「怖かったのよ怖かったのよチョー怖かったのよぉぉぉぉー」
真紅は泣き叫び、両腕を風車のようにぐるんぐるんぶん回しながら、ガフンダルにポカポカポカポカポカポカポカポカポカポカポカポカ殴りかかる。もう勢いがついてしまって、自分の意思で止めることができない。
俗にいう『感情がほとばしるにまかせたタコ殴り』である。断崖絶壁をコウモリ傘一本持った老人に無理やり引きずられて墜落したのだから、このような反応も当然というところである。
殴りかかられているガフンダルはというと、表情すら変えず、殴られていることをまったく意に介していない様子・・・にみえる。
真紅の振り回したナックルがガフンダルの鼻っ面にガツンと当たり、ツツーっと鼻血が垂れてきた。
「な、なにをするのだ!この小娘が。痛いではないか」そっと鼻に手をやるガフンダル。手についた鼻血に目をやって、「うわ!血、ちぃー」腕を伸ばして、真紅の服になすくりつけようとする。真紅はとっさに身をかわし、毒づいた。
「へぇんだ。そうはいかないわよ。自分のそのご自慢の玉虫色のコートで拭けば。玉虫色のコートでぇ。大体、ずっと前からアナタのことタコ殴りにしてたのよ。それでも平気な顔してたくせに。鼻血ぐらいで大騒ぎしないでよ」
「なんだと?ワシのことをタコ殴りにしていたというのか?それは聞き捨てならんぞ!」
「なに寝言いってんのよ!?またあれでしょ?たとえば、デストロンかなんかの呪文をかけて、ワタシの攻撃を無効にしてたんでしょ?ヒキョーものぉ!」
「なにをいっておるのだ?だいたい、『デストロン』ではなく、『アストロン』じゃわい!ワシはちょっとのあいだ気絶しておったのだ。ま、プチ気絶というやつだのう」ガフンダルがしれっと言ってのける。
「き、きぜつぅー?ひとをムリヤリ道連れにして断崖絶壁から飛び降りといて、気絶ってどういうこと!?」
「そのようなことをいってもお前、普通高いところから飛び降りたら怖いであろうが。飛び降りた瞬間に気絶すれば、怖さを感じなくなるぞ。しかし、気絶していたとはいえコウモリ傘だってちゃんと握っておったし、お前の腕も離さなかったぞ。すごいじゃろ」いくぶん得意げな様子で、胸をそらしながらガフンダルはいった。
「あたりまえじゃんそんなことぉぉぉぉぉぉ!」
真紅が発した魂の叫びに驚いたのか、木々にとまっていた鳥たちがいっせいにバタバタと羽ばたいて、飛び去っていった。
「なんとデカい声だのうお前の声は。鳥どももああして裸足で逃げ出しておるわ」
「鳥なんてもともと裸足でしょ!それより、ワタシのこといつまで『お前』とか、『小娘』って呼ぶつもり?ワタシにはちゃんと名前があるのよ、名前が」
「さようか。それではルビイとでも呼ばせていただくことにしようかのう」
「げ」真紅は思わず硬直する。「ちょ、ちょっとぉ、なんでワタシのニックネーム知ってるわけ?」
「ふん。それぐらいのことわからいでか。ビャーネ神より啓示をうけたおりにな、ちゃあんと、ちゃちゃちゃあんとお前さんの履歴書および業務経歴書を見せてもらっておるワイ。ビャーネ神の情報収集能力を甘く見るなよ」ガフンダルはうそぶく。
「ルビイってニックネーム、嫌なんだけどなあ」
「しかしな、このノルゴリズムの世界において、『まべに』という名前はあまりその、よろしくないと思うぞ」
「なんでよ?」
「大きな声ではいえんのだが」
「じゃ、小さな声でいえば」
「よし、ではちょっと耳を貸せ」ガフンダルは突然照れたような顔をして、消え入りそうな声でこういった。
「この世界ではな、『マベニ』というのは、男と女が密室においてとりおこなう、ソノアノ儀式のことなのだぞ。ムフフ」
「ギャー。スケベー」
ブゥン。ビチーコーン。と真紅が繰り出した平手打ちが、ガフンダルの横っ面にヒットする。
「はぅぅ」ガフンダルは、車に引かれた蛙のように仰向けで地面にひっくり返る。そして頬をさすりさすり、「うーむ。そのノーアクションからの平手打ち、さすがだのう。こりゃあ、ただの勇者にしておくのはもったいないかもしれんな。どうかね、ワシと組んで、世界を獲らんか?世界を」と、身を起こしながらいった。
「だからなんの世界をとるの?ところでさ、ガフンダル。あんたの家どこなの?もうおなかが空いて死にそうなんだからね。こっちは」
ガフンダルは、座ったままの体勢で、右手を空高くピンと差し上げ、ゆっくりと下ろしていき、ある方向を指差して、ピタリと静止させた。
「ワシの家はあそこさ」
ガフンダルが指差すかなたを何度も目をこすって、まじまじと見る真紅。だが、そこにあるのは、50メートル上方から落ちてくる滝だけで、家など一切見当たらない。勢いよく落ちる滝が岩に跳ね返って、光が乱反射し、小さな虹がかかっている。
しばしその美しい光景に見とれながら、- まあ、マイナスイオンがたっぷりね - などと、ろくでもないことを考えていた真紅だが、そのようなことを考えている場合ではないことに気づき、プルプルと頭を振り、「なにカッコつけてんのよ。どこにも家なんてないじゃん!」怒りと苛立ちをあらわにして、ガフンダルに詰め寄る。
「あの滝の裏側に洞穴がある。その中にワシの住まいがあるのじゃ」
「えぇー!?ガフンダルってホームレスだったの?も、もしかしてネットカフェに泊まるお金もないワケ?毎日どうやって生活してるの?空き缶拾い?雑誌集め?工事現場の日雇い?それともビッグイシュー販売?」
「ホームレスいうな!ホームレス!ワシほどの大魔道師ともなるとじゃな。お金なんぞ何の意味も持たんぞ。そもそも、大魔道師が、例えばツーバイフォー住宅なんぞに住んでるわけないじゃろが。誰にも知られず、人里はなれた森の洞穴などに居を定めるというのが定番であろう」
「ま、そりゃそうなんだけどさぁ」
「まあよいからついてこい、ルビイよ。とにかく腹が減っておるのであろうが」そういって、ガフンダルは歩き出した。
「ま、そりゃそうなんだけどさぁ。ちょっと待ってよ」と、真紅もガフンダルの後を追う。
はるか上方から落ちる滝の周囲には、直径10メートルほどの滝壺があった。
二人が立っている場所から、滝が落ちているところまで、大体 1.5メートルおきに岩が顔を出している。真紅は非常に嫌な予感がして、ガフンダルに訊ねてみる。
「ねえガフンダル。まさかとは思うけど、『さあ、ルビイよ。この岩をぴょぴょぴょーんと跳んで、あの滝のところまで行くのじゃ。岩の表面はスベリやすうなっておるゆえ、くれぐれも気をつけるのじゃぞ。さあ』なんて言い出さないわよね?ね?」
「ふむ。一言一句そのとおりじゃ。なんじゃ?怖いのか?情けないのう。若いくせに。ほれ、見てごらん。そろそろ冷たいものがポツポツと落ちてきおったぞ。空も真っ暗じゃ」ガフンダルが、手に持ったコウモリ傘で空を指しながらいった。
「あ。ホントだ。でもあの雨雲なんかヘンね。私たちの頭の上らへんだけにあるみたいよ。あっちの方なんてものすごくいい天気なのに」
「ルビイよ。このノルゴリズムにお前が迷い込んできたとき、大きなエネルギーの乱れが生じたのじゃ。なにせ、もしかしてお前はこの世界の救世主となるかもしれないニンゲンじゃから、内包しているエネルギーのポテンシャルがとてつもなく高いと考えねばならない。ワシなども、そのエネルギーをビンビン感じておるわけじゃからな。そのエネルギーの乱れをあヤツが察知できぬわけがないぞ。この怪しい雲は、ちょっとしたご挨拶かな。ま、こっちにはビャーネ神のご加護があるわけじゃが…」
「なにワケのわからないこといってるのよ?あヤツって誰?もしかして、この世界を恐怖のどん底に陥れようとしている邪悪な暗黒魔道師?そんなヤツいるの?今時」
「まあ非常に類型的な物語の展開といえるが、おおむね正解といわねばならんかのう」
「フン。バカバカしい。だいたい、なにが『迷い込んできた』よ?ラチされたのよ、ラチ!日本政府というか、『家族会』や『救う会』が黙ってないンだからね!そんなことよりも、もこっちはおなかが空いてるのよ。行くわよ。あんな岩、一個飛ばしでラクショー!」
そういうが早いか、脱兎の如く真紅は駆け出した。
「おい、ちょっと待て!ワシが先にいかんと、岩の扉が開かんというに!」そういって、ガフンダルも、老人とは思えぬスピードで駆け出したのであった。
最終更新:2008年11月30日 21:30