肉体的苦痛は軽度。
貫かれた左胸は、`癒しの奇跡’で治療が施された。
抉られた左目は未処置のままだが、巻き付けた包帯の下からは痛みは感じない。
ただ、`熱い’だけだ。
「・・・十分」
短く呟くと、異端審問局第三課課長ロイドリッツは、墓石が立ち並ぶボケニア陵墓を疾走する。
`死角’となる左側から、鋭利な金属片が飛来する。
鋼羽。
逆十字団死徒`鋼翼の執行人’が両腕から無限に生み出す刀剣に匹敵する切れ味を持つ`羽’だ。
「・・・しかし、やりにくな」
疾走していたロイドリッツは、踏み込むはずの片足を半歩程後退させる。
鋼羽が直近した瞬間に、後退させた足に一気に体重移動。
のけぞるような姿勢で回避する。
傍目には`間一髪’かわしたように見えるだろう。
予測回避は、体に染み込んでおり、まだ少しだけ余裕がある
もう少しの間は、`左側は死角’と思わせておいた方が、都合がいい。
のけぞった姿勢から半回転。
右手に符をかざし、同時発動。
A級AF`天奏司文符’の`沃’の7番と`碧’の5番。
`沃’により複数出現した石弾を、`碧’により発生した風で射出する。
`碧5番’で発生する風は、うなる伏流。
石弾の激流は複雑な螺旋を描き、霧の奥へと隠れた鋼翼の執行人に殺到する。
手応えはない。
石弾も伏風も、対象を捕らえた異音は発してこない。
だが、霧の中に僅かな動きがあった。
何かが高速で動いた事で生まれる、霧の乱れ。
ロイドリッツは即差に`石弾を右に跳び避ける鋼翼の執行人’の姿をイメージ。
着地点を予測し、符の単独発動。
`碧’の3番。
圧縮された空気塊が、霧の中に弾丸の様に打ち出される。
重い音が響く。
今度は直撃。
だが。
「・・・よける必要なし、か」
ロイドリッツの口元に苦みを帯びた笑みが浮かぶ。
天奏司文符は53枚の符を組み合わせる事で様々な効果が発動する。
`神楽士’あっての天奏司文符と言われる所以は、ロイドリッツが組み合わせ発動を複数同時、さらには戦局を読んで使用できる所にある。
多大な集中力と精神力を代償に、ロイドリッツは連金師一個師団に匹敵する戦力を意のままに操る。
符の連動により状況に応じた千差万別の`檻’を形成し、相手の火力、数、機動力に関わらず封殺する。
それが、今。
単純な組み合わせ発動では、動きは読まれる
連動が出来たとしても、威力の低い下級の符に限られる。
「複雑にして連動的」が、「単純にして単発」に落ちつぶれている。
「まだだ、相棒」
霧の奥を見据えながら、左手で後方に静止の合図を送る。
「私も、戦えます!」
灌木の陰から、両腕を突き出した姿勢で構えていたサーシャが強い口調で抗議する。
構えた両手の間には`光の帯’。
代々受け継がれる`光の聖女の12の奇蹟’のうち、‘現在のサーシャ’が使用する奇跡は三つ。
そのうち最も得意とするのが、この‘聖壁’だ。
任意の対象に`光の帯’を巻き付ける事によって、物理攻撃、及びAF攻撃を含むあらゆる攻撃を遮断する。
「分かってるさ、だが・・・」
確認するまでもない。
サーシャの疲労は声にも出ている。
つい先ほどまで、瀕死の状態だったロイドリッツに`癒し’の奇蹟を使用していたのだ。
`光の聖女’の宿命である、下腹に刻まれた`ベスティアの聖痣’は、奇跡を使用する度に拡大する。
多少の休息が取れなけば、使用する‘奇跡’は、あと数回が限界だ。
「・・・切り札の登場は、最後だ」
ロイドリッツは、再度、符をかざす。
「その方が、カッコいいだろう?」
霧の中で動く二つの人影を、`鋼翼の執行人’の鋭敏な視力ははっきりと捕らえている。
言い争いをしているようでもあり、相談をしているようでもある。
どちらにしても無駄な事だ。
`薄い唇を震わせ、嘲笑する。
・・・ロイドリッツは限界。
状況打開を模索しながら、小細工を弄しているにすぎない。
・・・サーシャは戦闘の素人。
使用可能な`奇跡’に直接攻撃が可能なものはない。
実に、好ましい状況だ。
`鋼翼の執行人’の目的は単純。
「サーシャを逆十字団へと籠絡する」
強い信念や高潔な精神を持った者が、信じる物が崩壊し、逆十字団へ加わる。
そこには`絶対’であるものが崩壊する際に放つ、刹那の美しさがあった。
サーシャを籠絡するには、ロイドリッツを餌に使う。
餌を切り刻まれる姿を見せつけ、サーシャを揺さぶる。
どこまで、耐えられるか見物だ。
そしてサーシャもロイドリッツもこの状況にまで希望があると思っている。
希望がある限り、人はそこにしがみつく。
そこで、希望ごと、絶望に落とす。
そこで放たれる悔恨と怨差の声もまた、美しい。
「さて、仕上げといこう」
優雅に振り上げた`鋼翼の執行人’の両腕に`鋼羽’が生み出される。
肘から手首までを覆う鋼翼。
滑らかに左腕を振るうと、鋼羽はサーシャに向けて射出される。
無数の鋼羽がサーシャに殺到する。
ロイドリッツが符をかざすと、サーシャの前に石壁が出現。
鋼羽は石壁へと突き刺さる。
しかし、僅かな時間差を持って左腕から放たれた鋼羽はロイドリッツの眼前に迫っている。
回避も防御も不可能。
鋼羽により全身を貫かれたロイドリッツが、鮮血と共に崩れ落ちる。
サーシャの悲鳴が響く。
「・・・いい加減、君達は認識するべきだ」
全ては予定通りに進んでいる。
自己陶酔の中、`鋼翼の執行人’は優雅に跳躍した。
「希望などというものは、絶望より残酷だという事を」
全身を、強い衝撃が襲う。
ロイドリッツの脳幹が揺さぶられ、五感が遮断される。
暗転する視界の端で、‘サーシャ’が自分の名前を呼んでいる姿が映る。
・・・分かっているさ。
・・・君の言うことは、いつも正しい。
・・・そうだろう?、‘サーシャ’
そして、ロイドリッツの意識は過去へととんだ。
ー ◇ ー ◇ ー ◇ ー
23年前、『トーレス大聖堂制圧事件』。
聖霜祭開催中の大聖堂が、武装した異端組織に制圧された事件は、法王庁管理の異端記録誌に僅か数行で記載されるのみだ。
『大聖堂を制圧した異端組織は、祭典に参加していた枢機強他、多数の参列者、及び聖歌隊を人質とし、法王庁との直接対話を求めた。
だが、事件は異端審問間が現地入りする以前、発生から五時間後に解決する。
事件を解決したのは、たった一人の少年だった』
特別な訓練は受けていない。
聖堂の音響構造を利用し、敵を攪乱の後、分断。
大鐘楼の通っての、人質が閉じこめられていた礼拝堂を解放。
天性の身体能力を活かし、敵の首領を討ち取った。
いずれも、ただの少年にできる事ではない。
事件後、少年の身元は地元騎士団を経由して、異端審問局へと預けられる。
天性の頭脳と身体能力、鍛えれば、どこまで伸びるのか?
期待と羨望の混じった視線を一身に浴び、審問官見習いとなった少年は、この時14才。
-3年後。
「また、ここに居たのね」
一人の尼僧が重い地下室の扉を開けた。
女性にしては長身にして、筋肉質。
意志の強さが感じられる眉に、すらりとした鼻梁。
それが今、開け放たれた扉から、地上へと駆けあがっていく臭気に、きつく寄せられる。
地下室の中は、騒然としている
照度を落とした間接照明。
度数の強い酒と、テーブル毎に積まれたコイン。
屈強な男達と、薄布をまとっただけの女達。
聖ロンバルディアの裏路地にある違法賭博場。
本来であれば、尼僧が立ち入る場所ではない。
『トーレス大聖堂開放の天才少年』が、入り浸っていなければ。
「また、ここに来たのか?」
部屋の中央にいた若い男が半笑いを浮かべ、くわえた刻みタバコから紫煙を吐いた。
重厚なルーレット台に腰を掛け、周囲には飲み干したグラスが散乱している。
細身の体に、はだけた上着。
端正な顔立ちと、無精髭。
飲み掛けのラム酒。
常習化した喧嘩を証明するような、床と壁の傷。
男を中心に広がる、屈強な取り巻き達。
「定例会議までサボって、こんなところで海賊気取り?いいご身分ね」
尼僧は、深いため息をつく。
失望とも冷笑ともとれるその態度に、周囲の男達が血色を荒げる。
「海賊、この俺が?
略奪行為なんぞ、したことはないぜ。奪われる事ならしょっちゅうだがな」
「呆れるわ。地位も名誉も兼ね備え、将来を期待されている貴方が、何が楽しくて海賊ごっこに興じているの?」
「いっただろう。`奪われる’からさ」
「誰が?」
「法王庁が」
「何を」
「俺の才能を」
「どいつもこいつも`天才’に頼ってばかりだ。
才能がないから、努力、努力、努力。
くだらないね。
実に、くだらない」
尼僧の目の色が変わった。
失望と怒り。
「言いたいことは、それだけかしら?ロイドリッツ・ヴァレンタイン」
「三年前に、素人同然の俺を面倒みてもらった恩は忘れていないぜ、ゲアリンデ・ローンナイト。
だから、俺とこうして喋っていられる」
大げさに肩を揺らし、再度煙草に火をつける。
「さすが、`天才’はいう事が違うわね」
ゲアリンデは手時かなテーブルからコップを取る。
中に入っていた液体をロイドリッツに向かってぶちまける。
だがロイドリッツは左手を軽く降り、投げかけつけられた液体を、手にしたグラスにそそぎ込む。
造作もない。
回避行動、厳密に言えば予測回避はロイドリッツの得意とする行動だ。
相手の初動さえ見えていれば、刀剣だろうと銃弾だろうと,回避できる攻撃は確実に回避する。
「君は、そう思わないかい、」
手にしたグラスを傾け、中味を舐める
「そう思うのは、あなたぐらいよ、ろくでなしの天才さん」
「そのろくでなしを飼っているのは、人殺し集団の法王庁様だぜ」
その瞬間、ゲアリンデの中で何かがはじけた。
怒り。
屈辱。
そして、もっと根元的な攻撃衝動。
それらが絡み合い、混ざりあい、爆発した
「あなたという人は!」
薄暗い地下室に怒声が響く。
同時に、ロイドリッツは顔面に強い衝撃を受け、が後方に仰け反る。
金属棒で、思い切り殴られたかのような痛み。
咥えていた煙草が吹き飛ぶ。
鼻血が飛び散り、上着を汚す。
「・・・なんだ?」
何も、見えなかった。
ゲアリンデはロイドリッツを攻撃するような動きは何一つ見せていない。
例え錬金術、あるいはAFだろうと。
「・・・まさか」
「法王庁を、貴方はそ視点でしかみれないの?」
再び衝撃。
こめかみが切れる
一瞬、意識が飛びかける。
「ハハハッ、そういう事か」
口の端からも血を流し、ロイドリッツは乾いた笑いを浮かべる。
武器も、錬金術も、AFも使用しない攻撃手段。
動作は一切不要であり、念じる、あるいは祈るだけで発動する。
`異能力’
あるいは法王庁では、こう呼ばれる。
`奇蹟’と。
「・・・君が、継承者だったのか」
袖口で顔を濡らす血を拭う。
「`奇蹟の使い手’`光の聖女’サーシャ」
先代`光の聖女’、`サーシャ’マーナ・モーテが召されたのが、半年前だ。
以降、、第四課は後継者をアスガルド全土で探し続けていた。
`ベスティアの聖痣’を受け継ぎ、`奇跡’を使用する新たな`光の聖女’を。
「初めてじゃないのか。異端審問官から`聖女’様になるっていうのは」
「もう一度聞くわ、ロイドリッツ・ヴァレンタイン」
「聞かれる前に、答えてやるよ、`聖女’様」
血塗れの顔で薄笑いを浮かべると、煙草臭い唇を釣り上げる。
「法王庁は最高だ。最高の人殺し機関だ」
覚悟はしていた。
だが、次の一撃はその予想の上をいった。
ハンマーの様に重く、全身の骨が軋む。
衝撃に耐えられず、腰掛けていた重厚なルーレット台が砕け、ロイドリッツの体が吹き飛ばされる。
「・・・ふっ」
それでも、ロイドリッツの口の端には、余裕の笑みがうかんでいる。
吹き飛ばされる間、右手の袖口からカードが部屋中に散乱する。
乱雑に散乱したようで、計算通りに部屋中に配置されたカードの名前を、ゲアリンデは知っている。
「・・・`天奏司文符’」
頭脳明晰、質実剛健な肉体を持つ異端審問官なら大勢いる。
優れた資質を限界までの鍛錬するという努力に耐えられた者だけがたどり着ける職業、それが異端審問官だ。
だが、この`天奏司文符’を使いこなす事は、異端審問官の誰一人成し遂げる事は出来なかった。
ただ一人、ロイドリッツを除いて。
だから、異端審問局で誰も呼ばれた事のない二つ名で呼ばれている。
ありふれた、特別な二つ名。
`天才’と。
「けどね。私は貴方の教育係だったのよ。・・・何でもお見通しよ」
「・・・なんだ?何をした?」
ロイドリッツの声に初めて焦りの色が浮かぶ。
体が動かない。
指先から爪先まで、全身が白く変色している。
まるで塩の柱だ。
「四課では、`白光’と呼ばれているわ。二代目様以来、私で使えるのは三人目らしいけど」
ゆっくりと、ゲアリンデが歩み寄る。
「・・・懺悔があるならどうぞ。ロイドリッツ」
薄暗い地下室に、二人の人影が残った。
白く硬化したロイドリッツ。
厳しい眼光のゲアリンデ。
ロイドリッツの取り巻き達は、とっくに逃げ出している。
「だから言ったろ?」
ロイドリッツは血の混じった唾を吐き出しながら、答える。
全身は硬化しても口だけは動くらしい。
「聞かれる前に答えてやるって。
人殺し組織の`聖女’様」
「・・・本当に、馬鹿ね」
ゲアリンデが、ロイドリッツに近づこうと足を踏み出すと、床に散乱した数枚の符が淡く輝く。
「んっ!!」
足下からの轢弾と真空刃。
尼僧服と共に皮膚が斬り裂かれ、吹き飛ばされた頭巾の下からは金髪がこぼれる。
「遅延発動の符。・・・`白光’を浴びる前に配置していたの?」
「・・・とっくにご存じだったんじゃないのかい?」
薄ら笑いが地下室に響く。
「おまえ達が天才、天才ともてはやす俺の才能は、人殺しにしか役に立たないって事をな!」
「おまえ達は、俺を必要としているんじゃない。
俺の才能が欲しいんだ。
くだらない俺に入っていただけの、くだらない才能。
そんなものを有り難がる、くだらない組織」
無理矢理笑っていたはずなのに、いつしか怒声に変わっていた。
「法王庁はいつだって、奪うだけだ!
俺の自由を!」
ロイドリッツは止まらない。
堤防が決壊したかのように、心の奥からわき出る感情を言葉にする。
「・・・あの日だってそうだ。
聖堂の制圧事件が起きたあの日だって、俺は聖堂音楽隊の演奏が聞きたかっただけだ!
なのに、おかしな連中が聖堂を占拠した!
だから排除したんだ!
ほめて貰いたかった訳でも、法王庁に入りたかった訳でもねえ!
ただ、歌が聞きたかっただけなんだ!」
怒声が、泣き声に変わる。
長年、胸に溜まっていた鬱屈した思い。
求められた事が出来てしまう故に、押し込めていた思い。
その全てが`聖女’の前で溢れる。
「・・・本当に馬鹿ね」
ゲアリンデはロイドリッツに触れると、`白光’が解除され、白く硬化した体が元へと戻る。
「歌が聞きたくなったら、いつでも私の所にいらっしゃい。・・・私が好きなだけ歌ってあげるわ」
崩れ落ちるロイドリッツの体を支え、ゲアリンデは優しく微笑む。
異端諮問局が理解できなかった、並外れた才能を持った天才。
異質な天才、常識外れた奇人と呼ばれた彼は、年相応の心を持った少年だった。
思い通りにならない苛立ち。
自分の能力と対応しなくてはいけない現実への不安。
十代の頃に、誰もが体験する当たり前の事。
それを今日、全てさらけ出し、ぶつけてくれた。
大丈夫だ。
多少の寄り道をすたが、また歩き出す。
ロイドリッツはそれだけの強さを持っている。
「・・・帰りましょう、ロイドリッツ」
ゲアリンデは、ロイドリッツの肩を優しく叩く。
「お腹が空いたわ。何か食べたいものはある?」
「・・・黒パンと羊肉シチュー、あと杏子の蜂蜜がけ」
思わず、笑う。
典型的な家庭料理だ
三年前、初めてあったときも、同じ事を言ったのを思い出す。
「いいわ。帰ったら作りましょう。
ただし、お皿は貴方が洗うのよ」
ー ◇ ー ◇ ー ◇ ー
「`自分が戦えたら、この男は死なずにすんだ’、そんなことを思っていませんか?」
霧は更に濃くなり、ボケニア暮稜全体を白く塗りつぶす。
仰向けに倒れたロイドリッツの左胸を中心に放射状に突き刺さった鋼羽が、霧の中辛うじて差し込む月光を照らしている。
「14代続く`光の聖女’の中でも、貴方だけのようですね。`聖撃’が使えないのは」
`鋼翼の執行人’は薄く笑い、軽く跳躍。
ロイドリッツに駆け寄ろうとするサーシャの前に、立ちふさがる。
「人の痛みがお分かりになる、お優しい聖女様は、傷つく他者を見て、さぞかし悩まれているのでしょう」
右手を胸に添える、古典式の優雅な一礼。
「なぜ、歴代の`光の聖女’のように、戦列に加われないのだろう。なぜ、自分は戦えないのだろう。
・・・その答えを見つけてあげましょう、`聖女様’」
「・・・余計なお世話です」
サーシャは、はっきりと答える。
「そこをどいて下さい」
「ククッ」
喉の奥で笑う。
「貴方には私をどける力がない、というお話をしているのですよ。
理解されているのでしょう?」
「確かに私の使える`奇跡’は、歴代の中でも最少。
`癒し’に`聖壁’、そして・・・」
腕を自分の肩に添え、纏った白いケープをはぎ取る。
下に着込んでいたのは、体にフィットした動きやすい皮服。
同時に、奇跡を発動する。
「`羽衣’!!」
薄い光が体を包み、体が羽のように軽くなる。
そのまま、力強く駆け出す。
初速から最高速。
効果は一瞬。
初動で、不意を撃つ。
サーシャは、腰から下げた短筒を構える。
衝撃を与えれば、対象を氷塊で覆うAFだ。
「・・・お見事です、聖女様」
‘羽衣’の効果は、対象を軽くすること。
人体に使用すれば行動速度は飛躍的に上昇するが、知覚まで上がる訳ではない。
速すぎる動きに振り回されないためには、直線的な動きに限定される。
「刺し違えるおつもりでしたか。・・・どうやら貴方の覚悟を見誤っていたようだ」
‘鋼翼の執行人’自身、接近戦は不得手としている。
無限に生み出される‘鋼羽’を使用した、中長距離戦。
この内側に入り込まれるのは、あってはならない事であり、
ましては、素人同然のサーシャに懐に飛び込まれるなど、計算外だ。
「しかし、甘い!甘い!甘い!」
‘鋼翼の執行人’は嗤いだす。
突貫したサーシャは、短筒を突き出した両腕が‘鋼翼の執行人’に届く手前で止まっていた。
空中に浮く、無数の鋼羽によって。
「あ、あ・・・」
サーシャの唇からうめき声が漏れた。
左右の上腕部を、無数の`鋼羽’が貫いている。
肉を断たれる激痛。
穏やかな顔が苦痛に歪み、苦悶のうめき声が漏れる。
鮮血と共にじんじんと滲むような痛みが腕の骨を通し、体内まで浸食してくる。
「ははっ、お気の毒に」
至極丁寧、そして悪意に溢れる口調。
鋼翼の執行人の四方に十数枚の通常より大振りの`鋼羽
’が浮遊している。
‘葬追羽’。
一度生成されれば意識しなくとも、一定以上の速度で接近する物体に対し、自動的に迎撃する。
いわば、自動防御専用の護剣。
接近戦を不得手とする鋼翼の執行人だからこそ必須であり、不得手故に発生する隙を勝機にする。
だが、サーシャは倒れない。
流血と共に抜け落ちる気力を振り絞り、崩れ落ちそうになる体を必死に支える。
苦痛に耐えるまさしく‘聖女’と言えるその姿に、鋼翼の執行人は眉を歪める。
「まだ、理解しないのか!?」
これまでの芝居がかった口調から一転し、叱咤するかのような鋭い声を、苦痛に喘ぐサーシャに浴びせる
「幸福とは何だ!?」
`死葬羽’を四方に展開浮遊させながらサーシャに近づく。
汚れてもなお輝きを失わないサーシャの金髪を無造作に掴むと、逆手でサーシャの頬を張る。
耐えられず、サーシャは崩れ落ちる。
「他人より満ち足りた自分に満足する事だ!」
うずくまるサーシャを靴の先で蹴りとばす。
「貴方は生まれつき優れた人間だ。
代えなど有り得ぬ、唯一無二の存在。
‘聖女’如き、代えがきくほかの連中に任せておけばいい」
仰向けに倒れたサーシャの腹部を踏みつけ、押さえつける。
苦痛の吐息を漏らすサーシャに、`鋼羽’が張り出した左腕を向ける。
「貴女は、生まれつき優れた人間なのだから」
踏みつけられた足を掴み身をよじるサーシャに対し、更に踏足に体重をかける。
「今こそ、逆十字の元へ誘おう!
さあ誓うのだ、サーシャ・アトワイデ・リンデンバーグ!
今こそ、貴方が貴方である存在理由を確かめよ!
貴方しか手に入れる事の出来ない幸福で溺れてみよ!
逆十字の導きの元、古きサーシャの名を捨て、新たな死徒として生誕するのだ」
すがるようなゆっくりとした動きで、サーシャは鋼翼の執行人に向けて血塗れの手を伸ばす。
墜ちた。
鋼翼の執行人が確信し、哄笑を上げようとした瞬間だった。
「お断りします」
静かだが、毅然とした返事。
「なっ?」
「戦えなくても、聖撃が使えなくても、私は`サーシャ’です。
`サーシャ・アトワイデ・リンデンバーク’。
幸福の意味なら十分に知っています」
瀕死の状態でありながら、力強い言葉に鋼翼の執行人は、サーシャの顔をのぞき込んだ。
苦痛と恐怖で精神を崩壊させてしまった、との悔恨が頭をよぎる。
だが、鋼翼の執行人をとらえたのは、強靱な意志の光りを帯びたサーシャの蒼瞳だった。。
サーシャを籠絡させるはずの手順は完璧だったはずだ。
現にサーシャは全ての選択権を鋼翼の執行人に委ねられた姿を晒している。
生と死。
逆十字団と法王庁。
だが、サーシャは回答が明白な単純な選択を拒絶する。
サーシャは時間をかけ、籠絡させるはずであった。
完全に理解の範疇を越えた返答に、鋼翼の執行人は激高した。
`サーシャ籠絡’という完璧な絵画にも通じる芸術的なシナリオを、無粋な筆で邪魔をされた。
拒絶された屈辱は、ただちに排除しなくてはならない。
「ならば、苦痛に溺れよ!!!」
一斉に、両腕の`鋼羽’が展開する。
「・・・壁よ」
右手を差し上げたまま、サーシャは呟く。
「・・・誇りとなれ」
サーシャの手のひらに光が宿る。
瞬時に光の壁となり、四方に展開。
サーシャを踏みつけていた足をはじかれ、鋼翼の執行人は後方にはじかれる。`
「ちぃ!!」
空中で姿勢制御し、`鋼羽’を射出。
光の壁は、その輝きが見えなくなる程、`鋼羽’によりびっしりと覆われた。
「防御奇跡だけは、`サーシャ’の名に恥じぬ、というわけか!?
だが、精神が疲弊すれば、奇跡は使え・・・」
嘲笑が、突然塞がれる。
光の壁を覆っていた`鋼羽’が急速に鋼翼の執行人に向け逆流してくる。
いや、違う。
光の壁が急速に拡大し、`鋼羽’を押し返している。
迫りくる百を越える`鋼羽’に対しては、十数本の`死葬羽’は、役に立たない。
「ごっ!!」
回避を試みるが、爆発に巻き込まれるように、拡大する光の壁に吹き飛ばされる。
背中を、石の壁に叩きつけられ、静止する。
石の壁?
なぜそのようなものがここにある?
朦朧とする視界の端に、ボロボロに切り裂かれた神父服の男が写る。
ロイドリッツ・ヴァレンタイン?。
致命傷はどうした!?
そこで、始めて自分が置かれている状況を理解する。
光の壁はなおも広がり続け、眼前まで迫っている。
「待って!待ってくれ!!許して・・・」
直後、更に加速した光の壁が石壁と衝突。
轟音が、鋼翼の執行人の絶叫をかき消した。
「・・・見事なもんだ」
ゆっくりと消滅していく‘聖壁’を見ながらロイドリッツは呟くと、かざした符を懐を納めた。
`沃の6番’。
石壁を生成する、瞬時発動型。
先ほどからの戦闘で、防御用として何度も使用した。
負傷を負った身ではあるが、単独使用であれば、発動に支障はない。
ロイドリッツの符による「壁」と、サーシャの奇跡による「壁」の同時発動による迎撃。
サーシャが戦闘に参加する意志を示した時点で、切り札は決めていた。
劣勢を引き戻す、起死回生の一撃。
狡猾にして用心深く、長距離戦を得意とする鋼翼の執行人の裏をかく秘策。
「はまれば、あっさりしたもんだが・・・」
その功労は、大部分はサーシャによるものだ。
上着に付いた土埃を払うと、左胸を中心に放射状に`刺さっていた鋼羽’が抜け落ちる。
抜け落ちた上着の隙間から、`光’が漏れた。
「こっちはご覧の通りだ。そっちはどうだ?」
ロイドリッツは、サーシャに向かって上着をはだけ、上半身に巻き付いた、`光の帯’を見せる。
個人対象に絞り、変型発動させた`聖壁’。
戦闘が始まった直後、サーシャが密かにロイドリッツに対して使用した。
以降の戦闘は、ロイドリッツの`間一髪で回避する’`符の発動により防御する’という行動により、`光の帯’の存在を隠蔽する。
ロイドリッツ自身が、一度死兵となる事で、確実な勝機を引き寄せる。
「大丈夫です。思ったより疲れていません。ただ、・・・少し痛いです」
座り込んだサーシャに歩み寄ったロイドリッツは、真っ赤に染まったサーシャの尼僧服の袖を確認する。
かろうじて笑みを浮かべているものの、目つきは朦朧とし、青白い顔色は明らかに貧血を起こしている
早急な応急処置が必要だ。
「`拡大聖壁’には自信があったんです。
一年前の赤痣咳事件の時に三回使いましたから。
あの時は、雨が降っていて、聖壁は、雨を防ぐんですけど、その分、聖壁にかかる負荷も増えてしまって、三回張直しました。
随分と効率の悪い傘だって、シスター・エレナに笑われましたけど」
にも関わらず、サーシャはしゃべり続けている。
不慣れな実戦に晒された極度の緊張。
連続使用した奇跡による疲労。
鋼翼の執行人に痛めつけられた負傷。
戦闘が終了しても、それらを隠すように、精神が高ぶり続けている。
いわゆる、ハイになっている状態だ。
「・・・少しばかり、痛いぞ」
まずは治療が先決と判断する。
脇の下を押さえ、自身の革ベルトに挟んだポーチより取り出した細紐で縛り、上腕部を止血。
携帯用小瓶に入った消毒薬液をかけ、包帯できつく巻き付けていく。
傷は痛むはずだが、サーシャは「痛い」とは言わない。
その代わりいに、饒舌さが次第に無口になっていく。
負傷の治療を視覚的にも認識し、安心したのか、ゆっくりと眠りにつこうとしている。
「サーシャ、おい、サーシャ!」
酷ではあるが、この状況で眠らせる訳にはいかない。
サーシャの下腹部は、尼僧服の上からでもはっきりとわかるほど、蠢いている。
ベスティアの聖痣。
歴代の`光の聖女サーシャ’に宿る`生きている痣’。
聖女に桁違いの`奇跡’の力を授ける代償に、使用に応じて生命力を吸収する。
今、サーシャが昏睡すれば、無防備となった精神・肉体ともに、脈動するベスティアの聖痣に蹂躙される。
かつての`サーシャ’、ゲアリンデの様に。
「眠ってもいいが、その前に俺の話を聞いてくれるか?」
何でもいい。
話しかける話題が必要だった。
応急処置の手は休めず、話しかける。
「実は、第四課の課長を狙っているんだ。譲ってくれないかね?」
「あら?」
サーシャの気を引くための、方便。
案の定、サーシャは食いついた。
「でも、四課課長の規定は聖女である事です。
ロイドリッツさんは`聖女’になれませんよ?」
「規定なんぞ、変えちまうのさ」
ロイドリッツは会話を引き延ばす。
「そもそも、課長が聖女である必要はない。
特別であるから、俺みたいな人間に利用されて、貧乏くじを引くハメになる」
「私は、ロイドリッツさんに利用なんかされてませんよ?」
「逆十字団死徒を倒すのに、君の力を利用した。・・・その結果が、これだ」
「私は助けてもらったと思っています」
包帯を巻き終えると、ロイドリッツは首を振る。
「特別な聖女は、特別な責任を果たさなければならない。
俺みたいな小賢しい人間は、その責任に付け込んで利用する」
「だったら、私は利用してもらったほうが助かります。
`聖撃’も使えない私が、ロイドリッツさんに利用してもらうことで、戦えたんですから」
サーシャは、微笑む。
「ロイドリッツさんの言う特別な`責任’は、私は`特権’だと思っています。
何にも持たない私が、聖女になった事での`特権’で、誰かの助けになる事ができます」
「その代償に、ベスティアの聖痣に体を蝕まれてな。
・・・自分だけが損をする、何の見返りもない特権だ」
「見返りならあります。私が助ける事で、誰かが幸せになってくれれば、私も幸せですから」
「そうか。譲る気がないと、四課の課長は諦めなければならないな」
ロイドリッツは、長髪を掻いた。
サーシャの言葉に、安堵感を覚えている自分に気づく。
気を引くための方便のつもりが、いつの間にか本心に近い心情を語っていたようだ。
あるいは、聖女であるサーシャに、天才と言われ異端審問官になる事を義務づけられた、かつての自分を重ねていたのか。
逆十字団に幸福を与えられる必要もない。
ロイドリッツに責任を肩代わりしてもらう必要もない。
サーシャは今、力強く生きている。
「ここまでは、建前でな」
脈動するベスティアの聖痣が沈静化してきたのを確認した。
もう、大事には至らないだろう。
「本当は、尼僧比率が高いから四課に行きたかったんだ。
課長が無理なら、お茶菓子を持参で円卓会議にも参加させてもらうか」
「やっぱり。
でも、残念でした。うちのシスター達はしっかりしてますから・・・」
言いながら、サーシャは眠りについた。
「さて」
眠りに落ちたサーシャを優しく横たえると、ロイドリッツは、左目を締める包帯を巻き直す。
審判の門へと向かった、イルドルフ。
それを追ったライナス・バルグ。
残っている逆十字団。
迎え打つ、アダスタ。
どういう結果になろうとも、歴史的な瞬間に立ち会える。
「俺も、`特権’を行使させてもらうとするか」