どこをどう走ったか記憶にないけれども、気がついたら真紅はJR八王子駅前にいた。

― あれ?なんでワタシ駅前にいるんだっけ?そうそう、あわてて教室を飛び出したけど、東海大学付属病院なんて、どうやって行けばわからなかったのよ。駅前からならバスがでているかと思ったんだわ。なんか途中で、よちよち歩いているお年よりを2、3人突きころばしてきたような気がするけど、非常事態だからしかたがないわね。まああれよ。不可抗力ね。もしこんど、みちばたでバッタリ出会ったときにでも謝ればいいのよ ―

不可抗力とは、人間の力をもってしては押しとどめることができない事態、例えば天災などのことであって、この場合は意味が少し違うが、真紅はそんな些細なことは気にしない元気な娘なのである。

― そういえば、担任の藤井が大声出して追いかけてきたけど、もしかして、わたしが病院の場所を知らないだろうと思って、クルマで送ってくれるつもりだったのかもしれないわ。ま、あんなオヤジぶっちぎってやったんだけどさ。陸上部のエース、実装寺真紅を見くびってもらっちゃこまるわ。でもなんか損したナ。今年の冬はめちゃくちゃ寒いけど、さすがに汗だくになっちゃったわ。みんなああして寒そうに前かがみで歩いてるっていうのに、ワタシわたしひとりバカみたい ―

ブツブツとつぶやきながら、真紅は自分の立っている場所で、くるっと360度あたりを見回す。

― ふーん。あのあたりがバス停ね。なんか停留所がいっぱいあって、どこに病院行きのバスが来るかわかったもんじゃないわ。うっかり間違えて違うところ行きのバスに乗ったりしたら、とてつもなく辺鄙なところへ連れて行かれるから注意しなくちゃいけないわ。例えば、昔村人に惨殺されたおさむらいさまの怨霊が徘徊する廃村や、いまだかつて生還した人がいない迷いの森や、捨てられたペットが巨大化した人喰いワニが棲むという地下のダンジョンに連れて行かれたらたまったもんじゃないからね ―

普通、バスというものは、乗客をそのような場所には連れて行かないものである。

― えーっと。あ。あそこに交番があるわ。おまわりさんに聞けば、きっとどのバスに乗ればいいか教えてくれるはずよ。よおーし ―

真紅は、交番へ向かってイナズマのように駆け出だした。するといきなり真紅の視界に老人の姿が入ってきた。

「??!!きゃあー危ない!おじいちゃん!そこどいてぇー。あなたも突き転ばされたいのぉー?」

バッコォォーン。



コンクリートの壁にぶちあったったような衝撃を受け、真紅は跳ね飛ばされて地面にコロコロと転がった。老人は、何事もなかったかのように、薄ら笑いを浮かべながらその場に立ち、真紅を見下ろしていた。

「イタタタタァ。なにすんのよ!」

「なにすんのよではなかろう。なにすんのよでは。ん?お前の方から、か弱い老人であるワシにぶつかってきたのであろうが。まずは、詫びを入れるのが筋というものであろう。この非常識娘が」

まじめクサった顔をして老人がうそぶく。

「だって。おじいちゃんノーダメージじゃん」

「ふん。こう見えても鍛えておるでな。しかし、電撃的なダッシュであったのう娘よ。ノーアクションで駆け出す体勢に入りよったな。なかなかの瞬発力じゃ。こりゃあ、わざわざビャーネ神のお告げを受けてここまでやってきた甲斐があったというものだわい。どうかね娘よ。ワシとともに世界を獲らんかね?」

老人がウムウムとうなずきながらそうつぶやく。

「おじいちゃん。申し訳ないんだけど、ワタシは今いそがしいのよ。そこをどいてよ。早く病院へ行かなくちゃ」

「どこへ行くのだって?」

「だから病院!」真紅はほとんどブチキレそうになりながら叫ぶ。

「だがら、ここよりどこへ行くつもりかとたずねておるのだ。瞬発力はあるが、的確なる状況判断能力にちと欠けるようじゃの。これでは、世界はまだまだ遠いかもしれんな。娘よ。まわりをよおく見てみろ」

「まわりって。えぇええええええええええええええええええええええ?

真紅、そして老人のいる場所は、JR八王子駅前ではなかった。ではどこかというとどこでもない。視界全体に白い霧のようなものが広がり、5メートル先も見えない。

「えーっと。どこ?ここは?」

「娘よ。ここは、君の住む世界と、ワシの住む世界『ノルゴリズム』とのさかいめにあるバッファ領域じゃよ」

「バッファ領域ってなに?」

「よいか娘よ。世界は己の住みし場所だけだと思うのは大きな間違いでな。次元を異にして、世界がいくつも隣りあわせで存在しておるのだ。そうさな。君の世界にも生息しておるだろうあの蜂。あやつらの巣を連想してもらえばよい。だが、完全にぴったりと隣り合わせているわけではないぞ。なぜならば、粗忽者が境界近くを鼻歌交じりで散策していて、ポテッと転んだ拍子に隣の世界に入ってしまわぬとも限らぬでな。従って、二つの世界の間には、このようなバッファ領域があるわけじゃ。簡単に世界を行き来できぬよう、詰め物がしてあるというわけじゃの」

真紅は、目をまんまるに見開いて老人の話を聞いていたが、やがて頭を抱え、もう駄目だとばかりに首を横に振り、心底心配そうに老人を見つめながら言った。

「おじいちゃん。もしかしてボケ徘徊老人?そんなに元気そうなのにね。カワイソウ。どこの老人ホーム?ほんとうはワタシ、早く病院へいかなくちゃならないんだけど、しかたないわ。カワイソウなおじいちゃんをほおってはおけないもの。ワタシが連れて帰ってあげる。こうみえてもよいこなのよ。そうだ!名札を首からヒモでぶらさげてるんでしょ。みせて」

「そうかい。オジョウちゃんか連れて帰ってくれるのかい?やさしいねぇーっと、言うと思ったかこの小娘!ひとをボケ老人扱いしおって。だいたい、己が理論的に説明できぬ不思議な空間に実際にいるのだぞ。現実認識が甘いな。ワシの名は『玉虫色のガフンダル』自分で言うのもなんだが、ノルゴリズムでも一、二を争う魔力を持った大魔導師じゃよ」

いくぶん反り返りぎみになって老人が言う。真紅は、さらに目をまんまるに見開く。

「ま、窓牛?おじいちゃん人間じゃないの?」

「娘よ。貴様、体力、瞬発力は並外れておるが、どちらかといえば、スットコドッコイの範疇に入るタイプだな。大丈夫なのじゃろうか。こんな娘にノルゴリズムの行く末を託してよいのですか?偉大なるビャーネ神よ」

「なにをブツクサいってんのよ?」

「よいか娘よ。ワシは窓牛ではなく、魔道師じゃ。まどう・し。ほれ貴様の世界の幻想物語の中にも出てくるじゃろうが。指輪物語とか、ハリーポッターとかの中に。ん?」

「えー?もしかしてマホー使いのこと?おじいちゃんマホー使いなの?ホントに?」

真紅は心底驚嘆した様子で、老人に問いかける。

「ほんとうじゃとも。どうやらびっくらこいたようじゃな。ムフフ♪」

老人は、顔を真っ赤にして、鼻の穴を膨らませ、いくぶん得意げな様子である。

「うそつき!」

「へ?」

「ボケてる上にうそつきときちゃあ、家族のひともタイヘンね。だってうそつきじゃない。マホー使いって、なんかほら、マントっていうの?あれ着てるし・・・」

「ローブのことかな?」

「そう、ローブ。それから、こうしてくにゃくにゃに曲がった木でできた杖もって、とんがり帽子をかぶってるわ。なのにおじいちゃんは、くたびれたサラリーマンの人が着るような、趣味の悪い色のコート着て、ハンチング帽かぶって、そんでもってこうもり傘持ってるじゃない。退職を一週間後に控えた老刑事か、ダフ屋のおっさんだわ。大体そのコード何色?金色?緑?ムラサキ?」

「これは、玉虫色というのじゃよ。しかし嘆かわしいことじゃのう。なぜに最近の若い者はそのようにステロタイプなモノの見方しかできぬのだろうか。このコートはな、ノルゴリズムの世界では、魔道師の盛装なのじゃ。このように玉虫色のコートを身に纏っているのは、力のある魔道師の証なのじゃ。そして、このこうもり傘には、とてつもない魔力が封じ込めてあるので、ま、これが杖じゃな。ほんでもって、ハンチング帽はファッションじゃ。二百歳の誕生日のおりに、可愛い孫からプレゼントされたのよ。そういうわけで、どこの世界の魔道師もあのようなへんてこりんなナリをしていると思ったら大きな間違いぞ。どこの世界でも、魔道師であれば、すべからくあのようなナリをせねばならないという法律でもあるのか?憲法第何条だ?どこの誰が決めたんだそんなこと。ん?ん?ん?ん?ん?」

老人は真っ赤な顔をして一気にまくし立てた。真紅は、なんとなくめんどくさくなって、老人の言葉を聴かずに、周りを観察し始めている。

「ねえ。ガダルフン」

「な、なんだ?突然名前を呼ぶな、名前を。大体ワシの名は、ガダルフンではのうて、ガフンダルじゃ」

「なんだっていいじゃない。そんなの。それよりなんかさ、あっちのほうで、目みたいなものが光ったような気がするんだけど。うなり声みたいなものも聞こえるわ」

「んなんとぉ!まずいな。このバッファ世界に棲む怪物、バルログがわれわれのことを嗅ぎつけたようだ。小娘、詳しいことは後で話す。こっちへ来るのだ」

ガフンダルは、真紅の腕をつかんで、ぐっと引っ張る。

「きゃあー。なにすんのよ。だ、大体、大魔道師のくせに、ワタシに言われるまで怪物の接近に気がつかなかったの?情けないったらありゃしないわ。離してよ、このヘンタイ!おじいちゃんのくせに、なんて力なの?離しなさいよぉ!ワタシ病院へ行かなきゃなんないんだからさ!」

「お前が病院へ行っても、物事は何も解決せんのだ。ワケは後で話すから、とにかく今はワシについてこい。さもないと、バルログの鋭い鍵爪で、『ヒョォォー』とばかりに、突きまわされるぞ。ほら、あそこに、霧が渦を作っているところがあろう。あそこまで走るのだ!あれを通り抜ければ、ノルゴリズムの世界に戻ることができる」

老人はそういって、真紅の腕をつかんだまま走り出した。

「ちょ、ちょっと待ってよ。戻るならワタシの世界にしてよぉ!ノルゴリズムなんて行かないわよワタシ。離してったら。もうなんて馬鹿力なの」

「よし、この渦に飛び込むのだ!」

二人が渦にダイブしようとした刹那、真紅の頭上辺りでブンと風がうなり、髪の毛が何本かもって行かれた。バルログの爪だ。霧が濃いために、姿がわからない。二つの真っ赤な目だけが怪しく光っている。

「あ。チクシヨー!この怪物!よくもワタシの大事な髪を。今度遭ったらただじゃおかないからね!覚えてなさいよ!」

「こら、怪物に喧嘩を売っている場合ではないわ。しかも、なんでワシの後ろに隠れながら喧嘩を売るのだ!?」

「だって怖いもん」

「ワシだって怖いわい!このおろかもの!」

ぶぅぅん。

バルログの爪がまた一閃する。ガダルフンはすんでのところで身をかがめ、爪を避けたが、被っていたハンチング帽が爪にひっかかり、綺麗に真っ二つになってしまった。

「ひやあ。ワシのお気に入りのハンチングが、ハンチングゥやあい」

「もう!帽子と命とどっちが大事なのよ!早くきなさい!」

そう言って、真紅が先に渦の中にダイブする。引きずられるように、ガフンダルも渦の中に吸い込まれていった。

「ワシのハンチングゥゥゥゥー。やいバルログ!今回の決着は玉虫色になったが、今度遭ったらただではおかぬからな!覚悟しておけよ!」

「ちょっとぉ、バルログがいなくなってから凄まないでくれる!もう、早くいらっしゃいよ。帽子ぐらいまた買ってあげるから」

「ワシの、ワシの、ハンチングゥゥゥゥー」

獲物を取り逃がし、消沈したバルログも霧の中に消え、動くものとてない空間に、ガフンダルの叫びだけがこだましていた。

独白(1)へ続く
最終更新:2008年12月11日 14:30