ダウンタウン(お笑いコンビ)

「ダウンタウン(お笑いコンビ)」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る

ダウンタウン(お笑いコンビ) - (2020/03/05 (木) 11:11:14) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2011/05/27(金) 09:29:03
更新日:2024/01/11 Thu 15:08:25
所要時間:約 3 分で読めます




よしもとクリエイティブ・エージェンシー(吉本興業)所属のお笑いコンビ。日本を代表するお笑いコンビの一つ。
80年代中頃~終盤にデビューし、20代前半でブレイクを果たし、以降数十年に渡りTVで活躍している“お笑い第三世代”*1の代表的なコンビの一つで、東西を問わずに後世の芸人達に与えた影響は大きい。

二人は尼崎市立潮小学校からの友人であった。
※出会いは幼稚園。
実際に同級生となりつるむようになったのは中二からだというが、二人の同級生で構成作家として長年に渡り一緒に仕事をしている高須光聖と共に、松本は浜田の実家に入ることを許された気のおけない友人の一人であった。
1982年4月、浜田が松本を誘って吉本の芸人養成所「吉本総合芸能学院(NSC)」に入学。大阪NSC一期生(漫才コース選択)となる。
同期はトミーズ、ハイヒール、内場勝則など。
コンビ名は当初「松本・浜田」「ひとし・まさし」「青空てるお・はるお」「ライト兄弟」と変遷していたが、
1983年5月、松本が喫茶店で何気なく開いた雑誌に偶然記載されていた「ダウンタウン」という文字から、今まで続く「ダウンタウン」となった。

1987年4月、毎日放送が関西ローカルで制作した初の看板番組『4時ですよーだ』で、関西にてブレイク。
1988年10月からはウッチャンナンチャン・清水ミチコ・野沢直子と共に深夜番組『夢で逢えたら』に出演し少しづつ全国的知名度も上げていく。
1989年10月には、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』が関東ローカルで始まり、
そして1991年に始まったゴールデンでのコント番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』によって国民的な人気を得る。

なお、先輩芸人の島田紳助がその実力をいち早く見抜いていた話は有名。
紳助は当時無名の若手だったダウンタウンの漫才を見て、「これからはダウンタウンの時代が来る。自分達は彼らに敵わない。」と悟り、85年に漫才コンビ紳助竜介を解散するに至った。
紳助の見立ては的中しダウンタウンは数年後にブレイク。今やテレビでおなじみのタレントとなったのは見ての通り。


■構成メンバー

◆浜田雅功

子ゴリラ。前田敦子。唇お化け。
主にツッコミ担当。
ツッコミのパターンは頭をはたく、デコピン、ゲンコツ、回し蹴り、かかと落とし、頭突き、ビンタ、尻を蹴る、額を指4本で突く、
ほっぺに噛み付き、などなど様々なバリエーションがあり、際だってメリハリのあるツッコミが松本のシュールなボケと対照を成す。
ただ、絵の方ははっきり言って櫻井翔やはいだしょうこと並ぶ画伯レベル。
若い頃から司会の腕には定評があり、個人でも幾つもの番組を担当している。
また、年齢を重ねた現在でも変わらずに声を張り上げる様に、思わず松本からツッコミを入れられて苦笑してしまったことも。

また、先輩でも臆することなく容赦なしにドツいたり、タメ口をきいたり、呼び捨てにしたりしてツッコミを入れる。
が、それはあくまで芸の一環であり、裏ではちゃんと礼儀正しいし、挨拶もするいい人。後述する息子のラジオにゲスト出演した際も「ハマ・オカモトさん、本日はゲストに呼んでいただきありがとうございました」と丁寧な感想を残している。
意外にも後輩への面倒見が良いらしく、松本曰く「本当に悩んでる奴は浜田に相談する」、ロバート・馬場裕之は「楽屋の中の浜田さんは優しい浜田さん」と語っている。

またドSとして知られており、「生まれながらの超ドS芸人」という二つ名がある。
ドツきは芸風の一つであり、意図的に殺伐な雰囲気を出して相方を含む共演者を萎縮させることもある。
……一方、近年はキャラが丸くなってきたこともあってか、持ち前の天然や老眼に代表される老化現象ネタをいじられることも少なくなくなった。

本名の濱田雅功名義で『明日があるさ』『龍馬におまかせ!』『検事・鬼島平八郎』等のドラマで俳優としても活躍。
各種アーティストとコラボしてのシングル曲が複数存在し、代表作としては
  • 小室哲哉とのデュオ『H Jungle with t』での『WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント』(ミリオンセラー、紅白出演)
  • 槇原敬之と共に歌った『チキンライス』
  • ガキ使の企画できゃりーぱみゅぱみゅパロな「浜田ばみゅばみゅ」と化して『なんでやねんねん』(中田ヤスタカ筆頭に本家スタッフ監修)
が挙げられる。

実生活での趣味はAV観賞。しかし愛妻家。

アメリカンカジュアルに造詣が深く、ジーンズはフラットヘッドやヴィンテージリーバイスなどを愛用していたりする。

また、シュレックやヤドキングの声も当てている。
なお、ヤドキングの声をあてた際に描いたヤドキングのイラストはポケモンカードゲームのプロモカードとして配布され、効果も浜田に因んだものがあったりする。
ヤクザ系のものを好み、それ系の雑誌などを読んでいるほか、1991年にはヤクザ映画の主演も務めた。
「ナッハッハッハッハッハ」
とサル8匹分の声で笑う。

息子は3人いて、一人はOKAMOTO'Sのベーシストであるハマ・オカモト。
親子で共演した『ラブレター』という曲で収録をする際に、「うぃっすー^^」と挨拶した息子に激怒した。
「30年やっててそんな挨拶、松本にだってされたことない」との事。
前述のように根が礼儀正しいためしつけには相当厳しく、息子たちが小さい頃の子育ての様子は「浜田刑務所」とネタにされていた。
また、番組の企画構成をしたり映画にも挑戦している松本に対して、個人で出来る活動以上のことはしない(意訳)と発言したことがある。

高校時代は当時日本一のスパルタ校として有名な全寮制の学校で、その時のエピソードは壮絶すぎて松本に「刑務所か!」などと突っ込まれている(今は普通の学校らしい)。
そんな高校でも、最終的には副寮長にまでなって卒業している(同校の後輩だった今田耕司は1年の秋に脱走、後に退学している)。

◆松本人志

「尼崎の黒光りピータン」。
主にボケ担当。
非常にシュールで独創的・即興的な発想力による笑いのスタイルを持つ。
自身のレギュラー番組や舞台などには出演者としてだけでなく、自らの番組の企画・構成も行い制作にも積極的に関わる。
漫才では上記のようにボケだが、TVタレントとしては的確な喩えツッコミ等で場を沸かすタイプである。
様々な人物やメディアから「天才」と評され、ミュージシャンや俳優、作家などにも多くのファンを持つ。
浜田共々、多くの人に受け入れられる汎用性が「ダウンタウン」の強みなのだが、松本自身の笑いの志向はややマニアックで、笑いには「悲哀」が込められているものだと語る等、ともすれば前衛的な方向に向きたがっているのが節々から滲み出ている(その為、その方面の笑いで才能を発揮する板尾創路に身内ながら嫉妬していた時期もあった)。
後の映画にも、そうした一般には理解し難いであろう、松本ならではの美学が反映されている。
「大日本人」「しんぼる」等映画監督としても活躍。2011年6月には3作目「さや侍」が公開された。
評価は前述の理由からか賛否両論。
昔は不健康なイメージがあったが、中年期に入った辺りから現在までに色々と変化してきた。
意外と親バカ。
また、昔は髪型がリーゼントだったが、ある時突然坊主頭になり、近年は銀→金髪頭に。
その上現在はトレーニングに精を出し、Tシャツ姿でムッキムキの上腕二頭筋を見せる事もしばしば。

また、ゲーム好きでもあり、特に任天堂の『マリオ』『ピクミン』シリーズが気に入っている様子で、宮本茂氏と対談したことも。
他にもガキ使のトークで開口一番「ドンキーコング64は面白いですねえ!」と発言したり、週刊ファミ通に載っていた知識を披露したことも。
特番で腕に自信のある『ぷよぷよ』対決を行ったこともあるが、スタジオの空気により実力を出せず、「パジャマに着替えてコタツでやらせて」と要望を出した。
リンカーンでの好きなゲームを紹介する企画で、他レギュラーが『ギャラガ』『ファミスタ』など子供の頃の思い出のゲームや、『みんなのゴルフ』『マリオカート』のような一般にも知られてる作品を挙げる中『ワンダと巨像』を紹介して一人浮いたことも。

なお、両者共に既婚者であり浜田は女優の小川菜摘と、松本は2009年に地方女子アナとデキ婚してめでたく第一子が産まれた。




追記・修正をお願いします

この項目が面白かったなら……\ポチッと/