第155話 ミスリアルでの休息
1484年(1944年)7月5日 午前10時 ミスリアル王国エスピリットゥ・サント
「どうですか、お味の方は?」
耳元に、綺麗な声音が聞こえる。彼は、視線を前方に向けた。
眼前には、柔和な笑みを浮かべたエルフの女性がソファーに座っている。
顔立ちは流麗そのもので、穏やかそうな目付きをしている。
腰まで伸びた銀色の長髪は、実に美しく、髪の間から出ている2つの尖った耳は彼女がエルフである事を特徴付けている。
服装は半袖状の青色の薄い服に、下は淡い水色のスカートをはいている。
誰が見ても、20代前半から中盤の若く、美しい娘にしか見えない。
「見事な物です。ここ最近は、艦隊でまずい代用コーヒーばかりを飲まされていましたから、このような上等な香茶を
飲めるのは実に嬉しいことですよ。」
反対側に座っていた男は微笑みながら言いつつも、内心では別の事を思う。
(全く、俺が若かったら、真っ先にプロポーズしてしまいそうなほどの美人ぶりだ。これで“俺よりも3歳年上”なんだから、
エルフっていう奴らは本当に凄いモンだ)
彼・・・・アメリカ合衆国第3艦隊司令長官、ウィリアム・ハルゼー大将は、目の前に座っている領主、リミネ・レインツェルに
向けてそう思った。
「艦隊で出されるお飲み物は、あまり良くない物しかないのですか?」
「いや、そうでもありませんよ。ただ、ここ最近はコーヒーの原料が少なくなっているせいで、旨いコーヒーが飲めなくなって
いるんです。まっ、コーヒーが不味くても問題はありません。一番厄介なのは、アイスクリームが食べられなくなった時ですな。」
「アイスクリームなら食べた事がありますよ。あの旨さは病み付きになりますね。私の子供も大好きで、最初の頃は町の店で
それを食べ過ぎて、しまいには腹痛を起こしてしまうほどでしたわ。」
レインツェル領主は苦笑しながら言った。
「しかし、何故厄介になるのです?」
「アイスクリームがあると無いとでは、兵の士気が明らかに違ってくるんですよ。3週間前でしたかな。軽空母フェイトの艦内に
あったアイスクリーム製造器が全部ぶっ壊れてしまったのですよ。その時は作戦中だったので、新しい製造器に変える余裕が無く、
アイス無しの生活を続けることになったのですが、それから2週間後が過ぎ、フェイトの士官から乗員の士気がかなり低下している
という報告が届けられました。その翌日には、フェイトで大きな着艦事故起きてしまいました。幸いにも死者は出ず、負傷者も軽傷
で済みました。私は、どうしてフェイトの乗員の士気が低下したのか調べさせました。そしたら、こんな報告が帰ってきましたよ。」
ハルゼーは話を一旦切り、一呼吸置いてから続ける。
「我が艦では、アイスクリーム無しの生活が2週間以上も続き、兵の士気低下は無視し得ぬ所まで及んでいる。最悪の場合は
兵の反乱という事態もあり得るであろう。士気を取り戻すためには、アイスクリーム製造器の早急なる換装が必要である、と。」
ハルゼーが言い終えた瞬間、レインツェル領主は大笑いしてしまった。
「フフフ、確かに厄介ですわね。その水兵さん達の気持ちは分らないでもありませんよ。」
「いやははは、私としては面目ない限りですよ。」
ハルゼーは苦笑しながらレインツェルに言い返す。
「それで、アイスクリーム製造器の換装は行ったのですか?」
「ええ。早急にやらせましたよ。幸いにも、我々に洋上補給を行おうとしていた補給船団が近くにいたので、
その中に混じっていた工作艦に頼んで製造器を全て新品に換えさせました。お陰で、フェイトの士気は無事に
戻りましたよ。」
ハルゼーはやれやれといった口調でそう話した。
「それにしても、貴族の館にしては・・・・」
彼は周囲を見回した。
ハルゼーはてっきり、館の中にも様々な装飾品があるのかと思っていた。
しかし、館の中は、所々に高級そうな物が置いてたり、メイドや執事が数人居る以外は、普通の家と余り変わらない内装である。
「質素過ぎる、ですか?」
「ええ。私としては、もうちょっと煌びやかな印象があった物で。」
「貴族にも色々と種類がありますのよ。」
レインツェル領主が香茶を啜りながら説明する。
「私達レインツェル家は、他の貴族と違って裕福ではありませんし、与えられた土地が寂しい所でしたから、得られる税収も
多くはありません。それに、私達の収入も少ないですから、このように、寂しい内装になってしまいました。」
レインツェル領主は微笑みを崩さずにそう言った。
(いや、収入が少ない、という事は無いな)
ハルゼーは内心で、レインツェル領主が言った言葉を否定した。
エスピリットゥ・サントは、ミレーネンブルツ地方(アメリカから見れば州に匹敵する)の中心都市であり、領地を任された
領主ともなれば、土地が小さいとはいえども、王国側から少なからぬ収入を得る事が出来る。
ミレーネンブルツ地方は、他の地方と比べれば小さい部類に入るが、それでも収入は大きい。
普通に行けば、館の内装ももっと豪華に出来る。
しかし、リミネは領地の財政ばかりか、国から送られる領主への報酬までもを領地の復興に注ぎ込んでいた。
エスピリットゥ・サントでは、1483年9月に、新たに3つの学校が出来た。
ミレーネンブルツ地方では、エスピリットゥ・サント以外の場所でもあちこちに学校や公共施設が出来上がった。
学校の教育費はほぼ無料で、公共施設は少ない料金で誰でも入る事が出来、未だに戦災で苦しむ住民達に広く使用されている。
また、その他の政策でも常に、領地の住民を第一に考えており、ミレーネンブルツ地方の人々はこの善政によって多くが救われている。
このように、リミネは領地の復興に尽力しているのだが、得られる収入も復興費に当てているため、貴族にしては妙に
みすぼらしい格好となってしまった。
「でも、私は住民の笑顔さえ見られればそれで充分です。臣民は国の宝です。彼らを大事にする事が最良の政策だと、
あたしは常々思っています。」
ハルゼーは、穏やかな口調で語るリミネに心を打たれた。
(報酬は、住民達の喜ぶ姿か・・・・政治家の鏡とは、まさにこの事だぜ)
ハルゼーは内心で感嘆した。
それと同時に、馬鹿な政策ばかりを実行するシホールアンルやマオンドの首脳達にも、彼女の本音を直に聞いて貰いたいな
とも思った。
ハルゼーはふと、壁の肖像画に目が止まった。
肖像画には2人の女性が描かれている。
1人は椅子に座って柔和な笑みを浮かべ、もう1人は凛々しげな表情を浮かべている。
「あの絵は、あなたの自画像ですかな?」
「ああ、あの絵・・・・」
リミネは後ろを振り返る。
「はい。あれは、妹のイールと一緒に居るときに、絵師に描いて貰った物です。」
「実に素晴らしい物ですな。まるで写真のようだ。」
ハルゼーはリミネに対して、本心でそう言った。
「そういえば、妹様はいらっしゃらないのですか?」
「いえ。」
リミネは首を振った。
「イールは亡くなりました。3年前に、シホールアンル軍の艦砲射撃で。」
それを聞いた瞬間、ハルゼーは内心でまずいと思ってしまった。
「・・・いらぬ事をお聞きして、申し訳ありません。」
「いえ、良いのです。」
頭を下げるハルゼーを見て、リミネは微笑みながら言った。
「別に、提督に非はありませんわ。」
「はっ・・・・そう言って頂けると幸いですが、いや、面目ない限りです。」
ハルゼーはやや気まずそうな口調で言いつつ、テーブルに置いてあった香茶を一口啜った。
「どうです提督?場所を変えてお話をしませんか?」
リミネは笑みを張り付かせたまま、左手の人差し指を、とある場所に向けながら言う。
「ベランダですか。」
「はい。ここから見る景色はとても良い物ですよ。」
リミネは立ち上がるなり、そそくさとベランダの枠の付いたガラス扉を開いた。
ハルゼーも腰を上げて、ベランダへと足を運んだ。
彼はベランダから見る風景にやや驚いた。
「どうです?綺麗でしょう。」
「ほほう、これは凄いですな。この風景を絵にすれば高く売れそうだ。」
彼は目を輝かせながら、ベランダの手すりに両手を置いた。
ベランダの向こうには、広大なエスピリットゥ・サントの入り江が一望できた。
領主の館は、半円状になっているエスピリットゥ・サント港の西側出入り口の近くにある小高い山の上に建てられている。
「父が、せめて景色だけは豪華にしたいと思い、少ない予算で館をここに建てたのです。」
「父君の判断は見事に当たりましたな。ここから見る景色は本当に美しい。」
ハルゼーは、リミネに微笑みかけながら言う。
「最近は、ここから見る景色も見栄えが出てきました。息子のランスト等は、ここであなた方の艦隊を見るのがいつも楽しい、
と言ってますよ。」
「そうなのですか。領主様のご子息が我々のファンであるとは、実に嬉しいですな。」
「実を言うと、私も息子に感化されてしまったようで、こうして、大艦隊が集まっている風景を見ると、自然と胸が熱くなります。」
「艦隊は、見る人の心をくすぐりますからな。領主様もそう思っておられるのならば、心は既に、我々と同じ海軍軍人ですな。」
「流石はハルゼー提督。ご冗談が上手いですわ。」
リミネがそう言うと、2人は思わず、声を上げて笑ってしまった。
「それにしても、この町も、随分と活気が戻ってきましたな。我々が来たときは、少々寂しい感じがしましたが。」
ひとしきり笑った後、ハルゼーは町を見つめながらそう言った。
「アメリカがここを根拠地にしてくれたお陰で、新しい建物や店が増えましたからね。その影響で、町の人口も
大幅に増え、各種産業も徐々にですが、回復しつつあります。」
第2時バゼット海海戦終了から5ヶ月が経った、1943年4月。
アメリカはこのエスピリットゥ・サントを新たな根拠地に定めた。
それからと言う物の、アメリカ本国からは各種機材が次々と搬入され、8月には移動式浮きドックが現地に到着し、
損傷艦の修理がここでも行える状態になった。
9月までには、エスピリットゥ・サント港の近隣には海軍工兵大隊、通称シービーズの隊員が建設した各種レジャー
施設等が稼働し始め、週に1回は現地の住民達にもアイスクリームやコーラの類をサービスしたり、ジャズや音楽の
ライブを開いて住民達を集めた。
ミスリアルの住民達にはこのサービスが大受けし、10月にはジャズのライブ中に吟遊詩人が飛び入り参加し、
数千人の住人達が、ライブに来ていた米兵達と一緒に聖者の行進を大合唱するという、良い意味でのハプニングが起きた。
12月には人口が2万人を突破し、それ以降も町は急速に繁栄し続けている。
港の入り江には、数え切れないほどの船が停泊している。
その中で一際目立つ集団が、入り江の西側に停泊していた。
その集団こそ、ハルゼーの指揮下にある第3艦隊第38任務部隊の艨艟達だ。
集団の中には幾らか目立つ艦が複数いる。
その中で、比較的平らな艦が居る。その艦こそ、第38任務部隊の主力たる正規空母群である。
そして、空母の側に居るごつく、逞しい感じの艦は戦艦であり、その戦艦の中でも特に目立つ艦が2隻も居る。
昨年下半期から順次竣工し始めたアイオワ級戦艦のネームシップである、アイオワと、ハルゼーの旗艦であるニュージャージーだ。
この2隻の存在感は圧倒的であり、他の艦の存在感を吸い取っているかのようにも思えるほどだ。
(ここからは初めて見るが、やはり、俺の艦隊は見栄えがあるなぁ)
ハルゼーは、ベランダから見える自分の艦隊に対して、誇らしげな気持ちになった。
「エスピリットゥ・サントの町はあまり言った事がないので良く分かりませんが、今度、暇が出来たらじっくりと見て回りたい物です。」
ハルゼーの言葉に、リミネは爽やかな笑みを浮かべた。
「是非見ていってください。私としては、週末に行く事をオススメしますわ。」
リミネの提案に、ハルゼーは頷きながら返答した。
「ええ。では、今度の週末に行くとしましょう。ちょうど、うちの司令部に運動不足気味な男がおりまして、
そいつも誘って遊びに行きますよ。」
午前11時20分 第3艦隊旗艦 戦艦ニュージャージー
ハルゼーが旗艦に定めている戦艦ニュージャージーは、第38任務部隊第2任務群に属している。
ニュージャージーは、ネームシップであるアイオワと隣り合わせになりながら停泊していた。
基準排水量57000トンの巨体と、48口径17インチ3連装砲は、その機能的な艦上構造物と相まって、
アイオワ級の見栄えをより一層無骨に、そして、優美に見せており、誰が見ても圧倒的な存在感を感じさせている。
この2艦の姉妹艦であるウィスコンシンとミズーリが、先のモンメロ沖海戦の際、17インチの大口径砲弾で
マオンド新鋭戦艦を叩きのめし、敵の繰り出す攻撃を物ともしなかった事は記憶に新しい。
ニュージャージーも、7月2日の北ウェンステル領の沿岸要塞砲撃の際には、敵の頑丈な要塞に対して、
姉であるアイオワと共に17インチの豪砲を唸らせ、それまで陸軍の前進部隊を悩ませていた要塞砲を、内部に
居たキリラルブスの群れごと粉砕している。
(この時、内部に居たキリラルブスは、5月30日の戦闘で出現した新型キリラルブスと同じ物で、前進部隊の
背後や側面に回っては、米軍を手酷く痛めつけていた)
名実共に、世界最強の戦艦の1隻であるニュージャージー。
その戦艦の第1砲塔の上で、
「くぅー」
心地良さそうな寝息を立てる者が居た。
男は、着ていた上着を側に脱ぎ捨て、大の字になって眠っている。
髪はぼさぼさに伸びており、時折、ゆらゆらと潮風に揺られる。
その時の風景は、この男があたかも寝る事に特化しているのだな、と如実に思わせるほどである。
上着を脱ぎ捨て、肌着とズボンにだらしなく皺を作りながら寝ている男の所に、別の男が近付きつつあった。
第3艦隊参謀長であるロバート・カーニー少将は、砲塔の左横にある梯子を上って天蓋に上がった。
「おいおい、前々からやるとは思っていたが、本当にやっちまうとは。」
カーニー少将は呆れながら呟く。
彼は眠り男の側まで歩み寄り、屈んでから名前を呼んだ。
「おいラウス君。起きろ、休憩時間はとっくに終わったぞ。」
カーニー少将は、男・・・第3艦隊魔道参謀ラウス・クレーゲルの肩をポンポンと叩いた。
しかし、ラウスは気持ち良さそうに眠り続けるだけで、全く起きようとしない。
カーニーは2、3度ほどラウスに呼び掛けたが、本人は全く無反応であった。
「まぁ、昨日は死ぬほど書類整理をやらされた上に、長官とお勉強会をしたからなぁ。あと5分は寝かせてやるか。」
カーニーはそう呟くと、ラウスの側を離れようとした。
その瞬間、ラウスが目を見開き、物凄い勢いで姿勢を起こした。
「うわ!?」
カーニーは危うく、跳ね上がるラウスの頭に顎をぶつけそうになったが、間一髪で避けれた。
ラウスは口元に涎をたらしたままくるくると、怯えた目付きで左右を見渡した。
そのついでに、砲塔の下まで視線をめぐらせた後、最後にカーニーと目があった。
「あ、おはようっす。」
「お、おう。」
カーニーは戸惑いながらも、何とか返した。
「はぁ~、夢でよかったぁ~。」
「何だ?悪い夢でも見たのかね?」
カーニーの問いに、ラウスは頷いた。
「なんか、空を飛ぶ人間に連れ去られて、あれこれやられる夢を見ちまいました。何故か、夢の最後にはリエルが
出てきて、自分の股間を見て、「あら、小さい♪」とか抜かしてから高笑いしつつ、棍棒を自分の頭目掛けて振り下ろ
してきました。」
「なに訳のわからん事いっとるんだ。疲れが取れてないのか?」
「う~ん・・・・どうやらそのようっすね。という訳で、もちっと寝ていいですか?」
「いや、そろそろ立ち上がってシャキッとしなければならんようだぞ。」
カーニーはそう言いながら、前方から航行してくる内火艇に顎をしゃくった。
ニュージャージーの右舷前方から1隻の内火艇が向かってきた。
カーニーは時計を見てから、ラウスの肩をポンと叩いた。
「親父さんのご帰宅だ。一緒に出迎えるぞ。」
「あいあいさー。」
ラウスは大欠伸をしながらカーニーに答えた。
彼は、5月4日から第3艦隊魔道参謀としてニュージャージーに乗り組んでいる。
魔道参謀という肩書きは、アメリカ側が勝手に用意した物だが、後にバルランド側にも承認され、ラウスは特別に
仕立てられた服を着て、大尉待遇で第3艦隊司令部スタッフに迎え入れられた。
制服のデザインは、アメリカ海軍の軍服と似通っており、今来ているのはカーキ色のシャツとズボンである。
ただし、階級章はバルランド軍特有の剣状のマークであり、それが両肩に付けられている。
制帽もアメリカ海軍のものと似通ってはいるが、細部はバルランド軍特有のデザインが盛り込まれ、帽子の右側には、
ソーサラー(魔法使い)の頭文字である小さなSが縫い付けられている。
とはいえ、傍目から見れば軍人に見えるラウスは、当初こそはキリッとした軍服姿を見せていたが、今では服もあちこちが
皺だらけで、飲み屋から歩いてきた酔っ払いを思わせるほどだらしなく見える。
最も、こうなったのは理由がある。
ここ数日間、第38任務部隊はジャスオ領南部や北ウェンステル領北部の攻撃を行っていたため、司令部スタッフ達は夜通し、
作戦室に篭りっぱなしであった。
ラウスも魔法通信で頻繁に本国や、地上部隊等と連絡を取り合い、その後の書類仕事にも忙殺された。
そのため、彼は服を着替える暇を見つける事が出来ず、(というか、着替えるのもめんどくせえと思うのが常であった)酔っ払い
同然の格好となってしまった。
甲板に立ったラウスは、慌てて服装を整えた。
2分後に、ハルゼーが甲板に上がってきた。
「お帰りなさい、長官。」
カーニーとラウスは敬礼をする。
「ただいまカーニー。いい対談だったよ。」
ハルゼーは微笑みながら答礼を行った。
「お、ラウスが出迎えとは、珍しいじゃねえか。」
「近くに居たもんで、カーニーさんに出迎えしようと誘われたんすよ。」
「ほほう。敬礼もバッチシ決まってるな。しかし、この皺だらけの服装はちと酷いな。替えはどうした?」
「仕事が終わって、部屋に戻ろうとしたら主計兵が鼻歌まじりに持って行きました。今頃は綺麗に洗濯されてる頃です。」
「ハッハッハ!そりゃ運が無いな。」
ハルゼーは愉快そうに笑うと、カーニー達を連れてニュージャージーの艦内に入っていった。
作戦室に入ると、そこには通信参謀のマリオン・チーク大佐と航空参謀のホレスト・モルン大佐が談笑していた。
「よう。ただいま帰ったぜ。」
「お帰りなさい長官。」
「お帰りなさい。」
2人はハルゼーに笑みを向けながら挨拶をした。それからラウスを見たモルン大佐が人差し指を向けた。
「ラウス君。君はさっきまでどこにいたんだい?」
「はぁ、ちょっと甲板で休憩っす。どうかしたんですか?」
「君に手紙が来ててな、送り主は君のおっかない彼女だ。これを渡そうと部屋に行ったんだが、肝心の君がどこかに雲隠れしていてね。」
モルン大佐はそう言いながら、テーブルに置いてあった白い色の封筒をラウスに渡した。
「聞いて驚くな。ラウス君はさっきまで、第1砲塔の天蓋で眠ってたんだ。それも気持ちよさそうにな。」
カーニーの話を聞いたモルン大佐は思わず笑ってしまった。
「そりゃまた、変わった事をしますなぁ。」
「ほほう、ついに実行したか。」
ハルゼーがにやけながら、ラウスの肩を叩いた。
「前々から、あのでっかい砲塔の上で大の字になって眠ってみたい、とか言ってたな。」
「ええ。まぁ、最初は冗談のつもりだったんですが。」
「で、世界最大の艦砲の上で寝そべった感想は?」
ラウスはハルゼーの問いに、しばし考えてから答えた。
「気持ちいっすね!でも、最後はあんましでしたが・・・・」
「あんまし?何だいそりゃ?」
ハルゼーは首をかしげる。そこにカーニーが割って入った。
「ラウス君は自分が起こしに来るなり、いきなりガバッ!と起き上がったんですよ。何でも、訳の分らん悪夢を見たんだとか。」
カーニーはその時のラウスの様子を大袈裟に再現しながら、皆に伝えた。
すると、ラウスを除く皆が爆笑した。
「悪夢にうなされて正解でしたな。そのまま起きなかったら、17インチ砲の射撃でぶっ飛んでますよ。」
「うむ、悪夢に感謝せんといかんな!」
ハルゼーは笑いながらラウスの背中を叩いた。
「うえ、えぐいっすね。」
ラウスだけが、げんなりとした表情を浮かべながら言う。
自分が斉射時の爆風によって、吹き飛ばされる姿を想像してしまったようだ。
「長官、そういえば、陸軍から先の艦砲射撃に関する電報が入ってきています。」
チーク大佐は懐から紙を取り出し、それをハルゼーに渡した。
ハルゼーは紙を受け取って、内容を一読した。
「先の攻撃で、我々は要塞の占領に成功。アイオワ級戦艦の主砲は野砲数千門に匹敵せり。貴艦隊の支援射撃に感謝する。
ほう、陸さんは要塞を占領したか。」
「あの地域は北ウェンステル領西岸の要衝です。そこにデンと構えていた沿岸要塞は、陸軍にとってどうしても排除して
おきたい目標の1つでしたからなぁ。それがなんとか成し遂げられたんで、まずは一安心でしょう。」
「違いない。」
ハルゼーは頷いた。
「これで、シホット共の戦線は更に後退するだろうな。」
ハルゼーは、第3艦隊所属の第37任務部隊と第38任務部隊でもって、北ウェンステル領北部や、ジャスオ領南部の
西海岸部を、6月29日から徹底的に叩いた。
29日から2日かけて行われた空襲で、機動部隊の艦載機は港の船舶は勿論、軍事施設、行軍中の敵部隊、線路を走る
軍用列車等に容赦のない攻撃を繰り返した。
その結果、シホールアンル側の主要施設は勿論、鉄道や物資集積所等も片っ端から銃爆撃を浴びせられた。
シホールアンル側が設定していた北ウェンステル領西側地区への補給路は、この攻撃で完全に叩き潰された。
2日夜半には、陸軍側からの要請に応えて、TF38からアイオワ、ニュージャージーが頑強に抵抗を続ける沿岸要塞の砲撃のために
抽出され、日付が変わるまでには敵の要塞を沈黙させた。
たった1週間ほどの作戦行動であったが、第3艦隊はハルゼーの性格が乗り移ったかの如く、ここぞとばかりに暴れ回り、
シホールアンル側に少なからぬ打撃を与えたのである。
「そういえば、領主様との会談はどうでした?」
ラウスが話題を変えた。
「ああ、実に良い物だったよ。レインツェル領主は政治家としても、人としても最高だ。」
ハルゼーは満足気に言った。
彼がリミネに招待されたのは、艦隊がエスピリットゥ・サントに入港した7月4日の事である。
以前から、アメリカ軍の将官と話がしたいと思っていた彼女は、悩んだ末に、第3艦隊司令長官・・・・
昔はミスリアル救援艦隊を指揮していたハルゼーと対談したいと思い、現地の基地司令官を通じてハルゼーに招待状を送った。
前々からリミネの好評ぶりを聞いていたハルゼーは、この機会に彼女がどんな人か知りたいと思い、招待を受ける事にした。
ハルゼーは館に入るなり、リミネを始めとする家族に歓迎された。
中盤からはリミネと2人きりで会談し、1時間ほど語り合った。
ハルゼーは、この対談でリミネという人物が予想以上の賢君である事を確認した。
「自らの稼ぎを大幅に削ってまで、人臣に尽くすという事はなかなかできんものだよ。あの領主の館も、外見は豪華だが、
中身はそんじょそこらの家と変わらん。エスピリットゥ・サントのみならず、この地方の住民達は、本当に運がいいぜ。」
「リミネ様は以前から人気がありますからねぇ。」
ラウスが言う。
「うちの国では、その清楚ぶりからファンクラブまで結成される有様ですよ。」
「ファンクラブか。あの人の人柄なら、そんな類の物が1つや2つ出来ても不思議じゃないな。」
ハルゼーはそう言ってから、ハッハッハと笑った。
「いずれにしても、領主さんは素晴らしい人だ。利権ばかりに目がくらむワシントンの馬鹿議員共は、あの人の所で
一度修行したらいいぜ。」
ハルゼーの一言に、皆が失笑する。
「おっ、そういや、ラウスは数日前からずっと働き通しだったな。」
「ええ。まぁ昨日は3時間ほど寝ましたけど。」
「今日は特別に休暇をやろう。」
ハルゼーの言葉に、ラウスは目を輝かせんばかりに見開いた。
「本当っすか!?」
「本当だとも。艦隊に1人しかいない魔導参謀殿は大切せんといかんからな。その前に、ちょっくらアイスでも
食べないかね?」
「アイスですか・・・・いいっすね。」
「よし、決まりだな。お前達もどうだ?」
ハルゼーはその場にいた3人の幕僚達にも勧めた。
「では、私達もお付き合いします。」
カーニーらは苦笑しながら、ハルゼーと一緒に作戦室を出て行った。
作戦室から出てしばらく立つと、前から通信士官が歩いてきた。
通信士官はチーク大佐に紙を渡すと、そそくさと去っていった。
「どうした?」
「長官。これを。」
チーク大佐は紙をハルゼーに渡す。
「・・・・明後日、このエスピリットゥ・サントで、次の上陸作戦に関する作戦会議を開く、か。例の大作戦は
いよいよ秒読み段階に入ったという事か。」
ハルゼーは表情を引き締めながらそう独語した。
1484年(1944年)7月5日 午前10時 ミスリアル王国エスピリットゥ・サント
「どうですか、お味の方は?」
耳元に、綺麗な声音が聞こえる。彼は、視線を前方に向けた。
眼前には、柔和な笑みを浮かべたエルフの女性がソファーに座っている。
顔立ちは流麗そのもので、穏やかそうな目付きをしている。
腰まで伸びた銀色の長髪は、実に美しく、髪の間から出ている2つの尖った耳は彼女がエルフである事を特徴付けている。
服装は半袖状の青色の薄い服に、下は淡い水色のスカートをはいている。
誰が見ても、20代前半から中盤の若く、美しい娘にしか見えない。
「見事な物です。ここ最近は、艦隊でまずい代用コーヒーばかりを飲まされていましたから、このような上等な香茶を
飲めるのは実に嬉しいことですよ。」
反対側に座っていた男は微笑みながら言いつつも、内心では別の事を思う。
(全く、俺が若かったら、真っ先にプロポーズしてしまいそうなほどの美人ぶりだ。これで“俺よりも3歳年上”なんだから、
エルフっていう奴らは本当に凄いモンだ)
彼・・・・アメリカ合衆国第3艦隊司令長官、ウィリアム・ハルゼー大将は、目の前に座っている領主、リミネ・レインツェルに
向けてそう思った。
「艦隊で出されるお飲み物は、あまり良くない物しかないのですか?」
「いや、そうでもありませんよ。ただ、ここ最近はコーヒーの原料が少なくなっているせいで、旨いコーヒーが飲めなくなって
いるんです。まっ、コーヒーが不味くても問題はありません。一番厄介なのは、アイスクリームが食べられなくなった時ですな。」
「アイスクリームなら食べた事がありますよ。あの旨さは病み付きになりますね。私の子供も大好きで、最初の頃は町の店で
それを食べ過ぎて、しまいには腹痛を起こしてしまうほどでしたわ。」
レインツェル領主は苦笑しながら言った。
「しかし、何故厄介になるのです?」
「アイスクリームがあると無いとでは、兵の士気が明らかに違ってくるんですよ。3週間前でしたかな。軽空母フェイトの艦内に
あったアイスクリーム製造器が全部ぶっ壊れてしまったのですよ。その時は作戦中だったので、新しい製造器に変える余裕が無く、
アイス無しの生活を続けることになったのですが、それから2週間後が過ぎ、フェイトの士官から乗員の士気がかなり低下している
という報告が届けられました。その翌日には、フェイトで大きな着艦事故起きてしまいました。幸いにも死者は出ず、負傷者も軽傷
で済みました。私は、どうしてフェイトの乗員の士気が低下したのか調べさせました。そしたら、こんな報告が帰ってきましたよ。」
ハルゼーは話を一旦切り、一呼吸置いてから続ける。
「我が艦では、アイスクリーム無しの生活が2週間以上も続き、兵の士気低下は無視し得ぬ所まで及んでいる。最悪の場合は
兵の反乱という事態もあり得るであろう。士気を取り戻すためには、アイスクリーム製造器の早急なる換装が必要である、と。」
ハルゼーが言い終えた瞬間、レインツェル領主は大笑いしてしまった。
「フフフ、確かに厄介ですわね。その水兵さん達の気持ちは分らないでもありませんよ。」
「いやははは、私としては面目ない限りですよ。」
ハルゼーは苦笑しながらレインツェルに言い返す。
「それで、アイスクリーム製造器の換装は行ったのですか?」
「ええ。早急にやらせましたよ。幸いにも、我々に洋上補給を行おうとしていた補給船団が近くにいたので、
その中に混じっていた工作艦に頼んで製造器を全て新品に換えさせました。お陰で、フェイトの士気は無事に
戻りましたよ。」
ハルゼーはやれやれといった口調でそう話した。
「それにしても、貴族の館にしては・・・・」
彼は周囲を見回した。
ハルゼーはてっきり、館の中にも様々な装飾品があるのかと思っていた。
しかし、館の中は、所々に高級そうな物が置いてたり、メイドや執事が数人居る以外は、普通の家と余り変わらない内装である。
「質素過ぎる、ですか?」
「ええ。私としては、もうちょっと煌びやかな印象があった物で。」
「貴族にも色々と種類がありますのよ。」
レインツェル領主が香茶を啜りながら説明する。
「私達レインツェル家は、他の貴族と違って裕福ではありませんし、与えられた土地が寂しい所でしたから、得られる税収も
多くはありません。それに、私達の収入も少ないですから、このように、寂しい内装になってしまいました。」
レインツェル領主は微笑みを崩さずにそう言った。
(いや、収入が少ない、という事は無いな)
ハルゼーは内心で、レインツェル領主が言った言葉を否定した。
エスピリットゥ・サントは、ミレーネンブルツ地方(アメリカから見れば州に匹敵する)の中心都市であり、領地を任された
領主ともなれば、土地が小さいとはいえども、王国側から少なからぬ収入を得る事が出来る。
ミレーネンブルツ地方は、他の地方と比べれば小さい部類に入るが、それでも収入は大きい。
普通に行けば、館の内装ももっと豪華に出来る。
しかし、リミネは領地の財政ばかりか、国から送られる領主への報酬までもを領地の復興に注ぎ込んでいた。
エスピリットゥ・サントでは、1483年9月に、新たに3つの学校が出来た。
ミレーネンブルツ地方では、エスピリットゥ・サント以外の場所でもあちこちに学校や公共施設が出来上がった。
学校の教育費はほぼ無料で、公共施設は少ない料金で誰でも入る事が出来、未だに戦災で苦しむ住民達に広く使用されている。
また、その他の政策でも常に、領地の住民を第一に考えており、ミレーネンブルツ地方の人々はこの善政によって多くが救われている。
このように、リミネは領地の復興に尽力しているのだが、得られる収入も復興費に当てているため、貴族にしては妙に
みすぼらしい格好となってしまった。
「でも、私は住民の笑顔さえ見られればそれで充分です。臣民は国の宝です。彼らを大事にする事が最良の政策だと、
あたしは常々思っています。」
ハルゼーは、穏やかな口調で語るリミネに心を打たれた。
(報酬は、住民達の喜ぶ姿か・・・・政治家の鏡とは、まさにこの事だぜ)
ハルゼーは内心で感嘆した。
それと同時に、馬鹿な政策ばかりを実行するシホールアンルやマオンドの首脳達にも、彼女の本音を直に聞いて貰いたいな
とも思った。
ハルゼーはふと、壁の肖像画に目が止まった。
肖像画には2人の女性が描かれている。
1人は椅子に座って柔和な笑みを浮かべ、もう1人は凛々しげな表情を浮かべている。
「あの絵は、あなたの自画像ですかな?」
「ああ、あの絵・・・・」
リミネは後ろを振り返る。
「はい。あれは、妹のイールと一緒に居るときに、絵師に描いて貰った物です。」
「実に素晴らしい物ですな。まるで写真のようだ。」
ハルゼーはリミネに対して、本心でそう言った。
「そういえば、妹様はいらっしゃらないのですか?」
「いえ。」
リミネは首を振った。
「イールは亡くなりました。3年前に、シホールアンル軍の艦砲射撃で。」
それを聞いた瞬間、ハルゼーは内心でまずいと思ってしまった。
「・・・いらぬ事をお聞きして、申し訳ありません。」
「いえ、良いのです。」
頭を下げるハルゼーを見て、リミネは微笑みながら言った。
「別に、提督に非はありませんわ。」
「はっ・・・・そう言って頂けると幸いですが、いや、面目ない限りです。」
ハルゼーはやや気まずそうな口調で言いつつ、テーブルに置いてあった香茶を一口啜った。
「どうです提督?場所を変えてお話をしませんか?」
リミネは笑みを張り付かせたまま、左手の人差し指を、とある場所に向けながら言う。
「ベランダですか。」
「はい。ここから見る景色はとても良い物ですよ。」
リミネは立ち上がるなり、そそくさとベランダの枠の付いたガラス扉を開いた。
ハルゼーも腰を上げて、ベランダへと足を運んだ。
彼はベランダから見る風景にやや驚いた。
「どうです?綺麗でしょう。」
「ほほう、これは凄いですな。この風景を絵にすれば高く売れそうだ。」
彼は目を輝かせながら、ベランダの手すりに両手を置いた。
ベランダの向こうには、広大なエスピリットゥ・サントの入り江が一望できた。
領主の館は、半円状になっているエスピリットゥ・サント港の西側出入り口の近くにある小高い山の上に建てられている。
「父が、せめて景色だけは豪華にしたいと思い、少ない予算で館をここに建てたのです。」
「父君の判断は見事に当たりましたな。ここから見る景色は本当に美しい。」
ハルゼーは、リミネに微笑みかけながら言う。
「最近は、ここから見る景色も見栄えが出てきました。息子のランスト等は、ここであなた方の艦隊を見るのがいつも楽しい、
と言ってますよ。」
「そうなのですか。領主様のご子息が我々のファンであるとは、実に嬉しいですな。」
「実を言うと、私も息子に感化されてしまったようで、こうして、大艦隊が集まっている風景を見ると、自然と胸が熱くなります。」
「艦隊は、見る人の心をくすぐりますからな。領主様もそう思っておられるのならば、心は既に、我々と同じ海軍軍人ですな。」
「流石はハルゼー提督。ご冗談が上手いですわ。」
リミネがそう言うと、2人は思わず、声を上げて笑ってしまった。
「それにしても、この町も、随分と活気が戻ってきましたな。我々が来たときは、少々寂しい感じがしましたが。」
ひとしきり笑った後、ハルゼーは町を見つめながらそう言った。
「アメリカがここを根拠地にしてくれたお陰で、新しい建物や店が増えましたからね。その影響で、町の人口も
大幅に増え、各種産業も徐々にですが、回復しつつあります。」
第2時バゼット海海戦終了から5ヶ月が経った、1943年4月。
アメリカはこのエスピリットゥ・サントを新たな根拠地に定めた。
それからと言う物の、アメリカ本国からは各種機材が次々と搬入され、8月には移動式浮きドックが現地に到着し、
損傷艦の修理がここでも行える状態になった。
9月までには、エスピリットゥ・サント港の近隣には海軍工兵大隊、通称シービーズの隊員が建設した各種レジャー
施設等が稼働し始め、週に1回は現地の住民達にもアイスクリームやコーラの類をサービスしたり、ジャズや音楽の
ライブを開いて住民達を集めた。
ミスリアルの住民達にはこのサービスが大受けし、10月にはジャズのライブ中に吟遊詩人が飛び入り参加し、
数千人の住人達が、ライブに来ていた米兵達と一緒に聖者の行進を大合唱するという、良い意味でのハプニングが起きた。
12月には人口が2万人を突破し、それ以降も町は急速に繁栄し続けている。
港の入り江には、数え切れないほどの船が停泊している。
その中で一際目立つ集団が、入り江の西側に停泊していた。
その集団こそ、ハルゼーの指揮下にある第3艦隊第38任務部隊の艨艟達だ。
集団の中には幾らか目立つ艦が複数いる。
その中で、比較的平らな艦が居る。その艦こそ、第38任務部隊の主力たる正規空母群である。
そして、空母の側に居るごつく、逞しい感じの艦は戦艦であり、その戦艦の中でも特に目立つ艦が2隻も居る。
昨年下半期から順次竣工し始めたアイオワ級戦艦のネームシップである、アイオワと、ハルゼーの旗艦であるニュージャージーだ。
この2隻の存在感は圧倒的であり、他の艦の存在感を吸い取っているかのようにも思えるほどだ。
(ここからは初めて見るが、やはり、俺の艦隊は見栄えがあるなぁ)
ハルゼーは、ベランダから見える自分の艦隊に対して、誇らしげな気持ちになった。
「エスピリットゥ・サントの町はあまり言った事がないので良く分かりませんが、今度、暇が出来たらじっくりと見て回りたい物です。」
ハルゼーの言葉に、リミネは爽やかな笑みを浮かべた。
「是非見ていってください。私としては、週末に行く事をオススメしますわ。」
リミネの提案に、ハルゼーは頷きながら返答した。
「ええ。では、今度の週末に行くとしましょう。ちょうど、うちの司令部に運動不足気味な男がおりまして、
そいつも誘って遊びに行きますよ。」
午前11時20分 第3艦隊旗艦 戦艦ニュージャージー
ハルゼーが旗艦に定めている戦艦ニュージャージーは、第38任務部隊第2任務群に属している。
ニュージャージーは、ネームシップであるアイオワと隣り合わせになりながら停泊していた。
基準排水量57000トンの巨体と、48口径17インチ3連装砲は、その機能的な艦上構造物と相まって、
アイオワ級の見栄えをより一層無骨に、そして、優美に見せており、誰が見ても圧倒的な存在感を感じさせている。
この2艦の姉妹艦であるウィスコンシンとミズーリが、先のモンメロ沖海戦の際、17インチの大口径砲弾で
マオンド新鋭戦艦を叩きのめし、敵の繰り出す攻撃を物ともしなかった事は記憶に新しい。
ニュージャージーも、7月2日の北ウェンステル領の沿岸要塞砲撃の際には、敵の頑丈な要塞に対して、
姉であるアイオワと共に17インチの豪砲を唸らせ、それまで陸軍の前進部隊を悩ませていた要塞砲を、内部に
居たキリラルブスの群れごと粉砕している。
(この時、内部に居たキリラルブスは、5月30日の戦闘で出現した新型キリラルブスと同じ物で、前進部隊の
背後や側面に回っては、米軍を手酷く痛めつけていた)
名実共に、世界最強の戦艦の1隻であるニュージャージー。
その戦艦の第1砲塔の上で、
「くぅー」
心地良さそうな寝息を立てる者が居た。
男は、着ていた上着を側に脱ぎ捨て、大の字になって眠っている。
髪はぼさぼさに伸びており、時折、ゆらゆらと潮風に揺られる。
その時の風景は、この男があたかも寝る事に特化しているのだな、と如実に思わせるほどである。
上着を脱ぎ捨て、肌着とズボンにだらしなく皺を作りながら寝ている男の所に、別の男が近付きつつあった。
第3艦隊参謀長であるロバート・カーニー少将は、砲塔の左横にある梯子を上って天蓋に上がった。
「おいおい、前々からやるとは思っていたが、本当にやっちまうとは。」
カーニー少将は呆れながら呟く。
彼は眠り男の側まで歩み寄り、屈んでから名前を呼んだ。
「おいラウス君。起きろ、休憩時間はとっくに終わったぞ。」
カーニー少将は、男・・・第3艦隊魔道参謀ラウス・クレーゲルの肩をポンポンと叩いた。
しかし、ラウスは気持ち良さそうに眠り続けるだけで、全く起きようとしない。
カーニーは2、3度ほどラウスに呼び掛けたが、本人は全く無反応であった。
「まぁ、昨日は死ぬほど書類整理をやらされた上に、長官とお勉強会をしたからなぁ。あと5分は寝かせてやるか。」
カーニーはそう呟くと、ラウスの側を離れようとした。
その瞬間、ラウスが目を見開き、物凄い勢いで姿勢を起こした。
「うわ!?」
カーニーは危うく、跳ね上がるラウスの頭に顎をぶつけそうになったが、間一髪で避けれた。
ラウスは口元に涎をたらしたままくるくると、怯えた目付きで左右を見渡した。
そのついでに、砲塔の下まで視線をめぐらせた後、最後にカーニーと目があった。
「あ、おはようっす。」
「お、おう。」
カーニーは戸惑いながらも、何とか返した。
「はぁ~、夢でよかったぁ~。」
「何だ?悪い夢でも見たのかね?」
カーニーの問いに、ラウスは頷いた。
「なんか、空を飛ぶ人間に連れ去られて、あれこれやられる夢を見ちまいました。何故か、夢の最後にはリエルが
出てきて、自分の股間を見て、「あら、小さい♪」とか抜かしてから高笑いしつつ、棍棒を自分の頭目掛けて振り下ろ
してきました。」
「なに訳のわからん事いっとるんだ。疲れが取れてないのか?」
「う~ん・・・・どうやらそのようっすね。という訳で、もちっと寝ていいですか?」
「いや、そろそろ立ち上がってシャキッとしなければならんようだぞ。」
カーニーはそう言いながら、前方から航行してくる内火艇に顎をしゃくった。
ニュージャージーの右舷前方から1隻の内火艇が向かってきた。
カーニーは時計を見てから、ラウスの肩をポンと叩いた。
「親父さんのご帰宅だ。一緒に出迎えるぞ。」
「あいあいさー。」
ラウスは大欠伸をしながらカーニーに答えた。
彼は、5月4日から第3艦隊魔道参謀としてニュージャージーに乗り組んでいる。
魔道参謀という肩書きは、アメリカ側が勝手に用意した物だが、後にバルランド側にも承認され、ラウスは特別に
仕立てられた服を着て、大尉待遇で第3艦隊司令部スタッフに迎え入れられた。
制服のデザインは、アメリカ海軍の軍服と似通っており、今来ているのはカーキ色のシャツとズボンである。
ただし、階級章はバルランド軍特有の剣状のマークであり、それが両肩に付けられている。
制帽もアメリカ海軍のものと似通ってはいるが、細部はバルランド軍特有のデザインが盛り込まれ、帽子の右側には、
ソーサラー(魔法使い)の頭文字である小さなSが縫い付けられている。
とはいえ、傍目から見れば軍人に見えるラウスは、当初こそはキリッとした軍服姿を見せていたが、今では服もあちこちが
皺だらけで、飲み屋から歩いてきた酔っ払いを思わせるほどだらしなく見える。
最も、こうなったのは理由がある。
ここ数日間、第38任務部隊はジャスオ領南部や北ウェンステル領北部の攻撃を行っていたため、司令部スタッフ達は夜通し、
作戦室に篭りっぱなしであった。
ラウスも魔法通信で頻繁に本国や、地上部隊等と連絡を取り合い、その後の書類仕事にも忙殺された。
そのため、彼は服を着替える暇を見つける事が出来ず、(というか、着替えるのもめんどくせえと思うのが常であった)酔っ払い
同然の格好となってしまった。
甲板に立ったラウスは、慌てて服装を整えた。
2分後に、ハルゼーが甲板に上がってきた。
「お帰りなさい、長官。」
カーニーとラウスは敬礼をする。
「ただいまカーニー。いい対談だったよ。」
ハルゼーは微笑みながら答礼を行った。
「お、ラウスが出迎えとは、珍しいじゃねえか。」
「近くに居たもんで、カーニーさんに出迎えしようと誘われたんすよ。」
「ほほう。敬礼もバッチシ決まってるな。しかし、この皺だらけの服装はちと酷いな。替えはどうした?」
「仕事が終わって、部屋に戻ろうとしたら主計兵が鼻歌まじりに持って行きました。今頃は綺麗に洗濯されてる頃です。」
「ハッハッハ!そりゃ運が無いな。」
ハルゼーは愉快そうに笑うと、カーニー達を連れてニュージャージーの艦内に入っていった。
作戦室に入ると、そこには通信参謀のマリオン・チーク大佐と航空参謀のホレスト・モルン大佐が談笑していた。
「よう。ただいま帰ったぜ。」
「お帰りなさい長官。」
「お帰りなさい。」
2人はハルゼーに笑みを向けながら挨拶をした。それからラウスを見たモルン大佐が人差し指を向けた。
「ラウス君。君はさっきまでどこにいたんだい?」
「はぁ、ちょっと甲板で休憩っす。どうかしたんですか?」
「君に手紙が来ててな、送り主は君のおっかない彼女だ。これを渡そうと部屋に行ったんだが、肝心の君がどこかに雲隠れしていてね。」
モルン大佐はそう言いながら、テーブルに置いてあった白い色の封筒をラウスに渡した。
「聞いて驚くな。ラウス君はさっきまで、第1砲塔の天蓋で眠ってたんだ。それも気持ちよさそうにな。」
カーニーの話を聞いたモルン大佐は思わず笑ってしまった。
「そりゃまた、変わった事をしますなぁ。」
「ほほう、ついに実行したか。」
ハルゼーがにやけながら、ラウスの肩を叩いた。
「前々から、あのでっかい砲塔の上で大の字になって眠ってみたい、とか言ってたな。」
「ええ。まぁ、最初は冗談のつもりだったんですが。」
「で、世界最大の艦砲の上で寝そべった感想は?」
ラウスはハルゼーの問いに、しばし考えてから答えた。
「気持ちいっすね!でも、最後はあんましでしたが・・・・」
「あんまし?何だいそりゃ?」
ハルゼーは首をかしげる。そこにカーニーが割って入った。
「ラウス君は自分が起こしに来るなり、いきなりガバッ!と起き上がったんですよ。何でも、訳の分らん悪夢を見たんだとか。」
カーニーはその時のラウスの様子を大袈裟に再現しながら、皆に伝えた。
すると、ラウスを除く皆が爆笑した。
「悪夢にうなされて正解でしたな。そのまま起きなかったら、17インチ砲の射撃でぶっ飛んでますよ。」
「うむ、悪夢に感謝せんといかんな!」
ハルゼーは笑いながらラウスの背中を叩いた。
「うえ、えぐいっすね。」
ラウスだけが、げんなりとした表情を浮かべながら言う。
自分が斉射時の爆風によって、吹き飛ばされる姿を想像してしまったようだ。
「長官、そういえば、陸軍から先の艦砲射撃に関する電報が入ってきています。」
チーク大佐は懐から紙を取り出し、それをハルゼーに渡した。
ハルゼーは紙を受け取って、内容を一読した。
「先の攻撃で、我々は要塞の占領に成功。アイオワ級戦艦の主砲は野砲数千門に匹敵せり。貴艦隊の支援射撃に感謝する。
ほう、陸さんは要塞を占領したか。」
「あの地域は北ウェンステル領西岸の要衝です。そこにデンと構えていた沿岸要塞は、陸軍にとってどうしても排除して
おきたい目標の1つでしたからなぁ。それがなんとか成し遂げられたんで、まずは一安心でしょう。」
「違いない。」
ハルゼーは頷いた。
「これで、シホット共の戦線は更に後退するだろうな。」
ハルゼーは、第3艦隊所属の第37任務部隊と第38任務部隊でもって、北ウェンステル領北部や、ジャスオ領南部の
西海岸部を、6月29日から徹底的に叩いた。
29日から2日かけて行われた空襲で、機動部隊の艦載機は港の船舶は勿論、軍事施設、行軍中の敵部隊、線路を走る
軍用列車等に容赦のない攻撃を繰り返した。
その結果、シホールアンル側の主要施設は勿論、鉄道や物資集積所等も片っ端から銃爆撃を浴びせられた。
シホールアンル側が設定していた北ウェンステル領西側地区への補給路は、この攻撃で完全に叩き潰された。
2日夜半には、陸軍側からの要請に応えて、TF38からアイオワ、ニュージャージーが頑強に抵抗を続ける沿岸要塞の砲撃のために
抽出され、日付が変わるまでには敵の要塞を沈黙させた。
たった1週間ほどの作戦行動であったが、第3艦隊はハルゼーの性格が乗り移ったかの如く、ここぞとばかりに暴れ回り、
シホールアンル側に少なからぬ打撃を与えたのである。
「そういえば、領主様との会談はどうでした?」
ラウスが話題を変えた。
「ああ、実に良い物だったよ。レインツェル領主は政治家としても、人としても最高だ。」
ハルゼーは満足気に言った。
彼がリミネに招待されたのは、艦隊がエスピリットゥ・サントに入港した7月4日の事である。
以前から、アメリカ軍の将官と話がしたいと思っていた彼女は、悩んだ末に、第3艦隊司令長官・・・・
昔はミスリアル救援艦隊を指揮していたハルゼーと対談したいと思い、現地の基地司令官を通じてハルゼーに招待状を送った。
前々からリミネの好評ぶりを聞いていたハルゼーは、この機会に彼女がどんな人か知りたいと思い、招待を受ける事にした。
ハルゼーは館に入るなり、リミネを始めとする家族に歓迎された。
中盤からはリミネと2人きりで会談し、1時間ほど語り合った。
ハルゼーは、この対談でリミネという人物が予想以上の賢君である事を確認した。
「自らの稼ぎを大幅に削ってまで、人臣に尽くすという事はなかなかできんものだよ。あの領主の館も、外見は豪華だが、
中身はそんじょそこらの家と変わらん。エスピリットゥ・サントのみならず、この地方の住民達は、本当に運がいいぜ。」
「リミネ様は以前から人気がありますからねぇ。」
ラウスが言う。
「うちの国では、その清楚ぶりからファンクラブまで結成される有様ですよ。」
「ファンクラブか。あの人の人柄なら、そんな類の物が1つや2つ出来ても不思議じゃないな。」
ハルゼーはそう言ってから、ハッハッハと笑った。
「いずれにしても、領主さんは素晴らしい人だ。利権ばかりに目がくらむワシントンの馬鹿議員共は、あの人の所で
一度修行したらいいぜ。」
ハルゼーの一言に、皆が失笑する。
「おっ、そういや、ラウスは数日前からずっと働き通しだったな。」
「ええ。まぁ昨日は3時間ほど寝ましたけど。」
「今日は特別に休暇をやろう。」
ハルゼーの言葉に、ラウスは目を輝かせんばかりに見開いた。
「本当っすか!?」
「本当だとも。艦隊に1人しかいない魔導参謀殿は大切せんといかんからな。その前に、ちょっくらアイスでも
食べないかね?」
「アイスですか・・・・いいっすね。」
「よし、決まりだな。お前達もどうだ?」
ハルゼーはその場にいた3人の幕僚達にも勧めた。
「では、私達もお付き合いします。」
カーニーらは苦笑しながら、ハルゼーと一緒に作戦室を出て行った。
作戦室から出てしばらく立つと、前から通信士官が歩いてきた。
通信士官はチーク大佐に紙を渡すと、そそくさと去っていった。
「どうした?」
「長官。これを。」
チーク大佐は紙をハルゼーに渡す。
「・・・・明後日、このエスピリットゥ・サントで、次の上陸作戦に関する作戦会議を開く、か。例の大作戦は
いよいよ秒読み段階に入ったという事か。」
ハルゼーは表情を引き締めながらそう独語した。