― ひとりでもたくましく生きていくんだ。最近、ずーとそう考えてる。ひとりでもたくましく生きていくんだって ―

彼女は、本人の強い決意の言葉にもあるように、一人でもたくましく生きていくんだと、常々決断していた。

彼女の名前は実装寺真紅(じっそうじ・まべに)13才。友達からは”ルビイ”と呼ばれてる。彼女自身は、全然その名前を気に入っていない。名づけたのはシステムエンジニアの父親である。彼の大好きなプログラミング言語のRubyから取ったのであるが、プログラム言語Ruby→宝石のルビー→ルビーの色は真紅(しんく)ということで、真紅(まべに)となったわけだが、ちょっとひねりを加えすぎてルーツが分かり難くなっているきらいがある。

真紅の父親は、「ではお前、Javaとか、 C++の方がよかったというのかい、真紅?実装寺シープラプラ子。こりゃああまりに変だぞ。まさかとは思うが、pythonが第一希望だったのに、などとは言うまいね。もし君が大きくなって、門手井(もんてい)という苗字の青年と結婚してごらん。『門手井(もんてい)パイソン』となってしまうぞ。ぷ。変なの。パパがpython信奉者でなかったことに感謝してもらわなくてはいけないよ。いずれにせよパパは悲しいよ。お前の幸せを考えて一所懸命に考えたんだぞ」などといっているけれども、真紅としては、

― どれもヤダ。娘の幸せを考えるなら、もっと普通の名前付けろっつーの。だいたい、門手井(もんてい)なんて苗字聞いたこともないわ ―

というところであろう。

仲良くなった友達からはかならず、「ねえ、まべに。真紅はどうして真紅って名前なの?」と聞かれる。「えーっと。宝石のルビーってあるでしょ。真っ赤なやつ。あれから取ったんだって」と答えたら、いつしかそれがニックネームになったというわけである。真紅の気持ちとしては、恥ずかしくて、プログラミング言語の名前から取っただなんていえないとろであろう。絶対にイジメられる。うまい具合に彼女の誕生日が7月で、誕生石がルビーであることも幸いしている。真紅は、もしかして、父親のことであるから、うまく誕生月が7月になるよう仕込んだのではないかとふんでいるのだ。なにせ彼女の父親はシステムエンジニアだから、Execlかなんかで、シミュレートしたんじゃないのかと。

真紅は東京都内、といったって西のはずれの八王子市であるが。で暮らしてる普通の中学一年生である。

見た目はまあ中の上ぐらいだ本人は評価している。一応、友人たちからはかわいいっていわれて、まんざらでもないが、本人は鼻が気に入っていない。低くてちっちゃいダンゴみたいだからである。

父親一人に母親ひとり。あたりまえである。でもここからが少し普通と違う。本当の母親は真紅が 8歳の時に病気で死んでいる。であるから、今の母親は、父親の再婚相手。ようするに継母(ままはは)というやつである。

去年の冬休みのとき、突然父親が連れてきたのだ。真紅は、ちょうど自我が芽生えてきて、めちゃめちゃ多感な年頃であったから、はい、今日からこの人をお母さんと思いなさいっていわれても無理だわこりゃと、非常に当惑してしまったのである。

しかも父親は、あろうことか2ヶ月前に、単身赴任でアメリカへ云ってしまったのである。なに考えているのであろうか。ギクシャクしてる真紅と継母を残して。どうすればいいのかと、真紅は完璧に途方にくれているのである。

― 義母さんも義母さんよ。証券会社に勤めてたバリバリのキャリアウーマンなのに、なんでもっと颯爽としないのかな。ワタシのことなんてほっといて、パパとの新婚生活をエンジョイすればいいのよ。仕事だって、証券会社辞めて、近所のスーパーでパートしなくったっていいのに。もう『立派にわたしの母親役を勤めてみせる!』って、りきみや焦りがみえみえで、見ていてイタイタしくなっちゃうんだよね。ワタシはもう13歳だから、是が非でもお母さんが必要ってことはないんだしさ。何事にも手が抜けない性格なのよあのひと。なんでパパと一緒にアメリカへ行かなかったんだろ。まあ、ワタシを残して二人で海外にいくわけにはいかないよね。セケンテイもあるもんね ―

キンコロカンコロローン。



4時限目終了のチャイムが鳴る。授業終了の挨拶もそこそに、弁当を広げだす男子生徒たち。2時限目終了と共に自分の弁当を平らげてしまった野球部のミツオは、箸を握り締めて、まわりの生徒達の弁当の中身を物色したりしている。真紅の義母は料理がうまく、いつもお弁当の中身は豪華絢爛だ。どうせ料理の味もなにもわからない人間生ゴミ処理器のミツオにおかずを取られると悔しいので、真紅は少し時間を遅らせて食事をとることにし、もう少し自分の境遇について思いを馳せることにした。

― えーと。どこまで考えたんだっけ。もうわからなくなっちゃったわ。まあ、ワタシほど不幸な運命に翻弄される女の子は、少なくともこのクラスにはいやしないわね ―

「真紅ちゃん。えーっともしもし。真紅ちゃん」

― でた!クラスメイトで、幼なじみの長谷川圭介だ。コイツ苦手なんだよね。なんでこんなに背が高くてハンサムなのに、よりによってパソコンオタクなんだろ。パソコンオタクの中でも最強最悪の、プログラムオタクなんだから始末が悪いわ ―

だが、幼なじみだけあって、圭介は真紅のことを中学生になって彼女についた『ルビイ』というあだ名では呼ばない。前述のごとく彼女は『ルビイ』というあだ名を気に入っていないので、その点だけは評価に値すると思っている。

以前、愛機デップ(真紅はパイレーツ・オブ・カリビアンのジョニーデップの大ファンなので、自分のパソコンソニーのVAIOにそう名前をつけている)の調子が悪かったので、つい圭介い見てもらったのが運の尽き、Rubyがインストールされているのを目ざとく発見されてしまい、お仲間とみなされてしまったのだ。

勿論真紅本人がインストールしたわけではなく、父親が『真紅よ。このRubyというスクリプト言語こそ、パパが世界最高のプログラミング言語だと評価しているものなのさ。真紅もいつかはこの言語のお世話になるときが来るだろう』などと、勝手にインストールしたものなのだが。

― もう絶対来ないって。Rubyのお世話になるときなんかさ ―

真紅は、絶対の自信を持ってそう言い切れる。

― デップにRubyがインストールされているのを見つけたときの、コイツの嬉しそうな顔ったらなかったわね。多分、頭の中では、『魔法使いルビイがなかまになった』なんてメッセージと共に、壮大な音楽が流れていたんじゃないの。ドラクエみたいに ―

「そうかあ。真紅ちゃんも・・・。よりによってRubyとはシブイなあ。僕達、これからうまくやっていけそうだね」

だから違うのである。で、今日は何の用事なのだ?

「真紅ちゃん。はいこれ」

「なによ?なにこのUSBメモリ」

「Ruby On Railsをダウンロードしてきたんだよ。Windows用のワンクリックインストーラだよ」

「”るびーおんれいるず”ってなに?」

「RubyでWebサイトを簡単に構築できるフレームワークさ。Webサイトは、Perlなどで昔ながらのCGIの仕組みを使ってシコシコ作り上げるか、PHP、Java、ASP.NET+Visual Basic.NETやC#などで構築するわけだけど、どれも非常に時間がかかるのさ。ところがこの Ruby On Railsなら、本格的なブログサイトを10分程度で構築できるので、今最も注目されているテクノロジなんだよ。真紅ちゃんも、絶対インストールしておくべきだよ」

― コイツ何を喋ってるんだ?言ってることがまったく理解できん。もしかして、アトランティス大陸に住んでいた、地球先住民族の言葉か? ―

「いらない」

「え?」

「だから必要ない。そんなもの。わたしおなかがすいてるから。これからお弁当食べるからね。邪魔しないでくれる」

圭介は、飼い主に叱られた犬みたいにうなだれて、身も世もないといった眼で真紅を見つめている。今にも教室の窓から身投げしそうな様子だ。

「わかったわよ。インストールするわよ。インストールすりゃあいいんでしょ。だからその眼やめてくれる!辛気臭いったらないわ。その USBメモリ、こっちに寄越しなさいよ」

一気に満面の笑顔になる圭介。頬も心なしか紅潮している。

― 馬鹿だコイツ ―

圭介の顔を呆れながら見ているとき、クラス担任の藤井が血相を変えて教室の中へ駆け込んできた。

「実装寺いるか!実装寺まべに!」

「はい。ここにいるわよ先生」

「実装寺!いいか。気を確かに持てよ。君のお母さんが職場で倒れられたらしい。八王子の東海大学付属病院に運び込まれた。現在意識不明だ。お前はもう、午後の授業受けんでよろしい。すぐに病院へいきなさい!」

― えええええええええええええーっ?うっそぉー。なんてこと?なんで義母さんが倒れるわけ。今朝わたしより早く元気にパートに出かけたわよ。意識不明って…。義母さん死んじゃうのぉー? ―

とにかく真紅はカバンを引っつかんで、ミサイルみたいに教室を飛び出したのだ。


発端(2)へつづく
最終更新:2008年12月19日 22:15