馬良

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馬良 - (2017/05/21 (日) 14:24:25) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2010/06/09(水) 19:19:57
更新日:2023/07/10 Mon 21:38:25
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馬良(ばりょう)
字 季常
出身 荊州

187年~222年


後漢末期の人物。
荊州の名家である馬家の出身。
字に「常」が付く四人の兄弟がおり、
また、眉が白いその容貌から
「馬氏の五常」「白眉最も良し」
と評された名士。



現代でも作品群の中で一際優れた物を「白眉」と賞するなどとしてその名を留めている。


赤壁の戦い後、劉備軍は孔明天下三分の計の要とも言える荊州南部を平定。
広く人材を募る。

当然馬氏の五常に目を付けると馬良、馬謖を招聘し、幕下に加えた。
(演義では伊籍の推挙による)

211年、要地である荊州を孔明、関羽に任せ劉備軍は蜀へ進駐。

後、孔明も蜀へと移動するが、この時馬良を関羽の補佐として残している。



馬良は兄弟共々孔明に重用されており、馬良が出した孔明宛ての手紙では
尊兄は気運に応えて世の立て直しを(ry
のように孔明を兄の如く慕っていたようであり、馬謖もまた父親のように慕っていたようである。



その後、孫権への使者として何度も呉へと赴くが、関羽の暴走により孫呉との関係が悪化。

臨沮にて関羽が討たれると、激興した劉備は呉討伐軍を編成。
馬良もこれに従軍。



蜀軍は三峡にて呉軍と対峙。
所謂夷陵の戦いである。


この戦いで馬良は沙摩柯等武陵蛮と交渉し、蜀に呼応させたりと活躍するも、陸遜率いる呉軍の火計や伏兵により本陣が壊滅。

馬良らは劉備を白帝城へと逃がすため殿軍を率いて剣を取り、討ち死にした。




  • 余談
正史では馬良伝なのに馬謖の記述の方が多かったり、
演義では
「毎度毎度間に合わない奴」
「あれ?パシり?」
「何となく死んでた」

と、正史・演義共に扱いが微妙に悪く、
さらに、
「死に様が演義の方が地味」
という希有な人物でもある。



その他の馬良

  • 北方三國志
夷陵で撤退する劉備に背中で語る。


  • 三国志大戦
ver1
コスト1槍
武1知8
計略は士気8で味方陣地の敵に落雷を五本落とす「守護の落雷」。
三本当たれば知力9も落とせるが、如何せん使いづらい。


ver3
コスト1.5槍
武3知8
計略は士気4で撤退中の味方を撤退した場所に復活させる「戦線復帰」。
計略は中々強力だがスペックが微妙と専らの噂。

  • 天地を喰らう(FC)
いらん子。

  • 天地を喰らう2(FC)
コウメイの使えない暗殺の計が使える。
それだけ。

  • 三国志(アニメ)
典葦・弁慶もびっくりする死に様を見せる。

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