概要
アルゼヌーク紛争は共立公暦0年、同自治権の施行により成立したイェルバーニ新政府(王国)の統治領域を巡って勃発した独立運動の総称である。
背景
対ギールラングを巡る本国政府の決断
宇宙新暦4500年。長きにわたって続いた
新秩序世界大戦が終結し、
セトルラーム共立連邦は新たに複数の地域を得た。一つはイドゥニア西方大陸を占めるフリーネア地方であり、この国の民は戦後、完全なる内政自治権の保障を条件にセトルラームの統治を受け入れたのである。同じようにアルゼヌーク諸星に対しても高度な自治権が約束されるはずであった。しかし、この当時のセトルラームは迫りくるギールラング艦隊の脅威にさらされており、時のフリートン政権は厭戦気分が蔓延する労働組合の暴発を抑えるため、上位諸侯など富裕層に対する大増税へと踏み切った。当然、この行為は後に大量の造反者を生み出す契機となるわけだが、もはや足下の民に痛みを強いることは許されず、政府は自らの支持基盤を切り捨てる形で当面の軍資金を確保したのだという。また、時のフリートン大統領は、自らが中道のリベラルであることを印象付けるため、徴兵制度の部分的廃止を宣言。これには前線に立つ多くの将兵が激烈な反発を示した。一方、労働者の消極的支持を留めるには十分な政策であり、フリートン政権は辛うじて世論のコントロールに成功したのである。
一方、前大戦での消耗から不足する正規戦力の補充法を問われた時、フリートン大統領は目玉とされる打開策の提案を叩きつけた。それは、比較的軽度の被害に収まっている諸星系からの徴収を前提とするもので、本国以外の民に痛みを強いる内容であった。航空戦力に関しては
アリウス上級大将(当時)率いる主力艦隊が温存されているため、直ちにギールラング方面への対応に当たらせる。問題の陸戦部隊に関してはアルゼヌーク星域から集中的に徴収し、必要な資源を他の星系より移送させることを趣旨とした。戦争に次ぐ戦争で、強制労働を課されてきた本国下層民の怒りは極限に達しており、本国議事堂の誰もが、この酷薄な対案に賛成票を投じたのである。以上の経緯から、アルゼヌークに対する自治権の保障は棚上げとされ、以後、長きにわたる戦争負担を
ヴァンス・フリートンの名の下に課した。この仕打ちは多くの現地人にとって筆舌に尽くしがたい記憶となり、
デリル・メルダのストレージに刻まれたのだという。
先住民の怨嗟と正義
一連の本国政府の通達は、終戦による平和の到来を期待していたイェルバーニ国民の希望を打ち砕くものであった。宇宙新暦4515年に通達された特別徴収法の施行から、前大戦より遥かに超える数のイェルバーニ国民が召集され、ただでさえ少ない労働人口を更に減らしたのである。徴兵によって失われたイェルバーニ王国の人的資源は数百万を数えるもので、これが今日まで続く技術的停滞(テクノスチームパンク文化の強化)の決定打となった。残された先住民の殆どは老人や子供、戦えない病人といった有様であり、その貧しい生活は多くの国から同情を集めるに十分すぎるものであった。しかし、ギールラング艦隊の襲来という至上の脅威を前に、間もなく国際社会の関心はセトルラーム連邦軍との共闘に移った。以上の流れからイェルバーニ国民の不幸は忘れ去られ、オクシレインを中核とする連合軍の進撃が始まったのである。徴兵されたイェルバーニ国民の中にはサボタージュを決め込んだり、闘争主義に目覚める、ギールラング側に寝返る者も続出したが、アリウス上級大将の必死の説得によって係る将兵らの離反は最小限に抑えられた。アリウスは嘆くイェルバーニの将兵に約束した。誰も死なせず、一人も見捨てないことを。オクシレインを筆頭に進撃を続けた連合軍はついにギールラングを瓦解へと至らしめ、宇宙新暦4752年、ツォラフィーナの勝利をもって今度こそ戦争は終結したかのように思われた。
しかし、前大戦の終結から、求心力の回復を目論む連邦本国のフリートン大統領は戦争の続行を指示。国際社会の反発が強まる中、アリウス率いる前線艦隊は死か戦いの選択を迫られた。それでも奇跡的にイェルバーニ将兵の犠牲者が出ることはなく、同4755年、アリウスは本国の命令に背く形でツォラフィーナ代表(ラノリア総督)との接触を果たしたのである。これにより、合意された計画は、対セトルラーム制裁に効力を持たせるまで戦っているふりをすること。それをもっともらしく偽装するためにいくつかの戦闘艦を自沈させ、アリウスの戦死を本国に伝えるといった内容である。問題はアリウス以外に艦隊の指揮を取る提督達の存在であった。この計画はただちにオクシレインと共有され、本国の民主化を促すための準備が進められた。そして、なによりも忘れてはならないこと。それは、異種生命体を含む全てのイェルバーニ国民の自由を勝ち取ることである。説得に失敗した幾人かの提督を抹殺したことを除いて、計画は順調に進んだ。そして、4786年。
連合帝国におけるAI反乱をもって今時戦争が終結。国際社会の圧力に屈したフリートン政権は、なんの成果も得ることなく全ての艦隊を本国に呼び戻す命令を下したのである。アリウスに付き従うイェルバーニ将兵にとっては自由を勝ち取るための第一歩として歓迎された。
独裁者の失脚と戦後処理
長きにわたる戦争から世代交代を重ねていたが、一応の和睦を迎えたことでイェルバーニ将兵の多くが故郷に帰還した。一方、堂々の帰国を果たしたアリウスには国家反逆罪の容疑をかけられ、彼女の逆襲を恐れる独裁者の報復が始まったのである。しかし、これまでの流れから、救国の英雄となって久しい彼女の逮捕を快く思う者は誰一人として存在せず、却って民主派による激烈な武力闘争を誘発してしまった。地方貴族の造反も起こり、進退窮まったフリートン大統領は頼みの綱である核戦力をもって国民を恫喝するという暴挙に出た。しかし、該当の戦略部隊において、その命令に従う者はなく、国軍の最高司令官である
ザルドゥル・ヴィ・ヴェイルストレーム元帥の離反をもって大統領自身が拘束される格好となった。一方、現政権に忠誠を誓う精強な親衛隊の暴発が懸念されており、アリウスはこれの撃滅を目指していたのだが、国土の荒廃を下策とするザルドゥル元帥の提案に寄り添う形で自らに対するフリートンの忠誠を引き出した。以上の経緯から、完全にアリウスの走狗となったフリートン大統領は自ら総辞職の意向を発表。事後処理のために辛うじて生かされる流れとなり、以降の民主化に協力したのである。この朗報は本国国民のみならず、アルゼヌークに帰還した多くのイェルバーニ将兵を喜ばせたが、広大な領域を有する共立連邦の改革を進めるのは並大抵のことではなく、宇宙新暦4900年代、アリウス大公を長とする臨時政権の段階的な民政移管を待たなければならなかった。
経緯
初代救国政権の迷走
宇宙新暦5000年(共立公暦0年)。
文明共立機構の発足に伴い施行された新憲法をもって共立連邦は完全なる民主化を遂げた。一方の
ヴァンス・フリートンは国中からヘイトをぶつけられる不遇の時を過ごしており、保護承認プログラムに基づく厳重な警備体制によって命こそ永らえたものの、財産は没収。一部の知識人から同情を誘うほどの末路を辿っていたわけだが。ともかく、アリウス大公主導の民政移管は成功を収め、
セトルラーム共立連邦は救国行動党政権による新時代を迎えたのである。これまでの独裁者に対する反動から、極端に競争志向を高めたセトルラーム国民は資本主義勢力との接近を望むようになり、この動きは間もなく自主独立を望む保守派の激発を誘う流れとなった。資本主義を是とする救国政権はオクシレインとの関係向上を重んじる反面、そうした世論の分断を軽視することができず、当面の間は国力の増強に務めることで支持率の上昇を目指したのである。その第一歩として発動された政策が
聖域なき産業改革。これにより、国内の主要財閥は軒並み解体される流れとなったが、急速に事を進めたことで国際競争力が低下し、同2年に間もなく消費税(10%)の導入へと踏み切った。この段階では、まだ将来の発展を見据えた一時的な痛みとして理解する向きが主流であったが、イェルバーニ王国において独立運動が激化すると事態は一変。救国政権は長らく見捨てられてきたアルゼヌーク星域の復興を名目に多額の公共事業を進める意向を表明した。しかし、この独立運動の中には既存の経済界によって奪われた二惑星の返還要求も含まれており、再開発を志向する救国政権にとって受け入れがたい内容であることから、意図的に無視されたのだという。その結果、アルゼヌーク至上主義団体によるテロ事件が頻発するようになり、同5年に至っては既存の警察力をもって対処できない事態へと推移してしまった。
武力闘争の激化
アルゼヌークにおける武力闘争が激化し、急速な治安の悪化を辿る中、共立公暦10年、救国政権は帝国の要請に応じる形で
カーマフォルト文化共有協定を締結した。これにより、従来の再開発政策は停止される流れとなったが、時既に遅しでアルゼヌーク各地における独立運動は激化の一途を辿った。一連の公約違反によって支持率を下落させた救国政権は、社会保障政策の補強をもって台頭しつつある共立党勢力の逆襲を阻止しようと試みた。しかし、それが支持基盤である経済界の逆鱗に触れてしまい、一向に引き下げられる気配のない競争税(法人税に相当)の在り方を巡る議論に発展してしまった。当然、10%の消費税の用途に関する議論も争点化し、同13年に至っては、イェルバーニ新政府の
パッションベルム共立宣言に屈する形で二惑星の返還を含む自治権に関する交渉に乗り出したわけである。この一連の迷走は、時のセトルラーム国民をして想像以上の無能とされる救国政権への失望感を拭いきれないものであったが、それ以上に深刻なのが、独裁者の復帰を叫ぶ共立党支持者の扇動とされた。
彼らの論理によれば、民主的枠組みの中で調整に秀でた政治家の育成こそが先決で、現在、獄中同然の暮らしを強いられている
ヴァンス・フリートンにその役割を担わせようという内容である。無論、これには旧暦時代の圧政を知る多くの老年層が反発し、アリウス大公による再びの親政も現実味を帯びる有様であった。とはいえ、時の救国政権にとっては当面の課題であるイェルバーニ問題の解決に努めなければならず、X大統領自らが同国の首都であるパッションベルムの地に赴いた。同空港において多くの民衆が期待の眼差しを向ける中、X大統領を迎えたものはアルゼヌーク至上主義団体による銃撃であった。護衛を含む5名の犠牲者を出し、イェルバーニ政府に対して不信感を強めたX大統領は即座に帰国。治安維持軍による制圧をぶち上げ、これの出動準備が整うまで更に2年もかけるという失態を重ねた。この間にもセトルラーム国民の分断は深刻化の一途を辿っており、これの解決を条件に開放されたヴァンス・フリートンの立候補をもって政界の総入れ替えが始まったのだという。
返り咲く独裁者
共立公暦15年。時のX大統領は自らの政治生命に見切りをつけて治安維持軍の出動を命じた。これにより、崩壊しかけていたイェルバーニ政府(穏健派)の救命に成功するわけだが、同機関に紛れ込む至上主義者の炙り出しに手を焼くなど、収束まで暫しの忍耐を強いられた。この一連の出来事は国際社会の関心を引いて久しく、先住民に対する不当な政治干渉にあたるとして、時の救国政府は
イドゥニア星系連合主導による経済制裁の可能性(最悪のシナリオ)をも想定していたのである。そうなると、いよいよ捜査の手を強めなければならず、その苛烈な取り締まりの様相に益々国際社会の非難を招くという如何ともし難い悪循環に陥っていた。この時点に至って救国政権の支持率は15%を切っており、これは退陣水域を意味する数値として認められた。政権交代まで時間の問題であることがほぼ確実視される中、
ヴァンス・フリートンは自らの経験に照らし合わせて介入主義の危険性を訴え、貧困に苦しむ若年層や、労働組合、一部の経営者を中心とする中道リベラル派の消極的支持を取り付けていった。そのような経緯を経て、同20年。115年ぶりに政権を奪取したフリートン大統領(連邦社会共立党)は現代憲法の補強を約束。イェルバーニ政府に対しては、二惑星の返還を含めて完全なる内政自治権を与える意向を伝えた。同時に独立の権利も保障したわけだが、これに関してはアリウス大公の意向に沿ったものであると報道された。しかし、異種生命体を含む多くのイェルバーニ国民が経済的な支援を求めたため、引き続き連邦に留まることを前提として独立派(アルゼヌーク至上主義団体)に対する取り締まりを継続したのだという。
非常事態体制の解除
以上の民意を背景に、国際社会の介入を牽制したフリートン大統領は着実に公約を実行。消費税の廃止を皮切りに競争税を引き上げ、ライフラインを担う全ての企業を国営化し、前政権のもとで資産を増やした一部の富裕層を標的にするという、かなり強引な手法をもって混乱の極みにある国内の立て直しを図った。無論、それらの政策は状況に応じた一時的な措置に過ぎないとフリートン本人が後に語っているわけだが。ともかく、アルゼヌーク諸星への公約を完全に履行したことで当地の安定化に成功したのだという。そして、同25年。セトルラーム、イェルバーニ両政府による収束宣言をもって今時紛争の終結に至った。一連の衝突によって犠牲となった国民の数は万単位を数えるもので、一説によれば内戦に相当する説も指摘される。また、旧暦時代から続くイェルバーニ国民のわだかまりが消えることはなく、むしろ苦しみの元凶とも言える
独裁者の返り咲きによってアルゼヌーク星系の地位向上が進んだことは歴史の皮肉としか言えない事象として受け止められた。
影響
あらゆる分野において技術革新が進むセトルラームの中にあって、原始的な機械に頼るイェルバーニ王国の文化は多くの連邦国民にとって理解し難いものであり、見返りのない財政支援に反対する者も続出した。固有の文化資源に対する無理解や、移民問題、テロリズムに対する怒りが複雑に重なった結果、アルゼヌーク諸星人への差別が蔓延してしまったのだという。イェルバーニ政府はそうした事態に対し、テクノスチームパンクの魅力を宣伝。未来への投資を強調することによって不満の抑制を図ったが、(科学志向であるフリートン政権の腰が重たいのも相まって)根本的な解決にはならず、完全な相互理解に至るまで更に100年以上もの時を待たなければならなかった。共立公暦150年以降は徐々に人の往来が盛んとなり、今日ではセトルラーム屈指の文化先進国として認識されるにまで至っている。一連の失政によって大きく支持率を低下させた救国行動党は以後の時代においても低迷し、民主的枠組みにおける連邦社会共立党の一党優位体制が成立する流れを許してしまった。……ここから先は余談となるが、以上の成功を見届けたフリートン大統領は後に「もっと投資しておけば良かった」などと発言したらしい。これが報道されると炎上し、間もなく
焼きそばパンを献上する羽目になったというが、それはまた別の話である。
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最終更新:2024年11月29日 20:19