侘助 ティウ
組織名はいい加減。でも類するものはあるはずだとおもう。
魔族は急速に帝國的に社会を自己構成しているだろう、と言う事で。
彼は、機神格納庫の、開け放たれた大扉へと、小走りに進んでゆく。
マルクスには、彼のその背はまるではじめて見つけた鳥の姿を駆けて追いかけようとする少年のように思えた。
それまでの冷ややかな、というより冷笑的にすら見えた面からは、思えぬようなふるまいだった。マルクスは、その姿を追って石畳を踏み、歩いてゆく。
扉の奥の影の中には鑓の機神が座している。この格納庫と、その隣に作られた工房は、最初のレオニダス公によるものだ。石造りの座があり、そこに腰かけるように鑓の機神が在る。他の機神らとは全く違う異形の機神だった。その体は細身だが、背後に体の倍ほどの幅有る負い物を持っていた。その負い物こそが、鑓の機神の実体で、機体そのものは乗り手との類感を保つだけに過ぎないのでは、とマルクスはひそかに疑っていた。負い物は鳥を思わせるもので、その形の通り、飛ぶための何事かを果たしているものらしい。背からは頭の上にかぶさり、さらに前に長く長く伸びた鳥の首のようなものもある。
実のところ、それぞれの機神についてはともかく、機神と言うもののありようを解しているものはそれほど多くは無い。機神は一国の後ろ盾となるほどの力を持つものであり、また帝國にあっては乗り手を一門宗主とならしめるほどのものでもある。それ故に、機神に触れられるものは少ない。だが機神にも機神工部は要り、機神工部も突き詰めるなら魔術師としての力を持つものでなければならない。機神と一門と魔術は着かず離れず、しかし互いをそれぞれに必要としあっている。
公爵家にもかつては機神工部があり、抱えられてもいたが、機神の継承者が現れぬ間に、いつしか形だけの世襲となり、機装甲工部としてならともかく、機神工部としては心もとない。また公爵家の工房も今では形だけであり、別に作られた機卒工房のほうが盛んなありさまだ。公爵家の機神復活とはいっても、機神あるというだけで、その他のことはこれからなのだ。ましてや帝國軍部隊に準じて動くことなどできない。
あの機神工部は、うまくやれるだろうか。ゴーラ戦争までわずかな時しか残されていない。採れる手は次第に少なくなってゆく。
少年のような軽い足取りで行く機神工部は、楽しくて仕方ないという風に機神を見上げ、鳥の首の意匠を見上げる。それはやがて機神の本当の頭、思っているより細身に作られた人の形の頭へと続いてゆく。その付け根と一つに合わさり兜のようにも頭巾のようにも見えるのだ。負い物は頭から肩、さらに背に掛け広がる。肩よりさらに左右に伸びたところは翼のようにもなっている。
そして彼は、不意にマルクスを見た。彼は口元を歪めてみせ、そして腰に手を当て、軽い口調で言う。
「これが、空飛ぶ機神、ね」
「そうだ」
歩み寄りながらマルクスは応じる。彼の機神工部の名をティウという。
うねる癖ある黒髪で、ずいぶん白髪が混じっていて、遠目には灰色にも見える。をもち、また同じようにうねって捻じれる角を左右に生やしている。マルクスを見る瞳の中もまた魔族を示す三角形の虹彩となっている。その瞳が、軽く細められる。見せるつもりの無かったところを迂闊に見せたと気付いたかのように。年のころは四十と聞いていた。彼ら魔族は、惑うことなき年頃と言うらしい。
ティウは、先に結ばれた約定により、魔族大公領より使わされてきた上級魔族の工部だった。彼が身に着けている服は、エドキナ大公のような帯布を合わせた服ではなく、帝國でも普通に見るたぐいのふつうの服だった。やせ形で、背が高く、地黒で、冷笑的だった。
だがその力については、魔族大公から推されるくらいのものではあるらしい。この計画は、彼一人で行えるものではないが、計画全体を見渡して采配を振るえるものが要る。マルクスはそのティウへと言う。
「判っているだろうが、君はまだ選ばれたわけではない。この場は君に与えられた試しの一つだ。行うべきことを知らされ、行うべきところで、それを示す」
ティウは口元を歪め、上目づかいにマルクスを見返す。
「言われなくても判っていますよ。公爵伴侶殿下」
もちろんティウが従って見せるのは、公爵家の権威へではなく、エドキナ大公への従属からだろう。あるいはここでの仕事を上首尾に終わらせたあとに受けるはずの報酬からかもしれない。上手くゆけば、レオニダス女公爵その人が擁護者となり、またケイロニウス一門には加われないにしても、レオニダス公爵家より苗字を与え、郎党の扱いとなる。また彼が機神工部親方となることは、公爵家を利することでもあり、その後押しも行う。いずれも好く進んだときのことだ。彼がしくじれば捨扶持飼い殺しとなる。
エドキナ大公の面目を潰すことが、どれほどのことなのか、魔族ではないマルクスにはよくわからない。ティウは頭に手を当てて、唸るようにし、どう言ったものだか、と聞こえよがしに言って見せる。
「あんな機神は他にはない。しかも俺は、ここに来るまであれがどんなものなのかも知らなかった。あれは見ての通り、他の機神や邪神鎧とはかなり違う」
「見た通りだな」
「形はそれぞれに与えられた役割が顕現したものだ」
本当に判っているのかと言いたげに、ティウは腰に手を当てる。
「思っていたよりも結界発生器が大きい。背中の結界発生器は、これまでに見たことのない大きさだ。あれは魔力放出よりも、結界系の作用の方が大きいはずだ。鳥の首みたいなのや、翼のようなものも、おそらく誘導系だろう」
「それはわかった。続けろ」
ティウは疑わしげに、けれど慎重に続ける。マルクスが解しているかどうかを探るようにして。
「誘導系は、結界の増幅進展能を果たす。魔力増幅器というのはつまるところ、魔力の共振によって成り立つんだ。共振回路って言うのは精密でわずかな狂いが、大きな損失をもたらす。機神級の魔力装置で、回路内損失を起こせばどうなると思う」
「魔力的に自壊する」
マルクスは応じる。ティウはうなずき返す。
「共振系は複雑微妙なものだ。まずその関わりを明らかにしなければ、模造に過ぎない。模造では力を振るえない。機神は損傷を避けるために、振るえる力を自ら押さえ、自ら改変修復しようとする。要するに機神自体の自己回復力にゆだねなければならなくなる」
だが、とティウは両手を広げて見せる。
「それでは意味が無いんだろう」
「その通りだ」
「ならばできるだけ精度の高い検証回路を作るしかない。機神を自治領の工廠へ持ちこんで、そこで仮想筐体を作り・・・・・・」
「だめだ」
マルクスは声を上げて退ける。
「鑓の機神を相解析したものを、公爵領の外に持ち出すことなど許さない」
「無理を言うな」
腕を振ってティウは退ける。
「共振相に基本的なズレが生まれてしまえば、修正では直せないんだ。それに検証回路は精密で、十分に隔離された魔術真空結界でなければならない。こんなところに新しい工房を作ってやるつもりか?百年かかる」
「つまり?」
「自治領の工廠ならば、大型で精度の高い真空結界がある。それに工廠で調査を行えば、その成果は直接、生産工程に反映できる。これを実機で検証して、回路を校正して、その後に生産工程を立ち上げて、実生産品を検証校正して、生産工程を修正する。一年まるまるあってもギリギリだ」
そんなことが出来れば、初めからそれをやっている。
「それは駄目だ。検証はここで行う」
「無理だ」
ティウはもはや手を振るうようなことすらしなかった。腕組みをして、上目使いにマルクスを静かに見る。
「部材の精度が保証できない。しかも自治区工房で作ったものをこちらに回すんだ。修正できないものはすべて役立たずだ。送り返すしかない。どれだけ手間がかかるか判るか。それが気に入らないならおれを頸にしろ」
「本当に首を掛けて言ってるんだな」
「もちろんだ」
「このまま大公領に帰れると思うか」
「どっちにしても同じだ。出来ないことを引き受けて往く当てをうしなうことと、出来ないことを出来ないと言ったがゆえに往く当てを失うことを選べと言われれば、俺は出来ないと言う」
「わかった。では鑓の機神を大公領へ送る。もちろん私も行く。そのために、短い間でそれが終わるようにするんだ」
「・・・・・・」
ティウは唸るように口をつぐみ、それから頭を振る。
「無茶苦茶を言うな。調査だけでなく、生産工程の構築も行う。その校正のためにも実機が要る。どれくらい時を費やすかわかってるのか、あんたは」
「俺は機神から離れられないし、帝都と北方からも離れられない。そのために君が要る。それができるものとして大公殿下の推挙を受けたと理解している」
「・・・・・・」
ティウは強くマルクスを見つめ返す。ほとんど睨むほどに。
「その君が要るというなら、どれだけ金がかかっても、何ををしても、何を使っても構わない」
「本気か?」
「もちろん」
「ならば自治区第一工廠の研究部と、自治区工部学校の援助を得たい」
「・・・・・・大きく出たな」
「あんたは、俺に命を賭けろと言ってるんだ。やってやろうじゃないか。ただし」
ティウは言った。
「それはあんたが出来ることの中でだ」
それが、エドキナ大公の権力の多くを使う事だと、判って言っているのだろう。
まったくもって、舐めたことをしてくれる。ティウは無理な仕事と見切ったのかもしれない。
マルクスはそう思いながら、考えを巡らせていた。鑓の機神に与えられている皇帝からの保護、近衛騎士団の要請をもって動かし得る皇帝工廠と、その要請の通用する範囲。エドキナ大公とノイナとの間に交わされた約定と、エドキナ大公にノイナから行いえる要請の範囲とを。
マルクスは、すでにあるものを前例があるように使えばいい。機神黄金龍の機密を守りながら、黒の龍神と黒の二の開発は行われた。もちろんそれは、レイヒルフトがその力を縦横に振るってのものだ。マルクスにも公爵家にもその力は無い。ただ、黒の龍神の開発ほどのことはしなくていい。それよりずっとささやかで小さなものだ。ただしそこに明らかにするものが、鑓の機神の仔細であることは変わらない。それをいかに守るかということだ。
放っておけば借りはいくらでも増えてゆく。
「わかった。ティウ。お前の求めるものは、満たしてやる。ただし時と引き換えになるものだけだ」
借りで済むだけまだましかもしれないな、と思いながら、マルクスは言った。
公爵家と鑓の機神は、少なくとも帝國の権力を借りだせはするのだから。
最終更新:2013年07月18日 00:30