修学旅行

  • 5年(高2)のとき行く修学旅行。
  • 「イスラムに詳しい」といわれている某理事のせいで、9・11以降しばらく海外旅行は無かったが、ついに2006年度高2で復活(北欧バルト三国のうち二国)。なお、海外旅行中止前は、オーストラリア、シンガポールなどに行っていた。
  • 2005年度には何と小笠原諸島への修学旅行がさんざんのスッタモンダの末に決定。
  • 沖縄へ行った際は草分け的存在で(アメリカ施政下でパスポート使用)、盛大な歓待を受けた。
  • オーストラリアも東大寺学園が草分け的存在であり、何かの学校間会合で「時差がなくていいよ」などと教師が言ったので、帝塚山学園などに波及した。
  • どうやら「変わった」ところに行く学年は「変わった」学年であるらしい。来年はまた北海道に逆戻りしてしまったようだが、比較的落ち着いた学年だからかもしれない。
  • いつぞやの学年は「やめる」を選択肢に入れ、選んだ者が多数を占めてしまったため行かなかったという。どこまでも民主的な学校である(笑)しかし、かれこれ30年も「中止」はない。
  • ロンドンに行けた61期生を羨ましがるものも多数いるが、実際は満身創痍である。詳しくは用語集「新世界」を参照。
  • 北海道が過去の行先で一番多い。道北、道南、道東の3つのコースから1つを選び、帰る前日に札幌で合流するパターンが多い。札幌は観光名所もたいしたものがなく何もすることがないので退屈である。
  • 個人的には一度きりの旅行なので、今後の人生でもなかなか行きそうにない場所をオススメしたい。北海道は大学生、社会人になれば行けるのだから。ただ海外情勢次第では中止になる可能性もあるので治安がよろしくない国を選ぶ場合は注意しよう。

行き先

  • 2027(77期生)…(77期生自身に決定権があります)
  • 2026(76期生)…(76期生自身に決定権があります)
  • 2025(75期生)…(75期生自身に決定権があります)
  • 2024(74期生)…北海道or沖縄の投票で北海道へ。道央コース,東北→北海道コース,関東→北海道コースの3つが当初あったが、道央は消滅した。
  • 2023(73期生)…北海道&東北。選択肢に海外が無かったため大半の生徒がキレ気味だった。 
  • 2022(72期生)…九州と北海道の投票の結果、九州3コース。なお、Aコースは台風と共に北上してきたため、天気予報は絶望的だった。しかし某体育教師の脳筋パワーか、イルカウォッチングや無人島脱出などの肝心なところは曇りや快晴が多かった。残りのB,Cコースは3コース一緒になった一日のみである。最終日には安倍元総理の銃撃事件があり、騒然としながら帰路についた。
  • 2021(71期生)…同下。
  • 2020(70期生)…新型コロナウイルスの蔓延の為中止…ではなく、九州へ
  • 2019(69期生)…北海道
    • K田氏の黒歴史
  • 2018(68期生)…北海道
    • 道北・道東・道南コースに分かれ富良野で合流
    • 最初は東京経由コースがあったが、応募者が最少催行人数に達しなかったため没に
  • 2017(67期生)…台湾
    • 東大寺初。初め、生徒の投票では豪がトップだったが、担任団1人につき5票投票し、台湾がTOPに、以下北海道、豪となり、決選投票では上位2つ、つまり生徒TOPの豪抜きで投票することになりかけた。結局、生徒の反対が続出し、「文句が出たので豪も決選投票に含めます」となるが、空気的に誰も投票せず結局台湾に。
  • 2016(66期生)…北海道
    • 道北・道東・道南コースに分かれる
  • 2015(65期生)…ベトナム
    • ドバイに一度決定したが「イスラム国」問題による中東情勢の悪化で行先が変更に
    • 学年の2/3は腹を壊したらしい。
    • 目玉である世界遺産ハロン湾クルーズが雨天で中止になり、Windowsのデスクトップ画面丸出しの光のショーを見せられる。
  • 2014(64期生)…北海道
    • 道北、道東、道南の三班に分割、富良野で合流。
    • 道南の往路で希望者はトワイライトエクスプレスに乗車
  • 2013(63期生)…マレーシア・シンガポール
    • マレーシア国内=コタキナバルコースとシンガポールコースに別れ、最後クアラルンプールで合流
  • 2012(62期生)…北海道
    • 道北・道東・東北経由コースに分かれる。最後に合流
  • 2011(61期生)…ロンドン
  • 2010(60期生)…北海道
    • 道北・道東・道南コースに分かれる。途中で合流
  • 2009(59期生)…石垣島
    • 新型インフルで延期
  • 2008(58期生)…マレーシア・シンガポール
  • 2007(57期生)…北海道?
  • 2006(56期生)…バルト二国
  • 2005(55期生)…小笠原諸島
    • 父島・母島の2コースに分かれる。
    • 船内から携帯で実況してくれたものの(某巨大掲示板)、活動地は圏外だったため中断を余儀なくされた。
    • 一部は保護者の反対(危ないからやめとけとの理由)とかなんとかで行くことが叶わなかった者も数人いたが、結果的に行った人は皆一様に「良かった!」の声を上げている。
    • 保護者の反対等で行けなかった生徒は、毎日登校し図書館で自習。
  • 2004(54期生)…北海道
  • 2003(53期生)…北海道
  • 2002(52期生)…北海道
    • オーストラリアでほぼ固まっておりホームステイのペアまで既定だったのだが、前秋に9.11テロが起こったため変更。
    • 往路は「京都から寝台列車」と「関空から飛行機」の選択で、函館で合流。
    • 道北・道東・道南の3コースに分かれ、札幌で合流。帰路は飛行機。
  • 2001(51期生)…ハワイ
  • 2000(50期生)…オーストラリア東海岸
  • 1999(49期生)…オーストラリア東海岸
  • 1998(48期生)…北海道
  • 1997(47期生)…北海道
  • 1996(46期生)…シンガポール
  • 1995(45期生)…中国
  • 1994(44期生)…沖縄
  • 1993(43期生)…北海道
  • 1992(42期生)…北海道
  • 1991(41期生)…北海道
  • 1990(40期生)…北海道
  • 1989(39期生)…北海道
  • 1988(38期生)…大韓民国
  • 1987(37期生)…東北
    • ある生徒が上野駅で新幹線に乗り遅れたらしい。事実であることは確かだが詳細は不明。
  • 1986(36期生)…東北
  • 1985(35期生)…東北
  • 1984(34期生)…北東北
  • 1983(33期生)…東北
  • 1982(32期生)…中・南九州
  • 1981(31期生)…東北
  • 1980(30期生)…東北
  • 1979(29期生)…沖縄
  • 1978(28期生)…北海道
  • 1977(27期生)…北海道
  • 1976(26期生)…<学年投票により中止>
  • 1975(25期生)…<学年投票により中止>
  • 1974(24期生)…北海道
  • 1973(23期生)…北海道
  • 1972(22期生)…北海道
  • 1971(21期生)…北海道
  • 1970(20期生)…東北
  • 1969(19期生)…沖縄
  • 1968(18期生)…北海道
  • 1967(17期生)…九州一周
  • 1966(16期生)…<学年投票により中止>
  • 1965(15期生)…九州一周
  • 1964(14期生)…九州一周 ←高校1期生

行き先を生徒が自主決定することについて

ダーティ師が書き残した文章が、端的に表す良い内容だったので紹介したい(以下)。教員の目には、このように映っていたようだ。

東大寺学園に19年間お世話になって

東大寺学園 前教諭 北村博一

 今年の3月で退職することになりました。平成4年に縁あって東大寺学園にお世話になって19年になります。それ以前に京都府立高校に15年間勤めておりましたから、教員歴は34年になります。
 教師になる前には4年間私企業に勤めておりました。その当時の先輩方には大変可愛がってもらい楽しい日々を送っていたのですが、教師という職業への憧れの念を絶ちがたく、30歳の年に地元の京都府立高校の教員採用試験を受けることを決意し採用されました。当時、京都府の教員採用の年齢制限は30歳でしたので、採用されなかったら教員の夢はきっぱりとあきらめるつもりでした。本当にラッキーだったと思います。
 45歳の時に東大寺学園に転勤を決心したのは、優秀な生徒を教える経験を持つことができればなあという気持ちからでした。実際東大寺学園で教えてみて、英語の教師として大きく成長したと確信しています。私が勤務していた高校の生徒では考えられない鋭い質問をしてくる生徒が東大寺では多い。その生徒達に対応するために、こちらもきちんと準備しなければならない。そのような繰り返しの中で鍛えられていきました。教えるとは学ぶこと、本当に生徒に感謝です。
 東大寺学園で働き始めたころの第一印象は、なんと非効率的な学校なんだろうということでした。企業だったらもうとっくに倒産していてもおかしくない。修学旅行などその非効率性の典型である。普通の学校だったら、修学旅行は毎年行き先が決まっていて、その体験が毎年蓄積され、それが次の学年に引き継がれて効率よく企画。運営される。しかし東大寺学園ではそのような効率性は一切、省みられない。生徒の意見も取り入れて、学年によって行き先が、毎年異なるのである。最初は「何でやねん。もっとうまくやれるやろ。」と疑問に思っていたが、勤めて10年ぐらい経って「こういった修学旅行の行き先の決め方もおもろいな。」と考え方が変わってきた。効率性も大事だが、教育にはそれだけでは割り切れないものがあるのである。また、それを許容する学園もすばらしい。このような東大寺学園の“遊び心”を理解するのに10年を要したのである。またそのおかげで私自身も、中国、シンガポール、北海道、小笠原、バルト2国へ生徒と一緒にいろいろ楽しませていただいたのである。
 東大寺学園には、その良さが分かるのには長年かかる。まだまだ19年の勤務では気づくことができない長所が他にあるかもしれない。その東大寺学園を去るのは寂しい限りである。

『東菁』第19号、東大寺学園東菁会(卒業生保護者の会) 2011年5月25日 発行

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最終更新:2024年01月31日 16:47