概要
戦力
作戦の前提条件として、攻める側は艦を深海に隠し、守る側は上空と沿岸に戦力を並べたため、双方の編成は相手の居場所を掴む手段を軸に組み立てられた。
アムルバーヤ級原子力潜水駆逐艦
アムルバーヤ級は、共立公暦965年に就役した。全長350メートル、全幅71メートルの艦体に独自の核融合炉を収め、対艦主砲の直撃に耐える
シールド展開装置を備える。艦内には工作区画が長く延びており、マルチロール艦載機の組み立てと強襲揚陸潜水艇の整備が同じ設備で続く。格納の余地を工作区画と分け合う設計であるため、一隻あたりの定数は艦載機24機に潜水艇4隻を加えた規模で定まる。組み上げの速度は一月あたり8機で、消耗した機体は洋上で順次補われた。深度1万メートルを超える水域での行動を見込んだ艦体であり、補給の経路を絶たれた後も単独で作戦を組み立てられる。艦倉の熱核弾頭は地域破壊クラスにあたり、搬送には艦載機の機体下部に設けた懸架を用いる。
共立機構国際平和維持軍の水中監視は就役の年から所在を追ってきたものの、革命の混乱を境に把握が途切れた。
戦隊
攻撃に踏み切ったのは、
ロフィルナ王国海軍の潜水戦力のうち、
コックス大宰相の指揮を離れて独自に動いた艦の集まりであった。開戦時に就役していた80隻のうち、1007年3月に行動可能な艦は4隻で、うち3隻がフリーネア沖の深海に集まる。手元に揃った艦載機は72機であり、月ごとの補充を見込んでも一度に出せる編隊は数十機の規模で頭を打った。1001年の
中南洋エリッツ沖海戦で消息を絶ったザルバス・クロムも中南洋の未踏海域で合流しており、艦首の対艦兵装を打撃の一端に加えている。艦倉に残る地域破壊クラスの熱核弾頭は一発で、補充を仰ぐ本土の保管庫は連合軍の管理に移りつつあった。作戦の構想は、配置の間隔が開いた沿岸を夜ごとに突いて工業の設備を潰し、フリーネアに本土戦線の兵を引かせるところに置かれた。
行政区軍
迎える側の
フリーネアは、連邦を構成する自治体として西方の大陸に領域を広げている。国王のもとで首相が政務を執り、
ヴェイルクラム作戦に陸軍を送り出した経歴が連邦内での発言力に結びついていた。航空戦力は3215機を数えるものの、守るべき海岸線は大陸の西縁の全体に及ぶ。海岸線の全体を夜ごとに覆う任務は機体の稼働率に縛られており、搭乗員の交代を挟むため同時に上げられる分は総数のごく一部で収まる。迎撃の厚みを一箇所へ寄せれば別の受け持ちが空くため、数の優位は分散によって帳消しにされている。首都フィノの周囲だけは迎撃システムの層が幾重にも組まれ、金融の中枢を抱えた市街の地下にはシェルターが掘り下げられた。海軍の編成は沿岸の哨戒を主眼としたため、外洋での対潜行動に回せる艦艇は103隻であった。聴音の設備が覆う範囲は沿岸から百キロメートルの帯までで、外側の深海については漁業に用いる民生の装置が拾う音を頼りとする。
連邦増援
連邦本国からフリーネアに差し向けられた戦力の規模は、本土戦線の状況によって決まった。同じ年、
セトルラーム空軍の主力は西部戦線の島嶼への揚陸を優先する指令を受けており、王都方面に展開した梯団も船団に戻される途中であった。フリーネア方面に回された航空艦は4隻で、搭載する戦闘機は640機を数える。艦隊は宇宙空間から大気圏に降りる経路を採ったため、到着は3月下旬まで遅れている。到着した艦隊は、上空の制圧を主任務として沿岸の各地に分散して配置された。深海での捜索に用いる曳航式の聴音装置は一隻あたり一組の積載であり、外洋の広い範囲を同時に探る作業には人手の割り当てを要した。平和維持軍は沿岸に監視の艇を並べ、避難民の収容にも人員を出した。連邦司令部が戦力の再配分を求めると、
ヴァンス・フリートン大統領は西部戦線の攻勢を維持する方針を選び、フリーネア方面への追加派遣を年内の予算の外側に置いた。
経過
四か月に及ぶ交戦は、共立公暦1007年3月1日の夜間空襲を起点として、6月28日の艦体の喪失まで続いた。
発進
3月1日の深夜、フリーネア大陸北部の工業都市ヴェルナッドに、海上から接近した艦載機の編隊が襲いかかった。攻撃に先立ち、戦隊の3隻は深度6000メートルの潜航層から射出の可能な深さまで艦体を上げている。射出の時刻は、低気圧の中心が沿岸を通過する時間帯に合わせて定められた。荒れた海面では波の反射が乱れており、軌道上の観測機が浮上の兆候を掴む余地は狭まる。48機の編隊は兵器工場の電源設備を叩いたうえ、通信塔を倒して周辺の連絡系統を断った。黒煙が空を覆ったため、崩れた建物の下に残された市民の救出は翌朝まで持ち越された。初日の死傷者は、3200人を数える。北部の沿岸で夜間の待機に就いていた機は40機であり、上がった時点で編隊は帰路に入っていた。追撃に移った行政区軍は低空を這う機影の捕捉に手間取り、初戦で14機を失う。発進の位置が沖合であると解析によって判明したのは、空襲から三日を経た後であった。
消耗
4月に入ると、戦隊は襲撃の場所を毎回替える運用に移った。行政区軍が北部の沿岸に機数を寄せたため、南の沿岸では夜間の待機が半減する。4月6日、南岸の都市レナフィスの港湾に強襲揚陸潜水艇の一群が取りつき、係留中の艦艇8隻を破壊して海中に退いた。同じ月、商業の中心地サリオスの金融街が三十機規模の空襲を三度受け、決済の機能は月末まで止まる。連邦の航空艦4隻は上空の全域を押さえたものの、艦の照準は海面までで止まった。電磁波は海水に吸収されるため、軌道からの観測が届く深さは水面下の数十メートルにかかる。フリーネア海軍は民生の海底観測装置を軍の系統に接続し、地震計が拾った低周波の成分から推進機の音を洗い出す手順を組んだ。記録は沿岸の各所に分散して残されており、照合の作業には日数を要する。戦隊の側では艦内の工作区画が月に24機を組み上げ、失った機体の穴を埋めた。5月中旬までに投入された機体は延べ140機に達し、搭乗員の補充は機体の速度に置いていかれる。
首都
5月25日、戦隊は初めて首都を目標に据えた。南岸に回した潜水艇が港湾を襲って迎撃機を引きつけ、手薄になった北の空から30機が市域に侵入する。編隊は王宮の外郭から金融街の高層区画にかけて爆弾を落とし、墜落した機体が文化財の建つ区画を焼いた。迎撃システムはレーザー砲とミサイルの併用で19機を撃ち落としており、艦へ戻った機は6機であった。熱核弾頭を編隊に加える案は、出撃の前に艦上の協議へ付されている。弾頭を市街まで運ぶ手段は艦載機の搬送であり、迎撃の層を抜けて中枢に届く確度は一割を下回る。手元の一発を外せば二度目の機会は消え、核の使用は
共立機構に戦後統治の優先を改めさせて
壊滅の総力を呼び込む結果が想定された。先任艦長の合議は通常弾薬による攻撃の継続を選び、弾頭は艦倉に残された。首都を焼けばフリーネアが本土戦線から兵を引くとの読みも、同国議会が早期交渉を見送った時点で崩れている。
決着
6月に入るころには照合の作業が進んでおり、艦の浮上の周期が割り出された。6月26日、沖合80キロメートルの海域で一隻が射出の深さまで上がった時点を狙って、連邦の航空艦4隻と行政区の海上艦艇37隻が射撃を集中させる。シールド展開装置は最初の斉射を凌いだものの、
マルチロック量子誘導ミサイルの連続した着弾で発艦口の縁が裂けた。艦は深海への退避を試みており、傾いた艦体のまま海底の斜面に乗り上げる。翌27日、僚艦の救援に浮上した二隻目は艦橋部を撃ち抜かれ、乗員の投降によって艦内が連合軍の手に渡った。ザルバス・クロムは残る一隻の退路を開くために単独の反撃に転じ、対艦兵装を撃ち尽くした後に沈む。6月28日、残った9機が沿岸の飛行場に突入を試み、防空の射線に捕らえられて全機が墜ちた。同じ日、海底に横たわった艦の艦長が最終処分の系統を作動させ、艦倉の熱核弾頭が深度4000メートルで起爆する。爆発は斜面の岩盤を崩し、周辺の聴音の記録を数時間にわたって飽和させた。包囲の緩んだ間隙を抜けて、三隻目は南の深海に去っている。
影響
交戦の帰結は行政区の経済と連邦の軍備の双方に及び、海中に残った艦の行方にも尾を引いた。
行政区
四か月の交戦で命を落とし、あるいは傷を負った住民は約1万8000人にのぼる。軍人の死傷者は5400人で、航空機の搭乗員が三分の一を占めた。サリオスの金融街では取引の記録装置が焼けたため、決済の再開までに半年を要しており、市外に移した仮の窓口が送金の受け付けを引き継いでいる。ヴェルナッドの兵器工場は基礎から作り直され、稼働の回復は翌年の後半まで持ち越されている。国王は焼け跡の広場で演説を行い、住民の帰還を年内に進める方針を示した。首相が連邦議会に提出した補償の枠組みは、被害を受けた沿岸に向けた直接支出を認める内容で可決される。港湾の復旧は漁業の再開から着手され、失われた船の補充には連邦の造船所が回された。地下シェルターで三か月を過ごした市民の多くは市街の高台に移り住み、焼け残った倉庫が仮の住まいに転用された。
共立連邦
フリーネアの被害は、連邦本国の政治に跳ね返った。
ヴァンス・フリートン大統領は構成体の防衛を後回しにした判断を議会で追及され、答弁の場に連日立たされている。海軍の側では、深海での捜索に用いる装置の配備が本土の内海に偏っており、配備の方針が検証の対象となった。連邦は曳航式の聴音装置の増産を決め、外洋に面した構成体の沿岸に固定式の観測点を並べる計画を立てる。軌道から海中の目標を捉える手法についても研究が始まり、海面の微細な起伏を追う手順が候補に挙がった。海底で生じた熱核の爆発を受け、沖合の一帯は長期の立入制限の対象となる。
共立機構国際平和維持軍は救援物資の輸送を引き受け、収容拠点の運営にも要員を出している。西部戦線を優先した判断そのものは連邦軍の内部で支持され、島嶼への揚陸は予定の日程どおり実行された。艦隊司令部は構成体の海軍と共通の通信規格を用いる手順を年末までに定め、演習の日程も翌年の計画に書き込んだ。
残存艦
交戦の後、フリーネア沖を離れた一隻は中南洋の深海に潜り込み、追跡の届く範囲の外側に移った。開戦時に就役していた80隻のうち、革命の全期間で失われた艦はフリーネア沖の二隻を含めて67隻にのぼる。残る艦は1008年の停戦まで潜航を続け、
コルナンジェ停戦協定の成立後に浮上して平和維持軍の監視下に入った。艦内で製造された艦載機の設計図は接収され、工作区画の構造は各国の対潜計画の見直しに用いられる。乗員の一部は投降を拒んで艦を離れており、
星域の地下組織に身を寄せた者の消息が戦後の捜査で追われた。熱核弾頭の使用を見合わせた合議の経緯は、戦後の軍事裁判で乗員の証言として取り上げられた。潜航を続けた乗員の間では食料の配分を巡る対立が生じ、投降の判断は艦ごとに分かれている。停戦以降に分裂した諸国は、艦の維持に要する費用の負担を避けた。
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最終更新:2026年08月24日 01:03