月刊経済誌『FACTA』(2010年12月号 p.28-29)に、カプコンの社内事情を巡る記事が掲載された。
それは、昨今取り沙汰された、稲船敬二氏の進退を巡る問題であり、
社内における氏と辻本社長との確執を巡るものであった。
なお、当該記事内部には、BASARAのBの字や、小林氏の小の字も出てこない。
その意味では、本Wikiに引用するのは不適切であるように思える内容の記事なのだが、
Bを巡る社内の動きが仄見えてくる興味深いものなので、敢えて引用に踏み切った次第である。
以下、引用者による適宜改行等あり。
カプコンを脱藩した「鬼武者」稲船
叩き上げ創業者の使い捨て経営に、見切りをつけた。ゲームづくりの雄が挑むリベンジとは。
以上、記事のタイトルと導入部。
以下がその内容となる。
作家、村上龍がメルマガの編集長や電子書籍の出版に挑戦するのはいい。
でも、テレビ東京の経済人ドッコイショ番組『カンブリア宮殿』のキャスターはいただけない。
悲しいかな、所詮は知ったかぶりだから、企業経営の本質を見抜けないのだ。
記事にもあるように、作家の村上龍氏はメールマガジン『JMM』や、
電子書籍の出版会社であるG2010を主宰しており、
テレビ東京の経済ドキュメンタリー番組である『カンブリア宮殿』のキャスターを務めている。
ドッコイショ番組という謎の用語であるが、経済人を「ヨイショ」するつもりが、
実際には見当外れであるという意味からそう呼ばれているのであろう。
なお、実際に『カンブリア宮殿』や『ガイアの夜明け』といったテレビ東京系の番組に採用されると、
その企業は傾くというジンクスがあるらしい。
実際には、傾き気味の企業が宣伝という形で取材を容易に受けるからであるらしいが。
その意味では、実はカプコンの将来は…
8月2日放映の、「駄菓子屋から世界企業へ 辻本憲三」編がそうだった。
間口3間から始まる立志伝、綿菓子製造機、
改造パチンコ台、インベーダーゲームと三段跳びでカプコンを創業し、
ファミコンゲームから「ストリートファイター」や「バイオハザード」などのヒットで、
スクウェア・エニックスと並ぶ家庭用ゲームソフト大手(東証・大証1部上場)にのし上がった。
こちらの内容はほぼ現実に即している。
精々、辻本憲三氏が創立に関わったアイレムを追放され、カプコンを立ち上げたことが書かれていない位か。
なお、本放送はゲハ板を中心に、2ちゃんねるでも広く話題を呼んだことが記憶に新しい。
一挙にネットスラングとなった「どん判金ドブ」の出典が当放送であることからもそれは明白であろう。
ここにある綿菓子製造機・改造パチンコ台・インベーダーゲーム(の海賊版)というラインナップは、
ゲーム業界草創期が基本的にはテキ屋の領域にあったことを示すものと言えるかもしれない。
それは現在の変化を遂げたゲーム市場においては徐々に払拭されたものの筈なのであるが、
今なお変わらずに残っている側面がある様である。
それが、当のカプコン社長の辻本氏本人に他ならない。
テレ東は6月にも「ワールドビジネスサテライト」で辻本を持ち上げている。
「作れば売れる時代の終焉」と。
8月の番組では、会長室で分厚い資料の数字と格闘する69歳の辻本の姿が映る。
「現場より数字」とのナレーション。
村上が「成功した経営者は現場主義が多いのですが、なぜ現場より数字なのですか」と尋ねると、
あてにならないクリエーターの言い分より「数字のほうが安心」と会長は嬉々として答えた。
ここでの村上氏の疑問は至極当然のことであり、寧ろ辻本会長の物言いにこそ疑問を感じる方は多かろう。
数字はあくまで数字でしかなく、どれだけ売上の数値を伸ばしたところで、
数値には表しがたいものを喪失しては、企業としては却って危機に陥りかねない。
その例が、社内の人材の質・量や雰囲気といったものであり、対外的な信用はその代表の一つといっていい。
当Wikiの利用者諸賢も、恐らくはB関係でのカプコン不信が利用の動機の一つになっているのではなかろうか。
このような言動をする会長と、大規模な宣伝で数値を積み重ねた小林氏との相性は悪くなさそうである。
''三本指に入るヒットメーカー''
したり顔でうなずく村上。
作家とはなんて鈍感な生き物なのだろう。
同社900人のゲーム開発部隊を統括し、20件以上のプロジェクトを指揮していた
常務執行役員(開発統括本部長兼コンテンツ統轄)稲船敬二(45)と創業者が
抜き差しならなくなっていたのが感じとれないのだ。
恐らく、本記事の主題はここからになる。
この記事が掲載される以前から、稲船氏近辺の言動を訝る声は強まってきていた。
それを裏付ける内容の記事となっている。
稲船は「ロックマン」「鬼武者」「モンスターハンター」「デッドライジング」などのヒット作を世に送り、
日本のゲーム業界では「スーパーマリオ」の宮本茂、「メタルギア・ソリッド」の小島秀夫と並ぶ
スター三人衆の一人。
番組では、「どんな判断や、金をドブに捨てる気か!」と叫ぶシーンがちらっと映るが、嫌々だったという。
手柄をすべて独り占めする創業者一族に鼻白んでいたのだ。
この「スター三人衆」の人選は、異論もあるだろうが一応は無難なものとは言える。
後半は、件の名言が、一種のヤラセであったことを示す、貴重な内容である。
9月20日、米ニューヨーク・タイムズ紙に稲船の長文インタビューが載った。
過去最高の194社が参加した参加した9月の「東京ゲームショー2010」の内容を酷評している。
「みんな、ひどいゲームをつくってる。
日本は少なくとも5年は遅れた。
コンソールで遊ぶ最後の世代のためにゲームを作っているようなもんだ」と一刀両断。
稲船はすでに独立するハラだった。
本年度(2010年)の東京ゲームショー(TGS)の内容が、各所で阿鼻叫喚を引き起こした、
惨憺たる代物であったことは、今なお記憶に新しい。
「フューチャー賞」を受賞したMMORPG、『ファイナルファンタジー14』の歴史的迷走。
同賞を受賞したギャルゲー『アイドルマスター2』の歴史的惨敗(俗に言う9・18事件)など、
今後の我が国のゲーム市場の暗澹たる未来を想像させるに足る内容だったのである。
その意味では、稲船氏が我が国のゲーム市場を面罵したのは決して間違えた言動とは言えない。
但し、当の稲船氏自身が外注した『DmC Devil May Cry』もまた、
『デビル名倉イ』と酷評される、独善的なキャラ改悪をしたことも確かなのだが。
9月27日、稲船は会長と会う。
その時点までは、継続中のプロジェクトは独立後も外注という形で請け負う気でいた。
ところが、飼い犬に手を噛まれたと思ったか、会長は数日後に小田民雄CFO(最高財務責任者)兼取締役と
一井勝彦常務執行役員(コンシューマーエンターテインメント事業統括本部長)を呼び、
「稲船とは一切契約をしない」と告げた。
ワンマン社長にありがちな、独断・独善的決定と言える。
それも、明確な理由があってのことではなく、まず私怨の類なのであるから如何しようもない。
カプコンが、一部上場企業には珍しい同族経営の会社であることはよく知られているが、
同族経営の典型的な負の側面がこうも剥き出しになるのは珍しいといえる。
仰天したのは役員陣だ。
稲船が居ないと進行中のプロジェクトの8割に支障が出る。
開発が軒並み保留か中止になったら、数十億円の損失を出しかねない
(カプコン広報・IR誌は本誌に「影響なし」と回答した)。
ゲーム開発は一作品に三年かかるものなどザラで、影響は今後数年に及ぶかもしれない。
二人は懸命にとりなしたが、会長の怒りは収まらない。
息子の春弘社長も説得に加わったが、稲船と同年齢の引け目からか、途中で腰砕けになった。
役員陣の反応は、当然のものであろう。
と同時に、現在のゲーム開発の期間や予算に関する一種の相場が垣間見えて興味深い。
既にHD機向けのゲーム開発で各社が苦戦していることが度々報じられているが、それを傍証するものであろう。
また、辻本会長の子息である春弘社長の立場の複雑さも見えてくる。
氏は、心情的にも、年齢的にも恐らくは稲船氏の立場に近いのであろうが、
今なお確固たる実績のない氏の立場は相当脆弱なものであると推測される。
現在、モンスターハンターポータブル3rdが発売されており、そのプロデューサーとして活躍中の氏ではあるが、
当のMHシリーズ自体が、退社した船水紀孝氏の遺産でしかないため、ある種の箔付けと見られているためである。
稲船の不満は「日本のゲームはかつて世界を制覇した。
なのに、頑張ったクリエーターは報われない。
一生懸命働くだけ損なんです。
カプコンの様なパブリッシャーが、どんなに力のあるデベロッパーでも下請扱いして、
裏切るようにロイヤリティーを仕切る。
夢がないから、ジリ貧となった」というものだ。
稲船氏の嘆きである。
ゲーム開発はあくまで商品開発であり、ビジネスの一環に他ならない。
その意味では、パブリッシャーという上流が、デベロッパーを下請扱いするのはやむを得ない側面がある。
しかし、ゲームは単純な商品と断言し難い側面があるのもまた確かであり、
そこには稲船氏が触れるような、理想主義(悪く言えばロマンチシズム)もまた必要となるのであろう。
そして、それこそが稲船氏と辻本会長の袂を分かった最大の相違点とみられる。
結局、稲船は「カプコンではもうやることがない」と辞表を提出、
10月下旬のコーポレート会議で受理された。
28日のプレスリリースでは執行役員の1人の昇格だけ発表し、
稲船は29日の自身のブログで退社を告げた(正式退社は11月下旬)。
稲船のカプコン社歴は23年。
生え抜きの才能が失われたのは、これが初めてではない。
「ストリートファイター」を開発した岡本吉起も、
ハリウッドで映画化された「バイオハザード」の三上真司も、みな辻本に切られた。
会長の持論は、クリエーターは放っておくと金食い虫になる、旬が過ぎたら使い捨て----。
「開発部門で人を切ったら次々にヒットが生まれた」と胸を張っている。
カプコンが人材を使い捨てにしていることは度々言及され、また、定着率も決して高いとは言えない。
本文中で言及された、稲船氏・岡本氏・三上氏の三者は、その捨てられた人材の例としてよく知られている。
但し、稲船氏自身が粛清人事に加担したケースもあるらしく、一面的に被害者として扱うことは出来ないが。
辻本会長は「金食い虫」扱いをしているが、それこそ一般論として、
人材を軽視する企業は一気に斜陽を迎えるであろうことは想像に難くない。
先のTGSの所で言及した、スクウェア・エニックスと『FF14』の問題は、その典型例と言えるであろう。
ゲームセンター回りの営業から叩き上げた創業者の恣意的人事やワンマン経営と、
ゲーム開発の最先端でしのぎを削るクリエーターの相克というだけでは済まない。
日本のシェアは凋落して今や15%程度、8割以上を海外勢に占められている。
日本では50万程度売れればヒットだが、世界を狙うなら開発に40億円、宣伝に20億円はかかる。
だが、年間最終利益65億円(11年3月期見込み)のカプコンではそのリスクに耐えられない。
クリエーターやデベロッパーを締め上げるしかないのだ。
現在の我が国のゲーム市場が苦境に陥っていることは、今更述べるまでもなかろう。
しかし、これは決して我が国のゲーム市場だけが問題を抱えていることを意味しているわけではない。
開発・宣伝にかかる膨大なコストとそのリスクは、海外の一流企業ですら容易に耐えられるものではなく、
損益分岐点が途方もないほど高く設定されているという現実もまたあるのであり、
この負担故、海外のゲーム開発が「チキンレース」と化していることもよく指摘される。
「クリエーターやデベロッパーを締め上げるしかない」のは海外でもそこまで変わらない。
それでも、ゲームビジネスに対する一定程度の理解が確立されている海外の方が、
投資などの面で確実に有利なのもまた確かである。
さて、我が国の財界や知識人層は、これまでゲームビジネスを正当に評価したことがどれだけあっただろうか?
凋落したところで、今更したり顔をされても困る。
将来、100億円単位の資本投下が必要になれば、ゲームソフトだけでの回収はムリ。
映画やテレビやキャラクターグッズなどの複合ビジネスが必要だが、
辻本にはビジネスモデルの飛躍が出来ない。
当該記事を当Wikiに採りあげるべきだと判断したのは、記事のこの箇所ゆえである。
何故なら、ゲームソフトだけの回収を考慮しない、現時点のカプコンにおける複合型ビジネスの代表として、
BASARAへの言及は避けられないと思われるからである。
現時点では、本記事のように、カプコンがそのような方向へビジネスの舵取りをしていくかは不明である。
しかし、今後のゲーム業界の展開を考えると、一概に否定することもまた出来ないだろう。
上記の通り、辻本会長が銭ゲバクラスの数値至上主義者であれば、
利益に繋がるBASARAを前面に押し出してくる事態は決して否定できるものではないのである。
また、当Wikiにある、小林氏の言動自身も、不安要素の一つとなる。
ワンマンの下に集まるのはイエスマンと相場が決まっており、
小林氏の性格からして、自身の売り込み・予算確保のために辻本会長の腰巾着になっている可能性は高い。
或いは、度々問題視される小林氏の言動が半ば放置されているのは、
辻本会長の寵愛を受けているからではないか?
そこまで大きな業績を挙げたわけではない小林氏が、稲船氏の後任に抜擢されたのも、
上層部の恣意的な人事の結果だと考えられるのである。
勿論、これらは推測に推測を重ねたものであり、明確な裏付けがあるわけではない。
反面、これらの疑惑を払拭するに足る動きが全く見えないのもまた確かである。
''辻本一族がクロス取引''
番組に映った会長室がいい例で、在庫と計画をにらめっこするシャイロック。
ジュラルミンケースで運ぶ膨大な書類の山は、辻本がパソコンやインターネットも使えず、
自分ではゲームができないことを示している。
村上サン、気づきませんか。
あれではオンラインゲームも3Dも分かりっこないことが。
文中の「シャイロック」は、シェイクスピアの戯曲『ヴェニスの商人』に登場する商人の名である。
劇中でのその悪辣な商売人ぶりから、外道商人の代名詞として知られることとなった。
辻本会長をシャイロックに準え、村上氏をサン呼ばわりする等、当記事の番組批判は兎角手厳しい。
勿論、それは、見る人が見れば分かるということなのであろうが。
11月5日、大量保有報告書で辻本一族のクロス取引が明らかになった。
業績低迷を見越した大幅売り越しと見られても仕方がない。
「クロス取引」とは、株式の取引に際し、同一株数で同一値段の買い注文と売り注文を同時に発注し、
契約を成立させることを指す。
こうする事で、市中の株式の保有状態を変えることなく利益や損失を調整することが可能となる。
時として、市場操作と解釈されることもあるため、決して評価される様な行為ではない。
寧ろ、この様な取引に出ること自体が、カプコンの社内の苦境を示しているともいえる。
クリエーターへの反感、「ジャッジメントは経営がする」と言い張るのも一種のコンプレックスか。
カリフォルニア州ナパで私財94億円を投じてワイナリーのオーナーになったのも、
成り上がりの道楽としか思えないが、「やっぱり一番と言いますかね、いいものをつくらないとダメ」
とテレ東は字幕を入れていた。
辻本会長は先にも述べられた通り、営業畑の出身である。
それ自体は別に何の問題もないが、ゲーム業界が拡大し、一部のゲーム製作者が、
「クリエーター」として喝采を浴びるようになった現在において、
そのようなコンプレックスを抱く可能性は決して低くはなかろう。
しかし、この「クリエーター」という言葉自体に、暴走の傾向を感じるのは引用者だけであろうか。
少なくとも、先のTGSの惨憺たる内容を招いた原因の一つが、ゲーム製作陣の
「クリエーター」としての増長と消費者軽視があるという意見がある。
その意味では、辻本会長のクリエーター不信も、氏の器量の乏しさに還元すべきではないのかもしれない。
しかし、カリフォルニアワインのワイナリーで、「いいもの」はどうか。
カリフォルニアワインは、フランスやイタリアのワインに比べると、相当評価は低いもので、
それに嬉々として私財を投資すること自体、「成り上がりの道楽」と評されるのは至当と思われる。
少なくとも、ドリームキャストに私財を投じた、セガの故・大川功会長とは比較すべくもないだろう。
勢い、過去にヒットした作品のシリーズ化に走り、タコツボ的な日本のゲームオタク向けに、
そこそこ売れるだけのラインナップになる。
あとは目いっぱい絞り取るだけ。
かくてゲームは「ガラパゴス化」する。
ここでも、我が国のゲーム市場に対する批判が述べられる。
ある意味では当然の批判ではあるが、海外にもナンバリングタイトルは多いため、
半分しか当たっていないのも事実であるが。
そして、ここからが本題になるわけであるが、「ゲームオタク」相手に「そこそこ売れ」、
「目いっぱい絞り取る」カプコンのゲームと言えば、当然ながらBASARAの名は避けては通れまい。
当記事は相当稲船氏の立場に近く、記者と稲船氏の価値観は相当近似していると推察される。
となれば、記者・稲船氏の「ガラパゴス化」批判は、「ガラパゴス化」したゲームそのものである、
BASARAとその開発陣へとその矛先を向けられているのではないかと考えられるわけである。
そこから生まれる構図として、辻本会長と小林氏が連携し、
稲船氏と対立しているという形が、浮かび上がってくるわけであるが、
この構図は強ち否定できないのではないか。
ここでは触れられていないが、小林氏が海外至上主義=稲船氏の経営戦略を批判し、
稲船氏が、HD機で50万売れても広告費などのコストがかかりすぎて駄目、
要は、小林氏のBASARA3における営業戦略を批判したことを覚えている方も多いのではないか。
稲船氏の辞職の裏には、両者の対立構造が透けて見えるようである。
脱藩した稲船に、「カプコンの組織と営業なしで大丈夫?」と聞いた。
「僕は自分をゲームのコンセプターだと思っています。
コンセプトだけきちっと守らせて、あとは自由裁量。
ハンドリングには自信がある。
大部隊を抱えなくても、海外のデベロッパーとの協業で開発できます。
僕ひとりじゃない。仲間がいます。」
「カプコンの組織と営業なしで大丈夫?」と問う、記者の判断は当然のものであろう。
何故なら、カプコンから独立した旧スタッフ陣は、決して活躍をしているとは言い得ないのが、
残念ながら現実だからである。
それ程、良かれ悪しかれカプコンのブランドとネームバリュー、資金力は無視し難い。
多くの人々(この場合はライトユーザーと言うべきか)は、会社名を知っていれば上出来なくらいで、
殆どの場合はスタッフの名前など一人も知らないのが普通だからである。
それらカプコン看板の存在は、カプコンのブランド名が無ければシリーズの存続すら怪しいと思われる、
BASARAの存在が雄弁に語っている。
今後の動向は分からないが、稲船氏の語る「仲間」とは、新旧カプコンスタッフなのだろうか?
もし、それが正しければ、今後はカプコンからの人材流出が加速する虞もある。
米紙が取り上げたように、むしろ彼は海外で注目されている。
当面はパブリッシャーとの契約金で開発を始めるが、いずれはハリウッド並みにファンドを組んで資金調達、
古巣にはできない複合プロジェクトを世界でヒットさせて「稲船ここにあり」を知らしめる気だ。
すでに彼の盟友を通してハリウッドの大手映画ファンドとの出資交渉が大詰めを迎えている。
コンセプトの原義は「懐妊」。
稲船のコンセプトに、ゲーム斜陽国日本の明日がかかっている。
(敬称略)
稲船氏は、行く行くは映画方式でのゲーム制作を視野に入れていると伝えている。
ゲーム業界の通弊というべきなのか、ゲーム業界人の映画志向は骨絡みと言える。
あくまで、視聴するという一方的な関係の映画と、操作するという介入の余地があるゲームは、
表現媒体・方式としては決して同列に語りうるものではない。
そして、ノウハウや人脈の無い状態での異業種(異文化ビジネス)参入は、極めて危険と言わざるを得ない。
勿論、上手くいくに越したことはないのだが…
少なくとも、現在のカプコンの、ひいては小林的やり方が大手を振って通るよりはましな未来が訪れそうである。
最終更新:2013年02月08日 23:05