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D-4 後篇
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セッション内容 後篇
身動きが取れなかった。真綿で首を締め付けられているかのように、じわじわと追い詰められている。
原因はシアル軍だった。表だって、動いていたわけではない。だが、今回のヒワマキを巡る一連の攻防で、バルドゥイノを敗北に導いたのは紛れもなくシアル軍だった。
短期間にヒロズ国の領土を大きく取り戻したとして、ボックスはデイビスの方を高く評価しているらしい。次の将軍をデイビスにとの声もあがっている。
しかし、バルドゥイノもゲンも、デイビスの力だとは全く考えていない。
全ては、シアル軍なのだ。ヒワマキも、デイビス軍だけなら奪われてはいない。
雪夜軍の隙を衝いたシアル軍が、兵糧の大半を焼いたのだ。それによって、バルドゥイノ軍はヒワマキへの遠征ができずデイビス軍に奪還を許している。
今、バルドゥイノ軍がホウエン東部に侵攻しているデイビス軍を止めに行けないのも、シアル軍のせいだった。ボックスが進軍停止命令を解いたことで、シアル軍はいつでもキンセツを衝く体勢を整えている。
バルドゥイノは思わず、ため息をついた。目の前の男が、にやりと笑う。
「バルドゥイノ、顔が暗いぞ。今にも幸せが逃げていきそうな表情だ」
「お前が明るすぎるんだよ、ゲン」
少し呆れながら突っ込みを入れる。横にいるジェナーラも怒った顔をゲンに向けた。
「ゲン様。わたしもバルドゥイノ様に賛成です。今、ゲン軍の領土は徐々に奪われているんですよ」
だが、ゲンは気にした様子もない。水を一杯飲むと、口を開いた。戦時とのこともあり、酒は置いていないのだ。
「バルドゥイノもジェナーラも、何を言っているんだ。ここでおれとお前が沈んでいても何も生まれまい。なら、笑い飛ばして兵を訓練するなりシアル軍の戦い方を分析するなりした方がましだろう」
バルドゥイノは返す言葉に詰まった。それは、その通りなのだ。
「すみません、ゲン様。まさかそこまで深い考えがあるとは思わず、まこと失礼なことを言ってしまいました」
バルドゥイノの隣では、ジェナーラが泣きそうな表情で謝っている。
「おれだって何もしていないわけではない。シアル軍に陽動を何度もかけている」
キンセツに向かってくるシアル軍を迎撃する自信なら、バルドゥイノにはあった。
「だが、動かないだろう」
「その通りだ。そこで動く軍であれば、たやすく打ち負かせるんだがな。やはり、デイビス軍がホウエン東部を制圧するのを待っているのだろう」
デイビス軍はシアル軍と比べれば取るに足らない実力だが、警戒はすべきだった。何しろ、三万の軍である。
おまけに、シアル軍のキョウコが軍師としてついていた。キョウコには苦い思いがある。先の戦いで、賊徒のふりをしていた一軍の軍師をしていたのがキョウコだったのだ。
あの、丘全体を利用した石積みは、思い出すだけで肌が粟立ちそうになる。
「シアル軍とデイビス軍が合流すれば不安か。確かに、言いたいことはわかる」
ゲンが頷く。ただ、その声にはまだ余裕があった。
「だが、合流させたほうがいいだろう。離れたところで個別に戦うことの方が不安だ」
「しかし、兵の数が」
「兵の数が多い方が勝つなら、おれたちはシアル軍に勝っている。これまで、シアル軍の方が兵数で上回っていたことが一度でもあったか?」
「・・・そうだな」
バルドゥイノが頷くと、ゲンが驚いた顔をした。
「何か、分かったのか」
「いや、解決策は見つけていない。ただ、お前が言うことはすべてその通りだ。だとすれば、おれたちもシアル軍を見習うしかないと思ってな」
バルドゥイノの言葉に、ゲンが満足そうに頷く。
「今までは、シアル軍が挑戦者だと思っていた。だが、よく考えてみればその考えがおかしい。シアルたちの背後には、ヒロズ国がある。シアルの次には、バレーやカタストとも戦わなければいけない。おれたちが挑戦者なんだ」
ゲンとバルドゥイノはひとしきり笑うと、今後について策を練り始めた。
「そう言えば、ジェナーラはまだ護衛をしていて大丈夫なのか?」
バルドゥイノがゲンに訪ねる。ジェナーラは、ゲンとの間に子を成していた。年の瀬にでも、生まれるのだという。
「ああ。おれも不安だったんだが、ジェナーラが夏までは動けると言っていてな」
腹が目立ち始めるまでなのだろうか。そのあたりのことは、バルドゥイノにはよく分からなかった。
「まあ、本人が大丈夫ならいいんだが。ジェナーラ、無理はするなよ」
バルドゥイノの言葉に、ジェナーラが笑顔を見せる。
「心配なさらないでください。ゲン様の子ですからね。命に代えても、守り抜きますよ」
幸せそうな、笑顔だった。
原因はシアル軍だった。表だって、動いていたわけではない。だが、今回のヒワマキを巡る一連の攻防で、バルドゥイノを敗北に導いたのは紛れもなくシアル軍だった。
短期間にヒロズ国の領土を大きく取り戻したとして、ボックスはデイビスの方を高く評価しているらしい。次の将軍をデイビスにとの声もあがっている。
しかし、バルドゥイノもゲンも、デイビスの力だとは全く考えていない。
全ては、シアル軍なのだ。ヒワマキも、デイビス軍だけなら奪われてはいない。
雪夜軍の隙を衝いたシアル軍が、兵糧の大半を焼いたのだ。それによって、バルドゥイノ軍はヒワマキへの遠征ができずデイビス軍に奪還を許している。
今、バルドゥイノ軍がホウエン東部に侵攻しているデイビス軍を止めに行けないのも、シアル軍のせいだった。ボックスが進軍停止命令を解いたことで、シアル軍はいつでもキンセツを衝く体勢を整えている。
バルドゥイノは思わず、ため息をついた。目の前の男が、にやりと笑う。
「バルドゥイノ、顔が暗いぞ。今にも幸せが逃げていきそうな表情だ」
「お前が明るすぎるんだよ、ゲン」
少し呆れながら突っ込みを入れる。横にいるジェナーラも怒った顔をゲンに向けた。
「ゲン様。わたしもバルドゥイノ様に賛成です。今、ゲン軍の領土は徐々に奪われているんですよ」
だが、ゲンは気にした様子もない。水を一杯飲むと、口を開いた。戦時とのこともあり、酒は置いていないのだ。
「バルドゥイノもジェナーラも、何を言っているんだ。ここでおれとお前が沈んでいても何も生まれまい。なら、笑い飛ばして兵を訓練するなりシアル軍の戦い方を分析するなりした方がましだろう」
バルドゥイノは返す言葉に詰まった。それは、その通りなのだ。
「すみません、ゲン様。まさかそこまで深い考えがあるとは思わず、まこと失礼なことを言ってしまいました」
バルドゥイノの隣では、ジェナーラが泣きそうな表情で謝っている。
「おれだって何もしていないわけではない。シアル軍に陽動を何度もかけている」
キンセツに向かってくるシアル軍を迎撃する自信なら、バルドゥイノにはあった。
「だが、動かないだろう」
「その通りだ。そこで動く軍であれば、たやすく打ち負かせるんだがな。やはり、デイビス軍がホウエン東部を制圧するのを待っているのだろう」
デイビス軍はシアル軍と比べれば取るに足らない実力だが、警戒はすべきだった。何しろ、三万の軍である。
おまけに、シアル軍のキョウコが軍師としてついていた。キョウコには苦い思いがある。先の戦いで、賊徒のふりをしていた一軍の軍師をしていたのがキョウコだったのだ。
あの、丘全体を利用した石積みは、思い出すだけで肌が粟立ちそうになる。
「シアル軍とデイビス軍が合流すれば不安か。確かに、言いたいことはわかる」
ゲンが頷く。ただ、その声にはまだ余裕があった。
「だが、合流させたほうがいいだろう。離れたところで個別に戦うことの方が不安だ」
「しかし、兵の数が」
「兵の数が多い方が勝つなら、おれたちはシアル軍に勝っている。これまで、シアル軍の方が兵数で上回っていたことが一度でもあったか?」
「・・・そうだな」
バルドゥイノが頷くと、ゲンが驚いた顔をした。
「何か、分かったのか」
「いや、解決策は見つけていない。ただ、お前が言うことはすべてその通りだ。だとすれば、おれたちもシアル軍を見習うしかないと思ってな」
バルドゥイノの言葉に、ゲンが満足そうに頷く。
「今までは、シアル軍が挑戦者だと思っていた。だが、よく考えてみればその考えがおかしい。シアルたちの背後には、ヒロズ国がある。シアルの次には、バレーやカタストとも戦わなければいけない。おれたちが挑戦者なんだ」
ゲンとバルドゥイノはひとしきり笑うと、今後について策を練り始めた。
「そう言えば、ジェナーラはまだ護衛をしていて大丈夫なのか?」
バルドゥイノがゲンに訪ねる。ジェナーラは、ゲンとの間に子を成していた。年の瀬にでも、生まれるのだという。
「ああ。おれも不安だったんだが、ジェナーラが夏までは動けると言っていてな」
腹が目立ち始めるまでなのだろうか。そのあたりのことは、バルドゥイノにはよく分からなかった。
「まあ、本人が大丈夫ならいいんだが。ジェナーラ、無理はするなよ」
バルドゥイノの言葉に、ジェナーラが笑顔を見せる。
「心配なさらないでください。ゲン様の子ですからね。命に代えても、守り抜きますよ」
幸せそうな、笑顔だった。
赤と黒。あるいは、黒と赤。今のスタンダールのことだった。日に焼けて色黒になった肌の上に、黒い服を着込んでいることもあって、闇の中ではどこまでが肌なのか見分けがつかない。そして、赤い鉢巻を首から下げていた。戦時は、服の中にしまうのだと言う。
バルドゥイノとの戦いで死んだマリスが、赤い鉢巻で前髪を押さえていた。遺品として、その赤い鉢巻がスタンダールに譲られたこともダニエルは知っている。それと同じものなのかはわからないが、ある時からスタンダールは赤い鉢巻を身に付けるようになっていた。
本人はただのお洒落だと言っているが、信じている者はいない。
幸か不幸か、マリスを失ったことでスタンダールの動きは切れ味が出てきていた。以前のように、甘い判断をすることがなくなっている。これ以上、友を失いたくないとの思いが、そうさせているのだろうか。
「ダニエルの兄貴、今日はどうしたんですか?」
スタンダールは、訓練が終わった後の闘球場にいた。ただ走り回るだけではない。逆立ちで歩いたり、塀によじ登るとその上を走ったり、杭から杭に飛び移ったりと様々なことをしている。かつて、似たようなことをした男がいた。影の軍の創始者であるボルテック・フジワラだ。
スタンダール自身は体を鍛えようとしていただけだろう。ただ、彼が影の軍の創始者と同じような訓練を始めたことは、奇妙な一致が感じられた。
「今日はお前に一つ、提案があってな」
ダニエルがスタンダールに告げる。髪の左右を刈り込んでいたダニエルの髪形は、数か月の間に元に戻っていた。肩のあたりが刺々しい服装も、部屋の奥にしまっている。
「提案ですか?」
「影の軍は、知っているだろう」
ダニエルの言葉に、スタンダールが頷く
「名前は、聞いたことがあります。確か、アニマさんを隊長とする部隊で、攪乱や諜報を主に行っていると聞いたことがあります」
「そうだ。今、影の軍をまとめる奴を探している。影の軍は今、一部の仲間が移動することになってな。残った奴らをまとめる隊長としてお前を推薦したいんだが」
「おれが、影の軍の隊長ですか」
スタンダールは、喜びと言うより当惑の表情をしていた。
「おれで、いいんですか? 友を助けられなかった人間ですよ?」
「ああ、だからこそだ。甘いことも、言わなくなっただろう」
ダニエルの言葉に、スタンダールは頷く。
「わかりました。兄貴が望むような活躍が出来るかは分かりませんが、やりたいと思います」
ダニエルが影の軍との交流場所を伝えると、眩い光が訓練場に差し込んできた。
「行くのか、スタンダール」
オドリックだった。その頭は、第二の月のように輝いている。スタンダールが、振り返った。
「うわっ、まぶしっ」
「まあ、影の軍の所属となれば、すぐにでも会う機会はあるだろう。なあ、ダニエル」
「ああ、いつでもな。影の軍の仕事は大量にある。どこでだって、会えるだろう」
ダニエルの言葉に、オドリックが大きく頷く。スタンダールが、眩しそうにしながら口を開いた。
「では、兄貴とオドリック殿。おれは早速影の軍のところに行ってきます」
スタンダールの黒い姿は、すぐに闇に溶け込んでいく。オドリックがダニエルを見た。
「おれたちも戻るか、ダニエル」
「そうだな、オドリック」
ダニエルも頷くと、連れ立って外に出る。オドリックの頭が、月明かりを受け更に光を放ち始めた。
バルドゥイノとの戦いで死んだマリスが、赤い鉢巻で前髪を押さえていた。遺品として、その赤い鉢巻がスタンダールに譲られたこともダニエルは知っている。それと同じものなのかはわからないが、ある時からスタンダールは赤い鉢巻を身に付けるようになっていた。
本人はただのお洒落だと言っているが、信じている者はいない。
幸か不幸か、マリスを失ったことでスタンダールの動きは切れ味が出てきていた。以前のように、甘い判断をすることがなくなっている。これ以上、友を失いたくないとの思いが、そうさせているのだろうか。
「ダニエルの兄貴、今日はどうしたんですか?」
スタンダールは、訓練が終わった後の闘球場にいた。ただ走り回るだけではない。逆立ちで歩いたり、塀によじ登るとその上を走ったり、杭から杭に飛び移ったりと様々なことをしている。かつて、似たようなことをした男がいた。影の軍の創始者であるボルテック・フジワラだ。
スタンダール自身は体を鍛えようとしていただけだろう。ただ、彼が影の軍の創始者と同じような訓練を始めたことは、奇妙な一致が感じられた。
「今日はお前に一つ、提案があってな」
ダニエルがスタンダールに告げる。髪の左右を刈り込んでいたダニエルの髪形は、数か月の間に元に戻っていた。肩のあたりが刺々しい服装も、部屋の奥にしまっている。
「提案ですか?」
「影の軍は、知っているだろう」
ダニエルの言葉に、スタンダールが頷く
「名前は、聞いたことがあります。確か、アニマさんを隊長とする部隊で、攪乱や諜報を主に行っていると聞いたことがあります」
「そうだ。今、影の軍をまとめる奴を探している。影の軍は今、一部の仲間が移動することになってな。残った奴らをまとめる隊長としてお前を推薦したいんだが」
「おれが、影の軍の隊長ですか」
スタンダールは、喜びと言うより当惑の表情をしていた。
「おれで、いいんですか? 友を助けられなかった人間ですよ?」
「ああ、だからこそだ。甘いことも、言わなくなっただろう」
ダニエルの言葉に、スタンダールは頷く。
「わかりました。兄貴が望むような活躍が出来るかは分かりませんが、やりたいと思います」
ダニエルが影の軍との交流場所を伝えると、眩い光が訓練場に差し込んできた。
「行くのか、スタンダール」
オドリックだった。その頭は、第二の月のように輝いている。スタンダールが、振り返った。
「うわっ、まぶしっ」
「まあ、影の軍の所属となれば、すぐにでも会う機会はあるだろう。なあ、ダニエル」
「ああ、いつでもな。影の軍の仕事は大量にある。どこでだって、会えるだろう」
ダニエルの言葉に、オドリックが大きく頷く。スタンダールが、眩しそうにしながら口を開いた。
「では、兄貴とオドリック殿。おれは早速影の軍のところに行ってきます」
スタンダールの黒い姿は、すぐに闇に溶け込んでいく。オドリックがダニエルを見た。
「おれたちも戻るか、ダニエル」
「そうだな、オドリック」
ダニエルも頷くと、連れ立って外に出る。オドリックの頭が、月明かりを受け更に光を放ち始めた。
デムーラン城砦に、キョウコが戻ってきた。と言っても、ミシロにいるシアルとムーンにデイビス軍の現状を報告するついでであり、すぐに戻るのだと言う。
キョウコが軍師として助言していることもあって、デイビス軍は順調にホウエン東部の諸都市を奪還していた。この調子で行けば、年内にはホウエン東部をヒロズ国のものに出来る公算が高いと言う。
ただ、キョウコがデイビス軍と共に行動しているため、デムーラン城砦から軍師がいなくなっていた。短い期間ならそれでも構わなかったが、数か月にも渡ると支障が出ることも増えてくる。そこで、キョウコの推薦もあってドレイクが一時的に軍師として赴任してきていた。
もちろん、飛龍軍の自称隊長であるサラマンダーも一緒である。賑やかな性格もあって、既にデムーラン城砦では独特の地位を築いていた。
ゴサリンとコダマの二人は、ミシロに残している。最近、コダマはリシアとレヴィンの家に行くことが増えていた。どうやら、古代の文字を本格的に調べているらしい。魔術の技術も着実に上達している。ただ、特徴的な口調だけは変わっていなかった。
「ドレイクさん、ユリアンヌさん。お久しぶりです。お二人の顔が見たくなりまして」
キョウコは、短く切った髪の毛が少しずつ伸びてきていた。首元まで切っていた髪が肩にかかるまでになっている。赤茶に染めていた髪も、もとの金髪に戻っていた。
「キョウコちゃん、傷の具合は?」
ユリアンヌが尋ねると、キョウコは怪我をした左腹部を見せてきた。ソレイユが治療したと話しており、今ではどこを怪我したのかもわからないほどまでになっている。
「お蔭様で、良くなりました。ドクターワリオさんが中々許可を出してくれなくて、五月くらいまではミシロにいたんですけどね」
ただ、まだ本調子ではないらしい。二月に渡って休んでいたので、仕方のないところもあるだろう。今も、休み休み軍務についているようだった。それでも、キョウコの表情からは疲れが感じ取れる。
「どこかで見たような疲れた顔ね」
ユリアンヌの言葉に、キョウコが苦笑する。
「デイビスさんからも休むように言われていますし、なるべく休もうとは思っているんですけどね。敵地なのですんなりと休めないんですよ。いつも、奇襲を警戒してばかりですし。おまけに、今は攻城のための重装部隊を作っているところなので、その訓練が大変で」
キョウコが、城壁に身を傾けながら告げる。そのまま、寝てしまいそうだった。
「執務室は空けてあるから、とりあえず休んでらっしゃい」
ユリアンヌが優しく声をかける。キョウコも頷いた。
「そうさせていただけると、嬉しいです。一応、デイビスさんからは明日までに帰ってくればいいと言われていますし」
「一日ゆっくり養生なさい」
「分かりました」
そう答えたが、キョウコの瞼は重い。間もなく、肩を壁に付けると眠り始めてしまった。
部屋に運んだ方がいいのかもしれない。ただ、一つ問題があった。ユリアンヌとドレイクでは、体格のいいキョウコを運べないのである。
ユリアンヌたちが頭を抱えていると、キョウコが何か呟き始めた。寝言だろうか。はっきりしない言葉を行っている。
「ソレイユ」
不意に、はっきりとした言葉でキョウコが呟いた。ユリアンヌとドレイクが困惑していると、キョウコが目を覚ます。
「あ、ごめんなさい。部屋で寝ます」
どうやら、寝言の内容は覚えていないようだった。そのまま、執務室へと向かうため階段を下りていく。
「嵐はまだ起きそうね、ドレイク」
キョウコを見送りながら、ユリアンヌが呟く。ドレイクは静かに頷いていた。
キョウコが軍師として助言していることもあって、デイビス軍は順調にホウエン東部の諸都市を奪還していた。この調子で行けば、年内にはホウエン東部をヒロズ国のものに出来る公算が高いと言う。
ただ、キョウコがデイビス軍と共に行動しているため、デムーラン城砦から軍師がいなくなっていた。短い期間ならそれでも構わなかったが、数か月にも渡ると支障が出ることも増えてくる。そこで、キョウコの推薦もあってドレイクが一時的に軍師として赴任してきていた。
もちろん、飛龍軍の自称隊長であるサラマンダーも一緒である。賑やかな性格もあって、既にデムーラン城砦では独特の地位を築いていた。
ゴサリンとコダマの二人は、ミシロに残している。最近、コダマはリシアとレヴィンの家に行くことが増えていた。どうやら、古代の文字を本格的に調べているらしい。魔術の技術も着実に上達している。ただ、特徴的な口調だけは変わっていなかった。
「ドレイクさん、ユリアンヌさん。お久しぶりです。お二人の顔が見たくなりまして」
キョウコは、短く切った髪の毛が少しずつ伸びてきていた。首元まで切っていた髪が肩にかかるまでになっている。赤茶に染めていた髪も、もとの金髪に戻っていた。
「キョウコちゃん、傷の具合は?」
ユリアンヌが尋ねると、キョウコは怪我をした左腹部を見せてきた。ソレイユが治療したと話しており、今ではどこを怪我したのかもわからないほどまでになっている。
「お蔭様で、良くなりました。ドクターワリオさんが中々許可を出してくれなくて、五月くらいまではミシロにいたんですけどね」
ただ、まだ本調子ではないらしい。二月に渡って休んでいたので、仕方のないところもあるだろう。今も、休み休み軍務についているようだった。それでも、キョウコの表情からは疲れが感じ取れる。
「どこかで見たような疲れた顔ね」
ユリアンヌの言葉に、キョウコが苦笑する。
「デイビスさんからも休むように言われていますし、なるべく休もうとは思っているんですけどね。敵地なのですんなりと休めないんですよ。いつも、奇襲を警戒してばかりですし。おまけに、今は攻城のための重装部隊を作っているところなので、その訓練が大変で」
キョウコが、城壁に身を傾けながら告げる。そのまま、寝てしまいそうだった。
「執務室は空けてあるから、とりあえず休んでらっしゃい」
ユリアンヌが優しく声をかける。キョウコも頷いた。
「そうさせていただけると、嬉しいです。一応、デイビスさんからは明日までに帰ってくればいいと言われていますし」
「一日ゆっくり養生なさい」
「分かりました」
そう答えたが、キョウコの瞼は重い。間もなく、肩を壁に付けると眠り始めてしまった。
部屋に運んだ方がいいのかもしれない。ただ、一つ問題があった。ユリアンヌとドレイクでは、体格のいいキョウコを運べないのである。
ユリアンヌたちが頭を抱えていると、キョウコが何か呟き始めた。寝言だろうか。はっきりしない言葉を行っている。
「ソレイユ」
不意に、はっきりとした言葉でキョウコが呟いた。ユリアンヌとドレイクが困惑していると、キョウコが目を覚ます。
「あ、ごめんなさい。部屋で寝ます」
どうやら、寝言の内容は覚えていないようだった。そのまま、執務室へと向かうため階段を下りていく。
「嵐はまだ起きそうね、ドレイク」
キョウコを見送りながら、ユリアンヌが呟く。ドレイクは静かに頷いていた。
シアルたちのもとにデイビス軍の使者と称してキョウコがやってきたのは、秋も終わりに差し掛かったころだった。
デイビス軍は順調に進軍を続けている。時に、キョウコが軍師として着任してからの進軍速度は目を見張るほどだった。
ホウエン東部の大都市、ミナモの奪還こそ僅かに手間取っていたが、それでも九月には陥落させている。現在、デイビス軍はカイナに向かっていた。そこさえ奪還できれば、ホウエン東部はヒロズ国が取り戻したことになる。
しかし、それだけにゲン軍も堅牢な守りを築いていることが予想された。キョウコがやってきたのも、カイナ奪還に向けた話し合いを行うためだろう。
「カイナ攻めについて、提案があります」
キョウコが告げる。その場にいるのはシアルの他、ムーンとイオだけだった。
「挟撃ですか?」
ムーンが尋ねる。キョウコが頷いた。
「カイナにいるゲン軍は、デイビス軍からの侵攻に備えて東側の守りを厚くしていますが、他の方角はそこまででもありません」
そう告げるキョウコの顔色は、蒼ざめていた。体調が優れないと聞いている。目に隈こそないが、その表情からはかつてのムーンが思い起こされた。
デイビス軍に着任してから、たった一人の軍師として休む暇もなく働き続けていることが原因だろう。おまけに、ミナモなど街を攻める際は攻城兵器を持つ重装部隊を率いて戦っていた。
「分かりました。では、フォールさんの軍を派遣することになると思います」
相談の末、ムーンが告げる。キョウコも頷いた。
「詳しい話は、また使者を送ることになると思います。それまで、キョウコさんはデイビスさんの補佐をお願いします」
「任せてください。ムーンさん」
キョウコがムーンに笑いかける。やはり、どこか生気が足りなかった。
「キョウコ、大丈夫かな」
キョウコが去った後、イオが呟く。
「あれは、大丈夫ではないな」
シアルが首を横に振って答える。出来ることなら、無理やりにでも休ませたかった。しかし、キョウコも昔のムーンと同じで、休もうとしたがらないだろう。イオもため息をついた。
「そうですよね。もともと丈夫なんですけどね。キョウコは」
「キョウコさんが自分の目で見ないといけないところが多いんだと思います。わたしも、シアルさんがいなかったら過労で死んでしまったかもしれません」
ムーンが真面目な顔で頷く。本当に、その通りだった。
「今は、シアルさんのお蔭でしっかり眠れていますしね。目の隈も減ってきましたし、最近は血色がよくなったって言われるんですよ」
「常人は目の下にあんな隈を作らないからな」
シアルの呟きはムーンに届かなかったようで、ムーンが幸せに満ちた表情をイオに向けている。イオが、僅かにげんなりとした。だが、ムーンは全く気付かずシアルの良いところを述べ始める。近くで聞いているシアルが恥ずかしくなるような、惚気だった。
「はっ、すみません。シアルさんが素敵過ぎて、つい」
「ムーンさん。仮にあなたがキョウコだったら、今頃蹴り飛ばしていますよ」
イオが呆れた声で告げる。ムーンが顔を真っ赤にしながらイオに謝っていた。
シアルたちの連絡を受けたフォールがやってきたのは、その翌日のことである。
「では、私がソレイユさんと共にカイナへと向かえばいいわけですね」
フォールは頷くと、シアルを見る。
「カイナを奪還すれば、次はいよいよキンセツですね」
バルドゥイノ軍本隊が待ち受けている。激戦が予想された。
「また、シアルさんと共に戦うのを楽しみにしています」
「ああ、よろしく頼む」
シアルが告げる。しばらく、ムーンも加えた三人で話し合いが行われた。
「では、これで」
フォールが部屋から出ていく。ムーンとイオが、部屋に残っていた。そろそろ昼時である
「ご飯、一緒に食べに行きますか?」
ムーンが尋ねる。シアルが頷く。
「昼時だしな。行きますか」
三人で席を立つ。晴れた秋空のもと、ミシロの街は今日も賑わっていた。
デイビス軍は順調に進軍を続けている。時に、キョウコが軍師として着任してからの進軍速度は目を見張るほどだった。
ホウエン東部の大都市、ミナモの奪還こそ僅かに手間取っていたが、それでも九月には陥落させている。現在、デイビス軍はカイナに向かっていた。そこさえ奪還できれば、ホウエン東部はヒロズ国が取り戻したことになる。
しかし、それだけにゲン軍も堅牢な守りを築いていることが予想された。キョウコがやってきたのも、カイナ奪還に向けた話し合いを行うためだろう。
「カイナ攻めについて、提案があります」
キョウコが告げる。その場にいるのはシアルの他、ムーンとイオだけだった。
「挟撃ですか?」
ムーンが尋ねる。キョウコが頷いた。
「カイナにいるゲン軍は、デイビス軍からの侵攻に備えて東側の守りを厚くしていますが、他の方角はそこまででもありません」
そう告げるキョウコの顔色は、蒼ざめていた。体調が優れないと聞いている。目に隈こそないが、その表情からはかつてのムーンが思い起こされた。
デイビス軍に着任してから、たった一人の軍師として休む暇もなく働き続けていることが原因だろう。おまけに、ミナモなど街を攻める際は攻城兵器を持つ重装部隊を率いて戦っていた。
「分かりました。では、フォールさんの軍を派遣することになると思います」
相談の末、ムーンが告げる。キョウコも頷いた。
「詳しい話は、また使者を送ることになると思います。それまで、キョウコさんはデイビスさんの補佐をお願いします」
「任せてください。ムーンさん」
キョウコがムーンに笑いかける。やはり、どこか生気が足りなかった。
「キョウコ、大丈夫かな」
キョウコが去った後、イオが呟く。
「あれは、大丈夫ではないな」
シアルが首を横に振って答える。出来ることなら、無理やりにでも休ませたかった。しかし、キョウコも昔のムーンと同じで、休もうとしたがらないだろう。イオもため息をついた。
「そうですよね。もともと丈夫なんですけどね。キョウコは」
「キョウコさんが自分の目で見ないといけないところが多いんだと思います。わたしも、シアルさんがいなかったら過労で死んでしまったかもしれません」
ムーンが真面目な顔で頷く。本当に、その通りだった。
「今は、シアルさんのお蔭でしっかり眠れていますしね。目の隈も減ってきましたし、最近は血色がよくなったって言われるんですよ」
「常人は目の下にあんな隈を作らないからな」
シアルの呟きはムーンに届かなかったようで、ムーンが幸せに満ちた表情をイオに向けている。イオが、僅かにげんなりとした。だが、ムーンは全く気付かずシアルの良いところを述べ始める。近くで聞いているシアルが恥ずかしくなるような、惚気だった。
「はっ、すみません。シアルさんが素敵過ぎて、つい」
「ムーンさん。仮にあなたがキョウコだったら、今頃蹴り飛ばしていますよ」
イオが呆れた声で告げる。ムーンが顔を真っ赤にしながらイオに謝っていた。
シアルたちの連絡を受けたフォールがやってきたのは、その翌日のことである。
「では、私がソレイユさんと共にカイナへと向かえばいいわけですね」
フォールは頷くと、シアルを見る。
「カイナを奪還すれば、次はいよいよキンセツですね」
バルドゥイノ軍本隊が待ち受けている。激戦が予想された。
「また、シアルさんと共に戦うのを楽しみにしています」
「ああ、よろしく頼む」
シアルが告げる。しばらく、ムーンも加えた三人で話し合いが行われた。
「では、これで」
フォールが部屋から出ていく。ムーンとイオが、部屋に残っていた。そろそろ昼時である
「ご飯、一緒に食べに行きますか?」
ムーンが尋ねる。シアルが頷く。
「昼時だしな。行きますか」
三人で席を立つ。晴れた秋空のもと、ミシロの街は今日も賑わっていた。
息を潜めるように、カイナへと近づいていた。もう何日も前から、準備していたことである。
ソレイユとフォールは、デイビス軍と協力してカイナ攻めを行うことになっていた。
カイナにいる兵は一万ほどだが、士気は高い。おまけに、カナズミを守っていたはずのディー=フェンスが守将として堅牢な守りを築いていた。しかし、ディー=フェンスの意識は全てデイビス軍に向けられている。背後から気づかれずに強襲すれば、カイナを落とすことは十分に可能だと考えていた。
ただ、カイナとシーキンセツの間にはシダイナ川が横たわっている。どこで渡河するかが、この戦いの一つの鍵となっていた。
「何名ほどを、渡河させる予定ですか?」
尋ねてきたのは、スタンダールだった。最近、影の軍の隊長となったばかりのアンスロックである。
「二千を予定しています。騎馬も、百ほど」
フォールの言葉に、スタンダールが考え込む。
「それでしたら、この地点から渡りましょう。ちょうど、背丈の高い葦が多く生えているので、船を隠しやすいです。後は夜陰に紛れて一気に渡河しましょう」
「なるほど、それが一番良さそうですね」
フォールが頷く。カイナから徒歩で一日ほどのところだった。
「船はこちらで手配しておくので、心配はしないでください」
そう告げると、スタンダールは去っていった。
「我々も、行きましょうか」
フォールが告げる。そこから、ソレイユとフォールは兵を動かし始めた。ディー=フェンスの目を逸らすためである。
まず、訓練をシーキンセツ東の平原で何度も行った。かつてゲン軍にいたサコンが、仮の拠点を置こうとしたあたりである。
もともと、そこにはカイナから来るゲン軍に備えるためと称して千の兵を待機させていた。
そこに、訓練の度に二百、三百と密かに兵を預けている。サコンが、万の兵を駐屯させるための拠点を作っていたので、多少兵が増えても気づかれない。
二千の兵がそこに駐屯した時、フォールは密かに兵を出し始めた。
今、駐屯地には二百程度の兵しか残っていない。ただ、遠目には分からないだろう。
それに、砦からは網の目のように斥候を派遣しており、絶えずゲン軍の動向を見張っていた。
フォールとソレイユは出立ぎりぎりまでシーキンセツに残り、兵を待機させてある場所へと向かう。兵と共に、転移の術が使える人間を二人用意していたのだ。合流したのは、夕方だった。
「ソレイユさん、フォールさん。お待ちしていました。今のところ、ゲン軍に目立った動きはないようです。斥候も、特に異常は見つけていません」
先行していたキーナが報告してくる。今回、騎馬も百騎ほど同行することになっていた。その指揮を、キーナが任されている。これから、夜通し移動して渡河地点へと向かうことになっていた。
「ソレイユさん、キーナさん。行きましょう」
フォールがソレイユに告げる。一日かけて、渡河地点へとたどり着いた。シダイナ川の下流域だけあって、川幅が広い。対岸が、辛うじて見えるほどである。おまけに、人の背丈ほどの葦がいくつも生えていて、川と岸の区別がほとんど分からなかった。そこに、スタンダールと部下たちが待っている。
「お待ちしていました」
スタンダールは、夜陰に紛れるような黒い服を着ていた。用心のため明かりはつけていないが、全くの暗闇でもない。月明かりがあるのだ。
「それにしても、奇襲を担当するのがフォール殿やソレイユ殿でよかったです」
スタンダールがにやりと笑いながら告げる。
「オドリック殿だったら、月の光を受けて頭が自己主張しちゃいますからね。奇襲もなにも、あったもんじゃないですよ」
「確かにやつは心強いが、奇襲となるとな」
ソレイユが同意する。隣で、フォールが苦笑していた。スタンダールが船着き場へとソレイユたちを案内する。スタンダールは、何艘もの船を準備していた。それを、葦を利用して遠目には分からないよう隠している。
「では、渡りましょう。対岸は、他の部下たちが既に安全を確かめています。ディー=フェンスはデイビス軍が来る東側ばかりに兵を出しているので、こちら側は問題なさそうでした。雪夜軍の動きも、ありません」
スタンダールが言葉を続ける。
「船は二十艘ほど用意してあります。一艘に兵は十人、騎馬は乗り手も入れて二騎は同時に運べます」
「少し時間がかかりますね」
キーナが、困った顔をする。
「兵は、泳いで渡ることはできませんか?」
フォールが尋ねる。スタンダールは頷いた。
「北に一時間ほど歩いたところに、中洲があります。そこを経由していけばそこまで泳がなくても渡れるかと思います」
「では、騎馬隊以外の面々はそれで渡りましょう。武具だけは船で輸送する形で」
「わかりました、フォール殿。先に騎馬を渡して、北の方に危険がないかどうかだけは見張っておきます。それに、対岸には間もなくリシアの姉御とアニマ隊長が来るそうなので、多少の荒事なら対応できると思います」
「ソレイユさんは騎馬隊と共に行動してもらってもいいですか?」
フォールが尋ねる。ソレイユが頷くと、すぐに移動が始まった。キーナが、ソレイユに話しかけてきた。
「ソレイユさん、わたしと同じ船に乗っていただいていいですか。その方が、何かあった時に守りやすいです」
「ああ、頼りにしている」
「わたしも、ソレイユさんの防御壁を頼りにしています」
キーナが微笑んだ。
「この場の総指揮官はソレイユさんなので、何かあった際はすぐにわたしに教えてください。わたしは、頭で考えるのは苦手なので」
ソレイユとキーナは、二順目に乗ることになっていた。船は、そこまで大きくない。キーナとソレイユ、それにもう一人の隊員と二頭の馬が乗るとほとんど空いている場所はなくなった。それでも、所狭しと歩兵たちの武具が積まれ出す。漕ぎ手が二人乗ると、出発となった。
「ソレイユさんは、泳げますか?」
船が動き出してすぐ、キーナが尋ねてくる。ソレイユは頷いた。
「人並みにはな」
「わたし、泳ぎ方を習わなかったので、よくわからないんですよね」
ミシロは近くに大きな川がない。無理もないことだった。仮に泳げたとしても、十一月の川だ。いくら暖かいホウエンでも、寒いだろう。
「おれも人並みに泳げるとは言え、教えられるかはわからないからな。とは言え、おれで良ければ、戦いが落ち着いたら教えようか?」
「そうなんですか? 是非お願いします」
キーナが嬉しそうに顔を綻ばせる。
「この歳にもなってまだ泳げないって、ちょっと言いにくいじゃないですか」
「でも、お前ミシロから出たことなかったんだろう。仕方がないって。まあ、でも泳げないよりは泳げる方がいいよな」
「そうですね。今日のところはハイドラントが泳げるみたいなので、万一の場合はこの子に頼らないとですね」
キーナが愛馬の鼻を撫でながら告げる。ハイドラントと名付けたのは、レテらしい。レテのことを思い出したのか、キーナの表情が曇る。
「そう言えば、もうレテさんが亡くなってから二年以上も経つんですよね」
「ああ、そうだな」
ソレイユは頷くと、座って夜空を仰ぐ。瞼を閉じれば、今でもレテの姿を思い出すことが出来た。こっちは上手くやっている。心の中で、レテに言葉を送る。キーナも、ソレイユの隣に座った。
「わたしは、駄目です。いつまでもレテさんがいないことを引きずってしまって」
「まだ引き摺っちまうのはしょうがないさ。おれだってまだ悲しいし、悔しいさ」
ソレイユが答える。夜空を見上げていたソレイユとは異なり、キーナは船底を見つめていた。
「わたしがあの時、レテさんの傍にいたからって何かできたかは分かりません。でも、身代わりくらいなら」
「それは違う」
いつになく強い声でソレイユが答える。その声色に驚いたのか、キーナが目を丸くしてソレイユを見た。
「頼むから、そう言うことは二度と言わないでくれ」
「わ、わかりました」
キーナが頷く。その後、静かに首を横に振った。
「でも、ソレイユさん。わたしはいざと言う時にはあなたの身代わりにはなるつもりです」
「そうさせないために、おれがいるんだからよ」
ソレイユはキーナの瞳を正面から見据える。
「おれたち二人ならどこまでも一緒に行けるし、どちらかが欠けることもない。絶対に一緒だ。死なせやしない。おれも、死なない」
キーナの顔が、幸せそうな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。わたしもあなたのことは死なせませんし、わたしも死にません」
キーナが力強く頷く。ソレイユは再び夜空を見上げた。キーナも、つられたように空を見る。
「月が綺麗だな。キーナ」
ソレイユが静かに呟く。ただ、川が静かなこともあって、その声は十分キーナに届いていた。
「今はこうやって任務でここにきているが、平和になったらこうやって二人で川に繰り出さないか?」
「そうですね」
キーナも笑顔で頷く。
「この前見たセキチク沿岸の岩場も綺麗でしたし、綺麗な場所を色々と見て歩きたいですね」
「ああ、そうだ。二人」
ソレイユがそこまで話した時だった。
銃声が鳴り響いた。それも、立て続けに二度。ソレイユが防御壁を張ったお蔭で、一発は防ぐことができたが、もう一発は防ぎきれない。木が裂ける音が聞こえる。見れば、漕ぎ手の持つ櫂が割れていた。
「まずい、船体に穴も開いた」
もう一人の乗り手が叫ぶ。しかし、銃弾程度でそこまで致命的な穴が開くのだろうか。
「ちょうどこの間、板で補修した箇所がある。その塞いだ後を、綺麗に割りやがった」
それは、不味かった。
「このままでは、舵を切れなくなる可能性が高い。そうなる前に、飛び込んでくれ。櫂が割れたのも痛い」
見事な射撃の腕だった。櫂と板を同時に撃ち抜くほどの射撃の腕前を持っている。それも、スタンダール率いる影の軍が想像もつかないほどの遠距離から銃撃できる人間だ。それが出来る人間は、ゲン軍に一人しかいないだろう。
「どうやら、泳ぐしかなさそうだな」
ソレイユがキーナに告げる。キーナは困り果てた顔をしていた。
「お、泳ぐんですか?」
キーナは泳げなかった。
「おれが何とかする」
ソレイユが告げる。その時、ソレイユは非常用に自分が持っていた薄い上着の存在を思い出した。魔術が施されており、それを着た人間が浮くことが出来るという上着である。
「お前、これを着て馬に乗れ!」
ソレイユが慌てて上着を差し出す。キーナがすぐさまそれを着こんでいく。キーナの体が、宙に浮いた。
「えっ、こ、これ、なんですか?」
キーナが驚きの声を上げている。
「急いで、馬に乗ってくれ!」
ソレイユの言葉を受け、キーナがハイドラントに乗る。ハイドラントも浮き上がった。幸い、ハイドラントは度胸のある馬だったらしい。さして驚くこともなく、現状を受け入れている。
「ソレイユさん」
キーナがソレイユに手を伸ばす。ソレイユが手を掴むと、一気にハイドラントの背に引き上げられた。
再度、銃声がなる。ソレイユは落ち着いて防御壁を作った。幸い、浮いたこともあって見通しは良くなっている。
月明かりもあるため、しばらくは受け止めきれるかもしれない。対岸にはリシアとアニマがいる。どちらも、大陸有数の武人なのだ。彼女たちなら、この危機に気付いてくれているだろう。
「急いで対岸に向かいます」
キーナがソレイユに告げる。ソレイユは頷いた。
ソレイユとフォールは、デイビス軍と協力してカイナ攻めを行うことになっていた。
カイナにいる兵は一万ほどだが、士気は高い。おまけに、カナズミを守っていたはずのディー=フェンスが守将として堅牢な守りを築いていた。しかし、ディー=フェンスの意識は全てデイビス軍に向けられている。背後から気づかれずに強襲すれば、カイナを落とすことは十分に可能だと考えていた。
ただ、カイナとシーキンセツの間にはシダイナ川が横たわっている。どこで渡河するかが、この戦いの一つの鍵となっていた。
「何名ほどを、渡河させる予定ですか?」
尋ねてきたのは、スタンダールだった。最近、影の軍の隊長となったばかりのアンスロックである。
「二千を予定しています。騎馬も、百ほど」
フォールの言葉に、スタンダールが考え込む。
「それでしたら、この地点から渡りましょう。ちょうど、背丈の高い葦が多く生えているので、船を隠しやすいです。後は夜陰に紛れて一気に渡河しましょう」
「なるほど、それが一番良さそうですね」
フォールが頷く。カイナから徒歩で一日ほどのところだった。
「船はこちらで手配しておくので、心配はしないでください」
そう告げると、スタンダールは去っていった。
「我々も、行きましょうか」
フォールが告げる。そこから、ソレイユとフォールは兵を動かし始めた。ディー=フェンスの目を逸らすためである。
まず、訓練をシーキンセツ東の平原で何度も行った。かつてゲン軍にいたサコンが、仮の拠点を置こうとしたあたりである。
もともと、そこにはカイナから来るゲン軍に備えるためと称して千の兵を待機させていた。
そこに、訓練の度に二百、三百と密かに兵を預けている。サコンが、万の兵を駐屯させるための拠点を作っていたので、多少兵が増えても気づかれない。
二千の兵がそこに駐屯した時、フォールは密かに兵を出し始めた。
今、駐屯地には二百程度の兵しか残っていない。ただ、遠目には分からないだろう。
それに、砦からは網の目のように斥候を派遣しており、絶えずゲン軍の動向を見張っていた。
フォールとソレイユは出立ぎりぎりまでシーキンセツに残り、兵を待機させてある場所へと向かう。兵と共に、転移の術が使える人間を二人用意していたのだ。合流したのは、夕方だった。
「ソレイユさん、フォールさん。お待ちしていました。今のところ、ゲン軍に目立った動きはないようです。斥候も、特に異常は見つけていません」
先行していたキーナが報告してくる。今回、騎馬も百騎ほど同行することになっていた。その指揮を、キーナが任されている。これから、夜通し移動して渡河地点へと向かうことになっていた。
「ソレイユさん、キーナさん。行きましょう」
フォールがソレイユに告げる。一日かけて、渡河地点へとたどり着いた。シダイナ川の下流域だけあって、川幅が広い。対岸が、辛うじて見えるほどである。おまけに、人の背丈ほどの葦がいくつも生えていて、川と岸の区別がほとんど分からなかった。そこに、スタンダールと部下たちが待っている。
「お待ちしていました」
スタンダールは、夜陰に紛れるような黒い服を着ていた。用心のため明かりはつけていないが、全くの暗闇でもない。月明かりがあるのだ。
「それにしても、奇襲を担当するのがフォール殿やソレイユ殿でよかったです」
スタンダールがにやりと笑いながら告げる。
「オドリック殿だったら、月の光を受けて頭が自己主張しちゃいますからね。奇襲もなにも、あったもんじゃないですよ」
「確かにやつは心強いが、奇襲となるとな」
ソレイユが同意する。隣で、フォールが苦笑していた。スタンダールが船着き場へとソレイユたちを案内する。スタンダールは、何艘もの船を準備していた。それを、葦を利用して遠目には分からないよう隠している。
「では、渡りましょう。対岸は、他の部下たちが既に安全を確かめています。ディー=フェンスはデイビス軍が来る東側ばかりに兵を出しているので、こちら側は問題なさそうでした。雪夜軍の動きも、ありません」
スタンダールが言葉を続ける。
「船は二十艘ほど用意してあります。一艘に兵は十人、騎馬は乗り手も入れて二騎は同時に運べます」
「少し時間がかかりますね」
キーナが、困った顔をする。
「兵は、泳いで渡ることはできませんか?」
フォールが尋ねる。スタンダールは頷いた。
「北に一時間ほど歩いたところに、中洲があります。そこを経由していけばそこまで泳がなくても渡れるかと思います」
「では、騎馬隊以外の面々はそれで渡りましょう。武具だけは船で輸送する形で」
「わかりました、フォール殿。先に騎馬を渡して、北の方に危険がないかどうかだけは見張っておきます。それに、対岸には間もなくリシアの姉御とアニマ隊長が来るそうなので、多少の荒事なら対応できると思います」
「ソレイユさんは騎馬隊と共に行動してもらってもいいですか?」
フォールが尋ねる。ソレイユが頷くと、すぐに移動が始まった。キーナが、ソレイユに話しかけてきた。
「ソレイユさん、わたしと同じ船に乗っていただいていいですか。その方が、何かあった時に守りやすいです」
「ああ、頼りにしている」
「わたしも、ソレイユさんの防御壁を頼りにしています」
キーナが微笑んだ。
「この場の総指揮官はソレイユさんなので、何かあった際はすぐにわたしに教えてください。わたしは、頭で考えるのは苦手なので」
ソレイユとキーナは、二順目に乗ることになっていた。船は、そこまで大きくない。キーナとソレイユ、それにもう一人の隊員と二頭の馬が乗るとほとんど空いている場所はなくなった。それでも、所狭しと歩兵たちの武具が積まれ出す。漕ぎ手が二人乗ると、出発となった。
「ソレイユさんは、泳げますか?」
船が動き出してすぐ、キーナが尋ねてくる。ソレイユは頷いた。
「人並みにはな」
「わたし、泳ぎ方を習わなかったので、よくわからないんですよね」
ミシロは近くに大きな川がない。無理もないことだった。仮に泳げたとしても、十一月の川だ。いくら暖かいホウエンでも、寒いだろう。
「おれも人並みに泳げるとは言え、教えられるかはわからないからな。とは言え、おれで良ければ、戦いが落ち着いたら教えようか?」
「そうなんですか? 是非お願いします」
キーナが嬉しそうに顔を綻ばせる。
「この歳にもなってまだ泳げないって、ちょっと言いにくいじゃないですか」
「でも、お前ミシロから出たことなかったんだろう。仕方がないって。まあ、でも泳げないよりは泳げる方がいいよな」
「そうですね。今日のところはハイドラントが泳げるみたいなので、万一の場合はこの子に頼らないとですね」
キーナが愛馬の鼻を撫でながら告げる。ハイドラントと名付けたのは、レテらしい。レテのことを思い出したのか、キーナの表情が曇る。
「そう言えば、もうレテさんが亡くなってから二年以上も経つんですよね」
「ああ、そうだな」
ソレイユは頷くと、座って夜空を仰ぐ。瞼を閉じれば、今でもレテの姿を思い出すことが出来た。こっちは上手くやっている。心の中で、レテに言葉を送る。キーナも、ソレイユの隣に座った。
「わたしは、駄目です。いつまでもレテさんがいないことを引きずってしまって」
「まだ引き摺っちまうのはしょうがないさ。おれだってまだ悲しいし、悔しいさ」
ソレイユが答える。夜空を見上げていたソレイユとは異なり、キーナは船底を見つめていた。
「わたしがあの時、レテさんの傍にいたからって何かできたかは分かりません。でも、身代わりくらいなら」
「それは違う」
いつになく強い声でソレイユが答える。その声色に驚いたのか、キーナが目を丸くしてソレイユを見た。
「頼むから、そう言うことは二度と言わないでくれ」
「わ、わかりました」
キーナが頷く。その後、静かに首を横に振った。
「でも、ソレイユさん。わたしはいざと言う時にはあなたの身代わりにはなるつもりです」
「そうさせないために、おれがいるんだからよ」
ソレイユはキーナの瞳を正面から見据える。
「おれたち二人ならどこまでも一緒に行けるし、どちらかが欠けることもない。絶対に一緒だ。死なせやしない。おれも、死なない」
キーナの顔が、幸せそうな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。わたしもあなたのことは死なせませんし、わたしも死にません」
キーナが力強く頷く。ソレイユは再び夜空を見上げた。キーナも、つられたように空を見る。
「月が綺麗だな。キーナ」
ソレイユが静かに呟く。ただ、川が静かなこともあって、その声は十分キーナに届いていた。
「今はこうやって任務でここにきているが、平和になったらこうやって二人で川に繰り出さないか?」
「そうですね」
キーナも笑顔で頷く。
「この前見たセキチク沿岸の岩場も綺麗でしたし、綺麗な場所を色々と見て歩きたいですね」
「ああ、そうだ。二人」
ソレイユがそこまで話した時だった。
銃声が鳴り響いた。それも、立て続けに二度。ソレイユが防御壁を張ったお蔭で、一発は防ぐことができたが、もう一発は防ぎきれない。木が裂ける音が聞こえる。見れば、漕ぎ手の持つ櫂が割れていた。
「まずい、船体に穴も開いた」
もう一人の乗り手が叫ぶ。しかし、銃弾程度でそこまで致命的な穴が開くのだろうか。
「ちょうどこの間、板で補修した箇所がある。その塞いだ後を、綺麗に割りやがった」
それは、不味かった。
「このままでは、舵を切れなくなる可能性が高い。そうなる前に、飛び込んでくれ。櫂が割れたのも痛い」
見事な射撃の腕だった。櫂と板を同時に撃ち抜くほどの射撃の腕前を持っている。それも、スタンダール率いる影の軍が想像もつかないほどの遠距離から銃撃できる人間だ。それが出来る人間は、ゲン軍に一人しかいないだろう。
「どうやら、泳ぐしかなさそうだな」
ソレイユがキーナに告げる。キーナは困り果てた顔をしていた。
「お、泳ぐんですか?」
キーナは泳げなかった。
「おれが何とかする」
ソレイユが告げる。その時、ソレイユは非常用に自分が持っていた薄い上着の存在を思い出した。魔術が施されており、それを着た人間が浮くことが出来るという上着である。
「お前、これを着て馬に乗れ!」
ソレイユが慌てて上着を差し出す。キーナがすぐさまそれを着こんでいく。キーナの体が、宙に浮いた。
「えっ、こ、これ、なんですか?」
キーナが驚きの声を上げている。
「急いで、馬に乗ってくれ!」
ソレイユの言葉を受け、キーナがハイドラントに乗る。ハイドラントも浮き上がった。幸い、ハイドラントは度胸のある馬だったらしい。さして驚くこともなく、現状を受け入れている。
「ソレイユさん」
キーナがソレイユに手を伸ばす。ソレイユが手を掴むと、一気にハイドラントの背に引き上げられた。
再度、銃声がなる。ソレイユは落ち着いて防御壁を作った。幸い、浮いたこともあって見通しは良くなっている。
月明かりもあるため、しばらくは受け止めきれるかもしれない。対岸にはリシアとアニマがいる。どちらも、大陸有数の武人なのだ。彼女たちなら、この危機に気付いてくれているだろう。
「急いで対岸に向かいます」
キーナがソレイユに告げる。ソレイユは頷いた。
シダイナ川の近くへとやってきたリシアとアニマが感じたのは、微かな殺気である。ただ、レヴィンは当然として影の軍出身の財団職員も気づいていない。かなりの腕前の持ち主のようだった。
「感じましたか?」
アニマがリシアに尋ねる。リシアが頷いた。
「また、あれかな」
「みなさん気づいていないようですし、とりあえずわたしたちで様子を見に行きましょうか?」
「そうね」
二人が話していると、傍で聞いていたレヴィンが口を開いた。
「私たちは、どうすればいい?」
「ひとまず警戒して、移動できる準備をしておいてください」
アニマの言葉に、レヴィンが肩を竦める。
「わかった、任せてくれ。相手がポメロだったら勝てる自信があるんだけどな」
「レヴィンさん、あなたは何もしないでください」
「はい、わかりました」
レヴィンを残し、リシアとアニマは走り出した。間もなく、銃声が聞こえてくる。
リシアたちを狙ったものでないことは、肌で分かった。おまけに、放たれた弾から殺気が感じられない。ただ、銃声が聞こえたあたりからは殺気が隠しきれず漂っていた。
何度か銃声が聞こえた後、不意に殺気がこちらへと向く。
その時にはもう、リシアもアニマも彼らの目の前にやってきていた。
「これはこれは」
ブルーナだった。横には、銃を身構えたバルドゥイノもいる。バルドゥイノが口を開いた。
「負けだな、ブルーナ」
「どうでしょうね」
ブルーナは不敵な笑みを見せている。
「あなたがバルドゥイノさんですね?」
アニマが確認するように尋ねる。バルドゥイノは頷いた。バルドゥイノからは、殺気は感じられない。
「ああ」
「わたしたちに、何か御用ですか?」
「いや、おれはもう負けたと思っている。引退した狙撃手であるおれを使おうとした時点で、ブルーナもおれも負けていたわけだからな。おれはもう、何をされても文句は言えないと思っている」
「そちらのあなたもそうですか?」
アニマがブルーナに確認する。ブルーナはため息をついた。ブルーナからは、殺気が失われていない。ただ、それはどちらかと言えば隣にいるバルドゥイノに向けられていた。
「まあ、確かに、この状況は厳しいかもしれませんね。ただ、わたしたちもこういったものを持っているので」
転送石だった。それを使って、ブルーナとバルドゥイノが去っていく。
「あ」
アニマが呟く。リシアも首を左右に振った。
「行ってしまった」
「問答無用で切りかかればよかった」
頭を抱えるアニマの隣で、リシアが首を傾げる。
「なんのために、あの二人は出てきたんでしょうか?」
「偵察ですかね」
「それにしては、随分と殺気があったような」
話し合っている二人の耳に、川を渡ろうとしていたソレイユたちの混乱が聞こえてきた。
「リシアさん、ソレイユさんの声が聞こえますね」
「そう言えば、ちょうど川を渡っていましたね」
二人は、のんびりとした口調で話し合っている。
「リシアの姉御、隊長!」
そこに、慌てた顔でスタンダールがやってきた。かなりの距離を走ってきたのか、色黒の顔が紅潮している。赤と黒だった。
「どうしました?」
「すみません」
二人が尋ねると、スタンダールが土下座してきた。
「まずは、状況を教えてください」
「ソレイユ殿が、襲われました」
リシアとアニマが顔を見合わせる。
「行きましょう」
二人が駆けだしていく。幸い、ソレイユたちは既に川を渡り切っていた。ブルーナとバルドゥイノの狙いが、彼らだったようだ。
「ところでソレイユさん、さっき馬が浮いていたような気がするんですが」
アニマが尋ねる。ソレイユは苦笑した。
「それは、まあ、女性を水に濡らすわけにはいかなかったからな」
ソレイユの近くで、キーナが泣いている。
「どうしたんですか、キーナさん。お腹が痛いんですか?」
それに気づいたアニマが、慌てて駆け寄っていく。
「私は駄目です。また、ソレイユさんにご迷惑をかけてしまいました」
「ソレイユさん、迷惑だったんですか?」
アニマが尋ねる。ソレイユは苦笑した。
「いや、そんなことはないが」
「キーナさん、そのような事実は確認されていません」
「でも、ソレイユさんは貴重な上着をわたしに貸してくださいました。そのお蔭でわたしは飛べましたが、ソレイユさんはわたしの後ろにしがみついていたので動きにくかったと思います。わたしがいなかったらソレイユさんはもっと自在に動けたと思いますし」
「それくらい、あなたのことが心配だったんでしょ」
リシアも会話に入ってくる。アニマも頷いた
「それは、ソレイユさんが自力で飛べないことが悪いんです」
アニマの言葉にあわせ、ハイドラントが嘶いた。
「ほら、馬もそうだって言っていますよ」
「そうだ、おれが飛べないことが悪いんだ」
ソレイユも頷く。キーナは泣きながら苦笑していた。
「オルニス以外の人間は、飛べないじゃないですか」
キーナを励ましていると、別に渡河していたフォールたちが合流してきた。
「何があったんですか? こっちは何も情報が増えなくて」
アニマが告げる。リシアも頷いた。
「私たち歩兵隊は北の中洲から上陸していたんですが、どうやら本来の手順で渡河していた騎馬隊が襲われたようですね」
フォールのもとには、スタンダールの部下から情報が伝わっていたらしい。
「ただ、どうやら襲っていたのはブルーナとバルドゥイノの二人だけだったらしく、それはリシアさんとアニマさんのお二方が撃退してくださいましたね」
リシアとアニマが目を合わせる。
「ひょっとして、わたしたち救世主?」
「頑張ったね」
アニマの言葉に、リシアが頷く。
「まあ、戦ってはいないけど」
「そうだね。ただちょっと走っただけ」
「なるべく気づかれないように動いていたのですが、察知されてしまったんでしょうかね。ただ、少し気になるところはあります」
フォールが首を傾げながら、言葉を続ける。
「何故騎馬隊を狙ったかです。歩兵部隊は渡河が遅かったとはいえ、ほぼ丸腰で動いています。壊滅させるなら我々を狙った方が良かったと思うんですよね」
その通りだった。それにもかかわらず騎馬隊を狙ったのは何故なのか。
「機動力を封じたかってことじゃないですかね?」
「馬が邪魔だったのかも」
アニマとリシアの言葉に、フォールが頷く。
「そうかもしれません。馬が失われれば、奇襲も難しくなります」
あるいは、とフォールが続ける。
「ソレイユさんを狙ったんでしょうか」
リシアとアニマがはっとした表情を浮かべる。
「狙われる覚えはないんだけどな」
一人、ソレイユだけは首を傾げていた。自分が狙われている理由が、理解できないようだ。アニマが懐から『藍色の珠』を取り出し、ソレイユに見せる。
「これか」
ソレイユも合点が言ったようで、自らがつけている『真朱の腕輪』を見つめた。
「ソレイユ、あなたは結構重要人物だからね」
リシアが苦笑しながら告げる。アニマが首を捻った。
「でも、ソレイユさんを狙撃して倒してしまったら、その遺体は河に落ちるわけですよね。海まで流れれば、その腕輪は海の藻屑に」
「それくらいは探すんじゃないかな」
「そうなんですかね、リシアさん」
「その価値はあるよ」
アニマの言葉に、リシアは苦笑し続けていた。
「そう言えば、あの時もおれを狙ってきたようなものだったからな」
ソレイユが呟く。ソレイユは、デオッチーのもとを訪れた時のことを思い出していた。
「ソレイユさん、狙われているならもっとみんなに言ってくださいよ」
アニマとリシアに念を押される。
「しかし、デオッチーが亡くなったのはおれのせいのようなものだしな」
「いえ、デオッチーさんが亡くなったのは、あなたのせいではないと思いますよ」
ソレイユの言葉に、アニマが首を横に振る。
「これからはどうしますか?」
いつの間にか近くにやって来ていたスタンダールが尋ねてくる。色黒の体は、闇に馴染んでいた。
「スタンダールさん、今のところカイナのディー=フェンス軍はどうしていますか?」
「まだ、目立った動きはなさそうです。とはいえ、先ほどの襲撃からして、ここに我々がいることは気づかれていそうですが」
フォールは考え込む表情を見せた。
「ひとまず、前に出ましょう。スタンダールさん。ディー=フェンスの動きを調べてください。こちらに向けた構えを見せているのでしたら、こちらも陣を構えます。そうでないのなら、強襲します。いずれにせよ、デイビス軍にも連絡をしてください。ソレイユさん、それで問題ないですか?」
「ああ、問題ない」
ソレイユが頷く。
「リシアさんとアニマさんもありがとうございます」
「いえいえ、これがお仕事ですから」
アニマがにこやかに笑って告げる。
「この間は無断で休んで絞られましたしね」
「ああ、そう言えばユリアンヌさんに怒られていましたよね」
フォールが苦笑しながら答える。
「今回はお二方の活躍のおかげで、ほとんど被害も出さずに済みました。では、補給を受けたら我々は行きます。ソレイユさん、動けますか?」
「ああ、すぐに行こう」
フォールたちが出発していく。夜明けまでは、まだ少し時間があった。
「感じましたか?」
アニマがリシアに尋ねる。リシアが頷いた。
「また、あれかな」
「みなさん気づいていないようですし、とりあえずわたしたちで様子を見に行きましょうか?」
「そうね」
二人が話していると、傍で聞いていたレヴィンが口を開いた。
「私たちは、どうすればいい?」
「ひとまず警戒して、移動できる準備をしておいてください」
アニマの言葉に、レヴィンが肩を竦める。
「わかった、任せてくれ。相手がポメロだったら勝てる自信があるんだけどな」
「レヴィンさん、あなたは何もしないでください」
「はい、わかりました」
レヴィンを残し、リシアとアニマは走り出した。間もなく、銃声が聞こえてくる。
リシアたちを狙ったものでないことは、肌で分かった。おまけに、放たれた弾から殺気が感じられない。ただ、銃声が聞こえたあたりからは殺気が隠しきれず漂っていた。
何度か銃声が聞こえた後、不意に殺気がこちらへと向く。
その時にはもう、リシアもアニマも彼らの目の前にやってきていた。
「これはこれは」
ブルーナだった。横には、銃を身構えたバルドゥイノもいる。バルドゥイノが口を開いた。
「負けだな、ブルーナ」
「どうでしょうね」
ブルーナは不敵な笑みを見せている。
「あなたがバルドゥイノさんですね?」
アニマが確認するように尋ねる。バルドゥイノは頷いた。バルドゥイノからは、殺気は感じられない。
「ああ」
「わたしたちに、何か御用ですか?」
「いや、おれはもう負けたと思っている。引退した狙撃手であるおれを使おうとした時点で、ブルーナもおれも負けていたわけだからな。おれはもう、何をされても文句は言えないと思っている」
「そちらのあなたもそうですか?」
アニマがブルーナに確認する。ブルーナはため息をついた。ブルーナからは、殺気が失われていない。ただ、それはどちらかと言えば隣にいるバルドゥイノに向けられていた。
「まあ、確かに、この状況は厳しいかもしれませんね。ただ、わたしたちもこういったものを持っているので」
転送石だった。それを使って、ブルーナとバルドゥイノが去っていく。
「あ」
アニマが呟く。リシアも首を左右に振った。
「行ってしまった」
「問答無用で切りかかればよかった」
頭を抱えるアニマの隣で、リシアが首を傾げる。
「なんのために、あの二人は出てきたんでしょうか?」
「偵察ですかね」
「それにしては、随分と殺気があったような」
話し合っている二人の耳に、川を渡ろうとしていたソレイユたちの混乱が聞こえてきた。
「リシアさん、ソレイユさんの声が聞こえますね」
「そう言えば、ちょうど川を渡っていましたね」
二人は、のんびりとした口調で話し合っている。
「リシアの姉御、隊長!」
そこに、慌てた顔でスタンダールがやってきた。かなりの距離を走ってきたのか、色黒の顔が紅潮している。赤と黒だった。
「どうしました?」
「すみません」
二人が尋ねると、スタンダールが土下座してきた。
「まずは、状況を教えてください」
「ソレイユ殿が、襲われました」
リシアとアニマが顔を見合わせる。
「行きましょう」
二人が駆けだしていく。幸い、ソレイユたちは既に川を渡り切っていた。ブルーナとバルドゥイノの狙いが、彼らだったようだ。
「ところでソレイユさん、さっき馬が浮いていたような気がするんですが」
アニマが尋ねる。ソレイユは苦笑した。
「それは、まあ、女性を水に濡らすわけにはいかなかったからな」
ソレイユの近くで、キーナが泣いている。
「どうしたんですか、キーナさん。お腹が痛いんですか?」
それに気づいたアニマが、慌てて駆け寄っていく。
「私は駄目です。また、ソレイユさんにご迷惑をかけてしまいました」
「ソレイユさん、迷惑だったんですか?」
アニマが尋ねる。ソレイユは苦笑した。
「いや、そんなことはないが」
「キーナさん、そのような事実は確認されていません」
「でも、ソレイユさんは貴重な上着をわたしに貸してくださいました。そのお蔭でわたしは飛べましたが、ソレイユさんはわたしの後ろにしがみついていたので動きにくかったと思います。わたしがいなかったらソレイユさんはもっと自在に動けたと思いますし」
「それくらい、あなたのことが心配だったんでしょ」
リシアも会話に入ってくる。アニマも頷いた
「それは、ソレイユさんが自力で飛べないことが悪いんです」
アニマの言葉にあわせ、ハイドラントが嘶いた。
「ほら、馬もそうだって言っていますよ」
「そうだ、おれが飛べないことが悪いんだ」
ソレイユも頷く。キーナは泣きながら苦笑していた。
「オルニス以外の人間は、飛べないじゃないですか」
キーナを励ましていると、別に渡河していたフォールたちが合流してきた。
「何があったんですか? こっちは何も情報が増えなくて」
アニマが告げる。リシアも頷いた。
「私たち歩兵隊は北の中洲から上陸していたんですが、どうやら本来の手順で渡河していた騎馬隊が襲われたようですね」
フォールのもとには、スタンダールの部下から情報が伝わっていたらしい。
「ただ、どうやら襲っていたのはブルーナとバルドゥイノの二人だけだったらしく、それはリシアさんとアニマさんのお二方が撃退してくださいましたね」
リシアとアニマが目を合わせる。
「ひょっとして、わたしたち救世主?」
「頑張ったね」
アニマの言葉に、リシアが頷く。
「まあ、戦ってはいないけど」
「そうだね。ただちょっと走っただけ」
「なるべく気づかれないように動いていたのですが、察知されてしまったんでしょうかね。ただ、少し気になるところはあります」
フォールが首を傾げながら、言葉を続ける。
「何故騎馬隊を狙ったかです。歩兵部隊は渡河が遅かったとはいえ、ほぼ丸腰で動いています。壊滅させるなら我々を狙った方が良かったと思うんですよね」
その通りだった。それにもかかわらず騎馬隊を狙ったのは何故なのか。
「機動力を封じたかってことじゃないですかね?」
「馬が邪魔だったのかも」
アニマとリシアの言葉に、フォールが頷く。
「そうかもしれません。馬が失われれば、奇襲も難しくなります」
あるいは、とフォールが続ける。
「ソレイユさんを狙ったんでしょうか」
リシアとアニマがはっとした表情を浮かべる。
「狙われる覚えはないんだけどな」
一人、ソレイユだけは首を傾げていた。自分が狙われている理由が、理解できないようだ。アニマが懐から『藍色の珠』を取り出し、ソレイユに見せる。
「これか」
ソレイユも合点が言ったようで、自らがつけている『真朱の腕輪』を見つめた。
「ソレイユ、あなたは結構重要人物だからね」
リシアが苦笑しながら告げる。アニマが首を捻った。
「でも、ソレイユさんを狙撃して倒してしまったら、その遺体は河に落ちるわけですよね。海まで流れれば、その腕輪は海の藻屑に」
「それくらいは探すんじゃないかな」
「そうなんですかね、リシアさん」
「その価値はあるよ」
アニマの言葉に、リシアは苦笑し続けていた。
「そう言えば、あの時もおれを狙ってきたようなものだったからな」
ソレイユが呟く。ソレイユは、デオッチーのもとを訪れた時のことを思い出していた。
「ソレイユさん、狙われているならもっとみんなに言ってくださいよ」
アニマとリシアに念を押される。
「しかし、デオッチーが亡くなったのはおれのせいのようなものだしな」
「いえ、デオッチーさんが亡くなったのは、あなたのせいではないと思いますよ」
ソレイユの言葉に、アニマが首を横に振る。
「これからはどうしますか?」
いつの間にか近くにやって来ていたスタンダールが尋ねてくる。色黒の体は、闇に馴染んでいた。
「スタンダールさん、今のところカイナのディー=フェンス軍はどうしていますか?」
「まだ、目立った動きはなさそうです。とはいえ、先ほどの襲撃からして、ここに我々がいることは気づかれていそうですが」
フォールは考え込む表情を見せた。
「ひとまず、前に出ましょう。スタンダールさん。ディー=フェンスの動きを調べてください。こちらに向けた構えを見せているのでしたら、こちらも陣を構えます。そうでないのなら、強襲します。いずれにせよ、デイビス軍にも連絡をしてください。ソレイユさん、それで問題ないですか?」
「ああ、問題ない」
ソレイユが頷く。
「リシアさんとアニマさんもありがとうございます」
「いえいえ、これがお仕事ですから」
アニマがにこやかに笑って告げる。
「この間は無断で休んで絞られましたしね」
「ああ、そう言えばユリアンヌさんに怒られていましたよね」
フォールが苦笑しながら答える。
「今回はお二方の活躍のおかげで、ほとんど被害も出さずに済みました。では、補給を受けたら我々は行きます。ソレイユさん、動けますか?」
「ああ、すぐに行こう」
フォールたちが出発していく。夜明けまでは、まだ少し時間があった。
初めて銃を握ったのは、士官学校に入って間もなくのことだった。すぐに、射撃の名手と呼ばれ出したことは覚えている。弾が届く距離にある的なら、全て撃ち抜くことが出来たためだ。
士官学校を出ると、当然の様に狙撃隊に加わった。キッサキに派遣され、大霊峰より北にあるウノーヴァの大地から来た妖魔を相手にすることになったのである。
相手が動くことに当惑したのも初めのうちだけで、すぐにバルドゥイノは一流の狙撃手となった。相手の表情、動き、発する気配。その辺りを総合すれば次にどう動くかを想像するのは容易い。そしてなにより、気づかれずに撃つことだった。バルドゥイノは、相手が想像もつかないような遠距離から狙撃をしていたのである。右目を失うまでは。
右目を失い、バルドゥイノは一度死んだと思っていた。槍を遣い、将軍として周りを指揮するようになったのはまた最近のことである。出来ることなら、銃はもう使いたくなかった。特に、狙撃手のような役目としては。
ただ、周りがそれを許さないこともバルドゥイノは知っている。雪夜軍を指揮するブルーナはそのいい例だろう。この前も、シアル軍の軍師の一人、ソレイユを暗殺するためにバルドゥイノを呼び出していた。
あの時の銃は、露骨に迷いがあった。非情になるべきだとは分かっている。しかし、将軍としてしっかり白黒もつけたい自分もいるのだ。
結果として、船を沈める方向に走った。最初の一発こそ上手くいったが、それ以降は全てソレイユの作り出した防御壁に遮られている。
ソレイユを狙い続けるブルーナの気持ちも少しわかるような気がした。それほど、ブルーナはソレイユの命に拘っている。他にも、シアル軍に軍師はいた。ムーン、キョウコ、自分が倒したデムーランなどだ。
ただ、ムーンはソレイユほど暗殺の危機にあっていないし、キョウコに至っては雪夜軍を派遣した気配すらない。何故か、と思う時もある。強いて言えば、暗殺の難しさだろうか。キョウコはかなりの武術の使い手と聞くし、ムーンの傍にはいつもシアルがいる。それに比べ、ソレイユはそこまで強力な人間が傍にいない。
しかし、ソレイユの防御壁は相当なものだった。バルドゥイノの弾を、あっさりと受け止めている。
思えば、シアル軍と戦うまで狙撃を失敗することなどほとんどなかった。しかし、ユリアンヌに銃弾を弾かれ、ソレイユに防がれている。ただ、それは狙撃の腕が落ちたからだとは思っていなかった。
それだけに、シアル軍とは正面から戦いたい。これまで二度もシアル軍とは戦っているが、正面から戦ったことはないのだ。
「何を思い耽っているのだ、バルドゥイノ」
目の前にいたゲンが、にやりと笑って尋ねる。ゲンの住む館だ。以前はジェナーラが共に住んでいたが、出産が近いとのことで別の場所に移っている。代わりに、別の護衛が近くにいるはずだった。
「昔を、思い返していてな」
「いつの時代だ? 士官学校の頃か? 狙撃手の頃か?」
「どちらもだ。思えば、お前とは長い付き合いだな。ゲン」
「士官学校のころからだからな。バルドゥイノ」
ゲンがまた笑うと、杯に入れた水を飲んだ。
「王族の出だと聞いていたから、どんな鼻持ちならない奴かと思っていたよ」
「こんな奴だったな。がっくりしたか?」
「いや」
バルドゥイノはゲンをまっすぐに見た。
「お前でよかったよ、ゲン。今も、お前と共に戦っているからおれは全力で戦える」
「そう言われると、照れるな」
「勝手に照れていろ。それで、今後についてだ。カイナが陥落した。ディー=フェンスは生きているが、圧敗だ。デイビス軍は、勢いに乗って進軍してきている。どうする?」
「正面から、ぶつかろう。そうしたいんだろう、バルドゥイノ」
「いいのか?」
バルドゥイノの言葉に、ゲンは頷いた。
「ここが、正念場だろうしな。お前の軍までいなくなっては、おれも動くに動けなくなる。そうなる前に、一度シアルやデイビスの軍を叩かねばな」
「しかし、シアル軍は強いぞ」
「そんなことは、知っている。シアルを仲間に加えられないものかと、この戦いが始まる前に何度も考えたのだ。シアルには、人を惹きつける誠実さがある。今のシアル軍にいる面々も、シアルがいるから行動を共にしている人間が多い」
バルドゥイノは嘆息した。
「おれたちも、味方がいればな」
「いるだろう。アクローマもいる、ブルーナもいる。ジェナーラだって、出産が終わって一段落すればまた護衛に戻ると言っているしな」
アクローマとブルーナは、本当に信用できるのか。バルドゥイノは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。ゲンが信じている。それを部下の自分が疑って、どうするのだ。
「わかった。いつ、全軍でぶつかる」
「年が明ける前だな。おれの軍は二万、お前の軍は五万までなら野戦に出せるだろう。シアル軍はデイビス軍の三万も込みで五万程度の軍までしか出してこないはずだ。そう簡単に、負けやしないさ」
ゲンの言葉に、眼帯の位置を直すとバルドゥイノは頷いた。今度こそ、シアル軍に勝つ。後ろで、灯が揺れていた。
士官学校を出ると、当然の様に狙撃隊に加わった。キッサキに派遣され、大霊峰より北にあるウノーヴァの大地から来た妖魔を相手にすることになったのである。
相手が動くことに当惑したのも初めのうちだけで、すぐにバルドゥイノは一流の狙撃手となった。相手の表情、動き、発する気配。その辺りを総合すれば次にどう動くかを想像するのは容易い。そしてなにより、気づかれずに撃つことだった。バルドゥイノは、相手が想像もつかないような遠距離から狙撃をしていたのである。右目を失うまでは。
右目を失い、バルドゥイノは一度死んだと思っていた。槍を遣い、将軍として周りを指揮するようになったのはまた最近のことである。出来ることなら、銃はもう使いたくなかった。特に、狙撃手のような役目としては。
ただ、周りがそれを許さないこともバルドゥイノは知っている。雪夜軍を指揮するブルーナはそのいい例だろう。この前も、シアル軍の軍師の一人、ソレイユを暗殺するためにバルドゥイノを呼び出していた。
あの時の銃は、露骨に迷いがあった。非情になるべきだとは分かっている。しかし、将軍としてしっかり白黒もつけたい自分もいるのだ。
結果として、船を沈める方向に走った。最初の一発こそ上手くいったが、それ以降は全てソレイユの作り出した防御壁に遮られている。
ソレイユを狙い続けるブルーナの気持ちも少しわかるような気がした。それほど、ブルーナはソレイユの命に拘っている。他にも、シアル軍に軍師はいた。ムーン、キョウコ、自分が倒したデムーランなどだ。
ただ、ムーンはソレイユほど暗殺の危機にあっていないし、キョウコに至っては雪夜軍を派遣した気配すらない。何故か、と思う時もある。強いて言えば、暗殺の難しさだろうか。キョウコはかなりの武術の使い手と聞くし、ムーンの傍にはいつもシアルがいる。それに比べ、ソレイユはそこまで強力な人間が傍にいない。
しかし、ソレイユの防御壁は相当なものだった。バルドゥイノの弾を、あっさりと受け止めている。
思えば、シアル軍と戦うまで狙撃を失敗することなどほとんどなかった。しかし、ユリアンヌに銃弾を弾かれ、ソレイユに防がれている。ただ、それは狙撃の腕が落ちたからだとは思っていなかった。
それだけに、シアル軍とは正面から戦いたい。これまで二度もシアル軍とは戦っているが、正面から戦ったことはないのだ。
「何を思い耽っているのだ、バルドゥイノ」
目の前にいたゲンが、にやりと笑って尋ねる。ゲンの住む館だ。以前はジェナーラが共に住んでいたが、出産が近いとのことで別の場所に移っている。代わりに、別の護衛が近くにいるはずだった。
「昔を、思い返していてな」
「いつの時代だ? 士官学校の頃か? 狙撃手の頃か?」
「どちらもだ。思えば、お前とは長い付き合いだな。ゲン」
「士官学校のころからだからな。バルドゥイノ」
ゲンがまた笑うと、杯に入れた水を飲んだ。
「王族の出だと聞いていたから、どんな鼻持ちならない奴かと思っていたよ」
「こんな奴だったな。がっくりしたか?」
「いや」
バルドゥイノはゲンをまっすぐに見た。
「お前でよかったよ、ゲン。今も、お前と共に戦っているからおれは全力で戦える」
「そう言われると、照れるな」
「勝手に照れていろ。それで、今後についてだ。カイナが陥落した。ディー=フェンスは生きているが、圧敗だ。デイビス軍は、勢いに乗って進軍してきている。どうする?」
「正面から、ぶつかろう。そうしたいんだろう、バルドゥイノ」
「いいのか?」
バルドゥイノの言葉に、ゲンは頷いた。
「ここが、正念場だろうしな。お前の軍までいなくなっては、おれも動くに動けなくなる。そうなる前に、一度シアルやデイビスの軍を叩かねばな」
「しかし、シアル軍は強いぞ」
「そんなことは、知っている。シアルを仲間に加えられないものかと、この戦いが始まる前に何度も考えたのだ。シアルには、人を惹きつける誠実さがある。今のシアル軍にいる面々も、シアルがいるから行動を共にしている人間が多い」
バルドゥイノは嘆息した。
「おれたちも、味方がいればな」
「いるだろう。アクローマもいる、ブルーナもいる。ジェナーラだって、出産が終わって一段落すればまた護衛に戻ると言っているしな」
アクローマとブルーナは、本当に信用できるのか。バルドゥイノは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。ゲンが信じている。それを部下の自分が疑って、どうするのだ。
「わかった。いつ、全軍でぶつかる」
「年が明ける前だな。おれの軍は二万、お前の軍は五万までなら野戦に出せるだろう。シアル軍はデイビス軍の三万も込みで五万程度の軍までしか出してこないはずだ。そう簡単に、負けやしないさ」
ゲンの言葉に、眼帯の位置を直すとバルドゥイノは頷いた。今度こそ、シアル軍に勝つ。後ろで、灯が揺れていた。
昼間だというのに、ミシロの空は薄暗かった。先ほどから雨も降り始めている。
ただ、会議にはもってこいの日だった。何しろ、眩しくない。色眼鏡を持ってきたり、幕を窓から下げたり、そもそもオドリックを無理矢理日の当たらないところに連れていったりと多くの工夫をさせられているシアルたちにとって、その必要がないことは朗報だった。
「今日は絶好の会議日和ね」
ドレイクと共に会議室に入ってきたユリアンヌが告げる。
「天気的には良くないけどな」
シアルが苦笑しながら言葉を返す。しかし、シアルの表情も穏やかだった。
「何故、みんな安心した顔をしているんだ?」
事情が飲み込めないデイビスが、一人困惑している。護衛のユアン=モヘナと二人でミシロにやってきていた。今後の動きについて話し合うためである。
「あなたもこの軍に長くいれば、分かるわよ」
ユリアンヌが笑いながら告げる。デイビスは首を捻っていた。
「そう言うものなのか」
「そう言うものだ」
シアルの言葉には妙な深みがあった。
「あれ、キョウコは?」
セインが訝しげな顔をする。今日の会議に、キョウコは参加していない。普段、デイビス軍からはキョウコが一人で会議に参加していることもあり、デイビスがこの場にいることも含めて珍しいことだった。
「そうか、セインは訓練から帰ったばかりだから聞いていないのか」
口を開いたのはレヴィンだ。
「キョウコは昨日、倒れたんだ。今、ドクターワリオに見てもらっている」
過労のようだった。負傷が治りきる前に軍師として赴任したため、体の中が弱っていたらしい。
しばらく、軍務は避けた方がいいとのことだった。今は、ドクターワリオの療養所に寝泊まりしている。
「なので、キョウコさんは今回の戦いには参加できません」
ムーンが口を開くと、立ち上がった。
「今の状況を確認しておきましょう。デイビスさんとフォールさんたちの活躍もあって、カイナは奪還できました。これで、ホウエン東部から南部にかけての一帯は制圧できたことになります」
二年近く前に、将軍の一人であるカタストと話していた構図だった。ボックスが邪魔だてしなければ、もっと早くこの状態になっていただろう。
「次は、キンセツか」
オドリックの言葉に、ムーンが頷いた。
「バルドゥイノは、野戦の構えを見せています」
六万の軍勢だった。ハジツゲにいるゲン本隊と並び、ゲン軍で最も警戒すべき存在である。
「ここが、正念場でしょう。ゲン軍本隊からも、二万ほどの軍が出たとの情報があります。バルドゥイノ軍は一万ほどをキンセツの守りに残し、五万で出る見込みです。デイビスさんの軍を完全に潰すつもりでしょう」
「そうされないためには、こちらからもある程度打って出る必要があるな」
セインの言葉に、ムーンが頷く。
「総力戦を、予定しています」
ムーンの案は、思い切ったものだった。ミシロからはシアルの騎馬隊とセインの遊撃隊が、デムーラン城塞からはユリアンヌの射撃隊、フェミナの銃騎隊、モズメの歩兵隊、コトキからはオドリックの歩兵隊、更にシーキンセツからフォールの部隊が出撃する。二万を越す部隊の動員だった。更に、リシアやダニエル、アニマと言った一騎当千の人間たちも戦いには加わる。
守りは、トウカにいるツーマイとミシロにいるミディアの部隊が行うことになっていた。二人とも、堅実な戦いを得意としており、問題はないだろう。
「最も気を付けるべきは、ゲンが率いる竜騎隊でしょう。およそ二十騎の竜からなる部隊ですが、その実力はゲン軍でも最上のものかと思われます」
馬より速く、空を飛び、分厚い鱗は矢や銃弾であれば弾き返す。竜の力を活かした機動力と突破力は、抗しがたい。サコンとの戦いでもわずか数騎の騎竜に苦戦させられていた。今度は、それが二十騎になっている。
「対策は、あるのか?」
「全くないわけでは、ありません」
オドリックの問いに、ムーンが答える。
「一番効果的なものは、火砲です。ただ、竜も機敏に避けてくるので避けられないよう気を付けて発射する必要があります」
「確かに、デムーラン城砦に火砲は置かれていたな。しかし、あれは備え付けのものではないのか?」
「キョウコさんが、攻城兵器を改良する中で三基ほど移動型の火砲を作り上げています。ただ、ゲン軍も火砲の存在は知っていると思うので、警戒はしてくるでしょう。極力、存在を隠して一度に放つ。これで、何騎か落とせれば御の字です。それ以降は機動力がないため牽制が主な使い方になってきます」
「それだけだと、厳しいな」
「しかし、他に策はほとんどないでしょう。一応、竜の翌膜の部分は鱗がないので、矢や銃弾でも撃ち抜くことは可能ですが、正確な狙いが必要になってきます。おまけに、竜について行くことができるだけの機動力も必要になってきます」
「わたしの仕事ね」
ユリアンヌが呟く。シアルも頷いた。
「そう、名手の出番だな」
「仕方がないわね」
ユリアンヌはにやりと笑う。ムーンが頭を下げた。
「ユリアンヌさん、よろしくお願いします」
「任せなさい」
「しかし、射撃隊の面々は歩兵ではないのか? 竜に追いつけるだけの機動力はないだろう」
そう告げたのは、デイビスだった。
「射撃と、機動力か」
オドリックが呟く。ムーンが、ユリアンヌを見た。
「フェミナさんの騎銃隊はどうですか?」
「数だけで言えば、勝てるけれども」
ユリアンヌが呟く。フェミナの騎銃隊は、以前の戦いから比べれば大分射撃の精度も良くなってきていた。ただ、まだ不安ではある。
「難しいところね」
ユリアンヌが告げる。ムーンが再び考え始めた。ただ、ムーンを始め、他の誰も妙案が浮かんでこない。
「やはり、その考えでやるべきだろう」
オドリックが告げる。フォールも賛成するように頷いた。
「極力引き付けて火砲と騎銃隊に任せましょう。撃ち漏らしは」
「撃ち漏らしはなるべくわたしが処理して、わたし最強ってやればいいかしら?」
ユリアンヌが冗談めかせて告げる。近くにいたアニマが、俯いた。
「台詞、取られた」
その声色は、これ以上ないほどに寂しそうだった。
ただ、会議にはもってこいの日だった。何しろ、眩しくない。色眼鏡を持ってきたり、幕を窓から下げたり、そもそもオドリックを無理矢理日の当たらないところに連れていったりと多くの工夫をさせられているシアルたちにとって、その必要がないことは朗報だった。
「今日は絶好の会議日和ね」
ドレイクと共に会議室に入ってきたユリアンヌが告げる。
「天気的には良くないけどな」
シアルが苦笑しながら言葉を返す。しかし、シアルの表情も穏やかだった。
「何故、みんな安心した顔をしているんだ?」
事情が飲み込めないデイビスが、一人困惑している。護衛のユアン=モヘナと二人でミシロにやってきていた。今後の動きについて話し合うためである。
「あなたもこの軍に長くいれば、分かるわよ」
ユリアンヌが笑いながら告げる。デイビスは首を捻っていた。
「そう言うものなのか」
「そう言うものだ」
シアルの言葉には妙な深みがあった。
「あれ、キョウコは?」
セインが訝しげな顔をする。今日の会議に、キョウコは参加していない。普段、デイビス軍からはキョウコが一人で会議に参加していることもあり、デイビスがこの場にいることも含めて珍しいことだった。
「そうか、セインは訓練から帰ったばかりだから聞いていないのか」
口を開いたのはレヴィンだ。
「キョウコは昨日、倒れたんだ。今、ドクターワリオに見てもらっている」
過労のようだった。負傷が治りきる前に軍師として赴任したため、体の中が弱っていたらしい。
しばらく、軍務は避けた方がいいとのことだった。今は、ドクターワリオの療養所に寝泊まりしている。
「なので、キョウコさんは今回の戦いには参加できません」
ムーンが口を開くと、立ち上がった。
「今の状況を確認しておきましょう。デイビスさんとフォールさんたちの活躍もあって、カイナは奪還できました。これで、ホウエン東部から南部にかけての一帯は制圧できたことになります」
二年近く前に、将軍の一人であるカタストと話していた構図だった。ボックスが邪魔だてしなければ、もっと早くこの状態になっていただろう。
「次は、キンセツか」
オドリックの言葉に、ムーンが頷いた。
「バルドゥイノは、野戦の構えを見せています」
六万の軍勢だった。ハジツゲにいるゲン本隊と並び、ゲン軍で最も警戒すべき存在である。
「ここが、正念場でしょう。ゲン軍本隊からも、二万ほどの軍が出たとの情報があります。バルドゥイノ軍は一万ほどをキンセツの守りに残し、五万で出る見込みです。デイビスさんの軍を完全に潰すつもりでしょう」
「そうされないためには、こちらからもある程度打って出る必要があるな」
セインの言葉に、ムーンが頷く。
「総力戦を、予定しています」
ムーンの案は、思い切ったものだった。ミシロからはシアルの騎馬隊とセインの遊撃隊が、デムーラン城塞からはユリアンヌの射撃隊、フェミナの銃騎隊、モズメの歩兵隊、コトキからはオドリックの歩兵隊、更にシーキンセツからフォールの部隊が出撃する。二万を越す部隊の動員だった。更に、リシアやダニエル、アニマと言った一騎当千の人間たちも戦いには加わる。
守りは、トウカにいるツーマイとミシロにいるミディアの部隊が行うことになっていた。二人とも、堅実な戦いを得意としており、問題はないだろう。
「最も気を付けるべきは、ゲンが率いる竜騎隊でしょう。およそ二十騎の竜からなる部隊ですが、その実力はゲン軍でも最上のものかと思われます」
馬より速く、空を飛び、分厚い鱗は矢や銃弾であれば弾き返す。竜の力を活かした機動力と突破力は、抗しがたい。サコンとの戦いでもわずか数騎の騎竜に苦戦させられていた。今度は、それが二十騎になっている。
「対策は、あるのか?」
「全くないわけでは、ありません」
オドリックの問いに、ムーンが答える。
「一番効果的なものは、火砲です。ただ、竜も機敏に避けてくるので避けられないよう気を付けて発射する必要があります」
「確かに、デムーラン城砦に火砲は置かれていたな。しかし、あれは備え付けのものではないのか?」
「キョウコさんが、攻城兵器を改良する中で三基ほど移動型の火砲を作り上げています。ただ、ゲン軍も火砲の存在は知っていると思うので、警戒はしてくるでしょう。極力、存在を隠して一度に放つ。これで、何騎か落とせれば御の字です。それ以降は機動力がないため牽制が主な使い方になってきます」
「それだけだと、厳しいな」
「しかし、他に策はほとんどないでしょう。一応、竜の翌膜の部分は鱗がないので、矢や銃弾でも撃ち抜くことは可能ですが、正確な狙いが必要になってきます。おまけに、竜について行くことができるだけの機動力も必要になってきます」
「わたしの仕事ね」
ユリアンヌが呟く。シアルも頷いた。
「そう、名手の出番だな」
「仕方がないわね」
ユリアンヌはにやりと笑う。ムーンが頭を下げた。
「ユリアンヌさん、よろしくお願いします」
「任せなさい」
「しかし、射撃隊の面々は歩兵ではないのか? 竜に追いつけるだけの機動力はないだろう」
そう告げたのは、デイビスだった。
「射撃と、機動力か」
オドリックが呟く。ムーンが、ユリアンヌを見た。
「フェミナさんの騎銃隊はどうですか?」
「数だけで言えば、勝てるけれども」
ユリアンヌが呟く。フェミナの騎銃隊は、以前の戦いから比べれば大分射撃の精度も良くなってきていた。ただ、まだ不安ではある。
「難しいところね」
ユリアンヌが告げる。ムーンが再び考え始めた。ただ、ムーンを始め、他の誰も妙案が浮かんでこない。
「やはり、その考えでやるべきだろう」
オドリックが告げる。フォールも賛成するように頷いた。
「極力引き付けて火砲と騎銃隊に任せましょう。撃ち漏らしは」
「撃ち漏らしはなるべくわたしが処理して、わたし最強ってやればいいかしら?」
ユリアンヌが冗談めかせて告げる。近くにいたアニマが、俯いた。
「台詞、取られた」
その声色は、これ以上ないほどに寂しそうだった。
険しい岩場だった。既に、ほぼ絶壁と言うべきところを二カ所ほど通り過ぎている。ただ、登ったわけではない。飛んだのだ。翼は、生まれた時から持っている。
アクローマは、自分がオルニスとして生まれたことに感謝していた。
目の前には、黒い噴煙が立ち昇っている。エントツ山の、火口だった。エントツ山は、定期的に噴火を繰り返す。ただ、溶岩を伴うような大規模な噴火はもう何百年も起きていない。
この山のどこかに、グランドラゴンが眠ると言われていた。
ただ、グランドラゴンの具体的な場所は未だに発見できていない。それは、アクローマたちより先にエントツ山を探し回っていたシアル軍も同様だとブルーナの部下が伝えてきている。
シアルたちに近いところに、ブルーナの部下が入り込めたのは運が良かったと言うしかない。他に、そこまでシアルに近い位置まで入り込めたものはいないのだ。
ただ、不用意にシアルに会える立場ではないらしい。そこで、無理して動くよりは情報を伝えることに専念して欲しいと命じてある。
それだけでも、何度も価値のある情報を運んできていた。特に、バルドゥイノ軍の兵糧庫への奇襲や、フォール軍によるカイナ侵攻についての情報がそうだろう。
シアル軍の要人を倒したり、珠や神器を奪ったりすることが出来なかったのはアクローマたちの努力不足だった。
ギセラに至っては、アニマとの戦いに負け命を落としている。シアルたちと戦っている『天使の羽根』の中では、初の犠牲者だった。
「この先です」
アクローマを先導していたブルーナが告げる。
火口の中に、奥へと続く道が見えていた。火口を覗き込んだ時は見つけにくい小道かと思われたが、近づいてみると決して小さな道ではない。
「わかった」
短く告げると、ブルーナに続き進んでいく。更にその後ろを『スペード』が黒い翼をはためかせながら飛んでいた。汗が噴き出てきそうな熱気にもかかわらず覆面をしているため、その表情は読めない。
ただ、その知識は卓越していた。グランドラゴンの居場所を推測したのも彼女である。
結果的に、シアルたちに先んじてグランドラゴンを見つけることが出来そうだった。
「そこです」
先頭を進むブルーナが告げる。ブルーナは、目をほとんど閉じていた。目も開けられないほど、空気が熱いのだろう。幸い、アクローマはまだ耐えられそうだった。『スペード』は、覆面の上から目に当て物をしている。
道の先は、広い部屋に通じていた。そこから、一段と激しい熱波がやって来ている。中に入った。
全てが熱を帯びている。いや、真に熱を帯びているのは、部屋の中心にある溶岩だけだろう。紅く光る川のように、静かに流れている。その奥の壁面が、不自然に青くなっていた。その光に沿って、視線を動かしていく。
「これが、グランドラゴンです」
ブルーナが辛そうな声で告げる。暑いのだろう。アクローマは不思議と平気だった。
「これで、一歩シアル軍に先んじましたね」
落ち着いた口調で、『スペード』が告げる。『スペード』の声が、アクローマはあまり好きではなかった。だが、能力は優秀である。
「後は、シアル軍から『紅色の珠』を取り返すだけか。ブルーナ、持っているのは誰だ?」
「ドレイクです」
「『スペード』、策はあるか?」
「難しいでしょう。ドレイクさんは今、デムーラン城砦にいます。アニマさんや影の軍の兵の目を盗んで、ドレイクさんに接触できるとは思えません」
「それを何とかするのが、お前の役目だろう」
「その方法は、既に考えてあります」
「どうするんだ?」
「かつて、『エース』さんがオーダマ博士の研究所を襲った際、紅色の珠を奪ったと聞いています」
アクローマは鼻を鳴らした。
「それは、偽物だった。レヴィンと言う男が遊び半分で作ったもので、本物に比べれば子どもの玩具のような性能だった」
「そうでしたね」
『スペード』が頷く。
「ですが、それは何故性能が悪かったのか。レヴィンさんの魔力が原因なのか、もとの石の問題なのか」
「両方だろう」
「でしたら、その両方を解決すればいいんでしょう。優れた魔術の持ち主に、魔力が十分に含まれた石さえあればいいわけですから」
アクローマの表情が、訝しいものになる。ブルーナも同様だった。
「魔術はさておき、魔力は可能なんですか?」
「『因石』さえ、あれば」
「なるほど」
ブルーナが唸った。『因石』は、ハジツゲ山脈のどこかに眠っていると言われる強力な魔力を持った石である。空から降ってきた石との噂もあった。ただ、実物を見た者はいない。
「影の軍も、『因石』は警戒していないはずです。雪夜軍のうちの何名かを、密かに『因石』探索に回してください。それから、グランドラゴンを弱らせる『瑠璃の首飾り』さえこちらが入手できれば、シアル軍も抗しきれないはずです」
流石、知恵者だった。
「では、そうしよう。もし、『因石』がグランドラゴンの封印を解けなければ?」
「その時は、わたしを好きにしてください」
覆面越しに、『スペード』の澄んだ瞳が見える。アクローマは頷く。
「ブルーナ、転移の術は仕掛けられたか?」
「はい」
ブルーナが頷く。ハジツゲへと帰還する時が迫っていた。
「グランドラゴンを復活させれば、我々の目的は達成だ。その時は、近い」
アクローマが告げる。二人が、頷いた。
「ですよね、『エックス』お母様」
呟くように口に出す。ブルーナと『スペード』には、聞こえていない。
アクローマは、自分がオルニスとして生まれたことに感謝していた。
目の前には、黒い噴煙が立ち昇っている。エントツ山の、火口だった。エントツ山は、定期的に噴火を繰り返す。ただ、溶岩を伴うような大規模な噴火はもう何百年も起きていない。
この山のどこかに、グランドラゴンが眠ると言われていた。
ただ、グランドラゴンの具体的な場所は未だに発見できていない。それは、アクローマたちより先にエントツ山を探し回っていたシアル軍も同様だとブルーナの部下が伝えてきている。
シアルたちに近いところに、ブルーナの部下が入り込めたのは運が良かったと言うしかない。他に、そこまでシアルに近い位置まで入り込めたものはいないのだ。
ただ、不用意にシアルに会える立場ではないらしい。そこで、無理して動くよりは情報を伝えることに専念して欲しいと命じてある。
それだけでも、何度も価値のある情報を運んできていた。特に、バルドゥイノ軍の兵糧庫への奇襲や、フォール軍によるカイナ侵攻についての情報がそうだろう。
シアル軍の要人を倒したり、珠や神器を奪ったりすることが出来なかったのはアクローマたちの努力不足だった。
ギセラに至っては、アニマとの戦いに負け命を落としている。シアルたちと戦っている『天使の羽根』の中では、初の犠牲者だった。
「この先です」
アクローマを先導していたブルーナが告げる。
火口の中に、奥へと続く道が見えていた。火口を覗き込んだ時は見つけにくい小道かと思われたが、近づいてみると決して小さな道ではない。
「わかった」
短く告げると、ブルーナに続き進んでいく。更にその後ろを『スペード』が黒い翼をはためかせながら飛んでいた。汗が噴き出てきそうな熱気にもかかわらず覆面をしているため、その表情は読めない。
ただ、その知識は卓越していた。グランドラゴンの居場所を推測したのも彼女である。
結果的に、シアルたちに先んじてグランドラゴンを見つけることが出来そうだった。
「そこです」
先頭を進むブルーナが告げる。ブルーナは、目をほとんど閉じていた。目も開けられないほど、空気が熱いのだろう。幸い、アクローマはまだ耐えられそうだった。『スペード』は、覆面の上から目に当て物をしている。
道の先は、広い部屋に通じていた。そこから、一段と激しい熱波がやって来ている。中に入った。
全てが熱を帯びている。いや、真に熱を帯びているのは、部屋の中心にある溶岩だけだろう。紅く光る川のように、静かに流れている。その奥の壁面が、不自然に青くなっていた。その光に沿って、視線を動かしていく。
「これが、グランドラゴンです」
ブルーナが辛そうな声で告げる。暑いのだろう。アクローマは不思議と平気だった。
「これで、一歩シアル軍に先んじましたね」
落ち着いた口調で、『スペード』が告げる。『スペード』の声が、アクローマはあまり好きではなかった。だが、能力は優秀である。
「後は、シアル軍から『紅色の珠』を取り返すだけか。ブルーナ、持っているのは誰だ?」
「ドレイクです」
「『スペード』、策はあるか?」
「難しいでしょう。ドレイクさんは今、デムーラン城砦にいます。アニマさんや影の軍の兵の目を盗んで、ドレイクさんに接触できるとは思えません」
「それを何とかするのが、お前の役目だろう」
「その方法は、既に考えてあります」
「どうするんだ?」
「かつて、『エース』さんがオーダマ博士の研究所を襲った際、紅色の珠を奪ったと聞いています」
アクローマは鼻を鳴らした。
「それは、偽物だった。レヴィンと言う男が遊び半分で作ったもので、本物に比べれば子どもの玩具のような性能だった」
「そうでしたね」
『スペード』が頷く。
「ですが、それは何故性能が悪かったのか。レヴィンさんの魔力が原因なのか、もとの石の問題なのか」
「両方だろう」
「でしたら、その両方を解決すればいいんでしょう。優れた魔術の持ち主に、魔力が十分に含まれた石さえあればいいわけですから」
アクローマの表情が、訝しいものになる。ブルーナも同様だった。
「魔術はさておき、魔力は可能なんですか?」
「『因石』さえ、あれば」
「なるほど」
ブルーナが唸った。『因石』は、ハジツゲ山脈のどこかに眠っていると言われる強力な魔力を持った石である。空から降ってきた石との噂もあった。ただ、実物を見た者はいない。
「影の軍も、『因石』は警戒していないはずです。雪夜軍のうちの何名かを、密かに『因石』探索に回してください。それから、グランドラゴンを弱らせる『瑠璃の首飾り』さえこちらが入手できれば、シアル軍も抗しきれないはずです」
流石、知恵者だった。
「では、そうしよう。もし、『因石』がグランドラゴンの封印を解けなければ?」
「その時は、わたしを好きにしてください」
覆面越しに、『スペード』の澄んだ瞳が見える。アクローマは頷く。
「ブルーナ、転移の術は仕掛けられたか?」
「はい」
ブルーナが頷く。ハジツゲへと帰還する時が迫っていた。
「グランドラゴンを復活させれば、我々の目的は達成だ。その時は、近い」
アクローマが告げる。二人が、頷いた。
「ですよね、『エックス』お母様」
呟くように口に出す。ブルーナと『スペード』には、聞こえていない。
ニューキンセツ近くの原野に、ゲン軍は待ち構えていた。
六万の歩兵を鶴翼に広げ、歩兵の後ろに二万の騎馬隊が構えている。騎馬隊の中心には、二十騎あまりの騎竜も見えていた。
対するシアル軍は、デイビス軍の三万が中央で魚隣に構え、右はフォール軍の歩兵八千が、左にはオドリックとモズメの混成軍一万が方陣を敷いている。
騎馬隊は、フォール軍の側にキーナの千、混成軍の中央にシアルとフェミナの部隊が紛れていた。混成軍は、その中央を境に左をオドリック、右をモズメが指揮していた。
更に、ユリアンヌの射撃隊とセインの遊撃隊が戦場の近くで潜んでいる。
「これだけ原野で正面から構えられると、奇策は使いにくいですね」
シアルの近くにやってきたムーンが告げる。ムーンは、モズメの部隊から指示を出すことになっていた。
「まさに総力戦だな」
「そうなります。ゲン軍は左右に厚みのある鶴翼にしています。左右にいるわたしたちやフォール軍を止めている間に、中央のデイビス軍を崩そうとしているのでしょう」
左右ともに、およそ一万五千の兵が広がっているらしい。どちらも、シアル軍より兵は多い。
中央は三万の歩兵同士の対決となるが、ゲン軍の背後には二万の騎馬隊が控えていた。デイビスは辛い戦いを強いられることになるだろう。
「ただ、デイビスさんの軍には火砲が用意されています。ゲン本人が迂闊に攻めることは難しいはずです。後は、フェミナさんの騎銃隊がどこまで騎竜を撃ち落せるかですね。シアルさん、ゲンに隙が出来たら、すかさず攻めて下さい。ゲンを倒せば、戦いは終わりです」
ムーンは、笑みを見せた。
「頼りにしていますよ、シアルさん」
「任せろ」
シアルが頷いた。
六万の歩兵を鶴翼に広げ、歩兵の後ろに二万の騎馬隊が構えている。騎馬隊の中心には、二十騎あまりの騎竜も見えていた。
対するシアル軍は、デイビス軍の三万が中央で魚隣に構え、右はフォール軍の歩兵八千が、左にはオドリックとモズメの混成軍一万が方陣を敷いている。
騎馬隊は、フォール軍の側にキーナの千、混成軍の中央にシアルとフェミナの部隊が紛れていた。混成軍は、その中央を境に左をオドリック、右をモズメが指揮していた。
更に、ユリアンヌの射撃隊とセインの遊撃隊が戦場の近くで潜んでいる。
「これだけ原野で正面から構えられると、奇策は使いにくいですね」
シアルの近くにやってきたムーンが告げる。ムーンは、モズメの部隊から指示を出すことになっていた。
「まさに総力戦だな」
「そうなります。ゲン軍は左右に厚みのある鶴翼にしています。左右にいるわたしたちやフォール軍を止めている間に、中央のデイビス軍を崩そうとしているのでしょう」
左右ともに、およそ一万五千の兵が広がっているらしい。どちらも、シアル軍より兵は多い。
中央は三万の歩兵同士の対決となるが、ゲン軍の背後には二万の騎馬隊が控えていた。デイビスは辛い戦いを強いられることになるだろう。
「ただ、デイビスさんの軍には火砲が用意されています。ゲン本人が迂闊に攻めることは難しいはずです。後は、フェミナさんの騎銃隊がどこまで騎竜を撃ち落せるかですね。シアルさん、ゲンに隙が出来たら、すかさず攻めて下さい。ゲンを倒せば、戦いは終わりです」
ムーンは、笑みを見せた。
「頼りにしていますよ、シアルさん」
「任せろ」
シアルが頷いた。
ユリアンヌはフェミナの傍にやって来ていた。射撃隊は、近くに潜んでいる。
「隊長、緊張しますね」
いつも陽気なフェミナだが、流石に今は青い顔をしていた。無理もない。ゲン軍の主力である竜騎隊と真っ向から戦うのだ。
「そうね、でも大事な任務ってのはいつかあなたに請け負ってもらうつもりだったから、それが遅いか早いかの違いよ」
「わかりました。死ぬ気でやります」
白い歯を見せながら、フェミナが笑みを浮かべる。やや、引き攣った顔だった。
「死んじゃ駄目。気負い過ぎちゃ駄目よ」
ユリアンヌが告げる。フェミナが、まっすぐにユリアンヌを見つめた。
「わたしの部隊は騎竜を狙うので目の前がおろそかになる時があるかもしれません。その時はよろしくお願いします」
「任せなさい」
フェミナが一礼すると、馬に飛び乗る。ユリアンヌに向けて、手を振った。
「隊長、戦いが終わったら会いましょう。大丈夫、恋人もできないうちに死にはしませんよ」
その去りゆく背中に、ユリアンヌは僅かな不安を覚えた。
「隊長、緊張しますね」
いつも陽気なフェミナだが、流石に今は青い顔をしていた。無理もない。ゲン軍の主力である竜騎隊と真っ向から戦うのだ。
「そうね、でも大事な任務ってのはいつかあなたに請け負ってもらうつもりだったから、それが遅いか早いかの違いよ」
「わかりました。死ぬ気でやります」
白い歯を見せながら、フェミナが笑みを浮かべる。やや、引き攣った顔だった。
「死んじゃ駄目。気負い過ぎちゃ駄目よ」
ユリアンヌが告げる。フェミナが、まっすぐにユリアンヌを見つめた。
「わたしの部隊は騎竜を狙うので目の前がおろそかになる時があるかもしれません。その時はよろしくお願いします」
「任せなさい」
フェミナが一礼すると、馬に飛び乗る。ユリアンヌに向けて、手を振った。
「隊長、戦いが終わったら会いましょう。大丈夫、恋人もできないうちに死にはしませんよ」
その去りゆく背中に、ユリアンヌは僅かな不安を覚えた。
戦いは、バルドゥイノ軍の前進によって始まった。密集した歩兵が槍を突き出し、近づいてくる。一部の隙も見いだせないような、見事な前進だ。
デイビス軍も、兵を前に進める。歩兵同士のぶつかり合いが始まった。両軍が入り乱れ、乱戦となる。バルドゥイノ軍の中央が、不意に二つに分かれた。空いたところに、二万の騎馬隊が突っ込んでいく。デイビス軍の第一陣が抉られるように壊走した。ただ、そこで騎馬隊は反転する。デイビス軍が馬防柵を設置していたためだ。
壊走したかに見えたデイビス軍も、多くは後ろに下がり体制を整えている。ただ、騎馬隊の突撃によって空いた空間に、バルドゥイノ軍の歩兵が入り込んでいた。鉤を持った歩兵が、馬防柵を引き摺り倒そうと近寄ってくる。柵が倒れては騎馬隊の突撃を防ぐことはできない。
その歩兵部隊が、浮足立つ。左側から、モズメの歩兵隊が突っ込んだためだ。左にいた敵は、オドリックの部隊が抑えている。浮足立った敵を、デイビスとユアン=モヘナ率いる千の騎馬隊が押し返していく。二万の騎馬隊は、キーナの騎馬隊がまとわりつき、自由な動きを防いでいた。
ただ、まだゲンの竜騎隊は動いていない。シアルやユリアンヌたちの部隊も、機を伺っていた。
ゲン軍の騎馬隊が大きく乱れた。どこから現れたのか、セインの遊撃隊が後ろから強襲している。小さな丘からの、逆落としだった。一拍遅れて、キーナの騎馬隊が右側から槍のように突っ込む。先頭にいるのは、キーナだ。紅白の布をつけた両手剣を振りかざし、奥深くへと進んでいく。反転した。ゲン軍の騎馬隊は、ようやく体勢を立て直しつつある。キーナはそれを再び混乱させるかのように動いていた。
その目の前に、黒い影が現れた。ゲンの騎竜隊が、キーナの目の前へと現れたのだ。先頭の銀白の竜に乗っているのがゲンだろう。ゲンが剣を構えた。キーナが慌てて進路を変えようとしているが、間に合わない。
轟音と共に、デイビス軍の火砲が弾を撃ちだす。だが、ゲンはそれを予想していたかのように反転した。一騎たりとも、竜は撃ち落されていない。再度、轟音と共に弾が放たれる。それを回避し、ゲンの騎竜隊はキーナの騎馬隊へと迫った。
不意に、近くから銃声が鳴り響いた。五騎ほどが、翼膜を撃ち抜かれ落下していく。フェミナの騎銃隊だった。フェミナが手を上げる。再度、騎銃隊が銃を構えた。その時にはもう、先頭にいるゲンがフェミナの目の前へと近づいている。
だが、フェミナは逃げなかった。近くにいるユリアンヌに全てを任せているからだ。
続けざまに、二発の銃声が響く。ゲンを乗せた騎竜が空中で反転した。ウィルムと名付けられた銀白の竜だ。
「ユリアンヌ、お前か」
ゲンが感心したような声を上げる。ゲンの声は、不思議と戦場に通った。ユリアンヌは銃口を僅かに下げ、息を吐く。片喰の紋章が、指の合間から僅かに見えた。
「できれば、あなたと戦場では肩を並べたかったけど」
「おれもだよ、ユリアンヌ」
ゲンの声は、溌剌としていた。
「シアル、お前も近くにいるんだろう」
近くの丘にシアルの騎馬隊が姿を現した。
「やはり、あんたか」
ゲンを見て、シアルが告げる。
「そうだ。シアル、久しぶりだな」
近づいてきたシアルを見て、ゲンが笑う。
「あんまり嬉しくない再会だな」
「そうだな。できることなら、平和に過ごしたかったが、そうもいかない」
ゲンは剣を構える。カリバーンと呼ばれる聖剣だ。どれだけの相手を斬っても、刃こぼれ一つしないと言う。
「前にも言った通り、戦場では容赦しないからな。いくぞ」
ウィルムが一声吠えると、シアル目掛けて突き進んでくる。シアルもバルトマルクスを構えた。愛馬クラメリアンが、風のように駆け始める。馳せ違った。
「それは、お互い様だな」
反転したシアルが告げる。ゲンもまた、反転していた。互いに見合う。
再度、ゲンが突っ込んできた。目標は、依然シアルだ。剣を振り上げたゲンが、ウィルムの手綱を引く。影のように、ダニエルがゲンの背後へと迫っていた。
舞うようなダニエルの動きを躱すため、ゲンがウィルムを旋回させる。攻撃は中断せざるを得ないが、シアルたちとの距離を一旦おこうと考えたのだ。
だが、それをユリアンヌは読み切っていた。続けざまに二発、銃弾を放つ。避け損ねたゲンから、鎧が弾け飛んだ。
「流石だな、ユリアンヌ。どうやら、おれの鎧はもう使い物にならなそうだな」
銃を構えながら、ユリアンヌが頷く。
「そうすれば、後はシアルたちが何とかしてくれるからね。降伏するなら今のうちよ」
「おれを慕ってくれた兵のためにも、降伏はできないな」
「ですよね」
ユリアンヌが肩を竦める。いつのまにか、隣にやって来たシアルが頷く。
「だろうな」
シアルがバルトマルクスを手にゲン目掛けて突っ込んで行く。ゲンも、カリバーンを振りかざした。
先に武器を振ったのはゲンだった。シアルはまだ遠い。その剣から放たれる殺気に嫌な予感を覚えたユリアンヌが、銃を向けた。狙い違わず、ゲンの剣が僅かに止まる。
その一瞬の間に、シアルはゲンの目前に迫っていた。クラメリアンが跳躍する。ゲンの剣技は鋭い。到底、躱しきれないだろう。だが、シアルは臆せずバルトマルクスを振るった。ゲンがにやりと笑うと、剣を振るった。その剣が、シアルの直前で止まる。
ソレイユがシアルとゲンの剣の間に防御壁を作り出していた。もちろん、シアルの攻撃の邪魔にならない場所である。恐るべき正確性だった。
シアルとゲンが互いに駆け抜ける。シアルの腕には、確かな手ごたえが残っていた。
反転し、再度ゲンと向き合う。もう一度、バルトマルクスを振った。常人なら避けきれない。そう思うほどの会心の一撃だ。だが、ゲンはそれを剣で器用に受け止める。また、互いに駆け抜けた。
そこに、ダニエルが飛び掛かる。ゲンの剣を左手の鉄扇で受け流すと、右手の鉄扇を振るう。更に、空中で一回転すると鉄扇を突き出した。ゲンは躱しきれない。
ゲンは空中で体勢を立て直すと、再度シアルを狙うかのように突っ込んで行く。だが、そこにリシアが待ち構えていた。
リシアが剣を振るう。どうにか躱したゲンの目の前に、アニマが立っていた。アニマの剣が、振るわれる。流石に、躱しきれなかった。
ゲンは急上昇し、シアルたちを振り払う。
「やるな」
上空から戦況を見回したゲンが呟く。気づけば、戦況は大きくシアル軍優位になっていた。シアルたちがゲン軍で最も精強な部隊を相手し続けていたことが大きいだろう。両翼の戦いは、どちらもシアル軍が押し始めていた。
唯一、中央の戦いだけは乱戦となっているが、両翼をシアル軍が崩したことでゲン軍が下がり始めていた。
「退却の鐘を鳴らせ」
ゲンが叫ぶ。すぐに、ゲン軍は退却していった。勝ったのだ。
「シアルさん、無事で良かったです」
モズメの陣に行くと、感極まったのかムーンが抱き着いてきた。白い軽鎧が少し赤くなっている。怪我はしていないようなので、返り血だろうか。
「戦場だ、ちょっと落ち着け」
困り果てた表情で、シアルが告げる。近くで、ユリアンヌとアニマがにやにやしていた。ムーンが、慌ててシアルから離れる。顔が、真っ赤になっていた。
「シアルさん、ムーンさんはお強いですね。二度ばかり、敵兵を倒していましたよ」
隣にいたイオが苦笑しながら告げる。イオは全身が赤く染まっていた。ムーンを守るため、敵兵を薙ぎ倒していたのだろう。小さな傷はいくつかありそうだが、イオも元気そうだった。
「よくやったな、ムーン。こちらの損害も大きいし、無理して追撃をする必要はないだろう」
シアルの言葉に、ムーンが頷く。そこに、馬が駆けてくる。フェミナだった。
「隊長!」
馬から降りると、フェミナがユリアンヌに抱き着く。
「わたし、頑張りましたよ」
ゲンの竜騎隊相手に、攻略の糸口を作ったのはフェミナだった。ユリアンヌが、抱き着いてきたフェミナの頭を撫でる。
「頑張ったわね」
フェミナは、満足そうに頷いた。そこに、オドリックたちもやってくる。すぐに、現状をまとめるための会議が開かれることになった。見張りをしているため、将校ではセインとモズメだけが参加していない。デイビス軍からは、デイビスの代わりにユアン=モヘナがやってきていた。
「今、状況をまとめています。犠牲は、およそ一万。中央にいたデイビスさんの軍の被害が大きいです。それと」
ムーンの顔が俯く。
「デイビスさんが、乱戦の中で命を落としました」
騎馬隊の突撃を止めるべく、奮戦していたところを狙われたらしい。今は、デイビスに代わり他の上級将校が兵をまとめているとユアン=モヘナが言っていた。
「ゲン軍は二万五千ほど被害を出し、キンセツへと向かっています。すぐに、キンセツを囲いに行きましょう。それから、ツーマイさんとフライさんに頼んでカナズミの攻略を。ゲン軍が大敗した直後なので、こちらに味方する人も出てくるかと思います」
キンセツを囲うのも、落とすと言うよりはゲン軍配下の兵士に不安を与えることが大きい。放っておけば、ゲンの下には人が集まってくる。昔から、ゲンはそうだった。
「では、今後のわたしたちの動きですが」
ムーンを中心に相談が始まる。結局、フォール軍のうち五千を戻し、残りの全軍はキンセツを攻めることとなった。フォール本人とキーナもシアル軍内部の動きを固めるためにシーキンセツへと戻ることになる。ただ、フォールの軍師であるソレイユはシアルたちに同行することになっていた。
「シアルさん、ソレイユさん、後はよろしく頼みますよ」
そう告げると、フォールが戻っていく。その夜、ソレイユのもとを訪れる者がいた。
「ソレイユさん、折り入ってお話が」
ユアン=モヘナだった。例によって、ソレイユをじっと見つめてくる。
「話って、なんだい?」
ソレイユが明るい口調で尋ねる。ユアン=モヘナはソレイユから全く目線を逸らさなかった。
「わたしはもともと、デイビスさんの護衛でした。ただ、デイビスさんを守りきれず、戦いでは死なせてしまうことになってしまいました」
とは言え、ユアン=モヘナの護衛に問題があったわけではない。彼女は護衛として最善を尽くしていた。
「そんなわたしですが、人並み以上には腕が立ちます。こんな護衛でよければ、雇っていただけませんか?」
どうやら、あくまでデイビスが個人的に雇っていただけらしい。
「それはもう、もちろん大歓迎さ」
ソレイユが笑顔で告げる。ユアン=モヘナが、破顔する。
「ありがとうございます」
「ただし、自分の命だけは大切にしてくれよ」
「わかっています」
笑顔でユアン=モヘナが答える。その目は、ソレイユを見つめていた。
デイビス軍も、兵を前に進める。歩兵同士のぶつかり合いが始まった。両軍が入り乱れ、乱戦となる。バルドゥイノ軍の中央が、不意に二つに分かれた。空いたところに、二万の騎馬隊が突っ込んでいく。デイビス軍の第一陣が抉られるように壊走した。ただ、そこで騎馬隊は反転する。デイビス軍が馬防柵を設置していたためだ。
壊走したかに見えたデイビス軍も、多くは後ろに下がり体制を整えている。ただ、騎馬隊の突撃によって空いた空間に、バルドゥイノ軍の歩兵が入り込んでいた。鉤を持った歩兵が、馬防柵を引き摺り倒そうと近寄ってくる。柵が倒れては騎馬隊の突撃を防ぐことはできない。
その歩兵部隊が、浮足立つ。左側から、モズメの歩兵隊が突っ込んだためだ。左にいた敵は、オドリックの部隊が抑えている。浮足立った敵を、デイビスとユアン=モヘナ率いる千の騎馬隊が押し返していく。二万の騎馬隊は、キーナの騎馬隊がまとわりつき、自由な動きを防いでいた。
ただ、まだゲンの竜騎隊は動いていない。シアルやユリアンヌたちの部隊も、機を伺っていた。
ゲン軍の騎馬隊が大きく乱れた。どこから現れたのか、セインの遊撃隊が後ろから強襲している。小さな丘からの、逆落としだった。一拍遅れて、キーナの騎馬隊が右側から槍のように突っ込む。先頭にいるのは、キーナだ。紅白の布をつけた両手剣を振りかざし、奥深くへと進んでいく。反転した。ゲン軍の騎馬隊は、ようやく体勢を立て直しつつある。キーナはそれを再び混乱させるかのように動いていた。
その目の前に、黒い影が現れた。ゲンの騎竜隊が、キーナの目の前へと現れたのだ。先頭の銀白の竜に乗っているのがゲンだろう。ゲンが剣を構えた。キーナが慌てて進路を変えようとしているが、間に合わない。
轟音と共に、デイビス軍の火砲が弾を撃ちだす。だが、ゲンはそれを予想していたかのように反転した。一騎たりとも、竜は撃ち落されていない。再度、轟音と共に弾が放たれる。それを回避し、ゲンの騎竜隊はキーナの騎馬隊へと迫った。
不意に、近くから銃声が鳴り響いた。五騎ほどが、翼膜を撃ち抜かれ落下していく。フェミナの騎銃隊だった。フェミナが手を上げる。再度、騎銃隊が銃を構えた。その時にはもう、先頭にいるゲンがフェミナの目の前へと近づいている。
だが、フェミナは逃げなかった。近くにいるユリアンヌに全てを任せているからだ。
続けざまに、二発の銃声が響く。ゲンを乗せた騎竜が空中で反転した。ウィルムと名付けられた銀白の竜だ。
「ユリアンヌ、お前か」
ゲンが感心したような声を上げる。ゲンの声は、不思議と戦場に通った。ユリアンヌは銃口を僅かに下げ、息を吐く。片喰の紋章が、指の合間から僅かに見えた。
「できれば、あなたと戦場では肩を並べたかったけど」
「おれもだよ、ユリアンヌ」
ゲンの声は、溌剌としていた。
「シアル、お前も近くにいるんだろう」
近くの丘にシアルの騎馬隊が姿を現した。
「やはり、あんたか」
ゲンを見て、シアルが告げる。
「そうだ。シアル、久しぶりだな」
近づいてきたシアルを見て、ゲンが笑う。
「あんまり嬉しくない再会だな」
「そうだな。できることなら、平和に過ごしたかったが、そうもいかない」
ゲンは剣を構える。カリバーンと呼ばれる聖剣だ。どれだけの相手を斬っても、刃こぼれ一つしないと言う。
「前にも言った通り、戦場では容赦しないからな。いくぞ」
ウィルムが一声吠えると、シアル目掛けて突き進んでくる。シアルもバルトマルクスを構えた。愛馬クラメリアンが、風のように駆け始める。馳せ違った。
「それは、お互い様だな」
反転したシアルが告げる。ゲンもまた、反転していた。互いに見合う。
再度、ゲンが突っ込んできた。目標は、依然シアルだ。剣を振り上げたゲンが、ウィルムの手綱を引く。影のように、ダニエルがゲンの背後へと迫っていた。
舞うようなダニエルの動きを躱すため、ゲンがウィルムを旋回させる。攻撃は中断せざるを得ないが、シアルたちとの距離を一旦おこうと考えたのだ。
だが、それをユリアンヌは読み切っていた。続けざまに二発、銃弾を放つ。避け損ねたゲンから、鎧が弾け飛んだ。
「流石だな、ユリアンヌ。どうやら、おれの鎧はもう使い物にならなそうだな」
銃を構えながら、ユリアンヌが頷く。
「そうすれば、後はシアルたちが何とかしてくれるからね。降伏するなら今のうちよ」
「おれを慕ってくれた兵のためにも、降伏はできないな」
「ですよね」
ユリアンヌが肩を竦める。いつのまにか、隣にやって来たシアルが頷く。
「だろうな」
シアルがバルトマルクスを手にゲン目掛けて突っ込んで行く。ゲンも、カリバーンを振りかざした。
先に武器を振ったのはゲンだった。シアルはまだ遠い。その剣から放たれる殺気に嫌な予感を覚えたユリアンヌが、銃を向けた。狙い違わず、ゲンの剣が僅かに止まる。
その一瞬の間に、シアルはゲンの目前に迫っていた。クラメリアンが跳躍する。ゲンの剣技は鋭い。到底、躱しきれないだろう。だが、シアルは臆せずバルトマルクスを振るった。ゲンがにやりと笑うと、剣を振るった。その剣が、シアルの直前で止まる。
ソレイユがシアルとゲンの剣の間に防御壁を作り出していた。もちろん、シアルの攻撃の邪魔にならない場所である。恐るべき正確性だった。
シアルとゲンが互いに駆け抜ける。シアルの腕には、確かな手ごたえが残っていた。
反転し、再度ゲンと向き合う。もう一度、バルトマルクスを振った。常人なら避けきれない。そう思うほどの会心の一撃だ。だが、ゲンはそれを剣で器用に受け止める。また、互いに駆け抜けた。
そこに、ダニエルが飛び掛かる。ゲンの剣を左手の鉄扇で受け流すと、右手の鉄扇を振るう。更に、空中で一回転すると鉄扇を突き出した。ゲンは躱しきれない。
ゲンは空中で体勢を立て直すと、再度シアルを狙うかのように突っ込んで行く。だが、そこにリシアが待ち構えていた。
リシアが剣を振るう。どうにか躱したゲンの目の前に、アニマが立っていた。アニマの剣が、振るわれる。流石に、躱しきれなかった。
ゲンは急上昇し、シアルたちを振り払う。
「やるな」
上空から戦況を見回したゲンが呟く。気づけば、戦況は大きくシアル軍優位になっていた。シアルたちがゲン軍で最も精強な部隊を相手し続けていたことが大きいだろう。両翼の戦いは、どちらもシアル軍が押し始めていた。
唯一、中央の戦いだけは乱戦となっているが、両翼をシアル軍が崩したことでゲン軍が下がり始めていた。
「退却の鐘を鳴らせ」
ゲンが叫ぶ。すぐに、ゲン軍は退却していった。勝ったのだ。
「シアルさん、無事で良かったです」
モズメの陣に行くと、感極まったのかムーンが抱き着いてきた。白い軽鎧が少し赤くなっている。怪我はしていないようなので、返り血だろうか。
「戦場だ、ちょっと落ち着け」
困り果てた表情で、シアルが告げる。近くで、ユリアンヌとアニマがにやにやしていた。ムーンが、慌ててシアルから離れる。顔が、真っ赤になっていた。
「シアルさん、ムーンさんはお強いですね。二度ばかり、敵兵を倒していましたよ」
隣にいたイオが苦笑しながら告げる。イオは全身が赤く染まっていた。ムーンを守るため、敵兵を薙ぎ倒していたのだろう。小さな傷はいくつかありそうだが、イオも元気そうだった。
「よくやったな、ムーン。こちらの損害も大きいし、無理して追撃をする必要はないだろう」
シアルの言葉に、ムーンが頷く。そこに、馬が駆けてくる。フェミナだった。
「隊長!」
馬から降りると、フェミナがユリアンヌに抱き着く。
「わたし、頑張りましたよ」
ゲンの竜騎隊相手に、攻略の糸口を作ったのはフェミナだった。ユリアンヌが、抱き着いてきたフェミナの頭を撫でる。
「頑張ったわね」
フェミナは、満足そうに頷いた。そこに、オドリックたちもやってくる。すぐに、現状をまとめるための会議が開かれることになった。見張りをしているため、将校ではセインとモズメだけが参加していない。デイビス軍からは、デイビスの代わりにユアン=モヘナがやってきていた。
「今、状況をまとめています。犠牲は、およそ一万。中央にいたデイビスさんの軍の被害が大きいです。それと」
ムーンの顔が俯く。
「デイビスさんが、乱戦の中で命を落としました」
騎馬隊の突撃を止めるべく、奮戦していたところを狙われたらしい。今は、デイビスに代わり他の上級将校が兵をまとめているとユアン=モヘナが言っていた。
「ゲン軍は二万五千ほど被害を出し、キンセツへと向かっています。すぐに、キンセツを囲いに行きましょう。それから、ツーマイさんとフライさんに頼んでカナズミの攻略を。ゲン軍が大敗した直後なので、こちらに味方する人も出てくるかと思います」
キンセツを囲うのも、落とすと言うよりはゲン軍配下の兵士に不安を与えることが大きい。放っておけば、ゲンの下には人が集まってくる。昔から、ゲンはそうだった。
「では、今後のわたしたちの動きですが」
ムーンを中心に相談が始まる。結局、フォール軍のうち五千を戻し、残りの全軍はキンセツを攻めることとなった。フォール本人とキーナもシアル軍内部の動きを固めるためにシーキンセツへと戻ることになる。ただ、フォールの軍師であるソレイユはシアルたちに同行することになっていた。
「シアルさん、ソレイユさん、後はよろしく頼みますよ」
そう告げると、フォールが戻っていく。その夜、ソレイユのもとを訪れる者がいた。
「ソレイユさん、折り入ってお話が」
ユアン=モヘナだった。例によって、ソレイユをじっと見つめてくる。
「話って、なんだい?」
ソレイユが明るい口調で尋ねる。ユアン=モヘナはソレイユから全く目線を逸らさなかった。
「わたしはもともと、デイビスさんの護衛でした。ただ、デイビスさんを守りきれず、戦いでは死なせてしまうことになってしまいました」
とは言え、ユアン=モヘナの護衛に問題があったわけではない。彼女は護衛として最善を尽くしていた。
「そんなわたしですが、人並み以上には腕が立ちます。こんな護衛でよければ、雇っていただけませんか?」
どうやら、あくまでデイビスが個人的に雇っていただけらしい。
「それはもう、もちろん大歓迎さ」
ソレイユが笑顔で告げる。ユアン=モヘナが、破顔する。
「ありがとうございます」
「ただし、自分の命だけは大切にしてくれよ」
「わかっています」
笑顔でユアン=モヘナが答える。その目は、ソレイユを見つめていた。
敗北から二週間が経っていた。大敗であったにもかかわらず、ゲンの下から去った兵はほとんどいない。将も、まだバルドゥイノとディー=フェンスが残っている。
特に、バルドゥイノの力は大きい。今、キンセツにいるゲン軍から脱走者が少ないのは、バルドゥイノがしっかりと構えているからに他ならなかった。
「殿下」
ジェナーラのもとにつけていた女が大慌てで駆けてきた。
「お生まれになりました。女の子です」
「そうか」
急いで、ジェナーラのもとに向かう。ジェナーラの横に、籠が置かれていた。そこに、布でくるまれた小さな体が見える。大きな声で、泣いていた。
「無事、生まれましたよ」
ジェナーラが、いつになく幸せそうな顔をしている。ゲンは頷いた。顔が綻ぶ。
「そうだな。二人とも無事で良かった」
「名前は、どうしますか?」
「そうだな」
ゲンは籠の中にいた子を持ち上げながら答えた。オルニスの母を持ったためか、その背には白い翼が生えている。
「クーがいいだろう」
「クー・ロンですね。いい名前だと思います」
ジェナーラが頷く。
「しかし、クーの身を隠さねばならないな」
「戦いに負けたらということですか?」
ジェナーラが尋ねてくる。
「そうだ。今、我が軍は押され始めている。そう易々と負けるつもりはないが、万一の時に備えたほうがいいだろう」
「シアルさんたちなら、見逃していただけるんじゃないですか?」
ジェナーラの言葉に、ゲンは顔をしかめた。
「確かに、シアルは優しいところがあるからな。ただ、ボックスはそうもいかないだろう。おれの娘がいると聞いたら、死体を見るまで、安心は出来まい」
「そうですか」
ジェナーラが表情を曇らせる。
「まあ、おれが負けなければいいんだがな。出来れば、ジェナーラはクーを連れてどこかに行って欲しい」
「でも」
この世の終わりかのような表情で、ジェナーラが泣き出す。つくづく、感情の変化が激しい女だった。ゲンは幼児をあやすかのような口調で、ジェナーラに話しかける。
「わかってくれよ。そうだ」
ゲンは懐から、青い珠がついた首飾りを取り出した。家宝だと、父から聞かされていた首飾りである。
「ジェナーラ、これをクーとお前に渡しておく。もし、戦いがひと段落してから会いたくなったときは、これを部下に見せてくれ。王家に繋がりを持ったものだと認めてくれる」
青い珠の上に彫られた双竜の紋章は、王家のものだ。ジェナーラに渡す。ジェナーラは、一層大きな声で泣き出した。
「おいおい、これじゃあお前とクーのどちらが赤子か分からんぞ」
苦笑混じりに、ゲンが告げる。
「でも、でも」
「まあいい。おれは行く。頼んだぞ」
ゲンが立ち上がる。ジェナーラの声が、いつまでも離れなかった。
特に、バルドゥイノの力は大きい。今、キンセツにいるゲン軍から脱走者が少ないのは、バルドゥイノがしっかりと構えているからに他ならなかった。
「殿下」
ジェナーラのもとにつけていた女が大慌てで駆けてきた。
「お生まれになりました。女の子です」
「そうか」
急いで、ジェナーラのもとに向かう。ジェナーラの横に、籠が置かれていた。そこに、布でくるまれた小さな体が見える。大きな声で、泣いていた。
「無事、生まれましたよ」
ジェナーラが、いつになく幸せそうな顔をしている。ゲンは頷いた。顔が綻ぶ。
「そうだな。二人とも無事で良かった」
「名前は、どうしますか?」
「そうだな」
ゲンは籠の中にいた子を持ち上げながら答えた。オルニスの母を持ったためか、その背には白い翼が生えている。
「クーがいいだろう」
「クー・ロンですね。いい名前だと思います」
ジェナーラが頷く。
「しかし、クーの身を隠さねばならないな」
「戦いに負けたらということですか?」
ジェナーラが尋ねてくる。
「そうだ。今、我が軍は押され始めている。そう易々と負けるつもりはないが、万一の時に備えたほうがいいだろう」
「シアルさんたちなら、見逃していただけるんじゃないですか?」
ジェナーラの言葉に、ゲンは顔をしかめた。
「確かに、シアルは優しいところがあるからな。ただ、ボックスはそうもいかないだろう。おれの娘がいると聞いたら、死体を見るまで、安心は出来まい」
「そうですか」
ジェナーラが表情を曇らせる。
「まあ、おれが負けなければいいんだがな。出来れば、ジェナーラはクーを連れてどこかに行って欲しい」
「でも」
この世の終わりかのような表情で、ジェナーラが泣き出す。つくづく、感情の変化が激しい女だった。ゲンは幼児をあやすかのような口調で、ジェナーラに話しかける。
「わかってくれよ。そうだ」
ゲンは懐から、青い珠がついた首飾りを取り出した。家宝だと、父から聞かされていた首飾りである。
「ジェナーラ、これをクーとお前に渡しておく。もし、戦いがひと段落してから会いたくなったときは、これを部下に見せてくれ。王家に繋がりを持ったものだと認めてくれる」
青い珠の上に彫られた双竜の紋章は、王家のものだ。ジェナーラに渡す。ジェナーラは、一層大きな声で泣き出した。
「おいおい、これじゃあお前とクーのどちらが赤子か分からんぞ」
苦笑混じりに、ゲンが告げる。
「でも、でも」
「まあいい。おれは行く。頼んだぞ」
ゲンが立ち上がる。ジェナーラの声が、いつまでも離れなかった。
ジェナーラは戸を叩いた。ようやく、立ち上がれるようになったばかりである。部屋を出る前、クーは籠の中で寝ていた。後数日で、クーを連れてハジツゲを出るようにとゲンには言われている。
「なんだ、お前か」
中から出てきたのは、アクローマだった。燃えるように赤い翼と瞳を持っている。
「珍しいな。お前から接触とは。ブルーナが何か言っていたか?」
「いえ、連絡ではありません。『エース』の姉さん」
ジェナーラは『天使の羽根』でのあだ名でアクローマを呼んだ。
「では、どうした『ジョーカー』」
アクローマも返してくる。『天使の羽根』の連絡役、それがジェナーラだった。
「『瑠璃色の首飾り』についてです」
ジェナーラの言葉に、アクローマが目をつり上げる。
「ゲンがどこかに隠し持っているはずのあれか。ついに、場所でもわかったか」
「頂きました」
「は?」
流石にその言葉は想定外だったらしい。驚いた顔で、アクローマが尋ね返してくる。
「実物はあるのか?」
「これです」
ジェナーラが、懐から首飾りを取り出す。蝋燭の光を受け、青い珠がきらりと光った。
「なるほど、これか」
アクローマが手を伸ばしてくる。ジェナーラは、彼女の手に首飾りを載せた。
「これで、ゲン軍での活動は一段落ですね。わたしはゲンに身を隠すよう言われていますし、このまま去ろうと思います。姉さんはどうしますか?」
アクローマはジェナーラの言葉を鼻で笑った。
「ゲンの傍で過ごしている間に、甘くなったな。お前が『瑠璃色の首飾り』を持っていることを知っているのは、ゲンだけだろう。ゲンを殺しておけば、シアルたちに気付かれることなく珠の一つを入手できる。それも、我々が見つけたグランドラゴンを弱らせるものをだ」
「しかし」
アクローマがジェナーラを見る。紅い瞳の奥で、怒りの炎が渦巻いていた。
「しかし、ではない。どうしたジェナーラ。そんな甘い心で、任務が務まると思っているのか」
ジェナーラは答えない。ただ、ジェナーラは顔に感情が出る性格だ。今も、悲しい顔をしているのがアクローマに伝わっているのだろう。アクローマは、大きくため息をついた。
「子のせいだな。子どもが出来たことで、ゲンに妙な愛着が生まれるのだ。今からわたしがお前の子を殺そう。そうすれば、お前もゲンを殺すことに躊躇う必要がなくなる」
アクローマが部屋から出ようとする。ジェナーラは、アクローマの手を掴んだ。アクローマが振り返る。
「子どもは」
殺さないでくれ。そう頼もうとして、ジェナーラはふと冷静になった。アクローマは冷徹な性格だ。助命など逆効果だろう。だとすれば、言うべきことは決まった。
「わたしが殺します。せめて、けじめはわたしが」
「ほう」
冷めた目でアクローマが呟く。
「わたしが出来なかったときはいくらでも罰を受けます。なので、これはわたしにやらせてください」
アクローマを、真っ向から見つめる。アクローマは腕を組んで考え込む表情を取っていたが、すぐに口を開いた。
「いいだろう。猶予をやろう。子を殺して死体を持ってこい」
ジェナーラは頷くと、一目散に自室へと戻った。籠を見る。クーが静かに寝ていた。平和そのものと言った表情である。ジェナーラは子を抱き寄せ、しばしじっとしていた。事情を知っている者がいたら、子に最期の別れを済ませているように見えただろう。
三人。アクローマが密かにつけた見張りの数をジェナーラは数えていた。子を籠に置く。次の瞬間には、三人が音もなく倒れていた。皆、急所を打ってある。静かに三人を部屋に運び込むと、ジェナーラは廊下に出た。目的地は、決まっている。戸を叩いた。中から、訝しげな声がする。
「火急の要件です。いれてください」
「わかった」
中から戸が開く。不思議そうな顔をしたバルドゥイノが、そこにいた。
「なんだ、お前か」
中から出てきたのは、アクローマだった。燃えるように赤い翼と瞳を持っている。
「珍しいな。お前から接触とは。ブルーナが何か言っていたか?」
「いえ、連絡ではありません。『エース』の姉さん」
ジェナーラは『天使の羽根』でのあだ名でアクローマを呼んだ。
「では、どうした『ジョーカー』」
アクローマも返してくる。『天使の羽根』の連絡役、それがジェナーラだった。
「『瑠璃色の首飾り』についてです」
ジェナーラの言葉に、アクローマが目をつり上げる。
「ゲンがどこかに隠し持っているはずのあれか。ついに、場所でもわかったか」
「頂きました」
「は?」
流石にその言葉は想定外だったらしい。驚いた顔で、アクローマが尋ね返してくる。
「実物はあるのか?」
「これです」
ジェナーラが、懐から首飾りを取り出す。蝋燭の光を受け、青い珠がきらりと光った。
「なるほど、これか」
アクローマが手を伸ばしてくる。ジェナーラは、彼女の手に首飾りを載せた。
「これで、ゲン軍での活動は一段落ですね。わたしはゲンに身を隠すよう言われていますし、このまま去ろうと思います。姉さんはどうしますか?」
アクローマはジェナーラの言葉を鼻で笑った。
「ゲンの傍で過ごしている間に、甘くなったな。お前が『瑠璃色の首飾り』を持っていることを知っているのは、ゲンだけだろう。ゲンを殺しておけば、シアルたちに気付かれることなく珠の一つを入手できる。それも、我々が見つけたグランドラゴンを弱らせるものをだ」
「しかし」
アクローマがジェナーラを見る。紅い瞳の奥で、怒りの炎が渦巻いていた。
「しかし、ではない。どうしたジェナーラ。そんな甘い心で、任務が務まると思っているのか」
ジェナーラは答えない。ただ、ジェナーラは顔に感情が出る性格だ。今も、悲しい顔をしているのがアクローマに伝わっているのだろう。アクローマは、大きくため息をついた。
「子のせいだな。子どもが出来たことで、ゲンに妙な愛着が生まれるのだ。今からわたしがお前の子を殺そう。そうすれば、お前もゲンを殺すことに躊躇う必要がなくなる」
アクローマが部屋から出ようとする。ジェナーラは、アクローマの手を掴んだ。アクローマが振り返る。
「子どもは」
殺さないでくれ。そう頼もうとして、ジェナーラはふと冷静になった。アクローマは冷徹な性格だ。助命など逆効果だろう。だとすれば、言うべきことは決まった。
「わたしが殺します。せめて、けじめはわたしが」
「ほう」
冷めた目でアクローマが呟く。
「わたしが出来なかったときはいくらでも罰を受けます。なので、これはわたしにやらせてください」
アクローマを、真っ向から見つめる。アクローマは腕を組んで考え込む表情を取っていたが、すぐに口を開いた。
「いいだろう。猶予をやろう。子を殺して死体を持ってこい」
ジェナーラは頷くと、一目散に自室へと戻った。籠を見る。クーが静かに寝ていた。平和そのものと言った表情である。ジェナーラは子を抱き寄せ、しばしじっとしていた。事情を知っている者がいたら、子に最期の別れを済ませているように見えただろう。
三人。アクローマが密かにつけた見張りの数をジェナーラは数えていた。子を籠に置く。次の瞬間には、三人が音もなく倒れていた。皆、急所を打ってある。静かに三人を部屋に運び込むと、ジェナーラは廊下に出た。目的地は、決まっている。戸を叩いた。中から、訝しげな声がする。
「火急の要件です。いれてください」
「わかった」
中から戸が開く。不思議そうな顔をしたバルドゥイノが、そこにいた。
キンセツを包囲しているシアル軍のもとに、バルドゥイノが投降してきたとの情報が入ってきたのは夜半のことだった。哨戒中の兵に、話しかけてきたのだと言う。いつもの銃に変形する槍は持っておらず、代わりに赤子を胸に抱えていた。今、キョウコとラディの二人がバルドゥイノと話し合っていた。キョウコは昨日から戦列に復帰したばかりである。
「軽く話しましたが、害はなさそうです。バルドゥイノを連れてきたいのですが、大丈夫でしょうか?」
シアルたちのもとにやって来たキョウコが告げる。キョウコははっとするほど痩せていた。それでも、顔色は以前と比べるとはるかに良くなっている。
「手枷はしてもらうことになるけどね」
ユリアンヌが頷いた。すぐに、バルドゥイノが連れられて来る。手枷をつけられているとはいえ、堂々とした佇まいだった。左目から放たれている眼光が鋭い。右目は、眼帯をしていた。背は、キョウコよりいくらか低いくらいだろうか。バルドゥイノは、示された椅子に座ると、シアルたちを見回す。その目が、ユリアンヌで止まった。
「こうやって話すのは、初めてだな」
「どういう風の吹き回しかしら?」
ユリアンヌの声は、低い。
「互いに話したいことはあると思うが、おれに時間がない。手短に要件を伝えさせてくれ」
「ええ、時間が惜しいわ」
バルドゥイノの言葉に、ユリアンヌが頷く。
「まず、おれは投降する。好きなようにしてくれていい。代わりに、一緒に連れてきた子どもの安全を保障してくれないか?」
「子どもか」
シアルが口を開く。
「ゲンの子なのか?」
尋ねたのはオドリックだ。シアルたちとオドリックの他、ムーン、セイン、キョウコがその場に同席していた。
「そうだ。母親はジェナーラ。オルニスの血が混じっている。ゲンの子、クーをおれが連れていると知っているのは彼女だけだ。今、ゲンの身が危うい。シアルたちは、『天使の羽根』と言う組織を知っているんだよな?」
アニマが、僅かに反応する。シアルたちも、頷いた。
「それがどうしたんですか?」
無機質な声でアニマが尋ねる。バルドゥイノが口を開いた。
「おれは先ほどジェナーラから聞いたばかりだから、そう事情は詳しくない。ただ、アクローマやジェナーラはその組織の一員だ。ゲンのもとで、『瑠璃色の首飾り』と呼ばれる装飾品を探していたらしい。今、それはアクローマが持っている」
バルドゥイノが手短にそこまでの事情を説明する。ユリアンヌが納得した表情になる。
「『瑠璃色の首飾り』は、ゲンが持っていたのね」
「『首飾り』が天使の羽根のもとにあるんでしたら、急いで取り返さないと」
アニマが告げる。ユリアンヌが頷いた。
「由々しき事態だわ」
「その首飾りは、お前たちにとって非常に大事なことだと思う。ただ、おれもおれで大切なことがあるんだ」
バルドゥイノがシアルたちを見回しながら、言葉を続ける。
「敵であるシアルたちに頼むのもおかしな話だが、ゲンを共に助けてくれないか?」
「結構なことを、言っているな」
シアルが苦笑する。ユリアンヌが、バルドゥイノを正面から見据えた。
「これが、あなたたちが立てた生まれたばかりの子どもまで使った作戦だと疑いたくはないんだけど、今は戦時下。疑わざるを得ないわ」
「疑うなら、おれを殺してくれて構わない」
バルドゥイノとユリアンヌが見合う。ユリアンヌが、ふっと笑った。
「殺すわけが、ないでしょう。投降してきたものをむやみに殺す趣味はないのよ」
「じゃあ、協力してくれないか。おれが知っていることはいくらでも伝えられる。ただ、時間がないんだ。早めに決めて欲しい」
バルドゥイノの表情には、僅かに焦りが見えた。
「話を聞いてから、決めましょう」
アニマが皆に告げる。皆、反対はなさそうだった。バルドゥイノが話し始める。聞き終えると、ムーンが口を開いた。
「ゲンさんのお子さんの安全を保障すること、可能であればゲンさんを助けに行くこと。この二つがバルドゥイノさんの目的ですね?」
ムーンの確認に、バルドゥイノが頷く。
「出来るのか?」
「わたしの一存では決められません。シアルさん、どうしますか?」
「やろう。私としても、ゲンは助けたい」
シアルの答えに、バルドゥイノが安堵の表情を見せる。ムーンも笑顔を見せた。
「シアルさんならそう言うと思っていましたよ。では、早めに策を考えましょう。まず、クーさんからですね。誰かの養子にすればいいと思いますが」
「それですが」
口を開いたのは、キョウコだった。
「わたしの子にするのはどうでしょうか? クーちゃんが生まれたのは六日前。ちょうどひと月ほど前からわたしは療養所に入っていました。実は出産していたと言うことにしても、さほど違和感はないと思うんですが」
確かに、キョウコもジェナーラもオルニスである。おまけに、両者とも金髪で白い翼の持ち主だった。
「しかし、それだと父親はどうするんだ?」
「別に、誰だかわからなくてもそう問題になるとは思いませんが」
セインの言葉に、キョウコが首を傾げる。アニマが、にやりと笑った。近くにいるソレイユを見る。
「ソレイユさん、腹をくくる時が来たようですよ」
ゲンがヒューリンなこともあり、クーはハーフオルニスとして生まれていた。同様の種族が生まれるためには、父がヒューリンでなければならない。必然的に、その場にいるヒューリンの中で最もキョウコと仲が良かったソレイユに注目が集まる。
「なんならわたしでも良かったんですが、わたしは女性ですからね」
アニマが笑った。ソレイユだけが、一人困惑している。その様子を見かねたのか、オドリックが手を上げた。
「なんなら、おれの子でも構わんぞ」
キョウコが露骨に嫌そうな顔をする。
「子どもに髪の毛の心配をさせたくないの。分かるでしょ?」
「いや、だから、おれは毎朝剃っているだけで・・・わかった、すまん」
キョウコにもの凄い目で睨まれたオドリックが謝る。ただ、ソレイユが渋っていることもあり、父親の問題だけは答えが出なかった。
キョウコは父親がいなくてもいいと言っているが、それでも噂が出ることには変わりない。そして、その場合に最も噂の標的になりそうな人間がソレイユなのだ。
この話題が中々終わりそうにないと思ったのか、ムーンが立ち上がる。
「ひとまず、クーさんをキョウコさんの子どもにすることは決まりましたし、先にゲンさんを助ける方針を考えましょうか」
「そうしてくれると、助かる」
バルドゥイノが頷く。セインが口を開いた。
「とは言え、策もなくハジツゲに忍び込んでもゲンを助けられる目はないだろう。どうするんだ?」
「まだ、おれが投降したと知っているものはほとんどいない。それに、ゲンから抜け道をいくつか聞いている。おれを信じてもらうしかないが、共に来てくれ。おれが信じられないと言うなら、おれは手枷をつけられたうえで丸腰でも構わん」
「それだけの覚悟があるなら、別に」
ユリアンヌが告げると、アニマも同意する。
「いつも通りの格好でいいですよ」
ユリアンヌがバルドゥイノの手枷を外す。バルドゥイノが笑いかけてきた。
「ありがたい。ただ、おれ専用の銃はキンセツに置いてきてしまったから、誰かのものを貸してくれないか?」
「どうぞ」
アニマが銃を手渡す。
「あ、裏切りたいのならどうぞ。その時はわたしがあなたを倒しますから」
「裏切るつもりはないがな。おれは、ゲンを助けたいんだ」
話し合いの末、シアルたち七人とセインがバルドゥイノと共にハジツゲへと向かうこととなった。念のため、スタンダールがハジツゲに潜入させている部下と共に、脱出路を作る。
「すまない、みんな。よろしく頼む」
バルドゥイノが頭を下げる。それから、ふとユリアンヌを見た。
「ユリアンヌ、お前の友人は強かった。出来ることなら、お前と同じくこうやって話したかったよ」
「そうね。でも、過ぎたことをとやかく言っても仕方がないわ」
でも、とユリアンヌが寂しそうに笑う。
「戦いが終わったら、デムーランの墓にでも花を添えてあげて」
「ああ、そうさせてくれ」
バルドゥイノが頷いた。
「軽く話しましたが、害はなさそうです。バルドゥイノを連れてきたいのですが、大丈夫でしょうか?」
シアルたちのもとにやって来たキョウコが告げる。キョウコははっとするほど痩せていた。それでも、顔色は以前と比べるとはるかに良くなっている。
「手枷はしてもらうことになるけどね」
ユリアンヌが頷いた。すぐに、バルドゥイノが連れられて来る。手枷をつけられているとはいえ、堂々とした佇まいだった。左目から放たれている眼光が鋭い。右目は、眼帯をしていた。背は、キョウコよりいくらか低いくらいだろうか。バルドゥイノは、示された椅子に座ると、シアルたちを見回す。その目が、ユリアンヌで止まった。
「こうやって話すのは、初めてだな」
「どういう風の吹き回しかしら?」
ユリアンヌの声は、低い。
「互いに話したいことはあると思うが、おれに時間がない。手短に要件を伝えさせてくれ」
「ええ、時間が惜しいわ」
バルドゥイノの言葉に、ユリアンヌが頷く。
「まず、おれは投降する。好きなようにしてくれていい。代わりに、一緒に連れてきた子どもの安全を保障してくれないか?」
「子どもか」
シアルが口を開く。
「ゲンの子なのか?」
尋ねたのはオドリックだ。シアルたちとオドリックの他、ムーン、セイン、キョウコがその場に同席していた。
「そうだ。母親はジェナーラ。オルニスの血が混じっている。ゲンの子、クーをおれが連れていると知っているのは彼女だけだ。今、ゲンの身が危うい。シアルたちは、『天使の羽根』と言う組織を知っているんだよな?」
アニマが、僅かに反応する。シアルたちも、頷いた。
「それがどうしたんですか?」
無機質な声でアニマが尋ねる。バルドゥイノが口を開いた。
「おれは先ほどジェナーラから聞いたばかりだから、そう事情は詳しくない。ただ、アクローマやジェナーラはその組織の一員だ。ゲンのもとで、『瑠璃色の首飾り』と呼ばれる装飾品を探していたらしい。今、それはアクローマが持っている」
バルドゥイノが手短にそこまでの事情を説明する。ユリアンヌが納得した表情になる。
「『瑠璃色の首飾り』は、ゲンが持っていたのね」
「『首飾り』が天使の羽根のもとにあるんでしたら、急いで取り返さないと」
アニマが告げる。ユリアンヌが頷いた。
「由々しき事態だわ」
「その首飾りは、お前たちにとって非常に大事なことだと思う。ただ、おれもおれで大切なことがあるんだ」
バルドゥイノがシアルたちを見回しながら、言葉を続ける。
「敵であるシアルたちに頼むのもおかしな話だが、ゲンを共に助けてくれないか?」
「結構なことを、言っているな」
シアルが苦笑する。ユリアンヌが、バルドゥイノを正面から見据えた。
「これが、あなたたちが立てた生まれたばかりの子どもまで使った作戦だと疑いたくはないんだけど、今は戦時下。疑わざるを得ないわ」
「疑うなら、おれを殺してくれて構わない」
バルドゥイノとユリアンヌが見合う。ユリアンヌが、ふっと笑った。
「殺すわけが、ないでしょう。投降してきたものをむやみに殺す趣味はないのよ」
「じゃあ、協力してくれないか。おれが知っていることはいくらでも伝えられる。ただ、時間がないんだ。早めに決めて欲しい」
バルドゥイノの表情には、僅かに焦りが見えた。
「話を聞いてから、決めましょう」
アニマが皆に告げる。皆、反対はなさそうだった。バルドゥイノが話し始める。聞き終えると、ムーンが口を開いた。
「ゲンさんのお子さんの安全を保障すること、可能であればゲンさんを助けに行くこと。この二つがバルドゥイノさんの目的ですね?」
ムーンの確認に、バルドゥイノが頷く。
「出来るのか?」
「わたしの一存では決められません。シアルさん、どうしますか?」
「やろう。私としても、ゲンは助けたい」
シアルの答えに、バルドゥイノが安堵の表情を見せる。ムーンも笑顔を見せた。
「シアルさんならそう言うと思っていましたよ。では、早めに策を考えましょう。まず、クーさんからですね。誰かの養子にすればいいと思いますが」
「それですが」
口を開いたのは、キョウコだった。
「わたしの子にするのはどうでしょうか? クーちゃんが生まれたのは六日前。ちょうどひと月ほど前からわたしは療養所に入っていました。実は出産していたと言うことにしても、さほど違和感はないと思うんですが」
確かに、キョウコもジェナーラもオルニスである。おまけに、両者とも金髪で白い翼の持ち主だった。
「しかし、それだと父親はどうするんだ?」
「別に、誰だかわからなくてもそう問題になるとは思いませんが」
セインの言葉に、キョウコが首を傾げる。アニマが、にやりと笑った。近くにいるソレイユを見る。
「ソレイユさん、腹をくくる時が来たようですよ」
ゲンがヒューリンなこともあり、クーはハーフオルニスとして生まれていた。同様の種族が生まれるためには、父がヒューリンでなければならない。必然的に、その場にいるヒューリンの中で最もキョウコと仲が良かったソレイユに注目が集まる。
「なんならわたしでも良かったんですが、わたしは女性ですからね」
アニマが笑った。ソレイユだけが、一人困惑している。その様子を見かねたのか、オドリックが手を上げた。
「なんなら、おれの子でも構わんぞ」
キョウコが露骨に嫌そうな顔をする。
「子どもに髪の毛の心配をさせたくないの。分かるでしょ?」
「いや、だから、おれは毎朝剃っているだけで・・・わかった、すまん」
キョウコにもの凄い目で睨まれたオドリックが謝る。ただ、ソレイユが渋っていることもあり、父親の問題だけは答えが出なかった。
キョウコは父親がいなくてもいいと言っているが、それでも噂が出ることには変わりない。そして、その場合に最も噂の標的になりそうな人間がソレイユなのだ。
この話題が中々終わりそうにないと思ったのか、ムーンが立ち上がる。
「ひとまず、クーさんをキョウコさんの子どもにすることは決まりましたし、先にゲンさんを助ける方針を考えましょうか」
「そうしてくれると、助かる」
バルドゥイノが頷く。セインが口を開いた。
「とは言え、策もなくハジツゲに忍び込んでもゲンを助けられる目はないだろう。どうするんだ?」
「まだ、おれが投降したと知っているものはほとんどいない。それに、ゲンから抜け道をいくつか聞いている。おれを信じてもらうしかないが、共に来てくれ。おれが信じられないと言うなら、おれは手枷をつけられたうえで丸腰でも構わん」
「それだけの覚悟があるなら、別に」
ユリアンヌが告げると、アニマも同意する。
「いつも通りの格好でいいですよ」
ユリアンヌがバルドゥイノの手枷を外す。バルドゥイノが笑いかけてきた。
「ありがたい。ただ、おれ専用の銃はキンセツに置いてきてしまったから、誰かのものを貸してくれないか?」
「どうぞ」
アニマが銃を手渡す。
「あ、裏切りたいのならどうぞ。その時はわたしがあなたを倒しますから」
「裏切るつもりはないがな。おれは、ゲンを助けたいんだ」
話し合いの末、シアルたち七人とセインがバルドゥイノと共にハジツゲへと向かうこととなった。念のため、スタンダールがハジツゲに潜入させている部下と共に、脱出路を作る。
「すまない、みんな。よろしく頼む」
バルドゥイノが頭を下げる。それから、ふとユリアンヌを見た。
「ユリアンヌ、お前の友人は強かった。出来ることなら、お前と同じくこうやって話したかったよ」
「そうね。でも、過ぎたことをとやかく言っても仕方がないわ」
でも、とユリアンヌが寂しそうに笑う。
「戦いが終わったら、デムーランの墓にでも花を添えてあげて」
「ああ、そうさせてくれ」
バルドゥイノが頷いた。
ソレイユが幕舎から出ると、ユアン=モヘナが待っていた。
「出動ですね。急いで、準備しましょう。わたしも同行した方がいいですか?」
「ああ、そうだな。いてくれると心強い」
ソレイユが頷く。ユアン=モヘナが嬉しそうに笑った。
「急いで、荷物を準備しに行きましょう」
二人は、ソレイユの荷物がある幕舎へと向かう。ソレイユの幕舎は、会議で使われた幕舎からは離れたところにあった。
「急いだ方がいいですね。走りましょうか?」
駆け始める。ユアン=モヘナが二度、三度と後ろを見ながら先に進んでいた。すぐに、幕舎へと到着する。ソレイユが先に入ると、ユアン=モヘナが後から幕舎へと入り、入り口を閉める。
「ちょっと、閉めたら暗いんじゃないの?」
ソレイユが困惑した声で窘める。ユアン=モヘナが笑った。ゆっくりと近づいてくる。
「やっと、二人きりになれましたね」
楽しそうなユアン=モヘナの声を聞きながら、ソレイユは不安を感じ始めていた。ユアン=モヘナから不穏な気配を感じるのだ。ソレイユの体から、汗が噴き出てきた。
「おいおい、嘘だろ」
信じられないと言った口調で呟く。ユアン=モヘナが首を傾げた。銀色の髪がふわりと揺れる。
「上手く隠したつもりだったんですけどね」
その言葉と同時に、禍々しい気配がユアン=モヘナから放たれる。
「まあ、いいでしょう。どの道、この近くには誰も居ません。大人しく、死んでください」
ユアン=モヘナが短剣を取り出した時だった。大きな音と共に、幕舎の戸が外から開かれる。
「ソレイユ、何かあった?」
キョウコだった。ソレイユとユアン=モヘナを見て、即座に場の状況を理解する。携帯している笛を、即座に鳴らした。身の危機を告げるものだ。
「ユアン=モヘナ! やっぱり!」
キョウコが叫ぶ。ユアン=モヘナが舌打ちした。短剣をソレイユに向けて突き出すと見せかけ、床を蹴って戸口にいるキョウコの懐に飛び込む。その動きは、ソレイユの安全を優先したキョウコの虚を僅かについた。
それでも、日ごろのキョウコなら十分対応できたろう。だが、キョウコの反応は遅れた。病み上がりの分、体力が動きについてきていない。
ソレイユが慌てて庇おうとするも、遠い。防御壁を作り出そうとするより先に、ユアン=モヘナの短剣がキョウコの胸に吸い込まれる。キョウコの体が、僅かに揺れる。
「嘘だろ」
ソレイユが呟いた。キョウコが、糸が切れたように倒れる。呆然としたソレイユを尻目に、ユアン=モヘナが戸口の外へと駆け出していった。
凄まじい音が、外から聞こえてくる。ソレイユの幕舎が、真っ二つになった。
気づくと、ソレイユの隣にアニマが立っている。
「何か笛の音を聞いたんですが、何かありましたか?」
「あいつを頼む」
遠くに見えるユアン=モヘナを指し、ソレイユが告げる。
「了解」
ただならぬものを感じたのだろう。アニマは即座に飛んでいった。
「おれはキョウコを癒やす」
そう告げると、キョウコの隣に屈みこんだ。僅かに、胸が上下している。ただ、その間隔が不吉なほど早い。
キョウコの胸には、短剣が突き刺さったままだった。それを抜く。血が、溢れるように流れ出した。キョウコとソレイユの服が、たちまちのうちに赤く染まる。ソレイユが治癒の呪文をかけた。キョウコの傷が塞がっていく。
だが、キョウコの胸の上下は早いままだった。
「ソレイユ、ありがとう。でも、ごめんね」
囁くような声で、キョウコが告げる。キョウコの顔は、蒼白になっていた。
「わたし、あなたに謝ろうと思っていて。さっきの会議で、わたしに子どもが出来たじゃない」
「もういい、喋るな」
ソレイユがさらに治癒の呪文をかけようとする。それを、キョウコが遮った。首を横に振っている。キョウコが口を開いた。
「それで、ソレイユのことまで考えていなくて」
囁くような声には、変わりない。キョウコの体が、震えている。単に、寒いからと言うわけではないのだろう。
「喋るな。体に良くない」
「本当は分かっていたの。でも、でもね。わたし、本当はあなたとの子どもならいいかなあって思っていたの。わたし、ずっとあなたが好きで」
突然の告白だった。キョウコは、何か思うところがあるのだろう。キョウコが激しく咳込んだ
「でも、もういいの。残った子と、ソレイユの未来は心配だけどね」
「よくねえだろうが。お前には、まだやってもらわないといけないことが」
キョウコが、ソレイユの手を握りしめる。ソレイユの目を見つめた。目が、光を放っている。意思の強い瞳だ。
「ソレイユ、キーナちゃんによろしくね。出会えて、本当に」
キョウコの目が、光を失った。ソレイユの手から、キョウコの手が離れていく。
「ユアン=モヘナは捕まえたわ」
そこに、ユリアンヌとアニマがやってくる。血だらけのユアン=モヘナをアニマが掴んでいた。まだ、息はある。二人が、ソレイユの隣に立った。
「彼女は、白だったってわけね」
ユリアンヌが呟く。ソレイユは一人、キョウコと向き合っていた。ただ、いつまでも悲しんでいる時間はない。アニマが涙で濡れた顔を手で拭うと、二人を見た。
「行きましょう。キョウコさんの娘のためにも」
「ええ、行きましょう」
ユリアンヌが頷く。ソレイユが、拳を地面に叩きつけた。
「また、守れなかった」
バルドゥイノとの約束の刻限が迫っている。誰も動こうとしなかった。
「出動ですね。急いで、準備しましょう。わたしも同行した方がいいですか?」
「ああ、そうだな。いてくれると心強い」
ソレイユが頷く。ユアン=モヘナが嬉しそうに笑った。
「急いで、荷物を準備しに行きましょう」
二人は、ソレイユの荷物がある幕舎へと向かう。ソレイユの幕舎は、会議で使われた幕舎からは離れたところにあった。
「急いだ方がいいですね。走りましょうか?」
駆け始める。ユアン=モヘナが二度、三度と後ろを見ながら先に進んでいた。すぐに、幕舎へと到着する。ソレイユが先に入ると、ユアン=モヘナが後から幕舎へと入り、入り口を閉める。
「ちょっと、閉めたら暗いんじゃないの?」
ソレイユが困惑した声で窘める。ユアン=モヘナが笑った。ゆっくりと近づいてくる。
「やっと、二人きりになれましたね」
楽しそうなユアン=モヘナの声を聞きながら、ソレイユは不安を感じ始めていた。ユアン=モヘナから不穏な気配を感じるのだ。ソレイユの体から、汗が噴き出てきた。
「おいおい、嘘だろ」
信じられないと言った口調で呟く。ユアン=モヘナが首を傾げた。銀色の髪がふわりと揺れる。
「上手く隠したつもりだったんですけどね」
その言葉と同時に、禍々しい気配がユアン=モヘナから放たれる。
「まあ、いいでしょう。どの道、この近くには誰も居ません。大人しく、死んでください」
ユアン=モヘナが短剣を取り出した時だった。大きな音と共に、幕舎の戸が外から開かれる。
「ソレイユ、何かあった?」
キョウコだった。ソレイユとユアン=モヘナを見て、即座に場の状況を理解する。携帯している笛を、即座に鳴らした。身の危機を告げるものだ。
「ユアン=モヘナ! やっぱり!」
キョウコが叫ぶ。ユアン=モヘナが舌打ちした。短剣をソレイユに向けて突き出すと見せかけ、床を蹴って戸口にいるキョウコの懐に飛び込む。その動きは、ソレイユの安全を優先したキョウコの虚を僅かについた。
それでも、日ごろのキョウコなら十分対応できたろう。だが、キョウコの反応は遅れた。病み上がりの分、体力が動きについてきていない。
ソレイユが慌てて庇おうとするも、遠い。防御壁を作り出そうとするより先に、ユアン=モヘナの短剣がキョウコの胸に吸い込まれる。キョウコの体が、僅かに揺れる。
「嘘だろ」
ソレイユが呟いた。キョウコが、糸が切れたように倒れる。呆然としたソレイユを尻目に、ユアン=モヘナが戸口の外へと駆け出していった。
凄まじい音が、外から聞こえてくる。ソレイユの幕舎が、真っ二つになった。
気づくと、ソレイユの隣にアニマが立っている。
「何か笛の音を聞いたんですが、何かありましたか?」
「あいつを頼む」
遠くに見えるユアン=モヘナを指し、ソレイユが告げる。
「了解」
ただならぬものを感じたのだろう。アニマは即座に飛んでいった。
「おれはキョウコを癒やす」
そう告げると、キョウコの隣に屈みこんだ。僅かに、胸が上下している。ただ、その間隔が不吉なほど早い。
キョウコの胸には、短剣が突き刺さったままだった。それを抜く。血が、溢れるように流れ出した。キョウコとソレイユの服が、たちまちのうちに赤く染まる。ソレイユが治癒の呪文をかけた。キョウコの傷が塞がっていく。
だが、キョウコの胸の上下は早いままだった。
「ソレイユ、ありがとう。でも、ごめんね」
囁くような声で、キョウコが告げる。キョウコの顔は、蒼白になっていた。
「わたし、あなたに謝ろうと思っていて。さっきの会議で、わたしに子どもが出来たじゃない」
「もういい、喋るな」
ソレイユがさらに治癒の呪文をかけようとする。それを、キョウコが遮った。首を横に振っている。キョウコが口を開いた。
「それで、ソレイユのことまで考えていなくて」
囁くような声には、変わりない。キョウコの体が、震えている。単に、寒いからと言うわけではないのだろう。
「喋るな。体に良くない」
「本当は分かっていたの。でも、でもね。わたし、本当はあなたとの子どもならいいかなあって思っていたの。わたし、ずっとあなたが好きで」
突然の告白だった。キョウコは、何か思うところがあるのだろう。キョウコが激しく咳込んだ
「でも、もういいの。残った子と、ソレイユの未来は心配だけどね」
「よくねえだろうが。お前には、まだやってもらわないといけないことが」
キョウコが、ソレイユの手を握りしめる。ソレイユの目を見つめた。目が、光を放っている。意思の強い瞳だ。
「ソレイユ、キーナちゃんによろしくね。出会えて、本当に」
キョウコの目が、光を失った。ソレイユの手から、キョウコの手が離れていく。
「ユアン=モヘナは捕まえたわ」
そこに、ユリアンヌとアニマがやってくる。血だらけのユアン=モヘナをアニマが掴んでいた。まだ、息はある。二人が、ソレイユの隣に立った。
「彼女は、白だったってわけね」
ユリアンヌが呟く。ソレイユは一人、キョウコと向き合っていた。ただ、いつまでも悲しんでいる時間はない。アニマが涙で濡れた顔を手で拭うと、二人を見た。
「行きましょう。キョウコさんの娘のためにも」
「ええ、行きましょう」
ユリアンヌが頷く。ソレイユが、拳を地面に叩きつけた。
「また、守れなかった」
バルドゥイノとの約束の刻限が迫っている。誰も動こうとしなかった。
夜のハジツゲを、十人の人間が駆けていた。先頭を走っているのはスタンダールである。目指しているのは、ハジツゲの市庁舎だ。今から百年ほど前に建てられたその建物は五階建ての大きな建物で、遠目にも一際目立っている。
「雪夜軍が、周囲に潜んでいます」
スタンダールが報告してきた。周囲に派遣した部下からの報告だろう。
「ここからは気付かれずに進軍するのが難しいかもしれません。誰かが囮として惹きつけている間に、他の面々が忍び込んだ方が確実かと」
「シアル、おれを先に突っ込ませてくれないか? ゲンの場所は、おれが詳しい」
バルドゥイノがシアルを見る。その目には、頑迷な光が見えた。ゲンを残してきているとの思いが強いのだろう。
「一理あるな。我々が囮になろう」
「すまない、恩に着る」
シアルが頷くと、バルドゥイノが頭を下げた。
「おれも一緒に行こう。バルドゥイノ一人だと不安だろうしな」
セインが告げる。それで、決まりだった。
シアルたちが物陰から飛び出す。すぐに、雪夜軍の兵士たちに囲まれた。ただ、ブルーナはいない。数が多いだけで、どうにでもなりそうだった。
シアルたちが戦い始めてすぐ、セインとバルドゥイノが物陰から市庁舎へと忍び込んでいくのが見えた。後、敵は三十人余り。倒せば、追いつけるだろう。
「雪夜軍が、周囲に潜んでいます」
スタンダールが報告してきた。周囲に派遣した部下からの報告だろう。
「ここからは気付かれずに進軍するのが難しいかもしれません。誰かが囮として惹きつけている間に、他の面々が忍び込んだ方が確実かと」
「シアル、おれを先に突っ込ませてくれないか? ゲンの場所は、おれが詳しい」
バルドゥイノがシアルを見る。その目には、頑迷な光が見えた。ゲンを残してきているとの思いが強いのだろう。
「一理あるな。我々が囮になろう」
「すまない、恩に着る」
シアルが頷くと、バルドゥイノが頭を下げた。
「おれも一緒に行こう。バルドゥイノ一人だと不安だろうしな」
セインが告げる。それで、決まりだった。
シアルたちが物陰から飛び出す。すぐに、雪夜軍の兵士たちに囲まれた。ただ、ブルーナはいない。数が多いだけで、どうにでもなりそうだった。
シアルたちが戦い始めてすぐ、セインとバルドゥイノが物陰から市庁舎へと忍び込んでいくのが見えた。後、敵は三十人余り。倒せば、追いつけるだろう。
ジェナーラが駆けこんできた。ぐったりとした赤子を連れている。息がないのは、顔を見るまでもなく明らかだった。
「バルドゥイノが」
ジェナーラがアクローマに告げる。目の辺りが、赤く腫れていた。
「どうした?」
「どこで勘付いたのか、赤子をわたしから奪おうと襲ってきました。咄嗟のことだったので、躱しきれず」
それで、先ほどジェナーラに付けた見張りからの連絡がないのだろう。
「せめて、赤子だけは殺しました」
ジェナーラは泣きそうな表情をしていた。本当に、ジェナーラは感情が表に出やすい。半ば呆れながら、アクローマは思っていた。
「バルドゥイノが暴れているわけか」
「恐らく。ただ、今どこにいるか分かりません」
バルドゥイノは、ゲンが連れてきた人間の中で、唯一生き残っている将軍だった。腕もたつ。ゲンを暗殺する上で避けては通れない障害だろう。
「わかった。私が殺そう。今からゲンを殺しに行けば、どこかで身を挺して守ってくるだろうしな。お前は休んでいろ」
「でも」
「今のお前は、感情が高ぶりすぎている。本来の力の半分も出せはしないだろう。わたしがやる。ブルーナ」
「どうしました、お姉さま?」
背後の扉が開き、ブルーナが入ってきた。
「こいつをしばらく連れ出しておけ。ゲンとバルドゥイノはわたしが殺す」
「わかりました」
「首飾りも、お前が持っていろ」
何か言いたげなジェナーラを連れ、首飾りを持ったブルーナが窓から去って行く。アクローマは扉を開けた。耳を研ぎ澄ませ、闘争の気配を探る。外で、戦いが起きていた。ただ、複数の気配だ。バルドゥイノが、仲間を呼んできたと言うことだろうか。
アクローマは、にやりと笑った。久しぶりに、楽しめそうな気配である。ただ、ゲンの暗殺だけは確実にこなす必要があるだろう。母なる『エックス』との約束でもあった。
『エックス』について知っているのは、自分とブルーナ、それに『スペード』だけだろう。他の『天使の羽根』の面々は、アクローマが裏の指導者だと思っている。確かに、判断のほとんどは自分が下すことが多いが、もっと大まかな道筋を考えるのは『エックス』だった。
「楽しみに、なってきた」
ゲンの部屋へと向かう。不意に、闘気がアクローマに触れた。振り向く。ゲンが立っていた。
「どういうことかな、アクローマ?」
「見ての通りだ、分かるだろう」
「そうか、信じていたのに残念だ」
ゲンは腰に下げた鞘から、剣を抜く。カリバーン。王族に伝わる二振りの聖剣の一本だ。どれだけ人や物を斬っても、刃こぼれ一つしないという。
「わたしは嬉しいよ。楽しませてくれそうだからな。ま、わたしの勝ちだろうがな」
「一対一なら負けるかもしれん。だが、どうかな」
通路の反対側から、物音が聞こえる。バルドゥイノと、シアル軍にいるセインだった。
「なるほど、手を組んだのか」
「おれが勝手に組んだだけだ。ゲンは知らん」
バルドゥイノが、背中に担いでいた銃を構えながら答える。
「まあ、なんでもいい。一対三なら、楽しませてくれるだろう」
セインから殺気が迫ってくる。礫だ。アクローマは右手を挙げた。太陽を思わせる二つの球体がアクローマの周囲に現れ、そのうちの一つが礫に触れる。熱で、礫は消滅した。
「なんだそりゃ」
セインが呻く。アクローマが指を鳴らすと、火球が弾ける。周囲に、炎が吹き荒れた。
その合間を潜り抜け、三発の銃弾が迫ってくる。アクローマは腰から剣を抜くと、振り上げた。銃弾が、全て床に落ちる。
居合いと共にゲンが迫ってきた。二合、三合と打ち合う。カリバーンに加え、ゲンの剣技も相当なものだ。
アクローマの剣が特製のものでなければ、折れていただろう。
窓側から殺気が近づいてくる。剣はゲンと打ち合っているので振るえない。アクローマは咄嗟に下がる。セインの剣が、アクローマの居たところに振り下ろされた。更に斬撃のように飛んできたゲンの剣技を躱すと、アクローマは勢いをつけてセインを蹴り飛ばした。窓が割れ、セインが落下していく。
「これで、一人減ったな」
「まだ、これからだ。なあ、バルドゥイノ」
ゲンが剣を構える。隣にいるバルドゥイノが頷いた。
「ああ、もちろんだ」
「ま、精々楽しませてくれ」
アクローマは、にやりと笑った。
「バルドゥイノが」
ジェナーラがアクローマに告げる。目の辺りが、赤く腫れていた。
「どうした?」
「どこで勘付いたのか、赤子をわたしから奪おうと襲ってきました。咄嗟のことだったので、躱しきれず」
それで、先ほどジェナーラに付けた見張りからの連絡がないのだろう。
「せめて、赤子だけは殺しました」
ジェナーラは泣きそうな表情をしていた。本当に、ジェナーラは感情が表に出やすい。半ば呆れながら、アクローマは思っていた。
「バルドゥイノが暴れているわけか」
「恐らく。ただ、今どこにいるか分かりません」
バルドゥイノは、ゲンが連れてきた人間の中で、唯一生き残っている将軍だった。腕もたつ。ゲンを暗殺する上で避けては通れない障害だろう。
「わかった。私が殺そう。今からゲンを殺しに行けば、どこかで身を挺して守ってくるだろうしな。お前は休んでいろ」
「でも」
「今のお前は、感情が高ぶりすぎている。本来の力の半分も出せはしないだろう。わたしがやる。ブルーナ」
「どうしました、お姉さま?」
背後の扉が開き、ブルーナが入ってきた。
「こいつをしばらく連れ出しておけ。ゲンとバルドゥイノはわたしが殺す」
「わかりました」
「首飾りも、お前が持っていろ」
何か言いたげなジェナーラを連れ、首飾りを持ったブルーナが窓から去って行く。アクローマは扉を開けた。耳を研ぎ澄ませ、闘争の気配を探る。外で、戦いが起きていた。ただ、複数の気配だ。バルドゥイノが、仲間を呼んできたと言うことだろうか。
アクローマは、にやりと笑った。久しぶりに、楽しめそうな気配である。ただ、ゲンの暗殺だけは確実にこなす必要があるだろう。母なる『エックス』との約束でもあった。
『エックス』について知っているのは、自分とブルーナ、それに『スペード』だけだろう。他の『天使の羽根』の面々は、アクローマが裏の指導者だと思っている。確かに、判断のほとんどは自分が下すことが多いが、もっと大まかな道筋を考えるのは『エックス』だった。
「楽しみに、なってきた」
ゲンの部屋へと向かう。不意に、闘気がアクローマに触れた。振り向く。ゲンが立っていた。
「どういうことかな、アクローマ?」
「見ての通りだ、分かるだろう」
「そうか、信じていたのに残念だ」
ゲンは腰に下げた鞘から、剣を抜く。カリバーン。王族に伝わる二振りの聖剣の一本だ。どれだけ人や物を斬っても、刃こぼれ一つしないという。
「わたしは嬉しいよ。楽しませてくれそうだからな。ま、わたしの勝ちだろうがな」
「一対一なら負けるかもしれん。だが、どうかな」
通路の反対側から、物音が聞こえる。バルドゥイノと、シアル軍にいるセインだった。
「なるほど、手を組んだのか」
「おれが勝手に組んだだけだ。ゲンは知らん」
バルドゥイノが、背中に担いでいた銃を構えながら答える。
「まあ、なんでもいい。一対三なら、楽しませてくれるだろう」
セインから殺気が迫ってくる。礫だ。アクローマは右手を挙げた。太陽を思わせる二つの球体がアクローマの周囲に現れ、そのうちの一つが礫に触れる。熱で、礫は消滅した。
「なんだそりゃ」
セインが呻く。アクローマが指を鳴らすと、火球が弾ける。周囲に、炎が吹き荒れた。
その合間を潜り抜け、三発の銃弾が迫ってくる。アクローマは腰から剣を抜くと、振り上げた。銃弾が、全て床に落ちる。
居合いと共にゲンが迫ってきた。二合、三合と打ち合う。カリバーンに加え、ゲンの剣技も相当なものだ。
アクローマの剣が特製のものでなければ、折れていただろう。
窓側から殺気が近づいてくる。剣はゲンと打ち合っているので振るえない。アクローマは咄嗟に下がる。セインの剣が、アクローマの居たところに振り下ろされた。更に斬撃のように飛んできたゲンの剣技を躱すと、アクローマは勢いをつけてセインを蹴り飛ばした。窓が割れ、セインが落下していく。
「これで、一人減ったな」
「まだ、これからだ。なあ、バルドゥイノ」
ゲンが剣を構える。隣にいるバルドゥイノが頷いた。
「ああ、もちろんだ」
「ま、精々楽しませてくれ」
アクローマは、にやりと笑った。
シアルたちは、大急ぎで市庁舎を駆けていた。先導をしているのはスタンダールである。不意に、窓の外で木が折れるような激しい音が聞こえてきた。
「くそっ」
窓が割れ、そこからセインが入ってくる。あちこちに切り傷を負っていた。
「あの、先に行かれたのでは?」
ユリアンヌが驚く横で、冷静にアニマが尋ねる。セインが苦笑した。
「おお、アニマか。すまん。アクローマと戦いになったんだが、四階から落とされてな」
「ああ、あの木に落ちたのね」
ユリアンヌが納得する。
「ああ、ちょうどおれが落ちてきたところだけ枝が折れてるだろ」
ここは二階だ。上手く木に落ちなければ、もっと重傷だったろう。とは言え、今のセインも傷は浅くない。
「シアルさん、セインさんを安全なところに連れて行きましょうか?」
スタンダールがシアルを見ると、尋ねてくる。
「そうだな、その状態は不味い」
シアルが告げる。セインは渋々ながらそれに従った。
「気をつけろよ、シアル。あいつは魔術だけじゃねえ。剣の腕も、かなりのものだ」
セインと別れ、四階へと急ぐ。血の匂いが、漂っていた。通路に、バルドゥイノが倒れている。既に、息はない。近くで、銃が二つに割れていた。その先に、血が続いている。
二人の人間の話し声が聞こえた。
「間違いなく、来る」
一際響く声が聞こえる。ゲンに違いなかった。シアルたちが近づく。
「ほらな」
ゲンがシアルに笑いかける。次の瞬間、アクローマの剣がゲンの胸を一突きした。ゲンが倒れる。
「シアル、後は」
倒れながら、ゲンが告げる。
「ふん、一足遅かったな。今なら見逃してやるぞ?」
「貴様」
シアルが怒りに燃えた瞳で告げる。アニマが、シアルの隣に立った。
「あなたが、『天使の羽根』のアクローマさんですか」
「そうだとしたら?」
「いえ、あなたを見逃す理由がなくなっただけですよ」
アクローマはにやりと笑った。
「そうか、では仕方ない。死んでもらおう」
アクローマの左右に、自身の倍はある巨大な火球が現れた。太陽のように、それは光を放っている。
アクローマが左手を振ると、二つの火球がシアルたちへと向かって行く。
間を縫うように、銃声が轟いた。ユリアンヌだ。アクローマが身に付けていた鎧が、剥がれ落ちる。
「あなたの鎧は、もう役に立たない」
クライスラー家の紋章が描かれた魔道銃を手に、ユリアンヌがにやりと笑う。そこに、太陽のような火球が迫ってきた。ユリアンヌが受ければ、即死は免れない。だが、ユリアンヌは気にも留めなかった。隣に、シアルがいたからだ。
シアルがユリアンヌを庇うように前に出ると、火球を正面から受け止める。寸前、巨大な防御壁と無数の蜘蛛の糸がシアルと火球の間に現れた。ソレイユと、ダニエルによるものだ。防御壁と蜘蛛の糸によりその威力を大幅に軽減された火球は、シアルの鉄壁を崩すことなく消滅した。もう片方の火球は、ダニエルのファミリアである動物の王、アラクネが平然と受け止めている。
更に、もう一発。ユリアンヌの放った銃弾がアクローマに命中する。アクローマの顔に、怒りが走るのが見て取れた。
アクローマが再度、二つの小さな太陽を作り出す。シアルたち目掛け、放たれた。だが、シアルはその程度では動じない。落ち着いて前に出ると、どちらの火球も受け止めていた。
舌打ちしたアクローマは剣を抜くと、翼をはためかせシアルたちに迫る。それを、アニマが遮った。アニマもまた、翅を生やしている。
アクローマの剣が閃く。アニマの体に剣が食い込む。かに見えた時、アニマの位置が僅かにずれる。残像だった。
アクローマが険しい顔で、再度剣を閃かせる。それは、アニマが巧みな刀捌きで受け流していた。
その間に、ダニエルがアクローマの背後へと回り込む。流れるような華麗さで鉄扇を繰り出した。だが、アクローマも負けてはいない。アニマと剣を交えながら、火球をダニエルへと放つ。
その火球の目の前に、防御壁が現れた。防御壁によって勢いを減殺された火球は、ダニエルの鉄扇によって受け流される。
更に、リシアまでが飛ぶようにアクローマに近づいていた。何気ない動作で剣を突き出す。ただ、その速さは常人では追いつけないほどだった。だが、相手もまた化物である。アクローマが左手を翳すと火球がリシア目掛けて放たれる。
それを庇ったのはアニマだった。防御壁と蜘蛛の糸に遮られたとはいえ、太陽のような高温を持つ火球である。だが、アニマは平然とした表情をしていた。唯一、服だけは耐えきれず穴が空き始めている。
それを横目に、リシアが再度剣を振るう。先ほどより、一段と斬れ味が増していた。アクローマと言えど、火球を撃ちだすことすら出来ない。
そして、アニマだった。アクローマと二人で剣を交え続けている。二人の体が不意に離れ、交差した。アニマの剣が、アクローマを貫く。同時に、アクローマの剣もアニマを貫いていた。
だが、アニマは不屈である。その傷を一顧だにせずアクローマを向く。アクローマもまた、アニマを見ていた。
そこに、ソレイユが祈りを捧げる声が聞こえる。『真朱の腕輪』が、赤く光っていた。『真朱の腕輪』は太陽神アーケンラーヴの神器でもある。その祈りが届いたのか、アニマの刀が赤く輝き始める。アニマがアクローマを斬る。アクローマの反応が、明らかに遅れた。もう一発。今度はアクローマもしっかり反応してくる。馳せ違った。
既にアニマは満身創痍である。だが、アクローマもまた全身に無数の切り傷を負っていた。怒りに燃えたアクローマが、巨大な火球を作り出していく。その手が、止まった。ユリアンヌの放った銃弾が、アクローマを撃ち抜いていたのだ。アクローマが舌打ちする。
その眼前に、シアルが迫っていた。渾身の力で、バルトマルクスが振るわれる。それはアクローマの体に吸い込まれるようにぶつかっていた。
アクローマの体が、崩れていく。アクローマの表情は、驚きに満ちていた。まさか、自分が敗北するとは直前まで思っていなかったのだろう。その顔のまま、床に倒れた。既に、息はない。
「この場で見つかると、後が厄介です。早急に、引き返しましょう」
いつの間にか戻ってきたスタンダールが告げる。確かに、ここに残っていると、シアルたちがゲンを暗殺したと思われそうだった。
「いえ、まだです。後一人いるはずです」
アニマが告げる。アニマは、どこかにいるであろうジェナーラの姿を探していた。
「ジェナーラと思しきオルニスが飛び去ったとの情報があります。これ以上ここにいる危険の方が大きいですし、今は撤退しましょう」
スタンダールに諭されると、渋々と言った表情でアニマが頷く。僅かに、肩を落としていた。
「無念ですが」
市庁舎を出ると、キンセツの近くの陣へと戻る。ムーンと護衛のイオ、それにセインとオドリックが待っていた。
「シアルさん、それに皆さん!」
ムーンが安心したように声を出す。その隣で、体のあちこちを包帯で縛ったセインが口を開いた。
「ゲンとバルドゥイノは、駄目だったか?」
ユリアンヌが首を横に振る。セインがため息をつく。
「そうか」
「セイン。シアルたちが無事だっただけで良かったとしよう。何しろ、相手はあのアクローマだ。よく勝ったな」
セインの肩に手を当て、オドリックが告げる。ユリアンヌがため息をついた。
「勝てたは勝てたわね。だけれども、後味がいいとは言えないわ」
「キョウコさんも、亡くなってしまいましたしね」
ムーンがぽつりと呟く。
「払った犠牲が大きすぎるわね」
ユリアンヌが告げると、場に沈黙が下りた。皆、疲れたような顔をしている。
ややあって、ムーンが口を開いた。
「ユアン=モヘナさんから今、ラディさんが情報を聞き出しています。わたしも同席しようとしたのですが、断られてしまって」
尋問しているのだろう。純粋なところの多いムーンが行けば、その後の判断に悪影響を及ぼすことは間違いない。
「しばらく、口を割ることはないであろうとのことでした。その前に、ゲン軍との戦いが終わりますね」
「まあ、大将が落ちましたしね」
アニマが頷く。おまけに、唯一の将軍であるバルドゥイノまで死んだのだ。今、ゲン軍に残っている将はディー=フェンスくらいである。数日のうちに、ゲン軍は降伏してくるとムーンは踏んでいた。オドリックがシアルたちを見る。
「色々あったとはいえ、これで一つ肩の荷が下りたな。後は、残された『天使の羽根』だ」
「今後は、ブルーナかジェナーラを中心にまとまるでしょう」
「ジェナーラ? 多分、ブルーナでしょうね」
ムーンの言葉に、ユリアンヌが口を挟んだ。
「ジェナーラが仮に天使の羽根の一員だったとして、バルドゥイノにわざわざ子どもを託して、敵対しているわたしたちのところに逃がすくらい状況が切迫していたってことだもの。ジェナーラがわたしたちと敵対するような行動を取るとは思えないわ」
「言われてみればそうですね」
ムーンが納得する。
「ただ、しばらくは『天使の羽根』も混乱したままでしょう。その間、グランドラゴンを見つけ出すことに全力を注げます」
ムーンの言葉に、皆が頷く。オドリックがシアルたちを見渡した。
「まずはひとまず、目先のことに集中しよう。すぐに、忙しくなる」
その頭が輝き出す。朝日が、地平線の先から顔を出し始めていた。ユリアンヌがどこからともなく色眼鏡を取り出す。
「戦後処理と一緒に、あなたの頭の皮も処理したいわね。そうしたら、その輝きもなくなるかしら」
「輝きどころか、生命まで失われるから止めてくれ」
「くそっ」
窓が割れ、そこからセインが入ってくる。あちこちに切り傷を負っていた。
「あの、先に行かれたのでは?」
ユリアンヌが驚く横で、冷静にアニマが尋ねる。セインが苦笑した。
「おお、アニマか。すまん。アクローマと戦いになったんだが、四階から落とされてな」
「ああ、あの木に落ちたのね」
ユリアンヌが納得する。
「ああ、ちょうどおれが落ちてきたところだけ枝が折れてるだろ」
ここは二階だ。上手く木に落ちなければ、もっと重傷だったろう。とは言え、今のセインも傷は浅くない。
「シアルさん、セインさんを安全なところに連れて行きましょうか?」
スタンダールがシアルを見ると、尋ねてくる。
「そうだな、その状態は不味い」
シアルが告げる。セインは渋々ながらそれに従った。
「気をつけろよ、シアル。あいつは魔術だけじゃねえ。剣の腕も、かなりのものだ」
セインと別れ、四階へと急ぐ。血の匂いが、漂っていた。通路に、バルドゥイノが倒れている。既に、息はない。近くで、銃が二つに割れていた。その先に、血が続いている。
二人の人間の話し声が聞こえた。
「間違いなく、来る」
一際響く声が聞こえる。ゲンに違いなかった。シアルたちが近づく。
「ほらな」
ゲンがシアルに笑いかける。次の瞬間、アクローマの剣がゲンの胸を一突きした。ゲンが倒れる。
「シアル、後は」
倒れながら、ゲンが告げる。
「ふん、一足遅かったな。今なら見逃してやるぞ?」
「貴様」
シアルが怒りに燃えた瞳で告げる。アニマが、シアルの隣に立った。
「あなたが、『天使の羽根』のアクローマさんですか」
「そうだとしたら?」
「いえ、あなたを見逃す理由がなくなっただけですよ」
アクローマはにやりと笑った。
「そうか、では仕方ない。死んでもらおう」
アクローマの左右に、自身の倍はある巨大な火球が現れた。太陽のように、それは光を放っている。
アクローマが左手を振ると、二つの火球がシアルたちへと向かって行く。
間を縫うように、銃声が轟いた。ユリアンヌだ。アクローマが身に付けていた鎧が、剥がれ落ちる。
「あなたの鎧は、もう役に立たない」
クライスラー家の紋章が描かれた魔道銃を手に、ユリアンヌがにやりと笑う。そこに、太陽のような火球が迫ってきた。ユリアンヌが受ければ、即死は免れない。だが、ユリアンヌは気にも留めなかった。隣に、シアルがいたからだ。
シアルがユリアンヌを庇うように前に出ると、火球を正面から受け止める。寸前、巨大な防御壁と無数の蜘蛛の糸がシアルと火球の間に現れた。ソレイユと、ダニエルによるものだ。防御壁と蜘蛛の糸によりその威力を大幅に軽減された火球は、シアルの鉄壁を崩すことなく消滅した。もう片方の火球は、ダニエルのファミリアである動物の王、アラクネが平然と受け止めている。
更に、もう一発。ユリアンヌの放った銃弾がアクローマに命中する。アクローマの顔に、怒りが走るのが見て取れた。
アクローマが再度、二つの小さな太陽を作り出す。シアルたち目掛け、放たれた。だが、シアルはその程度では動じない。落ち着いて前に出ると、どちらの火球も受け止めていた。
舌打ちしたアクローマは剣を抜くと、翼をはためかせシアルたちに迫る。それを、アニマが遮った。アニマもまた、翅を生やしている。
アクローマの剣が閃く。アニマの体に剣が食い込む。かに見えた時、アニマの位置が僅かにずれる。残像だった。
アクローマが険しい顔で、再度剣を閃かせる。それは、アニマが巧みな刀捌きで受け流していた。
その間に、ダニエルがアクローマの背後へと回り込む。流れるような華麗さで鉄扇を繰り出した。だが、アクローマも負けてはいない。アニマと剣を交えながら、火球をダニエルへと放つ。
その火球の目の前に、防御壁が現れた。防御壁によって勢いを減殺された火球は、ダニエルの鉄扇によって受け流される。
更に、リシアまでが飛ぶようにアクローマに近づいていた。何気ない動作で剣を突き出す。ただ、その速さは常人では追いつけないほどだった。だが、相手もまた化物である。アクローマが左手を翳すと火球がリシア目掛けて放たれる。
それを庇ったのはアニマだった。防御壁と蜘蛛の糸に遮られたとはいえ、太陽のような高温を持つ火球である。だが、アニマは平然とした表情をしていた。唯一、服だけは耐えきれず穴が空き始めている。
それを横目に、リシアが再度剣を振るう。先ほどより、一段と斬れ味が増していた。アクローマと言えど、火球を撃ちだすことすら出来ない。
そして、アニマだった。アクローマと二人で剣を交え続けている。二人の体が不意に離れ、交差した。アニマの剣が、アクローマを貫く。同時に、アクローマの剣もアニマを貫いていた。
だが、アニマは不屈である。その傷を一顧だにせずアクローマを向く。アクローマもまた、アニマを見ていた。
そこに、ソレイユが祈りを捧げる声が聞こえる。『真朱の腕輪』が、赤く光っていた。『真朱の腕輪』は太陽神アーケンラーヴの神器でもある。その祈りが届いたのか、アニマの刀が赤く輝き始める。アニマがアクローマを斬る。アクローマの反応が、明らかに遅れた。もう一発。今度はアクローマもしっかり反応してくる。馳せ違った。
既にアニマは満身創痍である。だが、アクローマもまた全身に無数の切り傷を負っていた。怒りに燃えたアクローマが、巨大な火球を作り出していく。その手が、止まった。ユリアンヌの放った銃弾が、アクローマを撃ち抜いていたのだ。アクローマが舌打ちする。
その眼前に、シアルが迫っていた。渾身の力で、バルトマルクスが振るわれる。それはアクローマの体に吸い込まれるようにぶつかっていた。
アクローマの体が、崩れていく。アクローマの表情は、驚きに満ちていた。まさか、自分が敗北するとは直前まで思っていなかったのだろう。その顔のまま、床に倒れた。既に、息はない。
「この場で見つかると、後が厄介です。早急に、引き返しましょう」
いつの間にか戻ってきたスタンダールが告げる。確かに、ここに残っていると、シアルたちがゲンを暗殺したと思われそうだった。
「いえ、まだです。後一人いるはずです」
アニマが告げる。アニマは、どこかにいるであろうジェナーラの姿を探していた。
「ジェナーラと思しきオルニスが飛び去ったとの情報があります。これ以上ここにいる危険の方が大きいですし、今は撤退しましょう」
スタンダールに諭されると、渋々と言った表情でアニマが頷く。僅かに、肩を落としていた。
「無念ですが」
市庁舎を出ると、キンセツの近くの陣へと戻る。ムーンと護衛のイオ、それにセインとオドリックが待っていた。
「シアルさん、それに皆さん!」
ムーンが安心したように声を出す。その隣で、体のあちこちを包帯で縛ったセインが口を開いた。
「ゲンとバルドゥイノは、駄目だったか?」
ユリアンヌが首を横に振る。セインがため息をつく。
「そうか」
「セイン。シアルたちが無事だっただけで良かったとしよう。何しろ、相手はあのアクローマだ。よく勝ったな」
セインの肩に手を当て、オドリックが告げる。ユリアンヌがため息をついた。
「勝てたは勝てたわね。だけれども、後味がいいとは言えないわ」
「キョウコさんも、亡くなってしまいましたしね」
ムーンがぽつりと呟く。
「払った犠牲が大きすぎるわね」
ユリアンヌが告げると、場に沈黙が下りた。皆、疲れたような顔をしている。
ややあって、ムーンが口を開いた。
「ユアン=モヘナさんから今、ラディさんが情報を聞き出しています。わたしも同席しようとしたのですが、断られてしまって」
尋問しているのだろう。純粋なところの多いムーンが行けば、その後の判断に悪影響を及ぼすことは間違いない。
「しばらく、口を割ることはないであろうとのことでした。その前に、ゲン軍との戦いが終わりますね」
「まあ、大将が落ちましたしね」
アニマが頷く。おまけに、唯一の将軍であるバルドゥイノまで死んだのだ。今、ゲン軍に残っている将はディー=フェンスくらいである。数日のうちに、ゲン軍は降伏してくるとムーンは踏んでいた。オドリックがシアルたちを見る。
「色々あったとはいえ、これで一つ肩の荷が下りたな。後は、残された『天使の羽根』だ」
「今後は、ブルーナかジェナーラを中心にまとまるでしょう」
「ジェナーラ? 多分、ブルーナでしょうね」
ムーンの言葉に、ユリアンヌが口を挟んだ。
「ジェナーラが仮に天使の羽根の一員だったとして、バルドゥイノにわざわざ子どもを託して、敵対しているわたしたちのところに逃がすくらい状況が切迫していたってことだもの。ジェナーラがわたしたちと敵対するような行動を取るとは思えないわ」
「言われてみればそうですね」
ムーンが納得する。
「ただ、しばらくは『天使の羽根』も混乱したままでしょう。その間、グランドラゴンを見つけ出すことに全力を注げます」
ムーンの言葉に、皆が頷く。オドリックがシアルたちを見渡した。
「まずはひとまず、目先のことに集中しよう。すぐに、忙しくなる」
その頭が輝き出す。朝日が、地平線の先から顔を出し始めていた。ユリアンヌがどこからともなく色眼鏡を取り出す。
「戦後処理と一緒に、あなたの頭の皮も処理したいわね。そうしたら、その輝きもなくなるかしら」
「輝きどころか、生命まで失われるから止めてくれ」
その日、シアルとムーン、それにユリアンヌとセインは王都セキエイに呼び出されていた。護衛と称して、リシアがついてきている。新年の挨拶とゲンの反乱を鎮圧させた慰労だと聞かされていた。
ダニエルはオドリックと、アニマはモミジやアニムスと新年の休みを過ごすことを優先したため来ていない。キョウコに代わって赤子を育てることになったソレイユは、多忙を極めている。
ゲンが死んだことで、反乱軍はすぐに降伏した。今、降将であるディー=フェンスとセキエイの官僚たちとの間で、戦後処理が行われている。シアルたちは、そこに関わっていなかった。
「凄かったわね、ゲンとの戦い」
宰相のボックスが、手を口に当てながら微笑む。本人としては優雅に振る舞っているつもりかもしれないが、性格もあって優雅と言うより妖しげな雰囲気を醸し出していた。セレネと名乗る覆面の護衛の姿は、今日はない。ムーンの護衛をしているイオと同じで、近くに控えているのだろう。
「ええ、まあ」
シアルが曖昧に返事をすると、隣にいたユリアンヌが口を開いた。
「ボックス宰相、恐れ入ります」
「そんな畏まらなくてもいいのよ、ユリアンヌちゃん」
ちゃん付けされたことに、心の中でユリアンヌは僅かに動揺する。とは言え、ボックスは六十をいくらか過ぎているはずだ。エルダナーン故に年齢は分かりにくいが、ちゃん付けも仕方がないのかもしれない。
「すべてシアルさんのお蔭です」
ムーンの声は固い。やはり、ボックスが好きになれないのだろう。
「あら、ムーンちゃん、相変わらずつれないわね。それより、一つ、大事な情報があるの」
ボックスがゆっくりとした口調で話してくる。それでいて、巧妙に自分の意志を押し通そうとするのがボックスだった。油断をしていると、会話の主導権を握られることになってしまう。
「大事な情報?」
ユリアンヌの問いかけに、ボックスは頷いた。
「実は、シアルさんを次期将軍にとの声が強まっているの。本当ならデイビスさんが次の将軍になる予定だったんだけど、この前の戦いで亡くなってしまったでしょ? でも、いつまでも将軍を一人欠員にしておくわけにもいかないし、シアルさん、どう思う? もちろん、駄目なら他の人もいるけど、やっぱりみんなシアルさんが良いと思っているの」
万一の場合の候補を二人、ボックスが告げる。どちらも、ボックス派と言っていい人間だった。それならば、とシアルは受諾する。
「流れ流れて、ついに将軍の座か」
隣にいるユリアンヌに呟くと、ユリアンヌは励ますようにシアルの肩に手を置いた。
「まあ、実績で言えば、反乱の鎮圧を主導したのはあなただからね。いいんじゃない?」
ユリアンヌはにやりと笑うと、シアルの耳元で囁く。
「物のついでに言うけど、ムーンちゃんと正式に結婚したわけじゃないでしょ? これで格は釣り合うわよ」
「別に、将軍になることに否定的なわけじゃない」
シアルが苦笑した。改めてボックスに受諾の意志を告げると、ボックスが安心したように胸を撫で下ろす。
「良かった。もし、あなたが受けてくれなかったらどうしようと思っていたの。実は、シアルさんに任せたいことがあって。ムーンちゃん、今、あなたのお父さんがやっているキッサキの守備よ」
確かに、近頃は妖魔の動きが再び活発になってきていると聞いていた。しかし、大将軍であるバレーがいれば十分なはずだ。
「ユリアンヌさんは、キッサキに息子を預けているんでしょう。やっぱり、子どもが近くにいた方が安心するんじゃないかしら?」
「そうね」
ユリアンヌが頷く。最後に息子に会ってから、半年以上が経っている。そもそも、昨年息子に会ったのはその一度だけだったはずだ。
部下からの情報によれば、最近はバレーを『じいじ』と呼んで慕っているらしい。逆に、ユリアンヌのことは『ユリアンヌさん』と畏まって呼んでいた。それを思い返し、ユリアンヌの顔に苛立ちが浮かぶ。
その間に、ムーンとボックスが話を進めていた。シアルがキッサキに向かうべき理由をボックスがいくつもあげてくる。どれも、一理あった。
「シアルさん。近いうちに正式な使者が来ると思うの。その時、よろしくね」
ボックスが去って行く。
「シアルさんの力を、削りに来ましたね」
ムーンが告げる。ユリアンヌも呟いた。
「あの、女狐」
ユリアンヌがため息をつくと、ムーンも頷いた。
「今、ミシロを中心にシアルさんの声名が高まっています。このままミシロに居続けさせるより、キッサキで妖魔を倒してくれた方が影響力を抑えられると判断したのでしょう。おまけに、キッサキはいつでも妖魔に向けた備えをしていなければいけないので、シアルさんが向かっても不思議がられません」
要は、将軍への昇進に見せかけた左遷だとムーンは告げている。ユリアンヌが再びため息をついた。
「体裁としては、至極妥当ではあるわね」
「断るわけにはいきませんしね。場合によっては、軍団のほとんどはミシロに置いていくことになるかもしれません。ラディさんたち影の軍の一部を財団の職員にしたのは正解でしたね」
「確かにそうね。影の軍が来てくれるだけでも、心強いわ」
ユリアンヌが頷いた。
翌日、シアルたちはミシロへと戻った。レヴィンが浮かない顔をしている。
「ユアン=モヘナからはこれ以上新しい情報は聞けそうにないな」
十日以上に渡り、ラディと拷問を担当していた。とは言え、レヴィンも拷問が出来るとは言えず、殆どラディに任せている。それでも、レヴィンの顔には、疲れが見えていた。
「結局、ユアン=モヘナは『天使の羽根』の内部についてはほとんど知っていなかった。腕を買われ、ブルーナに雇われていただけらしい。子どもの時に捨てられ、『天使の羽根』の孤児院で育てられただけに、断れなかったんだろう」
シアルたちを見て、言葉を続ける。
「彼女は、古の魔獣たちに関わる宝玉、つまり『藍色の珠』か『紅色の珠』、あるいは『真朱の腕輪』を誰が持っているか調べ、可能なら持ち出すように言われていた。それで、一番わかりやすいソレイユを狙ったのだろう。過去に何度か情報が漏れていたのも、全て彼女の仕業だ」
ユアン=モヘナはデイビスの護衛だった。デイビスから情報を仕入れることなど、容易かったのだろう。
「『天使の羽根』は、ブルーナを中心にまとまっているとスタンダールが報告してくれた。どうやら、雪夜軍の一部が『天使の羽根』に加わったようだ」
まだしばらく、暗闘は続くと言うことだった。
「一刻も早く、グランドラゴンの居場所を探さなければな。それから、『瑠璃色の首飾り』の行方も」
バルドゥイノの言葉もあって、『瑠璃色の首飾り』をアクローマが持っていたことはシアルたちも知っていた。しかし、シアルたちとの戦いの際には『瑠璃色の首飾り』を持ち込んでいない。ブルーナか誰かに渡したとみて間違いはなさそうだった。
「ところで、リシアとの新婚生活はどうなのよ?」
『天使の羽根』に関する話がひと段落するや、ユリアンヌがにやりとして尋ねる。レヴィンの顔に、動揺が走った。
「まあ、リシアのお蔭で幸せな生活が出来ているよ」
「それは何より」
ユリアンヌがまた笑った。レヴィンは、ユリアンヌを見る。
「それよりユリアンヌ、君の横に今の状況を何とかすべき人がいるんじゃないか?」
「それもそうね」
ユリアンヌが隣を見る。シアルが、唖然とした顔で二人を見ていた。
ダニエルはオドリックと、アニマはモミジやアニムスと新年の休みを過ごすことを優先したため来ていない。キョウコに代わって赤子を育てることになったソレイユは、多忙を極めている。
ゲンが死んだことで、反乱軍はすぐに降伏した。今、降将であるディー=フェンスとセキエイの官僚たちとの間で、戦後処理が行われている。シアルたちは、そこに関わっていなかった。
「凄かったわね、ゲンとの戦い」
宰相のボックスが、手を口に当てながら微笑む。本人としては優雅に振る舞っているつもりかもしれないが、性格もあって優雅と言うより妖しげな雰囲気を醸し出していた。セレネと名乗る覆面の護衛の姿は、今日はない。ムーンの護衛をしているイオと同じで、近くに控えているのだろう。
「ええ、まあ」
シアルが曖昧に返事をすると、隣にいたユリアンヌが口を開いた。
「ボックス宰相、恐れ入ります」
「そんな畏まらなくてもいいのよ、ユリアンヌちゃん」
ちゃん付けされたことに、心の中でユリアンヌは僅かに動揺する。とは言え、ボックスは六十をいくらか過ぎているはずだ。エルダナーン故に年齢は分かりにくいが、ちゃん付けも仕方がないのかもしれない。
「すべてシアルさんのお蔭です」
ムーンの声は固い。やはり、ボックスが好きになれないのだろう。
「あら、ムーンちゃん、相変わらずつれないわね。それより、一つ、大事な情報があるの」
ボックスがゆっくりとした口調で話してくる。それでいて、巧妙に自分の意志を押し通そうとするのがボックスだった。油断をしていると、会話の主導権を握られることになってしまう。
「大事な情報?」
ユリアンヌの問いかけに、ボックスは頷いた。
「実は、シアルさんを次期将軍にとの声が強まっているの。本当ならデイビスさんが次の将軍になる予定だったんだけど、この前の戦いで亡くなってしまったでしょ? でも、いつまでも将軍を一人欠員にしておくわけにもいかないし、シアルさん、どう思う? もちろん、駄目なら他の人もいるけど、やっぱりみんなシアルさんが良いと思っているの」
万一の場合の候補を二人、ボックスが告げる。どちらも、ボックス派と言っていい人間だった。それならば、とシアルは受諾する。
「流れ流れて、ついに将軍の座か」
隣にいるユリアンヌに呟くと、ユリアンヌは励ますようにシアルの肩に手を置いた。
「まあ、実績で言えば、反乱の鎮圧を主導したのはあなただからね。いいんじゃない?」
ユリアンヌはにやりと笑うと、シアルの耳元で囁く。
「物のついでに言うけど、ムーンちゃんと正式に結婚したわけじゃないでしょ? これで格は釣り合うわよ」
「別に、将軍になることに否定的なわけじゃない」
シアルが苦笑した。改めてボックスに受諾の意志を告げると、ボックスが安心したように胸を撫で下ろす。
「良かった。もし、あなたが受けてくれなかったらどうしようと思っていたの。実は、シアルさんに任せたいことがあって。ムーンちゃん、今、あなたのお父さんがやっているキッサキの守備よ」
確かに、近頃は妖魔の動きが再び活発になってきていると聞いていた。しかし、大将軍であるバレーがいれば十分なはずだ。
「ユリアンヌさんは、キッサキに息子を預けているんでしょう。やっぱり、子どもが近くにいた方が安心するんじゃないかしら?」
「そうね」
ユリアンヌが頷く。最後に息子に会ってから、半年以上が経っている。そもそも、昨年息子に会ったのはその一度だけだったはずだ。
部下からの情報によれば、最近はバレーを『じいじ』と呼んで慕っているらしい。逆に、ユリアンヌのことは『ユリアンヌさん』と畏まって呼んでいた。それを思い返し、ユリアンヌの顔に苛立ちが浮かぶ。
その間に、ムーンとボックスが話を進めていた。シアルがキッサキに向かうべき理由をボックスがいくつもあげてくる。どれも、一理あった。
「シアルさん。近いうちに正式な使者が来ると思うの。その時、よろしくね」
ボックスが去って行く。
「シアルさんの力を、削りに来ましたね」
ムーンが告げる。ユリアンヌも呟いた。
「あの、女狐」
ユリアンヌがため息をつくと、ムーンも頷いた。
「今、ミシロを中心にシアルさんの声名が高まっています。このままミシロに居続けさせるより、キッサキで妖魔を倒してくれた方が影響力を抑えられると判断したのでしょう。おまけに、キッサキはいつでも妖魔に向けた備えをしていなければいけないので、シアルさんが向かっても不思議がられません」
要は、将軍への昇進に見せかけた左遷だとムーンは告げている。ユリアンヌが再びため息をついた。
「体裁としては、至極妥当ではあるわね」
「断るわけにはいきませんしね。場合によっては、軍団のほとんどはミシロに置いていくことになるかもしれません。ラディさんたち影の軍の一部を財団の職員にしたのは正解でしたね」
「確かにそうね。影の軍が来てくれるだけでも、心強いわ」
ユリアンヌが頷いた。
翌日、シアルたちはミシロへと戻った。レヴィンが浮かない顔をしている。
「ユアン=モヘナからはこれ以上新しい情報は聞けそうにないな」
十日以上に渡り、ラディと拷問を担当していた。とは言え、レヴィンも拷問が出来るとは言えず、殆どラディに任せている。それでも、レヴィンの顔には、疲れが見えていた。
「結局、ユアン=モヘナは『天使の羽根』の内部についてはほとんど知っていなかった。腕を買われ、ブルーナに雇われていただけらしい。子どもの時に捨てられ、『天使の羽根』の孤児院で育てられただけに、断れなかったんだろう」
シアルたちを見て、言葉を続ける。
「彼女は、古の魔獣たちに関わる宝玉、つまり『藍色の珠』か『紅色の珠』、あるいは『真朱の腕輪』を誰が持っているか調べ、可能なら持ち出すように言われていた。それで、一番わかりやすいソレイユを狙ったのだろう。過去に何度か情報が漏れていたのも、全て彼女の仕業だ」
ユアン=モヘナはデイビスの護衛だった。デイビスから情報を仕入れることなど、容易かったのだろう。
「『天使の羽根』は、ブルーナを中心にまとまっているとスタンダールが報告してくれた。どうやら、雪夜軍の一部が『天使の羽根』に加わったようだ」
まだしばらく、暗闘は続くと言うことだった。
「一刻も早く、グランドラゴンの居場所を探さなければな。それから、『瑠璃色の首飾り』の行方も」
バルドゥイノの言葉もあって、『瑠璃色の首飾り』をアクローマが持っていたことはシアルたちも知っていた。しかし、シアルたちとの戦いの際には『瑠璃色の首飾り』を持ち込んでいない。ブルーナか誰かに渡したとみて間違いはなさそうだった。
「ところで、リシアとの新婚生活はどうなのよ?」
『天使の羽根』に関する話がひと段落するや、ユリアンヌがにやりとして尋ねる。レヴィンの顔に、動揺が走った。
「まあ、リシアのお蔭で幸せな生活が出来ているよ」
「それは何より」
ユリアンヌがまた笑った。レヴィンは、ユリアンヌを見る。
「それよりユリアンヌ、君の横に今の状況を何とかすべき人がいるんじゃないか?」
「それもそうね」
ユリアンヌが隣を見る。シアルが、唖然とした顔で二人を見ていた。
キョウコが亡くなってから、二十日余りが過ぎている。デムーラン城砦の軍師は、キョウコに代わってドレイクが務めていた。ただ、その役目もあと数日で終わりだろう。将軍に就任することが決まったシアルは、今月中にキッサキに赴くことになっていた。
それに伴い、デムーラン城砦の総隊長であるユリアンヌもキッサキに行くことが決まっている。後任の総隊長は、ソレイユが聞いたこともない人間だった。常駐する兵も、千名程度になるらしい。将校たちは、シアルと共にキッサキに行くものとそうでないものに分かれている。シーキンセツを共に守っていたフォールは、将軍であるカタストのもとに戻ることになっていた。
「ソレイユさん、この子、笑っていますよ」
話しかけてくるのは、キーナだった。キーナは五十の手勢と共にキッサキに同行することが決まっている。
キーナは、腕の中に赤子を抱いている。ソレイユが預かることになったキョウコの子だった。厳密には、ゲンの子である。ゲン軍との戦いがひと段落した後、ソレイユがシアルたちの前で預かると宣言していた。
ソレイユとキョウコの間に出来た子と言うことになっている。真実を知る者はシアルたちの他、ムーン、レヴィン、オドリック、セイン、フォール。そして、影の軍を率いるラディとスタンダールくらいのものだった。
バルドゥイノによれば、ジェナーラは別の死んだオルニスの赤子をアクローマに見せているとのことで、『天使の羽根』の追求も心配はない。念のため、ラディがしばし見張っていたようだが、引っ掛かってくる者は特にいなかった。
「ああ、やっぱり子どもは可愛いな」
「そうですね。可愛いですよね」
キーナが頬を赤らめながら告げる。キーナもまた、ムーンやユリアンヌから真実を知らされていた。一通り話を聞いた後、ムーンたちに頼み込んでソレイユと共に赤子の世話を行っている。
名前は、ソレイユが決めていた。クロエ・ローランサンである。
「クロエちゃん、本当に可愛いですね」
「ああ、いい子に育って欲しいな」
ソレイユが子どもの顔を覗き込みながら、穏やかな口調で告げる。キーナも頷いた。
「そうですね。生まれてすぐに大変な目に遭ってしまいましたが、これからは幸せに過ごして欲しいです」
クロエは二人の話も知らず、平和そのものと言った顔つきで眠っている。
「そう言えば、ソレイユさんはキョウコさんのこと、どう思っていたんですか?」
さりげない口調で、キーナが尋ねてきた。目は、ソレイユを見ている。少しの間の後、ソレイユは答えた。
「おれにとっては、大切な人だったよ」
「大切な人、なんですね」
キョウコが頷く。口調が、僅かに寂しげだった。
「わたしは、とにかく凄いと思っていました。わたしが色々考えていても、キョウコさんが何気なく言ったことの方が、的確なんですよ。知識もありますし、力も強いです。レテさんとは違った意味で、目標にしていましたし、勝てないとも思っていました」
キーナが顔を上げる。口を開くと、小声で呟いた。
「それから、羨ましかったです」
「まあ、そうだな。確かに、彼女は凄かったけどさ、お前も十分凄いよ」
「いえ、わたしは何も凄いところはありませんよ」
キーナが苦笑する。そんなキーナを見ながら、ソレイユが告げる。
「これから、共に歩んでくれないか」
「はい。これからも共に歩んでいきましょう。今回は、わたしも一緒にキッサキに行きますからね」
クロエを抱いたまま、キーナが頷く。ソレイユは苦笑した。言いたいことが、伝わっていない。思い返せば、ここ一年半はずっとこの調子だった気がする。キーナはおそらく、ムーンと同じかそれ以上に鈍いのだろう。
ただ、キーナの目は何かを期待しているようでもある。その瞳に、ソレイユは負けた。
「これ以上、言わせないでくれ。こっちが恥ずかしくなる」
言いながら、キーナを後ろから抱きしめる。キーナの前には、クロエが抱かれていたからだ。
キーナは特に、抵抗はしなかった。ただ、僅かな当惑が伝わってくる。
「好きだ」
ソレイユがキーナに囁く。キーナはクロエを籠に置くと、ソレイユを振り返った。その顔は、涙ぐんでいる
「わたしもです。ソレイユさん。ずっと、ずっとずっとあなたのことが好きでした」
聞けば、十年以上前からソレイユのことが好きだったようだった。
「この前、約束しただろう。あれを訂正させてくれ。二人で、船を漕いで見に行こう。いや、三人。いや、四人で」
「そうですね。そんな日が楽しみです」
キーナが幸せそうに答える。その目から、幾筋もの涙が零れていた。
それに伴い、デムーラン城砦の総隊長であるユリアンヌもキッサキに行くことが決まっている。後任の総隊長は、ソレイユが聞いたこともない人間だった。常駐する兵も、千名程度になるらしい。将校たちは、シアルと共にキッサキに行くものとそうでないものに分かれている。シーキンセツを共に守っていたフォールは、将軍であるカタストのもとに戻ることになっていた。
「ソレイユさん、この子、笑っていますよ」
話しかけてくるのは、キーナだった。キーナは五十の手勢と共にキッサキに同行することが決まっている。
キーナは、腕の中に赤子を抱いている。ソレイユが預かることになったキョウコの子だった。厳密には、ゲンの子である。ゲン軍との戦いがひと段落した後、ソレイユがシアルたちの前で預かると宣言していた。
ソレイユとキョウコの間に出来た子と言うことになっている。真実を知る者はシアルたちの他、ムーン、レヴィン、オドリック、セイン、フォール。そして、影の軍を率いるラディとスタンダールくらいのものだった。
バルドゥイノによれば、ジェナーラは別の死んだオルニスの赤子をアクローマに見せているとのことで、『天使の羽根』の追求も心配はない。念のため、ラディがしばし見張っていたようだが、引っ掛かってくる者は特にいなかった。
「ああ、やっぱり子どもは可愛いな」
「そうですね。可愛いですよね」
キーナが頬を赤らめながら告げる。キーナもまた、ムーンやユリアンヌから真実を知らされていた。一通り話を聞いた後、ムーンたちに頼み込んでソレイユと共に赤子の世話を行っている。
名前は、ソレイユが決めていた。クロエ・ローランサンである。
「クロエちゃん、本当に可愛いですね」
「ああ、いい子に育って欲しいな」
ソレイユが子どもの顔を覗き込みながら、穏やかな口調で告げる。キーナも頷いた。
「そうですね。生まれてすぐに大変な目に遭ってしまいましたが、これからは幸せに過ごして欲しいです」
クロエは二人の話も知らず、平和そのものと言った顔つきで眠っている。
「そう言えば、ソレイユさんはキョウコさんのこと、どう思っていたんですか?」
さりげない口調で、キーナが尋ねてきた。目は、ソレイユを見ている。少しの間の後、ソレイユは答えた。
「おれにとっては、大切な人だったよ」
「大切な人、なんですね」
キョウコが頷く。口調が、僅かに寂しげだった。
「わたしは、とにかく凄いと思っていました。わたしが色々考えていても、キョウコさんが何気なく言ったことの方が、的確なんですよ。知識もありますし、力も強いです。レテさんとは違った意味で、目標にしていましたし、勝てないとも思っていました」
キーナが顔を上げる。口を開くと、小声で呟いた。
「それから、羨ましかったです」
「まあ、そうだな。確かに、彼女は凄かったけどさ、お前も十分凄いよ」
「いえ、わたしは何も凄いところはありませんよ」
キーナが苦笑する。そんなキーナを見ながら、ソレイユが告げる。
「これから、共に歩んでくれないか」
「はい。これからも共に歩んでいきましょう。今回は、わたしも一緒にキッサキに行きますからね」
クロエを抱いたまま、キーナが頷く。ソレイユは苦笑した。言いたいことが、伝わっていない。思い返せば、ここ一年半はずっとこの調子だった気がする。キーナはおそらく、ムーンと同じかそれ以上に鈍いのだろう。
ただ、キーナの目は何かを期待しているようでもある。その瞳に、ソレイユは負けた。
「これ以上、言わせないでくれ。こっちが恥ずかしくなる」
言いながら、キーナを後ろから抱きしめる。キーナの前には、クロエが抱かれていたからだ。
キーナは特に、抵抗はしなかった。ただ、僅かな当惑が伝わってくる。
「好きだ」
ソレイユがキーナに囁く。キーナはクロエを籠に置くと、ソレイユを振り返った。その顔は、涙ぐんでいる
「わたしもです。ソレイユさん。ずっと、ずっとずっとあなたのことが好きでした」
聞けば、十年以上前からソレイユのことが好きだったようだった。
「この前、約束しただろう。あれを訂正させてくれ。二人で、船を漕いで見に行こう。いや、三人。いや、四人で」
「そうですね。そんな日が楽しみです」
キーナが幸せそうに答える。その目から、幾筋もの涙が零れていた。
思い出が詰まった砦だった。部屋の一つ、壁の一枚を見ても様々な思い出が蘇ってくる。ただ、この砦にいるのも明日が最後だった。
将軍となるシアルにつき従う形で、ユリアンヌはデムーラン城砦を離れることになっていた。後任となる隊長には何度か会っている。ほとんど戦いを経験したこともなさそうな人間だった。砦に住む兵士の数も、千人まで減らされる。戦う砦としての役割は、完全に終えていた。
「ユリアンヌさん、お酒を飲みに行きましょう」
アニマが、誘ってくる。アニマとも、明日でお別れだった。アニマはもともと、前のミシロ太守であるテセウスに請われる形でゲン軍との戦いに参加していた。ゲンとの戦いが終結した今、アニマを縛るものはない。
「これがお酒なんですね」
ユリアンヌの部屋に入ってきたアニマが口を開く。誘ってきたものの、アニマは酒を飲んだことがないようだった。酒が入った杯を興味深いものを見るように眺めている。まだ、年も若い。影の軍にいたこともあり、酒を飲む機会がなかったのだろう。
「これ、そのまま飲むんですかね?」
アニマが尋ねてきたのは、ソレイユから贈られたらしい酒だった。ユリアンヌが一口飲む。かなり濃い酒だった。何かで割った方がいいだろう。
「ソレイユ、張り切ったわね」
ユリアンヌは苦笑するとアニマを見た。
「アニマちゃん、そのまま飲むのはお勧めしないわね。これは強い酒だから水で薄めなさい」
強い、との部分にアニマが反応する。
「大丈夫です。わたし、最強ですから」
酒を杯一杯に注ぐと、ユリアンヌが止めるより先に飲み干す。焼けつくような喉の痛みが、アニマに襲い掛かった。堪えきれず、アニマは咳込む。
「だから言ったでしょう」
ユリアンヌが呆れたような声で告げる。
「水で割りなさい」
アニマも流石に懲りたのか、今度はユリアンヌの言葉に大人しく従う。静かに飲み始めた。
「シアルが将軍になるのに伴って、この城砦も大きな人事異動があるのは知っているわよね」
呟くようにユリアンヌが告げる。アニマは大人しい顔で頷いた。
「そうですね」
「この城砦も、変わっていくわ。最初はデムーランが作ったわね」
「そうでしたね。わたしにとってもここは居心地のいい場所でしたよ」
ユリアンヌの声に、アニマが昔を懐かしむように答える。周りは、静かだった。ただ、まだ見張りについている兵はいる。軍人にとって、いかなる場合でも油断は禁物なのだ。
ただ、ユリアンヌがいなくなれば、こんな時間まで兵が見張りをすることはなくなるかもしれない。
「デムーランが戦死してからも、状況は目まぐるしく変わっていったわね。キョウコちゃんが軍師になって」
「彼女のこと、疑ってしまいましたね」
アニマが呟く。互いに、多少の後悔はあった。ユリアンヌはアニマを見る。
「まあ、それは軍人だもの。わたしは、デムーラン城砦の軍師である彼女とはよく接していたしね」
「わたしは『天使の羽根』の一員だと思って、正直復讐に目が眩んでいました」
「でも、彼女は違った」
「良い人でしたよね」
絞り出すような声で、アニマが告げる。
「ええ、そうね。あれほどの才能を秘めた人がいなくなるのは、やはり惜しいわ。ただし、これは軍人としての話。個人で言えば、友を失うのはやはり辛いわ。一軍の将ってのも、嫌な役回りね。こんな時に、わたし個人として信頼していても、疑わしければ徹底的にそれを洗わないといけない」
どちらも、しばらく黙っていた。アニマが口を開く。
「ユリアンヌさん。わたしはテセウスさんに乱が収まるまで力を貸して欲しいとの条件でこの軍に加わりました。ですから、明日からは影の軍の隊長ではありません。ただの市井の人間になります。ですから、ユリアンヌさんが何か愚痴を吐きたい時は来てくださいよ」
ユリアンヌがふっと笑う。
「そうね。たまには、遊びに行かせてもらおうかしら。今度は、息子と一緒に」
「ええ。散々お世話になっているんですから、たまには役目が逆になってもいいでしょう」
「ありがとう、アニマちゃん」
ユリアンヌがアニマの頭を撫でる。しばらく、二人で酒を飲み続けた。やがて、酔いが回ってきたのかアニマが仰向けに倒れる。ユリアンヌは苦笑した。
「やれやれ、この辺りはまだ子どもね」
アニマは目を回している。そんなアニマを部屋に戻すため、ユリアンヌはアニマを背負った。
「ユリアンヌさん。わたし、親がいないんですよ」
ユリアンヌがゆっくりと歩いていると、背中にいるアニマが話しかけてきた。
「生まれてすぐ捨てられて、孤児院に拾われて、その後は改造されて人を殺して。だから、わたしもアニムスも欠けているところがあるんですよ」
「親の愛情、ね」
「親がいなくても子が育つって言ったじゃないですか」
「あなたの育った環境から来た言葉だったのかしら」
「ただの願いです。そんなの。まともな環境で育たなかった人間はどうやったってまともにはなれないんですよ」
ユリアンヌが黙っていると、アニマが言葉を続ける。
「でもね、あなたがいたからわたしはここで自分のいびつさと向き合うことが出来ました。そして自分の過去と向き合って、モミジさんにも許してもらいました。ありがとうございます、ユリアンヌさん。わたしのお母さんが、あなたみたいな人だったらと思います」
「お世辞にも言い母親とは言えないけど、少し照れくさいわね」
ユリアンヌが自嘲気味に告げる。背中にいるアニマが楽しそうに笑った。
「お互い酔っているんですし、今日のことは覚えていないと思うんですよね。ですから、一度だけ言わせてくださいよ。ありがとうございます。お母さん」
ユリアンヌは微笑むと、無言で歩き始めた。アニマの部屋までは、まだ遠い。ユリアンヌの背で、アニマが寝息を立て始める。ユリアンヌの歩く速度は、ゆっくりとしていた。
将軍となるシアルにつき従う形で、ユリアンヌはデムーラン城砦を離れることになっていた。後任となる隊長には何度か会っている。ほとんど戦いを経験したこともなさそうな人間だった。砦に住む兵士の数も、千人まで減らされる。戦う砦としての役割は、完全に終えていた。
「ユリアンヌさん、お酒を飲みに行きましょう」
アニマが、誘ってくる。アニマとも、明日でお別れだった。アニマはもともと、前のミシロ太守であるテセウスに請われる形でゲン軍との戦いに参加していた。ゲンとの戦いが終結した今、アニマを縛るものはない。
「これがお酒なんですね」
ユリアンヌの部屋に入ってきたアニマが口を開く。誘ってきたものの、アニマは酒を飲んだことがないようだった。酒が入った杯を興味深いものを見るように眺めている。まだ、年も若い。影の軍にいたこともあり、酒を飲む機会がなかったのだろう。
「これ、そのまま飲むんですかね?」
アニマが尋ねてきたのは、ソレイユから贈られたらしい酒だった。ユリアンヌが一口飲む。かなり濃い酒だった。何かで割った方がいいだろう。
「ソレイユ、張り切ったわね」
ユリアンヌは苦笑するとアニマを見た。
「アニマちゃん、そのまま飲むのはお勧めしないわね。これは強い酒だから水で薄めなさい」
強い、との部分にアニマが反応する。
「大丈夫です。わたし、最強ですから」
酒を杯一杯に注ぐと、ユリアンヌが止めるより先に飲み干す。焼けつくような喉の痛みが、アニマに襲い掛かった。堪えきれず、アニマは咳込む。
「だから言ったでしょう」
ユリアンヌが呆れたような声で告げる。
「水で割りなさい」
アニマも流石に懲りたのか、今度はユリアンヌの言葉に大人しく従う。静かに飲み始めた。
「シアルが将軍になるのに伴って、この城砦も大きな人事異動があるのは知っているわよね」
呟くようにユリアンヌが告げる。アニマは大人しい顔で頷いた。
「そうですね」
「この城砦も、変わっていくわ。最初はデムーランが作ったわね」
「そうでしたね。わたしにとってもここは居心地のいい場所でしたよ」
ユリアンヌの声に、アニマが昔を懐かしむように答える。周りは、静かだった。ただ、まだ見張りについている兵はいる。軍人にとって、いかなる場合でも油断は禁物なのだ。
ただ、ユリアンヌがいなくなれば、こんな時間まで兵が見張りをすることはなくなるかもしれない。
「デムーランが戦死してからも、状況は目まぐるしく変わっていったわね。キョウコちゃんが軍師になって」
「彼女のこと、疑ってしまいましたね」
アニマが呟く。互いに、多少の後悔はあった。ユリアンヌはアニマを見る。
「まあ、それは軍人だもの。わたしは、デムーラン城砦の軍師である彼女とはよく接していたしね」
「わたしは『天使の羽根』の一員だと思って、正直復讐に目が眩んでいました」
「でも、彼女は違った」
「良い人でしたよね」
絞り出すような声で、アニマが告げる。
「ええ、そうね。あれほどの才能を秘めた人がいなくなるのは、やはり惜しいわ。ただし、これは軍人としての話。個人で言えば、友を失うのはやはり辛いわ。一軍の将ってのも、嫌な役回りね。こんな時に、わたし個人として信頼していても、疑わしければ徹底的にそれを洗わないといけない」
どちらも、しばらく黙っていた。アニマが口を開く。
「ユリアンヌさん。わたしはテセウスさんに乱が収まるまで力を貸して欲しいとの条件でこの軍に加わりました。ですから、明日からは影の軍の隊長ではありません。ただの市井の人間になります。ですから、ユリアンヌさんが何か愚痴を吐きたい時は来てくださいよ」
ユリアンヌがふっと笑う。
「そうね。たまには、遊びに行かせてもらおうかしら。今度は、息子と一緒に」
「ええ。散々お世話になっているんですから、たまには役目が逆になってもいいでしょう」
「ありがとう、アニマちゃん」
ユリアンヌがアニマの頭を撫でる。しばらく、二人で酒を飲み続けた。やがて、酔いが回ってきたのかアニマが仰向けに倒れる。ユリアンヌは苦笑した。
「やれやれ、この辺りはまだ子どもね」
アニマは目を回している。そんなアニマを部屋に戻すため、ユリアンヌはアニマを背負った。
「ユリアンヌさん。わたし、親がいないんですよ」
ユリアンヌがゆっくりと歩いていると、背中にいるアニマが話しかけてきた。
「生まれてすぐ捨てられて、孤児院に拾われて、その後は改造されて人を殺して。だから、わたしもアニムスも欠けているところがあるんですよ」
「親の愛情、ね」
「親がいなくても子が育つって言ったじゃないですか」
「あなたの育った環境から来た言葉だったのかしら」
「ただの願いです。そんなの。まともな環境で育たなかった人間はどうやったってまともにはなれないんですよ」
ユリアンヌが黙っていると、アニマが言葉を続ける。
「でもね、あなたがいたからわたしはここで自分のいびつさと向き合うことが出来ました。そして自分の過去と向き合って、モミジさんにも許してもらいました。ありがとうございます、ユリアンヌさん。わたしのお母さんが、あなたみたいな人だったらと思います」
「お世辞にも言い母親とは言えないけど、少し照れくさいわね」
ユリアンヌが自嘲気味に告げる。背中にいるアニマが楽しそうに笑った。
「お互い酔っているんですし、今日のことは覚えていないと思うんですよね。ですから、一度だけ言わせてくださいよ。ありがとうございます。お母さん」
ユリアンヌは微笑むと、無言で歩き始めた。アニマの部屋までは、まだ遠い。ユリアンヌの背で、アニマが寝息を立て始める。ユリアンヌの歩く速度は、ゆっくりとしていた。
シアルが将軍となってから、二月が過ぎていた。キッサキの寒い気候にも、少しずつ体が慣れつつある。もともと、ミシロに行くまではこの地で妖魔と戦っていたのだ。
まだ、周囲の雪は解けていない。ただ、建物の中は暖かかった。今日は、特にだ。何しろ、多くの人がシアルとムーンに会うべくやって来ていた。
シアルとムーンが、結婚したのだった。隣には、花嫁姿のムーンが座っている。はっとするほど美しかった。
「ついに結婚したか、シアル。おれは嬉しいぞ」
話しかけてきたのは、バレーだ。楽しそうな表情をしている。
「次は、子どもだな。孫を見せに来るの、楽しみにしているぞ。子どもはかわいいからな。ユリアンヌがデムーラン城砦にいた時はレイを可愛がっていたのだが、最近はユリアンヌのもとに戻っていることも多くてな。寂しくてかなわん。ただ、まだおれのことをじいじと呼んでいるんだぞ」
「ユリアンヌは、まだ母だと認められていないらしいな」
セインが、こっそりシアルに耳打ちする。ユリアンヌとレイは共に住むようになっていた。ただ、三年近くに渡ってほとんど会っていなかったこともあり、ユリアンヌとレイは微妙な距離感が出来てしまったらしい。
最近こそ、『ユリアンヌさん』ではなく『お母さん』と呼ぶようになってきたようだが、妙な堅苦しさが残っていた。
「何か言った?」
いつの間にか、当のユリアンヌがセインの隣にいた。ユリアンヌは、赤を基調とした礼服を着ている。そして、銃を真似た右手をセインに突きつけていた。
「おい、待ってくれよ。なんでお前はそうやって、いつもおれを亡き者にしようとしているんだよ」
「あんたがわたしの怒りの琴線に触れるからよ。ここは祝いの席だから、血を見せるのはちょっと憚られるけど」
ユリアンヌの語気には、本当にやりかねない勢いがあった。
「ああ、要するにユリアンヌさんの息子の件で、例のあれがいつものあれですね」
近くにやって来たアニマが告げる。セインが、困った顔で振り返った。
「そうなんだ。助けてくれよ、アニマ」
「あ、おめでとうございます。シアルさん」
アニマはそんなセインを無視し、奥にいたシアルたちに話しかける。シアルは苦笑していた。
「ありがとう。こんな場所に慣れていないから、気の利いた返しが出来なくて申し訳ないな」
「ムーンちゃんも、綺麗ですよ」
「ありがとうございます。アニマさん」
「ここまで、長かったですものね」
アニマの言葉に、シアルとムーンが互いを見合う。困ったように苦笑していた。
「あれ、何か不味いこと言った?」
「姉さん、気持ちは伝わったと思うからさ。僕たちも帰ろう」
アニムスに連れられ、アニマが去って行く。ユリアンヌたちも自分たちの席へと戻っていた。
遠くで、ユリアンヌが息子のレイをアニムスに紹介しているのが見える。
「うちの息子のレイよ」
「レイ君。僕はアニムスだ。よろしく頼む」
アニムスが頭を下げる。
「よ、よろしくお願いします」
ユリアンヌに言われ、レイが頭を下げる。アニムスは少し屈むと、レイに目線を合わせた。アニムスが手を差し出し、応じる形でレイが差し出してきた手を両手で握る。
その光景を遠くで見ていたシアルたちのもとに、続いてやって来たのはリシアとレヴィンだった。
「平和に子どもたちを育てるようにするためにも、グランドラゴンをしっかりと封印しておかないとな」
レヴィンが小声で告げる。グランドラゴンが、エントツ山の火口にいると判明したのは、つい先日のことだった。すぐ近くまで溶岩が迫っており、なかなか行けるところではない。ただ、念入りに封印をするに越したことはなかった。
「ま、今日はそんな暗い話をしても仕方ないな。リシア」
「そうだね」
楽しそうな口調で、リシアも頷く。
「楽しもう、シアル、ムーンちゃん、おめでとう!」
「ああ、ありがとう」
シアルが頷く。リシアが笑った。
「そのうち、新しい知り合いが出来ると思うから」
シアルは首を傾げる。その隣で、ムーンが驚いていた。
「え、ひょっとして」
リシアはムーンの疑問には答えず、にこにこしている。
「落ち着いたら、また是非来てくれ。互いに、近い場所にいるしな」
リシアとレヴィンは、リシア財団の経営に専念していた。ただ、シアル軍の兵站を気にしなくてよくなったため、以前と比べると時間に余裕も出てきたらしい。
ただ、代わりに商売の方で忙しくしているようだった。
「シアル、ムーンちゃん。また」
リシアとレヴィンが去って行く。目の前が、急に輝いた。
「久しぶりだな、シアル、ムーンちゃん」
オドリックだった。今も、太守としてコトキに残っている。そのため、シアルがキッサキに向かってからは会うことも少なくなっていた。
隣には、相変わらずダニエルが立っている。ダニエルと会うのも、久しぶりだった。
「いやはや、おめでとう」
オドリックの頭は、照明の光を受け、第二の太陽のように煌めいている。シアルは慌てて色眼鏡を懐から取り出した。
「おれも結婚相手が見つけられるよう、自己研鑽に励むことにするよ」
「ハゲだけにか?」
戻ったはずのセインが絡んでくる。近くにいた人々が、爆笑した。
「あ、ありがとうございます」
シアルとムーンだけは、緊張した面持ちでダニエルとオドリックに礼を言う。
「輝きに満ちた生活が一番だからな。幸せに過ごしてくれよ。なあ、ダニエル」
オドリックの言葉に、ダニエルが頷く。オドリックの頭頂部は、今も光を放ち続けていた。
「ああ。平和なうちに、子どもでも作れよ」
「そうだな」
ダニエルの言葉に、神妙そうにシアルが頷く。ダニエルとオドリックが去ると、入れ違いにソレイユとキーナがやって来た。キーナはクロエを抱いている。
「大将、おめでとう」
ソレイユが明るい口調で告げる。シアルは苦笑しながら頷いた。
「ソレイユか。ありがとう。とりあえず、何とか結婚まで来れたよ」
「ようやくだな。いや、ここからまた始まることもあるか」
ソレイユが笑う。
「ソレイユさんは、どうなんですか?」
そう尋ねてきたのは、ムーンだった。ソレイユは困惑すると、キーナを見る。ひょっとすると、ムーンはただ近況を聞いているだけの可能性はあった。だが、いくらムーンとは言えそこまで鈍いのだろうか。
「どうなのって、なんのことかな? 子育てなら結構大変だよ」
「やっぱりそうですよね。クロエちゃんは元気にされていますか?」
ソレイユの言葉に、ムーンが頷く。やはり、本当に近況を聞いてきただけだった。隣で、キーナが目を丸くしている。
「ああ、そうそう」
ソレイユが困ったように頭を掻いた。キーナを見る。キーナも、ソレイユを見た。妙な沈黙が、四人の間を覆う。
「おれたちも、付き合うことになりました」
今度、目を丸くしたのはシアルとムーンだった。
「なんと」
しばらくしてから、シアルが呟く。
「本当か?」
ソレイユたちが頷く。次に口を開けたのは、ムーンだった。
「それは、おめでたいですね」
「おれも、これからは地に足付けて生きて行こうと思うよ」
ユリアンヌやアニマが聞いたら、目を丸くしそうな言葉だった。実際、禁酒を始めたらしい。
「そうだな。戦いも終わったし、これからゆっくり平和に過ごしたいな」
シアルがソレイユとキーナを見る。
「お互い、幸せを目指そうな」
ソレイユは頷いた。
「ああ、お互い助け合って生きて行こう」
窓の外では、降り積もった雪に太陽の光がきらきらと反射していた。
まだ、周囲の雪は解けていない。ただ、建物の中は暖かかった。今日は、特にだ。何しろ、多くの人がシアルとムーンに会うべくやって来ていた。
シアルとムーンが、結婚したのだった。隣には、花嫁姿のムーンが座っている。はっとするほど美しかった。
「ついに結婚したか、シアル。おれは嬉しいぞ」
話しかけてきたのは、バレーだ。楽しそうな表情をしている。
「次は、子どもだな。孫を見せに来るの、楽しみにしているぞ。子どもはかわいいからな。ユリアンヌがデムーラン城砦にいた時はレイを可愛がっていたのだが、最近はユリアンヌのもとに戻っていることも多くてな。寂しくてかなわん。ただ、まだおれのことをじいじと呼んでいるんだぞ」
「ユリアンヌは、まだ母だと認められていないらしいな」
セインが、こっそりシアルに耳打ちする。ユリアンヌとレイは共に住むようになっていた。ただ、三年近くに渡ってほとんど会っていなかったこともあり、ユリアンヌとレイは微妙な距離感が出来てしまったらしい。
最近こそ、『ユリアンヌさん』ではなく『お母さん』と呼ぶようになってきたようだが、妙な堅苦しさが残っていた。
「何か言った?」
いつの間にか、当のユリアンヌがセインの隣にいた。ユリアンヌは、赤を基調とした礼服を着ている。そして、銃を真似た右手をセインに突きつけていた。
「おい、待ってくれよ。なんでお前はそうやって、いつもおれを亡き者にしようとしているんだよ」
「あんたがわたしの怒りの琴線に触れるからよ。ここは祝いの席だから、血を見せるのはちょっと憚られるけど」
ユリアンヌの語気には、本当にやりかねない勢いがあった。
「ああ、要するにユリアンヌさんの息子の件で、例のあれがいつものあれですね」
近くにやって来たアニマが告げる。セインが、困った顔で振り返った。
「そうなんだ。助けてくれよ、アニマ」
「あ、おめでとうございます。シアルさん」
アニマはそんなセインを無視し、奥にいたシアルたちに話しかける。シアルは苦笑していた。
「ありがとう。こんな場所に慣れていないから、気の利いた返しが出来なくて申し訳ないな」
「ムーンちゃんも、綺麗ですよ」
「ありがとうございます。アニマさん」
「ここまで、長かったですものね」
アニマの言葉に、シアルとムーンが互いを見合う。困ったように苦笑していた。
「あれ、何か不味いこと言った?」
「姉さん、気持ちは伝わったと思うからさ。僕たちも帰ろう」
アニムスに連れられ、アニマが去って行く。ユリアンヌたちも自分たちの席へと戻っていた。
遠くで、ユリアンヌが息子のレイをアニムスに紹介しているのが見える。
「うちの息子のレイよ」
「レイ君。僕はアニムスだ。よろしく頼む」
アニムスが頭を下げる。
「よ、よろしくお願いします」
ユリアンヌに言われ、レイが頭を下げる。アニムスは少し屈むと、レイに目線を合わせた。アニムスが手を差し出し、応じる形でレイが差し出してきた手を両手で握る。
その光景を遠くで見ていたシアルたちのもとに、続いてやって来たのはリシアとレヴィンだった。
「平和に子どもたちを育てるようにするためにも、グランドラゴンをしっかりと封印しておかないとな」
レヴィンが小声で告げる。グランドラゴンが、エントツ山の火口にいると判明したのは、つい先日のことだった。すぐ近くまで溶岩が迫っており、なかなか行けるところではない。ただ、念入りに封印をするに越したことはなかった。
「ま、今日はそんな暗い話をしても仕方ないな。リシア」
「そうだね」
楽しそうな口調で、リシアも頷く。
「楽しもう、シアル、ムーンちゃん、おめでとう!」
「ああ、ありがとう」
シアルが頷く。リシアが笑った。
「そのうち、新しい知り合いが出来ると思うから」
シアルは首を傾げる。その隣で、ムーンが驚いていた。
「え、ひょっとして」
リシアはムーンの疑問には答えず、にこにこしている。
「落ち着いたら、また是非来てくれ。互いに、近い場所にいるしな」
リシアとレヴィンは、リシア財団の経営に専念していた。ただ、シアル軍の兵站を気にしなくてよくなったため、以前と比べると時間に余裕も出てきたらしい。
ただ、代わりに商売の方で忙しくしているようだった。
「シアル、ムーンちゃん。また」
リシアとレヴィンが去って行く。目の前が、急に輝いた。
「久しぶりだな、シアル、ムーンちゃん」
オドリックだった。今も、太守としてコトキに残っている。そのため、シアルがキッサキに向かってからは会うことも少なくなっていた。
隣には、相変わらずダニエルが立っている。ダニエルと会うのも、久しぶりだった。
「いやはや、おめでとう」
オドリックの頭は、照明の光を受け、第二の太陽のように煌めいている。シアルは慌てて色眼鏡を懐から取り出した。
「おれも結婚相手が見つけられるよう、自己研鑽に励むことにするよ」
「ハゲだけにか?」
戻ったはずのセインが絡んでくる。近くにいた人々が、爆笑した。
「あ、ありがとうございます」
シアルとムーンだけは、緊張した面持ちでダニエルとオドリックに礼を言う。
「輝きに満ちた生活が一番だからな。幸せに過ごしてくれよ。なあ、ダニエル」
オドリックの言葉に、ダニエルが頷く。オドリックの頭頂部は、今も光を放ち続けていた。
「ああ。平和なうちに、子どもでも作れよ」
「そうだな」
ダニエルの言葉に、神妙そうにシアルが頷く。ダニエルとオドリックが去ると、入れ違いにソレイユとキーナがやって来た。キーナはクロエを抱いている。
「大将、おめでとう」
ソレイユが明るい口調で告げる。シアルは苦笑しながら頷いた。
「ソレイユか。ありがとう。とりあえず、何とか結婚まで来れたよ」
「ようやくだな。いや、ここからまた始まることもあるか」
ソレイユが笑う。
「ソレイユさんは、どうなんですか?」
そう尋ねてきたのは、ムーンだった。ソレイユは困惑すると、キーナを見る。ひょっとすると、ムーンはただ近況を聞いているだけの可能性はあった。だが、いくらムーンとは言えそこまで鈍いのだろうか。
「どうなのって、なんのことかな? 子育てなら結構大変だよ」
「やっぱりそうですよね。クロエちゃんは元気にされていますか?」
ソレイユの言葉に、ムーンが頷く。やはり、本当に近況を聞いてきただけだった。隣で、キーナが目を丸くしている。
「ああ、そうそう」
ソレイユが困ったように頭を掻いた。キーナを見る。キーナも、ソレイユを見た。妙な沈黙が、四人の間を覆う。
「おれたちも、付き合うことになりました」
今度、目を丸くしたのはシアルとムーンだった。
「なんと」
しばらくしてから、シアルが呟く。
「本当か?」
ソレイユたちが頷く。次に口を開けたのは、ムーンだった。
「それは、おめでたいですね」
「おれも、これからは地に足付けて生きて行こうと思うよ」
ユリアンヌやアニマが聞いたら、目を丸くしそうな言葉だった。実際、禁酒を始めたらしい。
「そうだな。戦いも終わったし、これからゆっくり平和に過ごしたいな」
シアルがソレイユとキーナを見る。
「お互い、幸せを目指そうな」
ソレイユは頷いた。
「ああ、お互い助け合って生きて行こう」
窓の外では、降り積もった雪に太陽の光がきらきらと反射していた。