ガルロ・ヴィ・ユミル・イドラム

ガルロ・ヴィ・ユミル・イドラム1世
作:@Freeton2
生年月日 宇宙新暦1386年
年齢 2870歳
宇宙新暦4256年没
出生地 ジャゴラス公国
惑星イドゥニア
人種 ロフィルナ人
所属組織 ユミル・イドゥアム連合帝国
帝国執政院
最終階級 皇帝陛下(天帝)
異名 流血大帝


概要

 ガルロ・ヴィ・ユミル・イドラム(通称、イドラム1世)は、ユミル・イドゥアム連合帝国の初代皇帝。
その暴力性から今日では擁護し難い存在として語り継がれて久しく、イドゥニア世界における大規模な侵略行動によって歴史の巨塔に刻まれた。
特にツォルマリア人に対する迫害は筆舌に尽くし難いもので、星間機構がもたらした負の産物であるとも指摘される。

来歴

底辺からの成り上がり

 中央大陸東方.ジャゴラス公国の地方都市Xにおいて出生し、ツォルマリア人による苛烈な差別を受けながら平民としての生活を送っていた。宇宙新暦1392年。隣国レシェドルティの侵略を受け、齢6歳にして親兄弟を全て失う。他の難民とともに各地を放浪。その間、ツォルマリア人の軍隊に追い回される過酷な生活を強いられたが、すんでのところでスラム街のならず者に助けられ、違法行為に手を染めるようになった。ここに至るまでの体験をもってガルロはツォルマリア人に対する憎悪を募らせるようになり、侵略者の末裔を殺害して回る日々を過ごした。やがて裏社会のボスから仕事の手腕を認められるようになると、その活動は更に苛烈さを増していき、ツォルマリア人に対して反意を抱く政財界の重鎮と通じるようになったのだという。そうした活動は当時の有力者を刺激し、ガルロは軍の特殊機動部隊によって拘束。懲罰部隊送りとなった。1428年に新秩序大戦が勃発すると、戦死が前提の最前線へと送られ、ジェルビア連合軍との激しい戦闘を経験した。不屈の精神をもって、この難局を切り抜けたガルロは国の英雄として遇されるようになり、1482年、ついに裏社会を牛耳る軍のフィクサーへと上り詰めたのである。彼の中に燻るツォルマリア人への憎しみは全く衰えておらず、1500年、時の帝政に対する軍事クーデターを実行した。

憎悪と果てなき闘争

 これにより、レシェドルティは大きな変革を迎え、旧ジャゴラスを天領とするユミル・イドゥアム連合帝国の成立へと至った。ここに至るまでの過程において、フォフトレネヒト皇国の支援を受けていたガルロ(改めイドラム1世)は当初、彼らの傀儡を装いつつ各国を侵略し、領地を広げたのである。一連の功績をもって政治の主導権を奪い取ると、連合帝国は名実ともにイドラム1世を長とする絶対君主制へと移行した。1575年にジェルビア諸国を降伏させ、ツォルマリア人に対する締め付けを強化。一匹残らず家畜化することを宣言した。宇宙新暦2000年に至ってはイドゥニア周辺における覇権を確固たるものとしており、更なる遠征に乗り出したが、同2185年、セトルラーム連邦との接触(ファーリルスト・ショック)において大敗を喫し、暫しの忍耐を強いられた。同2614年。全ての準備を整えたイドラム1世はセトルラームに対する再侵攻を命令。以後、激烈な絶滅戦争の道へと突き進んだのである。この一連の戦いでは当初、帝国側の有利に傾いていたが、パレスポル戦役における大敗を堺に劣勢となり、主力艦隊を温存していた連邦軍の反撃によってイドゥニア空域まで押し戻される様相となった。これに対してイドラム1世は不屈の態度を貫徹。ジャゴラスにおける地上戦において迫りくる連邦軍と衝突し、仁王立ちのまま壮絶な死を遂げた。この時に発令された徹底抗戦の報は帝国中に知れ渡る流れとなり、チャルチルフ方面に進撃した連邦艦隊を大いに苦しめたのである。

共立時代における評価

 時は宇宙新暦1500年。混迷を深めるイドゥニア諸国に対し、脱ツォルマリアを掲げたフォフトレネヒト皇国は、帝政レシェドルティとの盟約に従い、ユミル・イドゥアム連合帝国を成立させた。当時、レシェドルティの実質的指導者となって久しかったガルロ(本名不詳)*1は怨敵ジェルビア連合を打倒するための力を欲していた。その後の歴史に関しては上述の通りであるが、初代イドラムによる圧政の歴史は帝国国内でも生々しく刻まれ、皇室(ひいては国家体制そのもの)の正当性が問われたのである。ガルロの戦死以降、実権を掌握したイドラム2世(ガルーネ皇帝)は国家体制の自主的改革をもって国際社会における皇室の立場を守った。しかし、国内情勢においては依然として皇室への反感が渦巻いており、戦後帝国政府は長らく秩序の回復に苦慮してきた経緯がある。この一連の混乱は共立公暦50年、トローネ皇帝によるガルロ派への第一次粛清が実行されるまで続いた。

 かねてから親睦を深めていた外国(エルクール大公国セトルラーム共立連邦)の指導者を頼り、象徴君主としての軛から抜け出したトローネ皇帝は、自身の権力基盤を確固たるものとするため、同65年に主要行事となる二大式典を開催。建国(連合帝国成立3565周年、苦節3565年)を称える席上から『失われたフォフトレネヒトの威光』を取り戻す決意を表明し、同年X月における帝国貴族式典をもってトローネ皇帝による新体制の正当性を認めさせた。この時、公開された綱領によれば、事の元凶とされるイドラム1世は帝国史上において間違いなく初代皇帝たる資格を持つが、その功罪に関しては厳しく評価しなければならないこと、トローネ皇帝の統治により、その歪みを正すことに重点を置いた内容であった。帝国を覇権国家の地位に引き上げたイドラム1世の功績に関しては時の国際社会に配慮し、控えめな表現に留まったが、宇宙新暦2614年以降における一連の失策(特にセトルラームに対する侵攻)については如何なる功績をも曇らせる最悪の汚点として総括された。トローネ皇帝は最大の敵対派閥であるガルロ派の粛清に留まらず、公約通り民主派(新興財閥)による汚職を一掃するなどして多くの臣民からの支持を得たのである。共立公暦100年に至っては国主導による福祉政策が整備され、長らく衰退の原因となっていた種族間の差別や貧困問題の大部分を解決させるロードマップが提示された。そして、同115年。連合帝国臣民式典と称される全国規模の選挙をもってトローネ皇帝による絶対君主制が確立されたのである。初代皇帝たるイドラム1世の教訓は現代の帝国臣民にとって触れてはならないタブーと化し、皮肉にも大戦当時の敵対者であるヴァンス・フリートンの人気が上昇するという逆転現象も生じた。

「奴は誰に対しても公明正大な暴君で、厚顔無恥の悪党だったよ。お仲間のケルフィリア人ですら手に負えなかったのだから」
 戦場帰りの帝国兵

「イドラムの手にかかる地獄と比べれば、ロフィルナで奴隷待遇に甘んじてる方がマシだったろう」
 ロフィルナ在住のツォルマリア人労働者

「史上最低のクソ野郎にトドメを刺したのは年若いツォルマリア人の新兵だったな。彼の怯えた視線が奴の悪意を貫いたんだ。爽快だったよ」
 ジャゴラスの戦いで負傷した連邦兵

人物

 この男の性格を端的に述べるなら、相当に気難く、寡黙で、時に苛烈な人物であったという。弱者が弱者たる所以を強く戒め、自らを過酷な環境下に晒し、嫁を娶らず、力を得ることに全てを費やした(クロキルシ大太公の談)。かつて経験したツォルマリア人領主による玩具遊びを強く憎んでおり、後にジャゴラスの地を征服した折には国ごと解放奴隷の遊技場に仕立て、貴族狩りの成績を競わせる暴挙に及んだ。ガルロの幼少期、我が身可愛さに彼の家族をツォルマリア人に差し出した市民も標的にされ、裏切り者の烙印とともに吊るされたという。旧首都圏を地ならしする行軍の道中、震える幼女の顔を怒りのままに蹂躙し、家族もろとも串刺しに処するなどの冷酷さも見せた。後に連合帝国の皇帝となる、この男の復讐劇は一連のジェノサイドに留まらず、ジャゴラスの犯罪を許した全ての国家に対して向けられた。カラネア、リーネリア、ラノリーネと次々に周辺諸国を併呑し、僅かでもツォルマリアの痕跡を認めれば都市ごと浄化を命じる凶行を繰り返した。

 当初、最大の攻略対象と見なされたジェルビア連合との戦いでは自ら率先して部下の手本となり、敵の塹壕に単身切り込むなどの伝説も広く語り継がれた。帝国遠征軍がセトルラームの征服に失敗して後退してきた折も自らイドゥニアの天領を死守する旨宣言。講話交渉に傾きかけていた当時の世論を覆し、以後、長きにわたる抵抗を継続させた点でも並々ならぬ執念の闘争心が伺える。無骨な防弾装甲に機械仕掛けの大剣を背負い、迫りくるセトルラームの重戦車を容易く両断。剣閃による巨大な熱波をもって多くの戦闘機を撃墜するなどした。令咏術の達人でもある以上、旧態依然とした重たい装いは弱みにすらならず、むしろ彼自身の闘争心を増幅させる超常的な物理現象をもって並みの部隊では到底太刀打ちできないほどの戦闘力を誇った。当時、イドラム1世に仕えていた多くの近衛騎士が彼の背後に控えるの存在を恐れたという。後のジャゴラス解放作戦において、夥しい数の犠牲を払った連合軍総司令部は当時最新の大型機動兵器を繰り出し、最大の障壁たるイドラム1世の拘束にあたらせた。しかし、ここでも数多くの死傷者を出し、狂乱状態へと陥った大勢の連合兵が幾度となく彼の身体を滅多刺しにする凄惨な結末を迎えたのである。

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最終更新:2025年03月27日 20:07

*1 初代皇帝の本名がなぜ不詳なのか?宇宙新暦4000年以降、セトルラーム率いる連合諸国の反抗作戦の際に全ての資料が焼き払われてしまったからである。長きにわたる戦乱の中でユミル・イドラムの称号が定着し、ガルロ自身も自らの本名を捨てたとする説。帝国自体が戦後の資料補填に消極的で、過去の情報としては完全に失われてしまった。