木を植えた男

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木を植えた男 - (2024/04/07 (日) 22:51:00) のソース

&font(#6495ED){登録日}:2011/05/30(月) 04:15:56
&font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red)
&font(#6495ED){所要時間}:約 6 分で読めます

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世の中には様々な本が存在する。
漫画、小説、エッセイ、雑誌、図鑑…。

多種多様な本の中で、多くの人が最初に触れるのは『絵本』であろう。

絵本。
文とともに絵が描かれた本。

ともすれば、子ども向けの幼稚なものと認識されがちだが、数多ある絵本の中には、時に大人向けの作品も存在する。

これは、そんな『&font(#ff0000){大人こそ読むべき}』絵本の一書。





&font(#008000){木を植えた男}


フランス文学界を代表する作家の一人であるジャン・ジオノが1953年に発表し、
のちにカナダの画家・アニメーターのフレデリック・バックが挿絵を描いた絵本である。
日本語版の訳者は寺岡襄(てらおかたかし)。
 


&bold(){&font(#008000){【概要】}}
挿絵は色鉛筆で描いたような素朴なもの。
絵本らしからぬ絵画的タッチの絵が、情景を鮮やかに彩る。

絵本と言っても童話や寓話の類ではなく、伝記的な内容となっている。
物語は作者のジャン・ジオノが出会った人間について『わたし』の体験談という形で描かれている。
時代は1913年、つまり第一次大戦の前年から、第二次大戦終了後までの30年以上にわたる。

幼児には難解な言葉が多く、テーマも哲学的である。
試みに、ここに序文の一部を掲載してみよう。

&font(#808080){あまねく人びとのことを思いやる}
&font(#808080){すぐれた人格者の精神は、}
&font(#808080){長い年月をかけてその行いを見さだめて}
&font(#808080){はじめて、偉大さのほどが明かされるもの。}

このあとその行いについても書かれるが、なるほど小さな子どもには難しい。
対象層は、早くても[[小学校]]中高学年からだろうか。
 



&bold(){&font(#008000){【あらすじ】}}
1913年、『わたし』はフランス・プロヴァンス地方の山奥の荒れ果てた土地を歩いていた。
差し掛かった街は既に廃墟で、水を求めても古井戸や泉は乾ききっていた。
困り果てたとき、ふと丘の上に見えた影に向かっていくと、それは一人の羊飼いであった。
無口だが温厚なその男は、わたしを手厚くもてなしてくれた。

当時、その周辺の村は荒れ果て、村人は神経も苛立たせて互いに憎み合い、自殺や心の病が蔓延していた。
しかしそんな中でも、その男は悠然と気高い精神を持って生きていた。

彼は夕食の後、わたしの前で丹念にどんぐりをより分け、大きな無傷の100粒を選んだ。
それは、翌日植えるためのカシワの木であった。
荒れた大地に長い鉄棒で穴を開け、どんぐりを一つひとつ落としては丁寧に土をかぶせる。
これを100粒。

彼は3年前から毎日、その荒れ地に木を植え続けていた。
それまで植えたどんぐりの数は実に10万個。
このうち2万個が芽を出したが、その半数は駄目になると見込んでいた。
 
男はその時55歳。
名を『&font(#994c00){エルゼアール・ブフィエ}』といった。
かつては家族とともに農場で暮らしていたが、息子を亡くし、妻を亡くし、一人になった。
そして世間から離れ、こうして不毛の大地に生命を植えつけることに自身の役割を見出したという。
ブフィエはさらにブナやカバ(樺)の木を植える計画もしていた。


翌年、第一次大戦が始まった。
5年間戦場に出て、多くの死を見てきたわたしは、むしょうに新鮮な空気が吸いたくなり、再びあの荒地へ向かった。

そこには10歳になる1万本のカシワが、見事に育っていた。
ブフィエは健在で、さらに養蜂も試みるようになっていた。
計画していたカバは谷間に見事な木立を築き、
涸れていたはずの小川にはせせらぎが蘇っていた。

付近の村にも生きる喜びが戻ってきていたが、
この緩やかな変化に、それが一人の男によってもたらされたものと気づく者はなかった。
 

1920年からというもの、わたしは1年とおかずブフィエを訪ねた。
ブフィエは、その間に様々な困難・失敗・絶望に直面しながら、不屈の精神でその逆境に打ち勝ってきた。

そしていつしか、人々も“突然現れた”森に驚きの目を向けるようになった。
ある時ブフィエのもとに来た森林監視員は、“自然の森”を守るため、外で火を焚かぬように言い渡して「森がひとりでにこんなに成長するなんて」と嘆息し、
国もこの森を保護区に指定し、炭焼きのための伐採を禁じた。


やがて第二次大戦が始まっても、ブフィエは木を植え続けた。
いっとき、燃料確保のため1910年のカシワの森のあたりに伐採の手が入ったが、自動車道から遠すぎたため、採算が合わぬと断念された。
しかしブフィエはそんな事は何も知らず、そこから30kmも離れたところで黙々と仕事を続けていた。
 

わたしが最後にブフィエと会ったのは、1947年の6月。
彼は87歳になっていた。

道中、バスの窓から見える風景があまりに異なって見えたため、わたしは道を間違えたのではと不安になった。
村の名前を確かめると、そこはたしかに、かつての廃墟の土地であった。
人々の心は荒み、ホコリまみれの強風が吹きつけていたその地は、
今や生きる希望と甘い香りのそよ風が柔らかく包みこむ楽園の地となっていた。

全ての村を合わせれば、ゆうに一万人を超える人々の幸せが、たった一人の男によってもたらされたことになる。


エルゼアール・ブフィエは、その年、バノンの養老院において、やすらかにその生涯を閉じた。
 



&bold(){&font(#008000){【補足事項】}}
作者ジャン・ジオノが『これまでに出会った、一番忘れがたい実在の人物について』書くようアメリカの雑誌編集者から依頼されて書き送ったこの作品。
だが、実はエルゼアール・ブフィエなる人物がバノンの養老院で死んだ事実はなく、この話は&font(#ff0000){フィクション}であった。
編集者はこの原稿を送り返したが、ジオノが著作権を放棄して公開したことから、今度は別の雑誌の目に留まった。
そして陽の目を見ることになっただけでなく、今や十数ヶ国語に訳され、世界中で感動を呼ぶようになった。



また、今でこそ絵本の形になっているが、絵がついたのは実は&font(#0000ff){アニメになったあと}で、挿絵も&font(#ffb74c){アニメから抜き出した}もの。

そう、冒頭で『画家・アニメーター』と紹介したフレデリック・バックだが、彼はまさにこの作品を[[アニメ化]]したのである。
 
絵柄は絵本の中身そのまま。
バックは色鉛筆やフェルトペンなどで描いた絵を動かす手法を用いており、驚くべきことに&font(#ff0000){絵画が動く}のである。
最近ではゴッホの絵をCGで動かしたCMがあるが、イメージはそれに近い。
 
文字で説明しても伝わるものではないが、とにかく
「なんでこれが動くの?」「どうやって描いたの?」
と言うしかない絵である。
敢えて言うならアニメというより、凄まじく長いパラパラマンガに声と[[BGM]]を付け足したような感じとでも言うべきか。

実際、バックはこの作品の完成に5年もの歳月をかけている。


この人間のすばらしさ・可能性を描いた感動的な内容、そしてそれを究極に表現する圧倒的な映像美から、
このアニメ作品は1987年のアカデミー短編アニメーション賞を受賞している。


三國連太郎のナレーションで日本語版も存在するが、GeneonによるDVDは絶版で、中古市場も長らく高騰していた(2011年2月時点で平均15000円程度)。


しかし2011年7月、バックの他作品8編も収録した『木を植えた男 ~フレデリック・バック作品集』がジブリより発売された。

確実に見る価値のあるこの作品、是非入手するか、見せてもらうかしてほしいものである。

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- アニメが先とは知らなかった。自分の中では「人間賛歌」を描いた傑作だと思ってる。惜しむらくは家のどこに眠ってるか分からん事だが(´;ω;`)  -- 名無しさん  (2016-07-09 01:53:24)
- ポケモンでついこないだ荒野に木を植えるロボが出てきてたな。アニメでたまにあるこういう話も多分元ネタはこれのはず・・・  -- 名無しさん  (2016-07-13 14:59:29)
- ゴッホのCMをCGでって文面があるけど、それとは別のもの(とは思うんだけど)ゴッホの生涯を油絵でアニメーション映画化したものがある。誰か追記をー  -- 名無しさん  (2022-04-09 13:21:58)
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