「うぎゃぁぁー◆◎△×■!!!!」
なにやら意味不明の叫び声をあげながら、爺さん婆さんを都合3人ぐらいつき転ばして、真紅は倒れているパイソンに駆け寄った。
「パイソーン!どうしたのパイソォーン!なんでこんなことになっちゃたの!?死んじゃイヤよ!死んじゃイヤだからねー!」そう叫びながら、パイソンの体を抱き起こし、ユサユサとゆすぶる真紅。既に、眼には涙が溢れている。
胸部が激しく上下しているので、かろうじて命を取り留めていることがわかり、とりあえず安堵した。しかし、気を失っているようではあるが、表情は苦悶にゆがんでいる。そして、あろうことか、左胸の下あたりにナイフが突き刺さっているのである。頭の血がスーッと下がっていって、目の前が暗くなり、思わず卒倒しそうになった真紅だが、ここで自分も一緒にぶっ倒れていたのでは話にならない。気丈にもなんとか持ちこたえたが、だからといって、どうしてよいか全く見当もつかない。であるから、とにかく大声で助けを求めることにした。
「だれかぁ!だれか助けてぇー!お医者さん!いや、救急車呼んでください!はやくぅー!ねえ、はやく、だれか、だれか。お願い」そう叫ぶと、後は言葉にならず、ただただ、ぎゃあぎゃあ泣くしか術のない真紅であった。周りにいる人々はきょとんとした顔をして、真紅とパイソンを見ている。
「なんでお医者さん呼んでくれないのよ!?ワタシの言うことがわかんないの!?」ハッと、あることに気づいて真紅は自分の頭を探ってみた。
― ねこみみ翻訳機がない。しまった。どこかへ落としちゃったんだわ。怪しい男達とぶつかった時かな?あれがないと言葉が通じないよぉー。ガフンダル、早く戻ってきてぇー ―
真紅が途方に暮れていると、ぼさーっと見物しているだけの男どもを突き飛ばしながら、一人の女性が現れた。年の頃なら三十前、可愛い花びらをあしらった模様のブラウスに麻製のパンツ、足には長靴を履いていた。割烹着のようなものを着ているので、おそらくどこかのお店の女将さんなのであろう。
「◎△◆○※%■○▽」彼女は心配そうに真紅に向かって何か話しかけてきた。だが悲しいことに、真紅には、彼女が何を言っているのかさっぱりわからない。
「ごめんなさい。ワタシ、この国の言葉がわからないの。チョー悔しい!」
女性は、しばし不思議そうに首をかしげていたが、どうやら真紅が自分達の言葉を理解できないし喋ることもできない、不憫な娘であるということを察知したのか、今度は、身振り手振りで何かを伝えようとしている。どうやらパイソンを自分の家まで運び、手当てしてあげると言っているようだ。真紅は、ここは一番この女性に助けてもらおうと、こくりこくりと何度もうなずいてみせる。
自分の意図がうまく真紅に伝わったのが嬉しいのか、女性はにっこりと笑って、その辺でボーっと突っ立っている男ふたりにてきぱきと指示をして、パイソンを持ち上げさせる。しきりにある方向を指差しているので、おそらくそちらに彼女の家か店があるのだろう。男達は彼女が指差す方向へゆっくり歩き出し、彼女もそれに続いたので、真紅もついていくことにした。
頼りない男達、そして頼りがいのある女性が入ったのは、近隣のものに比べて、格段に立派で大きな建物であった。中に入ると、20坪程度の広間があり、ベッドが10床ほど並んでいる。いくつかのベッドの上には、見るからに不健康そうな人や、包帯で足や腕をぐるぐる巻きにされた人々が横たわっている。
― ふーん。ここ病院みたいね。そりゃそうだわ。シロウトが自分の家に運んで手当てするより、ダイレクトに病院へ運び込んだほうが効率的ってもんだわ。さすがね、おばちゃん。やるじゃん ―
偉そうに、女性の行動を冷静に評価する真紅。
おそらく看護師さんなのであろうが、ベッドとベッドの間をくるくると立ち回っていた女達が、女性を見つけると元気よく挨拶などをしている。女性は鷹揚に挨拶を返す。女性は、看護師の一人に何かを言いつけたかと思うと、おもむろにパイソンの服を脱がせ始めた。言いつけられた看護師は、奥の部屋へ駆け込んだかと思うと、治療用の道具が乗ったワゴンをころころと転がしてきて、女性の傍に止める。
― ありゃ?なんかようすが変よ。あのおばさん、魚屋のおかみさんじゃなくて、お医者さんなの?もしかして?この世界ではあれなの?お医者さんが割烹着着て長靴履くわけ?紛らわしいったらありゃしないわ。でも、魔道師がサラリーマンコート着ているぐらいだからなあ ―
女性は、しばしパイソンの怪我の状態をチェックしていたかと思うと、消毒液を含ませたガーゼのようなものでパイソンの体を拭き始めた。看護師もそれを手伝い、あっという間に血がきれいに拭き取られる。看護師に胸に刺さっているナイフをタオルでしっかり押さえさせて、女性は一気にナイフを引き抜いた。看護師は、血が噴出さないようしっかりと傷口を押さえる。
「きゃ」思わず上ずった声が出てしまった真紅。
しばらく看護師に傷口を押さえさせた後、女性はおもむろに細い針を取り出して、ちくちくと胸の辺りの傷を縫合し始めた。ものすごい手際のよさである。といっても真紅には外科医の技術など見てもよくわからないのだが、傍にいる看護師の、女性を見る尊敬のまなざしから見て取れるのだ。縫合が終わったのか、傷の周りを消毒液のようなもので拭き、分厚いガーゼのようなものを当てて胸部を包帯でぐるぐると巻いていく。
女性がおいでおいでと手招きしたので、真紅はおそるおそるパイソンの傍へにじり寄っていった。パイソンは安らかな寝息を立てている。まだ少し苦悶の表情は残っていたが、先ほどの表情と比べれば、ほとんど笑っているといってもいいぐらいであった。そのようすを見ていると、今度は安堵の嬉し涙が零れ落ちてくる。看護師が椅子を勧めてくれたので、真紅はベッドの傍に腰掛けた。おそるおそるパイソンの手をそっと握ってみたが、ぴくっとパイソンが体を小さく動かしたので、思わず手を引っ込める真紅。
そのままぼんやりとパイソンの顔眺めていて、ふと気がつくと周りには誰もいなくなっていた。看護師達は別の患者のところを回っていたし、命の恩人であるあの女性の姿も見えない。
― いやだなー。お礼もしてないし。といっても、どうすればいいかぜーんぜんわかんないわ。ワタシなんてお金も持ってないし、ここの言葉も喋ることできないしさあ。ま、ガフンダルが来てくれれば、なんとかなるわよね ―
パイソンが無事助かったということで、生来の能天気ぶりを如何なく発揮しだす真紅であった。そうこうしているうちに、パイソンが何やら低い唸り声を上げて目を覚ます。真紅を見て取ると、それは嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「パイソン。目を覚ましたのね。よかったぁー」思わずパイソンに抱きつく真紅。
「◆○※%!!!!」パイソンが、小さく、わけのわからない叫び声を上げる。
「あ。ゴメンゴメン。痛かった?思わず強く抱きつきすぎちゃったのよ」そう言う真紅を見て、パイソンはきょとんとした顔つきになる。
― そうか。ワタシが聞いたこともない言葉をしゃべってるんで、驚いてるのね。まあいいわ。どうせこの人無口だから、もともと会話なんて成立してないし ―
「○■△$☆」と、そのような時に限って、パイソンは何事か真紅に訴えている。「だから今、言葉がわからないんだってばぁ」真紅も、通じないことがわかっていながら、同じ台詞を繰り返した。パイソンはしばらく怪訝そうな顔をしていたが、ようやく自体を察したのか、言葉を発しなくなった。代わりに、しきりに自分の喉を指差している。
「ははん。喉が渇いたのね。わかったわ。水を持ってくるから、ちょっと待ってて」そう言って勢いよく駆け出した真紅であったが、台所がどこにあるのかよくわからない。仕方なくその辺を歩いている看護師を捕まえて、身振り手振りでやっとのことグラス一杯の水をもらって、パイソンの元へと戻った。恥ずかしがって、真紅の手からコップを取ろうとするパイソンの腕をペシッと払って、水を飲ませてやる真紅。パイソンは、首の辺りから顔にかけて、ゆでダコのように真っ赤にしている。耳たぶなどは、ふくやの辛子明太子も裸足で逃げ出す色合いになっていた。
グラス一杯の水を飲んで満足したのか、パイソンはまた目を静かに閉じる。そのとき一瞬顔をしかめたのを見て取った真紅は、あ。もしかして胸の傷が痛むのね。と察知し、包帯の上から易しくさすってやる。
― なんだ。別に言葉なんて必要ないじゃん。これって、なんだっけ、維新の嵐。じゃなくていしん・・・えーと、えーと。いやん!わからないわ。まああれよ、目と目で通じ合うってやつよ。んめっとめでつうじあうぅー♪ そぉゆーなーかになりたいぜー♪ ―
なにやら古臭い歌を若干間違いつつ口ずさむ真紅であった。
また寝入ってしまったパイソンを眺めていると、真紅もなんとなく眠たくなってきた。周りの喧騒がだんだん遠くに聞こえるようになってきて、うつらうつらと船を漕ぎ出す。
「どぉーれぃー!この甘酸っぱい青春小娘がぁ!」
真紅の後ろから、聞いたような声がする。真紅はびっくりして、椅子から50センチほど飛び上がり、そのままずっこけてしまった。
「ルビイ、お前さんも、なんだかんだ言いながら隅におけんやつよのぅー!ずーっと拝見させてもらっていたぞ、お前さんとパイソンの二人きりの甘酸っぱい濃密な時間をのぉぉぉぅうぎゃあぁぁー!」
見事、真紅の背後にいた人影に、竜巻旋風脚が炸裂する。背後の人影は、たまらずその場に、もんどりうって倒れこんだ。
「ガフンダル!あんた一体今までどこへ行ってたのよ!?」
ガフンダルは、お尻をさすりさすり立ち上がって「いやあ。悪い悪い。だいぶ前から近くにおったのだが、パイソンの傷を見るに、さすがに本日中の出発は無理だと思うてのう。どうせならルビイ、お前さんとパイソンを二人きりにしてやろうと考えたのじゃ」と、恩着せがましいことを言った。
「ふん。大きなお世話よ。猫みみ翻訳機をなくしちゃったから、大変だったのよ!前から傍にいたなら、早く出てくればいいじゃないのよ!」
「まあそう言うな。言葉が通じなくても、これこの通りなんとかなったであろうが。ほれ、猫みみ翻訳機。道端に落ちておったぞ。もっと大事に扱ってもらわなくては困るのう」そういって、ガフンダルは真紅に猫みみ翻訳機を差し出した。真紅は、ものすごい勢いでそれをひったくって、頭に装着した。
「あの、女のお医者さんがいなきゃ、今頃パイソン死んでたかもしれないのよ。ガフンダルからもお礼言ってよね」
「そうじゃ。お前さんに紹介しておかねばならん御仁がおるぞ」そう言って、ガフンダルは部屋の奥へ向かって手招きする。すると、先ほどの女性医師が、笑みを浮かべながら歩いてきた。
「紹介しよう。この女性は、ノルゴリズム一の天才医師、ミス・チョントゥーだ」
「はじめまして、ルビイちゃん。よかったわね、大事に至らなくて。貴女のフィアンセ」
「あ。どうもありがとうございましたぁ」深々と頭を下げた真紅であったが、両手のこぶしが小刻みに震えている。ガフンダルが危険を察知して一歩あとずさった。
「どんな説明してんのよガフンダル!?だれがフィアンセですってぇー!?」
「あら、どこから見てもフィアンセ以外の何ものでもなかったわよ。お二人さん。やはりさすがね、ガフンダル。私は魔道なんて胡散臭いものは嫌いだけど、貴方から貰った止血剤は効果てきめんたったわ。正直、彼の胸の傷が余りにも深かったので、私自身、もうこれは駄目かもしれないと思ったけど」チョントゥーが、フィアンセ云々の件をあまりにさらっと流してしまったので、真紅も怒りの矛先をどこへもって行けばいいかわからなくなり、しかたなくその場は押さえることにする。
「ふむ。魔道といっても、いわば古代より伝わる科学の一部といってよいでな。ときにルビイよ。このチョントゥー殿は、まあご自分もお若いけれども、例えばここ、辺境の港町マリーデルのように、医師が少ない土地を回って、若手の育成に努めておられるのじゃ。当然、高額な金銭などは求めないぞ。ほとんどボランティアだ。まあいわば、医者の鑑じゃな」ガフンダルがそう言うと、チョントゥーが、照れくさそうな笑いを浮かべた。「そんな大したことはないのよ」
「で、話の続きじゃ。チョントゥー殿が、ここマリーデルでは、優秀な若い医師が数名育ってきたので、そろそろ別の町に移ることを考えておられてな。その別の町というのが、他でもない山岳都市バクーハンなのじゃよ」
「えーっと。バクーハンって、これから私たちが行く予定になってるところ?」
「さよう。かの町も山岳にあって医師が少ないからのう。というわけで、我々がそこを目指すという話を聞いて、是非とも同行したいと。こうおっしゃられてな」チョントゥーは、ガフンダルの話にあわせてウンウンとうなずいている。
「じゃあ。チョントゥーさんが、ワタシたちの仲間になるってこと?」あまりの急な話の展開についていけない真紅。
「ま、仲間とまではいかないが、旅の道連れというやつかな。パイソンの怪我の具合も見てもらえるし、ルビイ、お前さんからすると、頼りになるお姉さんができるようなもんだぞ。不服か?」
「別に、不服ってわけじゃないけど、地下洞窟を潜り抜けて行くんでしょ?ばけものも一杯いるし、危なくないの?」
「私なら大丈夫よ。ルビイちゃん。ばけものなんか怖くないわ。本当に怖くて、悲しいのはやっぱり病気なのよ。病気は、自分の命、そしてなにより、大切な人の命を容赦なく奪っていくのよ。そして貴方の心もがらんどうになってしまうの。そんなものに比べたら、ばけものの一匹や二匹、屁でもないわ」そう言って、チョントゥーは右手を差し出した。握手を求めているらしい。
真紅も右手をすっと差し出して、力強くチョントゥーの手を握る。
「えーっと。あの、よろしくお願いします」
そう言って、真紅はぴょこんと頭を下げた。
最終更新:2008年12月24日 23:48