ヒルガ聖堂
ヒルガ聖堂はおよそ200年前、ヒルガドルフの町が成立したころ建てられた小さな教会からはじまり、現在では大陸でも指折りの規模を持つ聖堂として広く知られている。
3本の白亜の尖塔と、世界と神々とを描き出した天井画と「世の万(よろず)の神全て」を彫刻したレリーフが飾られた大聖堂、僧侶達が日々の勤めを行なう僧房、聖騎士団本部などを備えた現在の規模・形になったのは50年ほど前のことであった。建築期間はわずかひと月といわれているが、現在もなお建築当時の壮麗な姿を留めている。
3本の白亜の尖塔と、世界と神々とを描き出した天井画と「世の万(よろず)の神全て」を彫刻したレリーフが飾られた大聖堂、僧侶達が日々の勤めを行なう僧房、聖騎士団本部などを備えた現在の規模・形になったのは50年ほど前のことであった。建築期間はわずかひと月といわれているが、現在もなお建築当時の壮麗な姿を留めている。
■大聖堂
ヒルガ聖堂の中心に位置する。長径80フィートほどの縦長の楕円形のホールであり、高い天井は細密にして壮麗な天井画で彩られている。
天井画は世界と神々の関わりをテーマとしたもので、中央にはトーチ・ポートを象徴するといわれる一本のたいまつが描かれ、魔法の幻影による炎を揺らめかせながらホールを照らしている。
あたかもその絵の額縁のように、ホールを取り巻くような形で青銅のレリーフが施されている。レリーフは様々な神の姿を模したもので、一般に信仰される神々以外にも一部の地方でのみ信仰される小神・亜神(なかには動物そのものの姿もある)や、悪神・厄神とされているような神々も含まれているため、非常に数多く、またバラエティに富んだものとなっている(しかし巷説に、特定の神の助けを求めて神殿にやってきた者や一心に一つの神を信じるものは、一目で求める神の姿を見つけることができるという)。
レリーフは神々の性質や属性に関わりなく入り交じって配置されているが、主立った神(※1)は目立つところに、特に聖堂の向こう正面にはペイロア神の像が彫刻されている。
大理石張りのホールは天井のたいまつの炎と、ホールの壁に複数設けられた”消えずのたいまつ”とで明るく保たれている。ホールが楕円形なのは、輪であることが神々と世界の調和を、そして楕円であることがその調和が不完全な(すなわち「秩序」に属するものではない)事を象徴しているといわれている。
ヒルガ聖堂の中心に位置する。長径80フィートほどの縦長の楕円形のホールであり、高い天井は細密にして壮麗な天井画で彩られている。
天井画は世界と神々の関わりをテーマとしたもので、中央にはトーチ・ポートを象徴するといわれる一本のたいまつが描かれ、魔法の幻影による炎を揺らめかせながらホールを照らしている。
あたかもその絵の額縁のように、ホールを取り巻くような形で青銅のレリーフが施されている。レリーフは様々な神の姿を模したもので、一般に信仰される神々以外にも一部の地方でのみ信仰される小神・亜神(なかには動物そのものの姿もある)や、悪神・厄神とされているような神々も含まれているため、非常に数多く、またバラエティに富んだものとなっている(しかし巷説に、特定の神の助けを求めて神殿にやってきた者や一心に一つの神を信じるものは、一目で求める神の姿を見つけることができるという)。
レリーフは神々の性質や属性に関わりなく入り交じって配置されているが、主立った神(※1)は目立つところに、特に聖堂の向こう正面にはペイロア神の像が彫刻されている。
大理石張りのホールは天井のたいまつの炎と、ホールの壁に複数設けられた”消えずのたいまつ”とで明るく保たれている。ホールが楕円形なのは、輪であることが神々と世界の調和を、そして楕円であることがその調和が不完全な(すなわち「秩序」に属するものではない)事を象徴しているといわれている。
■三尖塔
三尖塔と呼ばれるが、実際には大聖堂を取り囲む形で5本の尖塔(鐘楼)が建てられており、そのうち特に三本が突出するように高いことからこう呼ばれている。
尖塔は入り口脇の塔2本が聖堂とほぼ変わらない高さに建てられ、最大の塔が聖堂正面から見て中央に立っている。また、残りの2本はその3本の中間くらいの位置に、聖堂の周りに並ぶように立っている。
最も大きな塔(「時報塔」「中指塔」などとも呼ばれる)には大きな鐘が吊されており、日の出、正午、日の入りに打ち鳴らされる。東町の人々はこの鐘に合わせて商売をはじめ、休憩を取り、帰路へと付く。また城門もこの鐘の音に合わせて開閉されるため、鐘が鳴るのにあわせて町外に住む者たちがあわてて城門に走っていく姿もよく見受けられる。
5本の尖塔すべてが鐘楼として作られ、鐘を打つための仕掛けも用意されているにもかかわらず、「時報塔」を除いて鐘が吊されていない。「あまりに立派な聖堂を造ったせいで鐘を吊す金がなくなったのだ」などという冗談が交わされる事もあるが、なぜ残り4つの塔に鐘を吊さないのかを知るものはいない。
この塔に関して、「町に危機が近づいたとき、5つの鐘楼全てから鐘の音が聞こえた」であるとか「先代の大司教が亡くなったとき、5つの塔全てからもの悲しげな鐘の音が聞こえた」などといった伝承があるが、真偽は不明である。
三尖塔と呼ばれるが、実際には大聖堂を取り囲む形で5本の尖塔(鐘楼)が建てられており、そのうち特に三本が突出するように高いことからこう呼ばれている。
尖塔は入り口脇の塔2本が聖堂とほぼ変わらない高さに建てられ、最大の塔が聖堂正面から見て中央に立っている。また、残りの2本はその3本の中間くらいの位置に、聖堂の周りに並ぶように立っている。
最も大きな塔(「時報塔」「中指塔」などとも呼ばれる)には大きな鐘が吊されており、日の出、正午、日の入りに打ち鳴らされる。東町の人々はこの鐘に合わせて商売をはじめ、休憩を取り、帰路へと付く。また城門もこの鐘の音に合わせて開閉されるため、鐘が鳴るのにあわせて町外に住む者たちがあわてて城門に走っていく姿もよく見受けられる。
5本の尖塔すべてが鐘楼として作られ、鐘を打つための仕掛けも用意されているにもかかわらず、「時報塔」を除いて鐘が吊されていない。「あまりに立派な聖堂を造ったせいで鐘を吊す金がなくなったのだ」などという冗談が交わされる事もあるが、なぜ残り4つの塔に鐘を吊さないのかを知るものはいない。
この塔に関して、「町に危機が近づいたとき、5つの鐘楼全てから鐘の音が聞こえた」であるとか「先代の大司教が亡くなったとき、5つの塔全てからもの悲しげな鐘の音が聞こえた」などといった伝承があるが、真偽は不明である。
■僧房
大聖堂をヒルガ聖堂の象徴であるとするならば、僧房はヒルガ聖堂の実務面を全て請け負う場所である。
大聖堂に添うような形で建築されている僧房には、僧侶達の起居する部屋のほか、礼拝室、執務室、会議室、図書室、懺悔室、庫裏(厨房・食堂)など、実務に関するあらゆるものが備えられ、また地下には祈祷室や霊安室も備えられている。
僧侶達は万神殿内の掟に従って共同生活を行なっている。多くの僧侶は4-8人部屋で共同生活を行なっているが、幹部級になると個室や執務室が与えられる。
会議室は3つあり、そのうち一つはヒルガ聖騎士団に与えられている。彼らは神聖法廷における司法機関としても働いており、宗教関連の事件の捜査本部がこの会議室に置かれることも多い。
祈祷室と霊安室は隣り合う形で地下に作られている。高度な呪文を用いる際に使用する祈祷室は複数あり、いずれにも祭壇が用意されている。
祭壇には万神殿のシンボルである「泡と楕円」が描かれているが、祈りの中心となる聖印は祈祷の内容や祈る神により交換できるように作られている。
僧房のどこかには”至聖所”と呼ばれる部屋があると言われている。万神殿でもごく一部の者にしか知らされていないとされるこの至聖所には、神の力を伝える神器が丁重に保管されているという。
しかしそれがどのような物であるのか、またなぜそれを公開せず秘蔵しているのかについては知られていない。
大聖堂をヒルガ聖堂の象徴であるとするならば、僧房はヒルガ聖堂の実務面を全て請け負う場所である。
大聖堂に添うような形で建築されている僧房には、僧侶達の起居する部屋のほか、礼拝室、執務室、会議室、図書室、懺悔室、庫裏(厨房・食堂)など、実務に関するあらゆるものが備えられ、また地下には祈祷室や霊安室も備えられている。
僧侶達は万神殿内の掟に従って共同生活を行なっている。多くの僧侶は4-8人部屋で共同生活を行なっているが、幹部級になると個室や執務室が与えられる。
会議室は3つあり、そのうち一つはヒルガ聖騎士団に与えられている。彼らは神聖法廷における司法機関としても働いており、宗教関連の事件の捜査本部がこの会議室に置かれることも多い。
祈祷室と霊安室は隣り合う形で地下に作られている。高度な呪文を用いる際に使用する祈祷室は複数あり、いずれにも祭壇が用意されている。
祭壇には万神殿のシンボルである「泡と楕円」が描かれているが、祈りの中心となる聖印は祈祷の内容や祈る神により交換できるように作られている。
僧房のどこかには”至聖所”と呼ばれる部屋があると言われている。万神殿でもごく一部の者にしか知らされていないとされるこの至聖所には、神の力を伝える神器が丁重に保管されているという。
しかしそれがどのような物であるのか、またなぜそれを公開せず秘蔵しているのかについては知られていない。
■ヒルガ聖堂の歴史
ヒルガ聖堂は今日でこそこの地方最大にして最も著名な宗教施設であるが、もともとはこの付近の人々の信仰の中心であった「ヒルガの丘」の小さなほこらに端を発する。
協会設立以前は無も知れぬ土着の神が祀られていたというが、ヒルガドルフへの移住者が増えるとともに様々な神の宣教師がやってくるようになり、やがて当時勢力の強かったペイロア教団がほこらのあった場所に教会を建立した。
なお、建立当時はヒルガドルフはまだ要塞都市としての改装が始まったばかりであり、規模も今のような大聖堂ではなく小さな教会として建設された。
ヒルガ聖堂は今日でこそこの地方最大にして最も著名な宗教施設であるが、もともとはこの付近の人々の信仰の中心であった「ヒルガの丘」の小さなほこらに端を発する。
協会設立以前は無も知れぬ土着の神が祀られていたというが、ヒルガドルフへの移住者が増えるとともに様々な神の宣教師がやってくるようになり、やがて当時勢力の強かったペイロア教団がほこらのあった場所に教会を建立した。
なお、建立当時はヒルガドルフはまだ要塞都市としての改装が始まったばかりであり、規模も今のような大聖堂ではなく小さな教会として建設された。
この小さな教会が「聖堂」となったのは今より150年ほど前のことである。ヒルガドルフが要塞としての形をなし、コンラート伯が自らの居城を完成させた後、自らが信仰するペイロア教団を保護するため改築を行なったとされているが、実際には「信仰を利用しての民心掌握を計った」「中央への足がかりとしてペイロア教団に貸しを作っておこうという下心があった」などとも言われている。
ともあれ、多額の寄進と3年の月日をかけて建立された聖堂には大司教座が設けられ、周辺地域のペイロア信仰の象徴として盤石の地位を築いた。
ともあれ、多額の寄進と3年の月日をかけて建立された聖堂には大司教座が設けられ、周辺地域のペイロア信仰の象徴として盤石の地位を築いた。
その後ゲルトブルクとの間で繰り返された戦火も免れたペイロアの聖堂が、現在のような万神殿となったのはいまから50年ほど前のことである。
それより5年ほど前、突如として出現した万神殿の教えは瞬く間に各地に広まり、大勢の信者を獲得した。「全ての神の存在を認め、それに仕える」という教えは従来の宗教と敵対することなく、むしろそれらを取り込む形で勢力を発展させ、わずかな年月で指導者階級にも浸透していき、やがて国教として認める国も現れた。
トーチ・ポートでも万神殿を信仰する者が増加する中、ペイロア教団の大司教座が引き上げられ万神殿の大司教座と取って代わられることとなった。
いくら万神殿とはいえ、異教との大司教座の交代など本来であればあり得ない事態にペイロア信徒達の怒りは強く、一部強硬派が騎士団員とともに公然と僧院への籠城の準備を始めるなどの混乱も見られたが、当時の大司教の呼びかけもあり、結局は大きな争乱もないままに聖堂の委譲は果たされた。このときペイロアを信仰していた者たちの一部は万神殿の信徒としてそのまま聖堂に残り、聖堂運営の中心として活動を続けた(そのため現在でもペイロア神信徒を中心としたグループがヒルガ聖堂内で強い権勢を維持している)。
なお、ペイロアの大司教は幾たびかの招請にも応じず、そのまま地方の小村で一介のペイロア僧として余生を送ったという。
委譲が決まって後、聖堂の改築が行なわれた。一ヶ月という驚異的な速さで工事は終了し、聖堂とその周辺施設は当時の2倍の大きさ(これが現在の聖堂の形となる)にまで増築された。この際、万神殿のクレリックやそれに雇われた大工達のみならず、世俗には関わらないとされるドルイドやグレイトーチのウィザード達が作業に協力していたともいわれるが真相は定かではない。
完成した聖堂はこの地方最大の宗教施設であり、様々な神の信徒がともに参拝できる聖堂として現在もなお多くの巡礼者を集めている。
それより5年ほど前、突如として出現した万神殿の教えは瞬く間に各地に広まり、大勢の信者を獲得した。「全ての神の存在を認め、それに仕える」という教えは従来の宗教と敵対することなく、むしろそれらを取り込む形で勢力を発展させ、わずかな年月で指導者階級にも浸透していき、やがて国教として認める国も現れた。
トーチ・ポートでも万神殿を信仰する者が増加する中、ペイロア教団の大司教座が引き上げられ万神殿の大司教座と取って代わられることとなった。
いくら万神殿とはいえ、異教との大司教座の交代など本来であればあり得ない事態にペイロア信徒達の怒りは強く、一部強硬派が騎士団員とともに公然と僧院への籠城の準備を始めるなどの混乱も見られたが、当時の大司教の呼びかけもあり、結局は大きな争乱もないままに聖堂の委譲は果たされた。このときペイロアを信仰していた者たちの一部は万神殿の信徒としてそのまま聖堂に残り、聖堂運営の中心として活動を続けた(そのため現在でもペイロア神信徒を中心としたグループがヒルガ聖堂内で強い権勢を維持している)。
なお、ペイロアの大司教は幾たびかの招請にも応じず、そのまま地方の小村で一介のペイロア僧として余生を送ったという。
委譲が決まって後、聖堂の改築が行なわれた。一ヶ月という驚異的な速さで工事は終了し、聖堂とその周辺施設は当時の2倍の大きさ(これが現在の聖堂の形となる)にまで増築された。この際、万神殿のクレリックやそれに雇われた大工達のみならず、世俗には関わらないとされるドルイドやグレイトーチのウィザード達が作業に協力していたともいわれるが真相は定かではない。
完成した聖堂はこの地方最大の宗教施設であり、様々な神の信徒がともに参拝できる聖堂として現在もなお多くの巡礼者を集めている。
■その他の関連施設
ヒルガ聖堂の近隣には聖堂が管理・運営する施設や、直接管理するわけではないが関係の深い施設が数多く存在している。
たとえば施療院は僧房の隣に作られており、僧侶達が交代で常時在駐して急な病人の来訪に備えている。また、スラムに設置されている救貧院や聖オーヴェンの泉(公衆浴場)などもよく知られる慈善施設である。
ヒルガ聖堂の近隣には聖堂が管理・運営する施設や、直接管理するわけではないが関係の深い施設が数多く存在している。
たとえば施療院は僧房の隣に作られており、僧侶達が交代で常時在駐して急な病人の来訪に備えている。また、スラムに設置されている救貧院や聖オーヴェンの泉(公衆浴場)などもよく知られる慈善施設である。
''■ヒルガ聖堂騎士団 本部''
ヒルガ聖堂騎士団はヒルガ聖堂の”改宗”に伴って解体された「ヒルガドルフ神聖騎士団」の後継として設立された。
「神聖騎士団」は軍としての性質が強く、騎士もパラディンのみならず戦士(主に貴族や有力者の子弟)が選ばれることが多かったが、儀仗兵的な性質の強い「聖堂騎士団」はパラディンのみが選抜されている。現在ではパラディン5名とその従士のみで編成されるごく小さな騎士団となっている。
騎士団の本来の任務はヒルガ聖堂の防衛と信者の守護であるが、近年では神聖裁判における捜査・裁判などでの活躍がよく知られている。
かつての騎士団は本部はヒルガドルフの軍事区画にあったが、ヒルガ聖堂の改築と聖堂騎士団の新設に伴い、聖堂の隣に立っていた邸宅を買い取り、改築して騎士団本部として使用されている。
重厚な石造りの建物はやや古いながらもよく手入れされている。また前庭はよく整備されており、小さいながら練兵場や厩、馬上槍の練習場まで整えられている。
騎士団本部としてはやや手狭とも言われるが、万神殿の「武力行使を極力押さえよう」とする意志のあらわれ(あるいは政治的なパフォーマンス)であると言われている。
『騎士は清貧なるべし』との教えから、聖堂騎士の個室は邸宅の外に建てられた”馬小屋”に起居する習わしとなっている。とはいえ貴族の子弟の多い聖堂騎士がそのような生活ができようはずもなく、実際には”馬小屋”とは名ばかりの、暖炉まで備えられたしっかりとした「小屋」に住んでいるのだが。
ヒルガ聖堂騎士団はヒルガ聖堂の”改宗”に伴って解体された「ヒルガドルフ神聖騎士団」の後継として設立された。
「神聖騎士団」は軍としての性質が強く、騎士もパラディンのみならず戦士(主に貴族や有力者の子弟)が選ばれることが多かったが、儀仗兵的な性質の強い「聖堂騎士団」はパラディンのみが選抜されている。現在ではパラディン5名とその従士のみで編成されるごく小さな騎士団となっている。
騎士団の本来の任務はヒルガ聖堂の防衛と信者の守護であるが、近年では神聖裁判における捜査・裁判などでの活躍がよく知られている。
かつての騎士団は本部はヒルガドルフの軍事区画にあったが、ヒルガ聖堂の改築と聖堂騎士団の新設に伴い、聖堂の隣に立っていた邸宅を買い取り、改築して騎士団本部として使用されている。
重厚な石造りの建物はやや古いながらもよく手入れされている。また前庭はよく整備されており、小さいながら練兵場や厩、馬上槍の練習場まで整えられている。
騎士団本部としてはやや手狭とも言われるが、万神殿の「武力行使を極力押さえよう」とする意志のあらわれ(あるいは政治的なパフォーマンス)であると言われている。
『騎士は清貧なるべし』との教えから、聖堂騎士の個室は邸宅の外に建てられた”馬小屋”に起居する習わしとなっている。とはいえ貴族の子弟の多い聖堂騎士がそのような生活ができようはずもなく、実際には”馬小屋”とは名ばかりの、暖炉まで備えられたしっかりとした「小屋」に住んでいるのだが。
■共同墓地
ヒルガ聖堂裏手の通用門「聖堂門」から数百ヤードほど離れた場所は、貴人の墓廟と聖堂関係者の納骨堂を中心とした墓地となっている。
墓地の中心は墓廟と納骨堂で、その周りを取り囲むように数百の墓が並んでいる。墓地自体が町の建設当初からあったにもかかわらず比較的新しい墓が多いのは、戦時中に副葬品を狙った敵兵に破壊・略奪されたものを再建したものが多いためである。
墓廟はコンラート伯をはじめとする町と縁深い貴族達のもので、ほとんどの場合で一つの墓廟を一族が共有している。家紋と家訓のほか、信仰する神や好みの文様など、様々な意匠が凝らされている。
納骨堂はアラバスターで造られた楕円形のドームで、地上と地下にそれぞれ納骨室を持つ。納骨室には聖堂建立時からの関係者(ヒルガドルフ神聖騎士団の戦士達も含まれる)が葬られている。かつて納骨堂は聖堂の敷地内に建てられていたが、戦争時に密かに侵入してきた敵の死霊術士により葬られていた遺体がアンデッド化される(ペイロアの聖堂内でそれが行なわれたことは衝撃であると同時に大いに屈辱的なことであった)という事件があって以来、ヒルガドルフ内での埋葬が禁止され、門外へと移動された。現在の納骨堂は15年前、戦災者を悼むための戦災慰霊碑とともに建造されたものである。
ヒルガドルフの住人たちはかつて皆この墓地に葬られていたが、現在では墓の新造が認められておらず、西町裏の共同墓地に埋葬するよう定められいる。そのためこちらの墓地に葬られるのは代々トーチ・ポートで暮らし古くからの墓が残されている者か、そういう者たちから墓の地所を買い上げた富裕層だけとなっている。
ヒルガ聖堂裏手の通用門「聖堂門」から数百ヤードほど離れた場所は、貴人の墓廟と聖堂関係者の納骨堂を中心とした墓地となっている。
墓地の中心は墓廟と納骨堂で、その周りを取り囲むように数百の墓が並んでいる。墓地自体が町の建設当初からあったにもかかわらず比較的新しい墓が多いのは、戦時中に副葬品を狙った敵兵に破壊・略奪されたものを再建したものが多いためである。
墓廟はコンラート伯をはじめとする町と縁深い貴族達のもので、ほとんどの場合で一つの墓廟を一族が共有している。家紋と家訓のほか、信仰する神や好みの文様など、様々な意匠が凝らされている。
納骨堂はアラバスターで造られた楕円形のドームで、地上と地下にそれぞれ納骨室を持つ。納骨室には聖堂建立時からの関係者(ヒルガドルフ神聖騎士団の戦士達も含まれる)が葬られている。かつて納骨堂は聖堂の敷地内に建てられていたが、戦争時に密かに侵入してきた敵の死霊術士により葬られていた遺体がアンデッド化される(ペイロアの聖堂内でそれが行なわれたことは衝撃であると同時に大いに屈辱的なことであった)という事件があって以来、ヒルガドルフ内での埋葬が禁止され、門外へと移動された。現在の納骨堂は15年前、戦災者を悼むための戦災慰霊碑とともに建造されたものである。
ヒルガドルフの住人たちはかつて皆この墓地に葬られていたが、現在では墓の新造が認められておらず、西町裏の共同墓地に埋葬するよう定められいる。そのためこちらの墓地に葬られるのは代々トーチ・ポートで暮らし古くからの墓が残されている者か、そういう者たちから墓の地所を買い上げた富裕層だけとなっている。
※1:PHBに掲載されているようなメジャーな神々のこと。DMが望むならフォーゴットン・レルムやエベロンの神々であるとしても良い。
(協力:えでぃ、ふぇるでいん)