だんのこまち@wiki
お茶の香りと、放課後の音
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春の庭で
現実側の校舎には、建物に囲まれた小さな中庭がある。
花壇と数本の木が並んでいるだけの場所だが、昼休みや放課後には思い思いに過ごす生徒の姿があった。
双葉もえぎは、その中でも校舎から少し離れた木陰を好んでいた。
人の声が遠くなり、風で葉が揺れる音がよく聞こえる。
今日も花壇の前へしゃがみ込み、まだ小さな新芽を眺めていると、背後から明るい声が飛んできた。
「もえぎ、見つけた!」
振り返ると、ワッフルが大きめの保温バッグを両手で抱えて立っていた。
「私を探してたの?」
「うん! 教室にいないから、たぶんここかなって」
「当たり」
もえぎは立ち上がり、バッグへ目を向ける。
「それ、お弁当?」
「お茶!」
「ずいぶん大きいね」
「試作品が三つ入ってるから」
ワッフルは近くのベンチへバッグを置き、中から細長い保温瓶を取り出した。
蓋にはそれぞれ、赤、緑、黄色の小さなシールが貼られている。
「うちのおばあちゃんが、春用の新しいお茶を考えてるんだ。若い人の意見も聞いてきなさいって」
「ワッフルも若い人だよね」
「私だけだと、全部おいしいって言っちゃうからだって」
「それはありそう」
「でしょ?」
ワッフルは悪びれる様子もなく笑った。
祖母が営む茶店で育った彼女にとって、お茶は特別な飲み物であると同時に、毎日の暮らしの一部でもある。
新しい茶葉が届けば真っ先に味見をし、祖母が試作品を作れば必ず感想を聞かれる。
ただし感想は、たいてい「おいしい」「すごくおいしい」「もっと飲みたい」の三種類だった。
「だから、自然のことに詳しいもえぎなら、香りの違いもわかるかなって」
「詳しいといっても、茶葉は専門じゃないよ」
「でも、私よりはいろんな葉っぱの匂いを知ってるでしょ?」
「葉っぱでまとめたね」
もえぎは笑いながら、ワッフルの隣へ座った。
ワッフルは小さな試飲用のカップへ、一つ目のお茶を注ぐ。
温かな湯気と一緒に、香ばしい香りが広がった。
「赤は、少し強めに煎ったほうじ茶。飲んでみて」
「いただきます」
もえぎは一口飲み、少し考える。
「香りがしっかりしてるね。落ち着くけど、授業のあとに飲んだら眠くなりそう」
「やっぱり?」
「悪い意味じゃないよ。家でゆっくりする時には好き」
ワッフルはすぐにDPo-Xへ感想を書き込んだ。
次は緑のシール。
こちらは香ばしさが少し弱く、代わりに爽やかな香りが混ざっている。
「これは?」
「浅く煎ったお茶に、柑橘の皮を少しだけ合わせたもの」
「こっちの方が軽いね」
もえぎは目を閉じ、香りを確かめた。
「雨が上がったあとの庭みたい」
「庭?」
「濡れた葉っぱの匂いが残ってるのに、その上から明るい風が吹いてくる感じ」
「すごい。私だったら『さっぱりしておいしい』で終わってた」
「その感想でも十分伝わると思うけど」
ワッフルは嬉しそうに緑の瓶を見た。
「これ、アールグレイに持っていこうと思ってるんだ」
「アールグレイに?」
「来週の新入生歓迎演奏で、一人で演奏するところがあるんだって。最近ずっと練習してて、顔がお茶より渋くなってる」
「本人に言ったら怒られそう」
「だから本人には言わないよ」
「今、私には言ったけど」
「もえぎは言わないでしょ?」
ワッフルは何の疑いもなく笑う。
もえぎはもう一度、緑の瓶のお茶を口にした。
「緊張している時なら、これがいいと思う」
「赤じゃなくて?」
「落ち着きすぎるより、呼吸を一度戻せる方がよさそう。香りも強すぎないし」
「呼吸を戻す……」
ワッフルはその言葉もDPo-Xへ入力した。
「もえぎって、言葉の選び方がきれいだね」
「そうかな」
「うん。おばあちゃんにも教えてあげよう」
「私の名前は出さなくていいよ」
「なんで?」
「少し恥ずかしいから」
「じゃあ『自然が好きな友達が言ってた』にする」
「それなら、たぶん私だってわかると思う」
二人が笑っている間にも、木々の間を春の風が抜けていく。
ワッフルは緑の保温瓶をバッグへ戻すと、勢いよく立ち上がった。
「よし。放課後、届けてくる!」
「音楽室に?」
「うん。あと、もう一人分も持っていく」
「誰の分?」
「フランボワーズ」
もえぎは少しだけ首を傾げた。
「あの子、吹奏楽部だった?」
「違うよ。でも、たぶんアールグレイが捕まえてくるから」
説明になっているようで、なっていなかった。
けれど、ワッフルの中ではすでに決まっているらしい。
「じゃあ、うまくいくといいね」
「うん! 感想、あとで報告する!」
ワッフルは保温バッグを抱え直し、校舎へ向かって走り出した。
数歩進んだところで、すぐに立ち止まる。
「廊下は走らないようにって、おばあちゃんにも言われてた!」
「まだ中庭だから大丈夫じゃない?」
「じゃあ、ここまでは走る!」
再び駆け出す背中を見送り、もえぎは小さく笑った。
花壇の新芽が、風に揺れていた。
花壇と数本の木が並んでいるだけの場所だが、昼休みや放課後には思い思いに過ごす生徒の姿があった。
双葉もえぎは、その中でも校舎から少し離れた木陰を好んでいた。
人の声が遠くなり、風で葉が揺れる音がよく聞こえる。
今日も花壇の前へしゃがみ込み、まだ小さな新芽を眺めていると、背後から明るい声が飛んできた。
「もえぎ、見つけた!」
振り返ると、ワッフルが大きめの保温バッグを両手で抱えて立っていた。
「私を探してたの?」
「うん! 教室にいないから、たぶんここかなって」
「当たり」
もえぎは立ち上がり、バッグへ目を向ける。
「それ、お弁当?」
「お茶!」
「ずいぶん大きいね」
「試作品が三つ入ってるから」
ワッフルは近くのベンチへバッグを置き、中から細長い保温瓶を取り出した。
蓋にはそれぞれ、赤、緑、黄色の小さなシールが貼られている。
「うちのおばあちゃんが、春用の新しいお茶を考えてるんだ。若い人の意見も聞いてきなさいって」
「ワッフルも若い人だよね」
「私だけだと、全部おいしいって言っちゃうからだって」
「それはありそう」
「でしょ?」
ワッフルは悪びれる様子もなく笑った。
祖母が営む茶店で育った彼女にとって、お茶は特別な飲み物であると同時に、毎日の暮らしの一部でもある。
新しい茶葉が届けば真っ先に味見をし、祖母が試作品を作れば必ず感想を聞かれる。
ただし感想は、たいてい「おいしい」「すごくおいしい」「もっと飲みたい」の三種類だった。
「だから、自然のことに詳しいもえぎなら、香りの違いもわかるかなって」
「詳しいといっても、茶葉は専門じゃないよ」
「でも、私よりはいろんな葉っぱの匂いを知ってるでしょ?」
「葉っぱでまとめたね」
もえぎは笑いながら、ワッフルの隣へ座った。
ワッフルは小さな試飲用のカップへ、一つ目のお茶を注ぐ。
温かな湯気と一緒に、香ばしい香りが広がった。
「赤は、少し強めに煎ったほうじ茶。飲んでみて」
「いただきます」
もえぎは一口飲み、少し考える。
「香りがしっかりしてるね。落ち着くけど、授業のあとに飲んだら眠くなりそう」
「やっぱり?」
「悪い意味じゃないよ。家でゆっくりする時には好き」
ワッフルはすぐにDPo-Xへ感想を書き込んだ。
次は緑のシール。
こちらは香ばしさが少し弱く、代わりに爽やかな香りが混ざっている。
「これは?」
「浅く煎ったお茶に、柑橘の皮を少しだけ合わせたもの」
「こっちの方が軽いね」
もえぎは目を閉じ、香りを確かめた。
「雨が上がったあとの庭みたい」
「庭?」
「濡れた葉っぱの匂いが残ってるのに、その上から明るい風が吹いてくる感じ」
「すごい。私だったら『さっぱりしておいしい』で終わってた」
「その感想でも十分伝わると思うけど」
ワッフルは嬉しそうに緑の瓶を見た。
「これ、アールグレイに持っていこうと思ってるんだ」
「アールグレイに?」
「来週の新入生歓迎演奏で、一人で演奏するところがあるんだって。最近ずっと練習してて、顔がお茶より渋くなってる」
「本人に言ったら怒られそう」
「だから本人には言わないよ」
「今、私には言ったけど」
「もえぎは言わないでしょ?」
ワッフルは何の疑いもなく笑う。
もえぎはもう一度、緑の瓶のお茶を口にした。
「緊張している時なら、これがいいと思う」
「赤じゃなくて?」
「落ち着きすぎるより、呼吸を一度戻せる方がよさそう。香りも強すぎないし」
「呼吸を戻す……」
ワッフルはその言葉もDPo-Xへ入力した。
「もえぎって、言葉の選び方がきれいだね」
「そうかな」
「うん。おばあちゃんにも教えてあげよう」
「私の名前は出さなくていいよ」
「なんで?」
「少し恥ずかしいから」
「じゃあ『自然が好きな友達が言ってた』にする」
「それなら、たぶん私だってわかると思う」
二人が笑っている間にも、木々の間を春の風が抜けていく。
ワッフルは緑の保温瓶をバッグへ戻すと、勢いよく立ち上がった。
「よし。放課後、届けてくる!」
「音楽室に?」
「うん。あと、もう一人分も持っていく」
「誰の分?」
「フランボワーズ」
もえぎは少しだけ首を傾げた。
「あの子、吹奏楽部だった?」
「違うよ。でも、たぶんアールグレイが捕まえてくるから」
説明になっているようで、なっていなかった。
けれど、ワッフルの中ではすでに決まっているらしい。
「じゃあ、うまくいくといいね」
「うん! 感想、あとで報告する!」
ワッフルは保温バッグを抱え直し、校舎へ向かって走り出した。
数歩進んだところで、すぐに立ち止まる。
「廊下は走らないようにって、おばあちゃんにも言われてた!」
「まだ中庭だから大丈夫じゃない?」
「じゃあ、ここまでは走る!」
再び駆け出す背中を見送り、もえぎは小さく笑った。
花壇の新芽が、風に揺れていた。
来ない録音係
放課後の音楽室には、同じ短い旋律が何度も響いていた。
最初は細く伸びて。
途中で少し揺れ。
最後の音だけが、納得できないように途切れる。
アールグレイは楽器を下ろし、録音データを停止した。
「……違う」
DPo-Xに保存された音を、最初から再生する。
音程が大きく外れているわけではない。
指も動いている。
それでも、自分が出したかった音とは少し違った。
新入生歓迎演奏で担当するのは、曲の途中にある短い独奏だった。
ほんの数十秒。
だからこそ、ごまかしが利かない。
少しでも息が乱れれば、すぐに音へ出る。
「フランボワーズ、まだ来ないし……」
約束の時間は、とっくに過ぎていた。
録音操作と、客観的な感想を頼んでいた。
本人は、
「座ってボタンを押すだけなら」
と言って引き受けたはずだ。
それなのに、メッセージは既読にもならない。
もう一度送ろうとした時、音楽室の扉が軽く叩かれた。
「アールグレイ、いるー?」
聞き覚えのある明るい声。
扉を開けると、ワッフルが保温バッグを抱えて立っていた。
「どうしたの?」
「差し入れ!」
「急だね」
「思いついた時に持ってこないと、冷めるから」
ワッフルはバッグを開き、蓋のついた小さなボトルを二本取り出した。
「楽器の近くで開けないようにって、おばあちゃんにも言われてるから、廊下で飲んでね」
「そこはちゃんとしてるんだ」
「お茶屋の娘だから!」
アールグレイは一本を受け取った。
ボトル越しにも、わずかに柑橘の香りがする。
「これ、新しいお茶?」
「春の試作品。練習してる人にちょうどよさそうだったから」
「別に、緊張してないけど」
「まだ何も言ってないよ?」
「顔に書いてある」
「じゃあ緊張してるんだ」
「違う」
ワッフルは楽しそうに笑った。
もう一本をアールグレイへ差し出す。
「こっちはフランボワーズの分」
「どうして?」
「どうせ、これから探しに行くんでしょ?」
アールグレイは少し黙った。
「……約束してるのに来ないから」
「寝てるんじゃない?」
「学校で?」
「フランボワーズなら、できそう」
否定できなかった。
「飲んだら、感想聞いておいてね」
「自分で聞かないの?」
「私、これからお店を手伝うから。おばあちゃんが待ってる」
ワッフルは空になったバッグを閉じると、来た時と同じ勢いで手を振った。
「演奏、頑張ってね!」
「だから、緊張してないって」
「うんうん!」
「絶対信じてないでしょ」
ワッフルは答えず、廊下を歩いていった。
走り出しそうな足取りだったが、途中で何かを思い出したらしく、少しだけ速度を落としている。
アールグレイは二本のボトルを見た。
一人で練習を続けることもできる。
録音も、固定端末を使えば自分で行える。
けれど。
「約束したんだから、来てもらう」
音楽室を出て、フランボワーズを探しに向かった。
最初は細く伸びて。
途中で少し揺れ。
最後の音だけが、納得できないように途切れる。
アールグレイは楽器を下ろし、録音データを停止した。
「……違う」
DPo-Xに保存された音を、最初から再生する。
音程が大きく外れているわけではない。
指も動いている。
それでも、自分が出したかった音とは少し違った。
新入生歓迎演奏で担当するのは、曲の途中にある短い独奏だった。
ほんの数十秒。
だからこそ、ごまかしが利かない。
少しでも息が乱れれば、すぐに音へ出る。
「フランボワーズ、まだ来ないし……」
約束の時間は、とっくに過ぎていた。
録音操作と、客観的な感想を頼んでいた。
本人は、
「座ってボタンを押すだけなら」
と言って引き受けたはずだ。
それなのに、メッセージは既読にもならない。
もう一度送ろうとした時、音楽室の扉が軽く叩かれた。
「アールグレイ、いるー?」
聞き覚えのある明るい声。
扉を開けると、ワッフルが保温バッグを抱えて立っていた。
「どうしたの?」
「差し入れ!」
「急だね」
「思いついた時に持ってこないと、冷めるから」
ワッフルはバッグを開き、蓋のついた小さなボトルを二本取り出した。
「楽器の近くで開けないようにって、おばあちゃんにも言われてるから、廊下で飲んでね」
「そこはちゃんとしてるんだ」
「お茶屋の娘だから!」
アールグレイは一本を受け取った。
ボトル越しにも、わずかに柑橘の香りがする。
「これ、新しいお茶?」
「春の試作品。練習してる人にちょうどよさそうだったから」
「別に、緊張してないけど」
「まだ何も言ってないよ?」
「顔に書いてある」
「じゃあ緊張してるんだ」
「違う」
ワッフルは楽しそうに笑った。
もう一本をアールグレイへ差し出す。
「こっちはフランボワーズの分」
「どうして?」
「どうせ、これから探しに行くんでしょ?」
アールグレイは少し黙った。
「……約束してるのに来ないから」
「寝てるんじゃない?」
「学校で?」
「フランボワーズなら、できそう」
否定できなかった。
「飲んだら、感想聞いておいてね」
「自分で聞かないの?」
「私、これからお店を手伝うから。おばあちゃんが待ってる」
ワッフルは空になったバッグを閉じると、来た時と同じ勢いで手を振った。
「演奏、頑張ってね!」
「だから、緊張してないって」
「うんうん!」
「絶対信じてないでしょ」
ワッフルは答えず、廊下を歩いていった。
走り出しそうな足取りだったが、途中で何かを思い出したらしく、少しだけ速度を落としている。
アールグレイは二本のボトルを見た。
一人で練習を続けることもできる。
録音も、固定端末を使えば自分で行える。
けれど。
「約束したんだから、来てもらう」
音楽室を出て、フランボワーズを探しに向かった。
図書室の奥
フランボワーズがいそうな場所は、それほど多くない。
人が少なく。
静かで。
座るか、できれば横になれる場所。
最初に空き教室。
いない。
次に中庭のベンチ。
いない。
最後に図書室へ向かう。
放課後の図書室は、授業中よりも静かだった。
数人の生徒が自習しているだけで、ページをめくる音まで聞こえる。
アールグレイは足音を立てないよう奥へ進んだ。
閲覧棚のさらに向こう。
窓際に置かれた低いソファ。
そこに、探していた姿があった。
フランボワーズはソファへ深く沈み込み、DPo-Xを胸の上に置いたまま目を閉じている。
「フランボワーズ」
反応はない。
「起きて」
肩を軽く揺らす。
フランボワーズはゆっくり目を開け、眠そうにアールグレイを見た。
「……おはよう」
「もう放課後」
「じゃあ、こんにちは」
「挨拶の問題じゃない」
フランボワーズは体を起こした。
DPo-Xの画面には、途中まで開かれた電子書籍が表示されている。
「四時に音楽室って言ったよね」
「覚えてる」
「今、四時四十分」
「校舎にはいた」
「音楽室に来てないなら意味ないでしょ」
「一回、近くまで行ったよ」
「本当に?」
「音がいっぱいしてたから、静かになるまで待とうと思って」
「それを待ってるうちに寝たの?」
「たぶん」
あまりにも悪びれない。
アールグレイは深く息を吐いた。
怒ることにも体力を使う。
「録音、今日中に提出なの」
「自動で録れば?」
「機械だけだと、演奏してる時に細かく操作できないから頼んだんでしょ」
「録音係って、座ってられると思ったのに」
「座ってていいよ。寝なければ」
フランボワーズは少し考えたあと、ソファへもう一度沈みかけた。
アールグレイは制服の袖を掴む。
「行くよ」
「めんどい」
「約束」
「記憶にない」
「さっき覚えてるって言った」
「都合の悪いところだけ消えた」
「今すぐ復元して」
フランボワーズはしぶしぶ立ち上がった。
歩き出して数歩。
アールグレイが持つボトルに気づき、視線を向ける。
「それ何?」
「ワッフルから。あなたの分もある」
「飲む」
「こういう時だけ早いね」
「水分は大事」
「普段からそのくらい動いて」
「それは別」
二人は図書室を出た。
フランボワーズはボトルを受け取り、蓋を開ける。
柑橘と浅く煎った茶葉の香りが、廊下にふわりと広がった。
一口飲む。
「どう?」
「おいしい」
「それだけ?」
「飲みやすい。あと、もう一本ほしい」
「私の分はあげない」
「けち」
「感想を聞いておいてって言われたんだけど」
フランボワーズはもう一口飲み、少し考えた。
「春っぽい」
「具体的には?」
「昼寝したい春じゃなくて、外に出てもいい春」
「……それ、ワッフルに伝わるかな」
「たぶん」
意外と、感想として悪くない気がした。
人が少なく。
静かで。
座るか、できれば横になれる場所。
最初に空き教室。
いない。
次に中庭のベンチ。
いない。
最後に図書室へ向かう。
放課後の図書室は、授業中よりも静かだった。
数人の生徒が自習しているだけで、ページをめくる音まで聞こえる。
アールグレイは足音を立てないよう奥へ進んだ。
閲覧棚のさらに向こう。
窓際に置かれた低いソファ。
そこに、探していた姿があった。
フランボワーズはソファへ深く沈み込み、DPo-Xを胸の上に置いたまま目を閉じている。
「フランボワーズ」
反応はない。
「起きて」
肩を軽く揺らす。
フランボワーズはゆっくり目を開け、眠そうにアールグレイを見た。
「……おはよう」
「もう放課後」
「じゃあ、こんにちは」
「挨拶の問題じゃない」
フランボワーズは体を起こした。
DPo-Xの画面には、途中まで開かれた電子書籍が表示されている。
「四時に音楽室って言ったよね」
「覚えてる」
「今、四時四十分」
「校舎にはいた」
「音楽室に来てないなら意味ないでしょ」
「一回、近くまで行ったよ」
「本当に?」
「音がいっぱいしてたから、静かになるまで待とうと思って」
「それを待ってるうちに寝たの?」
「たぶん」
あまりにも悪びれない。
アールグレイは深く息を吐いた。
怒ることにも体力を使う。
「録音、今日中に提出なの」
「自動で録れば?」
「機械だけだと、演奏してる時に細かく操作できないから頼んだんでしょ」
「録音係って、座ってられると思ったのに」
「座ってていいよ。寝なければ」
フランボワーズは少し考えたあと、ソファへもう一度沈みかけた。
アールグレイは制服の袖を掴む。
「行くよ」
「めんどい」
「約束」
「記憶にない」
「さっき覚えてるって言った」
「都合の悪いところだけ消えた」
「今すぐ復元して」
フランボワーズはしぶしぶ立ち上がった。
歩き出して数歩。
アールグレイが持つボトルに気づき、視線を向ける。
「それ何?」
「ワッフルから。あなたの分もある」
「飲む」
「こういう時だけ早いね」
「水分は大事」
「普段からそのくらい動いて」
「それは別」
二人は図書室を出た。
フランボワーズはボトルを受け取り、蓋を開ける。
柑橘と浅く煎った茶葉の香りが、廊下にふわりと広がった。
一口飲む。
「どう?」
「おいしい」
「それだけ?」
「飲みやすい。あと、もう一本ほしい」
「私の分はあげない」
「けち」
「感想を聞いておいてって言われたんだけど」
フランボワーズはもう一口飲み、少し考えた。
「春っぽい」
「具体的には?」
「昼寝したい春じゃなくて、外に出てもいい春」
「……それ、ワッフルに伝わるかな」
「たぶん」
意外と、感想として悪くない気がした。
一番よかった音
音楽室へ戻ると、アールグレイは録音端末を準備した。
フランボワーズは言葉どおり、椅子へ座っている。
ただし、背もたれへ体重を預けすぎて、すでに眠そうだった。
「これを押せばいいの?」
「私が手を上げたら録音開始。下ろしたら停止」
「簡単」
「終わるまで寝ないで」
「努力する」
「努力じゃなくて」
フランボワーズは片手を上げた。
「はいはい」
アールグレイは楽器を構えた。
一度、ゆっくり息を吸う。
手を上げる。
フランボワーズが録音を開始した。
最初の音。
続く旋律。
練習を重ねてきた部分は、滑らかに流れる。
しかし、中盤の一音だけ、わずかに輪郭が崩れた。
最後まで演奏し、手を下ろす。
録音停止。
「もう一回」
アールグレイはすぐに言った。
「今のでよくない?」
「一音、きれいに鳴らなかった」
「分からなかった」
「私は分かるの」
二回目。
今度は崩れた一音を意識し、そこだけは綺麗に通った。
けれど、最初から最後まで音が固い。
「もう一回」
「一回目の方が好き」
「二回目は間違えてない」
「でも、聞いてて肩が凝る」
「どういう感想?」
「全部、失敗しないように歩いてる感じ」
アールグレイは楽器を下ろした。
「音楽のこと、ほとんど分からないくせに」
「だから聞く側の感想が言える」
「……それっぽいこと言わないで」
「本当だよ」
フランボワーズは録音データを開いた。
一回目を再生する。
途中の一音は、確かに少しだけ粗い。
けれど、その前後の音には自然な流れがある。
次に二回目。
音は整っている。
しかし、演奏していた本人にも、息が浅いことが分かった。
「一回目は音が前に進んでた」
フランボワーズが言う。
「二回目は、間違えないように立ち止まりながら進んでた」
「立ち止まってはいないけど」
「音の話」
「分かってる」
少し悔しい。
けれど、間違ってはいない。
アールグレイは、ワッフルからもらったお茶を一口飲んだ。
香ばしさは控えめで、あとに残る香りが軽い。
喉を潤すためというより、呼吸を一度置き直すような味だった。
中庭でもえぎが口にした言葉を、アールグレイは知らない。
それでも、お茶を選んだ理由だけは伝わるような気がした。
「もう一回だけ」
「さっきも言ってた」
「今度は、本当に最後」
「録音係として記録しておく」
フランボワーズは端末へ、
<本当に最後・一回目>
と入力した。
「一回目って何?」
「また増えた時に困らないように」
「増やさない」
アールグレイはもう一度、楽器を構えた。
今度は、崩れた一音だけを追わない。
最初の音を出した時に感じた流れを思い出す。
正しく鳴らすことより。
曲の先へ、音を渡すこと。
フランボワーズが録音を開始した。
最初の旋律が、静かな音楽室へ伸びる。
二回目よりも柔らかく。
一回目よりも迷いなく。
問題だった一音も、今度は自然に流れの中へ収まった。
最後の音が消える。
アールグレイが手を下ろした。
フランボワーズは録音を停止する。
しばらく何も言わず、データを最初から再生した。
アールグレイは無意識に指先へ力を入れていた。
「どう?」
フランボワーズは少し考える。
「今のが一番」
「本当に?」
「うん。眠くならなかった」
「それ、褒めてる?」
「かなり」
アールグレイは呆れながらも、小さく笑った。
提出用として、今の録音を保存する。
ファイル名を入力しようとすると、フランボワーズが先に操作した。
<採用>
「もっとちゃんとした名前にして」
「分かりやすい」
「提出するファイルなんだけど」
「じゃあ日付つける?」
「そういう問題じゃない」
結局、アールグレイが正式な名前へ直した。
提出画面へ送信する。
<録音データを受け付けました>
表示を確認し、ようやく肩の力が抜けた。
「終わった」
「じゃあ帰る」
フランボワーズはすぐに立ち上がる。
「本当に帰る時だけ早いね」
「座ってる時間が長かったから」
「ほとんど座ってたでしょ」
「だから足が元気」
「最初から元気だったはず」
音楽室を出る前に、アールグレイは呼び止めた。
「フランボワーズ」
「何?」
「今日は……ありがとう」
フランボワーズは少しだけ振り返った。
「次は一回で終わらせて」
「次も来るつもりなの?」
「録音係は座っていられるから」
「それが理由?」
「お茶もあるなら、もっといい」
アールグレイは空になったボトルを見た。
「ワッフルに頼んでおく」
「じゃあ次も行く」
「現金だね」
「動くには理由が必要」
二人が廊下へ出たところで、DPo-Xが同時に振動した。
<二年生 模擬戦基礎授業のお知らせ>
<来週より順次実施します>
フランボワーズは通知を読み、すぐに画面を閉じた。
「休みたい」
「出席授業」
「見学」
「全員参加」
「めんどい」
「まだ始まってもいないでしょ」
「今のうちから疲れておく」
「何の準備にもなってない」
フランボワーズは欠伸をしながら歩き出す。
アールグレイはその背中を見て、来週もまた手を焼くのだろうと確信した。
フランボワーズは言葉どおり、椅子へ座っている。
ただし、背もたれへ体重を預けすぎて、すでに眠そうだった。
「これを押せばいいの?」
「私が手を上げたら録音開始。下ろしたら停止」
「簡単」
「終わるまで寝ないで」
「努力する」
「努力じゃなくて」
フランボワーズは片手を上げた。
「はいはい」
アールグレイは楽器を構えた。
一度、ゆっくり息を吸う。
手を上げる。
フランボワーズが録音を開始した。
最初の音。
続く旋律。
練習を重ねてきた部分は、滑らかに流れる。
しかし、中盤の一音だけ、わずかに輪郭が崩れた。
最後まで演奏し、手を下ろす。
録音停止。
「もう一回」
アールグレイはすぐに言った。
「今のでよくない?」
「一音、きれいに鳴らなかった」
「分からなかった」
「私は分かるの」
二回目。
今度は崩れた一音を意識し、そこだけは綺麗に通った。
けれど、最初から最後まで音が固い。
「もう一回」
「一回目の方が好き」
「二回目は間違えてない」
「でも、聞いてて肩が凝る」
「どういう感想?」
「全部、失敗しないように歩いてる感じ」
アールグレイは楽器を下ろした。
「音楽のこと、ほとんど分からないくせに」
「だから聞く側の感想が言える」
「……それっぽいこと言わないで」
「本当だよ」
フランボワーズは録音データを開いた。
一回目を再生する。
途中の一音は、確かに少しだけ粗い。
けれど、その前後の音には自然な流れがある。
次に二回目。
音は整っている。
しかし、演奏していた本人にも、息が浅いことが分かった。
「一回目は音が前に進んでた」
フランボワーズが言う。
「二回目は、間違えないように立ち止まりながら進んでた」
「立ち止まってはいないけど」
「音の話」
「分かってる」
少し悔しい。
けれど、間違ってはいない。
アールグレイは、ワッフルからもらったお茶を一口飲んだ。
香ばしさは控えめで、あとに残る香りが軽い。
喉を潤すためというより、呼吸を一度置き直すような味だった。
中庭でもえぎが口にした言葉を、アールグレイは知らない。
それでも、お茶を選んだ理由だけは伝わるような気がした。
「もう一回だけ」
「さっきも言ってた」
「今度は、本当に最後」
「録音係として記録しておく」
フランボワーズは端末へ、
<本当に最後・一回目>
と入力した。
「一回目って何?」
「また増えた時に困らないように」
「増やさない」
アールグレイはもう一度、楽器を構えた。
今度は、崩れた一音だけを追わない。
最初の音を出した時に感じた流れを思い出す。
正しく鳴らすことより。
曲の先へ、音を渡すこと。
フランボワーズが録音を開始した。
最初の旋律が、静かな音楽室へ伸びる。
二回目よりも柔らかく。
一回目よりも迷いなく。
問題だった一音も、今度は自然に流れの中へ収まった。
最後の音が消える。
アールグレイが手を下ろした。
フランボワーズは録音を停止する。
しばらく何も言わず、データを最初から再生した。
アールグレイは無意識に指先へ力を入れていた。
「どう?」
フランボワーズは少し考える。
「今のが一番」
「本当に?」
「うん。眠くならなかった」
「それ、褒めてる?」
「かなり」
アールグレイは呆れながらも、小さく笑った。
提出用として、今の録音を保存する。
ファイル名を入力しようとすると、フランボワーズが先に操作した。
<採用>
「もっとちゃんとした名前にして」
「分かりやすい」
「提出するファイルなんだけど」
「じゃあ日付つける?」
「そういう問題じゃない」
結局、アールグレイが正式な名前へ直した。
提出画面へ送信する。
<録音データを受け付けました>
表示を確認し、ようやく肩の力が抜けた。
「終わった」
「じゃあ帰る」
フランボワーズはすぐに立ち上がる。
「本当に帰る時だけ早いね」
「座ってる時間が長かったから」
「ほとんど座ってたでしょ」
「だから足が元気」
「最初から元気だったはず」
音楽室を出る前に、アールグレイは呼び止めた。
「フランボワーズ」
「何?」
「今日は……ありがとう」
フランボワーズは少しだけ振り返った。
「次は一回で終わらせて」
「次も来るつもりなの?」
「録音係は座っていられるから」
「それが理由?」
「お茶もあるなら、もっといい」
アールグレイは空になったボトルを見た。
「ワッフルに頼んでおく」
「じゃあ次も行く」
「現金だね」
「動くには理由が必要」
二人が廊下へ出たところで、DPo-Xが同時に振動した。
<二年生 模擬戦基礎授業のお知らせ>
<来週より順次実施します>
フランボワーズは通知を読み、すぐに画面を閉じた。
「休みたい」
「出席授業」
「見学」
「全員参加」
「めんどい」
「まだ始まってもいないでしょ」
「今のうちから疲れておく」
「何の準備にもなってない」
フランボワーズは欠伸をしながら歩き出す。
アールグレイはその背中を見て、来週もまた手を焼くのだろうと確信した。
風に乗る音
翌日の放課後。
ワッフルは、昨日と同じ中庭で双葉もえぎを見つけた。
今日は花壇ではなく、木の幹へ手を当て、枝の揺れ方を眺めている。
「もえぎ!」
声をかけると、もえぎが振り返った。
「お茶の感想、聞けた?」
「聞けたよ!」
ワッフルはベンチへ座り、DPo-Xを開いた。
「アールグレイは『香りが軽くて、練習の合間に飲みやすかった』って」
「よかった」
「フランボワーズは『昼寝したい春じゃなくて、外に出てもいい春』だって」
もえぎは数秒黙り、少し笑った。
「分かるような、分からないような」
「私はなんとなく分かった!」
「ワッフルなら分かりそう」
「あと、もう一本ほしいって」
「気に入ったんだね」
「私の分まで飲もうとしたらしいよ」
「それは、お茶の感想というよりフランボワーズの感想かも」
ワッフルは楽しそうにDPo-Xへ入力する。
「おばあちゃんには、高校生三人に好評だったって伝える!」
「私は一口飲んだだけだけど」
「大事な一人だよ」
その時、校舎の向こうから楽器の音が聞こえた。
昨日試飲したお茶と同じように、軽い風が中庭を通り抜ける。
伸びた音は木々の間で途切れず、遠くまで届いた。
ワッフルが顔を上げる。
「アールグレイかな?」
「たぶん」
もえぎは、葉の揺れる音と重なる旋律へ耳を澄ませた。
「昨日より、音がまっすぐだね」
「分かるの?」
「昨日も少し聞こえてたから」
もえぎは枝の先を見上げる。
「今日は、風に引っかからないで抜けていく感じ」
「また、おばあちゃんに伝えたい言葉が増えた!」
「それは、お茶の感想じゃないよ」
「でも、お茶も少しは役に立ったかもしれないでしょ?」
「少しはね」
もえぎは笑った。
「でも、一番は聞いてくれる人がいたからじゃないかな」
ワッフルは演奏が聞こえてくる方を見た。
図書室で眠っていた録音係のことは知らない。
何度も同じ旋律を聞き。
少しぶっきらぼうな言葉で。
それでも、一番大切なことを伝えた人がいたことも。
「じゃあ、次はフランボワーズにも、お礼のお茶を持っていこう」
「また寝てるかもしれないよ」
「寝てたら、起きるまで隣で飲む!」
「それだとワッフルが全部飲みそう」
「半分は残すよ!」
「半分なんだ」
二人の笑い声が、春の庭へ広がる。
校舎の向こうでは、同じ旋律がもう一度始まった。
今度の音は、先ほどよりも少しだけ伸びやかだった。
放課後には。
レイドも、大きな事件もない。
お茶を選ぶ人がいて。
音を何度も吹き直す人がいて。
約束を忘れて眠る人がいて。
風の中で、それを静かに聞く人がいる。
別々の場所で過ごしていた時間が、ほんの少しだけつながった。
そして、その数日後。
二年生たちのもとには、模擬戦授業の時間割が届くことになる。
ワッフルは、昨日と同じ中庭で双葉もえぎを見つけた。
今日は花壇ではなく、木の幹へ手を当て、枝の揺れ方を眺めている。
「もえぎ!」
声をかけると、もえぎが振り返った。
「お茶の感想、聞けた?」
「聞けたよ!」
ワッフルはベンチへ座り、DPo-Xを開いた。
「アールグレイは『香りが軽くて、練習の合間に飲みやすかった』って」
「よかった」
「フランボワーズは『昼寝したい春じゃなくて、外に出てもいい春』だって」
もえぎは数秒黙り、少し笑った。
「分かるような、分からないような」
「私はなんとなく分かった!」
「ワッフルなら分かりそう」
「あと、もう一本ほしいって」
「気に入ったんだね」
「私の分まで飲もうとしたらしいよ」
「それは、お茶の感想というよりフランボワーズの感想かも」
ワッフルは楽しそうにDPo-Xへ入力する。
「おばあちゃんには、高校生三人に好評だったって伝える!」
「私は一口飲んだだけだけど」
「大事な一人だよ」
その時、校舎の向こうから楽器の音が聞こえた。
昨日試飲したお茶と同じように、軽い風が中庭を通り抜ける。
伸びた音は木々の間で途切れず、遠くまで届いた。
ワッフルが顔を上げる。
「アールグレイかな?」
「たぶん」
もえぎは、葉の揺れる音と重なる旋律へ耳を澄ませた。
「昨日より、音がまっすぐだね」
「分かるの?」
「昨日も少し聞こえてたから」
もえぎは枝の先を見上げる。
「今日は、風に引っかからないで抜けていく感じ」
「また、おばあちゃんに伝えたい言葉が増えた!」
「それは、お茶の感想じゃないよ」
「でも、お茶も少しは役に立ったかもしれないでしょ?」
「少しはね」
もえぎは笑った。
「でも、一番は聞いてくれる人がいたからじゃないかな」
ワッフルは演奏が聞こえてくる方を見た。
図書室で眠っていた録音係のことは知らない。
何度も同じ旋律を聞き。
少しぶっきらぼうな言葉で。
それでも、一番大切なことを伝えた人がいたことも。
「じゃあ、次はフランボワーズにも、お礼のお茶を持っていこう」
「また寝てるかもしれないよ」
「寝てたら、起きるまで隣で飲む!」
「それだとワッフルが全部飲みそう」
「半分は残すよ!」
「半分なんだ」
二人の笑い声が、春の庭へ広がる。
校舎の向こうでは、同じ旋律がもう一度始まった。
今度の音は、先ほどよりも少しだけ伸びやかだった。
放課後には。
レイドも、大きな事件もない。
お茶を選ぶ人がいて。
音を何度も吹き直す人がいて。
約束を忘れて眠る人がいて。
風の中で、それを静かに聞く人がいる。
別々の場所で過ごしていた時間が、ほんの少しだけつながった。
そして、その数日後。
二年生たちのもとには、模擬戦授業の時間割が届くことになる。