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悲壮南台の爆死
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悲壮南台の爆死
山本周五郎
山本周五郎
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)中尉《ちゅうい》
(例)中尉《ちゅうい》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)村|中尉《ちゅうい》
(例)村|中尉《ちゅうい》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定]
(数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#感嘆符二つ、1-8-75]
(数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#感嘆符二つ、1-8-75]
[#3字下げ]一、やっちゃれ![#「一、やっちゃれ!」は中見出し]
「小隊長殿、大変です」
「どうした」今村|中尉《ちゅうい》は塹壕《ざんごう》の中から顔をあげた。
「向うの独立家屋の中で、吃九《どもきゅう》が六名の支那兵《しなへい》と戦っております、苦戦です」今村中尉は拳銃《ピストル》を片手に、ひらりと塹壕をとび出した。知らせにきた木口《きぐち》二等兵は、とっさに踵《きびす》をかえすと、中尉の先にたって走りだした。
独立家屋というのは、森の中にある支那人の一軒家で、支那軍の本営だったのだが、前日の戦闘で、支那軍がすてていった建物である。中尉は疾風のように走ってくると、いきなり扉《ドアー》をあけて、
「柿内《かきうち》! 柿内はいるか※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
「ちゅ、ちゅ、ちゅ」暗い室《へや》のすみで声がした。
「無事か※[#感嘆符疑問符、1-8-78]」中尉は喚《わめ》きながら、声のする方へとんで行った。――と暗がりの中から、
「ちゅ、ちゅう」
といいながら、一人の二等兵があらわれた。
「どうした、怪我《けが》はないか」
「あ、ありません、ちゅ、ちゅう――」
「――?」「中尉殿!」やっといった。
「貴様、己《おれ》を鼠《ねずみ》みたいによぶな!」
「は、はい、ちゅう、ちゅ!」
「もう止《や》め! 全たいどうしたんだ、六名の支那兵という奴《やつ》はどこへいった」
吃九こと、二等兵柿内|九太郎《きゅうたろう》は、にやりとしながら、部屋の隅を指さしてみせた。そこには襤褸布《ぼろぎれ》のようになって、数名の支那兵が倒れている。中尉は思わず呻《うな》った。
「ちゅ、中尉殿に伺いますが、し、し、支那人には、胃の腑《ふ》がねえのであります。か」
「胃の腑――?」
「胃袋かな」
「どっちでも同じだ」
「へへへへ」吃九はお世辞笑いをして「その胃袋が、ねえのですか」
「貴様、どうかしとるな、支那人だって人間だ。胆《きも》っ玉はしらぬが、胃の腑くらいはあるにきまっとるぞ!」
「おかしいな」吃九は首をかしげて、
「あ、彼奴《あいつ》、お、己の口へ手を突込みやがったが、そ、それじゃ胃袋を取る気じゃなかったのかしらん」
「――」中尉は呆《あき》れて、ぐいと吃九の腕をつかんだ。
「帰るんだ、命令なしに戦線をぬけたりして貴様、軍規にふれるのを知らんか、さあ早くかえるんだ!」
「ま、待って下さい」
「なんだ」
「み、み、土産があるのです」吃九は部屋の隅へいったが、やがて大きなズックの袋をかついでやってきた。
「ぎ、銀貨です」
「なにい?」
「北京貨《ペキンか》で、五|万元《まんげん》あるのです」
「――?」中尉は口あんぐりだった。
帰隊するとすぐに、葛木《かつらぎ》大佐からよばれた。もちろん吃九の行動を問罪《もんざい》するためだ。しかし、吃九の弁明は正しかったので、結局軍法の罰はうけずにすんだ。それによると――。
彼はその朝、右翼に一人はなれていたのである。ところがそこへ、顔見知りの苦力《クーリー》がきて、煙草《たばこ》を一本くれれば、素的《すてき》な秘密をおしえてやるという、そこで望みどおり出してやると、――昨日まで支那軍本営であった、向うの支那人家屋の中に、五万元の銀貨がある、それをいま六人の支那兵がそっと取りにきている! という話だった。すでに、支那兵がもどってきているというだけで大事件だ、おまけに五万元の銀貨があるといえば、のっぴきならぬことだ、直ちに司令部へ走ろうと思ったが、そんなことをしているうちに、もし支那兵に逃げられでもしたら失敗だ。
――くそっ、やっちゃれ! というので、戦友木口二等兵に伝令を頼んで、単身そのまま乗込んだのであった。
「よし、柿内二等兵の行動は、機宜の処置とみとめる、帰ってよし!」大佐は晴やかにいった。
「どうした」今村|中尉《ちゅうい》は塹壕《ざんごう》の中から顔をあげた。
「向うの独立家屋の中で、吃九《どもきゅう》が六名の支那兵《しなへい》と戦っております、苦戦です」今村中尉は拳銃《ピストル》を片手に、ひらりと塹壕をとび出した。知らせにきた木口《きぐち》二等兵は、とっさに踵《きびす》をかえすと、中尉の先にたって走りだした。
独立家屋というのは、森の中にある支那人の一軒家で、支那軍の本営だったのだが、前日の戦闘で、支那軍がすてていった建物である。中尉は疾風のように走ってくると、いきなり扉《ドアー》をあけて、
「柿内《かきうち》! 柿内はいるか※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
「ちゅ、ちゅ、ちゅ」暗い室《へや》のすみで声がした。
「無事か※[#感嘆符疑問符、1-8-78]」中尉は喚《わめ》きながら、声のする方へとんで行った。――と暗がりの中から、
「ちゅ、ちゅう」
といいながら、一人の二等兵があらわれた。
「どうした、怪我《けが》はないか」
「あ、ありません、ちゅ、ちゅう――」
「――?」「中尉殿!」やっといった。
「貴様、己《おれ》を鼠《ねずみ》みたいによぶな!」
「は、はい、ちゅう、ちゅ!」
「もう止《や》め! 全たいどうしたんだ、六名の支那兵という奴《やつ》はどこへいった」
吃九こと、二等兵柿内|九太郎《きゅうたろう》は、にやりとしながら、部屋の隅を指さしてみせた。そこには襤褸布《ぼろぎれ》のようになって、数名の支那兵が倒れている。中尉は思わず呻《うな》った。
「ちゅ、中尉殿に伺いますが、し、し、支那人には、胃の腑《ふ》がねえのであります。か」
「胃の腑――?」
「胃袋かな」
「どっちでも同じだ」
「へへへへ」吃九はお世辞笑いをして「その胃袋が、ねえのですか」
「貴様、どうかしとるな、支那人だって人間だ。胆《きも》っ玉はしらぬが、胃の腑くらいはあるにきまっとるぞ!」
「おかしいな」吃九は首をかしげて、
「あ、彼奴《あいつ》、お、己の口へ手を突込みやがったが、そ、それじゃ胃袋を取る気じゃなかったのかしらん」
「――」中尉は呆《あき》れて、ぐいと吃九の腕をつかんだ。
「帰るんだ、命令なしに戦線をぬけたりして貴様、軍規にふれるのを知らんか、さあ早くかえるんだ!」
「ま、待って下さい」
「なんだ」
「み、み、土産があるのです」吃九は部屋の隅へいったが、やがて大きなズックの袋をかついでやってきた。
「ぎ、銀貨です」
「なにい?」
「北京貨《ペキンか》で、五|万元《まんげん》あるのです」
「――?」中尉は口あんぐりだった。
帰隊するとすぐに、葛木《かつらぎ》大佐からよばれた。もちろん吃九の行動を問罪《もんざい》するためだ。しかし、吃九の弁明は正しかったので、結局軍法の罰はうけずにすんだ。それによると――。
彼はその朝、右翼に一人はなれていたのである。ところがそこへ、顔見知りの苦力《クーリー》がきて、煙草《たばこ》を一本くれれば、素的《すてき》な秘密をおしえてやるという、そこで望みどおり出してやると、――昨日まで支那軍本営であった、向うの支那人家屋の中に、五万元の銀貨がある、それをいま六人の支那兵がそっと取りにきている! という話だった。すでに、支那兵がもどってきているというだけで大事件だ、おまけに五万元の銀貨があるといえば、のっぴきならぬことだ、直ちに司令部へ走ろうと思ったが、そんなことをしているうちに、もし支那兵に逃げられでもしたら失敗だ。
――くそっ、やっちゃれ! というので、戦友木口二等兵に伝令を頼んで、単身そのまま乗込んだのであった。
「よし、柿内二等兵の行動は、機宜の処置とみとめる、帰ってよし!」大佐は晴やかにいった。
[#3字下げ]二、トンヤアルウ[#「二、トンヤアルウ」は中見出し]
その夜、十時すぎた頃だった。
たん! たんたん※[#感嘆符二つ、1-8-75] 二三発の銃声がきこえたと思うと、前線|歩哨《ほしょう》が駈《かけ》もどってきて、
「逆襲! 敵軍逆襲※[#感嘆符二つ、1-8-75]」と叫んだ。
「わあっ――」
潮《うしお》のように聞える敵軍の喚声。しかも、それは今村小隊の戦線にむかって、猛烈な勢《いきおい》で突撃してくるのだ。
意外といって、これほど意外なことがあろうか、なにしろ前日の戦闘で、敵軍は遠く十|哩《マイル》の彼方《かなた》へ退却したはずだ。その時|直《ただち》に追撃戦にうつるべきだったのを、司令部の命令で、他の戦線との連絡上、そこに止《とどま》っていたのだが、退却した敵軍は甚大《じんだい》な損害を払っているし、ほとんど中央軍は全滅にひとしかったはずだ、それが、精鋭すぐって、不意の逆襲だ。
「戦闘位置につけ!」
命令よりはやく、今村小隊は塹壕によって防備についたが、潮のように押よせてきた支那兵は、早くも塹壕に雪崩《なだ》れこんできた。
「くそっ、ちゃ、ちゃ、ちゃんころ奴《め》!」
吃九は嚇《かっ》と怒《いか》って、銃を持なおすと、瞬《またた》くまに三人ばかり、そこへ銃剣で突倒《つきたお》した。
「わあ――わっ」という声。
たん! たんたん※[#感嘆符二つ、1-8-75] だだだだだだ※[#感嘆符三つ、488-4] 小銃と機関銃の錯雑した響き、そして銃剣のふれあう音、とび散る血潮、倒れる兵、刺ちがえて死ぬ者、断末魔の呻《うめ》き。
「わあ――っ」狂ったような喚声だ。
その夜の支那軍の突撃隊は、空前の勇敢ぶりを示した。彼らは驚くべき意志で、敢然と戦ってて一歩も退かなかった。しかし悲しいかな、その勇敢は賞すべきも銃剣術が未熟だ、胆力《たんりょく》が不足だ。日本軍の規律ある訓練と、忠と義との烈々たる魂にむかっては、せっ角《かく》の勇気も手の出しようがない、見る見るうちに、突斃《つきたお》され射斃《いたお》されて、塹壕内は支那勇敢隊の死骸《しがい》の山となった。
「こ、この野郎!」
吃九は一人の巨漢ととっ組合っていた。
巨《おお》きな支那兵で、ばか力があるから、吃九さっきから苦戦だ。組伏せられながら、「くたばれ、ちゃんころ!」ぐわんと下から突上る拳《こぶし》、支那兵は身をそらすと、吃九は喉《のど》を絞めて、
「トンヤアルウ!」と大声にわめく、刹那《せつな》! 吃九は股《もも》をまげてぐわんと相手の脾腹《ひばら》をけった。
「アッ!」思わず手がゆるむ。隙《すき》だ、はねおきた吃九、足を深く入れて腰車にかけ、うん! とばかりに投《なげ》つける、と、支那兵め、くるり宙でもんどり打って立った。
「あれ――器用な野郎だな」と吃九、支那兵はもう一ど、
「トンヤアルウ、ジャップ!」と叫ぶと、ひらり塹壕の上へとび上って、闇《やみ》の中へ逃出していった。
「ざまあ見やがれ」
吃九は体の土を払いおとしながら、振かえった。すでに戦闘はおわっていた。四五名の退却兵の外は、支那勇敢隊は、ついに、塹壕内の露と消えたのだ。あとで調べると、今村小隊は、わずかに十名足らずの負傷者をだしただけであった。
「骨を折らしやがった」
吃九は銃を拾いながら、列の方へもどっていった。
「いまの野郎はたしかに軽業師《シナテジナ》だぜ、腰車にかけたのに、空《くう》でとんぼ[#「とんぼ」に傍点]返りをうちやがった、足がら[#「がら」に傍点]でもかけりゃ何をしゃあがるか分らねえ、けっ! 気持の悪い」
吃九、つばき[#「つばき」に傍点]を吐いている。点呼がすむと休めになった、吃九は自分の位置にもどって休んでいる。そこへ今村中尉が、にこにこしながらやってきた。
「どうだ柿内、いい眠気ざましだったな」
「さ、さようであります、ちゅ、ちゅ」
「もういい」
「ちゅ、ちゅ」一生懸命である。
「もういいというのに」
「中尉殿、あ、あの、伺いますが」
「また胃の腑でもとられたのか」
「ち、ちがいます」
「なんだ」
「あの、あのあの、トン、トンヤアルウ、というのは、な、な、何のことでありますか」
「トンヤアルウ――?」
中尉はにやりとして、
「そりゃ支那語で、豚野郎ということだ」
「え? ぶ、ぶ、豚野郎――?」吃九の眼が釣上った。
「どうした、柿内」
「――」吃九はぎりぎりと、歯ぎしりをかんだ。
「ち、畜生!」
「どうしたんだ、こら、柿内」
中尉が肩を叩《たた》く、とたんに柿内二等兵は、片手に銃をにぎって、塹壕の上へとびあがった。
たん! たんたん※[#感嘆符二つ、1-8-75] 二三発の銃声がきこえたと思うと、前線|歩哨《ほしょう》が駈《かけ》もどってきて、
「逆襲! 敵軍逆襲※[#感嘆符二つ、1-8-75]」と叫んだ。
「わあっ――」
潮《うしお》のように聞える敵軍の喚声。しかも、それは今村小隊の戦線にむかって、猛烈な勢《いきおい》で突撃してくるのだ。
意外といって、これほど意外なことがあろうか、なにしろ前日の戦闘で、敵軍は遠く十|哩《マイル》の彼方《かなた》へ退却したはずだ。その時|直《ただち》に追撃戦にうつるべきだったのを、司令部の命令で、他の戦線との連絡上、そこに止《とどま》っていたのだが、退却した敵軍は甚大《じんだい》な損害を払っているし、ほとんど中央軍は全滅にひとしかったはずだ、それが、精鋭すぐって、不意の逆襲だ。
「戦闘位置につけ!」
命令よりはやく、今村小隊は塹壕によって防備についたが、潮のように押よせてきた支那兵は、早くも塹壕に雪崩《なだ》れこんできた。
「くそっ、ちゃ、ちゃ、ちゃんころ奴《め》!」
吃九は嚇《かっ》と怒《いか》って、銃を持なおすと、瞬《またた》くまに三人ばかり、そこへ銃剣で突倒《つきたお》した。
「わあ――わっ」という声。
たん! たんたん※[#感嘆符二つ、1-8-75] だだだだだだ※[#感嘆符三つ、488-4] 小銃と機関銃の錯雑した響き、そして銃剣のふれあう音、とび散る血潮、倒れる兵、刺ちがえて死ぬ者、断末魔の呻《うめ》き。
「わあ――っ」狂ったような喚声だ。
その夜の支那軍の突撃隊は、空前の勇敢ぶりを示した。彼らは驚くべき意志で、敢然と戦ってて一歩も退かなかった。しかし悲しいかな、その勇敢は賞すべきも銃剣術が未熟だ、胆力《たんりょく》が不足だ。日本軍の規律ある訓練と、忠と義との烈々たる魂にむかっては、せっ角《かく》の勇気も手の出しようがない、見る見るうちに、突斃《つきたお》され射斃《いたお》されて、塹壕内は支那勇敢隊の死骸《しがい》の山となった。
「こ、この野郎!」
吃九は一人の巨漢ととっ組合っていた。
巨《おお》きな支那兵で、ばか力があるから、吃九さっきから苦戦だ。組伏せられながら、「くたばれ、ちゃんころ!」ぐわんと下から突上る拳《こぶし》、支那兵は身をそらすと、吃九は喉《のど》を絞めて、
「トンヤアルウ!」と大声にわめく、刹那《せつな》! 吃九は股《もも》をまげてぐわんと相手の脾腹《ひばら》をけった。
「アッ!」思わず手がゆるむ。隙《すき》だ、はねおきた吃九、足を深く入れて腰車にかけ、うん! とばかりに投《なげ》つける、と、支那兵め、くるり宙でもんどり打って立った。
「あれ――器用な野郎だな」と吃九、支那兵はもう一ど、
「トンヤアルウ、ジャップ!」と叫ぶと、ひらり塹壕の上へとび上って、闇《やみ》の中へ逃出していった。
「ざまあ見やがれ」
吃九は体の土を払いおとしながら、振かえった。すでに戦闘はおわっていた。四五名の退却兵の外は、支那勇敢隊は、ついに、塹壕内の露と消えたのだ。あとで調べると、今村小隊は、わずかに十名足らずの負傷者をだしただけであった。
「骨を折らしやがった」
吃九は銃を拾いながら、列の方へもどっていった。
「いまの野郎はたしかに軽業師《シナテジナ》だぜ、腰車にかけたのに、空《くう》でとんぼ[#「とんぼ」に傍点]返りをうちやがった、足がら[#「がら」に傍点]でもかけりゃ何をしゃあがるか分らねえ、けっ! 気持の悪い」
吃九、つばき[#「つばき」に傍点]を吐いている。点呼がすむと休めになった、吃九は自分の位置にもどって休んでいる。そこへ今村中尉が、にこにこしながらやってきた。
「どうだ柿内、いい眠気ざましだったな」
「さ、さようであります、ちゅ、ちゅ」
「もういい」
「ちゅ、ちゅ」一生懸命である。
「もういいというのに」
「中尉殿、あ、あの、伺いますが」
「また胃の腑でもとられたのか」
「ち、ちがいます」
「なんだ」
「あの、あのあの、トン、トンヤアルウ、というのは、な、な、何のことでありますか」
「トンヤアルウ――?」
中尉はにやりとして、
「そりゃ支那語で、豚野郎ということだ」
「え? ぶ、ぶ、豚野郎――?」吃九の眼が釣上った。
「どうした、柿内」
「――」吃九はぎりぎりと、歯ぎしりをかんだ。
「ち、畜生!」
「どうしたんだ、こら、柿内」
中尉が肩を叩《たた》く、とたんに柿内二等兵は、片手に銃をにぎって、塹壕の上へとびあがった。
[#3字下げ]三、謹慎三日間[#「三、謹慎三日間」は中見出し]
「おい、待て、柿内!」
中尉が叫んだ時、吃九は脱兎《だっと》のように闇の彼方《かなた》へ、走りさっていた。中尉が思わず、その後を追《おっ》かけようとする。
「小隊長殿、葛木大佐殿の検閲です」
と伝令がとんできた。
「よし、整列!」中尉は心中しまったと呟《つぶや》きながら、列の方へと帰って行った。
葛木大佐は幕僚をしたがえて、整列している今村小隊を、仔細《しさい》に検閲した後、さっきの敵軍逆襲に抜群の功ありとみとめて、小隊全員に感謝の辞をのべて、
「さて、今回わが部隊は、黒龍省境《こくりゅしょうきょう》にある要害、壮大営《そうだいえい》奪取のために進発することになった、それについて一の難関がある、それは」と声を低くして、
「壮大営の前面二|哩《マイル》の地点に、南台《なんだい》という高地があって、ここに敵軍の堅固な要塞《ようさい》が築かれているのだ。壮大営攻撃に先立って、まずこの要塞を破壊しなければならぬが、作戦上、これは二名の決死隊員に爆破してもらわねばならぬ、というのは、大勢でやれば、容易に発見されるおそれがある、二名ずつ何回にでもやって、目的を達してほしい、うまく火薬庫へ爆弾を投込めばいいのだ、総攻撃は明後日に行われるから、明晩中に決行してもらいたい」
大佐はそういって、今村中尉をかえりみた。
「今村中尉」
「は」
「あの銀貨袋を奪取した兵、柿内とか云う兵士はいるか」
「は――」中尉は思わず顔を伏せてしまった。
「いまの逆襲で戦死でもしたか」
「いえ、戦死はいたしません」
「ちょっと呼んでくれぬか」
「――」中尉は返答に窮した。
「どうした」
「は、はい、今村が、ただ今、ちょっと用事をいいつけまして――」
「――?」大佐はちらと中尉の眼を見た。
その時である、塹壕の向うで、吃九が大声に呶鳴《どな》っているのが聞えてきた。
「ぶ、ぶ、豚野郎、わ、分ったか、手前《てめえ》が豚だぞ、おいらじゃねえ、て、て、手前《てめえ》だぞ、ちゃんころ、やい返辞をしろ、大韮喰《にんにくく》いのやくざ者、手前《てめえ》なんざあ軽業師《シナテジナ》だろうが、なんとかいえ、骨無しめ、豚野郎、ぶ、ぶ、ぶ、豚の尻尾《しっぽ》め!」
「――」
大佐はつかつかと、声のする方へ進んで行った。そこでは――吃九が、顔中が紫色に腫《は》れあがっている、一人の巨《おお》きな支那兵を、雑巾《ぞうきん》のように振廻しながら、わめいていた。
「畜生、おれ達日本兵はな、は、は、はばかりながら日本男子だ、やい聞け、この野郎!」
「気をつけ」今村中尉が叫んだ。
吃驚して吃九が不動の姿勢をとる。巨きな支那兵は、くたくたとそこへ倒れた。
「お前どこへ行っていた」葛木大佐が近よってきいた。さすがに吃九も部隊長を見て、胆をつぶしたらしい。
「はい、あ、あ、あ、あっちであります」
「何をしにいった」
「こ、この野郎をつかまえにまいりました」
「誰の命令だ?」
「――」
「命令を無視して戦線をぬけると、軍規にふれると、さっき改めて申渡したはずだ。支那兵の一人や二人つかまえるのと、軍規を乱すのと、どっちが大事か」
「は、はい、悪かったであります」
吃九は涙をこぼしながら、
「でも、た、た、大佐殿に申上げます、こ、この奴は、自分のことを、豚野郎と申しました。じ、自分は、帝国の名誉ある、兵土であります、豚野郎といわれて、黙っていては、帝国兵士全体の、恥辱と思いました、そ、それ、それで、それでつい――」大佐は儼《げん》として、
「豚野郎といわれて口惜《くや》しかったら、銃と剣とで返礼すればいい、我々の相手は、一人や二人の支那兵ではないぞ、四億の支那人全体がいま、我々日本人に侮辱をあたえているんだ、四億の民の侮辱が勝つか、日本八千万の正義が勝つかの大事な場合だ、そんなに喧嘩《けんか》同様なことに、軍規を乱す奴があるか!」
「はい」
「先刻《せんこく》の功労にめでて、こん度だけは重罰をゆるしてやる、謹慎三日を申し渡す!」
吃九はぼろぼろ涙をこぼしながら、挙手の礼をした。
謹慎三日、一日に梅干なしの握飯五つ、あとは水ばかり、塹壕の奥の暗い室《へや》に、じっと謹んでいなければならぬのだ。
「南台爆破の決死隊の件は頼むぞ!」
大佐はそういって帰った。
中尉が叫んだ時、吃九は脱兎《だっと》のように闇の彼方《かなた》へ、走りさっていた。中尉が思わず、その後を追《おっ》かけようとする。
「小隊長殿、葛木大佐殿の検閲です」
と伝令がとんできた。
「よし、整列!」中尉は心中しまったと呟《つぶや》きながら、列の方へと帰って行った。
葛木大佐は幕僚をしたがえて、整列している今村小隊を、仔細《しさい》に検閲した後、さっきの敵軍逆襲に抜群の功ありとみとめて、小隊全員に感謝の辞をのべて、
「さて、今回わが部隊は、黒龍省境《こくりゅしょうきょう》にある要害、壮大営《そうだいえい》奪取のために進発することになった、それについて一の難関がある、それは」と声を低くして、
「壮大営の前面二|哩《マイル》の地点に、南台《なんだい》という高地があって、ここに敵軍の堅固な要塞《ようさい》が築かれているのだ。壮大営攻撃に先立って、まずこの要塞を破壊しなければならぬが、作戦上、これは二名の決死隊員に爆破してもらわねばならぬ、というのは、大勢でやれば、容易に発見されるおそれがある、二名ずつ何回にでもやって、目的を達してほしい、うまく火薬庫へ爆弾を投込めばいいのだ、総攻撃は明後日に行われるから、明晩中に決行してもらいたい」
大佐はそういって、今村中尉をかえりみた。
「今村中尉」
「は」
「あの銀貨袋を奪取した兵、柿内とか云う兵士はいるか」
「は――」中尉は思わず顔を伏せてしまった。
「いまの逆襲で戦死でもしたか」
「いえ、戦死はいたしません」
「ちょっと呼んでくれぬか」
「――」中尉は返答に窮した。
「どうした」
「は、はい、今村が、ただ今、ちょっと用事をいいつけまして――」
「――?」大佐はちらと中尉の眼を見た。
その時である、塹壕の向うで、吃九が大声に呶鳴《どな》っているのが聞えてきた。
「ぶ、ぶ、豚野郎、わ、分ったか、手前《てめえ》が豚だぞ、おいらじゃねえ、て、て、手前《てめえ》だぞ、ちゃんころ、やい返辞をしろ、大韮喰《にんにくく》いのやくざ者、手前《てめえ》なんざあ軽業師《シナテジナ》だろうが、なんとかいえ、骨無しめ、豚野郎、ぶ、ぶ、ぶ、豚の尻尾《しっぽ》め!」
「――」
大佐はつかつかと、声のする方へ進んで行った。そこでは――吃九が、顔中が紫色に腫《は》れあがっている、一人の巨《おお》きな支那兵を、雑巾《ぞうきん》のように振廻しながら、わめいていた。
「畜生、おれ達日本兵はな、は、は、はばかりながら日本男子だ、やい聞け、この野郎!」
「気をつけ」今村中尉が叫んだ。
吃驚して吃九が不動の姿勢をとる。巨きな支那兵は、くたくたとそこへ倒れた。
「お前どこへ行っていた」葛木大佐が近よってきいた。さすがに吃九も部隊長を見て、胆をつぶしたらしい。
「はい、あ、あ、あ、あっちであります」
「何をしにいった」
「こ、この野郎をつかまえにまいりました」
「誰の命令だ?」
「――」
「命令を無視して戦線をぬけると、軍規にふれると、さっき改めて申渡したはずだ。支那兵の一人や二人つかまえるのと、軍規を乱すのと、どっちが大事か」
「は、はい、悪かったであります」
吃九は涙をこぼしながら、
「でも、た、た、大佐殿に申上げます、こ、この奴は、自分のことを、豚野郎と申しました。じ、自分は、帝国の名誉ある、兵土であります、豚野郎といわれて、黙っていては、帝国兵士全体の、恥辱と思いました、そ、それ、それで、それでつい――」大佐は儼《げん》として、
「豚野郎といわれて口惜《くや》しかったら、銃と剣とで返礼すればいい、我々の相手は、一人や二人の支那兵ではないぞ、四億の支那人全体がいま、我々日本人に侮辱をあたえているんだ、四億の民の侮辱が勝つか、日本八千万の正義が勝つかの大事な場合だ、そんなに喧嘩《けんか》同様なことに、軍規を乱す奴があるか!」
「はい」
「先刻《せんこく》の功労にめでて、こん度だけは重罰をゆるしてやる、謹慎三日を申し渡す!」
吃九はぼろぼろ涙をこぼしながら、挙手の礼をした。
謹慎三日、一日に梅干なしの握飯五つ、あとは水ばかり、塹壕の奥の暗い室《へや》に、じっと謹んでいなければならぬのだ。
「南台爆破の決死隊の件は頼むぞ!」
大佐はそういって帰った。
[#3字下げ]四、あっ吃九だ[#「四、あっ吃九だ」は中見出し]
謹慎室の中で、第一の南台爆破の決死隊二名が、今夜半に出発すると聞いた柿内二等兵、狂人のようになって小隊長の室へかけつけた。
「ちゅ、中尉殿、お願いであります」
「なんだ?」
「柿内に死場所をあたえて下さい、決死隊に加えて下さい、柿内、みごとにやって、ごらんに入れます、どうか――中尉殿」
「ならん」
「お願いです、罰則をとって、のめのめ生きてはおれません、どうか、私を死なせて下さい」
「だめだ!」
「――」吃九は落胆して帰ったが、五分もすると、またやってきた。そして地にひざまずいて、
「ちゅ、中尉殿、お願いであります、どうか柿内を、決死隊に加えて下さい」
「だめだといったら分らんか」中尉が叫んだ。
「貴様のような軽はずみな奴に、大事な決死隊の役がつとまるか、寝ておれ」
吃九はそのまま部屋へ帰った。帰ったが――しかし胸は、口惜しさと自責の念で、煮えかえるようだ。
「畜生、お、己《おれ》は、なんという奴だ」
頭を掻《かき》むしって悩んでいる。
そのうちに、決死隊は今村中尉自身と、木口二等兵だという秘報がもれた。部下から反則者をだした責任感から、中尉は自ら南台と共に爆死するつもりらしい。
「よし、やっちゃれ!」吃九は決然とうなずいて立上った。
夜半十二時、今村中尉は決死の身仕度も甲斐々々《かいがい》しく、自分の部屋を出て塹壕の突撃路へきた。そこにはすでに、鉄甲《てつかぶと》を眉深《まぶか》にかぶった木口二等兵が、待っていた。
「木口か」
「はい」妙に声が鼻にかかる。
「爆弾、手榴弾《しゅりゅうだん》の用意はいいか」
「はい、揃《そろ》っています」
「よし、じゃあ出発だ」見送りを絶対に禁じたので、誰も出てくる者はない。墨を流したような闇の中へ、二人は這《は》うようにして、走りだした。
走ること一時間余、二人は森林地帯をぬけて、南台高地の下へ到着した。臆病《おくびょう》な支那兵、歩哨はどこの蔭《かげ》で慄《ふる》えていることやら、あたりには人影も見えぬ。時折南台の高地から、探照燈《たんしょうとう》の光が地を舐《な》めてすぎるばかり。
「木口、いよいよやるぞ!」
「やっちゃいましょう」
「――?」中尉が振かえった。どうも声の調子がおかしい、木口二等兵にしては妙に鼻にかかる、変だなと思ったが、その時さっ[#「さっ」に傍点]と探照燈の光が走りすぎたので、
「前へ!」と叫ぶと、鼠のように斜面を駈のぼった。と、二人の前面へふいに、三人ばかりの支那兵があらわれて、屁《へっ》ぴり腰をしながら、
「ダレ、アルカ※[#感嘆符疑問符、1-8-78]」
とわめく、刹那! 木口二等兵は躍りかかったとみる間に、銃剣をひらめかして、二人を突きたおし、一人が、
「日本兵、キタ、タイヘン」
と逃出すのを、十|米突《メートル》ばかり追って、背中から胸まで一突きに刺《さし》とおし、
「この――ト、ト、トンヤアルウ奴《め》」と叫んだ。聞くより、
「あっ、お前は」と中尉がおどろいて追った。
「お前は、柿内じゃないか」
「ちゅ、ちゅ」おお正に吃九だ。木口二等兵とみせたは、正に我らの柿内九太郎であったのだ。
「中尉殿!」吃九は悲痛な声をふりしぼって叫んだ。「中尉殿、か、柿内を赦《ゆる》して下さい、なにも申しません、柿内は、日本軍人らしい死《しに》ざまをしたいのです。今村小隊の名誉を汚《けが》した柿内を、お、おゆるし下さい」
「ま、待て!」
中尉が叫んだ時、柿内二等兵は、手榴弾を高く捧《ささ》げながら、悪鬼《あっき》のように、敵堡塁《てきほうるい》の中へおどり込んで行った。
「日本帝国万歳! 今村小隊万歳※[#感嘆符二つ、1-8-75]」と喚きながら。
「柿内、待て、たった一言!」
中尉がかけ登ろうとした時、地面がぐらぐらと揺れて、青白い閃光《せんこう》が闇を走った。だだだだだん※[#感嘆符二つ、1-8-75] 壮絶! 快絶※[#感嘆符二つ、1-8-75] 南台の要塞は灰神楽《はいかぐら》をあげたように、冲天《ちゅうてん》へけし飛んでしまった。
「やった、やった、吃九がやったぞ!」
中尉は思わず双手をあげて、喚呼の声をあげた、が――すぐに溢《あふ》れでる涙をぬぐいもやらずに、呟《つぶや》くのだった。
「残念だぞ柿内、己はひと言――赦すといいたかったのに、あんな悪口をいった今村こそ、お前にひと言、詫《わ》びたかったのに」
遠くから葛木部隊の壮大営総攻撃の鬨《とき》の声が、遠雷のように聞えてきた。音にきく黒龍省境《こくりゅうしょうきょう》の大勝戦は、かくて、吃九の投げた一箇の手榴弾によって幕を落されたのである。
「ちゅ、中尉殿、お願いであります」
「なんだ?」
「柿内に死場所をあたえて下さい、決死隊に加えて下さい、柿内、みごとにやって、ごらんに入れます、どうか――中尉殿」
「ならん」
「お願いです、罰則をとって、のめのめ生きてはおれません、どうか、私を死なせて下さい」
「だめだ!」
「――」吃九は落胆して帰ったが、五分もすると、またやってきた。そして地にひざまずいて、
「ちゅ、中尉殿、お願いであります、どうか柿内を、決死隊に加えて下さい」
「だめだといったら分らんか」中尉が叫んだ。
「貴様のような軽はずみな奴に、大事な決死隊の役がつとまるか、寝ておれ」
吃九はそのまま部屋へ帰った。帰ったが――しかし胸は、口惜しさと自責の念で、煮えかえるようだ。
「畜生、お、己《おれ》は、なんという奴だ」
頭を掻《かき》むしって悩んでいる。
そのうちに、決死隊は今村中尉自身と、木口二等兵だという秘報がもれた。部下から反則者をだした責任感から、中尉は自ら南台と共に爆死するつもりらしい。
「よし、やっちゃれ!」吃九は決然とうなずいて立上った。
夜半十二時、今村中尉は決死の身仕度も甲斐々々《かいがい》しく、自分の部屋を出て塹壕の突撃路へきた。そこにはすでに、鉄甲《てつかぶと》を眉深《まぶか》にかぶった木口二等兵が、待っていた。
「木口か」
「はい」妙に声が鼻にかかる。
「爆弾、手榴弾《しゅりゅうだん》の用意はいいか」
「はい、揃《そろ》っています」
「よし、じゃあ出発だ」見送りを絶対に禁じたので、誰も出てくる者はない。墨を流したような闇の中へ、二人は這《は》うようにして、走りだした。
走ること一時間余、二人は森林地帯をぬけて、南台高地の下へ到着した。臆病《おくびょう》な支那兵、歩哨はどこの蔭《かげ》で慄《ふる》えていることやら、あたりには人影も見えぬ。時折南台の高地から、探照燈《たんしょうとう》の光が地を舐《な》めてすぎるばかり。
「木口、いよいよやるぞ!」
「やっちゃいましょう」
「――?」中尉が振かえった。どうも声の調子がおかしい、木口二等兵にしては妙に鼻にかかる、変だなと思ったが、その時さっ[#「さっ」に傍点]と探照燈の光が走りすぎたので、
「前へ!」と叫ぶと、鼠のように斜面を駈のぼった。と、二人の前面へふいに、三人ばかりの支那兵があらわれて、屁《へっ》ぴり腰をしながら、
「ダレ、アルカ※[#感嘆符疑問符、1-8-78]」
とわめく、刹那! 木口二等兵は躍りかかったとみる間に、銃剣をひらめかして、二人を突きたおし、一人が、
「日本兵、キタ、タイヘン」
と逃出すのを、十|米突《メートル》ばかり追って、背中から胸まで一突きに刺《さし》とおし、
「この――ト、ト、トンヤアルウ奴《め》」と叫んだ。聞くより、
「あっ、お前は」と中尉がおどろいて追った。
「お前は、柿内じゃないか」
「ちゅ、ちゅ」おお正に吃九だ。木口二等兵とみせたは、正に我らの柿内九太郎であったのだ。
「中尉殿!」吃九は悲痛な声をふりしぼって叫んだ。「中尉殿、か、柿内を赦《ゆる》して下さい、なにも申しません、柿内は、日本軍人らしい死《しに》ざまをしたいのです。今村小隊の名誉を汚《けが》した柿内を、お、おゆるし下さい」
「ま、待て!」
中尉が叫んだ時、柿内二等兵は、手榴弾を高く捧《ささ》げながら、悪鬼《あっき》のように、敵堡塁《てきほうるい》の中へおどり込んで行った。
「日本帝国万歳! 今村小隊万歳※[#感嘆符二つ、1-8-75]」と喚きながら。
「柿内、待て、たった一言!」
中尉がかけ登ろうとした時、地面がぐらぐらと揺れて、青白い閃光《せんこう》が闇を走った。だだだだだん※[#感嘆符二つ、1-8-75] 壮絶! 快絶※[#感嘆符二つ、1-8-75] 南台の要塞は灰神楽《はいかぐら》をあげたように、冲天《ちゅうてん》へけし飛んでしまった。
「やった、やった、吃九がやったぞ!」
中尉は思わず双手をあげて、喚呼の声をあげた、が――すぐに溢《あふ》れでる涙をぬぐいもやらずに、呟《つぶや》くのだった。
「残念だぞ柿内、己はひと言――赦すといいたかったのに、あんな悪口をいった今村こそ、お前にひと言、詫《わ》びたかったのに」
遠くから葛木部隊の壮大営総攻撃の鬨《とき》の声が、遠雷のように聞えてきた。音にきく黒龍省境《こくりゅうしょうきょう》の大勝戦は、かくて、吃九の投げた一箇の手榴弾によって幕を落されたのである。
底本:「周五郎少年文庫 少年間諜X13号 冒険小説集」新潮文庫、新潮社
2019(平成31)年1月1日発行
底本の親本:「少年少女譚海」
1933(昭和8)年10月号
初出:「少年少女譚海」
1933(昭和8)年10月号
※表題は底本では、「悲壮|南台《なんだい》の爆死」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
2019(平成31)年1月1日発行
底本の親本:「少年少女譚海」
1933(昭和8)年10月号
初出:「少年少女譚海」
1933(昭和8)年10月号
※表題は底本では、「悲壮|南台《なんだい》の爆死」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ