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Dグループ第三話『暗闘』


今回予告

―デムーラン城砦を巡る攻防から二か月がたったH251年、1月。シアルたちはヒロズ国の将軍であるカタストと共に、ホウエン南部の都市カイナをゲン軍から奪還する準備を進めていた。ついに、ゲン軍に反撃の烽火を上げる時がやって来たのだ。だが、ボックスの思わぬ横槍により、その構想は変更を余儀なくされてしまう。シアルたちは新たな仲間と共に、シーキンセツの奪還を目指すこととした。だが、ゲン軍で新たに組織された暗殺部隊が、シアルの仲間たちに迫っていた。それを組織するのは、ブルーナ。青みがかった、黒髪の女だった―

登場人物

※年齢は251年時点のものです

PC



シアル軍の関係者(前話より継続)

ヒロズ国の大将軍、バレーの娘。シアルに好意を抱く黒髪黒目で細身の女性。バレー譲りの知略の持ち主。武術も鍛錬を重ねている。
誰かの役に立ちたいが故に働きすぎてしまうところがあり、いつも目の下に大きな隈を作っている。
シアルたちの軍師とミシロの民政の統括を兼任している。軍師かつ民政の統括者としてゲン軍の暗殺部隊の標的となり・・・

オーダマの一人娘。金髪を長く伸ばしている。魔術の才能があり、知的好奇心も強い。
一方で、仰々しい口調などやや常識離れしたところがあり、オーダマを悩ませていた。
ミシロの大地震で母と家を失い、今は母のファミリアであったブイと共にドレイクの家に居候している。

  • レヴィン(ドラゴネット(アンスロック)、男性、33歳)
リシアの友人。緑髪。知識に関して右に出るものはなく、かつて大将軍バレーに乞われシアルやユリアンヌたちに学問を教授したことがある。
半面、戦いの腕はからっきしであり、ポメロと死闘を演じるほど。ハジツゲでゲン軍に襲われ、危ういところをリシアに助けられた。
その知識をゲン軍に警戒され、暗殺部隊の標的となり・・・

シアル、ユリアンヌと同じくバレー大将軍の部下であり、遊撃隊の隊長。
礫の達人。緑色が好きで、緑衣の外套を好んで身に付けている。遊撃隊の特性ゆえ、シアルたちと分かれて行動を行うことが多い。
遊撃隊を率い、シーキンセツ攻めにも参加する。

  • キーナ(ドラゴネット(アンスロック)、女性、22歳)
ソレイユ、レテの幼馴染。金髪で非常に大柄。引っ込み思案な性格であり、いつもどこかおどおどしている。
人より馬が好きな性格であり、馬の扱いに長ける。
レテがつけていたものと同じような紅白の布を両手剣につける。

コトキ太守。元々は傭兵団の隊長を勤めており、ダニエルとはその頃からの知り合い。
頭を剃っており、毎朝丁寧に頭を磨いている。その光の反射は、武器だと考える人が出てくるほどに眩い。
太守であることから警戒され、ゲン軍の暗殺部隊の標的となり・・・

ミシロに住んでいる薬師。オレンジ色の髪を持ち、フィルボルの血を引くため小柄。童顔でもあり、傍目からは少女に見える。
かつて死にかけていたアニマを助けたことがあり、その時の縁がもとで現在は同居している。
ミシロで病気が流行し始め、薬師として多忙になる。

ドレイクの養子。ドレイクと共に暮らしている。

ユリアンヌとダンの息子。ミシロの救援に向かったユリアンヌと別れ、バレー大将軍のもとで過ごしている。
ユリアンヌがデムーラン城砦の守備に追われており、満足に会えていない。

アニマの弟。アニマと共に『ブラックジャック』の研究材料として監禁されていた。
アニマの力添えを受け、『ブラックジャック』のもとから脱出。ユリアンヌの紹介で士官学校に入学した。

貧農の出身。多彩な才を持つが、特に石積みの才能に優れる。各地を渡り歩いている中でドレイクに出会い、彼と共に旅をしていた時期があった。
今のミシロには石積みの専門家が必要だと考え、ドレイクのもとを訪れる。その後、デムーラン城砦の防御網を担当。
デムーランの死に伴い、デムーラン城砦の軍師となる。軍師つながりで、ソレイユと仲がいい。

シアル、ユリアンヌ、セインと共にバレー大将軍の部下で、歩兵隊の隊長。
他の三人に比べると天賦の才こそないが、堅実な戦いを得意とする。
切っ先での戦いがひと段落したことから、バレーに派遣されデムーラン城砦へと向かう。

  • ヒイ(フィルボル、男性、28歳)
やや小太りの商人。物資調達の達人。十人兄弟の長男だが、弟一人以外の家族は他界している。
ミシロで物資が不足すると考え、商人として金儲けを目指すべくシアルたちに協力を申し出る。
デムーラン城砦のために各地で兵糧や武器を買い込み、シアル軍に売り渡している。

モミジが拾った孤児。孤児だが、アニマやモミジの愛情を受けて育っているため、その出自を気にしてはいない。
剣術に興味があり、折を見てはアニマから習っている。

義勇軍として加わった新兵の一人。本人は気付いていないが、軍人として天賦の才を持つ。
アニマに見いだされ、将校としてシアルたちに協力。アニマ隊の副官として三千の兵を指揮している。
部下と共に、シーキンセツ攻めに参加。

義勇軍として加わった新兵の一人。高いところが好きで、竜に乗る。
自らが隊長となって、騎竜中心の部隊、飛龍軍を作ろうと画策している。
愛竜はブラックギャラクシー。

義勇軍として加わった新兵の一人。
『神剣魔狼』ルードヴィッヒ軍との戦いでは、ユリアンヌの副官として出陣。
騎銃隊を率いているが、兵が集まらないことを嘆いている。

  • ラディ(ヴァーナ(アウリル)、男性、22歳)
義勇軍として加わった新兵の一人。
『神剣魔狼』ルードヴィッヒ軍との戦いでは、コトキの防衛を担当。
ボルテック・フジワラが影の軍を創立するに際し、その実力を見込まれ隊長となる。

義勇軍として加わった傭兵の一人。将校として、コトキの守備を担当している。
闘球と呼ばれる、球を利用した独特の訓練を行う。

白い外套をまとった青年。医者であり、可能な限り全ての人を助けたいと考えている。
医者としてシアルたちに協力。ミシロで流行り病が深刻化し、多忙になる。

  • モリナガ(ドラゴネット(メディオン)、男性、52歳)
ミシロの文官。仕事はしっかりこなすが、小心で常識にとらわれがちなところがある。
現在は、セキエイで折衝にあたっていることが多い。

腕利きの傭兵。一方で、金に対して強い執着を燃やしており、シアルたちに高額で売り込みをかける。
それに見合った活躍をしており、シアルたちから一軍を任されている。

  • ミディア(ドラゴネット(アンスロック)、女性、33歳)
バレー軍の若手将校の一人。バレーの指示により、途中からシアルたちに合流する。
数千の兵を指揮できる人間として重宝されており、ミシロやデムーラン城砦の防衛を任されていた。

凄腕の大工。ダニエルの要請を受け、ミシロの復興に力を注ぐことになる。
ミシロやデムーラン城砦の建物は彼とその弟子たちが作っており、多忙。

ミシロの近郊で牧場を経営している女性。シアルたちの要請を受け、馬匹を担当する。

シアル軍の関係者(新規)

カタスト将軍の副官。御三家の一つ、ラーデン家の直系に当たり、ドレイクとは遠縁。シアルとも士官学校時代の友人である。
卓越した指揮能力を持ち、カタストのもとで更に磨きをかけてきた。
セキエイに召喚されたカタストに代わり、シアル軍に加わる。

カナシダ山脈に集う賊徒の頭領。ただ、民から物を奪うことはせず、ゲン軍の兵士を相手にしていた。
本当の賊徒になってしまう前にシアル軍に加えようと、ダニエルとヒイが説得に赴く。

ヒイの弟。家族が賊徒に襲われた際、たまたま街に出ていたことから難を逃れる。
ヒイのような商人になりたがっている。

カタストの部下で、水軍の隊長。フォールの連絡を受け、シアル軍に加わる。
大酒飲みで、ソレイユと気が合う。

ツーマイの叔父。温和な人物。ボックスの命を受け、シーキンセツ太守に就任する。

シアル軍の関係者(戦病没者、没順)


ミシロに住む魔獣研究家。赤茶色の長髪を一つに束ねている。ドレイクとは古くからの友人。
ウサギのようなファミリアがおり、ブイと名付けている。アニマ、レヴィンとも友人。
ミシロを大地震が襲った際、赤い珠を狙っていた人物からの襲撃を受け殺される。

ソレイユの妹。茶色の短髪で、軍人らしくきびきびした性格。紅白の布をそれぞれ柄に付けた二本の長剣を使う。
シアルの騎馬隊の副官でもあり、故郷のミシロに帰った際にゲン軍の反乱に巻き込まれる。
ミシロで大地震が起きた際、太守のテセウスと共に殺される。

ミシロの太守。義に厚く公正で、人々からの評判も高い。
ゲンの反乱は道理にもとるとして、ゲン軍の侵攻を止めるために立ち上がった。
ミシロで大地震が起きた際、レテと共に殺される。

臙脂色の髪を持つ大柄な男。義勇軍として加わっていたが、アニマの訓練に文句を唱え、軽く捻られた過去を持つ。
その後、奇襲・攪乱・潜入などを専門とする影の軍の創立を訴え、アニマのもとを訪れた。
ハジツゲでの戦いで、アニマを庇おうとしてギセラに殺される。

ユリアンヌの古い友人で、コトキに住む神官。地声が非常に大きい。先見の明があり、ミシロとコトキ防衛のため新しい砦の建設を訴える。
その結果、砦の軍師に任命され隊長格のユリアンヌと防衛にあたることに。
砦の防衛中に、『開眼』バルドゥイノに狙撃され命を落とす。

シアル軍以外のヒロズ国関係者

ヒロズ国の第13代国王。前国王ロア二世の四番目の子であり、王になれる可能性は低いと考えられていた。
そのため、政治に関する興味は低く宰相であるボックスに任せている。

ヒロズ国の大将軍でシアル、ユリアンヌ、セインたちを率いている。娘はムーン・ボール。息子もいる。
ゲン軍の反乱に対処するため、シアルたちをミシロに派遣。自身は同時期に活発な動きを見せる妖魔との戦いに乗り出す。
妖魔との戦いがひと段落したため、ツーマイをシアルたちのもとに派遣する。

ヒロズ国の将軍。優れた将軍として慕うものも多い。ボックスに何度も直言を呈しており、ボックスからは疎まれている。
ゲン軍の反乱が起きた際は弱兵一万と共にミナモの守備についており、その兵でゲン軍の侵攻を何度も食い止めていた。
王都セキエイの守備を危険視したボックスにより、召喚される。

ヒロズ国の宰相。紫色の髪を持ち、ややゆっくりとした口調で話す。宝石や華美な装飾品に目のない人物で、大きな宝石をいくつも身に付けている。
シアルから譲り受けた青い珠を、ハジツゲの宝物庫に飾っていた。ハジツゲの陥落に伴い、宝物庫にある宝石と共にセキエイに移る。
王都セキエイ防衛のため、カタストを召喚する。


ゲン軍

ヒロズ国国王ウー二世の甥で、前国王ロア二世の最初の子であるソツ・ロンの息子。
ウー二世の王位継承に問題があったとして反乱を起こす。公正で華のある人物であり、人々の支持も高かった。
愛竜は白竜のウィレム。

ゲンの護衛で体術の達人。感情の変化が激しく、そのことが『阿修羅』の由来となっている。

ゲンが軍にいた時からの部下であり、ゲンが軍を辞めてからもゲンに付き従い続ける武人。ゲンが反乱を起こしてからはゲン軍の大将軍となる。
『大刀』との二つ名が示すとおり、自らの背丈の倍近い両手剣を使う。

ゲン軍の将軍。ゲンの古くからの友人であり、狙撃の名手と呼ばれいた男。片目を失った現在は槍を片手に戦っている。
攻城が上手いこともあり、シアルたちが築いた砦の攻撃に向かう。

ゲン軍の将軍。ゲン軍が三方に分かれてホウエンを進軍する際、ホウエン中央を進軍することになる。
シアルたちとの戦いで奥義の分身を披露するも、ドレイクとアニマにそれぞれ倒され死亡。

燃えているのかと錯覚するような赤い髪と翼の持ち主。眼の奥に常に怒りを抱えている。ジェナーラの遠縁。
炎を操る魔術師で、強大な魔術を持つ。ゲンに影の軍と同様の軍を創設するよう進言した。

赤い髪、白い翼を持つオルニス。商人であり、その二つ名が示すとおり黄金の装飾品をいくつも身に付けている。
ボックスお抱えの商人として、シアルの家に代々伝わる青い珠に興味を示していた。
ゲン軍のハジツゲ侵攻に合わせ、青い珠を奪おうとするが失敗。ボックスのもとから姿を消していた。

青みがかった黒髪に、白い翼を持つオルニス。研究者としてゲン軍に魔術を付与した武具を渡していた。
アクローマの推薦を受け、雪夜軍と名付けた影の軍を率いることとなる。ギセラとは姉妹関係。

『天使の羽根』

『天使の羽根』の裏の指導者。燃えているのかと錯覚するような赤い髪と翼の持ち主。

『天使の羽根』の一員。青みがかった黒髪と白い翼の持ち主。
暗殺者を育てるために人体実験を行っていた過去があり、その過程でアニマに様々な改造を施した。

『天使の羽根』の一員。ギセラと同一人物。

『天使の羽根』の連絡役。

セッション内容

 ホウエン北部のハジツゲに、ゲン軍の本営は移されていた。ホウエンには未だ、ミシロにいるシアル軍やミナモにいるカタスト軍などゲン軍に抵抗する勢力が残っており、ヒロズ国本隊と合わせるとゲン軍は包囲されているともいえる。
 だが、ゲンはヒロズ国本隊を気にかけてはいなかった。まともな将がおらず、軍も貧弱である。
 ゲンにとって警戒すべきなのは、大将軍のバレー・ボールと将軍カタスト・レイサイト、そしてシアル・フィングの三人だけだった。
だが、バレーは北の戦線から動くことはできず、カタストは一万の兵しか率いていない。そして、大将軍のサコンがカタストの軍勢を封じていた。
問題は、ミシロにいるシアル軍である。昨年末、バルドゥイノが八万の軍勢で攻め込んだが、新しく築かれた砦の攻略が為せずに撃ち破られていた。
 現在、バルドゥイノは、生き残った軍をまとめ上げ、ホウエン中央部にあるキンセツで体勢を立て直している。
 ゲンが最も警戒しているのは、シアル軍がカタスト軍と手を結び、ホウエン南部を制圧しにかかることだった。そのための策は考えているが、間に合うかはわからない。
 ゲンは本営で考えていた。傍にいるのは、護衛のジェナーラくらいである。人が来る予定だった。ジェナーラの遠縁にあたる人物だという。
ただ、性格に難のある人物だとは聞かされていた。
「失礼します」
 兵に案内され、大柄なオルニスが入ってきた。とにかく、紅い。燃えているかと錯覚するような赤い髪と羽、そしてそれに調和した赤い軽鎧。
「アクローマと、申します」
 オルニスが、頭を下げる。ゲンと目があった。その瞳の奥も、燃えていた。強い怒りを、感じる。何に対してなのかは、いずれ聞けばいいだろう。ゲンはそう判断した。
「名前は、聞いている。魔術師として、我が軍に協力してくれるそうだな」
 アクローマが、頷いた。
「多少の軍であれば、瞬時に壊滅させて御覧に入れましょう。今、試して見せましょうか?」
 アクローマが、真顔で尋ねる。本当に、やるつもりだろう。ゲンは首を横に振った。
「ここには、多少なりともおれの考えに賛同して、共に戦うと話す人間しかいない。彼らで試すことは、やめてくれ」
 アクローマが、残念そうな顔をした。
「ジェナーラから、殺しがたくさんできると聞いていたのですが」
 思わずゲンはジェナーラを見た。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
 たちまちジェナーラが土下座してきた。目には、既に涙を浮かべている。感情の変化が、異様に激しいことがジェナーラの難点だった。
「アクローマの実力を買っていたので、つい。まさか、ゲン様がそこまでお怒りになるとは知らず。ただちに腹を切って」
「いや、優秀な人材を見つけてくれた礼がしたかったんだ」
 ゲンが慌てて取り成す。たちまちジェナーラの顔に喜色が浮かんだ。
「そうなんですか?」
ジェナーラは、今にも飛び跳ねんばかりの勢いである。その様を見て、アクローマがため息をついた。
「遠縁ですが、彼女で実験していいですか?」
「それも勘弁してくれ。彼女は、おれの護衛なんだ。こう見えて、腕は立つ」
 そう言いながら、ゲンはアクローマの強さを見定めようとしていた。魔術の腕は分からない。しかし、その身のこなしから考えて、武芸の方もかなりの実力を持っていそうだった。ジェナーラと勝負させても、互角かもしれない。
「ひとまず、君が協力してくれるのなら、次の戦場で活躍する機会を設けてみよう」
「それはどうも」
 アクローマは軽く頷く。ゲンは僅かに嫌な予感を覚えた。このオルニスへの、不安である。
 ゲンは首を振ってその不安を打ち消そうとした。このオルニスのような人間は、世界に何人もいるだろう。そんな人間を自分の部下に出来ず、どうやって国をまとめていくというのだ。
 ただ、不安は拭いきれなかった。

 シアル・フィングのもとに、カタスト・レイサイトがやってきたのは、年が明けてからのことだった。
 カタストはヒロズ国の将軍の一人で、宰相であるボックス・ワンに対しはっきりとした物言いができる数少ない人間である。
 それ故にボックスからは疎まれており、現在は一万の弱兵だけでゲン軍との戦いを強いられていた。とはいえ、その状況で数倍もの兵を相手に互角以上の戦いをしているのは、流石カタストと言ったところだろう。
「副官が育ってきてな。やっとミナモを空けることができるようになってきたよ」
 カタストは笑っていた。やや長身である。細身なこともあって、将軍とは思いにくい。しかし、目に強い光があった。全身からも、気力が溢れている。
「フォール・ラーデンだ。シアル、君とは士官学校が一緒だったという。覚えているか?」
覚えていた。シアルの一つ下である。御三家の一つ、ラーデン家当主の息子である。ドレイク・マラードの遠い親戚でもあり、シアルやドレイクの弟分として行動を共にしていた。武術や魔術に天賦の才があるわけではないが、卓越した指揮能力を持っていた。歩兵でも騎兵でも、まるで自らの手足のように操ることができる。
「サコンとの戦いを通じて、フォールは成長を遂げている。いずれは、将軍になるかもしれんな」
「もともと、指揮を執るのは上手い人間だったからな」
 フォールの指揮を思い出しながら、シアルが答える。カタストが再び口を開いた。
「カイナの攻城は私が出向こうと思っている。今、少しずつ募兵を行っていてな。どれだけの人数が来るかにも左右されるが、一万ほどで向かえるだろう」
 カタストは二万でカイナを攻めたいと言っていた。その半分だ。
「わかりました。我々も一万ほど兵を出せるようにします。指揮はシアルさんかセインさんが行うことになります」
 ムーンが答える。目の隈は、昔と比べると幾分薄くなっていた。昨年末に行われた『開眼』バルドゥイノとの戦い以降、シアルの言葉を素直に聞くようになってきたからだろう。
 シアルが市庁舎の目と鼻の先にあるムーンの家に彼女を送り届けることも増えてきた。ムーンはこれを強制送還と言って恐れているが、抵抗はしない。
 ただ、ムーンの家には生活感が皆無である。何しろ、ムーンの家には寝床と小さな卓しか家具がなかった。
「どちらが攻めるかは、兵の編成次第で変わってくると思います」
「わかった。二ヶ月後に攻められるよう、準備しておく。シアル、よろしく頼むぞ」
 それから、いくらか今後の戦略を話し合うとカタストは帰っていった。カタストから、衝撃的な連絡が来たのは、その数日後のことである。
 カタストが、王都セキエイに召喚されるという。理由は、王都の警護であった。
 確かに、王都からゲン・ロンのいるハジツゲまでの間に、ゲン軍を防ぐ有力な軍はいない。しかし、王都には五万もの兵が残されていた。ワカバやヨシノなど、道中に城壁のある都市も存在する。ゲン軍が無理に攻め込もうとすれば、逆にそれはシアルやカタストにとって好機となりうるはずだった。
「招集か」
「裏で、ボックスが指図したとの噂があります」
 シアルが呟くと、ムーンが悔しそうに答える。ボックスの考えを見抜けなかったことに、忸怩たる思いを抱いているのだろう。
間もなく、飛ぶようにカタストがやってきた。
「シアル、すまない。迂闊だった」
 カタストが、頭を下げてきた。カタストとしても、ボックスのこの動きは想定していなかったのだろう。
「戦略を、考え直しましょう」
 ムーンが告げる。カタストは悔しそうな表情を見せながらも、口を開いた。
「ミナモは、放棄せざるを得ないだろう。ボックスは私が元々連れていた一万も戻してほしいと告げている。ただ、最近新たに集めた五千については何も言っていない。なので、解散したと見せかけてその五千を集め直す。そのためにも、フォールは残しておく」
「そうなると、カイナ攻めも考え直さないといけませんね。カイナは、カタスト将軍がミナモを拠点にしているからこそ優先して奪還する意義がある都市です」
 ムーンの言葉に、カタストが頷いた。
「そうだな。シアルたちだけなら、シーキンセツやトウカから奪還した方がいいだろう。私はせめて、ゲン軍本隊がミシロやデムーラン城塞を襲わないよう、釘付けにしてみせる」
「距離的には、まずはシーキンセツだな」
 シアルが告げる、シーキンセツはミシロから南に歩いて一週間ほどのところにある港町だった。ゲン軍が最初に反乱を起こしたムロにも近い。ただ、ゲン軍は軍の大半をホウエン北部に集中させており、比較的守りが手薄な都市だった。
 それでも、一万の守備兵がシーキンセツには常駐している。守備の隊長はディー=フェンス。守りに長けたセラトスの将校だ。カタストが再び口を開く。
「明日にでも、今後の方針を話すためにフォールがやってくるはずだ。奴は今、ミナモにいる軍の撤収作業に追われている。私も、そろそろ戻らないといけない」
帰り際に、カタストがシアルを見る。
「シアル、すまない。肝心なところで私が足を引っ張るとは思わなかった」
 カタストが頷く。
「仕方ない。そう言う命令だからな。後は、何とかするよ」
 シアルが答える。
「せめて、ゲン軍本隊は動かされないようにしておこう。それから、フォールを頼む。奴はこれからのヒロズ国に、必要な存在だ」
 カタストが、去っていった。ムーンが口を開く。
「シアルさん。策は練っておきます。詳しいことは、フォールさんが到着次第話し合いましょう」
 ムーンの表情は、物憂げだった。早くも、今後の展望を考えているのだろう。
「到着を待つのもいいが、こちらから迎えに行ってもいいかもしれないな」
 シアルは、フォールの安全を気にしていた。漠然とした不安を感じたのだ。
「それでしたら、アニマさんに迎えを頼みましょう」
 ムーンが頷く。
「アニマさんは影の軍を率いていますし、個人の武力については言うまでもないでしょう。護衛として最適かと思われます」
 かくして、シアルたちの命を受けたアニマがミナモに向かうこととなった。

 ゲンは、軍営で書類に目を通していた。文官もいないわけではないが、どうしてもゲン本人が裁かねばならないことがいくつも出てきている。
「ゲン様」
 入ってきたのは、アクローマだった。燃えるような瞳でこちらを見てくる。やはり、その奥には怒りが見えていた。周囲もアクローマに対し同様のことを感じたらしく、『憤怒』アクローマと周囲からは呼ばれ始めている。
「カタストが、セキエイに召喚されたようです。どうやら、宰相のボックス直々の命令のようで」
 ゲンも、つい先ほど知ったばかりの情報だった。流石に、見るべきところはしっかり見ている。アクローマの魔術師としての腕は未知数のままだが、それ以外の点だけでも十分優秀だった。ただ、図りきれないところも多い。
「これは、ゲン様が裏から何か手を回したのでしょうか」
「そうとも言えるし、そうでないとも言える」
「つまり?」
 アクローマが、静かに尋ねてくる。その瞳の奥から、怒りの炎が飛び出てきそうだった。
「軍に、遠征の準備をさせている。もちろん、我が軍の状況から考えれば、セキエイに攻め入ることは難しい。しかし、遠征の可能性をボックスが知ったらどう考えるか」
 アクローマが頷く。ゲンの真意を理解したらしい。
「ボックスのことだ。この街に何人かの間者は残しているだろう。だから、あえて分かりやすく準備をさせた。それが、功を奏したのだろう」
「運も、味方していたわけですね」
「そうだな」
 でしたら、とアクローマは身を乗り出してきた。
「その運を、より確かなものにさせませんか?」
「どうやって?」
 今度は、ゲンが尋ねる番だった。
「攪乱、扇動などに向いている軍を作りましょう。シアル軍では、影の軍と呼ばれる部隊がそれにあたっていると聞いています」
 ゲンも、全く各地に情報網がないわけではない。アニマと呼ばれる女性が中心となって、そう言った軍を作り上げていることは知っていた。
「お前が、それをまとめるのか?」
「指揮は、別の人間に任せようと思っています、ブルーナです」
 名は、聞いたことがあった。バルドゥイノが失った右目の代わりとなる魔術眼を作成したオルニスだ。そう言った、特殊な魔術品の作成を専門としている研究者のはずだった。
「良く知っているな。同じオルニスだし、お前やジェナーラの一族か?」
「偶然でしょう」
 アクローマが真顔で答える。いつも、この表情だった。アクローマが笑う時は、あるのだろうか。
「ブルーナは、もともと影の軍のようなことをやっていたようです。蛇の道は蛇と言いますし、適任かと」
いつの間に、そう言ったことを調べ上げたのだろうか。アクローマは、ゲンの想像以上に優秀だった。だが、どこか気を許してはいけないところがある。
「わかった。任せよう」
ゲンは、頷いた。

 リシアは、兵糧庫の中にいた。隣では、レヴィンが棚にある麦の敷き詰められた袋を点検している。気づけば、リシアはそのあまりある資産を利用してシアル軍の兵站を任されるようになっていた。兵糧だけでなく、武器など各種消耗品をノームコプ中から集めている。
兵站を担当するようになってから分かったことだが、リシアには商才があった。最も、細かい数の計算は得意ではない。それは全て、レヴィンに任せている。リシアはもっと大きな、物の流れを理解する不思議な感性を持っていた。
「全部、問題なくあるね」
 兵糧の点検を終えたレヴィンが頷く。兵糧など金が関わることには不正が起きやすい。それで、リシアはレヴィンと共に定期的に物質の確認を行っていた。今のところ、不正や異常はない。
 レヴィンと話しながら、兵糧庫の外に出る。隣の武器庫の前に、いくつも荷台が置かれていた。ちょうど、武器が届いたらしい。近くで、ヒイが大声を出して武器を中に入れていた。
「これはこれは、リシア殿にレヴィン殿。兵糧の調達は順調ですかな?」
 恰幅のいい腹を揺らしながら、リシアに尋ねてくる。ヒイは、商人としてシアルたちに協力していた。ここまで、シアルたちの戦いが遺漏なく進められているのは、ヒイの物資調達によるところが大きい。特に、消耗の激しいデムーラン城砦の物資はヒイが全て調達していた。
「ああ、ばっちりだよ。詳しい数は、覚えてないけど」
 リシアが答える。隣で、レヴィンが苦笑していた。
「ま、そこは私が覚えているから、いいんだけどさ。そっちこそ順調なのかい、ヒイ?」
「もちろんですとも。しかし、これだけの武器を急に必要とされるとは。また戦でも始まるんでしょうかね」
「まあ、ここはいつも戦に巻き込まれる可能性があるからね。武器や兵糧は、いずれ必要になって来るだろうし」
 リシアの言葉に、ヒイが頷いた。
「私は商人ですからね。言われたものを安くたくさん集める。そして、あなた方に安くたくさん売る。それで、何とか儲けさせてもらっています」
 しかし、ヒイの服装は質素なものである。どこかで贅沢をしているとの噂も聞いていない。何故、ヒイが商売を続けているのか。
「最初は、家族のためだったんですよ」
 レヴィンがそのことを尋ねると、ヒイが答える。ヒイは、十人兄弟の長子だった。ホウエン北西部、リュウセイ山脈の近くにある村に住むヒイの家族は、かなり貧しかったらしい。
「両親の稼ぎだけでは、弟や妹たちを養い続けるのは難しそうでしたからね」
 ヒイは若くして金を稼ぎ始めていた。金は、ほとんど全て実家に送っていたらしい。
「ただ、その実家も去年燃えてしまったんですよね」
 リュウセイ山脈に住みついた賊徒が、ヒイの家族が住む村を襲撃したらしい。村は壊滅的な打撃を受け、ヒイの家族は、たまたま近くの街に出かけていた弟を除いて全滅してしまった。ヒイは、目の前が真っ暗になるような思いを味わったという。
「その賊徒を倒してくださったのが、シアル殿だったんですよ。だから、今私は恩返しをしているんです。両親の仇を討ってくれたシアル殿に。私一人では、決してできなかったでしょうしね」
 今、弟はアサギにある親戚の家に預けられているらしい。名を、ショウエンと言った。
「ゲン軍の反乱が一段落したら、ショウエンをこのミシロに呼び寄せたいと思っています。シアル殿やリシア殿のお蔭で、この街の治安は、非常にいいですからね」
 武器の搬入がひと段落したらしい。軽く挨拶をするとヒイは去って行った。その時だった。リシアの視界に、黒竜が飛び込んでくる。
「とう!」
 リシアの近くで、黒竜に乗っていた人物が飛び降りる。飛び降りながら、頭を伏せ、両手を前に出す。地面に落ちながら、そのメディオンは土下座を始めていた。
「お願いします」
 突然のことに、事情が呑み込めない。それは、レヴィンも同じようだった。リシアの隣で、困惑した表情を浮かべている。
「こいつ、誰だろう」
 リシアが思わず呟く。目の前で、男が再び頭を下げた。
「お願いします」
相変わらず、用件が不明だった。
「ジャンピング土下座君、状況がつかめないんだが」
 レヴィンが指摘すると、メディオンが顔を上げる。
「僕の名前は、ジャンピング土下座ではありません、サラマンダー・タカイと言います。ドレイク・マラードさんの副官で、ドレイクさんやキョウコさんと共に飛龍軍を結成しています」
 サラマンダー・タカイ。その奇妙な名を苦笑混じりにドレイクが話しているのを、リシアは聞いたことがあった。
「リシアさん、あなたとホットドッグの連携は素晴らしいと聞いています。是非とも飛龍軍に入ってください。あなたのような大陸有数の武人が来てくれれば、飛龍軍は最高の部隊になれると思います」
「興味ないから」
 リシアは、サラマンダーの懇願を軽く受け流した。サラマンダーの目が、大きく見開かれる。
「興味・・・ない・・・」
「ない」
 サラマンダーの呟きに、リシアが即答する。
「そ、そんな・・・」
 サラマンダーが、頭から崩れ落ちた。
「リシア、じゃあ行こうか」
「ええ、行きましょう」
 そんなサラマンダーを一顧だにせず、リシアとレヴィンはその場から歩き去って行った。
「彼がサラマンダー・タカイか。噂には聞いていたが、なかなか強烈な人間だね」
 戻り際、レヴィンが笑いながらリシアに話を振る。
「確かに、変な人だったね」
 リシアも苦笑する。たわいのない話を続けた後、レヴィンの顔が真面目なものとなった。
「リシア、この後時間はあるかい? ちょっと、この前から気になっていることがあって。私の考えを聞いてほしいんだ」
「ああ、いいよ」
 リシアが頷くと、レヴィンの部屋へと案内された。相変わらず、本と書類に満ちた部屋である。壁一面に本棚があるだけではなく、床にまで本や書類が積み上げられている。レヴィンはリシアに椅子を勧めると、自らは書類を手に取った。
「これはまだ、仮説のことだ。だが、ひょっとするとドレイクの持つ『紅色の珠』やアニマの持つ『藍色の珠』を追うものに関して大きな手掛かりとなるかもしれない」
 レヴィンは書類の中身をリシアに見せる。そこには、『開眼』バルドゥイノに関する情報が書かれていた。ゲン軍の将軍の一人で、ユリアンヌの親友であるデムーランを、常人ならばまず当てられない距離から狙撃して殺した人物である。
「デムーランが、死の直前にバルドゥイノの右目について話していた。だが、バルドゥイノの右目は何年も前に失われていたはずだ。影の軍に頼んで調べてもらったところ、バルドゥイノの右目には魔術眼と呼ばれる魔術の施しを受けた義眼が嵌め込まれていることが分かった。それで、遠くを自在に見ることが出来るらしい。バルドゥイノは、この義眼をブルーナと名乗る人物から譲り受けている。外見を調べたところ、青みがかった黒髪のオルニスの女性とのことだった。リシア、覚えているか?」
 全く、覚えていない。最も、それはレヴィンも織り込み済みだったようで、その女に関する詳しい説明が始まった。
「我々がドレイクやコダマちゃんを連れてミシロに戻ってきた日のことだ。あの日、我々は当時の太守だったテセウスやソレイユの妹であるレテが殺された現場へと向かっただろう。その時、市庁舎で遠目に見た女性が青みがかった黒髪のオルニスだった。話を聞く限り、同一人物かもしれない」
 可能性は高そうだった。だが、まだそう決まったわけではない。
「私はもう少し、その女について調べてみよう。リシア、もしもの時はよろしく頼むよ」
「うん、わかった」
 案外、その女は近くにいるかもしれない。リシアはそう考えていた。

 マラード家の朝食は、今日も騒々しかった。もちろん、ゴサリンやコダマと言った子どもたちは賑やかである。だが、理由はそれだけではない。何故か、日に日に共に食卓を囲む人間が増えているのだ。
 今日は、デムーラン城砦からアニマと軍師のキョウコがやってきていた。当然の様に、サラマンダー・タカイもいる。
「ドレイクさん、今日もまた飛龍軍の勧誘活動を行いましょう」
 サラマンダー・タカイが、意気込む。高いところが好きなこの男は、騎竜に乗る部隊を作ろうと考えていた。飛龍軍である。ただ、ミシロをはじめとするシアル軍には騎竜がほとんど存在しない。サラマンダー・タカイの騎竜であるブラックギャラクシーと、リシアの乗るホットドッグくらいであった。
「そう言えば、リシアさんは勧誘出来たんですか?」
 キョウコが尋ねる。オルニスの女性で、ドゥアンらしい大柄な美女だ。よく見ると筋肉質な体つきをしているが、武芸にも学問にも通じる多才な面がある。ただ、最も得意とするのは石積みだった。
 現在はデムーランの死によって空位となったデムーラン城塞の軍師になっているが、こうして月に何度かはドレイクの家にやってきては食事をとっている。かなりの大食いだった。
「あ、あああ、ああああああっ」
 何か嫌なことを思い出してしまったのか、サラマンダーが取り乱した。慌てて、ゴサリンが慰め始める。アニマは、そんな目の前の光景をにこにこと眺めていた。
 扉の戸が叩かれたのは、そんな時だった。
「こんな時間に、誰でしょうかね?」
 キョウコが首をかしげる。
「サラマンダー・タカイさん、これはきっと神々の思し召しよ」
 コダマが、熱っぽく語り始めた。
「荘厳な扉が開けられると、その先に・・・」
「誰ですか?」
 コダマの口上を気にすることなく、アニマが扉を開けていた。
 アニマの目の前に、一人のヒューリンが立っている。アニマはそのヒューリンを知っていた。
「おや、フォールさん」
 アニマが声をかける。彼はフォール・ラーデン、つい昨日、アニマが護衛となってミナモからデムーラン城砦へと連れてきたカタスト軍の将校だった。
「あれ、アニマさん?」
 フォールが、驚きの声を上げる。どうやら、ここでアニマと再会するとは考えていなかったようだ。
「朝食をご馳走して下さるとのことで、ご相伴に」
 アニマが理由を答えると、フォールも納得した表情になった。
「シアルさんに会う前に、ドレイクさんにも会っておこうと思いまして。昔からの付き合いなんですよ」
「そういうことなら、どうぞどうぞ。ドレイクさんの家ですが」
 アニマに案内され、フォールが家の中へと入っていく。フォールも加えての、食事が始まった。アニマからすれば、久しぶりの手料理である。アニマはふと、モミジの手料理を思い出した。懐かしい味である。
 ゴサリンとコダマが、アニマの目の前で元気に食事を食べている。コダマは、アニマの弟であるアニムスより二つほど年長のはずだった。アニムスは食が細いけれど、上手くやっているのだろうか。アニムスは、病弱な体を気合で誤魔化そうとするところがあった。
 隣では、キョウコとフォールが自己紹介をしていた。どうやら、初対面だったらしい。
「わたしはキョウコ。ドレイクさんの友人で、良く食事をご一緒させていただいています」
 キョウコが頭を下げる。フォールもまた、頭を下げていた。
「私はフォール。フォール・ラーデン。ドレイクさんの親戚で、昔からなにかと世話になってきた。今はミナモにいるカタスト将軍のもとで、副官をやらせてもらっている。キョウコさんの名は、聞いたことがある。デムーラン城砦の、軍師をされていらっしゃるとか」
 フォールの言葉に、キョウコが頷く。
「じゃあ、当然僕のことも知っていますよね?」
 アニマの隣で、誰かがフォールに語りかける。アニマはそれを遮る形で口を開いた。
「わたしはアニマです。この都市の防諜を担当と暗部組織を担当しています」
 キョウコが、苦笑している。本来なら話すべきではない影の軍のことを、さらりと話してしまっているからだろう。しかし、シアル軍にいればおのずと影の軍の話は出ている。アニマがその隊長であることは、既に有名な事実だった。
「アニマさん、よろしくお願いします・・・つい昨日も、こんな形で自己紹介しあった気がするんですけどね」
「ああ、しましたね。でも、挨拶って何度しても気持ちのいいものじゃないですか」
 アニマが笑いながら答える。
「そうですね。改めてよろしくお願いします。アニマさん」
 フォールが頭を下げた。
「よろしくお願いします」
 アニマが答える。
「しかしフォールさん。あなたの連れてきた馬、とっても速かったですね」
 フォールは、カタスト軍では騎馬隊を担当することが多かった。そのため、馬の質にも気を配っている。今、フォールが乗っている馬はパルパレオスと呼んでいた。
「竜と比べれば劣るかもしれません」
 フォールが謙遜する。しかし、アニマは目をきらきらと光らせながら答えた。
「ううん、サラマンダーよりずっと速い」
「ヨヨぉっ!!!」
 サラマンダーが、奇声を発しながら机に伏せる。
「古風な話し方をするんですね」
 アニマは、そんなサラマンダーを見ながらひとり納得していた。原因が、アニマにあるとは気づかずに。

「シアルさん、お久しぶりです」
 溌剌とした声が、執務室に響き渡った。この若い声に、シアルは聞き覚えがあった。フォールである。
シアルはちょうど、ムーンと共にドクターワリオとモミジからの陳述書を読んでいるところだった。現在流行っている病について書かれている。どうやら、今年の病はいつもよりかかる人間が多いようで、薬が不足するかもしれないと書かれていた。
「よくここまで来てくれた」
 シアルは立ち上がると、フォールの手を握り締める。久しぶりの、再会だった。
「私も、久しぶりにシアルさんに会えてうれしいです」
 フォールがシアルに笑いかける。その顔をすぐに引き締めると、口を開いた。
「シアルさん、今日は今後の方針について、話をしに来ました。カタスト将軍は、二三日中に軍を解散します。我々五千は、ミナモの警護に残ると見せかけ、少しずつデムーラン城砦へと移動する予定です。既に、第一隊が昨日デムーラン城砦にたどり着きました。おそらく、一週間もあれば全軍が移動できるかと」
「デムーラン砦には、兵が後一万は入れる余裕があるからな。進めてくれ」
 シアルが答える。デムーラン城砦は、先の戦いで多くの兵を失っていた。おまけに、一万五千の兵が暮らせるように作られた城砦である。空きは十分だった。
「そうすると、ミシロで八千。コトキに六千。デムーラン城砦に一万の兵が置かれることになります。守るだけなら、三千ずつ兵を残せば足りると思いますし、後五千ほど兵が用意できればシーキンセツへと進発できると思います」
「五千か・・・」
 ムーンの言葉に、フォールがため息をつく。ムーンも難しい表情をしていた。ただ、シーキンセツを守るディー=フェンスは守りに長けた将校である。攻めるのに、二万近い兵は必要だろう。
「現在も、ゲン軍に反対してヒロズ国を守りたいと考えている方々の多くが、義勇兵としてこのミシロにやってきてくださっています。ただ、最近は多くて千人ほどです。兵として向かない方も中にはいらっしゃるので、実際に兵となる方はそれより少ないでしょう。そう考えていくと、通常の手段ではシーキンセツに攻められるだけの兵は用意できません」
「つまり、通常でない手段なら用意できる可能性があると」
 フォールが呟いた。
「通常ではない手段?」
 シアルが尋ねる。ムーンが頷いた。
「二つほど、考えはあります。まず、キッサキでの対妖魔との戦いが一段落ついたそうで、父が指揮している兵に余裕が生まれました。何が起こるかわからないので、父本人が来ることは難しいでしょうが、三千程度の兵なら出せると考えています。ちょうど、ユリアンヌさんがキッサキに行くとのことだったので、その旨を伝えた書簡を父に渡すよう頼んであります」
 ユリアンヌは、前々から息子の顔が見たいと話していた。だが、デムーラン城砦の総隊長として砦のことにかかりきりとなり、キッサキに戻る機会がなかったのだ。今頃、半年ぶりに息子と再会しているだろう。
「もう一つは?」
「もう一つは、賊です。ただ、普通の賊ではありません。義賊です。三か月ほど前から、カナシダ山脈のカナズミ側に、五百ほどの賊が住み着きはじめました。頭領はアルゥ―ンダ。彼がお尋ね者として山脈に逃げ込んだところに、人が集まってきたようです」
「お尋ね者?」
 フォールの言葉に、ムーンが頷く。
「村の領主だったアルゥーンダの母が、以前からゲン軍の侵攻に否定的な発言をしていたらしく、その村がゲン軍の支配下になった際、役人が他のところに比べて税を重くしたそうです。アルゥーンダは、それに反発した形で役人を半殺しにして逃げました」
「ゲンにしては、珍しい失策だな」
 確かにその通りだった。シアルの知るゲンであれば、アルゥーンダの母のような人物とは熱心に話し込んだろう。決して、理不尽を押し付ける人間ではない。
「ハジツゲやフエンを落とした直後だったこともあり、ゲンは戦後処理に追われて関知できなかったようですね。ゲンがその役人を処罰した時には、アルゥーンダの母が獄死しており、アルゥーンダは態度を硬化させてしまったようです」
 ただ、どこかを襲うわけでもない。五百の兵を、懸命に鍛錬させているのだという。
「影の軍の情報によれば、間もなくアルゥーンダたちの兵糧が底をつくとのことです。まだ、今の彼らなら本当の賊徒にならなくて済むでしょう。今、ダニエル殿とヒイ殿に説得を頼んでいるところです」
 ムーンの言葉に、フォールが頷く。
「バレー将軍の三千、義賊の五百、自然増で千五百。そうすれば、兵数が二万九千になり、二万で攻めに行けると」
 フォールの問いかけに、ムーンが頷く。
「誰が攻めるかは、二月の頭になってから決めることになります。ただ、セインさんの遊撃隊とアニマ隊のモズメさんが指揮する歩兵は出撃させる予定です。それから、フォールさんの五千」
 この三つの部隊が、カイナ攻めの中心となる、ムーンはそう告げていた。
「分かった。では、セインさんやモズメさんの部隊と今のうちから連携が取れるよう準備しておこう」
 フォールが頷く。時間はちょうど、昼時になっていた。
「シアルさん、久しぶりに食事でも一緒に行きませんか?」
 フォールが尋ねる。シアルは頷いた。
「息抜きにも、丁度いいしな」
「わたしも、一緒に行っていいですか?」
 珍しく、ムーンが頼んできた。普段は、シアルが言わないと昼ご飯を食べようともしないのだ。
「ああ、一緒に行こう」
 シアルの言葉に、ムーンが笑顔を見せた。
「わたし、シアルさんの子どもの頃の話を聞いてみたいです」
 ムーンと出会ったのは、シアルが士官学校を卒業してからのことだった。ムーンに出会う前のシアルがどんな人物だったのか、興味があるのだろう。
「あ、ああ。だが、おれの話なんて聞いても面白くもないぞ」
「わたしは、面白いんですよ」
 ムーンの笑みが、広がる。
「そういうことなら」
 シアルはため息をついて頷く。ムーンが楽しそうな表情で先に歩き出していた。

 ユリアンヌは理解しがたい現実と、向き合わなければならなかった。そう、何故か一人息子のレイが自分よりバレーに懐いている。その現実だ。
 どうやら、孫が一人もいないバレーは、レイをまるで自分の孫のように可愛がっていたらしい。
 ユリアンヌの耳が、垂れ下がる。その光景は、ユリアンヌの心に突き刺さった。思わず、ため息をつく。
「せっかく息子に会えたのに、そう寂しそうな顔をするな。レイが困っているだろう」
「お言葉ですが、将軍」
「どうした?」
「まずは仕事の話をしましょう」
 ユリアンヌの言葉に、バレーが笑い声をあげる。隣で話を聞いていたツーマイもまた、笑っていた。ツーマイは、シアル、ユリアンヌ、セインと共にバレー配下の四天王と呼ばれている。年齢は、シアルの一つ上だ。歩兵隊の隊長を務める彼は、一見すると地味だが堅実な働きをこなしていた。
「ツーマイ、笑いごとじゃないのよ」
 流石に上官を怒るわけにもいかなかったので、ユリアンヌは同僚を窘める。
「今のやり取りで、笑うなって方が無理だろう」
「どういうことよ?」
 少し怒気をはらんだ声で、ユリアンヌが尋ねる。そこに、バレーが口を挟んできた。
「そう怒りっぽい顔をするな、ユリアンヌ。レイが怖がるだろう」
 ユリアンヌは、これ以上にはないほど不服そうな表情で、バレーを睨み付ける。バレーは、膝の上にいるレイと目を合わせた。
「怖いね、お母さん」
 これが、ヒロズ国の大将軍の言葉なのだろうか。最早、ただの孫を可愛がるだけの老人と変わらない。
 ツーマイが、声にならない笑いを上げ続けていた。ユリアンヌの右手が、魔道銃を下げた腰へと何度も伸びそうになる。
「ご息女から、書簡を預かっております」
 ユリアンヌが書簡を取り出す。バレーの表情が、真面目なものになった。書簡を受け取ると、バレーはその内容を読み始める。
「なるほど、やはり増援のことか」
 読み終えると、バレーは頷いた。
「確かに、ちょうど妖魔との戦いは一段落したところだ。ゲン王子の反乱が起きた際は、そこまで兵を送ることは出来なかったが、いまなら多少融通は効く。ツーマイ、歩兵隊三千五百と共に向かってくれ」
「はい」
 ツーマイは、驚きもせずに即答する。むしろ、驚いたのはユリアンヌの方だった。
「まさか、ツーマイが来るなんて」
「我々も、それだけゲン王子の反乱を重く見ているということだ」
 ユリアンヌの言葉に、バレーが重々しく頷くと答える。
「ただ、一気に三千五百が増えるとゲン軍も警戒するだろう。兵そのものはぎりぎりまでこっちに留めておこう。ツーマイはユリアンヌたちとの作戦会議にだけ加わるようにしてくれ」
「はい、将軍」
 それで、真面目な話は終わりだった。再びバレーがレイを可愛がり始める。憮然とするユリアンヌの方に、ツーマイがそっと手を置いた。
「お前の気持ち、分かる気がするよ」
 多分に、同情が込められた声だった。ユリアンヌとツーマイは二人で、外へと出ていく。
「そうね。半年、半年間会えていなかったものね」
「まあ、バレー将軍は嬉しいんだろう。バレー将軍は、未だに孫がいないからな。初孫が出来たかのように可愛がっているんだ。許してやってくれ」
「面倒を見てもらっていること自体は感謝しているわよ。でも、それとこれとは話が別だと思うの」
「忘れられないといいな、お前の顔」
 ユリアンヌの表情が凍る。それを見て、ツーマイは地雷を踏み抜いたことを察したらしい。素早く話を変える。
「そう言えば、ユリアンヌ」
ツーマイが、話しかけてきた。
「ムーンちゃんは元気なのか? 将軍、影で気にしているんだ。ムーンちゃん、何かと無理をする性格だろう」
恐らく、バレーに聞いてきて欲しいと言われているのだろう。
「そうね」
 ユリアンヌは少し考えた。
「シアルの管理が悪ければ、わたしが既に報告しているわ」
「なるほど。少しずつでも、シアルが良くしてくれているなら何よりだ。平気で寝ずに行動しようとするからな。ムーンちゃんは」
「それを窘めるのも年長者であるわたしたちの務めね」
 ツーマイが頷く。
「相変わらず、シアルに一途なのか?」
「一途なんだけどね。シアルが唐変木だから」
 ユリアンヌの答えに、ツーマイが苦笑する。
「シアルも、堅すぎるところがあるからな。恋愛感情を告げられても、困るだけかもな。シアルはムーンちゃんのこと、どう思っているんだ?」
ツーマイが頷く。ユリアンヌは僅かに目を逸らした。煮え切らないシアルに業を煮やして、シアルにムーンの想いを伝えてしまったことがあったからだ。これが原因で二人の仲が失敗すれば、シアルにもムーンにも会わせる顔がない。
「嫌ってはいないわ。ただ、何かきっかけがないと二人の仲が大きく変化するのは難しいかもね。進展があれば、バレー将軍も安心するんだけど」
 それで、ムーンの話も終わった。
「次の会議からは、参加することになるだろう。ユリアンヌ、ミシロでもよろしく頼むぞ」
「まさか、あなたがこっちに来させられるとは思ってもいなかったわ。あなたが来てくれるのなら、大丈夫そうね」
「出来ることがあったら、気軽に言ってくれ」
「ありがとう。助かるわ」
 ユリアンヌが転送石を使うまで、ツーマイは見送りにきていた。ツーマイが、ユリアンヌに手を振る。
「では、また」
 ユリアンヌはデムーラン城砦へと戻った。城砦の入り口付近で、アニマと出会う。アニマは、王都セキエイから帰ってきたところだった。弟のアニムスが、セキエイの士官学校にいるのである。アニマは定期的にアニムスに会いに行っていた。
「すみません、今日は休みを満喫しちゃいましたよ」
 アニマが楽しそうに告げる。
「今日はアニムスとお揃いの首飾りを作ったんですよ。やっぱり、あれくらいの年ごろの子は、成長が早いですよね。うかうかしていると、わたしが顔を間違えちゃいますよ。でも、日々成長していくのを見るのって、面白いですよね」
 アニマに悪気は全くない。むしろ、アニマは何も悪いことはしていない。ただ、それは今のユリアンヌにとって辛い言葉だった。
「アニマちゃん、死体蹴りって言葉知ってる?」
「死体はちゃんと弔うんですよね」
 見当はずれの言葉が返ってきた。ユリアンヌは、頭を抱える。
「よくわからないんですが、ユリアンヌさん、気を落とさないでください。わたし、ずっと親がいないんですよ。姉弟二人で支え合って生きていたんです。でも、だからこそ言えることがあるんです」
 一瞬間を置き、アニマが自信満々に告げる。
「親がいなくても子は育ちますよ」
 その言葉は、ユリアンヌの心に突き刺さった。思わず、その場に倒れ込む。
「ユリアンヌさん、ユリアンヌさん、大丈夫ですか?」
 事情を知らないアニマだけが、ただ慌てていた。

 ダニエル・ヘルガーは山道を進んでいた。ホウエン西部に位置するカナシダ山脈だ。険しい山脈ではないが、ところどころに罠が仕掛けられている。この山脈に集う賊徒のものだ。彼らを説得してほしい。ダニエルは、ムーンからそう依頼されていた。
 彼らは、賊徒と言ってもどこも襲っていない。ただ、二度ほどゲン軍が攻めてきたときは追い払っている。食料も、その時手に入れたようだ。ただ、現在はゲン軍も迂闊に攻めようとしなくなったため、彼らは飢え始めていた。
「ダニエル殿、よく罠の場所が分かりますね」
 ダニエルの隣では、彼のファミリアであるアラクネに乗ったヒイが感心した表情を浮かべている。賊徒の説得に、同行させて欲しいとムーンに言われていた。流石に、ただの商人にこの山道は辛かったようで、アラクネに乗せるまでは玉のような汗をかいていた。
「慣れだよ、慣れ」
「慣れればできるようなものなのでしょうか。私は、登るだけでも辛いのに」
 ダニエルの答えに対し、ヒイが額の汗を拭いながら呟く。そんなヒイの様子を見ながら、ダニエルは紙に訓練の予定を書き込んでいた。今のヒイが足りないであろう、体力を引き上げる訓練の予定である。
「体力が、全然足りない」
 思わずダニエルが呟くと、ヒイがぎょっとした表情でダニエルを向いた。
「私は、兵士ではなく商人なのですが」
「商人でも、出歩くことはあるだろう。もし襲われたら、馬車を捨てなければならない。最後は、走るんだよ」
「な、なるほど」
 ヒイが顔を引き攣らせながら頷く。ダニエルは満足そうに頷いた。
「帰ったら、アラクネとの特訓な」
「は、はい」
 アラクネの上で休んでいるにもかかわらず、ヒイの顔はどんどん青ざめて行く。ダニエルが、アラクネを止めた。
目の前の木陰に、違和感を覚えたのである。ちょうど、ダニエルからは死角となっているところだ。しかし、ダニエルはそこに賊徒が数名隠れていることを察知していた。
「何者だ」
 湧き出るようにして、賊徒が物陰から飛び出てくる。アニマの影の軍やセインの遊撃隊を思わせる動きだ。ただ、その両者の軍と比べると、その動きは粗雑なものだった。
 だいたい、五十かな。ダニエルは、目の前の人間がどの程度訓練しているかを、漠然と数値化できる謎の才能があった。
「用件は?」
 賊徒の声は、きびきびとしている。動きも、だれたところはない。とても、飢えかけた賊とは思えないようなものだった。頭領が、しっかりとしている証拠だろう。
「今、私と共にくれば飯と、特別な訓練がついてくるぞ」
 突然の言葉に、賊徒たちが困惑するのが分かった。賊徒たちが、相談を始める。改めて、ダニエルたちに向き直った。
「ひとまず、アルゥーンダさんのところに連れて行こう」
 賊徒が告げる。アルゥーンダこそ、ダニエルとヒイの目的でもあった。賊徒に促されるまま、奥へと向かう。まもなく、視界が開けた場所に出た。賊徒たちが、山の斜面を活かして半分ずつに分かれ訓練を行っている。一人離れ、その様子を見守っているネヴァーフがいた。背には、巨大な斧を持っている。ダニエルたちが近づくと、振り向いた。
「あんたたちが、おれに会いたいと言っていたのか」
 アルゥーンダは、顔の半分が髭で覆われていた。そのせいか、とても二十歳そこそこの人間とは思えない雰囲気を醸し出している。ただ、首から下げられた梟の形をした木彫りの飾りだけが妙に可愛く、浮いていた。
 周りの人間とも、鍛え方が一人だけ違う。ダニエルは、まずその練度の高さを見て取った。
「八十五か」
 思わず、感心した声で呟く。怪訝な顔をするアルゥーンダに、ヒイが声をかけた。
「要件を、聞いていただけますかな」
 アルゥーンダは髯面を歪め、にやりと笑った。
「このおれに、要件とは。面白い。ただ、おれは弱い奴が嫌いだ。話を聞く前に、一度戦ってもらおう」
「私が?」
 ヒイが唖然とする。アルゥーンダは鼻を鳴らした。
「おれは、弱い奴が嫌いだと言ったろう。それとも、お隣さん一人で戦うのかね」
 ダニエルは、にんまりと笑った。
「やろうか」
「なるほど、ならばいいだろう」
 そう告げると、アルゥーンダはダニエルを訓練場へと案内し始める。大小様々な棒が、そこには用意されていた。
「好きな長さの棒を選んでくれ。まずは、部下が相手しよう。三人同時でいいか?」
「何人でも、構わないぞ」
 ダニエルは、一番短い棒を手に取りながら答える。まもなく、三人の男たちがダニエルの目の前にやってきた。皆、闘志を全面に出している。
「そんな短い棒で、大丈夫か?」
「大丈夫だ、問題ない」
 事実、その通りだった。アルゥーンダの言葉とともに、三人の男たちが打ちかかってくる。次の瞬間には、三人とも地に打ち据えられていた。
「ほう」
 アルゥーンダが、感心したような声を上げた。ただ、その表情は全く動いていない。予想していたのだろう。
「次は、おれだな」
 アルゥーンダが長めの棒を手に取る。
「本来なら、斧を使いたいんだが、この場になくてな」
 アルゥーンダが、棒を構える。武芸に、かなりの自信があるのだろう。隙は少ない。最初の三人よりは戦えそうだった。ただ、あくまで最初の三人と比べてである。
 打ち合うと、一瞬で決着がついた。もちろん、ダニエルの勝ちである。
「バカな・・・」
 アルゥーンダの顔が、驚きに満ちている。
「もう一度、戦ってもらおう」
 何度戦っても、ダニエルの勝ちだった。アルゥーンダの顔は、真っ赤になっている。
「何故、おれは勝てないんだ・・・。師匠に、右に出る者はいないと言われたこのおれが」
 アルゥーンダが、小さく呟いた。そして、ダニエルに向き直る。
「失礼だが、名を教えていただきたい」
「ダニエル・ヘルガーだ」
 ダニエルが堂々と答える。
「ダニエル・ヘルガー?」
 ダニエルの名を呟いたアルゥーンダの顔が、見る間に険しくなる。アルゥーンダは、再び棒を構えた。
「ダニエル殿、良ければもう一度手合わせ願えませんか? もう一度負ければ、何をされてもかまいません」
 その表情からは、何かに対する決意が読み取れた。ダニエルは頷く。汗一つ、ダニエルは流していない。
「よろしい」
「母さん、師匠、おれに力を」
 だが、ダニエルの動きは到底アルゥーンダについて行けるものではなかった。アルゥーンダが、地に伏せる。
「・・・師匠」
 アルゥーンダが、涙している。辺りにいた賊徒たちが、驚いた様子でダニエルたちの周りに集まっていた。
「失礼しました。用件を聞けばいいだけにも関わらず、このような無礼まで働いてしまい、申し訳ありません」
 アルゥーンダが、ダニエルに跪いて頭を下げる。
「先ほど申し上げた通り、何をされても文句は言いません。母の仇を取れなかったことだけが心残りですが、我が師匠を倒したダニエル殿の手にかかって死ぬなら、それも仕方のないことだと思います」
「師匠?」
 ダニエルの隣にやってきたヒイが尋ねる。アルゥーンダが、頷いた。
「はい。我が師匠、ルア・ダーン殿です」
 ルア・ダーンは『神剣魔狼』ルードヴィッヒの副官だった男だ。汚いハゲだったが、弟子の育成は上手かったらしい。シアルも、彼の弟子たちと戦ったと言っていた。ルア・ダーンは剥げていたが、アルゥーンダは、綺麗な巻き毛をしていた。当面、頭髪の心配はしなくていいだろう。
「なるほど。何か勘違いしているようだが、我々はアルゥーンダ殿を倒しに来たわけではないぞ」
 ヒイの言葉に、アルゥーンダが驚いたような表情を浮かべる。
「なあ、ダニエル殿?」
「・・・そ、そうだな」
 ダニエルが慌てて頷く。本来の目的は、アルゥーンダをシアル軍に引き込むことだった。
「では、何を?」
「私はヒイ。商人だ。訳あってミシロにいるシアル・フィング殿の軍に力を貸している。我々二人は、シアル殿に頼まれ、アルゥーンダ殿に協力を呼び掛けに来たのだ」
「協力?」
 アルゥーンダの言葉に、ヒイが頷く。
「アルゥーンダ殿は、ゲン軍の軍勢を二度追い返している。その力を活かして、我らと共にゲン軍と戦ってほしい」
「だが、それは」
 何かを告げようとするアルゥーンダに、ヒイが言葉を挟む。
「ただ、ここで戦い続けるのは難しいだろう。孤立しすぎているし、武器や食料を運ぶのも一苦労だ」
「食料?」
「アルゥーンダ殿たちが、一番不足しているものだろう。まさか、アルゥーンダ殿は武器や食料が湧いて出ると思っているのか?」
「それは・・・」
 アルゥーンダが、ヒイの言葉に対し、困った表情を浮かべている。その顔は、初めてダニエルたちと話した時に比べて年齢相応のものだった。
「分かりました、ダニエル殿。少なくともおれはあなた方の軍に加わろうと思います。部下たちにはそのことを告げてから、どうするか決めてもらおうと思います」
 三人で話し合った後、アルゥーンダが告げる。アルゥーンダの部下たちが、全員アルゥーンダについてくるだろうと予想できた。それほどの魅力を、この青年は持っている。
 翌日、部下の全員が共について行くことになったと、アルゥーンダがダニエルに告げた。
「ダニエル殿、よろしくお願いします」

 デムーラン城塞は、シアルたちの三つの拠点の中でも特に、戦の色合いが濃い。そのため、常に兵士たちが戦いに備え訓練を行っていた。
 ただ、戦うためには十分な休養も必要となってくる。そこで、デムーラン城塞の兵士たちは六日に一度、休みがあった。それは、上官と言えど例外ではない。
 その日、アニマウーナはソレイユ、キョウコと三人でミシロへとやってきていた。昼間から飲みに行くと話している二人に別れを告げ、アニマはモミジの家へと向かう。
 アニマがデムーラン城塞に移ってから、モミジやプライムと会う機会はめっきり減っていた。今日は、久しぶりの再会である。
 アニマの手には、お土産が握られていた。デムーラン城砦名物の、竜饅頭である。開発したのは、自称飛竜軍の隊長であるサラマンダー・タカイだった。意外と美味しいとして、城砦内からの評判もいい。
「あ、アニマさんだ」
 プライムの陽気な声が聞こえる。プライムは、小さな棒を手にしていた。どうやらそれを、剣代わりにしているらしい。アニマは、笑顔を見せてプライムに駆け寄る。
「アニマさん、稽古つけてよ」
「いいですよ」
 モミジは近くにいない。プライムに理由を聞くと、薬を作っているとのことだった。モミジは、少し離れた場所に薬を作るための部屋を持っている。
「ここで待つ? それとも、部屋に行く?」
 プライムが、無邪気な声で尋ねてくる。アニマは少考の末、プライムと共にモミジに会いに行くことにした。アニマを見て、モミジが微笑む。
「アニマさん。お久しぶりです」
「お久しぶりです。何か、お変わりはありませんか?」
 モミジを気遣うような声で、アニマが尋ねる。モミジの優しそうな表情に、僅かだが疲れが滲み出ているように思ったためだ。
「モミジさん。何か、ありましたか? 不埒者でしたら、直ちに殺してきます」
「そ、そう言う人はいないです。ただ、今年は流行りの病が一段と強くて、その薬を作るために少し忙しいんですよ」
 高熱と激しい咳を特徴とする病だった。一度かかると体力を激しく失い、命を落とす危険性も高かった。特に、子どもと老人が危ない。
「かかる人も多いので、例年以上に用意しておかないと備蓄分もつきてしまうと思いまして。おまけに、ドクターワリオさんからデムーラン城塞の分も依頼されているんですよ」
 ドクターワリオは医者として、ミシロやデムーラン城塞の重病人を看ていた。特に、新設されたばかりのデムーラン城塞は医師も薬も不足しており、モミジやドクターワリオが忙しくなる原因にもなっている。
「ヒイさんに薬の原料となる薬草を依頼しているのですが、あまり手に入らなくて」
 モミジは師匠から譲られた調合書に、独自に研究した薬も載せていた。この病の薬もそうらしく、これまであまり使われていなかった薬草を使っているらしい。そのため、栽培はされておらず、野にあるものを見つけるしか手に入れる方法がなかった。
「材料の調達を手伝いましょうか?」
 アニマが尋ねる。野草を探しに行くなら、道中でプライムの訓練もできるはずだ。
「そうしていただけると、助かります」
 モミジが頭を下げる。
「じゃあ、プライムちゃん。一緒に行きましょう」
「はい」
 プライムが楽しそうに頷く。その光景を見て、モミジが幸せそうに微笑んだ
「アニマさんも、病にかからないよう注意してくださいね」
「まあ、わたしはどの道変わりはないので」
 度重なる実験の結果、アニマの余命は蝕まれていた。後、何年生きることが出来るのかはわからない。モミジにも、余命が少ないことは話していた。翳のあるアニマの笑顔を見て、モミジの表情が僅かに曇る。
「でも、少しでも長く健康に生きて欲しいと、わたしは思っています」
「そうですね。じゃあ、プライムちゃん。お互い病気にならないよう注意しましょう」
「はい」
 プライムが元気に頷く。夕方まで、二人はモミジに頼まれた野草を探していた。それをモミジに渡すと、デムーラン城砦へと戻る。来客がいた。リシアとレヴィンだ。
「アニマ、せっかくの休日にすまない。少しだけ話せるか?」
 レヴィンが申し訳ない顔をしている。
「別に、構いませんよ」
「ありがたい。早速だが、影の軍の中でも特に信用が出来る人間たちに調べて欲しいことがあるんだ。ただ、これは私の個人的な頼みだから、無理にとは言えない」
「はい。ですが、調べものだとわたし個人は役に立たないかもしれません」
 闇に生きてきたアニマではあったが、闇として行動することに長けているわけではなかった。どうしても、人目を引いてしまうのだ。半面、陽動などにはこれ以上にはないほど適している。闇の活動にも、詳しかった。
 アニマが目を逸らしているのを見て、レヴィンが苦笑しながら答える。
「大丈夫だ、それは察している」
 隣では、リシアが笑っている。アニマも笑顔を見せる。どことなく、寂しそうだった。
「わたしは、人を殺すことしかできませんしね」
「ま、まあ、影の軍の中でも向き不向きはあるだろう。リシアも、商人としては致命的なくらい計算が苦手だからな」
 アニマが、リシアを見た。
「あれ、リシアさん。大富豪なんじゃ?」
「わたしは、冒険専門だから」
 リシアが、苦笑しながら答える。
「リシアは、計算できる人間は雇えばいいって考えなんだよ」
 レヴィンの答えに、アニマは戸惑いながらも頷いていた。リシアには、妙に人を納得させる何かがある。
「今度一緒に、新しい洞窟でも潜ろうよ」
「そ、そうですね」
 それで、とレヴィンが話を戻した。
「調べて欲しいのは一人のオルニスだ。特徴は、青みがかった黒髪に白い翼。オルニスらしく大柄なことと先端が二股に分かれた杖を持っていることくらいだ」
 レヴィンがその特徴を告げた瞬間、僅かに場の雰囲気がざわめく。場が凍るような殺気を、アニマが放出したのだ。だが、即座にアニマは笑顔に戻る。
「情報が少なくてすまない」
 レヴィンが、謝ってくる。アニマの殺気には、気づいた様子もない。もとより、ポメロと戦うので精一杯な人間だ。殺気に対しても、人一倍鈍いのだろう。リシアが気付いた可能性はあるが、大陸有数の武人は、少しのことでは動じない。全く、アニマに対する反応を変えなかった。
「その人物について知ることが、我々の今後に必要なことだと思うんだ。我々は、彼女と何度かすれ違っている。最初は、ミシロを大地震が襲った時だ。ユリアンヌ、ソレイユ、ダニエルの三人が彼女を市庁舎で目撃している。ここ数日、ミシロで彼女に関する話を集めていたが、地震の直後に彼女がオーダマ博士の研究所の近くから、市庁舎の方角を目指して飛んでいたとの目撃例が上がっている。地震による混乱は、なさそうだったとのことだよ」
 その事実は、彼女がオーダマ・リィや当時のミシロ太守であるテセウスの暗殺に深くかかわっていることを示していた。そして、その頃のオーダマは、紅色の珠を持っていると周囲からは思われていたはずである。
「彼女は、間違いなく珠を探し求めている。そして、ゲン軍に協力もしている。情報をまとめると、『開眼』バルドゥイノに魔術眼を渡したのは彼女らしい。そして、その後の行方は分かっていない。彼女について、調べてくれないか?」
「ええ、もちろんです。ただ、気が変わりました」
 わずかな間の後、アニマが答えた。答え方は、いつもと変わらない。しかし、これまでとはどこか雰囲気が変わっていた。
「わたしも参加して、全力で調べます」
 それと、とアニマがレヴィンを見る。
「こちらから、お願いしてもいいでしょうか」
「私が出来ることであれば」
「腕が立つ人を、二三人貸してください。調査している間、モミジさんとプライムちゃんの警護をお願いします」
「なるほど。それなら任せてくれ」
 レヴィンが大きく頷く。
「二人の安全は、このリシアが守ってくれる」
 予想通りの言葉に、リシアが苦笑した。アニマが、リシアを見る。その顔に、いつもの笑顔はない。
「約束しましたよ」
 呟きも、重たい響きを含んでいた。

 ソレイユ・ローランサンは久しぶりの休みを満喫していた。デムーラン城塞に配属されてから、ソレイユはほとんど休む時がなかったのだ。
 特に、城塞の初代軍師だったデムーランが亡くなってからは忙しい。デムーランが行っていた仕事の一部を、ソレイユが引き受けることになってしまったからだった。仕事の大部分はデムーランに代わって軍師となったキョウコが行っているが、キョウコだけでは手が回らないことも事実だった。
「こうしてゆっくり落ち着けるのも、久しぶりですね」
 座敷でゆったりとくつろぎながら、キョウコが呟く。
「ああ。休めるうちにちゃんと休んでおこないとな」
 ソレイユが告げる。ソレイユとキョウコは久しぶりの休みを満喫すべく、ミシロにある酒場へとやってきていた。時刻は、まだ昼である。
 しかし、ソレイユもキョウコも時間を何ら気にすることなく酒を飲んでいる。キョウコの顔は、少し赤い。
「また、次いつ休めるかわかりませんし、今日はゆっくり酒でも飲みましょう。ソレイユさん」
 キョウコが、言いながら酒を勧めてくる。ただ、キョウコは酒があまり強くない。おまけに、飲むとすぐに眠るか人に抱きつく悪癖があった。
「そうだな。でも、無理はするなよ」
 キョウコの酒癖を念頭に入れながら、ソレイユが告げる。
「大丈夫ですよ。第一、なんで休んでいるのに無理をするんですか」
 キョウコが、不服そうな声を上げる。残念ながら、ソレイユが言いたかったことは伝わらなかったようだ。キョウコが、更に酒を呷る。
「ソレイユさんはこれから忙しくなりそうですね」
 キョウコが告げる。どうやら、まだ理性は残しているようだ。ソレイユも頷く。
「そうなんだよな。こうやって、お酒を飲んだり女の子を誘いに行くのも難しくなるかな。そろそろちょっと、地に足付けないと」
「誰と、足をつけるんですか?」
 キョウコが意地悪く笑いながら尋ねる。
「いやあ、相手はまだ決めていないんだけどな」
 実際には、全く考えていないわけではなかった。ただ、相手が乗るかが読めないのだ。何分、引っ込み思案な人間だった。
「ま、わたしはいつでも空いてますから」
 キョウコが、冗談とも本気ともつかぬ声で告げる。反応に困っている間に、キョウコの顔が真面目なものとなった。
「近々、シアルさんたちはシーキンセツを落とすべく軍を進めるはずです。その際には当然、軍師が必要になってきます。しかし、わたしはデムーラン城塞で手一杯ですし、ムーンさんが遠征してしまうとミシロやコトキの民政に差し障りがでます。となれば、軍師になり得る力があるのはソレイユさんだけでしょう」
キョウコの答えは、軽く酔っているとは思えないほど明晰なものだった。
「え、おれ?」
 想定していなかった言葉に、思わず間の抜けた声が出た。
「おれ、頭脳労働苦手なんだよな」
「ソレイユさんなら、大丈夫、れすろ」
 キョウコの呂律が怪しくなる。やはり、酔っているのだろう。
「なあ、飲み過ぎてないか?」
「まだ、全然れす」
 駄目そうだった。
「少し、眠くなってきまひた、ね」
 キョウコはそう告げると、座敷で横になる。案の定、すぐに寝息が聞こえてきた。ソレイユが呆れる。
 座敷の戸が叩かれたのは、そんな時だった。
「ソレイユさん、わたしも一緒に飲んでいいですか?」
 その声に、ソレイユは聞き覚えがあった。ソレイユや今は亡き妹、レテの幼なじみであるキーナだ。
「ああ。どうぞどうぞ」
 ソレイユが戸を開けると、キーナの大柄な体が目に入った。ソレイユの近くで熟睡しているキョウコと比べても、背はキーナの方が高いだろう。
「えっ」
 中に入ったキーナが、熟睡しているキョウコを見て当惑の表情を浮かべた。
「なんか、がぶがぶ飲んじゃって。酔いつぶれちゃった」
 困ったようなソレイユの言葉に、顔を微かに引き攣らせながらキーナが頷いた。
「キ、キョウコさんも大変なんですかね」
「お前も、無理はするなよ」
 ソレイユが、優しげな声で言葉をかける。
「お酒を飲むなら、おれみたいにちゃんと節度を持って飲まないと」
「その通りですね。節度を持って飲みましょう。ただ、その言葉をソレイユさんに言われると、少し引っかかるんですが」
 キーナが、苦笑しながら告げる。
「それにしても、ソレイユさんとまともにお会いするの、いつ以来でしょうか」
「おれがデムーラン城砦に言ってから、ほとんど会ってないもんな」
 ソレイユが頷く。
「最近、お元気にされていますか?」
「まあ、変わりないがあんまり休めないことが辛いな。そっちこそ変わりないか? 大丈夫か?」
 言いながら、ソレイユの視線が彷徨い始める。ソレイユもまた、酔い始めていた。
「明日はまた仕事でしょうし、二日酔いになってしまっては、大変なんじゃないですか?」
「うん、うん。大丈夫。うん、うん」
 思いっきり、酔っ払っていた。キーナは諦めたようにため息をつくと、呟く。
「わたしは、何とか騎馬隊の隊長をこなしています。最も、レテさんに比べると未熟な隊長ですが」
キーナが、遠くを見つめた。
「隊長として経験を積めば積むほど、レテさんやシアルさんは凄いと思うばかりです。この前も、シアルさんの騎馬隊と模擬戦をしたのですが、手も足も出なくて。レテさんみたいになれればと思って、いつも使っている剣には布をつけているんですが、追いつける気がしません」
 キーナがため息をつく。
「焦ることはない。ゆっくり自分なりに追いつけばいいのさ」
 ソレイユが返事をすると、キーナがその場で飛び跳ねそうになるくらい驚いていた。恐らく、ソレイユが酔っ払ったと思って呟いていたのだろう。
「いつかはきっと追いつく。そうなれば、今度はあいつでも身に付けなかった技術を身に付けるようになるさ」
「でも、わたしレテさんに追いついた自分が、全く想像できないんですよ」
 僅かな沈黙の後、キーナが告げる。そして、急に申し訳なさそうな表情になった。
「そう言えば、ソレイユさんはのんびり休まれていたところでしたよね。お休みしていたところだったのに、こんな暗い話をしてすみません」
 キーナが、慌てて立ち上がる。
「わたしが騒ぎすぎてキョウコさんを起こしてしまっても申し訳ないですし、わたしはこれにて」
 キーナが、去っていく。ソレイユの隣では、キョウコが平和そうな寝息をたてていた。

 その日の会議は、いつもより出席者が多かった。いつもの面々に加え、新顔としてフォール・ラーデンとツーマイ・ガイの二人が参加している。デムーラン城塞の軍師であるキョウコもその場におり、合計で十四名の人間が集まっていた。
「さて、みんな揃ったようだな。シアル、会議を始めるかい?」
「ああ、始めよう」
 レヴィンの言葉に、シアルが頷く。ムーンが立ち上がった。
「では、早速本題に入りましょう」
「ついに、おれたちからゲン軍を攻めるのか」
 オドリックの言葉に、ムーンが頷く。
「フォールさんの率いる五千は、デムーラン城塞に入りました。ツーマイさんの歩兵隊も、密かにデムーラン城塞に集まっています。ダニエルさんたちのおかげで、アルゥーンダさんやその部下の五百も兵としてコトキにやってきましたし。これで、二万の兵をシーキンセツに向けられます」
「誰が総隊長となって、シーキンセツを攻める?」
 緑の外套を着たセインが尋ねてきた。緑が好きなセインは、赤が好きなユリアンヌと合わせ、兵たちからは『紅騎士』、『緑騎士』と陰であだ名されている。
「守りを考えると、太守であるシアルさんとオドリックさん、そしてデムーラン城塞の総隊長であるユリアンヌさんは残るべきでしょう」
 ムーンの言葉に、何かを予想したのかセインが首を横に振る。
「おれは全体を見渡すのは苦手だから、総隊長はごめんだぜ」
 実際のところ、セインは大軍を指揮するだけの力も持っており、カイナ攻めの指揮官としては最も適切である。しかし、遊撃隊の隊長を務めるセインは、戦場の機微を掴む天性のものを持っていた。ここぞの時を見逃さない。そして、その力を最大限活かすために、他の軍から独立して行動することが多かった。
従って、今回も総隊長は望まない。それは、シアルとムーンも予想していた。ムーンが苦笑しながら頷く。
「シアルさんとも相談しましたが、総隊長はフォールさんに任せようと思います」
「私か」
 フォールが頷いた。カタストの副官として鍛えられたのだろう。動揺は感じられない。ムーンが言葉を続ける。
「セインさんが遊撃隊、ツーマイさんが歩兵隊を率いて加わっていただきたいと思います。それ以外の兵についても、シーキンセツ攻めをきっかけに再編を行いたいと思っています」
 ムーンが細かい案を述べる。ただ、精鋭からなるシアルの騎馬隊、ユリアンヌの射撃隊、セインの遊撃隊は変わらない。特殊な軍であるアニマの影の軍も同様だった。
「軍師は、ソレイユさん」
 ムーンがソレイユに告げる。ソレイユが苦笑した。
「軍師ねえ」
「ユリアンヌさんもキョウコさんも、あなたの戦術眼を評価しています。アニマさんの部隊も加わっていただきますが、部隊の指揮はモズメさんに任せます」
「もちろんです」
 自信満々に即答するアニマに、皆が笑う。最も、アニマ隊はこの方法で戦果を残し続けてきた。誰も、異を唱える者はいない。まして、アニマには影の軍もあった。ムーンが言葉を続ける。
「アニマさんは影の軍の部隊を一つ率いて、シーキンセツに事前に向かってください」
影の軍は潜入や攪乱を得意としていた。今回の戦いでは、内部からディー=フェンスの守備隊を切り崩していくのだろう。それ以外の遠征の軍も、決まっていく。出発は、二日後だった。ちょうど、二月になる。
「よろしくお願いします」
 ムーンが告げる。それ以外にもいくつか重要なことを決めると、会議は終わりとなった。三々五々、皆が部屋を出ていく。シアルは、ムーンと共に部屋を出た。レヴィンに、話したいことがあるとレヴィンの部屋に来るよう頼まれていたからだ。ユリアンヌも、シアルと共にレヴィンの家へと向かっている。
「会議の後にばかり、重要な話を用意していてすまないな」
 やってきたシアルたちに、レヴィンが申し訳なさそうに告げた。レヴィンの親友であるリシアもその場にいる。少し遅れて、ドレイク、ソレイユ、アニマがやってきていた。
「ドレイク、ソレイユ、アニマ。君たちを呼び出したのは他でもない。君たちが身に付けている珠についての話をしようと思ったんだ」
 皆の顔を見た後、レヴィンが話を続ける。
「気を付けて欲しい人間たちがいる。みんな、『天使の羽根』は聞いたことがあるか?」
 その名を持ち出された時、僅かにアニマが目を泳がせた。ただ、注意してみなければわからなかっただろう。場の注意は、レヴィンに向けられている。
「はい。まあ、話だけは」
 心の中の動揺を悟られないように気をつけながら、アニマが答える。
「まあ、あの組織は有名だからな」
 何も気づかなかった様子で、レヴィンが頷く。『天使の羽根』は、『大天使』レイディアントを指導者とする慈善団体で、貧しい人々や孤児のために活動を行っている。ヒロズ国ではそれなりの支持を集めており、宰相であるボックスなど有力者からの支援を受けていた。
「それは、あくまで表の顔だ。あの団体には、裏がある」
 レヴィンが告げる。
「アニマに頼んで、影の軍を使って調べてもらった。『天使の羽根』には、要人の暗殺や破壊活動、民衆の扇動などを行う人間たちがいるようだ。彼らは本名ではなく、決められたあだ名がある。今、私が把握しているのは、『ブラックジャック』と『ゴルフ』の二人。共に、オルニスの女性だ」
 『ブラックジャック』は、かつてソレイユを襲ったこともある青みがかった黒髪のオルニスであり、『ゴルフ』はボックスの傍にいた全身に金の装飾をまとった商人、ギセラだった。
「ギセラが、ボックスに取り入っていたことに間違いはない。更に、ボックスに『天使の羽根』を支援するよう仕向けている。何故、ボックスに取り入ったのか。それは、彼女が大量に宝石を集めていたからだと考えられる」
 レヴィンが、皆を見渡す。
「これは私の推測だが、『天使の羽根』はグランドラゴンと海王ガラエドリルに関わる四つの宝石を集めようとしている。それを集めてどうしたいのかは、考えたくないがね。そのために、オーダマ博士を殺し、ボックスに取り入ったんだ。ドレイク、ソレイユ、アニマ。君たち三人は『天使の羽根』が狙う宝石を持っている。ひょっとしたら、襲われるかもしない。大丈夫か?」
「わたしは大丈夫です」
 アニマが即答する、もとより、個人的な武勇には自信がある。むしろ、アニマは向こうが襲い掛かってくるのを待ち望んでいた。何より、探す手間が省けるのだ。
「確かに、君は強いからな」
 レヴィンが頷く。
「それに、暗殺の手順についてはよく知っていますからね」
 アニマが、意味ありげな笑みを浮かべた。
「でも、なんで『天使の羽根』の人々はゲン軍に協力しているのでしょうか?」
 ムーンが首を傾げる。レヴィンも険しい顔を浮かべた。
「そこだけが、わからないんだよな。『天使の羽根』が、私情で行動するとは思えない。かといって、ゲンがグランドラゴンや海王ガラエドリルに興味を持つ性格とも思えない」
「宝石を、ゲンが持っている可能性は?」
 それはあった。シアルも、王族の誰かが別に青い珠を持っていると聞いたことがあった。ただ、それがゲンかどうかは分からない。そして、それを気軽に聞けるような間柄ではなくなっていた。
「なるほど」
 シアルの話を聞いたレヴィンが頷く。アニマを向いた、
「アニマ、影の軍を使って調べられないか?」
「わかりました」
「よろしく頼む。私も、何かできないか考えてみるよ」

 その夜、ユリアンヌのもとを訪れるものがいた。アニマだ。
「あら、どうしたの?」
 言いながら、ユリアンヌはアニマからただならぬ気配を感じていた。そもそも、普段は隠しているはずの変身した姿でやってきている。
「アニマちゃん、どうして変身しているの? 今、戦いは起きていないわよ」
「先ほどの話には一つ訂正点があります。あなたたちが知っている『天使の羽根』は三人です」
「三人?」
「『ブラックジャック』、『ゴルフ』、そして『ソリティア』」
「『ソリティア』」
 ユリアンヌが、呟く。その名だけ、聞いたことがなかった。
「わたしです」
 二人の間に、緊張をはらんだ沈黙が落ちる。アニマは、ユリアンナを試すかのごとく見つめていた。
「なるほどね。『天使の羽根』が絡んだ話のときに、やたら含みのある言い方をしていた理由は分かったわ」
 ユリアンヌが、納得したように頷く。
「まあ、正確には元ですけどね。ある人に助けられて、今ここにいるんです」
「ある人ね、なるほど」
 ユリアンヌは、その人の名前を聞こうとはしなかった。『天使の羽根』について告げてくれたのだ。いずれ、必要が迫れば教えてくれるだろう。その点、ユリアンナはアニマを信頼していた。
「わたしの目的は、『天使の羽根』を撲滅させることです。時折いなくなっていたのは、個人的に」
「『天使の羽根』を探っていた」
 ユリアンヌの言葉に対し、アニマは首を横に振った。
「いえ、基地を襲撃していました」
「え?」
 思わず、ユリアンヌが聞き返す。とは言え、いかにもアニマがやりそうなことだ。ユリアンヌは苦笑した。
「流石は、アニマちゃんね」
「結構、やればできるものなんですよ」
 アニマの言葉に、ユリアンヌは乾いた笑いを上げた。
「騙したくないので、一応言っておきました」
「言いにくかったことだろうけど、よく言ってくれたわね」
 ユリアンヌが微笑む。
「私を信用していいんですか?」
「そりゃそうよ。あなたと一緒に戦ってきて、どれだけあなたに助けられたと思う?」
 何かを言いかけたアニマを、ユリアンヌは優しく抱きしめた。アニマは僅かに抵抗しようとしたが、すぐに諦め、されるがままになる。
「少なくとも、わたしが知っているアニマちゃんは、わたしたちの仲間よ。それは、間違いないの」
「ありがとうございます。すごく、嬉しいです」
 アニマは、しばしユリアンヌに抱かれていた。

「ブルーナ、話がある」
 研究所の、扉が開いた。ブルーナの研究所には特殊な仕掛けが為されており、自由に入ることが出来る人間は限られている。
「あら」
 入り口に現れたのは、燃えるような赤い髪と羽を持つオルニスの女性だった。アクローマだ。
「お姉さま、どうしました?」
「今、お姉さまはやめてくれ」
 ブルーナは冗談めかせて告げたが、アクローマは真顔で言葉を返してきた。苦笑したかったが、あまりふざけているとアクローマは激怒する。それは避けた方が賢明なので、ブルーナは真面目な顔を作った。
「それで、要件は?」
「お前が作る予定の軍についてだ」
 アクローマが答える。ブルーナは、それで全てを理解した。
「ああ、雪夜軍のことですね」
 攪乱や諜報を主とする軍だった。場合によっては暗殺もできる。シアル軍における影の軍のような存在で、今のゲン軍に足りないものの一つだった。
「ゲンが、それを認めた。お前が言っている五百人で、その軍を作れとのことだ」
「では、早速。目的は?」
「シアル軍の調査と攪乱。それと、ゲンは嫌がるだろうが暗殺だ」
「誰を狙えば?」
「ムーン、レヴィン、ソレイユ、オドリック」
 アクローマが即答する。四人とも、シアル軍の屋台骨と言っていい人物だった。
「本来ならシアル本人やユリアンヌも狙いたいが、やつらは手練れだ。倒すのに、非常に手間がかかる。お前の元部下もいるんだろう?」
「お気づきでしたか」
 ブルーナが苦笑する。調べている間に、気づいたことだった。だが、そこから何かが漏れている様子はない。
「まあ、それはいい。この四人の誰か一人でも殺すことが出来ればシアル軍の将来に大きな影響を及ぼすことは間違いない」
 ブルーナは頷いた。
「特に、ソレイユは狙い甲斐がありそうですね」
 にこりと微笑むが、アクローマは表情を崩さなかった。
「早速、働いてくれ」
「わかりました」
 アクローマが去ると、ブルーナは立ち上がる。その手には、先端が二股に分かれた杖が握られていた。
 奥の部屋へと向かう。部屋の片隅で、オルニスの女性が目を閉じていた。黄金色の鞘が、腰から見えている。
「姉さん」
「どうしたの、ブルーナ?」
 オルニスの女性が目を開け、ゆっくりと立ち上がる。彼女が身にまとっている大量の装飾品同士がぶつかり、軽く音を立てた。全て、金でできた装飾品だ。
「姉さん向きの仕事があるの」
「どんな仕事?」
 ブルーナは女性の耳元に顔を近づけると、何事かを囁く。女性の顔が鋭くなった。
「いいでしょう。ブルーナ、わたしも行きます」
「よろしくね、姉さん」
 ブルーナは、手を振って女性を送り出す。
「さ、わたしも行かないと。研究の成果も試したいし」
 ブルーナが笑う。見る人がいれば、寒気を覚えるような笑みだった。

 デムーラン城塞は、喧騒に満ちていた。無理もない、明日には城内の兵の大半がシーキンセツに向けて出発するのだ。
 城外では、フォールとモズメの部隊が訓練を行っていた。時折、セインの騎馬隊も混ざっている。
 ユリアンヌは、僅かな部下と共に城内を見回っていた。入り口付近で、軍師のキョウコがツーマイと話し合っている。キョウコは、何かが描かれた図面を手にしていた。
「ユリアンヌか。今、おまえの軍師と話し合いをしていたところだ。流石、軍師だな。こんな兵器を思いつくとは」
 ユリアンヌに気づいたツーマイが、顔を上げる。
 昨年のデムーラン城塞を巡る攻防の後、キョウコはムーンと共に『開眼』バルドゥイノが残した攻城兵器を調べていた。
 今、キョウコが持っている図面はその攻城兵器を改良したものだろう。ユリアンヌも、何度か意見を求められていた。
「これなら、ディー=フェンスの強固な守りも打ち破れそうだ」
「今回は早さが大事とのことなので、現地で組み立てしやすいものを考えています」
 キョウコが告げる。多彩な軍師だった。ただ、デムーランと比べると物足りなさを感じることもある。
 最も、デムーランはユリアンヌと十年来の友人だった。細かいところは話さなくても、互いの考えは理解できたのだ。これ以上の何かを求めるのは、贅沢なことなのかもしれない。
「数の方は平気なの?」
「シーキンセツの城門を壊す程度の分なら」
 キョウコが頷く。
「明日に向けての相談か。相変わらず難しいことをやっているな」
 振りかえると、緑の外套が視界に入ってきた。セインだ。訓練を終えてきたらしい。
「あら、グリーンマン。どうしたの?」
「ああ、レッドおばさん。訓練は順調だぜ」
 ユリアンヌの瞳から、殺意の波動が放たれる。最も、セインは気にした様子でもなかった。
「フォールは流石として、モズメもどんどん指揮が上達しているな。とても、一年前まで畑を耕していた人間とは思えん。あれは、まだ伸びるな」
 セインがここまで人を褒めるのは、珍しいことだった。
「人材が育つのは軍にとってはいいことね。もちろん、この国にとっても」
「そうだな。伸ばせられるのなら、もっと伸ばしたくなる。モズメは、眼がいい。アニマに鍛えられていることもあるんだろうが、おれの剣の動きを眼で追えている。あれを活かす方法があればと思ってしまうな」
 セインは、その方法を考えるために来たのだろう。視力を活かすなら、射撃だった。それも、長射程のものだ。ただ、長射程用の銃はどれも大きく、重い。フィルボルのモズメには適していないだろう。モズメらしさを失わない射撃武器であれば、魔道銃、短弓あたりが適していた。あるいは、セインが礫を教えるか。
 実のところ、アニマからも何度か魔道銃をモズメに教えて欲しいと頼まれていた。アニマもまた、同様のことを感じていたのだろう。ただ、ユリアンヌはモズメに魔道銃を教えるべきか悩んでいた。魔道銃はそう遠くまで弾が届かないのである。
 モズメに教えるなら、弓の方がいい。そんな考えもあって、モズメへの指南は進めていなかった。
「わたしであれば、弓ね」
「弓か・・・」
 ユリアンヌがそのことを告げると、セインは腕を組んで考え始めた。
「この軍で、誰か弓を教えられるやつっていたっけ?」
 それが、いないのだ。魔道銃はユリアンヌ、礫はセインと揃っているが、弓の専門家はいなかった。
「ま、モズメのことはカイナ攻めが終わってから、考えるとしよう」
「そうね、今は時間もないし」
 セインもモズメもフォールもツーマイも、皆カイナ攻めに向かうことになっていた。デムーラン城砦の兵の大半も同行する。代わりに、ミシロにいるミディアが、三千の兵と共に城砦の守りにつくことになっていた。
「今のところ、シダイナ川の対岸にいるゲン軍に動きはないようです」
 キョウコが告げる。軍の半分以上を失ったバルドゥイノは、キンセツにいた。四万ほどの兵と共にいるようだが、特に動きはない。しかし、油断は禁物だった。
「絶えず、ゲン軍の情報は入手できるようにしておきます。城砦の守りも、今のうちに堅固なものにしておこうと思います」
 バルドゥイノ軍との戦いの後、キョウコは一月かけて石積みを作り直していた。今は、シダイナ川沿いからデムーラン城砦までの道のりに、何重もの防御網を築こうとしている。デムーランが調べ上げた地図が、役に立っているようだった。
「じゃ、おれは明日に備えてソレイユの見張りでもしてくるかな。流石に、前日に飲み明かすなんてことはないだろうが」
 セインが冗談めかせて立ち上がる。
「そうね。もし前日にもかかわらず飲んでいるようだったら、礫でもぶつけてあげて」
ユリアンヌの隣で、キョウコが真面目な顔で頷いた。
「一応、ソレイユさんがこっそり隠していた酒は全て水に変えていますし、今はまだ砦の中にいますからね。早めに捕まえていただけると助かります」
「・・・同情するわ」
 苦笑しながらセインが去って行く。ツーマイも立ち上がった。
「では、私も戻るとしよう。キョウコさん、攻城兵器の使い方を教えてくれてありがとう」
「組み立て方だけは、忘れないでください」
 ツーマイも去って行った。

 牧場は、コトキから西に半日ほど進んだカナシダ山脈の麓にあった。最も、ホットドッグに乗れば二時間もかからずに到着する。そこに、シアル軍の牧が用意されていた。現在、四千頭ほどの馬がそこでは飼われている。
 ただ、リシアの用事は馬ではなかった。シアル軍は、騎馬隊が少ない。シアル、セイン、キーナの三名しか騎馬隊を率いる者はいなかった。最近シアル軍に加わったフォールの部隊は一千ほどが騎馬隊だが、その騎馬隊も新たな馬が今すぐ必要と言うわけではない。
 リシアがここにやってきたのは、薬草が目的だった。ミシロで、流行り病が深刻化している。その薬草を混ぜて作られた薬が、その病によく効くのだ。ただし、薬師のモミジが個人的に考案した薬らしく、治療に必要な薬草は野に生えているだけだった。そして、それはカナシダ山脈の山中で採取できる。
「この草ですか? 周りの方にも頼んで集めてもらいましたが、皆見向きもしていなかったような草なので、たくさん生えているところが見当たらなくて」
 牧場を経営しているレイリアが、机に置かれた草の束をリシアに見せながら尋ねる。草の束は、二つしかなかった。それでも、三十人は助けられる量だろう。
「また探してみますが、薬師の方に自生しやすい場所があれば聞いていただけると助かります」
 金を払い、レイリアから草の束を受け取る。帰りは、転送石で一瞬だった。モミジに草の束を渡すと、倉庫へと向かう。レヴィンが在庫の確認をしているはずだった。途中で、声をかけられた。
「おお、リシア殿。薬草はありましたか?」
 ヒイだった。倉庫から出てきたのだろう。その身は軽い。ヒイもまた、薬草を探し求めていた。
「あまり見つかってないけど、まあこれくらいかな」
「こちらの方は外れでしたね。ゲン軍の領土も含め、北の方で薬草を探したのですが、全くでしたよ」
 ヒイが苦笑している。
「ただ、少し気になる物の動きがありまして」
「なんでしょう?」
「ゲン軍がいつになく食料を買い込んでいるんですよ。戦時なら分かるのですが、今は目立った動きはないはずです。おかげで物資の値段がやや高騰していて」
 それでも、シアルたちが困るほどではなかった。少しずつ溜めてきた物資もあり、何よりリシアの資産がある。街一つ分の財政を持つリシアの財政を利用すれば、多少の無理はできた。
「まあ、しばらくは上手くものを売ったりしながら過ごそうと思います。目下は、モミジさんに言われた薬草の調達ですね。カナシダ山脈に住む猟師が、自生場所を知っているかもしれないとのことで」
 明日にでも取りに行くらしい。流石、ヒイだった。そう言えば、とヒイが顔をほころばせた。
「今度、弟がコトキに来ると言っているんですよ。間もなく到着する予定らしくて。来たら是非、リシア殿やレヴィン殿を紹介させてください」
「ああ、いいよ」
「ありがとうございます」
 ヒイが去って行く。その足取りは、小太りな体型に似合わず軽やかだった。

「これから、訓練を始める」
 遠くで、ロベルトが声を張り上げている。シアルたちと『神剣魔狼』ルードヴィッヒとの戦いの前後に加わった傭兵で、将校の扱いを受けているエルダナーンだ。ダニエルやオドリックと、歳も近い。
 そんな彼は、面白い訓練法を知っていた。まず、四方に杭を打って範囲を決める。およそ、人の足で二百歩ほどの距離だ。そして、十人ほどの組同士が中央を境に互いの陣地を決め合う。相手陣の一番奥には、十歩ほどの間隔で人の高さほどの柱が二本置かれていた。その柱の間に人の頭ほどの毛皮でできた球を入れると得点が入る。決められた時間内に、より多くの点数を入れた組が勝つ。そんな訓練である。
 負けたり、ふざけたりしているとその杭の周囲を十周ほど走らされる。そうでなくても、一度この訓練が始まると、一時間は球を追って走り続けないといけない。見た目に反し、持久力や瞬発力を使う訓練だった。
「よろしくお願いします」
 兵たちが、声を上げる。一番大きな声を上げていたのは、アルゥーンダだ。
 アルゥーンダとその部下五百人がコトキにやってきたのは、三日前のことだった。現在、アルゥーンダたちは五組に分かれ、それぞれ訓練を受けている。
 その中で、足の速いもの、力のあるもの、持久力のあるものなどそれぞれの能力に応じた適正を見極めていくのだ。
 時たま、この訓練について来れないなどといった理由で脱落していくものもいる。ただ、アルゥーンダの部下で訓練に音を上げたものは誰もいない。
 訓練は、やはりアルゥーンダが一際抜けていた。ほとんどの分野で、一番になるのだ。唯一、足の速さだけが劣っていたが、それでも上位十人には入っている。
 ダニエルは、アルゥーンダたちの訓練をオドリックと共に見学していた。オドリックの頭頂部は、曇りの日にもかかわらず輝いている。
「いい磨き方だ」
 ダニエルは呟いていた。
「アルゥーンダは、将校になれそうか?」
 訓練の合間に、オドリックが尋ねてくる。
「部下も全員ついてきたからな。見どころはあるだろう」
「なるほど」
 ダニエルの返事を聞いたオドリックが、頭頂部を一際輝かせる。雲の切れ間から、光が差していることにダニエルは気がついた。
「おれも、アルゥーンダは指揮官として十分な力があると思う。問題は、どれくらいの兵を指揮できるかだな。千程度の兵だけなのか、モズメやミディアのように数千を指揮できるのか。ひとまず、千の兵をあいつに預けてみようと思う。それで、様子見だな」
オドリックは、アルゥーンダに期待をかけている。いずれ数千を指揮させたいのだろう。確かに、シアル軍には数千の兵を指揮できるものは少なかった。
騎馬隊を指揮できるものはもっと少ないが、アルゥーンダも歩兵隊向きだろう。
「オドリック殿、ダニエル殿」
 そのアルゥーンダが近づいてきた。訓練の後だというのに、疲れた様子はまるでない。
「おお、アルゥーンダか」
 オドリックが声を上げる。再び、雲の切れ間から光が射し込んだ。オドリックの頭頂部が、輝く。
「うわっ、まぶしっ」
 アルゥーンダが慌てて横を向いた。眩しそうに手を翳しながら、言葉を続ける。
「兵たちが、次はなにをすればいいかと尋ねています」
 アルゥーンダがコトキに来たとき、アルゥーンダが作った部隊は解散したはずだった。しかし、自然とまたアルゥーンダが兵たちの中心になっている。それもまた、指揮官としての力なのかもしれない。
「これで、一通りの訓練は終わりだ。明日からは、適正に応じて他の兵たちの部隊に行ってもらう」
「はい」
 アルゥーンダが頷く。軍人らしく、きびきびとした返事だ。
「それと、アルゥーンダ」
「はい」
「お前は明日から千の兵を率いる部隊長になる。どの隊の指揮官になるかはわからんが、心しておけ」
「わかりました」
 アルゥーンダが短く頷く。その胸元で、梟の形をした木彫りの首飾りが揺れていた。
「その首飾りは?」
 オドリックが尋ねる。
「母が、おれが小さいころに買ってくれたんですよ。子どもの頃のおれは、妙に梟が好きで。似合いませんかね?」
「ありだ」
 ダニエルが笑顔を見せる。オドリックが、隣で頷いた。
「大切にしろよ、その首飾り」
「もちろんです」
 アルゥーンダはにこりと笑うと、去って行った。

 シアルがその日、市庁舎を出たのは夜がかなり更けてからのことだった。なかなか帰ろうとしないムーンを強引に帰らせるのに、かなりの時間を費やしたためである。
 最近のムーンはシアルの言うことを素直に聞いて早めに帰っていたため、ここまで残ろうとするのは逆に珍しいことだった。だが、無理はないのかもしれない。
 ここ数日、ムーンは軍師として軍務にかかりきりだった。軍の編成から進軍経路、兵糧の輸送方法など全ての分野をムーンが考えていたのだ。実際に出動してしまえばソレイユが現場の軍師として働き出すものの、それまでムーンは休む間もなく動き回っていた。そして、今は滞りがちだった民政を一手に見ている。
「シアルさん、すみません。最近は早く帰ろうと思っていたのですが」
 シアル以外の人間が帰った辺りから、ムーンは糸が切れたように憔悴した気配を隠さなくなった。それでも、二時間ほどは効率を落とすことなく働いている。
「激務だからな。とは言え、ちゃんと帰った方がいい。そして、寝なさい」
「はい」
 シアルの言葉に、ムーンが苦笑しながら頷く。
「この書類でどうにか一段落です。シアルさんさえよければ、一緒に帰りましょう」
 まもなく、その仕事を終えたムーンは立ち上がった。そのまま、ムーンはよろける。どうにか立ち上がろうとするが、上手くいかない。やがて、諦めたように床にへたり込んでしまった。
「すみません。想像以上に疲れていたみたいで。申し訳ないですし、先に帰っていてください」
「こんなところに残る必要はないだろ」
 申し訳なさそうな表情のムーンに、シアルは手を伸ばす。だが、ムーンは起き上がろうとしない
「大丈夫です。いざとなったら、このまま寝ますから」
「その発想は駄目だから、絶対帰す」
 ムーンは、自分のことに頓着しない。恐らく、本当にシアルが頷いたらこの場で寝るだろう。シアルがムーンを背負おうとした。最初は抵抗していたムーンだったが、諦めたようで大人しくシアルに負ぶさる。
「すみません」
 執務室を出ると、歩き始める。階段を降り始めた時だった。
「シアルさん、ムーンさん」
 階段の下から、一人の男が駆けあがってくる。ラディだった。
「どうした?」
 シアルは、何事もないかのように返事をする。だが、背中の上のムーンは別だった。
「えっ?」
 動揺した声を上げる。流石に、シアルに負ぶさったままの状態は恥ずかしかったらしい。シアルの背の上で暴れはじめる。しかし、ここは階段だった。
「落ちるぞ、お前」
 冷静に、ムーンに突っ込みを入れる。
「・・・見なかったことにして、一度下に降りた方がいいですか?」
 ラディがシアルに尋ねてくる。シアルは、苦笑していた。
「申し訳ない、少し待っていてくれ」
「わかりました。では、下で待っています」
 ラディが、去って行った。シアルはムーンを降ろす。ムーンは、先ほどまでの疲れが嘘のようにしっかりと立っていた。二人で、ラディのもとに行く。
「二つほど、二人の耳に入れておきたいことがありまして」
 ラディが、話し始めた。
「一つは、ゲン軍のことです。どうやら、影の軍のようなものを作ろうとしています。隊長格となっているのは、ブルーナ。『開眼』バルドゥイノに魔術眼を渡した人物です」
 そして、今、『天使の羽根』との関わりが疑われている女性でもあった。
「いつから、本格的に動き出しそうですか?」
「もう動いています。おそらく、何名かはミシロやコトキに侵入しているはずです。我々の方でも注意はしていますが、追いきれません」
 ムーンの質問に、ラディが答える。
「まず、目的を探りましょう。考えられるのは、暗殺、攪乱、陽動あたりです。特に気をつけなければいけないのは、暗殺でしょう。もしシアルさんがいなくなってしまったら、この辺りの軍をまとめる人がいなくなります」
 ムーンの顔は、深刻なものになっていた。前太守のテセウスも、暗殺で死んでいる。
「確かに私が暗殺される危険性はあるが、私より戦闘力のない人間の心配をした方がいいんじゃないか?」
 シアルは、遠回しにムーンが暗殺の対象になる危険性を告げたつもりだった。だが、ムーンには伝わらなかったらしい。昔から、妙に自分を軽視するところがあるのがムーンの悪い癖だった。
「アニマさんを、呼び戻しましょう」
 少しの沈黙の後、ムーンがシアルに告げる。
「現状、影の軍について最も詳しく、なおかつ腕が立つのはアニマさんです。彼女を中心にこの街やコトキの街で、ゲン軍が何を企んでいるのか調べるべきでしょう。ラディさんには、アニマさんと交代でシーキンセツに向かってもらいます。ただ、アニマさんがいなくなると荒事に対応できなくなってしまうので、代わりにリシアさんとレヴィンさんにもシーキンセツに行ってもらいます。二人には、戦いの後に物流の道や兵站線を作っていただく必要もありますしね」
 ラディが頷くと、口を開いた
「それと、ゲン軍がキンセツに食料を貯めこんでいます」
 キンセツは、シーキンセツから離れたホウエンの中心部にある都市だった。近くにニューキンセツと呼ばれる都市もあり、そちらは錬金術師が集まる都市として有名である。
 現在、キンセツには『開眼』バルドゥイノを中心とした四万の軍勢がいた。とは言え、まだ立て直しの最中のはずである。ムーンが首を傾げた。
「ただ、警戒はした方がよさそうですね。今、我が軍は一万に満たない兵しかいません。ゲン軍に動きがあれば、速めに捕捉できるようにしないと」
 ムーンが、ラディにいくつかの指示を飛ばす。とても、先ほどまで憔悴しきっていた人間とは思えなかった。
「シアルさん、明日にはアニマさんも到着します。細かい動きは、彼女と相談しましょう。ラディさん、伝令をよろしくお願いします」
「はい」
 ラディが去って行く。それを見送ると、ムーンは崩れ落ちるかのように座り込んだ。
「すみません。他の人の前だと、気を張れるんですが」
 ムーンが、申し訳なさそうな顔をしている。結局、シアルが背負って送ることとなった。

 ミシロに帰還せよとの命令をアニマが受け取ったのは、昨日のことだった。入れ違いに、影の軍のもう一人の隊長であるラディがシーキンセツに潜入している。
 デムーラン城砦から出発したシアル軍は、明日にはシーキンセツにやってくるはずだった。内部から攪乱する準備は、既に整えている。ここから先は、ラディでもなんとかなるだろう。
 アニマは今、シアルとムーンと共に、暗殺される危険性がある人物を洗い出しているところだった。そのような人物には、護衛をつけるなど暗殺の危険性を認識してもらう必要があるためだ。
「ムーンさん、ムーンさん」
 一通りの人間を出し終えた後、アニマがムーンを呼ぶ。
「はい」
「ちなみに、わたしだったらここにあげた人物より先に、まずあなたを狙います」
「わたしからですか? まずは、シアルさんじゃないですか?」
 ムーンが目を丸くした。自分がそこまで重要な人間だと、思ってもいないのだろう。
「シアルさんは、首を取ること自体は不可能ではないかもしれませんが、面倒です。それに対し、あなたは一人で歩いているところを狙えば一太刀で終わります。労力に対する費用対効果が、あなたが一番高いんですよ」
 アニマの言葉に、ムーンは初めて気づいたと言わんばかりの表情を浮かべている。
「と言うわけで、あなたにはこれから護衛をつけたいと思います。が、我が軍は人手不足です。わたしは、この街に潜入した奴らを見つけに行かないといけませんしね。と言うわけで、シアルさん。どうせいつも一緒にいるのだから、護衛として四六時中一緒に行動してください」
「四六時中・・・」
 シアルが、何とも言えない声を上げる。アニマが、にっこりと笑った。
「目を離したら、ムーンさんが死にますよ」
「でも、シアルさんにはシアルさんの仕事がありますし」
「この件に関しては、わたしの方が立場は上ですよね。命令です」
 アニマが告げる、ムーンは、それならばと納得したように頷いた。
「シアルさん。ムーンさんから目を離したら、駄目ですよ。目を離したら、死ぬと思ってください」
「承知した」
 シアルが頷く。それで二人とアニマとの話は終わりだった。アニマは外に出る。清々しい、気分だった。
 ただその気持ちは長続きしなかった。街を見回る中、何気なくモミジの家に顔を出すと、プライムが高熱を出していたのである。症状は、流行り病と一緒だった。今朝から、高熱が続いているという。
 その報告を聞いたアニマは、かつてないほどに取り乱していた。突然、刀を鞘から抜くと、モミジを見る。
「ちょっと待っていてください。今、竜を狩ってきます。竜の生き血を飲めばきっと、病は直るはずです」
「ええと、竜の血よりも、この病は効く薬があります」
 モミジが困った顔をしながらも、冷静に指摘する。
「ただ、その薬の材料が足りていなくて」
「竜じゃだめですか? 竜なら、何匹でも倒してきますよ」
「薬草ですね。以前、アニマさんに採ってきていただいたあの草です」
 モミジが困った顔で告げる。アニマやリシアが持ってきてはいたが、既に全て使い切っていた。
「ヒイさんが昨日からカナシダ山脈に住む猟師のもとに行っています。どうやら、その薬草の自生場所を知っているようで。速ければ今日の昼にでも帰ってくると思うのですが」
 すでに、今日は夕方だった。モミジの顔は、浮かない。
「ヒイさんを殺せ・・・違います。ヒイさんの回収に行けばいいんですね」
「そ、そうですね」
 モミジが頷く。風のように、アニマが駆けだしていった
「行ってきます」
「わたしも、日が沈むまでにアニマさんとヒイさんが戻ってこなければ、探しに行きますね」
 モミジの言葉に、アニマが急停止する。
「モミジさんは、家にいてください」
 いつもより、かなり強い口調だった。出がけに、部下に指示を出す。特に、要人の警護には細心の注意を払っていた。本来なら、アニマも要人を護衛すべきかもしれないが、今のアニマにそんな心の余裕はなかった。
 プライムを、助ける。そう決意してアニマはカナシダ山脈へと入って行った。

 日が登るころから始まった戦いは、日が中天に行くまでに終わりを迎えていた。シアル軍の、勝利である。フォールやツーマイの兵の扱いは、流石と思わせるものが多かった。
 そして、城内に忍び込んだアニマの影の軍である。門をあっさりと開き、そこからフォールやモズメの軍が突入していった。今、シアル軍の面々は城内に潜む兵を見つける部隊と、市街地を回る部隊に分かれていた。守将のディー=フェンスは未だに見つかっていない。ただ、戦いが始まって早々に何艘もの船がシーキンセツから脱出して行った。ディー=フェンスの姿が、その中にあったとの情報も入っている。
「案外、あっけなかったな。みんな、よくやってくれた」
 ソレイユは、呟いていた。ユリアンヌがいれば、油断するなと頭を叩くところだろう。今、ソレイユの近くにユリアンヌはいない。むしろ、その発言を聞いている者も少なかった。
ソレイユはキーナの部隊と共に街中に立札を置いて回っている。こちらに危害を加えなければ、これまでと変わらぬ暮らしができると人々に伝えるためだ。
「後、三つですね」
 立札の数を確認しながら、キーナがソレイユに告げる。先ほどのソレイユの呟きは、聞いていなかったようだ。街は、朝からの戦いが嘘のように平和である。
「まあ、最後まで気を抜かずに行こう」
 ソレイユの言葉に、キーナが頷く。
「そうですね」
 実際、時折ゲン軍の兵士が十人二十人とまとまって隠れている。油断は出来ない。不意に、キーナの体が緊張した。
「近くに兵が」
 言い終わる前に、兵が飛び出してくる。キーナは背中から大剣を抜くと、軽々と振り回し始めた。
 馬から降りていてもキーナは強い。紅白の布が翻る度に、兵たちを蹴散らしていく。戦意をなくした兵たちは、キーナの部下が捕らえていた。
 不意に、ソレイユは背後から強烈な寒気を感じた。振り向くと、青みがかった黒髪のオルニスが迫っている。
 忘れもしない、ブラギを襲い、レテの死体を発見する前に見たあのオルニスの女だ。確か、名はブルーナ。
「おいおいおい、冗談じゃねえぞ」
 ブルーナが、杖を突きだしてくる。ソレイユはそれを、咄嗟に防護壁を作り出すことで躱していた。そこに、もう一撃。
 重い、金属同士がぶつかり合う音が響き渡る。ブルーナの杖を、キーナの大剣が受け止めていた。
「ソレイユさん。わたしが食い止めます」
 ブルーナを見つめたまま、キーナが告げる。その額には、汗が浮かんでいた。大剣を振り回してブルーナの攻撃を受け止めているが、防戦一方である。何度か、危ういところをソレイユの作り出した防護壁が助けていた。
「みんなも、逃げて!」
 キーナの必死さが伝わったのか、部下たちが逃げようとする。その背後に、まるで影のようにゲン軍の兵士たちが現れた。キーナの部下たちと、斬り合いを始める。
「今日は、逃げられないようにしようと思いまして。部下も用意したんですよ」
 ブルーナが、キーナと打ち合いながら笑みを浮かべる。寒気のする笑みだった。
「街中なら、転移の術で逃げられることもないですしね」
 やはり、あの時の女だった。
「いやあ、嬉しくないね。嬉しくないね。女の人に再会とは言え、本当に嬉しくない展開だ」
「再会ってのは、運命的なものじゃないですか。もっと喜びましょうよ」
 ブルーナがまた笑う。キーナを、杖で吹き飛ばしていた。
「キーナ、逃げろ」
 その言葉に、立ち上がったキーナが困惑の表情を浮かべる。
「ソレイユさんを残して、逃げ切るわけには」
「自衛力は、おれの方が上だろ」
 ソレイユが、ブルーナから目を離さずに答える。確かに、巨大な防護壁を作り出せるソレイユの方が、時間を稼ぐ点では向いているだろう。
「何とかしておれが時間を稼ぐ」
 ソレイユの言葉に、ブルーナが呆れたようにため息をついた。
「やれやれ。涙ぐましい自己犠牲の精神ですか。諦めて二人とも死になさい」
 ブルーナは杖を構える。だが、そこでブルーナは動きを止めた。喚声が、聞こえてきたのだ。見れば、十人ほどの新しい兵たちが、一丸となってブルーナの部下たちの動きを止め、倒している。
「ソレイユさん、キーナさん、大丈夫ですか?」
 モズメだった。僅かな手勢と共に、駆けつけてきたらしい。
「悪い、いいところに来てくれた」
「ほう」
 ブルーナが、感心とも怒りともつかぬ声を上げた。ただ、顔から笑顔が消えている。
 ブルーナが杖を一振りすると、杖が歪み始める。取手以外の場所が、液体化しているのだ。ブルーナは不意に飛び上がると、モズメとの距離を、一気につめた。
 杖が、振るわれる。そこに、ソレイユが割って入った。ブルーナの攻撃から、モズメを庇うためである。
 だが、液体化された杖は、庇おうとしたソレイユを避けるように動き、モズメへと襲い掛かった。モズメは、咄嗟に身を捩るが躱しきれない。ソレイユが防護壁を張るが、それを突き抜けた杖の先端が、モズメの右腕に突き刺さった。
 赤い鮮血が飛び散る。
「大丈夫です。まだ動けます」
 モズメが落ち着いた声で告げる。しかし、顔は蒼い。短槍も、落としてしまった。
「下がれ」
 ソレイユが、切羽詰まった声で叫ぶ。
「まず、一人ですね」
 ブルーナが告げる。その顔には、余裕が伺えた。ブルーナが、杖を構える。不意に、ブルーナが身を捩った。骨が折れるかのような鈍い音が、響く。ブルーナが右肩を押さえた。杖が地面に落ちる。その形状は元の二股のもの戻っていた。
 ソレイユには、辛うじて見えた。礫が、ブルーナの右肩に当たったのだ。ブルーナが反応出来ないほどに早かった。
「ああ、まず一人だ」
 ソレイユの背後に、セインが立っていた。一人だ。その手には、礫が握られている。
「右肩は砕いた。まだ続けるかい」
 ブルーナが舌打ちした。左手で杖を拾い上げると、回す。今度は、杖が輪になった。大きさからして、冠だろうか。
 もう一度、ブルーナが舌打ちした。その身を翻すと、その場から飛び去って行く。
「深追いはするな」
 ソレイユが叫ぶ。
「今は、怪我人の救護を」
 セインは頷くと、倒れているモズメの元へと向かう。気づけば、リシアが近くにやってきていた。物音を聞きつけて、駆けてきたらしい。少し離れたところで、レヴィンがこちらに向かってまだ走っている。
「みんな、ありがとう。何とか助かったよ」
 ソレイユが、皆を見渡しながら告げる。ただ、その場に座り込んでいるキーナと、セインに担がれたままのモズメの目は、暗かった。ソレイユが、モズメに治癒の呪文をかける。右腕の出血が、止まった。
「こちらこそ、遅れてすまない」
 セインだけは、いつもと変わりない表情をしていた。
「しかしあいつ、たしか・・・」
「あったこと、あるのか?」
 セインが、ソレイユに尋ねる。
「ああ。おれがブラギに会いに行った時に遭遇してな。まあ、その時は転送石で帰ってきたんだけど」
「なるほど。なかなかの女運だ」
「そうなんだよな」
 ソレイユとセインは、何事もなかったかのように、冗談を交わしていた。しかし、キーナとモズメは暗い。
「すみません」
 モズメが、俯きながら呟く。
「わたしがもっと強ければ、あの女の人は討ち取れたかもしれません。わたしが、弱いばかりに迷惑をかけてすみません」
「とんでもない」
 ソレイユが首を振って答える。
「でも・・・」
「そういう問題でもないだろう」
 セインも告げる。モズメの目は、暗いままだった。セインが、気まずそうに頬をかいた。
「このことは一度、フォールたちの耳に入れた方がいいな。やつらのところに行こう。みんなでな」
ソレイユもリシアも頷く。セインが、何か言おうとするモズメを背負った。
「行きましょうか」
 リシアが告げる。その隣では、必死で走ってきたのか、レヴィンが息も絶え絶えな様子でリシアに何かを訴えている。もちろん、リシアもセインも気にしていなかった。二人が、歩き出す。
 そんな中、キーナだけ立ち上がろうとしない。俯いたまま、地面に座り込んでいる。先行しようとしたセインたちが、振り返ってソレイユとキーナを見ていた。
「どうした、行くぞ」
「すみません。わたしも弱くて」
 キーナが、小さく呟く。
「いいよ。お前はよくやったよ」
「でも、わたしがもっと戦えたら、モズメさんは怪我を負う必要はなかったし、今だってあの人を逃がさなくて済んだはずです」
 キーナは俯いたままだ。
「そうかもしれないが、逆にあのまま戦うことができてしまったら、お前が命を落としていたかもしれない」
「そうかもしれませんが」
「そうなると、おれが悲しいからな」
 キーナが、僅かに顔を上げた。沈黙の後、キーナが尋ねる。
「ソレイユさん、わたしはどうしたらレテさんみたいになれるんでしょうか」
「おれ自身は戦えないから何とも言えないけどよ、そこは、じっくり自分で模索していくしかないんじゃないか。自分がやりたいようにやって、自分の道を生み出していく。それが、一番の近道かもしれないな」
「自分で、やりたいように」
 キーナが、噛みしめるように呟いた。でも、と首を振る。
「わたしがなりたいのは、レテさんみたいな人なんです。どうしたら、レテさんみたいになれるでしょうか」
 キーナが、真っ直ぐにソレイユを見つめてきた。その瞳の奥に、縋るようなものが見える。
「言い方は悪いかもしれないけどよ、レテはレテだしお前はお前なんだ。それから、お前の駄目なところは、そうやって思いつめちまうところだ」
 キーナの表情に、動揺が見えた。
「もうちょっと、気楽に行こうな。ほら、もう済んだことだし、切り替えてこう」
 キーナは、黙っている。ただ、かすかに頷いた。
「いつまでそこに居るんだ、置いてくぞ」
 セインの大声が聞こえてくる。
「ほら、みんな待っているぜ」
 ソレイユが、キーナの手を引く。
「すみません、ソレイユさん」
「いやいや、気にするなよ」
 並んで歩きだす。隣に立つと、キーナは大きい。ソレイユが、見上げて会話しなければいけなかった。ソレイユはリシアやセインと共にフォールたちのもとへと向かう。
「ディー=フェンスはどうやら早々に逃げていたらしい。今は、トウカにいるようだ」
 近くにいたツーマイが、ソレイユたちに告げる。
「それにしても、みんな浮かないな。何かあったのか?」
 ソレイユが事情をかいつまんで話す。フォールとツーマイは顔を顰めた。
「まあ、収穫もあった」
 リシアが告げる。
「あれが出てきた」
 リシアが、ソレイユたちが出会った青みがかった黒髪の女の話をする。フォールが頷いた。
「なるほど。そのものたちの話は、シアルさんやムーンさんからそれとなく聞いています。シアルさんたちにも報告した方がいいですね。とは言え、皆さんは疲れているでしょうし、私が行きましょう」
「しかし、フォールさんはこの街の守備隊長を任されることになると思いますし、今はここにいた方がいいと思います」
 モズメが告げる。傷は癒えているが、失った血は多いようで、顔は青白いままだ。それを、後ろからセインがそれとなく支えていた。
「わたしが行きます」
 キーナが、立ち上がった。この場にいる誰よりも背が高い。皆、キーナを見上げる格好になった。
「わたしも当事者ですし、何があったかの説明はできます。それに、わたしはまともに戦ったわけではないので、特に怪我もしていませんし」
 その表情は、何か考え込むようなものだった。
「じゃあ、おれも行くか」
 ソレイユも手を上げる。
「おれが行ってもいいが、モズメが心配だからな」
 セインが頬を掻く。困ったときの、癖なのかもしれない。
「分かりました」
 少しの間の後に、フォールが頷く。
「ソレイユさんとキーナさんの二人は、ミシロに向かってください」
「私たちは、どうすればいい?」
 レヴィンが尋ねる。先ほどの全力疾走の名残か、まだ息が荒い。
「リシアさんと二人で、この街に残ってください」
 フォールが告げる。ツーマイがリシアを見た。
「リシア、それでいいよな?」
 リシアが頷く。
「私に聞かなくていいのか?」
「大丈夫だ。レヴィンのことは、リシアの意志が優先される」
「え」
「リシアの意志が優先される」
 ツーマイが大事なことのように、もう一度繰り返す。憮然とするレヴィンの横で、セインが爆笑していた。

 フォールたちに別れを告げ、ソレイユはキーナと共に転送石でミシロへと戻っていた。既に、時刻は夕方になっている。
「日が暮れちまったなあ」
「そうですね。一刻も早くシアルさんたちに先ほどのことを伝えないと」
 二人は、ブルーナに関する情報を伝えるべく、市庁舎へと向かっていた。妙に、騒々しい。市庁舎のある方角である。そして、妙な臭いがした。まるで、何かが焦げている。
「火事だ!」
 誰かが、叫んでいる。ようやく、市庁舎が見えてきた。その近くの建物が燃えている。
市庁舎は煉瓦でできており、火が燃え移ることはないはずだ。だが、その周囲を覆っている蔦は燃える可能性がある。
「急ぎましょう!」
 市庁舎に駆け込む。幸い、まだ火は迫ってきていない。
「手の空いている者は、消火活動を!」
 混乱している文官たちを、ソレイユが上手くまとめながら指示を出す。
「何があったんですか?」
 そこに、市庁舎の奥から慌てた様子で文官のモリモトがやってきた。外交官として王都セキエイで仕事を行っていたが、ちょうど戻っていたようだ。デムーラン城砦からやってきたのか、キョウコの姿もある。
「火事があったようだ」
「火事ですか。今のところ、他に怪しい報告は受けていませんが、今の火事が何らかの合図や陽動である可能性もあります。原因を調べた方が、良さそうですね」
 キョウコが告げる。文官たちが、用心しながら火に水をかけていた。まもなく、火の手が弱まる。
「そうだな。念のため、街の出入り口も封鎖した方がいいかもしれないな」
「そうしましたら、至急シアルさんとムーンさんに連絡しましょう。二人は今、兵の訓練を見ているはずです」
 キョウコがソレイユを見る。何かを、考えているようだった。
「コトキとデムーラン城砦にも連絡した方がいいかもしれません。嫌な予感がします」

 その日の訓練を、シアルはムーンと共に途中で切り上げていた。騎馬隊そのものは、ユリアンヌの射撃隊と合同でまだ訓練を続けることになっている。
 部下の一人が、酷い落馬をしたのだった。どうやら、急に酷い悪寒に襲われたようであり、症状からして流行り病に感染している可能性があった。
 その部下と話していたシアルとムーンを含めた数人が念のため訓練を切り上げ、落馬した部下と共にドクターワリオの診療所へと向かうことになったのである。
 幸い、ドクターワリオによればシアルたち数人が感染している可能性は低いとのことだった。発症までの速度から考えると、感染していればもう症状が出てくるところだとドクターワリオは述べている。
「なのでまあ、大丈夫でしょう。ただ、薬が底をついているのが不安です」
 ドクターワリオが告げる。薬はヒイが捜しに行っているはずだった。ただ、まだ戻ってこない。
「今は以前使っていた薬で誤魔化していますが、モミジさんが調合した薬と比べると効き目が薄いですからね」
 ドクターワリオの話を一通り聞いた後、シアルとムーンは診療所から出た。他の部下たちは、先に訓練へと戻っている。外へと向かう途中、シアルは不穏な空気を感じた。純粋な、敵意だ。ただ、シアルに向けてのものではない。シアルは、咄嗟にムーンを庇った。そこに、何本もの矢が飛来する。
 シアルはそのほとんどを、瞬時に撃ち落すか弾き飛ばした。
「大丈夫か?」
 シアルがムーンを見る。敵の気配は既にない。追っても、無駄だろう。シアルに問われたムーンは無言で頷いていた。ただ、その衣服の右肩の部分が避け、僅かに血が滲んでいる。矢が掠ったのだろう。
「シアルさんこそ、大丈夫ですか?」
 ムーンが尋ねてくる。声に異常はなさそうだったが、元々白い顔がさらに白くなっていた。鏃に、毒が塗られている可能性がある。
「こっちは、掠りすらしていない」
「わたしも、掠っただけです」
 ムーンが答える。ただ、僅かに目の焦点がぼやけた。やはり、毒矢だったのだろう。シアルはムーンを担ぐと、クラメリアンに飛び乗った。風のように早い馬が、疾駆を始める。
「また、助けていただきましたね。どうにか、かすり傷で済んだみたいです」
 ムーンが、呟いていた。目の焦点が、あっていない。
「ただ、もう駄目かもしれません。目の前が、真っ暗で。もっと、あなたのお役にたちたかったです」
「弱音は聞かない。意識を保って、しばらくじっとしていろ。ここで倒れられるのだけは、ごめんだぞ」
「わたし、シアルさんに会えて、短い間でしたが・・・」
「そう言う台詞はまた後にしてくれ」
「でも・・・」
 言いかけたムーンの目が、閉じられる。ただ、まだ微かながら息はあった。ドクターワリオの家へと駆け込む。
「なるほど」
 ムーンの状態を確認すると、ドクターワリオは頷いた。
「かなり厳しい状態だ。だが、まだ助かる可能性はある。ちょっと、任せてくれ」
 シアルの目の前で、ドクターワリオが処置を行っていく。しばらくしてから、ドクターワリオが顔を上げた。
「後は、本人の気力がどれだけ持つかだろうな。とりあえず、今は眠っている。しばらくしたら、目を覚ますはずだ。良かったら、彼女が生きる気力が湧くような言葉をかけてくれ」
 シアルは頷く。ムーンは寝台の上で身じろぎ一つせず、寝かされたままだった。

 オドリックの頭頂部が、輝いている。
 今日もいい輝きだ。ダニエルは感心した。
「うわっ、まぶしっ」
 一方で、光をまともに受けた男が、僅かに怯んでいた。オドリックの背後を衝こうとした暗殺者だ。僅かな怯みさえあれば、ダニエルには十分だった。
 先ほどまで、ダニエルはオドリックと分かれ兵の訓練をしていた。相手からすれば、好機だと思ったのだろう。だが、相手はオドリックを舐めていた。もっと言えば、オドリックの頭頂部をだ。
 万一に備え、オドリックとダニエルは光の反射を利用した通信を行う用意をしていた。ただ、それは本来であれば、手鏡で行う。オドリックはそれを、自らの頭頂部で行ったのだ。西日は、眩しい。救難の信号を受け取ったダニエルですらそう思ったのだから、直視した暗殺者たちは、もっと辛かったろう。
 後は、光に苦しむ暗殺者たちを倒して終わりだった。だが、どの暗殺者たちも捕まる前に自ら死を選んでしまう。彼らから、情報を聞き出すことは難しそうだった。
「ダニエル、流石だな。また助けられたよ」
 オドリックが、笑いながら手を差し出してくる。
 ユリアンヌがやってきたのは、それからすぐのことだった。ソレイユ、キーナ、それにキョウコの三人も共にやってきている。ユリアンヌは、妙な色眼鏡をつけていた。太陽の光の眩しさを和らげるためのものらしい。キョウコが、口を開く。
「オドリックさん、ダニエルさん、変な連中に襲われたりしませんでしたか?」
「今、そこに転がっているやつらだよ」
 ダニエルが朗らかな口調で答える。キョウコは納得したように頷いた。
「シーキンセツでソレイユさんが、ミシロではムーンさんが襲われました。シーキンセツではキーナさんの部下が大勢殺され、モズメさんも負傷しています。ミシロで襲われたムーンさんは、今も意識が戻っていません。シアルさんが、ムーンさんの看護にあたっています。恐らく、ゲン軍の暗殺部隊かと」
「暗殺部隊・・・また、随分と厄介なものが出来たな」
 オドリックが呟く。日が完全に沈んだため、その頭頂部は輝いていない。安心して直視することができた。ユリアンヌも、いつの間にか色眼鏡を外している。
「恐らく、こちらの影の軍に対抗してのものでしょう。ただ、影の軍は攪乱や情報収集が主な役割です。暗殺、それも正面切って敵兵と戦うことは滅多にしません。まだ、街のどこかに暗殺部隊がいるかもしれません。それを、探しましょう」
 キョウコが、全員を見ながら告げる。
「それと、アニマさんを捜しに行きましょう。アニマさんは今、ヒイさんを捜しに山中に入っています。これはわたしの勘ですが、ヒイさんが戻ってこないことと、ゲン軍の暗殺部隊が動き出したことのつながりが、全くないとは思えないのです」
「確かに、それは一理あるな。軍を出して、警戒に当たらせよう」
 オドリックが頷く。月が登ってきた。月光を受け、オドリックの頭頂部が輝き始めている。

 アニマは一人、山中を歩いていた。既に、二時間以上は動き回っている。まもなく、モミジの地図によれば、目的地のはずだった。辺りは静まり帰っており、人や動物がいる気配はない。ただ、研ぎ澄まされたアニマは、不穏な空気を肌で感じていた。この静寂は、死の静けさに近い。
 アニマは、視界の端に違和感を覚えた。注意深く周囲に溶け込ませようとしているものの、一度地面から落ち葉や枝を払った痕跡のある場所があったのだ。慎重に掘り返すと、人の腕が見えてきた。死んでいることは、間違いないだろう。服装から察するに、猟師のようだ。死後、二三日たっている。
 アニマが、注意深く辺りを見渡すと、同じように不自然な個所がいくつかあった。掘り返していくと、同じように人の死体がいくつも埋められている。そのうちの一人の服装に、アニマは見覚えがあった。ヒイがよく着ていたものだったのだ。
掘り返していくと、ヒイの小さな体がそこから出てきた。既に、息はない。驚いたまま殺されたのか、その眼は見開かれている。腰に、小さな袋を下げていた。開くと、中には薬草を束にした包みが入っている。
アニマは、その袋をそっとヒイの腰から取った。少し考えた末、死体はそのままにしておく。後で、連れ帰ればいいだろう。
 アニマは周囲から人の気配を感じていた。僅かな、気配である。しかしそれが、気配を懸命に押し殺した結果によるものだとアニマは分かっていた。距離は、近い。こちらへの、敵意も感じられる。
 アニマは何事もなかったかのようにそのまま数歩進むと、不意に気配のする方向を振り向いた。手近な木を切り倒して遮蔽物を作り出すと、一気に肉薄する。五十人ほどの襲撃者は、たちまちのうちに全滅した。一人だけ、かすかに息がある。情報を聞き出すため、わざと生き残らせたのだ。どうやら男は暗殺部隊と言うよりは、ただの兵士の様だった。男が死なないように気をつけながら、アニマは尋問を開始する。
どうやら、ゲン軍の兵が三千程度、山中に潜んでいるらしい。アクローマと呼ばれる魔術士が考えた奇襲だった。
「実行部隊の中心となるのは、ブルーナだ」
 アニマの胸が、かすかにざわつく。だが、それを悟られないように無表情を保つと、アニマは尋問を再開した。
この部隊の部隊長はカイオ・ンジュと呼ばれる男らしい。三千の兵でコトキを奇襲しようとしているとのことだった。
「ここ数日、この辺りに潜伏していた。何人かおれたちの姿を見た者はいたが、ブルーナの部下たちが全て殺していたよ。おれたちは、何もしていない」
捉えた兵は、首を横に振りながら答える。どうやら、部隊の中に何人か、ブルーナの部下が混じっているようだった。恐らく、精鋭なのだろう。
「先ほども、小柄な女を一人見つけていた。今、そいつを殺しているんじゃないか?」
 アニマの胸が、再びざわついた。

 モミジが襲われたのは、つい先ほどのことだった。この山林に詳しかったことと、小柄な人間でないと通れないような小道を知っていたことが、モミジの生死を分けたと言っても過言ではない。
 襲われた瞬間に、転がるようにしてそこに逃げ込んだ。相手は、モミジほど小柄ではなかったようで、そこで追撃は止んでいた。ただ、そこに留まっていると煙が入ってきたのである。やむを得ず、反対側の小さな出口へと向かった。
 幸い、出口は誰も警戒しておらずモミジはそこから抜け出すことができたが、先ほどの人間がどこにいるかわからない。迂闊に動くことはできなかった。アニマの言うことを聞いていれば。後悔が過ぎる。
 できることならここで救援を待ちたかったが、そうもいかないだろう。モミジはそう考えていた。
 プライムのことが気になる。おまけに、モミジを襲った人間が誰かは分からないが、直前にモミジは兵のような身なりをした人々を見つけていたのだ。それも、シアルたちの軍ではない。
 その軍と、襲ってきた人間が関係していることは、容易に想像できた。何故、山中に軍がいるかはわからない。しかし、シアルたちが、山中を警戒していることはないだろう。
 その状況で、軍が攻めてきたらどうなるかということは、軍に疎いモミジでも想像することはできた。
 大好きな故郷、ミシロを守らなければならない。その意志のもと、モミジは慎重に、けれど可能な限り急いで進んでいた。ただ、山道は地面に枝や葉がいたるところに落ちている。おまけに茂みもあり、そう言ったものにモミジがぶつかるたび、少なからず大きな音は立ててしまっていた。
「おい、そこに誰かいるぞ」
 モミジが、身をすくませる。男が、近づいてくる気配がする。隠れようかとも思ったが、その前に目があった。
 走って逃げ始める。すぐ、追いつかれそうになった。モミジは、辺りの地形を思い浮かべる。
 近くに、急斜面の坂が続いているところがあった。斜面と言っても、崖のようなもので、歩くことは難しい。転がるように落ちることになるだろう。
 ただ、地面が直接露出していないので、葉や草が衝撃を緩和してくれれば、生きて降りられる可能性はあった。
 急斜面が、見えてくる。息遣いから察するに、男はすぐ後ろまで来ているはずだった。
「待て!」
 男の、手が伸びる。服の裾を、掴まれる。
「放してください!」
 言いながら、服を強く引っ張る。裾が破けた。そのままモミジは、急斜面を転がるように落ちていった。

 アニマの眼前では、無数の兵たちが動いていた。カイオ率いる三千の兵士たちなのだろう。この先に、モミジがいる。アニマは逡巡なく兵士たちの前にその身を躍らせた。
 兵士たちが、突然現れたアニマに動揺する。その瞬間にはもう、アニマは刀を抜いて動き始めていた。兵士たちの首が、次々と飛んでいく。たちまちのうちに、数百もの兵が斬り伏せられていた。
「モミジさーん!」
 アニマが叫んでいる。兵士たちは、皆逃げ惑っていた。目の前にいる兵士たちが、為すすべもなく殺されているのだ。それでも、時折兵士たちの中から攻撃してくるものがいる。アニマはそれらの攻撃を全て軽くいなし、返す刀で切り殺していた。
 それでも、兵士の数は多い。三千もの兵士たちがいるのだ。無理もないだろう。別の方角から兵士たちの悲鳴が聞こえてきた。見ると、リシアが単騎で兵士たちを蹴散らしている。アニマは、慌ててリシアのもとへと駆け寄った。もちろん、道中の兵は全て斬り捨てている。
「モミジさんが行方不明で、プライムちゃんが危篤で」
 アニマが涙声でリシアに語りかける。
「よくわかんないけど、わかった」
 リシアが頷いた。何となく、アニマの状況を察したのだろう。リシアとアニマ、二人の剣士が剣と刀を煌めかせる。二人が通った後は、屍の山が築かれていた。
 気づけば、三千人もいたはずの兵の姿はほとんどない。ごくわずかな兵たちも、算を乱して壊走していた。
「モミジさん!」
 蹴散らした兵士には目もくれず、半泣きのアニマが駆けだしていく。
「あの子を追いかけないと」
 その表情を見たリシアも、アニマを追いかけて行った。

 右足が、腫れていた。ところどころ、軽い切り傷や青痣も出来ている。
 しかし、それだけの怪我で済んだと考えることもできた。
 モミジが転がり落ちた急斜面は、それほどのものだった。追っ手も、やってくる気配はない。
 ただ、満足に動くことができなかった。右足を地につけるだけで、激痛が走るのである。それでもモミジは、懸命に歩こうとしていた。
 先ほどの兵士たちが、ミシロやコトキを襲撃しようとしている。モミジだけが知っているこの事実を、兵士たちがミシロやコトキに達するまでに伝えなければいけない。
 モミジが足を地につけたり、枝をかき分けたりする度に音が響いた。しかし、最早モミジはそれを隠そうとはしていなかったし、隠す余裕もなかった。
 不意に、目の前に男が現れた。先ほど、モミジを掴もうとした男だ。先回りしてきたのだろう。
 体が、よろめいた。逃げようと、体の向きを変えたためだ。右足の痛みが酷く、踏ん張りが利かない。
 あっと思ったときには、倒れていた。
 男が、近づいてくる。落ちていた石を投げるが、軽く払いのけられた。
 モミジは立ち上がろうとするが、足に力が入らない。気づけば、男は右手に短剣を構えていた。それで、モミジを殺すつもりなのだろう。
 ふと、父スプラ・シューターのことが頭をよぎった。父は優れた剣術の持ち主で、幼いモミジに武術の基礎などを教えてくれたのだ。だが、モミジは父から武術の才を受け継がなかったらしい。代わりに手先が起用であり、薬草学を学び初めてからは、それが役に立った。
 モミジは、父が何をしているかあまり知らなかった気がする。父の知り合いだというアニマも、何をしているか知らなかった。
 だが、二人とも剣術の才は人並み外れており、どこか通じるところがある。
 アニマと、父の話をしてみたい。モミジはふとそう思った。
 だが、それは叶わないだろう。男の刃が近づいてきた。

「モミジさん!」
 アニマが感極まった声を上げる。視界の先に、モミジの姿を見つけたのだ。アニマに、満面の笑みが浮かぶ。
だが、モミジはよろけたかと思うと、その場に倒れ込んだ。見れば、近くに短剣を構えた男が立っている。
「何さらしとんじゃあ!!」
 アニマが叫ぶと、男に肉薄する。男が身構える前に、飛び蹴りをかましていた。男が吹き飛ぶ。
「モミジさん!」
吹き飛ばした男を気にすることもなく、アニマはモミジに向き直った。目には、涙を浮かべている。モミジが、そんなアニマの様子を呆然と見ていた。
「ア、アニマさん?」
 モミジは、信じられないものを見るような表情でアニマを見ていた。アニマはそんなモミジの肩を抱く。
「家にいてくださいって、言ったじゃないですか。あなたにまで死なれたら、わたしはどうしたらいいんですか」
 アニマの瞳からは、大粒の涙が幾筋も零れ落ちていった。顔は涙に塗れ、アニマの全身には返り血がべっとりとついている。だが、そんな凄惨な様をアニマもモミジも気にしていなかった。モミジも、アニマを抱きしめる。
「ごめんなさい」
 しばらくしてから、モミジが呟く。混乱している瞳の奥から、涙が溢れはじめていた。
「アニマさんが捜してきてくださるとおっしゃっていましたが、時間が遅かったので、つい」
 モミジが、頭を下げる。地面に、涙が零れ落ちていった。アニマが、そんなモミジを更に抱きしめる。
「良いんです。あなたが無事だったんだから」
「ご迷惑を、おかけしました。そして、助けて下さりありがとうございます」
「お礼などいりません。あなたは、わたしが守りますから」
 ありがとうございます、とモミジが再び頭を下げる。
「わたしが、アニマさんや父みたいに強ければ迷惑をかけずに済んだのですが、弱いばかりに。そして、変に無茶をしたばかりに、アニマさんたちに余計な迷惑がかかってしまいましたね。本当に、申し訳ないです」
 アニマの表情が、僅かに曇る。
「いえ、あなたが強くなる必要はありません。わたしの強さは、あなたのためにあります。あなたは必ず、わたしが守りますから」
「ありがとうございます」
 モミジが、再び大粒の涙をこぼし始めた。
「プライムちゃんは?」
「薬草さえあれば、持ちこたえられると思います」
 そこで、モミジは何かを思い出したかのように顔を上げる。
「アニマさん、伝えなければいけないことがあります。兵士たちが、この辺りに」
 アニマが、眼を逸らす。
「兵士たちは、居ませんでした」
「でも、わたし、見たんですよ。コトキに向けて、兵が密かに近づこうとしているのを」
そこに、リシアが近づいてきた。
「ああ、知ってる」
 リシアが、軽く頷く。リシアは、その敏腕でアニマが吹き飛ばした男も含め、周囲に潜んでいた兵士たちを片端から切り殺してきたところだった。アニマが、眼を宙に泳がせた
「兵士たちと言うか、あの辺りに、兵士だった者たちなら」
「まあ、わたしたち、強いし。目立つからね」
 リシアが言葉を続ける。モミジが、目を見開いて驚いていた。
「そ、そうなんですか。アニマさんたちは、本当に強いですね」
 流石に、僅か二人だけで三千もの兵を撃退したとは思っていなかったのだろう。モミジの声には、畏敬が込められていた。
「あなたのためでしたら、いつでもこの剣を振るいますから。安心してください」
 アニマがにっこりと笑う。モミジも、安心したかのように頷いた。そう言えば、と言葉を続ける。
「アニマさん。今度でいいんですが、父の話を教えてくれませんか?」
 アニマが、言葉を失った。その表情が、困惑したかのように曇る。モミジが、怪訝な顔になった。
「二人とも、これからどうするの?」
 リシアが、口を挟んできた。モミジの顔が、真面目なものになる。
「そうでした」
「急いで帰らないと、不味いでしょ」
 アニマにとっては、渡りに船だった。スプラの話は、できることなら避けたい。その死の内容を、喋ってしまいそうだから。モミジに、嫌われてしまいそうだから。
「そうですね。戻りましょう。プライムちゃんが待っています」
 アニマは笑顔を作り、頷く。
「それと、ヒイさんが旅に出ました」
 モミジは、それで察したらしい。神妙な顔になる。意外なことに、リシアが衝撃を受けていた。同じ兵站担当として、通じるところも多かったのだろう。
「でも、流石に本物の商人ですよね。薬草の方は、ちゃんと集めてあったようです」
 アニマが、ヒイの袋を取り出す。
「そうなんですね。そうしたら、ヒイさんが命を賭して持ってきてくださったこの薬草を使って、一刻も早くプライムちゃんたちを治せる薬を作らないといけませんね」
 モミジが呟く。アニマが頷いた。
「ところで、アニマさん」
 モミジが、申し訳なさそうにアニマを見る。
「わたし、足を挫いてしまったみたいで、動けなくなってしまって」
「じゃあ、わたしに捕まってください」
 アニマが、モミジを抱きかかえて立ち上がる。モミジも、大人しくアニマに掴まっていた。

 ユリアンヌたちは、三手に分かれて暗殺者たちの洗い流しをしていた。ユリアンヌとキョウコ、ソレイユとキーナ、ダニエルとオドリック。それぞれ、組になっている。そこに、数人の兵がついていた。
「あそこだ」
 ユリアンヌの背後から、声が聞こえてくる。振りかえるまでもなく、暗殺者だと分かった。音もなく忍び寄ることまでは出来ていたのに、どうして口に出してしまったのか。
「ユリアンヌだな。いざ、尋常に勝負!」
 妙な武士道を持った、暗殺者だった。暗殺者は短剣をユリアンヌに向けると、構える。ユリアンヌはキョウコと話しながら、不意に銃口を暗殺者に向けた。暗殺者が反応するより先に、続けざまに引き金を引く。暗殺者が、倒れていた。額の中心を射抜かれている。
「余計なことを思い出させるから、むかついていたのよ」
 吐き捨てるように告げる。ちょうど、キョウコと一人息子のレイについて話していた時だった。バレーになついているレイの姿を思い出してしまったのである。まだ、ユリアンヌの機嫌は悪い。そんな時、再び暗殺者がユリアンヌたちの前に現れた。
「正々堂々、勝負してもらおう」
ユリアンヌの前で、暗殺者がゆっくりと剣を抜きながら告げる。相変わらず、妙な武士道を持っていた。ユリアンヌは問答無用でその額を撃ち抜く。
「覚えておきなさい。暗殺者に必要なのは、不意打ちよ」
 ユリアンヌの隣で、キョウコが首を傾げていた。
「彼らを見ていると、暗殺の意味を考え直したくなりますね」

 ダニエルもまた、謎の暗殺者と向かい合っていた。この暗殺者もまた、正々堂々と勝負を挑んできたのである。
「行くぞ!」
 そう告げてかかってくる暗殺者の攻撃をさらりとかわし、ダニエルは暗殺者の後ろを指さす。
「後ろ、後ろ」
 何事かと暗殺者が振り返る。そこに、巨大な蜘蛛の顔があった。
「うわぁぁぁ」
 暗殺者の断末魔が聞こえてくる。
「お前に正面から戦いを挑むとは、無謀な奴だな」
 オドリックが冷静に告げた。だが、暗殺者たちはまだ残っている。
 続いてダニエルの目の前にやって来た暗殺者は、先ほどの暗殺者と比べて暗殺者らしく振舞っていた。訓練度で言えば、七十くらいだろうか。俊敏な動きをしている。
「お前は強い」
 暗殺者の攻撃を躱しながら、ダニエルが満足そうに頷いた。
「だが、私の蜘蛛の方が、もっと強い」
 不意に、暗殺者の頭上からアラクネが降ってきた。避ける間もなく、暗殺者が押し潰される。断末魔を、上げる暇さえなかった。
 次の暗殺者は、オドリックを狙ってきた。ダニエルを狙うのは、分が悪いと判断したのだろう。
「覚悟!」
 ちょうど、室内に入った所だった。月光が届かず、オドリックの頭は煌めかない。暗殺者も、それを狙って飛び出してきたのだろう。
 だが、オドリックは輝いた。
「うわっ、まぶしっ」
 暗殺者が、怯む。確かに、そこに月光は届かない。だが、アラクネが事前に用意した糸によって、月光はオドリックの頭めがけて反射していた。
「アラクネ」
 ダニエルが、アラクネを呼ぶ。現れたアラクネは暗殺者を咥えると、去って行った。断末魔が、聞こえてくる。
「今日は餌代がかからないな」
 ダニエルが、満足そうな顔を浮かべていた。この後も、暗殺者たちは次々と討伐されていく。皆、妙に正々堂々とした暗殺者たちだった。

 ソレイユとキーナの前に現れた暗殺者たちは、暗殺者らしい立ち回りをしていた。普通の人間が警戒しないような物陰に、巧みに潜んでいる。だが、ソレイユの目を誤魔化すことはできなかった。ソレイユの合図と共に、キーナが突進していく。間もなく、暗殺者たちは全滅していた。
「これでいいですか?」
 両手剣を背負い直しながら、キーナが戻ってくる。ソレイユが頷いた。
「はい。どうもご苦労さん」
 次に出会った暗殺者もまた、暗殺者らしかった。茂みから暗殺者が飛び出してきたとき、ソレイユとキーナは不意をつかれていた。
 何しろ、直前まで気配すら感じさせなかったのである。これは、避けようがない。
 ソレイユと暗殺者の目が合った。暗殺者が、にやりと笑っている。それが故に、暗殺者は気付かなかった。
 そう、そのすぐ足元には甘蕉の皮が捨てられていたのだ。それを踏んだ暗殺者が、勢い余って転がっていく。
「どうします?」
 キーナが、可哀そうなものを見る目をしながら暗殺者を指さす。
「とりあえず、黙らしておこうか」
「わかりました」
 なお、この後ソレイユの前に現れた別の暗殺者も甘蕉の皮を踏んでいたが、暗殺者の名誉のために詳細は省いておく。

 シアルは一人、ムーンの看病を続けていた。ムーンは、未だ目を覚まさない。
 ドクターワリオからは、ムーンが目を覚ましたときに言葉をかけて欲しいと言われていた。それも、ムーンの生きる気力が湧き出てくるような言葉をだ。
「う・・・」
 ムーンが、呻いた。身じろぎしたかと思うと、ムーンの目が僅かに開かれる。どうやら、起きたようだった。
「・・・ここは?」
 ムーンが小声で呟く。辺りを見回す中で、シアルに気づいたようだった。
「シアルさん?」
「よかった。無事で、良かった」
シアルの言葉に、ムーンが怪訝な顔をする。どうやら、現状が今一つ理解できていないようだった。
「無事でよかった、と言うことは、わたしに何かあったんでしょうか?」
「覚えていないのか?」
「ええと、シアルさんと二人で歩いていましたね」
「そこで、敵襲を受けたんだ」
 シアルの言葉に、ムーンの表情がはっとなる。どうやら、思い出したようだった。
「そうでした。シアルさん、わたしを庇ってくださったんでしたよね。それにもかかわらず、こんな状態になってしまって。いつもシアルさんの足を引っ張ってばかりで申し訳ないです」
「何を言う。そんなことを思っているやつはいないぞ」
 シアルが笑って答える。ムーンは、顔を伏せていた。沈黙が、辺りを包む。顔を伏せたまま、ムーンがシアルに尋ねる。
「シアルさん、わたしは必要な存在でしょうか?」
「いらないと思っているやつが、むしろいるのか?」
「でも」
 ムーンが呟く。また、少しの沈黙があった。やがて、ムーンがぽつりと語り始める。
「元々、武芸が出来るわけではないと知ってはいました。今でも、シアルさんを始めとして、リシアさんやダニエルさん、アニマさんには遠く及びません。だから、その分軍師として頑張ろうと思ったんです」
 俯いたまま、ムーンの言葉が続いている。
「でも、今はキョウコさんやソレイユさんがいます。何より、この間まではデムーランさんがいました。わたしがミシロとコトキをどう守ればいいか悩む中、デムーランさんは砦を作ればいいと考えてくれました。命を賭して、ユリアンヌさんとその砦を守り抜いてくれました。デムーランさんに比べたら、わたしは何もできていません。むしろ、足手まといです。もっと、みんなのために頑張りたいのに・・・」
 途中から、涙声になっていた。顔を伏せているので表情は分からないが、泣いているのだろう。シアルは、そんなムーンの手をそっと握った。
「少なくとも、私はムーンがよくやっていることをずっと見てきた。いらないと思ったことは、一度もない、むしろ、居てくれなきゃ困るんだよ」
「わたしは、何をしたんでしょうか?」
「本当にそう思うのなら、元気になった後、街の中で自分が何をやったかを聞いてみるといい」
「そうでしょうか」
「お前がいなければ、この街はない」
 シアルが、断言する。ムーンは、少し虚をつかれたようだった。また、黙る。
「ありがとうございます」
 先ほどまでと比べると、幾分しっかりとした声でムーンが答える。どうやら、気分もいくらか落ち着いてきたようだった。
「いつか、ミシロの街に出て聞いてみようと思います」
 シアルは頷く。
「たまには、自分がやった実績でも見てみるといい。不遜かもしれないが、この街がまだあるのは私たちが働いたおかげとも言えるからな」
「そうでしょうか」
「そうだ」
 シアルが答える。ムーンの声は、いつもと同じ調子に戻りつつあった。しかし、未だに顔を上げようとしない。
 ムーンの涙は収まったのだろう。声が、いつも通りに近くなっていた。しかし、顔を上げようとしない。
「すみません。今、顔が酷いことになっているので直したいです。すこし、外に出ていただけますか?」
 ムーンが、恥ずかしそうな声で告げる。シアルは首を傾げた。
「辛くて泣くんだったらそれは構わないし、今はおれしかいないだろう。まして、今は護衛だ。見ないでおくから」
「泣いている顔をシアルさんに見られたくないから出て行ってほしいのに、なんで残ろうとするんですか。そもそも、恥ずかしいから泣いているって指摘しないでください」
 怒られた。
「少しだけ出ていてください。涙を拭くだけですから」
「しょうがないな」
 シアルは苦笑すると、外に出る。こういう時は、逆らわない方が賢明だと察しているのだ。
シアルが再び部屋に戻ってくると、ムーンがシアルを見つめていた。少し、眼や顔全体が赤くなっているが、ほとんどいつもと変わらない顔に戻っている。
「少し、眼の辺りが腫れてしまいました」
 声も、元気になっていた。
「シアルさんは、凄いですよね」
「凄くはない。目の前の命を救おうとするだけでも手いっぱいだし、それでもデムーランは助けることはできなかった」
「そうだとしても、十分凄いと思います。わたしなんて、誰かの命を助けたこともありません。そもそも、シアルさんは昔から人のことを助けていましたよね」
 ムーンが昔を思い出すかのように、遠い目になる、
「わたしが、初めて話を聞いてもらった時からそうでした。みんながわたしを子ども扱いしていたなか、シアルさんだけはわたしの意見をしっかりと聞いてくださいました。シアルさんは、いつも真摯で、丁寧で、人の個性や意見をしっかり尊重してくださいますよね。本当に、他人の気持ちを考えられる優しい人だと思います。とっても強くて格好良くて、でも周囲への優しさを忘れない。そんなシアルさんが、わたしは・・・・・・あ」
 ムーンの目が泳ぐ。顔が真っ赤になっている。つい、興奮して言いたくないことまで言ってしまったのだろう。軍師としては冷静だが、自分のこととなると、どこか杜撰なところがある。それがムーンだった。
「あ、ああ、憧れなんですよ。憧れ」
 まるで、自分に言い聞かせるように告げる。その後、ため息を吐いた。
「なんて誤魔化しても、ばれてますよね。ユリアンヌさんもシアルさんは知っているって言ってましたし。シアルさん、わたしはあなたのことが好きです」
 その口調は、少し投げやりだった。突然のことに、シアルが固まっていると、言葉を続ける。
「いや、ですからあなたのことが好きなんですよ。恋愛対象なんです」
 シアルに、続けざまにムーンが告げていた。口調が、どんどん適当になっている。諦めの極致に達しているのだろう。
「聞いてます? シアルさん」
 なかなか返事がないシアルにムーンが困ったらしく、聞いてくる。
「少し前に、ハジツゲで襲撃があったときがあったろう」
 シアルが、口を開いた。
「私は随分焦ったものさ。今思えば、襲撃があった時の血相の変え方は、常軌を逸していたと思う。後で、ユリアンヌに怒られてな」
 突然のことに、ムーンが戸惑いながら頷く。
「今思えば、この時点から、私はムーンが大切な人だと思っていたよ。要はだな」
「はい」
「互いに、好きだったってことだよ」
「はい」
 ムーンが相槌を打つ。そこで、ムーンの顔に疑問が浮かんだ。それが、動揺へと変わっていく。
「いいか、分かるか?」
「言われている意味は、分かったような気がするんですけど」
「そんな気持ちでもなければ、あんなにクラメリアンを飛ばして敵陣の真っただ中には切り込まないさ」
「つまりシアルさん」
 動揺が収まらないのか、ムーンは身振り手振りを交えながら話している。顔は耳まで真っ赤になっていた。
「わたしは、あなたのことが好き。あなたは、わたしのことが好きと言うことでいいんでしょうか」
 シアルが頷く。
「好きだったんだよ。最近、ようやく気づいたんだよ」
 お互い、妙に舞い上がっていた。謎のやり取りが、しばらく続く。
「つまり」
 ムーンが、シアルを見た。
「わたしたちは両想いだったわけですね」
「ああ。そういうことになる」
 再び、シアルが頷く。更に何かを言いかけたとき、部屋の扉が叩かれた。ムーンが、必要以上に慌てている。
「お、どうやら大丈夫そうだね」
 入ってきたのは、ドクターワリオだった。真っ赤な顔のムーンを見て、頷く。
「流石、シアルさんだな。そうそう、シアルさん、客がいる」
「おれだぜ」
 言いながら入ってきたのは、セインだった。顔が、にやけている。シアルとムーンの様子から、何かを察したらしい。
「やるじゃない」
 シアルに告げる。シアルは、一際深い溜息を吐いた。
「聞いてたんだな」
「ま、気にすんなよ。人生なんて、そんなもんじゃん」
 セインが笑っていた。シアルは呆れた表情になる。
「そうそう、シアル。ユリアンヌたちからの伝言で、至急コトキに来てほしいってさ。大丈夫。君の大事なムーンちゃんはおれが見張っているからよ」
「じゃあ、移動するよ」
「間が悪くてすまんな」
 まだ、にやにやしている。それから少し真面目な顔になった。
「本当は、おれもそっちに行きたかったんだが、おれも一人じゃない。モズメが腕を負傷していてな。一応、ドクターワリオに見てもらっているんだよ。その護衛だ」
 セインが、言葉とは裏腹にモズメを心配しているのは、長年の付き合いで分かっていた。そもそも、本当に大したことがない状態であれば、一人で行かせる筈である。
「なるほど。分かった。それから、セイン。さっきの話は全部聞いていたな」
「ああ、聞いていたさ。楽しかったぜ」
「じゃあ、この後の命令は分かるか?」
「後で決闘でもするかい?」
 セインがにやりと笑う。シアルは、真面目な顔で首を横に振った。セインの肩に、手を置く。
「ムーンに何かあったら、お前を許さないからな」
 セインが爆笑する。
「任せとけって。それくらい分かっているさ。ムーンちゃんに何かあったら、バレー将軍やユリアンヌにも会わせる顔がないしな。じゃあ、シアル。確かに伝えたぜ」
 セインが手を振る。ムーンも、はにかみながら手を振っていた。
「シアルさん、また後で」

 東の空が、僅かに白くなり始めている。間もなく、夜明けだった。
 コトキに忍び込んだ暗殺者たちは、ダニエルたちが各個撃破している。妙に、間が抜けていたり正々堂々としていたりすることの多い暗殺者たちだった。もう、街の大半は見渡しただろうか。
 オドリックが、頭に手をやりながらダニエルを見た。
「もう少し明るくなれば、おれの真骨頂も出せるのだがな。なあ、ダニエル?」
「そうだな。そろそろ皆に、色眼鏡の準備をさせないと」
 ダニエルが頷く。いくらオドリックの頭と言えど、光がほとんどない中で輝くことは出来なかった。眩しくなるのは、これからだ。
 それでも、一度は月光を反射させて暗殺者を撃退しているのをダニエルは目撃していた。
「お、アニマだ」
 オドリックが告げる。薬草を探し求めていたアニマが、戻ってきていた。近くには、リシアもいる。レヴィンは、セインたちと合流しているとのことだった。
 アニマは、モミジを抱きかかえている。アニマが落ちないようにと気を遣った結果、モミジの手は、アニマの首に回されていた。二人の距離は、酷く近い。
「あれ、お前たちってそんな仲だったっけ?」
 オドリックが、思わず尋ねる。
「ええ、そうですよ」
「出会えたことに、感謝しています」
 二人とも、即答する。ただ、オドリックの言葉の意味を正確には理解していなかった。二人は互いに友人だと思っている。にこにこと笑いながら答えていた。
 オドリックが、思わずダニエルを見る。ダニエルは当然だと言わんばかりに頷いた。
「なるほど」
 オドリックも、納得したように頷く。
「おめでとう、なのかな。それにしても、世界は驚きに満ちている」
「だから、面白いのさ」
 ダニエルがにやりと笑した。
 間もなく、見回りを終えたユリアンヌやソレイユたちと合流する。シアルも、ミシロからやってきた。ムーンが、目を覚ましたようである。そのことに皆が安堵していると、慌ただしく鎧の揺れる音が、聞こえてきた。
 アルゥーンダが、走ってきている。その鎧は、傷だらけだった。
「オドリック殿! ダニエル殿!」
 アルゥーンダの声は、切迫している。
「気をつけて・・・」
 言いかけたアルゥーンダの後ろで、何かが煌めいた。金属がぶつかる音がし、地面に金の飛刀が二本落ちる。ユリアンヌとダニエルが、魔道銃と短剣で撃ち落としたのだ。更に、リシアが一本を剣で弾き飛ばす。だが、まだ一本の飛刀が残っていた。それが、アルゥーンダの後頭部に迫る。寸前で、シアルが飛刀を掴んで止めていた。
「危ない!」
 アルゥーンダが叫ぶ。シアルたちの、後ろだった。振りかえると、オドリックの背後に青みがかった黒髪の女が現れていた。ブルーナだ。彼女の左手には、青い光で包まれた剣が握られている。ただ、右手はブルーナの意思とは無関係に、だらりと垂れ下げられていた。
「さようなら」
 ブルーナがにやりと笑うと、剣を振りかぶる。その時、オドリックを中心に眩しい光が発せられた。
「うわっ、まぶしっ」
 ブルーナが、思わず叫ぶ。いつの間にか、朝日がオドリックを照らしていた。あまりの眩しさに、ブルーナの手元が狂う。それを、アルゥーンダの斧が受け止めていた。
「どうやら、おれの真骨頂が発揮されたようだな」
 オドリックが、呟く。
「オドリック、今のうちに逃げて!」
 ユリアンヌが、冷静に告げる。いつの間にか、色眼鏡をつけていた。アルゥーンダが力負けしそうになっているのを見て、叫ぶ。
「こいつらが、強くて」
 アルゥーンダが、申し訳なさそうに告げた。オドリックが離れたのを確認すると、女の攻撃を受け流す。
「おやおや、流石ですね」
 反対側から、別の女の声がした。赤い髪に、白い翼を持つオルニスだ。全身に、黄金の装飾が散りばめられている。
 ダニエルたちは、その女を知っていた。ギセラだ。
 アニマが、そっとモミジを地面におろす。
「立てますか?」
「な、なんとか」
 モミジが頷いた。とは言え、足は挫いている。無理はできないだろう。
「あなたは絶対守りますから、動かないでください」
 言いながら、アニマは二本の刀を鞘から抜いていた。
「やれやれ、あなたですか」
 ギセラの目に、憎悪が浮かんだ。手に持つ何かを、アニマたちに投げつけてくる。
「こいつのようには、いきませんね」
 人間の、首だった。その顔を、シアルたちは知っている。ロベルトだ。アニマは、投げつけられたそれを、何でもないかのように片手で受け止める。
「で、こんなものを誇って、何がしたいんですか」
 アニマが、冷めた声で尋ねる。アルゥーンダが、隣にやって来ていた。
「こいつらが突然、おれたちを襲ってきたんです。ロベルト殿は、おれを庇って」
「ええ、分かっています。大丈夫ですよ。ただ」
 アニマは、ギセラを見た。
「彼女を殺す理由が、また一つ増えただけです」

 その後ろで、戦いが始まっていた。先手を取ったのは、ブルーナ。左手に持つ杖を一回転させると、一直線にソレイユへと向かう。直前で、身を捩ったかと思うと大きく下がった。そこに、アラクネが作り出した糸が飛んでくる。
 もし、このままソレイユに襲い掛かっていれば、絡め捕ることができただろう。ただ、流石にブルーナも周りを見ていた。
 ダニエルが相手の先制攻撃を防いでいる間に、ユリアンヌが大声で指示を出す。ブルーナもギセラも、油断ならない敵だった。ソレイユが味方に支援の魔術を飛ばしている。
 ギセラが、剣を床に突き刺した。その手は、黄金のように輝いている。飛んだ。ソレイユへと、一直線に迫ってくる。銃声が響いた。ギセラが、身を翻す。
「打たせない」
 ユリアンヌが告げる。その拳の危険性を、本能的に察知していたのだ。ギセラは舌打ちすると、指を鳴らす。
 剣が輝きながら姿を変え、黄金の竜となった。回転しながら、シアルたちへと突っ込んでくる。何人かが吹き飛ばされたが、重傷を負ったものはいない。シアルとアニマに至っては、全く傷を負った気配すらなかった。
 ユリアンヌが銃を放つ。百発百中の腕を持つ彼女の銃撃は、狙い違わず二人を撃ち抜いた。
「あんたたちの鎧は、もう役に立たない」
 ユリアンヌの言葉通り、ブルーナとギセラの鎧が床へと落ちる。鎧の留め金を、狙ったのだろう。
 更に、シアルがギセラに打ち掛かる。ギセラはそれを回避することができない。ギセラは舌打ちすると、再び剣を床に突き刺し、リシアへと殴り掛かる。わずかに、拳がリシアの装備する春風の羽根にぶつかった。羽根が見る間に黄金色の輝きを帯び始める。
 黄金化、それこそがギセラの特殊な能力の一つだった。触れたもののうち、命がないものを自在に黄金へと変化させることができる。
 ギセラの剣が竜へと変化し、再びシアルたちに襲い掛かった。先ほどは耐えたとはいえ、シアルやアニマ以外の面々にとって、竜の攻撃は脅威である。竜が回転した。その眼前に、シアルが現れる。一人で、竜の攻撃を受け止めていた。
 その間に、ギセラの前にダニエルが躍り込む。踊るような動きで、鉄扇をギセラに振るった。ソレイユの魔術もあって、強化された鉄扇の一撃は巨人の拳よりも重い。ギセラの顔が、苦痛に歪む。
 ギセラの拳が、再び黄金色に輝いた。剣を床にさすと、シアルたち目掛け飛んでいく。今度は、ソレイユだった。咄嗟に、ソレイユは小型の盾で拳を防ぐ。盾が、黄金色に染まった。
 またしても、黄金色の竜が飛んでくる。無数の蜘蛛の糸が、シアルたちと竜の間に出現した。ダニエルの呼びかけに応じたアラクネの力である。竜の勢いが蜘蛛の糸で減殺されていく。シアルたちに攻撃が届く前に、その動きが停止した。ギセラが、舌打ちする。竜は剣へと姿を戻しながら、ギセラの手に戻っていった。
 リシアが、飛び込んでくる。ギセラが指を鳴らした。リシアの春風の羽根と、ソレイユの盾が、ギセラを庇うかのように黄金の盾となった。だが。リシアは盾を器用に避け、剣をギセラに突き出す。
ギセラは咄嗟に剣を地面におくと、リシアの攻撃を受けながら拳を突き出した。リシアの籠手が、黄金色に変化する。更に、黄金色の竜がリシアに襲い掛かってきた。だが、リシアには届かない。シアルがリシアを庇ってその攻撃を受け止めたのである。ソレイユの防護壁も相まって、シアルは平然と立っていた。
 そして、アニマがギセラに迫る。ギセラが指を鳴らすと、周囲の黄金がギセラを庇うかのように盾となるが、アニマはそれをたやすく両断しながら、ギセラに斬りかかった。
 ギセラもまた、剣を床に刺すとアニマに殴り掛かる。黄金の拳はアニマにこそ当たらなかったが、その先にある床が黄金に染まった。更に、竜である。シアルとアニマは竜の攻撃を平然と受け止めているが、他の面々はそうもいかない。竜が黄金の息吹を放つ。
 ユリアンヌとダニエルは、流石の身のこなしで、息吹を避けていた。更に、無数の蜘蛛の糸がソレイユへの攻撃を防ぎきる。リシアの前に立ったシアルとギセラに切りかかっていたアニマだけは、それを避けようともしなかった。
黄金の息吹が、二人に襲い掛かる。二人とも、やはり平然としていた。何事もなかったかのように、アニマはギセラを斬った。鮮血が噴き出す。ギセラが、激高した。
 ブルーナが、舌打ちした。肩の影響か、この戦いではほとんど動いていない。
「姉さん、そろそろ潮時です」
 気づけば、かなりの騒ぎが起きていた。遠巻きに、この戦いの様子を見ている人々もいる。
「まだ、倒し切れていないのに」
 ギセラが叫ぶ。だが、ブルーナの様子を見て何かを察したらしく、溜め息をついた。黄金の剣を、地面に刺す。アニマを見た。
「決着は、また今度ですね」
「次に会う時は、ボルテックさんの命を、その命を持って贖ってもらいます」
 アニマが答える。ギセラを中心に、黄金色の爆発が放たれた。
 視界を遮るかのように、砂埃が舞う。収まったとき、ギセラたちの姿は消えていた。

 ギセラたちの襲撃から、二日が経っていた。主に襲われたのは、ソレイユ、ムーン、オドリック。レヴィンも狙われたようだったが、それはリシアが全て撃退していた。唯一、重傷を負ったのはムーンである。
 ムーンは、急速な回復を見せていた。それは医師のドクターワリオが驚くほどである。
 いつもよりたくさん眠れたからだとムーンは苦笑しながら告げていたが、あながち冗談でもなさそうだった。
 同じく怪我をしたモズメも、順調に回復している。明日には、部隊に戻ることが出来るはずだ。
 それまでアニマ隊は、遊撃隊を率いるセインがまとめて指揮を取ることになっている。
 ただ、犠牲が全く出なかったわけではない。将校のロベルトと、商人のヒイが死んでいた。
 ロベルトが率いていた部隊は、オドリックとアルゥーンダの隊に編成されることとなったが、ヒイの方はそう簡単にはいかない。
 ヒイはリシアと共に兵站を任されていた。特に、消耗の激しいデムーラン城砦の武具や食料は、ヒイがほとんど一手を担って管理していたのだ。ヒイが管理していた兵站線を確認し、再構築するためにリシアとレヴィンはこの二日間、殆ど寝る間もなく各地を飛び回っていた。ようやく、再構築が終わったところである。
 ただ、この兵站線を維持するために、二人は当面休む暇はなさそうだった。早急に、兵站の管理が出来る人間を見つけなおす必要がある。
 この日は、ギセラの襲撃後初めての会議が開かれることとなっていた。会議にはシアルたち七人の他、ムーン、レヴィン、オドリック、フォールが出席している。
 セインとツーマイはそれぞれの部隊をまとめるため、キョウコはデムーラン城塞の守備のため欠席していた。
「シーキンセツについてですが」
 ムーンが口を開く。本当に、口調や表情はいつもと何も変わりなかった。強いて言えば、目の隈がほとんどない。
「ボックス宰相から要請があります。太守は、彼女が決めた人間にして欲しいとのことです」
 その言葉に、シアルたちの間に剣呑な雰囲気が生まれた。落としたのは、仮にもシアルたちである。また、ボックスに足を引っ張られることになるのか。
「露骨ねえ」
 ユリアンヌが、不機嫌そうに呟く。ムーンも頷いた。
「はい。なので、事前にしっかり交渉して、最終的な決定権はシアルさんたちが持てるように取り計らってあります」
「誰が、太守として来そうなんですか?」
 フォールが尋ねる。
「ムー・ガイさんになると思います」
 歩兵隊を率いている、ツーマイの叔父だった。良識のある人間であり、ボックスにしてはまともな人選である。
「聞いたことはあるわね。あの人だったら、大丈夫でしょう」
 ユリアンヌが皆に告げる。その顔には、先ほどの剣呑さはない。
「事前に、決定権の話をしていましたしね。ボックスからすれば、介入できないところに自分の息がかかった人間は送り込みたくないのでしょう」
 ムーンが、冷静に答える。
「シーキンセツの軍は、フォールさんを総隊長として軍師にソレイユさんがつきます」
「は?」
 思わず、ソレイユが呟いた。ソレイユは、攻め込むまでが軍師の仕事だと思っていたのだろう。だが、シアルたちはここからがソレイユの腕の見せ所だと考えていた。
「ま、じゃあ、やりますかね」
 皆の視線を受け、ソレイユが頷く。ムーンが、皆を見渡した。
「次の目標は、トウカとムロです。両地域からゲン軍を追い出すことができれば、ホウエン南西部は完全に我々が制圧したことになります」
 最初は、地図上の二つの点だった。周りは全て、ゲン軍に囲まれていたと言っていい。それが、ここまで盛り返したのだ。
「まずは、トウカじゃない?」
「もちろん、トウカも奪います。ですが、ムロを後回しにしていると、我々の軍は、常にムロに転移の術で兵を集められ、背後から攻められることを警戒して戦わなければいけません。後方の憂いを絶つためにも、速めに奪っておきたいところです」
「ムロまで攻めるとなると、船が必要になるな」
 オドリックが呟いた。ムーンも頷く。
「それが、課題の一つです。今回の戦いでも、ゲン軍は船で離脱するものが多く、影の軍が手を回した一隻の船しか奪取出来ていません。最悪、転移の術を駆使して兵を輸送することになりますが、制海権をゲン軍に渡してしまうことになります」
「船が、必要か」
「それと、乗り手です」
 当初の予定では、カタストが船も乗り手も用意するはずだった。だが、ミナモを放棄する際に、水軍はグレンまで下げている。
「カタスト将軍に掛け合えば、乗り手は用意できます。船大工も、何人かは用意できるでしょう」
 フォールが告げた。
「大工なら、ダイさんの力も借りれるでしょうし」
 船大工と、ダイの建築は微妙に異なる。それでも、石積みの時のようにある程度までは協力してくれるだろう。
 ただ、船を作り上げるのは時間がかかる。
「しばらくは、動きようがないな」
 オドリックが呟く。ムーンも頷いた。
「半年近くは、難しいでしょうね」
「まあ、ゲン軍も今回の奇襲で兵を多く失った。向こうから動くこともないだろう」
 その後も、いくつか細かいことを決め会議は終了した。ただ、終わった後に誰も席を立たない。レヴィンからの話が、残っていた。
「さて、『天使の羽根』の話だ」
 レヴィンが口を開くと、手元の資料に目を落とした。皆は、レヴィンを見ている。そのため、アニマの目が泳ぎ、困ったようにユリアンヌを見つめたことに誰も気づかなかった。唯一、ユリアンヌだけはアニマと目を合わせ、安心させるように目配せする。
「ギセラが『ゴルフ』、ブルーナが『ブラックジャック』なのはほぼ確実だろう」
 その間に、レヴィンの話が始まっていた。
「ゲン軍と『天使の羽根』が連携していることも間違いない。問題は、ゲン軍がそれを把握しているかどうかだ。私は、していないと考えている」
「そうね。把握していないと考えた方が妥当でしょうね」
 そう答えたのは、ユリアンヌだった。
「ここまで中枢に入れているのは、気づかずに重用しているからでしょうし」
 ユリアンヌの言葉にムーンも頷く。
「そうですね。仮に、ゲン軍が『天使の羽根』の目的を知っているのであれば、グランドラゴンや海王ガラエドリルを探す動きがもっとあっても良さそうなものです。それがないと言うことは、ゲン本人が知らぬまま、『天使の羽根』が動いているのでしょう」
 二人の言葉に、誰も異を唱えない。それにしても、とムーンが言葉を続ける。
「『瑠璃の首飾り』を、ゲンは持っているのでしょうか?」
 レヴィンが首を横に振った。
「そう決まった訳ではない。しかし、違うとも言い切れない。持っている可能性の方が、高いとは思う」
「ゲンに、それを伝えることは可能でしょうか?」
 ムーンが尋ねる、
「戦時だからな。いくらゲンとは言え、難しいだろう」
 答えたのは、オドリックだった。ギセラこそ不明だが、ブルーナは暗殺部隊を組織している。仮に『天使の羽根』の話をしても、離間を疑われるだけで終わってしまう可能性は高い。
 ゲンが人を信じる性格であることが、逆に災いしていた。
「それに、下手な動きをして『天使の羽根』側に察知されてしまえば、ゲンを暗殺してまで珠を奪う可能性も高いわ」
 ユリアンヌが告げる。
「その通りだな。せめて『瑠璃の首飾り』の場所さえ分かれば、奪いに行けるかも知れないが。それが分からない。いい報告が出来なくて申し訳ないよ」
 レヴィンがため息をつく。それで、この会議も終わりだった。

 アニマがモミジのもとを訪れたのは、会議の翌日であった。モミジは、自宅でプライムを寝かしつけている。ヒイの遺した薬草をもとに作った薬の効果で、プライムの容体は安定していた。
「昨日は、危険な目に合っていたわたしを助けて下さり、ありがとうございます」
 アニマが入ってきたことに気が付いたモミジが、頭を下げる。その後ろで、プライムが眠っていた。
「いえいえ、気にしないでください。あなたのことはわたしが守りますから」
 アニマの言葉に、モミジがまた頭を下げる。
「ありがとうございます。おかげさまで、わたしもプライムも元気に過ごすことが出来ています」
「よかったあ」
 アニマが、胸を撫で下ろす。モミジは、そんなアニマを幸せそうに見つめていた。しばらく、軽い話が続く。
「アニマさん、わたしが昨日言ったことを覚えていますか?」
 アニマにとっての爆弾が投下されたのは、その中でのことだった。
「な、なんでしょうか?」
 何事もないかのように、モミジに尋ねる。もちろん覚えてはいた。父の話が聞きたい。モミジは昨日そう話していた。
「アニマさんはどこで父と知り合ったんですか?」
 アニマの心境には気付かず、モミジが尋ねてくる。アニマは、無意識に後ずさりながら
「昔ちょっと、その、困っていたときに助けてくれたんですよ」
アニマの答えを聞くと、モミジは納得したように頷いた。
「わたしの父は昔から優しい人で、困っている人がいると助けようとしていましたからね」
「ええ、本当にいい人でした」
 アニマが、遠い目をして答える。
「おまけに、強い人でした。みんな、強いですよね。アニマさんもわたしの父も。わたしもせめて、自分の身は自分で守れるようになりたいです。それでも、わたし一人で昨日みたいな場は切り抜けられないでしょうが」
「そんな必要、ないじゃないですか」
 モミジの肩を叩き、アニマが答える。
「あなたは、わたしと違って薬学の力で人を救うことが出来るじゃないですか。全員が強い人だったら、誰が人を救えるんですか」
 モミジが、驚いたように目を大きく見開いた。
「そうですね。確かに、そう言う考え方もありですね」
「色々な人がいるから、世の中は面白いんですよ」
 モミジは、納得したように頷く。
「わかりました。わたしは少しでもアニマさんや他の人を助けられるように、これからも薬学の道を学んでいきたいと思います」
「もう、助かってますよ。わたし一人の力では、プライムちゃんを助けられませんから」
「それはわたしも、一緒です。薬草を取りに行ってくださり、ありがとうございます」
 モミジは深く礼をすると、胸に手を当てて言葉を続ける。
「わたし、いくつか心の中でもやもやしていたところがあったんですが、アニマさんと今日話してそれがいくつか解決することが出来ました。アニマさんの、お蔭です」
「そうですか。いえ、救われているのはこちらですよ」
 その後もいくつかたわいのない話をしてから、アニマはモミジの家を出た。市庁舎へと向かう。そこで、アニマはモズメの負傷について聞かされた。皆、アニマは知っているものだと思って話していなかったのだ。
 大慌てで、アニマはドクターワリオの診療所へと向かう。
「アニマさん」
 飛び込んで来たアニマを、モズメが驚いた表情で迎える。元気そうだった。実際、モズメは多くの血を失っただけで、怪我そのものは治っている。ただ、まだ激しい動きにはついて行けないとの理由で留め置かれていた。
「モズメさん」
 アニマが、泣きそうな声で呟く。軽傷だったことに対する、安堵の響きもあった。
「日ごろ隊長に鍛えられているのに、あっさり負傷してしまい申し訳ありません」
「怪我しているじゃないですか」
 頭を下げられた。
「本当に、わたしの実力不足で」
「そんなことよりも、良く生きて帰ってくれました。あなたが生きてて、良かった」
 アニマが、モミジを抱きしめる。
「セインさんが、助けてくれたんですよ」
 アニマが離れた後に、モミジが呟く。少し、顔が赤い。
「おまけに、落ち込んでいたわたしを励ましてくださいまして」
「そうですか、セインさんが。何か贈り物をしないといけませんね」
「そうなんですよ。わたし、セインさんに何かお礼とかしたいと思っていて。ですが、これまでセインさんとほとんど話したことがなかったので、セインさんの好みが全然わからないんですよ。何か、好きな物ってありますかね」
「ええと、セインさんですよね」
 言われて、アニマも考える。アニマも、あまりセインの好みは分からなかった。
「ちょっと、待っていてください」
 アニマは急に、駆け去って行った。転移の術を利用し、デムーラン城砦へと向かう。ユリアンヌに相談しようと考えたためだ。ユリアンヌを探し出し、尋ねる。
「セインさんって、どういうものが好きなんでしょうか?」
「セインが好きなもの?」
 ユリアンヌが、首を傾げる。
「緑色」
「くっ、情報が増えない」
 アニマが、がくりと首を垂れる。それは、誰もが知っている情報だった。
「後、子どもも好きよ」
「くっ、製造手段がない」
「アニマちゃん、ちょっと直接的よ」
 ユリアンヌが苦笑する。
「食べ物のことかしら? それなら、蓬饅頭が好きだったはずよ」
 セインは、食べ物すらも緑色のものが好きだったらしい。
「蓬饅頭ですね」
 頷くと、礼もそこそこに飛び出していく。転移の術で、ミシロへと戻った。
「蓬饅頭です」
 診療所の扉を開けながら、モズメに告げる。
「蓬饅頭ですね」
「はい、蓬饅頭です。それと、緑色です」
「ありがとうございます。そうしましたら、緑色の何かと蓬饅頭をセインさんに差し上げたいと思います」
 モズメが、笑みを浮かべながら答える。見ていて、幸せになりそうな笑みだった。
「そうだ、一緒に買いに行きましょう」
 アニマの言葉に、モズメが元気良く頷いた。

 ソレイユは、強烈な頭痛と共に目を覚ました。まるで。頭を殴られたかのように痛い。おまけに、起き上がって辺りを見回しても、全く見覚えのない部屋である。窓から、光が射しこんでいた。だが、その風景も見慣れなかった。
 必死で記憶を手繰り寄せる。ソレイユは昨日、何をしていたか。
「ようやく、目が覚めたみたいですね」
 扉が開き、オルニスが部屋の中へと入ってくる。金髪に、白い翼を持つオルニスだ。ソレイユは、そのオルニスに見覚えがあった。キョウコだ。
「あれ? おれ、どうしてこんなところにいるの?」
「もう、お昼ですよ。酔ってないで、思い出してください」
 キョウコの声には、いくらか呆れが含まれている。
「え、だって・・・あれ?」
「さあ、船の様子を見に行きましょう」
「船? そもそも、ここはどこだっけ?」
「まだ、思い出せないんですか? ここは、シーキンセツですよ」
「ああ、シーキンセツ。ああ、あああっ」
 ソレイユの記憶が、蘇ってくる。ソレイユはつい昨日から、軍師としてシーキンセツへと着任したばかりだった。ここは、新しく用意された自分の部屋である。
昨日案内されたばかりなのだから、部屋も風景も見慣れなくて当然だった。
 頭が痛いのは、シーキンセツにある酒場めぐりをしようと思って飲み過ぎたためである。キョウコは酒に酔うと、その場で寝たり人を抱きしめたりする悪癖があるため、昨日はほとんど飲んでいない。
 現在はデムーラン城砦で軍師を務めているキョウコだが、専門は石積みであり、武芸にも秀でるなど多芸な人物である。船や水軍に関する知識も、当然の様に持ち合わせていた。
 昨日、ソレイユが荷物を取りにデムーラン城砦へと向かった際、キョウコと偶然出会ったことで判明したことである。
「わかりましたね。行きますよ」
「ちょっと待って、ちょっと待って、頭が・・・わかりました。行きます」
 キョウコの眼光に屈したソレイユが、悲しそうに頷いた。二人で、港へと向かう。
 一艘の軍船が、港には泊め置かれていた。影の軍が奪った船なのだろう。キョウコは身軽に船内へと入っていった。ソレイユも、続いて入っていく。キョウコは船内の様子を見て回りながら、手に持つ紙に何かを書き留めていた。時折、ソレイユに質問を投げかけてくる。ソレイユは、船の揺れに身を委ねながらそれに応えていた。
 不意に、ソレイユは吐き気を覚えた。体の中にある物が、どんどんせり上がってくる気がする。それは、船の揺れもあってたちまちのうちに酷くなっていく。船酔いと呼ばれる現象だった。
「ごめん、ちょっと」
「え、どうしたの?」
 キョウコが振り向く。ソレイユの表情を見て、何かを察したらしい。
「外に、出てきます」
「昨日、飲みすぎるからですよ」
 キョウコが、呆れたように呟いていた。
「瓶三本、空けただけだって。この船、凄く揺れるし」
 ソレイユはどうにか外に出る。仰向けになって休んでいる間に、いくらか気分が落ち着いてきた。しばらくして、キョウコが船の中から出てくる。
「大丈夫?」
 流石に、多少心配はしていたらしい。キョウコが尋ねてくる。
「ああ、なんとか」
「これに懲りて、お酒を飲むのを多少は控えたらどうですか?」
 キョウコが、苦笑しながら告げる。もっとも、酒癖自体はキョウコも良くはなかった。
「そうだな。ちゃんと、お酒は控えるようにするよ」
 キョウコが、満足そうに頷く。と、突然遠くを見て驚いたような声を上げた。
「あら、あの人、キーナさんじゃないですか?」
 キョウコが向いた方向に、見覚えのある金髪の女性が立っていた。確かに、キーナである。キーナは騎馬隊の隊長として、シーキンセツに残ることとなっていた。
 数名の兵士と共に行動している。どうやら、巡回の最中の様だった。
 キョウコが手を振る。キーナも、こちらに気が付いたようだ。だが、近づいては来ない。
「仕事の最中だから、部下に遠慮しているんでしょうかね」
「どうなんだろうな」
 ソレイユが、考え込む。キーナは恥ずかしがり屋だが、そこまで酷くはなかったはずだ。キョウコが、唇に手を当てて考え込む。何かを思いついたかのように、人差し指を上げた。
「それとも、わたしたちの仲がいいから、遠慮しちゃっているとか」
 キョウコが、冗談めかせて告げる。そうかもしれない、ソレイユは思った。だが、ソレイユとキョウコの間には何もない。遠慮されるようなものはどこにもなかった。
「このところ、あいつとあまり会える機会がなかったからな。この一件が終わったら、あいつと共に会える時間を増やすようにするよ」
「そうしてください。わたしも、見ていて心配ですし」
 キョウコが頷く。キョウコがキーナを見ていたこともあり、その表情は読めない。そして、キーナがソレイユたちのもとにやってくることもなかった。

 気づけば、シアル軍がシーキンセツを奪還してからひと月以上が経っている。このひと月、リシアとレヴィンは誰よりも忙しくしていた。
 リシアたちと共に兵站を管理していたヒイが亡くなったため、シアル軍の兵站の全てをリシアとレヴィンが管理しなければいけなくなったからである。ヒイがこれまで担当していたところには、五人ほど部下を派遣することで、どうにかこれまで通り仕事を回せるようになっていた。
 以前は、ヒイ一人で済んでいたところである。リシアとレヴィンほど、ヒイが居なくなった影響を目の当たりにしている人はいないだろう。
 ミシロのために、時には損失を覚悟しなければいけない時もあったが、リシアの資産は以前より増していた。ギセラ戦で黄金化した装備を売ったことなどが影響している。普通の人間なら、四五回生まれ変わっても使い切れないほどの量だ。
 最近のリシアは、この資産を利用して何かできないか考えるようになっていた。商会が、有力な候補であるが、具体的な考えはまだまとまっていない。
 リシアは今、レヴィンと共にシーキンセツへとやって来ていた。シーキンセツでは城内での戦いがほとんど行われなかったこともあり、シーキンセツの街並みは戦いの前とほとんど変化はない。
 リシアは、ここで人と待ち合わせていた。
「お待たせしました」
 現れたのは、痩身のフィルボルだ。ただ、その目元が兄と似ている。ヒイの弟、ショウエンだった。
「兄が、お世話になりました」
「こちらこそ、ヒイには良くしてもらったからね」
 リシアの言葉に、ショウエンが頭を下げる。ショウエンから、リシアに会いたいと告げる連絡が入ったのは、兄の死を告げる知らせをショウエンに送って数日してからのことだった。
 ショウエンの文には、商人として、兄の後を継ぎたいと書かれていた。ただ、ショウエンに商人としての経験はない。ショウエン本人も、書面でそのことを気にしていた。
 会ってみようと話したのは、レヴィンである。会ってみて問題がなさそうであれば、リシアのもとで商人の見習いとして留め置けばいい。そこで、ショウエンの商人としての適性を見ればいいのだ。
「しかし、わたしは商人じゃないよな」
 そのことを思い出し、思わず呟く。リシアは、自身を冒険者だとみなしていた。ショウエンを商人の見習いとすることは賛成だったが、そこだけは違うと思っている。
「みんな商人と思っているから」
 リシアの隣に立つレヴィンが、ショウエンに気付かれないような小声で告げる。首を傾げるリシアの横で、にこやかにショウエンに笑いかけた。
「君のお兄さんは、戦いの中で何百人もの兵を倒したわけでもない。医者のように直接誰かを助けたわけではない。ただ、兵が武器や兵糧の心配をすることなく戦い続けることができたのは、君のお兄さんのお蔭だ。商人でありながら、私たちと共に、ゲン軍に立ち向かってくれた。なあ、リシア、そうだろ?」
「そうでした」
 リシアが答える。ショウエンは、懐かしそうな顔をしていた。
「実は、兄とはほとんど話したことがありません」
 少し寂しそうに、ショウエンが呟く。
「僕や他の家族のために、若い時から働いていたこともあって、いつも家に居ませんでした。なので、一緒に住もうと言われた時は、話す時間が増えると思って嬉しかったんですけどね。今は、兄の遺志を少しでも継げればと思っています。リシアさん、僕はあなたについて行っていいですか?」
 真面目そうなフィルボルだった。商才の方は、一緒に仕事をしてみないと判らない。
「そうね。ちょうど今、自分の商会でも作ろうかな、と思っていたところなの。だから、将来有望な人を集めておきたくてね」
「ショウエン、計算は得意かい?」
 レヴィンが、ショウエンに尋ねる。
「多少なら」
「じゃあ、まずはそこから手伝ってくれ。リシアは、あまり計算が得意じゃないしな。力があれば、やがて大きな仕事を任されるようになるさ。大丈夫、ポメロに勝つような高等技術を持っていなくても、生きていける」
 ショウエンは、真面目な顔で頷いていた。

 時が、ゆるやかに過ぎていた。気づけば、春も終わりに差し掛かり、まもなく夏を迎えようとしている。ギセラ達の襲撃からは、三月も経っていた。ユリアンヌがレイに最後に会ったのは、四月も前のことである。
 デムーラン城砦にいる兵士たちには六日に一度の休みを徹底させているが、ユリアンヌがまたキッサキに向かえるほどの余裕はまだ生まれていなかった。月に一度、バレーからレイの成長報告を受け取ることが、数少ない幸せの一つである。
 ただ、レイがますますバレーに懐いていそうなことが、大きな懸念事項だった。
「隊長、訓練が終わりました。ようやく、新たに加わった兵たちも馬上で銃が使えるようになってきています」
 ユリアンヌが物思いに耽っていると。副官のフェミナがやってくる。先ほどまで、部下を率いてモズメの部隊と訓練を行っていた。
「よく、百名も集まったと思うわ」
 ユリアンヌが告げる。
「できれば、もっと増やしたいんですけどね。なかなか、馬と射撃の技術を両立させられる人がいないんですよ」
 フェミナが答えた。彼女が率いているのは、騎銃隊である。馬を自在に操りながら射撃も行うこの部隊は、ほかの部隊と比べても専門性が高く、容易に兵を増やせずにいた。
「それで、わたしたちの訓練は終わりましたが、モズメさんの部隊は、引き続きセインさんの部隊と訓練しています」
 セインはこのところ、デムーラン城砦へとやってくることが増えていた。
 来ると必ず、全ての部隊と訓練を行っていく。更に、合間を縫ってモズメに弓を教え始めていた。アニマも混じり、三人で弓について話していることも多い。
 アニマ隊を率いるアニマとしては、隊長である自身が前線に立ち、副官のモズメが弓を使いながら後方で歩兵の指揮を執ることが、目標としている戦術のようだった。ただ、アニマは教えることが上手くないようで、指導は全てセインに任せている。
 セインの教えが上手いのか、モズメにもともと才能があったのかはわからないが、モズメの弓の技術は格段に上達していた。
 それにしても、とユリアンヌは思う。本来、セインはそこまで人に熱心に教える性格ではない。蓬饅頭に買収されたとセインは言っていたが、本当にセインは弓を教えるためだけにデムーラン城砦にやって来ているのだろうか。
 今日もまた、訓練が終わった後、セインとモズメは二人きりで話していた。モズメが、幸せそうな笑みを浮かべている。思わずユリアンヌは、にやにやしていた。ユリアンヌを見つけたセインが、モズメを待たせ憮然とした表情で近づいてくる。
「え、違うの?」
 思わずユリアンヌは尋ねていた。
「まあ、待てよ」
 セインは憮然としたままだった。ユリアンヌは、にやにやしながらセインの言葉を待った。
「弄んだんですか、わたしの副官を?」
 そこに、アニマがやってくる。
「弄んだ記憶はない」
「アニマちゃん、話をこじらせちゃ駄目よ」
 ユリアンヌが苦笑する。アニマは、にこにこ笑っていた。セインは、ため息をつく
「シアルの苦労が、分かる気がするよ」
 ユリアンヌもアニマも、意味深な笑みを浮かべて頷いていた。
「じゃあ、おれは戻るから」
 セインは肩をすくめると、モズメの元に戻ろうとする。
「モズメちゃんと個人的に会うなら、上手くやんなさいよ」
 ユリアンヌが笑いながら告げる。セインはそれが聞こえないかのように去って行った。アニマと話していると、フェミナがやってくる。
「キョウコさんは今日もシーキンセツですか?」
 デムーラン城砦の軍師であるキョウコは、多忙だった。シアル軍で唯一船のことが分かる人間としてキョウコは頼られており、デムーラン城砦とシーキンセツを往復する日々が続いている。
「言われてみれば、今日も見ないわね」
 だが、それもそろそろ終わるはずだった。水軍はフォールの紹介を受けたフライ・クリストフが率いることになっている。フライは、カタスト軍の水軍の将校の一人だった。豪放な性格だが、キョウコからは一点だけ注意した方がいいと連絡が来ている。
 それは、フライがかなり酒好きな性格であることだった。既に、軍師のソレイユと何度も飲みに行っているらしい。最も、キョウコ自身も何度か共にお酒を飲み、その場で爆睡しているようだった。
「ソレイユは、禁酒令を出しておかないと」
「な、何かあったんですか?」
 事情を呑み込めていないフェミナが、尋ねてくる。ユリアンヌは苦笑しながら、事情を話した。
「確かに、禁酒令は必要ですね」
 フェミナが、納得したように頷く。
「向こうにはキーナちゃんもいるから、そんなに無理はできないと思うけど」
 ユリアンヌが呟く。その声は、いくらか心配そうだった。

 シアルとムーンが付き合い始めてから、四月が経過していた。表面上は、目立って変った所はない。毎日シアルが、ムーンを家に送って帰っているくらいだろう。ゆっくりとした付き合い方だった。とは言え、二人ともゆっくりの方が性に合っているのだろう。特に問題もなく、日々を過ごしていた。
 シアルの執務室が、緊張に包まれたのはそんな時である。これまでシアルたちの動きを静観していたゲン軍が動き出したとの報告が、入ったのだ。
 ツーマイとフライを中心としたトウカ、ムロ攻めが始める直前のことだった。
「ゲン軍は、キンセツとカイナの二方面から攻めようとしています」
 ムーンが告げる。シアルの執務室には、ムーンとフォール、そしてユリアンヌがやってきていた。ゲン軍の大将はそれぞれ、『開眼』バルドゥイノと『大刀』サコンである。どちらも、ゲン軍の将軍だ。
「両軍ともに、五万の軍勢を率いて出発するそうです」
 合計で、十万の軍勢だった。対して、シアルたちは二万の兵しか残っていない。
「まともに戦ったら、勝ち目はなさそうね」
 ユリアンヌが呟く。しかし、平然としていた。シアルたちのトウカ、ムロ攻めにあわせてゲン軍が動くことは予想済みだったためだ。
「私たちが、カイナ方面から来る敵を止めればいいわけですね」
 フォールがムーンに尋ねる。デムーラン城砦は、八万の軍勢を追い返したことがある。おまけに、その後キョウコが心血を注いで防御網を再構築していた。シダイナ川を渡った地点から、防御網が用意されている。それを、ゲン軍が突破するのに時間はかかるだろう。
 従って、カイナ方面から来る敵を全力で止めることが大事だと考えられていた。カイナはシダイナ川に面していることもあり、渡河はすぐに可能である。そこから、シーキンセツやミシロまで、ゲン軍を遮るものは存在しない。
「そうです」
 言いながら、ムーンは考え込む表情をしていた。
「何か、気になることでもあるんでしょうか?」
「バルドゥイノ軍が、五万しかいないことです。一度、八万でも追い返されているのに今度は五万です。おまけに、こちらが防御を再構築する時間があったことは、向こうも知っているはずです」
「何かしら、策がありそうですね」
「まあ、無策ではないな」
 フォールの言葉に、シアルが頷く。ムーンが、再び口を開いた。
「デムーラン城砦にいる兵を足止めする目的だけならいいのですが、そのために五万を出すとは考えにくいですし。今、他方面から攻めてくる部隊がないかを調べてもらっています」
「転移の術で、いきなりやってくる可能性もあるでしょうしね」
 ユリアンヌが告げる。フォールが、険しい表情になる。
「他に、考えられる策はどのようなものが?」
「現時点では、絞りきれません。それこそ、ユリアンヌさんが発言したように転移の術を使う可能性もありますし、バルドゥイノ軍が不意に進路を変え、サコンの軍と合流する可能性もあります。いずれにせよ、カイナから渡ってくるサコンの軍を早急に叩く必要があるでしょう」
「わかりました。シーキンセツの軍は、すぐにでも出発しましょう。トウカとムロ攻めはどうしますか?」
「これまで通り、実行したいと思います」
「わかりました」
 フォールが頷く。シアルに向き直った。
「シアルさん。ずっと、あなたの騎馬隊と共に戦いたいと思っていたんです」
「それは光栄だな」
 シアルが答える。フォールは軽く頭を下げた。
「よろしくお願いします」

 コトキの兵たちが、慌ただしく動いていた。ゲン軍の侵攻を受け、コトキの兵も迎撃に向かうことになったためだ。ミシロとコトキの両都市は、デムーラン城砦に残るアニマ隊とベオウルフの六千で守りきることになっていた。指揮は、軍師であるキョウコが行う。
 デムーラン城砦の総隊長であるユリアンヌは、射撃隊を率いてカイナから来るゲン軍を迎え撃つことになっていた。コトキからも、太守であるオドリックと、アルゥーンダの軍が出陣する。
 更に、シーキンセツからフォールの軍が合流することになっていた。唯一、セイン率いる遊撃隊だけが、どちらの戦線にも加われるような地点に向かうこととなっている。
総勢で、二万ほどの軍勢だった。ゲン軍の半分以下である。しかし、シアル軍にはダニエルを始め、リシアやアニマなど一騎当千の強者たちが混じっている。
 軍師も、ムーンとソレイユの二人体制だった。トウカ、ムロ攻めの方はドレイクが軍師として向かうことになっている。
 ダニエルは、オドリックと共にアルゥーンダの部隊の訓練を行っていた。ダニエルのアラクネ訓練と並び、コトキ名物となっている球を利用した訓練だ。闘球と、呼ばれている。
「アルゥーンダにとっては、指揮官として初めての実戦だな」
 オドリックがダニエルを見ながら告げる。初夏の日差しを受け、その頭は光り輝いていた。
「今日も、輝いている」
 ダニエルが、満足そうに呟いた。オドリックが、真顔で頷く。
「日々、磨きをかけているからな。努力を怠れば、目に見える形で反映される。手を抜くわけにはいかない」
 オドリックの言葉にあわせ、頭頂部が煌めいていた。
「コトキの守備の関係もあって、あいつにはあまり多くの兵を任せることが出来なかったが、あいつは五千くらいの兵士なら、自在に操ることが出来る力を持っている。いずれ、モズメのように一軍を指揮するようになればな」
 オドリックが頷く。オドリックは、アルゥーンダを買っていた。それだけの実力を、アルゥーンダも見せている。今も、鋭い動きを見せて得点を入れていた。ダニエルも頷く。
「大きな戦いだからこそ、より成長してくれるだろう」
「後は、あいつが経験を積むだけだ。いい指揮官になってくれればと思っているよ」
 オドリックの頭が、燦然と輝く。
「なんやかんや、おれももう四十七だ。軍に居られるのも、あと十年くらいだろう。もちろん、若い者に道を譲ろうってわけじゃない。だが、アルゥーンダのように光るものを持っている人間にはおれを追い抜いてほしいものだ。おれが光るのは、頭だけだからな」
 エルダナーンであるダニエルと異なり、人間の寿命は短い。どこかで老いを感じることでも、あったのか。それとも、それくらいアルゥーンダに期待しているのか。
「ま、まだまだおれたちの時代だけどな。ダニエル、よろしく頼むぜ」
「おう、こちらこそ。いつまでも輝いていてくれよ」
「当然だ。日々、輝き続けられるよう邁進していくよ」
オドリックと共に、執務室に戻る。オドリックの頭は、いつものように輝いていた。
その夜、ダニエルが一人で休んでいると部屋を訪れる者がいた。アルゥーンダだ。
「ダニエル殿、おれは明日出発するのですが、その前に稽古をつけてくれませんか?」
 その声には、切実なものが混じっていた。
「疲れて、倒れない程度にな」
 アルゥーンダが頷く。
「ありがとうございます。以前、コトキが奇襲された時にロベルト殿を殺したあの女たちが、今回の戦いの中でまた出てくるかもしれないと思いまして」
 ブルーナとギセラのことだった。特に、ブルーナは雪夜軍と呼ばれる部隊を作っている。当初はただの暗殺部隊かと思われていたが、アニマが率いる影の軍と同じように諜報、攪乱なども各地で行うようになっていた。
 雪夜軍に加わっているものの、何人が『天使の羽根』と関わっているかはわからない。ただ、捕まえようとしてもその前に自害されてしまうため、全貌が掴めていなかった。
「その時のため、少しでも強くなっておきたいのです」
 アルゥーンダが告げる。二人は、訓練場へと向かった。
「まだおれは、ダニエル殿に手も足も出ませんね」
 一通り稽古の後、アルゥーンダが告げた。
「いつか、ダニエル殿から一本取れるようになりたいです」
 アルゥーンダが笑う。髯面だが、笑うと年齢相応の表情が見える。胸のあたりに、首から下げた木彫りの梟が見え隠れしていた。
「そのためにも、今度の戦いは生き延びないとな」
「そうですね」
 アルゥーンダが、神妙に頷いた。
「では、今日は急にもかかわらず稽古を引き受けて下さり、ありがとうございます。戦いが終わりましたら、また稽古をつけて下さい」
「いつでも、受けて立とう」
 ダニエルが頷く。アルゥーンダは一礼すると、去って行った。

 キンセツを出発したゲン軍に、変わった所はなかった。五万の軍勢で、着々と南下している。後二日もすれば、シダイナ川へと到着するだろう。
 意外な動きを見せたのは、カイナから出発したゲン軍だった。シアルたちを迎え撃つかのように、原野に宿営地を作り始めたのだ。まだ砦と言うほど堅固なところはないが、簡単な防御網も作り始めている。
 ミシロとコトキから出たシアル軍と、シーキンセツから出たフォール軍が合流したのは、その宿営地まで歩兵の足で一日ほどの地点だった。
「てっきり、ミシロかシーキンセツのどちらかに電撃戦を挑んでくると思ったが、まさか迎え撃ってくるとはな」
 軍議の場で、オドリックが皆に告げる。蝋燭の明かりから遠い場所にいるため、その頭から輝きは失われている。
「あの宿営地は、今なら壊しやすいですが、放っておけば立派な砦になりえますね。速めに潰しましょう」
 フォールも告げる。ムーンも頷く、ただ不安そうな顔をしていた。
「誘い込んでいるような感じだな」
 ソレイユが呟く。ユリアンヌも頷いた。
「読めないんです」
 ムーンが、考え込むように告げる。
「誘いの可能性もあるかもしれません。ゲン軍が、何故今になって砦を築こうとしているのか。確かに、砦を建設するには適しています。ミシロにもシーキンセツにも近い場所ですし、キンセツにいる軍と協力して背後を衝くことも容易になります。でも、それはわたしたちがデムーラン城砦を築いたときのように、もっと手出しをされにくい時期に作るべきです。これでは、わたしたちに壊せと言っているようなものなんですよ」
「時間稼ぎか」
 シアルが、呟く。
「しかし、だからと言って無視はできるのか?」
 そう尋ねたのは、オドリックだった。
「これが本当に誘いだとして、このまま砦になったら不味いのだろう」
「そうですね。その点では、本当に攻めるしかないかもしれません」
 ムーンが頷く。明朝の出発が、決まった。

 翌朝、オドリックとフォールが率いる歩兵隊を先頭に、シアルたちの軍が進んでいた。
 まもなく、ゲン軍が見えてくる。五万の軍が、鶴翼に広がっていた。二十騎ほど、飛竜も見える。サコン率いる龍騎兵たちだろう。
 シアルたちは、それぞれの部隊に分かれて行動を始めていた。本陣に残っているのはシアルとムーン、それにリシアくらいだった。
 そこに、影の軍の兵士を連れたアニマがやってくる。兵士は、血相を変えていた。
「東と西に、一万五千ずつの軍が隠れています!」
「なんだって?」
 シアルが驚く。その横で、リシアが冷静に頷く。
「囲まれましたね」
合計で三万の伏兵だった。しかし、目の前にサコンの軍は展開しきっている。どういうことなのか。
「宿営地」
 ムーンが呟く。
「わたしたちは、そこに砦を作るつもりだと思っていました。もちろん、長い目で見たらそれも正しかったでしょう。しかし、その真の目的は、兵を隠すため」
 そこに、ユリアンヌとソレイユがやってくる。ユリアンヌは、副官のフェミナも伴っていた。
「一杯食わされたわ」
 ユリアンヌが告げる。フェミナが、状況の説明を始めた。
「先ほど、わたしの部隊のもとにアニマさんの部下がやってきました。なんでも、伏兵の中にバルドゥイノらしき姿を認めたとのことです」
 どうやら、三万の伏兵は、バルドゥイノ軍のようだった。ムーンが、肩を落とす
「転移の術で、少しずつ兵をこちらに連れてきていたのでしょう。おそらく、今デムーラン城砦に向かっているバルドゥイノ軍は、見せかけを五万のようにしているだけ。もっと早く気付くべきでした」
「はまってしまった今となっては、考えても仕方ないでしょう」
「むしろ、どちらか片方でも大将首を取ることが出来れば、その方が楽ね」
 アニマとユリアンヌが、ムーンを励ますように声をかける。
「多数を相手にするのですから、こちらも軍略に則り、各個撃破と行きましょう」
「そうですね。ここはアニマさんのおっしゃる通り、各個撃破していきましょう。まずは、全力で伏兵を叩きます。バルドゥイノの居ない一万五千を狙いましょう。相手も伏兵から狙われるとは思っていないはずなので、多少は動揺するでしょう」
「そうね」
 リシアが頷く。ムーンが言葉を続ける。
「その後は、下がりましょう。ここに砦を建てられる危険はありますが、四倍の相手と野戦をするのは難しいです。唯一まともに勝負できる方法があるとすれば、それはユリアンヌさんがおっしゃったように、サコンかバルドゥイノを倒した時だけです」
 作戦が、決まった。この場にいないオドリックとフォールに連絡を取るべく、伝令が走っていく。開戦は、間もなくだった。

 本陣からの伝令を受けたオドリックが、難しい顔をしていた。
「どうしたんですか?」
 アルゥーンダが尋ねる。まだ戦闘前とのこともあり、ダニエルたちと簡単な話し合いをしていた。
「どうやら、伏兵がいるらしい。合計で、八万の軍勢になるそうだ」
 オドリックが告げる。
「我々はまず、右手に潜んでいる伏兵に戦いを仕掛ける。とは言え、辛い戦いになるな。乱戦になれば兵力の差が響いてくる」
「打開する手段はないんですか?」
「難しいな。指揮官であるサコンやバルドゥイノを倒すことが出来れば相手は崩れるかもしれないが、そもそもサコンやバルドゥイノに達することが難しい」
 オドリックの言葉に、アルゥーンダが考え込むように頷いた。
「まあ、今は難しいことを考える必要はない。右手にいる伏兵を強襲できれば、敵も崩れるかもしれん。アルゥーンダ、お前の部隊の者たちに出発の準備をさせろ」
 アルゥーンダが去って行く。オドリックが、ダニエルを見る。
「ダニエル、行くぞ」
「おう」
 ダニエルは頷いた。オドリックの頭が、太陽の光を受け輝いている。その光から、オドリックのこの戦いに対する意気込みをダニエルは感じていた。
 両軍の歩兵が、動き出す。フォールとオドリックの歩兵隊から、不意に二つの騎馬隊が飛び出した。フォールとキーナの騎馬隊である。二つの騎馬隊は、右に進路を向ける。そこに、一万五千の歩兵が迫っていた。騎馬たちと、歩兵がぶつかる。
 バルドゥイノ軍の歩兵たちは、急にぶつかられたことで動揺していた。そこを、フォールとオドリックの歩兵たちが押し始める。
 すぐに、サコンの軍の歩兵も出てきた。再度、両軍がぶつかり合う。乱戦になった。キーナとフォールの騎馬隊が、横から突入の機会を図っている。だが、サコン率いる龍騎隊が激しく動き回り、騎馬隊を近づけさせない。
 かといって、シアルたちは龍騎隊を止めることができない。高さが、足りないのだ。数少ない対抗手段として魔術があったが、シアル軍最高の魔術士であるドレイクは、サラマンダー・タカイと共にトウカを巡る戦いに参加していた。サラマンダーもまた、シアル軍では数少ない竜騎士であり、この戦闘に参加していれば何か変わったかもしれない。
 この戦場にいる軍としては、ユリアンヌの射撃隊だけがサコン軍の龍騎隊に対する脅威となりえたが、サコンもそこは心得ているようで、射撃隊の傍には近づかない。
 サコン一人に、軍の動きが防がれ始めていた。シアルたちが反撃の機を伺うが、サコンも隙を見せない。その時、戦場が輝いた。歩兵同士の乱戦の中でシアル軍が押し始める。オドリックと、ダニエルだ。オドリックの頭が煌めく度、力を振り絞るかのようにオドリック軍がゲン軍の兵を倒していく。
 おまけに、ダニエルが鬼神のように動いていた。乱戦に、穴が開く。その穴を中心に、シアル軍が盛り返し始めていた。
 だが、オドリックの頭から輝きが失われる。辺りを急な黒雲が覆ったかと思うと、雨が降り始めたのだ。その機をサコンは逃さなかった。オドリックの軍に、混乱が起こる。両手剣を軽々と振り回し、遮るものを両断しながらサコンはオドリックへと一気に肉薄した。遮るものは、誰もいない。
 危機に気付いたオドリックが、慌てて振り返ると、剣でサコンの両手剣を止めようとする。その剣が、根元から二つに折れた。
 サコンが反転し、オドリックへと再び近づく。何かが、跳んだ。アルゥーンダだ。斧を振りかざしながら、サコンへと飛び掛かっていく。
「させるか!」
 サコンが吠えると、アルゥーンダの胴を薙ぐ。同時に、アルゥーンダも斧を振り落していた。サコンの乗る騎竜の首が、飛んでいく。アルゥーンダと、サコンを乗せた竜の胴体が音を立てて地面に墜落した。共に、既に息がないことは明らかだった。唯一生きているのはサコンだ。自身の倍の長さを持つ両手剣を構え、近づくものを切り捨てながらオドリックへと向かって行く。その機動力は、竜に乗っていた時と比べる蟻の行軍のように遅々としていた。だが、誰もサコンを止めることができない。サコンの周りだけ、戦場に穴が開いていた。
 不意に、サコンが跳躍する。一気にオドリックとの距離が迫った。両手剣を振りかぶる。そこに、銃声が轟いた。ユリアンヌだ。サコンの動きが僅かに遅れる。その間に、オドリックは下がっていた。
 ユリアンヌと、サコンの目が合う。ユリアンヌはにっと笑った。サコンも、笑みを返す。元々サコンは、武人としての側面が強い人間だった。今もまた、シアルたちとの戦いを楽しもうとしているのかもしれない。
 ダニエルの鉄扇が振るわれる。サコンはそれを避けようとするが、ダニエルの鉄扇はその動きを先回りしたところに飛んできていた。だが、サコンもまた只者ではない。咄嗟に鎧を利用してその鉄扇の衝撃を緩和していた。
あの鎧がある限り、サコンにはまともに攻撃が入らないだろう。ユリアンヌはソレイユを見た。ソレイユが頷く。
 ソレイユの手に持つケセドの杖が輝いたかと思うと、それは神器たるカドケウスへと変化していた。それを振りかざしながら、ソレイユはシアルたちを支援する魔術を唱える。更に、腕輪が赤く輝いた。アーケンラーヴの加護が、ユリアンヌへと向けられる。
 ユリアンヌが、魔道銃を構えた。二発の銃声が鳴り響く。アーケンラーヴの加護を得た不可避の攻撃は、寸分違わずサコンに命中した。それも、鎧の留め金を吹き飛ばしている。サコンの鎧が外れ、地に落ちた。
「それでもう、あなたの鎧は役に立たない」
 ユリアンヌが呟く。
「ならば、攻撃を受ける前に倒せばいい」
 サコンが、両手剣を構える。身丈の倍はある両手剣だ。重さも、並ではない。しかし、サコンはまるで筆を動かすかのように軽々と両手剣を振るった。速い。武術の達人と言えど、躱すことは難しいだろう。
 ただ、リシアはただの武術の達人ではない。凄腕だ。大陸有数の武人はサコンの攻撃を見切ると、最低限の動きでそれを躱す。
 だが、ソレイユとダニエルはそうもいかない。岩をも軽々と両断する両手剣が迫る。そこに、アニマとクラメリアンに乗ったシアルが飛び込んで来た。
 アニマは人間離れした動きで刀を捌き、両手剣の軌道をソレイユから逸らす。シアルは、避けようとしない。代わりに、バルトマルクスを突き出した。シアルとサコンが、交差する。シアルの手に、確かな感触があった。
 もちろん、シアル自身も傷は負っている。しかし、咄嗟に出した盾を利用して、最低限の傷で切り抜けていた。
 そこに、もう一度。重たい斬撃が飛んできた。一撃目ほどではないが、並の武人では避けることはできない。ただ、ダニエルからすれば、それを避けるのは造作もないことだった。ソレイユは防御壁を作り出そうと杖を突きだす。だが、並の防御壁であれば瞬時に砕かれてしまうことは、容易に想像がついた。
「助けて、セバスチャン!」
 声に応じて、ソレイユのファミリアたるケットシーが現れる。
「任せて下さい、ご主人様」
 ケットシーが頷いた。二重の防御壁が、その場に作り出される。サコンの一撃が、そこに放たれた。障壁に罅が入る。だが、そこで止まった。
 そこにシアルが疾駆してくる。シアルの脳裏には、一年前のサコンが過ぎっていた。まだ、ゲンたちが反乱を起こす前、訓練のためにとムロに招かれたあの日のことだ。
 機会があれば、また手合わせしたい。全身から気力を滲ませながら、大柄なメディオンはそう告げていた。
 サコンが近づいてくる。
「こういう場で申し訳ないが、全力は出させてもらう」
 シアルは呟くと、サコンとの思い出を頭から振り払った。サコンにバルトマルクスを繰り出す。渾身の一撃だった。だが、サコンはそれを読んでいたかのようにその場から跳躍する。逆に、両手剣を突き出してきた。シアルは盾を突き出すと、それの一撃を受け流す。
 今のぶつかり合いでは、互いに怪我一つ負っていない。ただ、これまでシアルの渾身の一撃を躱した人間は、そういなかった。
「見事だ」
 シアルは呟くと、反転し再びサコンへと向かう。サコンは居合いをするかのように両手剣を構えていた。馳せ違う、サコンが、斬撃を放ってきた。真っ直ぐに、シアルの首を狙っている。シアルはクラメリアンから跳ぶと、その一撃を掻い潜るかのようにバルトマルクスを振りかぶった。
 流石にこの動きは、サコンの虚をついていたらしい。サコンの斬撃は空を切り、シアルの手には確かな感触が残った。更に、もう一発。バルトマルクスをかざすと、サコン目掛けて振るう。会心の一撃だった。だが、サコンの反応も早い。両手剣が目まぐるしく動いたかと思うとシアルの一撃を受け止める。鍔迫り合いが起きた。
 そこに、反転したクラメリアンが駆け戻ってくる。その馬蹴りをサコンは後ろに下がって躱した。その間に、シアルはクラメリアンに飛び乗っている。いい勝負だった。
 そこに、ダニエルとリシアが躍り込む。二人とも、目にもとまらぬ速さで自らの獲物を振っていた。サコンはどうにかリシアの一撃だけを躱す。気づけば、大分手負っていた。シアルとの戦いで、死力を尽くしたのかもしれない。
 そんなサコンの目の前に、アニマが現れた。にこやかな笑顔と共に、刀が三度振るわれる。
 三度目の斬撃と共に、サコンが地に倒れる。死んでいた。
「やった」
 アニマが、満足げに頷いていた。『神剣魔狼』ルードヴィッヒ以来の大将首である。

 サコンを倒したことで、ゲン軍が崩れていく。特に、正面にいたサコンの率いている軍の混乱が、酷かった。
 唯一、バルドゥイノ率いる軍だけが落ち着いている。殿につくと、整然と退却していった。
 シアル軍も、犠牲が大きかった。追撃するだけの力は、残っていない。特に、フォールが率いていた歩兵は、五千にまで減っていた。ほぼ、半減である。
 そして、アルゥーンダが死んでいた。この戦いで、アルゥーンダが果たした役割は大きい。サコンの騎竜を彼が切り殺したことで、勝利の機会が作られたのである。
「これは、堪えるな」
 オドリックが、ダニエルに語りかける。オドリックは、アルゥーンダに期待していた。いずれ、自分の歩兵隊を引き継がせたいと考えていたのかもしれない。アルゥーンダも、オドリックの期待に応えていた。
「しかも、おれを庇って死んだようなものだ。あそこで、あいつが飛び出さなければ、おれは死んでいた。なあ、ダニエル。何故おれが生きて奴が死んだんだろうな。奴の方が、未来はあったろうに」
「今の厳しい現状では、未来より現実だということだろう」
「そうか」
 ダニエルが呟く。その頭頂部から、輝きは失われている。雨が、降り始めていた。
「奴の分も、おれが生きるしかないか」
「戦争が終わるまで、生き続けろ」
 ダニエルが、オドリックを見据えながら答えた。
「そうだな。アルゥーンダは、短いながらも立派に生きた。奴に助けられたおれが死んでしまったら、奴も報われないからな」
 オドリックが、前を見る。その頭の上で、雨粒が跳ねていた。

 ミシロに戻ったシアルたちは、その他の戦線の話を聞いていた。デムーラン城砦に、バルドゥイノ軍が攻めてくることはついになかった。もともと、陽動だったのだろう。トウカとムロも、無事奪還していた。犠牲も、ほとんどなかったらしい。
 ただ、ムロにあるゲンの館を探ろうとした兵たちが、全滅していた。不意に大きな火の手が上がったとのことらしいが、状況は掴めない。
 被害の大きさから、ゲン軍の魔術師アクローマの仕業とも考えられたが、確かなことは分からなかった。
「トウカの指揮はツーマイさんに、ムロの指揮はフライさんにお願いしようと思っています」
 会議の場で、ムーンが告げる。誰からも、異論はなかった。
「我が軍の犠牲も大きかったですが、今回、ゲン軍の大将軍であるサコンを討ち取れたのは、大きなことです」
 ムーンが続ける。
「残りの主なゲン軍の将は、バルドゥイノだけ。ホウエン南西部はわたしたちの領土となりました。後は、カイナやカナズミを奪還するなどして、少しずつゲン軍を追い詰めていければと思っています。今回のような大きな戦は、一度か二度くらいでしょう。そこで勝てば、ゲン軍の反乱を終息させることが出来るはずです」
「そうすれば、もう一つの戦いに集中できる」
 不意に、レヴィンが発言した。
「『天使の羽根』か」
 オドリックが告げる。レヴィンは頷いた。シアルたち七人とムーン、レヴィン、オドリック、フォール、キョウコ、ツーマイ。この面々だけが『天使の羽根』の存在を知っていた。
「グランドラゴンの封印されている場所が、分かった。エントツ山だ。アニマの部下に頼んでエントツ山中を探してもらっている。そのうち、見つかるだろう。ゲン軍との戦いが終わった後、改めてグランドラゴンをどうするか、決めた方がいいかもしれないな」
「どうするか、と言うのは?」
 オドリックが、尋ねる。木彫りの梟を首から下げていた。アルゥーンダが身に付けていたものだろう。レヴィンがシアルを見た。
「倒すか、封印したままにしておくかだ。どうする、シアル? 倒すのは危険だが、倒すことが出来ればノームコプの危機を一つ、未然に防ぐことが出来る。封印したままの場合は、より厳重にするなど私たちの手で改良してもいいかもしれない」
「私一人では決められないな。これは、全員に尋ねたい。どうしたい?」
 シアルが、皆を見渡す。
「勝算があるなら倒してしまうべきだとわたしは思うわ。最も、その力が未知数過ぎて、何とも言えないけど」
 答えたのは、ユリアンヌだった。シアルが頷く。
「封印されるほどの魔獣だからな。果たして、いまの私たちでなんとかなるのかどうか」
「下手なことをすれば、わたしたちのせいでエントツ山周辺、いやそれ以上範囲が壊滅する恐れがあるわ」
「そうだな。倒せることにこしたことはないが、倒すのには危険が付きまとう。それだったら、確かに封印した方がいいかもしれない」
「ただ、封印するのも封印するので危険はあるのよね」
 レヴィンの言葉に、ユリアンヌが考え込む。リシアも、ユリアンヌの考えに同意していた。シアルが口を開く。
「出来ることなら封印させたままで済ませておきたいところだが、間違いなく暴こうとするやつが出てくるだろう」
「万が一にも『天使の羽根』の面々が暴いてごらんなさいよ。それこそ、ホウエンどころかヒロズ国全体に大きな災厄を及ぼすことになるわよ」
「こう言うのもなんだが、封をされた箱ほど開けたくなるものだろうしな」
「また、史料を探すしかないでしょう」
 そう告げたのはムーンだった。
「グランドラゴンに対抗する手段が多く見つかれば、倒せる可能性も増えてきます。例えば、もし我々が瑠璃色の首飾りを見つけることが出来れば、グランドラゴンを弱らせることが出来るようになります」
「弱らせるものがあれば、逆に強めるものもあるって考えた方が、妥当じゃないか」
 そう告げたのは、ソレイユだった。レヴィンがはっとした表情になる。
「そうかもしれない」
「例えば、これ」
 ソレイユが、右腕につけている真朱の腕輪を指さした。
「確かに」
 レヴィンが頷く。
「その腕輪は、海王ガラエドリルの力を弱らせるためのものだ。おそらく、強い火の精霊の力か何かが込められているのだろう。それを火山との関わりも深いグランドラゴンのもとに連れて行った際、グランドラゴンの力を強める可能性はあるだろう。最も、あくまで仮定の話だが」
 レヴィンが、皆を見渡した。
「私は少しでも多くの史料を探してみる」
「一度か二度は、現地に行くべきでしょうね」
「その通りだな、リシア。出来ることなら一度は見に行った方がいいだろう。ただ、我々が見に行くことで、『天使の羽根』が勘づく可能性がある。我々自身が見に行くことは難しいだろう。まずは、アニマの部下の報告を待つことにしよう」
「影の部隊ね」
 ユリアンヌが告げる。それ以降、真新しい話が出ることはなく、会議は終わった。

 会議の翌日、リシアはレヴィンの元を訪れていた。相談したいことが、あったためだ。
「一緒に頑張ってみようよ」
 リシアの提案に、レヴィンが腕を組みながら頷く。商会についての話だった。リシアは、以前から持っている資金に加え、ギセラとの戦いで得た黄金を利用して更に資金を潤沢なものとしていた。その財政は、ミシロとコトキの財政三年分にも及んでいる。その資金を利用して、商会を立ち上げようとの考えをリシアは持っていた。
「なるほど、商会を作るのか。確かに、ヒイが死んでからと言うもの、我々には休む暇がなかったからな。商会として軌道に乗れば、他のことに手を回す余裕も出てくるだろう。」
「ショウエンのためにも、何かしてあげたいし」
 ショウエンは、リシアのもとで少しずつ仕事を学んでいた。流石ヒイの弟だけのことはあり、物の流れを見通す力も持っている。そのうち、ヒイの行っていた商売のいくつかは任せられるようになりそうだった。
「そうすると、我々はミシロを中心に商会を作り上げるのもいいかもしれない。いや、ひょっとすると商売に限る必要はないかもしれないな。財団にするのはどうだろう」
 考えるリシアの隣で、レヴィンが言葉を続ける。
「我々が目を通さなければいけないことは、商売に限らないからな。それこそ、これから先グランドラゴンや海王ガラエドリルと立ち向かう日が来るだろう。それは商売ではない。ただ、我々はそこに手を回すべきだと思う」
「そうね」
 リシアが頷いた。
「それがいいかもね」
「分かった。では、我々は財団を立ち上げよう。名前はリシア財団でいいのかい?」
 突然の自分の名前に、リシアが苦笑する。それを、その名が嫌なのかと考えたレヴィンが、別の名前を提案してきた。
「それとも、ホットドッグ財団にする?」
「じゃあ、リシア財団で」
 即答だった。レヴィンが、首を傾げる。
「ホットドッグ、いい名前だとわたしはいつも思うんだけどな」
「ホットドッグは、あれだから」
 リシアが苦笑しながら答える。こうして、リシア財団の設立が決まった。詳しい設立方法を二人で話し合う。特に、目立った問題はなさそうであった。ただ、リシアもレヴィンもしばらく休めないだろう。
「これから忙しくなるけど、よろしくね」
 リシアがレヴィンに笑いかける。はっとするような笑顔だった。
「ああ、任せてくれ」
 レヴィンも、笑顔を見せて頷く。
「ま、荒事は任せたよ」
「代わりに、面倒な計算は任せたから」
 二人の目が合う、どちらからともなく、楽しそうに笑いだしていた。

 ユリアンヌは、一人デムーラン城砦を見回っていた。辺りは、既に夜である。デムーラン城砦は常に戦時の緊張を漂わせた場所だった。それでもやはり、戦いがない時は緩んでしまうものもいる。その緩みは、こうした夜にこそ出やすい。ユリアンヌは、辺りを見張りについている兵たちを見回っていた。
 今のところ、兵たちに緩みはない。城壁を見回っていると、隅の方に一人の女性が座り込んでいることに、ユリアンヌは気付いた。アニマだ。
「大将首までとったのに、随分と浮かない顔しているわね」
 ユリアンヌが話しかけると、アニマは体を大きく震わせ、跳び上がるかのように驚いた。珍しく、人の接近に気がつけなかったようだ。
「殺したくなんて、なかったんですよ」
 ユリアンヌがその場にいる理由を尋ねると、再び座り込んだアニマが呟く。その表情は、俯いたままで見ることはできない。
「弟を人質に取られていたんです。でも、その人はわたしも弟も救おうとしてくれて」
 アニマが、『天使の羽根』にいた時代の話なのだろう。アニムスが『天使の羽根』に囚われていたことを、ユリアンヌは聞いていた。
「弟を助け出そうとしてくれていたのに、でもわたしはそんなこと全然知らなくて」
しかし、全貌が掴めない。
「アニマちゃん、順を追って説明してくれるかしら」
「モミジさんの、お父さんです」
 ユリアンヌが尋ねると、アニマが俯いたまま答えた。
「わたしが、彼を殺しました」
 沈黙が、場を支配する。ユリアンヌは、少し迷った末に、口を開いた。
「随分と、ただ事ならない話ね。詳しく聞かせてくれないかしら」
 アニマが、自らの身の上から説明を始めた。孤児として、『天使の羽根』に拾われたこと。弟の身代わりとして、自らが実験体になったこと。弟が人質として取られており、嫌々ながらも任務に就かざるを得なかったこと。そんな折に出会ったモミジの父スプラが、事情を知ってアニムスを解放しようとしたこと。それに気づいた『天使の羽根』の命を受け、弟を守るためにとスプラを殺したこと。
「それは、仕方がないことだとは言いたくないけど」
「わたしは、卑怯者です」
 ユリアンヌがかける言葉を探していると、アニマが呟く。アニマの手の甲には、涙がいくつも落ちていた。
「過去を隠して、モミジさんと心地よい生活を享受しているんだから」
 アニマが、子どものように泣き始めた。ユリアンヌはアニマが落ち着くまでその隣に座り、静かに抱き締めていた。アニマが落ち着くと、ユリアンヌはアニマの瞳を見る。
「辛かったのね。でも、死んだ人間のことを思うことは、大切だと思うわ。だから、今こそあなたにこの言葉を贈るべきね。それも背負って、生きていきましょう」
 かつて、デムーランが死んだときにアニマがユリアンヌに告げた言葉だった。アニマの目が、僅かに大きくなる。その目にまた、涙が溜まってきた。ユリアンヌは、夜が明けるまで静かに泣き続けるアニマに付き添っていた。

 ホウエン南西部での、サコンとの戦いからひと月が経っていた。
「おい、ユリアンヌ、アニマ。ついに来たぞ」
 ユリアンヌの私室にやって来たセインが、二人に告げる。ちょうど、二人とも久しぶりの休日であり、話し合いをしていたところだった。二人とも、顔を見合わせると立ち上がる。セインの言葉の意味を、即座に理解したためだ。
「セイン、あんたの外套を貸しなさい。茂みに隠れるのに、これ以上相応しいものはないの」
 ユリアンヌが、にやりと笑って告げる。アニマが、小さな人形をユリアンヌに渡した。この人形を介して、ある程度の距離であれば自由に会話が行える。影の部隊で使われるものだった。
「わたしは、空から監視します」
「アニマちゃん、話が早くて助かるわ」
 三人は、転送石でミシロへと向かった。向かうや否や、アニマが蝶の羽を開き、大空へと向かう。
「良いか、アニマ。目的地はここだ」
 セインが告げた場所は、静かな食堂だった。アニマが、双眼鏡でその食堂の入り口を覗き込む。
「確かに、正面を確認しました」
 その入り口には、シアルとムーンの二人がいた。何かを話し合っている。そう、今日はシアルとムーンが二人揃って休みを取り、食事をしようとしていたのだ。二人が付き合いだして五か月近くなっているが、二人が休日揃って何かをするのは、今日が初めてのことである。
 その情報は光の速さで他の仲間たちへと伝わり、物好きな連中はわざわざ休みを合わせて見物に来ているのだった。もちろん、シアルとムーンはそのことを知らない。
「シアルさん、ここに入るんですよね?」
 食堂の入り口で、ムーンがシアルに尋ねていた。
「あら、いらっしゃい」
 夏場だと言うのに、分厚い服を着込んだ金髪の男が、二人の前に現れる。目は、色眼鏡で覆われていた。少し、聞き覚えのある声である。

「ビッグマム、非常事態です」
 空中から様子を眺めていたアニマが、慌てた様子でユリアンヌに告げる。
「バカが、乱入しています」
「え?」
 ユリアンヌが思わず、聞き返す。隣にいたセインが、アニマに尋ねた。
「どういうことだ、詳しく話を聞かせてくれ」
「ソ、ソレイユさんが」
 アニマは一度言葉を切った。
「店員です」
 ユリアンヌとセインは、思わず顔を見合わせた。
「あの、バカ」
 思わず、ユリアンヌが吐き捨てるように呟く。実は、ソレイユとキョウコの二人もこの一大事件に参加すべく、事前に店の場所を調べ上げていた。そして、店主に事情を話し一時的に店員となったのである。もちろん、店主は笑いながら承諾してくれた。
 変装は、キョウコによるものである。最も、キョウコ自身はその料理の才を活かすべく厨房に籠っており、実際に目の前に立っているのはソレイユだ。その格好は。怪しい。

「すみません、予約していたものですが」
 ムーンが、ソレイユに話しかける。どうやら、ソレイユに気付いていないらしい。
「こちらへどうぞ」
 ソレイユが、シアルとムーンを案内する。二人は、一礼するとソレイユの後について行った。奇蹟が、起きた瞬間である。
「二人とも、初々しいですね」
 ソレイユは、笑いを堪えながら二人を案内する。
「実は、二人でゆっくりするのは今日が初めてなんですよ」
 シアルもムーンも、全くソレイユに気付かなかった。部屋に案内される。
 ここで、困ったことが起きた。二人とも、緊張のあまり会話が続かないのだ。シアルに至っては、固まっている。
「こちらは、私からです」
 見かねたソレイユが、飲み物を差し出した。窓の方からまるでお見合いだ、とかすかな声が聞こえてきたが、緊張している二人は全く気付かない。
「それでは、ごゆっくり」
 ソレイユが去って行く。二人は、思わず顔を見合わせた。
「なんで、こんな優遇されているんだろうな」
「な、何か怖いものを感じますよね。わたし、窓の方から妙な視線を感じるんですよ」
 直後、窓の方から何かが飛び立つ音が聞こえた。ムーンが窓を開けるが、もちろん怪しいものはいない。
「確かに、先ほどの店員も、どこかで見たような気がするしな」
 シアルが首を傾げる。
「そうでしたか?」
「気がするだけなんだ」
「そう言えば」
 ムーンが、声を上げた。
「二人でどこかに出かける時、一般的にどうやって過ごすのか本で調べていたら、ユリアンヌさんが教えてくれたんですよ。ユリアンヌさんは、こうやって食事を二人ですればいいって言ってました」
 ムーンらしかった。昔から、分からないことがあると本で調べて解決しようとする。
「なるほど。ならば以前みたいな感じで、近況報告会も兼ねながらゆっくりしますか」
 シアルが告げる。ムーンも頷いた。
「でも、これだけだと、付き合い始める前と何も変わってないですよね」
 辺りから、息をのむ声が聞こえてきた。だが、二人とも気づかない。
「そうかもしれないな。だが、それはそれでいいんじゃないか」
「そうですね。世界には色々な方法でお付き合いされている方もいらっしゃると思いますし、わたしたちはわたしたちなりの付き合い方があるわけですしね」
 ムーンの言葉に、今度は辺りから安堵の呟きが漏れてきた。二人はやはり、気が付かない。
「ひと月たったことだし、祝勝会といきましょう。他のみんなは勝手にやっていたみたいだし」
 シアルが告げる。サコンとは、もう少し戦ってみたかったところが、シアルにはあった。別の形で会えば、まだ付き合いは続いていただろう。お互い、高め合うこともできただろう。少し、寂しさがこみ上げてきた。
「そうですね。二人で祝いましょう」
 二人が、杯をならす。外では、相変わらずソレイユとアニマがその様子を見守っていた。気温は、少し暑い。これからいよいよ、夏本番である。空も、青かった。
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