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		| 武将名 | にったよしさだ | 官軍総大将 | 
		| 新田義貞 | 統一名称:新田義貞 生没年:1301~1338
 
 「相手は足利……
 これこそ、俺の望んだ敵よ!!」
 
 足利氏の兄筋にあたる新田氏当主。
 幕府に反して挙兵すると、難所・稲村ヶ崎を突破し鎌倉を攻略した。
 建武政権では足利尊氏と対立。尊氏が反したのち後醍醐天皇より官軍総大将を任され、
 親王を戴いて北陸を転戦し、北朝方と幾度も争った。
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		| 勢力 | 琥 | 
		| 時代 | 中世 | 
		| レアリティ | ER | 
		| コスト | 3.0 | 
		| 兵種 | 騎兵 | 
		| 武力 | 10 | 
		| 知力 | 3 | 
		| 特技 | 先陣 | 
		| 計略 | 地龍走破 | 【琥煌:最大消費6】(計略発動時に消費した琥煌ゲージに応じて効果が変わる。発動後に琥煌ゲージが増加する) 武力と移動速度が上がる
 3消費:さらに突撃ダメージが上がる
 6消費:さらに迎撃ダメージと迎撃・斬撃による速度低下を受けなくなり、突撃を敵に当てるたびに覇道が前進する
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		| 必要士気 | 7 | 
		| 効果時間 | 知力時間 | 
		| Illust. | ニシカワエイト | 
		| 声優 | 阿座上洋平 | 
計略内容
		| カテゴリ | 士気 | 琥煌 | 武力 | 知力 | 速度 | 兵力 | 効果時間 | 備考 | 
		| 琥煌 | 7 | 0 | +2 | - | +60% | - | 8.8c(知力依存0.4c) | - | 
		| 1 | +3 | +70% | 
		| 2 | +4 | +80% | 
		| 3 | +5 | +90% | 突撃ダメージ+5 | 
		| 4 | +6 | +100% | 突撃ダメージ+7 | 
		| 5 | +7 | +150% | 突撃ダメージ+10 | 
		| 琥煌 極 | 6 | +8 | +300% | 突撃ダメージ+15 迎撃ダメージ、迎撃及び斬撃による速度低下無効
 突撃のたびに覇道+1
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(最新Ver.2.5.0E)
調整履歴
		| 修正Ver. | 変更点 | 内容 | 備考 | 
		| Ver.2.5.0C | 効果時間 9.6c → 9.2c | ↓ | - | 
		| Ver.2.5.0E | 効果時間 9.2c → 8.8c 琥煌ゲージ6消費時
 武力上昇値 +9 → +8
 | ↓ | - | 
所感
琥の3コスト騎兵。
コスト比高武力に特技先陣を備え、試合前半は3コストにして武力11と非常に優秀。
そのぶん知力は低く、先陣の効果が切れる試合後半との付き合い方は考える必要があるだろう。
計略「地龍走破」は単体強化としては初となる、琥煌・極に対応する超絶強化。
3消費でも超絶騎馬としてはなかなかの効果だが、基本的には多彩な追加効果を持つ6消費を狙っていきたいところ。
6消費では高い速度・突撃ダメージ上昇に迎撃/斬撃無効、さらに突撃のたびに覇道前進と非常に強力。
迎撃事故が起こらないのはもちろん、あまりの速さに槍を向けることが間に合わず突撃されることもしばしば。
覇道前進の条件が緩いこともあり、生半可な防衛手段ではたやすく突破され部隊も城もボロボロということになりかねない。
効果自体は非常に強力だが、最大の欠点はやはり消費の激しさと本人の低い知力。
琥煌・極の例に漏れず必然的に試合後半でないと使えないうえ、計略耐性の低さはどうしてもつきまとう。
大半の速度低下でも突撃は止められない妨害はまだしも、知力ダメージ計略は平時でも常に警戒を払う必要がある。
突撃を入れてこその計略であるため、効果中の突撃回数を減らされる車輪や挑発も苦手な部類。
特に士気を使わずに槍兵に車輪効果を付与する戦器「蜻蛉切」は、琥煌・極が事実上戦闘中に一度しか使えないため最大の天敵といえる。
知力依存がそこそこあることに加え後半に攻勢をかけることになる関係上、戦器「軍扇」との相性は最高。
超火力に高知力が加わるため妨害もダメージ計略もなんのその。
効果時間も伸びるため挑発だろうが車輪だろうが生半可な武力なら乱戦ですり潰す余裕までできてしまう。
他の味方も戦器の効果で攻城速度が上がるためワンスルーも難しく、乱戦や横弓で止めようとすればそこに新田が突撃で…といった具合に状況次第では手がつけられないレベルの蹂躙劇を披露することも可能。
解説
鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての御家人・武将。
『太平記』においては、前半の主人公の一人とも言える存在である。
同僚の
楠木正成がその計略を陳平・
張良に喩えられるのに対し、義貞はその将才を
韓信に喩えられる。
ちなみに
足利尊氏とは先祖を同じくする。
義貞は源義国(
源義親の弟)の長男・義重の子孫。
尊氏は源義国の次男・義康の子孫。
新田氏は『新田荘』(現群馬県太田市付近)を領土とした。後に世良田宿周辺を掌握する。
ここを治めていた世良田氏は戦国時代に三河松平氏が源氏の子孫であると証明する際に『世良田氏の末裔である』と名乗ったからと言われている(本当かは怪しいが)。
当初は楠木正成の千早城攻めに参加するなど幕府方として参陣していたが、義貞が新田荘への帰還後に幕府の徴税の使者との衝突から生じたその殺害と、それに伴う幕府からの所領没収が原因となり叛旗を翻すことになる。
1333年5月8日に義貞は挙兵し、生品神社(現群馬県太田市)で挙兵する。当初は150騎(これに徒武者を含めると倍はいたと考えられる)であったが、甲斐源氏、信濃源氏、そして鎌倉から抜け出した足利千寿丸(後の足利義詮)が合流すると兵力が増え続け20万近くに膨れ上がったといわれている。
その後は小手指原(現埼玉県所沢市)、分倍河原(現東京都府中市)で幕府軍を破るといよいよ鎌倉攻略にかかる。鎌倉七口から攻め込むが、赤橋守時等の奮戦により突破は困難を極めたが、稲村ヶ崎を干潮の時間を狙って突破する。
この時、義貞が黄金の太刀を海に投じると潮が引いて通れるようになったという伝説があるが、義貞は鎌倉に住んでいたことがある事や義貞配下は山育ちで海の事をよく知らなかったことがこのような伝説を作ったと思われる。
新田勢に稲村ヶ崎を突破された北条高時は為す術なく、東勝寺(腹切りやぐら)に追い詰められ自刃し、鎌倉幕府は滅びた。生品神社で挙兵してから半月の速さであった。
建武の新政では武者所頭人となった。尊氏謀反後は足利直義を破るが尊氏に箱根・竹之下の戦いで敗北。そのまま京へ進軍され一時は都を失うも楠木正成らと協力して尊氏を九州に落ち延びさせる。
しかし、播磨攻めで白旗城の赤松円心に苦戦し、多々良浜の戦いでなぜか勝利した尊氏が盛り返すと撤退。楠木正成と合流し、湊川(現兵庫県神戸市)で激突。この戦いで楠木正成、正孝が戦死し、義貞軍は総崩れとなり敗走した。この時に義貞は鬼丸の太刀を振り回して矢を防いだが、馬を失い危うく討ち取られそうになる。その際に家臣が身代わりとなり何とか生還した。
その後は京都を守りきれず、恒良親王・尊良親王を連れて落ち延び、北陸地方中心に戦うことになる。
この時に敦賀まで落ち延びる際に多くの凍死者を出したとされる(正月のセリフの元ネタ)。
何とか金ヶ崎城に入った義貞だが、足利軍の攻撃を受けることになる。高師泰、斯波高経らが攻めたが、堅城である金ヶ崎城は落ちることなく足利方は兵糧攻めに切り替える。その惨状は凄まじく、『太平記』は「死人の肉すら食べた」と豊臣秀吉の鳥取城攻めのような地獄絵図になった。
その後、義貞が味方を救援に行っている中金ヶ崎城は猛烈な総攻撃を受け落城。息子の新田義顕や尊良親王は自害、恒良親王は捕虜となり、後に毒殺されるなど悲惨な結果に終わったのだった。
その後は北畠顕家と連携に失敗し、石津の戦いで顕家は戦死。南朝方はさらに苦戦に追い込まれる。
建武五年(1338年)に藤島城の自軍を救援するために50騎で向かっていたところ灯明寺畷で斯波高経が送った細川出羽守・鹿草公相の軍勢と遭遇戦となり、沼地という悪地や矢や盾を持たない新田軍は一方的な乱射を受ける。
義貞も馬が多くの矢を受け投げ出され起き上がったところ、眉間に矢が命中。最期を悟った義貞は自身で首を掻き斬り、自分が大将と悟られぬように泥の中に顔を沈めて自害した。享年38であった。
その後、服装から義貞であると確認された義貞の首は市中引き回しの上、獄門に晒されることになった。この時、義貞が鎌倉滅亡時に入手した『鬼切』(童子切安綱)、『鬼丸』(鬼丸国綱)は足利家へと渡ったとされる。その後義貞は南朝から従二位大納言を追贈されている。
義貞、顕家の2人が戦死した事により状況は足利方に傾くことになる(この後観応の擾乱などで今度は足利方が分裂するが)。
義貞の評価は『太平記』では、義貞の行動は軽率で「身を慎んで行動すべきであったのに自ら取るに足らない戦場に赴いて、名もない兵士の矢で命を落とした」と、その死を「犬死」と評している。
北畠親房著の『神皇正統記』でも「むなしく戦死した」とし、上洛を躊躇していたことがその死を招いたとしている。
三木一草は、後醍醐天皇の建武政権下で重用された4人の寵臣、
結城親光・
名和長年(伯耆守)・楠木正成・
千種忠顕の総称。
南北朝の内乱に先立つ建武の乱の戦いで、延元元年/建武3年(1336年)前半に相次いで没した。
 
大戦シリーズにおいて
台詞
		| \ | 台詞 | 
		| 開幕 | 生きるも死ぬも同じことならば、俺の正義を貫くまでだ! | 
		| ├自軍に琥010_勾践 | 天下を生きる者が天を欺くことなどできない!今すぐに降伏しろ! | 
		| ├自軍に琥082_脇屋義助 | 次郎、ついて来い!俺達が行くのは、龍の一本道だ! | 
		| └敵軍に紫084_足利尊氏or紫085_足利直義 | 相手は足利……これこそ、俺の望んだ敵よ!! | 
		| 計略 | 行くぜ!この義貞が、決着をつけてやる! | 
		| └絆武将 | 道は開けた!ここからは、俺達だけの戦いだ! | 
		| 兵種アクション | 駆けろ! | 
		| 撤退 | 一歩も引くものか…… | 
		| 復活 | 追撃しろ! | 
		| 伏兵 | 十分に引き寄せ、切って落とせ | 
		| 攻城 | 初めから、ここを狙っていた! | 
		| 落城 | 天下の命運を握るつもりはない、 俺はただ、足利に一発くらわせてやりたいだけだ!
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		| 贈り物① | 仲間を飢えさせるは大将の恥。 それはお前が食ってくれ。
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		| 贈り物② | 源氏の正当でありながら、父祖代々の誉れに 泥を塗ってきた。今こそ挽回する時である。
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		| 贈り物(お正月) | 寒いのは苦手だ、凍死なんてしたら目も当てられんからな。 ……明けましておめでとう、気をつけて行けよ。
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		| 贈り物(バレンタインデー) | 美しい者が一度微笑むと国を傾けるとは、 よく言ったものだな。
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		| 贈り物(ホワイトデー) | 黄金の太刀が欲しいって? どこから聞いたんだ、罰当たりめ。 ……ちゃんと別のを用意してるから、これで我慢しろよ。
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		| 贈り物(ハロウィン) | よっしゃ、根こそぎ菓子をいただいてやろうじゃないか。 船田が来ないうちに行くぞ!
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		| 友好度上昇 | 追撃しろ! | 
		| 寵臣 | 八幡太郎義家から十七代の後裔、我こそは新田小太郎義貞! | 
		| 絆武将獲得 | 道は開けた!ここからは、俺達だけの戦いだ! | 
琥煌掛け声
		| \ | 壱 | 弐 | 参 | 肆 | 伍 | 陸 | 
		| 台詞 | いち | に | さん | し | ご | ろく | 
贈り物の特殊演出
①
		| 対象武将:琥060楠木正成 | 
		| 会話武将 | 台詞 | 
		| 琥065新田義貞 | 新田軍が一向に揃わない。大した力も無い。 「三木一草」は勢揃いだというのに……
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		| 琥065新田義貞 | いや、すまない。楠木殿は別だがな。 | 
		| 琥060楠木正成 | 敗者の歴史は勝者によって塗り替えられる。 皆の活躍は語られているものが全てではない。
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		| 琥060楠木正成 | 足利の宿敵であった新田こそが 一番の被害者だろう?
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		| 琥065新田義貞 | ああ、そうだったな。それを覆すために 俺はここに来たのかもしれない。
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②
		| 対象武将:緋006井上聞多 | 
		| 会話武将 | 台詞 | 
		| 緋006井上聞多 | ま、まさか、新田義貞公に会えるなんて……! | 
		| 緋006井上聞多 | 僕の妻は新田の末裔です! いや、それだけじゃない!
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		| 緋006井上聞多 | 義父・俊純はあなたの倒幕の意志を継ぎ 「新田勤王党」の盟主となって戦った!!
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		| 琥065新田義貞 | すごい熱量だな……しかし、そっちの人間は やたらと俺や楠木を崇めるな。
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		| 緋006井上聞多 | いえっ……あなたを神にすることは 叶いませんでした。
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		| 琥065新田義貞 | ……それでいい、神様なんてガラじゃない。 新田義貞は、一人の武将のままがいいさ。
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最終更新:2025年06月03日 21:06