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◆テスト
「テスト(Test)」はカナダ出身のプロレスラーである。
本名はアンドリュー・ジェームス・ロバート・パトリック・マーチン。後に法的手続きを経てアンドリュー・テスト・マーチンに改名した。
1975年3月17日生まれ。
2009年3月13日没(享年33)。
最終所属はTNAだが、[[WWE>WWE(プロレス団体)]]時代の「テスト」として広く知られている。
[[身長]] 201cm
体重 129kg
【来歴】
20歳のころ、レストランにてブレット・ハートと出会い、スカウトされる。
その後、ブレットとレオ・バークの元でトレーニングを積み、1997年に「マーティン・ケイン」の名前でカナダのインディー団体でデビュー、
間もなくWWF(現WWE)と契約した。WWFへの初登場はモトリー・クルーがバンド演奏を行った際のボディーガード役であった。
[[ビンス>ビンス・マクマホン]]率いるコーポレーションの一員として活動した後、ビンスの実娘ステファニーの恋人役に抜擢、結婚を予定していた。
結果は[[トリプルH>トリプルH(プロレスラー)]]に奪われるという見事なかませだったが。
その後、アルバート(現テンサイ)とトリッシュ・ストラタスとT&Aを結成を経て[[WCW]]&ECW連合軍(アライアンス)に加入。ヒールとしてキャリアを積み重ねていった。
2002年10月からは当時実生活においても恋人関係だったステイシー・キーブラーが番組上においても恋人兼マネージャーとなり、ついにベビーターンを果たす。
この時、マネージャーのステイシーはテストの宣伝を精力的に行い、テストのファンを「テスティクルズ」と命名した。意味は○ンタマ…
ベビーターン後は団体から積極的にプッシュされ、2003年のロイヤルランブル戦は優勝候補の一角だった[[クリス・ジェリコ]]を敗退させる快挙をなす。
これによりジェリコとのストーリーが組まれていざレッスルマニア…という際に彼は大失態をしてしまう。
…それはアラスカ開催のハウスショー(テレビ中継のない興行)をすっぽかしてしまったのだ(後述)。
これにより大プッシュは打ち切られ、中堅レスラーに格下げをされる。
2004年に入ると、首の怪我が悪化して休場に追い込まれる。休場中の11月1日にリリースされた。以降はインディー団体で活動を続けた。
2006年になるとWWE復帰の話が持ち上がり、同年に誕生していたECWブランドで再登場を果たすことになる。
再登場後は持ち前のガタイを活かしたモンスター型ヒールとしてプッシュされ、ECWの王座戦線に殴り込み、[[RVD>ロブ・ヴァン・ダム]]やボビー・ラシュリーと抗争を繰り広げる。
しかし、王座獲得は叶わず、ウェルネスポリシー違反が発覚。30日間の謹慎が言い渡され、謹慎期間中に解雇された。
その後、TNAに登場。「ザ・パニッシャー・アンドリュー・マーチン」としてスティング、アビスのフェイス軍に合流。
2007年12月に[[プロレス]]からの引退を発表した。後、2009年2月に引退を撤回し、ビッグバン・ベイダーがプロデュースする興行に電撃参戦した。
しかし、これから本格的な活動再開と思われた矢先の2009年3月13日、フロリダ州タンパの自宅で食事中に死亡しているのが発見された。34歳の誕生日の4日前のことだった。
死因はオキシコドンの過剰摂取による急性心不全と発表された。
【人物】
201cm、129kgという恵まれた体格を持ち、顔もなかなかの男前だったため、ビンス・マクマホンの気に入るところとなり、
ステファニーの恋人役やらステイシーがマネージャーになるやらかなり重宝された。
御曹司であるシェインにとってはプロレスを教えてくれた師匠にして親友であり、初期にはテスト直伝のダイビング・エルボーをリスペクトで使用していた。
しかし、レスリング技術や技の組み立て能力や、WWEスーパースターに必要不可欠なトーク力はあまり高くなく、イケメンなのにイマイチ華が無い等の理由で便利屋ポジに収まってしまい、最高王座を獲得することはできなかった。
2006年に再登場した時点でも、技術の向上がなかったため、2ちゃんねるでは「もっさり」というあだ名をつけられてネタにされていた。
なお、アラスカのハウスショーをすっぽかした理由は、飛行機に乗り遅れたためなのだが、なぜ乗り遅れたかという質問に対して、こう答えている。
&bold(){「ステイシーとセッ○スしていたら、彼女があまりにも激しく求めてきてついつい長期戦になっちまったぜ」}
この発言により、WWEはもちろんのことステイシーファン全員を敵に回した。
【得意技】
・ビッグブート
フィニッシュの際には[[カウンター>カウンター(技)]]ではなく、自ら相手に向かって勢いよく走り込んでから蹴ることが多かった。
長身且つ、足が長いために[[ビッグ・ショー]]の顔面も余裕で打ち抜ける程で、説得力も充分。
・パンプハンドルスラム
ビッグブートと並列して使用されたフィニッシュムーブ。
・テストグレイド(ダイヤモンドカッターの一種)
・ダイビングエルボー
・フルネルソン・バスター
【余談】
・WCW&ECW連合軍(アライアンス)はもともとオリジナルWCWとオリジナルECWの選手の集合した軍団だったが、テストはどちらにも所属したことがなかった。
・2006年にWWE復帰を果たした際、ごくごく短期間ではあるが、ケリーケリーとも交際していた。うらやましいぞ。
追記・修正お願いします。
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- 晩年はベノさんと同じCTEに苦しんでたみたいだね…RIP -- 名無しさん (2023-09-19 18:54:16)
- この業界に入って最初に習ったのは受身でも技の練習でもなく薬の知識だったってのが印象的だった、結果的に寿命を縮めてしまった訳だが -- 名無しさん (2023-09-23 06:28:11)
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#right(){画像出典 SmackDown 2002/5/9}
◆テスト
「テスト(Test)」はカナダ出身のプロレスラーである。
本名はアンドリュー・ジェームス・ロバート・パトリック・マーチン。後に法的手続きを経てアンドリュー・テスト・マーチンに改名した。
1975年3月17日生まれ。
2009年3月13日没(享年33)。
最終所属はTNAだが、[[WWE>WWE(プロレス団体)]]時代の「テスト」として広く知られている。
[[身長]] 201cm
体重 129kg
【来歴】
20歳のころ、レストランにてブレット・ハートと出会い、スカウトされる。
その後、ブレットとレオ・バークの元でトレーニングを積み、1997年に「マーティン・ケイン」の名前でカナダのインディー団体でデビュー、
間もなくWWF(現WWE)と契約した。WWFへの初登場はモトリー・クルーがバンド演奏を行った際のボディーガード役であった。
[[ビンス>ビンス・マクマホン]]率いるコーポレーションの一員として活動した後、ビンスの実娘ステファニーの恋人役に抜擢、結婚を予定していた。
結果は[[トリプルH>トリプルH(プロレスラー)]]に奪われるという見事なかませだったが。
その後、アルバート(現テンサイ)とトリッシュ・ストラタスとT&Aを結成を経て[[WCW]]&ECW連合軍(アライアンス)に加入。ヒールとしてキャリアを積み重ねていった。
2002年10月からは当時実生活においても恋人関係だったステイシー・キーブラーが番組上においても恋人兼マネージャーとなり、ついにベビーターンを果たす。
この時、マネージャーのステイシーはテストの宣伝を精力的に行い、テストのファンを「テスティクルズ」と命名した。意味は○ンタマ…&s(){なんちゅう呼び名だよ、けしからんぞステイシー}
ベビーターン後は団体から積極的にプッシュされ、2003年のロイヤルランブル戦は優勝候補の一角だった[[クリス・ジェリコ]]を敗退させる快挙をなす。
これによりジェリコとのストーリーが組まれていざレッスルマニア…という際に彼は大失態をしてしまう。
…それはアラスカ開催のハウスショー(テレビ中継のない興行)をすっぽかしてしまったのだ(後述)。
これにより大プッシュは打ち切られ、中堅レスラーに格下げをされる。
2004年に入ると、首の怪我が悪化して休場に追い込まれる。休場中の11月1日にリリースされた。以降はインディー団体で活動を続けた。
2006年になるとWWE復帰の話が持ち上がり、同年に誕生していたECWブランドで再登場を果たすことになる。
再登場後は持ち前のガタイを活かしたモンスター型ヒールとしてプッシュされ、ECWの王座戦線に殴り込み、[[RVD>ロブ・ヴァン・ダム]]やボビー・ラシュリーと抗争を繰り広げる。
しかし、王座獲得は叶わず、ウェルネスポリシー違反が発覚。30日間の謹慎が言い渡され、謹慎期間中に解雇された。
その後、TNAに登場。「ザ・パニッシャー・アンドリュー・マーチン」としてスティング、アビスのフェイス軍に合流。
2007年12月に[[プロレス]]からの引退を発表した。後、2009年2月に引退を撤回し、ビッグバン・ベイダーがプロデュースする興行に電撃参戦した。
しかし、これから本格的な活動再開と思われた矢先の2009年3月13日、フロリダ州タンパの自宅で食事中に死亡しているのが発見された。34歳の誕生日の4日前のことだった。
死因はオキシコドンの過剰摂取による急性心不全と発表された。
【人物】
201cm、129kgという恵まれた体格を持ち、顔もなかなかの男前だったため、ビンス・マクマホンの気に入るところとなり、
ステファニーの恋人役やらステイシーがマネージャーになるやらかなり重宝された。
御曹司であるシェインにとってはプロレスを教えてくれた師匠にして親友であり、初期にはテスト直伝のダイビング・エルボーをリスペクトで使用していた。
しかし、レスリング技術や技の組み立て能力や、WWEスーパースターに必要不可欠なトーク力はあまり高くなく、イケメンなのにイマイチ華が無い等の理由で便利屋ポジに収まってしまい、最高王座を獲得することはできなかった。
2006年に再登場した時点でも、技術の向上がなかったため、2ちゃんねるでは「もっさり」というあだ名をつけられてネタにされていた。
一方でTAJIRIさんは「大柄の選手だが余計なところに力が入っておらず、動きもきれいだったため試合がやりやすかった」と後年述懐している。
なお、アラスカのハウスショーをすっぽかした理由は、飛行機に乗り遅れたためなのだが、なぜ乗り遅れたかという質問に対して、こう答えている。
&bold(){「ステイシーとセッ○スしていたら、彼女があまりにも激しく求めてきてついつい長期戦になっちまったぜ」}
この発言により、WWEはもちろんのことステイシーファン全員を敵に回した。
【得意技】
・ビッグブート
フィニッシュの際には[[カウンター>カウンター(技)]]ではなく、自ら相手に向かって勢いよく走り込んでから蹴ることが多かった。
長身且つ、足が長いために[[ビッグ・ショー]]の顔面も余裕で打ち抜ける程で、説得力も充分。
・パンプハンドルスラム
ビッグブートと並列して使用されたフィニッシュムーブ。
・テストグレイド(ダイヤモンドカッターの一種)
・ダイビングエルボー
・フルネルソン・バスター
【余談】
・WCW&ECW連合軍(アライアンス)はもともとオリジナルWCWとオリジナルECWの選手の集合した軍団だったが、テストはどちらにも所属したことがなかった。
・2006年にWWE復帰を果たした際、ごくごく短期間ではあるが、ケリーケリーとも交際していた。うらやましいぞ。
追記・修正お願いします。
#include(テンプレ2)
#right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/
#vote3(time=600,4)
}
#include(テンプレ3)
#openclose(show=▷ コメント欄){
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- 晩年はベノさんと同じCTEに苦しんでたみたいだね…RIP -- 名無しさん (2023-09-19 18:54:16)
- この業界に入って最初に習ったのは受身でも技の練習でもなく薬の知識だったってのが印象的だった、結果的に寿命を縮めてしまった訳だが -- 名無しさん (2023-09-23 06:28:11)
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