたたいて見せたりもする。
 ごくごく内輪のもの、と前置きされてはいたものの、これは皇太子殿下の御召でもある。実は密会でもある。皇太子殿下との密会というより、皇太子殿下の伴う人との。
 これが在るべき形なのかと、危うさを感じぬわけではない。もちろん諸々の筋は通ってはいる。たとえばこの御召にあって、皇帝陛下はこれを許すという添え状もあった。にもかかわらず密会で、皇太子殿下は引き合わせに過ぎない。贅沢なことだとマルクスは少し思ったりもする。そもそもマルクスはまだ正式に婚約したわけではない。侯爵家から公爵家に身柄を移され、ミノールの許しを得て機神に乗っただけの者だ。よってお招き状には、伴い人一人、ケイロニウス・レオニダス公子レオニダス・アルティス男爵マルクスとなっていた。レオニダス家でケイロニウス一門扱いは公侯両家のみとなる。機神の関わりなどで面倒なためにミノールの養子であるところのレオニダス侯爵家の分家のマルクスというわけだ。その爵位もいずれ侯爵家に返上せねばならないのだが。
 呼び出しの者の案内に従い、マルクスとノイナは宮中をゆっくりと歩く。これから先あうべき人については、すでに知っていた。事はすでに始まっている。始まりの終わりであり、次の始まりの日でもある。マルクスの手を取って歩くノイナはいつも通りに、限りなく近かった。
 やがて別の控えの間へと導かれる。その控えの間に待つものはいなかった。だが控えの間にはもう一つ、別の扉があった。別の部屋へと通じる扉だ。呼び出しの者は、しばしのお待ちを、すぐに参られます、と言い残し、退いてゆく。そうしてマルクスとノイナとがただ取り残された。宮中で、外の者がこのように取り残されるのはめずらしい。二人して部屋の真中で立ち尽くし、このままかもな、そんなはずないでしょう、などと囁きあう。
 そのうち、ふいに扉が開いた。
 入ってきたときの扉とは違う、別の扉だ。開かれたことよりも、開いた人に驚いた。
 カタリナ皇太子殿下、その人だった。
 マルクスは踵を合わせ、深く頭を垂れる最敬礼を行いながら、なるほどカタリナ殿下なのだと思っていた。聖下の姿ではない。今は装束も皇太子殿下のものだ。カタリナ殿下は、顔を上げて楽にされるようにと言い、そしてノイナとマルクスのレオニダス女公爵夫妻の足労をねぎらった。その言葉は、副帝陛下のように、誰に対しても丁寧だ。ノイナは御召を光栄である旨、応じる。
 カタリナ殿下は、変わらず美しい人ではあった。近頃は、つまりお子様を産まれてからはさらにと聞く。マルクスには良くわからない。そもそも風説の他は知らないのだから。実のところ処女懐胎についてもそうだった。魔導的には非常に複雑なことで、ようするにカタリナ殿下の魂の座としての肉体の器を、そのまま相似のまま作り出した、というわけではないらしい、という結論だけを知っていた。しかし父の精によって与えられる陽相によるものでもない、とも。つまり、神の許した生殖の形でなくとも、親とは違う人を、産みうるということなのだと。
 それは帝國の全てどころか、神殿の国々すら震撼させたという。もっとも処女懐胎などではなく、父無し子だと吹聴するものは多くいる。そうしてユリアヌス殿下を父無し子とでも吹聴せねば、神殿諸国は教会に対する宗教の優越性を保てなくなる。魔術的優越はすでに失ったうえで。
 そのカタリナ殿下は間口より半身退き、ノイナとマルクスを部屋へといざなう。
 その先に、ここに会うべき人の姿が見えた。マルクスはその人より、むしろノイナに気を向けていた。ノイナが臆するようなことがあれば、マルクスが補わねばならない。
 けれどノイナは臆さなかった。まっすぐに背を伸ばし、自ら前へと踏み出した。ケイロニウス一門の末席に名を連ねる、また機神の主でもあるものが、皇太子の前で臆することなどできようはずもない。もっとも、ノイナの背にはそれほどの気負いは無いようだけれど。マルクスはノイナのその斜め背後に従う。前にはカタリナ殿下が導くように行く。
 入室の軽い礼の先に、エドキナ大公の姿がある。魔族は、帝國壱千年の歴史のなかで、一度も相容れることのない敵だった。帝國の強敵にして、不倶戴天の宿敵だった。わずか三十年ほどまえに、エドキナ大公領併呑までは。そのあとでも、残った多くの魔族は、いまだに帝國の宿敵であり続けている。
 エドキナ大公はあざやかな織物で作られた服を纏っていた。帝國の服とも、中原や、南方諸王国の服とも違い、幅広に織られた帯布を、その形があまり崩れないように作られたものだった。魔族にとっての正装なのだろう。その織物が作り出す模様や飾り物の刺繍は、まるで絵のようで、不意にマルクスはそれが帝國中央ではないどこかの風景であるらしいことに気付いた。木々や水の流れは、魔族大公領を示しているのかもしれない。ふるさとの様子を織物として、それを身にまとうということそのものに、マルクスは驚いていた。魔族と聞いて思い浮かべるものの中には、これほど繊細で、優美と言っていいものは含まれていない。
 鮮やかだけれど、きらびやか過ぎず、美しいが、競いかけるような様子は無い。結われた髪の髪留めと、魔像らしい角もそうだった。彼女からただよう、ほのかな香りもまた、選び抜かれたものなのだろう。それは彼女の人となりそのものなのかもしれない。
 その面に浮かぶ柔らかな笑みは、魔族と聞いて思い浮かべるものとは全く違っていた。
 彼女を前にカタリナ殿下は足をとめ、それから振り向き、エドキナ大公とノイナに等分に目を向ける。これまで知己の無かった方々の仲立ちとなれるのは、喜びであると言った。
 それからまずノイナへと向き直り、ノイナ・ケイロニウス・レオニダシア公女と呼びかけた。典例と違い、貴族序列では下になるノイナへエドキナ大公を紹介しようとしている。
 こちらは、姉妹のように親しんでいる、と前置きをして。帝國魔族自治区自治区防衛委員会第一委員、第一市民と。それに続けて付け足すように、帝國公爵、と。頭を垂れる彼女の仕草が、魔族なりの義を尽くした礼であるのは、すぐにわかった。ノイナもまた帝國貴族の、目上の者へ示す礼をもって応じる。もちろんマルクスもであったけれど。それは歴代のレオニダス公爵家、あるいは王家に遡っても魔族に対して示された、初めての礼であったかもしれない。
 つづけてカタリナ殿下はエドキナ大公へ向けて、ノイナを紹介する。ケイロニウス一門の公子にして、太子として家督を継承される、と。それとともに長年眠りについていた機神の復活も見た、と。そのいちいちに、エドキナ大公は笑みを見せ、おめでとうございますとか、よろしゅうございましたと言って見せる。どうやらそれは世辞でもなんでもなく、彼女の素のままであるらしい。
 応じるノイナの声は、さすがにやや上ずっていたけれど、そのほかには、いつもとあまり変わりが無かった。マルクスが思っているよりも、ノイナの器は大きいのかもしれない。そうでなければ、ノイナは機神の鍵を開けなかったのだけれど。
 ノイナは言う。お会いできて光栄だと。お噂はかねがねうかがっていた、と。友人に、魔族大公領より学院へ入学したものがいて、親しみを感じている、と。その学友の名を、無名と言う、と。
 まあ、とエドキナ大公は声を上げて見せる。それはわたくしの義妹ですと。互いに話の種にするつもりであっただろうと、マルクスは思っていた。マルクスもまた、無名の名くらいは知っていた。ノイナとエドキナ大公は、その無名を仲立ちにして、打ち解けているようだった。その話が皇太子殿下の前で行うにふさわしいかはともかく。
 カタリナ殿下はいつものように慈母の笑みを浮かべている。何を思っているかなど、マルクスには知るよしもない。けれど皇太子殿下は、ここにあるからには、このことの発端について、そして行き着くべきところについて、了解されているのだろう。
 鑓の機神を飛ばし続けるには、高度に魔術的な部品部材を補ってやらねばならない。そうせねば、うつし世と魔力との相克で機体そのものが少しずつ消耗し、その働きは失われてしまう。ほとんどの機神はそうなる前に自ら異界に身を封じ、うつし世との相克から逃れようとする。
 しかしそれではゴーラとの戦争に、帝國の求める形で鑓の機神を使うことができない。鑓の機神をうつし世にとどめるためには、消耗する機体の補いを、うつし世の側で行ってやらねばならない。つまりは機装甲のように手入れをし、あるいは部品部材を入れ替えてやるのだ。
 だが公爵家にはその部品部材を潤沢に作る力はもう残されていない。鑓の機神は、一公爵家が負うには重すぎる機神でもある。また帝國中央の多くの魔術師や、機神工部は新機神クルル・カリルのための任を負っている。今から鑓の機神のための部品部材づくりを行うことなどできない。
 だが、魔族大公領の工房には、幾分のゆとりがある。
 そこまで示したのは、この場には姿を現さないけれど最も重く関わりを持つ、シルディール近衛騎士団長だった。そしてそこからは、近衛騎士団では決められぬ。シルディール近衛騎士団長が、たとえば鑓の機神を魔族大公領の工房に送り込み、公爵の手を離れて、魔族の手によって調べさせ、部品部材を作らせればよいと放言したところで、行えるものではない。
 ミノールも、もちろんノイナも、鑓の機神を手放す気は微塵も無い。どんなに大公に打ち解けても、魔族大公領に送り込むどころか、公爵家の目の届かないところで、鑓の機神に触れさせるつもりなど一つもない。
 そうなれば、行えることは一つになる。レオニダス公爵領に、工房の一部を作る。そこで、公爵の目の届くところで、鑓の機神の部品部材を作るための調べを行う。そして、その調べに皇帝公爵家約定に準じた機密格を与え、そのうえで魔族大公領の大工房で部品部材を作らせる。それがそのまま、鑓の機神に組み込めるはずもない。そこで公爵領に新たに作る工房で、鑓の機神に合わせるための、最後の細工を行う。もちろん公爵家にはそれほどの工房を自製する力は無い。その工房を任せるべき人にも欠けている。すなわち魔族より工部を受け入れざるを得ない。
 魔族工部によって、鑓の機神が保たれる。そしてゴーラ帝国と戦いに参画する。だとしても鑓の機神の本質は失われない。機神には己を己の魔力で保つ働きがある。魔族工部の参画は、帝國の求める働きをさせるためのものだ。
 この面会も会見も、それらのためであることを、この場の全ての者が承知していた。ノイナは鑓の機神の任務の仔細についてはしらないが、任務について調査し、活動から勘案した部品部材の所要を見積もったのはマルクスだ。マルクスはそれをシルディール近衛騎士団長に示し、その結果、この会見を迎えた。当然のことながらレイヒルフト陛下も、承知している。
 しかし、公爵と大公の互いの信頼が無ければ、この入り組んだやり方はすぐにでも壊れてゆく。ノイナもそのために、エドキナ大公と打ち解けるつもりでいる。またエドキナ大公も、それに応えるつもりでいるらしい。
 ノイナは、つづいてエドキナ大公の鮮やかな着物へと目を向ける。そしてそこに描かれた風景について問う。エドキナ大公が笑顔でそれに応じることを、たぶん判っていてだ。
 大したものだと思う。エドキナ大公や、カタリナ殿下と比べれば、ノイナはまだまだ子供に見える。
 けれど、ノイナは大人になった。
 一人の女としてと言うより、公爵として。公爵位を引き継ぐということは、公爵家と、その郎党の主となるということだ。その公爵家の復興のために、彼女にできることの全てを行おうとしていた。
 今の彼女には、今の彼女の心と体と言葉しかないけれど。
 ノイナとエドキナ大公が、声を合わせて笑う。
 好意の裏付けは、軽くてもろい。
 恩報の紐帯はそれよりもずっと強い。帝國の諸侯一門を成り立たせるほどに。公爵家は、魔族工部のみならず、魔族領より送り出されてくる若人たちの後ろ盾ともなる。そして確かで重い別の鎖、金の鎖の端は、副帝が手にしている。公爵家には魔術工房を作り直す力など無い。だがら工房を作る莫大な金が貸し出される。返済は、魔術工房で作られた鑓の機神のための部材を、皇帝陛下が、実際には近衛騎士団が買い入れるかたちから行われる。
 すなわち、鑓の機神が飛び続け、戦い続ける限り、公爵家は安堵される。
「・・・・・・」
 そしてカタリナ殿下は言う。二人が互いによく知り合えたようで幸いです、と。立ち話にとどまらず、場所を移して、より互いを知りあう機会としていただければと。けれど皇太子自身は続く公務のために、その場を共にできないことを残念に思います、と。
 それは、初めから定められていた、この場の終わりを告げる言葉だった。この場は、せねばならぬことを、共に携えられる相手と、互いに確かめる場なのだから。カタリナ殿下は、その場を作り、その行く末を見届ける。そして、ようやく物事は、実際に進めるためのことへと移る。カタリナ殿下は静かに言った。
「祝福を。あなた方の進まんとする道に。そしてあなた方がそうしたように、さらに道を引き継ぐ方々へも」





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最終更新:2021年05月20日 17:51