炎の精霊、サラマンドラの部屋から出ると、通路は茶褐色になっていた。洞窟なのだから茶褐色であって当たり前ではないかと思うが、光源も見当たらないのに、洞窟の壁面や床が茶褐色に鈍く光っているというのも、極めて薄気味の悪いものであった。

「次はどうやら土の精霊か。しかしこの薄気味の悪さはどうじゃ。さすがに最後の部屋だけあって、ちょっと一筋縄ではいかんかもしれんな」ガフンダルがひとりブツブツ言っている。

「そうよね。ウンディーネねえさんとサラマンドラの問題は何とか回答できたけど、たまたまパパのレパートリーにあるやつが出ただけかもしれないし。どうしよう。最後の問題がチョー難しかったら」真紅がガフンダルの心配に輪をかけるようなことを言ったため、お通夜のような雰囲気が流れた。『ちょっと簡単に攻略できすぎじゃないのか』と、皆思うところは同じであったようだ。

全員無言になって、また通路を歩き始める。心なしか足取りに元気がない。

と、珍しくパイソンが自分から口を開いたのである。「この地下大洞窟には、反対方向から入ることができるんだろ?そうなると、『超難関クイズコース』の最後の部屋は、ウンディーネさんのところになるわけじゃないか。だからそんなに心配することもないと思うけど、俺は」

真紅、ガフンダル、チョントゥーは、驚いたようにパイソンを見ている。

「ホ、ホントだぁー。すごいじゃんパイソン!アンタ頭いいわねー」真紅に誉められて、パイソンは真っ赤になっている。

「確かに。パイソンの言うことは論理的に正しいぞ。ふむ。案ずるより生むが易しというところかもしれんな」ガフンダルがすっかり感心したように言った。

パイソンの一言で、一気に全員の足取りが軽くなった。真紅などはスキップしだす有様だ。

そして、いよいよ最後の部屋の扉がその姿を現したのである。つかつかと扉の前に歩み寄ろうとするガフンダルのコートの襟を真紅がガシっと引っつかんだ。ガフンダルはたまらず後ろへひっくり返ってしまった。

「な、何をするのだ!?も、もしかして、ワシはまたなにかお前の気に染まぬことをしでかしてしまったとでもいうのか?」ガフンダルの眼には怯えの色が浮かんでいる。

「ビビらなくていいわよ。この扉で最後だからさ、ワタシに開けさせてよ。今まで2回ともガフンダルが開けたじゃない。ずるいわよ」

「ず、ずるい?」眼を白黒させているガフンダルを横目に、扉の前に歩み寄り、両手を掲げて、すーっと息を大きく吸い込む真紅。

「ひらけぇーゴマ!」別に呪文を唱える必要はないのだが、どうしてもやってみたかったようだ。

パトランプが明滅し、扉が徐々に開きだす。「うっひゃっひゃ」真紅は手を打って喜んでいる。

扉が開ききると、部屋の様子がよく見えるようになった。予想通り、部屋の床、壁面、天井は全て茶褐色であった。ただし、部屋の中央にはなにやら格子状の模様がある。チェスゲームの盤のようにも見えた。

そしてその盤の中央には、実に奇妙なものが立っていたのである。

「あっ!ちっちゃなナイトさんがいる!」

真紅が思わず声を上げた。その奇妙なものは、縮尺を無視して言えば、金属製の鎧を纏った馬に騎乗する堂々とした騎士なのであったが、如何せんサイズが小さかった。馬は、真紅の世界でいうミニチュアホースよりまだひとまわり小さい。ファラベラという世界最小種ほどの大きさであって、それに乗る騎士も小さい。身長は1ノルヤーン(1m)にも満たないだろう。騎乗していても真紅より小さかった。

「きゃぁー。かわいい」真紅はそういいながら、小さな騎士に駆け寄っていった。「これ!むやみに近づいてはならんぞルビイ」ガフンダルの制止に、耳を貸す様子もない。

「ねえ。ちっちゃいナイトさん。アナタお留守番?ここ部屋のあるじはどこ?」

ぶぅぅーん、べっしぃぃぃぃーん



腰をかがめて小さな騎士に話しかけた真紅の横手から、大きな物体がものすごい勢いで接近してきて、横殴りに跳ね飛ばした。思わず、3ノルヤーンほど吹っ飛ぶ真紅。

「あいたたた。何すんのよ!」

見れば、小さな騎士の右手の手のひらが、本来の大きさの百倍に広がり、一畳のたたみぐらいの大きさになっている。どうやら真紅は小さな騎士の大きなビンタを喰らってしまったようだ。

これは、真紅たちがこの冒険を終えたときに判明することなのだが、この小さな騎士の一撃こそ、真紅がノルゴリズムで受けた唯一の物理的攻撃になったのである。その意味では、後世に語り継がれるべき1シーンであったのだ。

「我が名は大地の精霊ノームナイト。『かわいいちっちゃいナイトさん』ではない。我を愚弄すると捨ておかぬぞ。小娘!」今度は、騎士の頭部が熱気球のように膨らんでいる。真紅の頭ほどもある二つの目玉が、ギロリと真紅を睨みつけている。はたから見ている分には、滑稽といってもよかったが、睨みつけられている当事者である真紅にとっては、とてもそんなことで済まされるものではなかった。

「くっそぉー。アンタこそ、ワタシを甘く見てんじゃないわよ!」ノームナイトのビッグスケール攻撃に、度肝を抜かれた真紅であったが、ショックから立ち直ると、生来の負けん気の強さを発揮して、ホレハレコンの短剣をすらっと抜き放ち、啖呵を切った。パイソンも剣を抜いて、すっと真紅の横に立つ。

「ほう。面白い。我と剣を交えようと申すのか」ノームナイトの右足が見る見る膨れ上がっていく。今度は、ビッグスケールな蹴りをお見舞いしようという算段らしい。

「しばし待たれよ。ノームナイト殿。これ、ルビイもパイソンも剣を納めよ」とうとう見かねて、ガフンダルが叫んだ。

「ノームナイト殿。我々の目的は、貴殿と剣を交えることではなく、貴殿が出す謎を解いて、ここを通していただくこと。そこな娘。ルビイと申すのだが、貴殿のことを『かわいいちっちゃいナイト』と呼んだのも、別に愚弄するつもりはなく、己が目で見たとおり率直に感想を述べたことじゃ。これもまだまだ子供ゆえ、どうかお怒りをお納めくだされ」ガフンダルは必死に事態を収拾しようとする。

「ご老人。貴殿はこの娘の祖父か?」

「祖父ではござらんが、ま、後見人といったところですかな。我が名はガフンダルと申す」

「ガフンダルぅ?どこかで聞いたことがあるぞ。希代の性悪魔女、ゲルダの色香にたぶらかされ、魔導連合に背いて追放されたチンピラ魔導師風情よな。まあ、この後見人にしてこの娘ありということか」

「な。」ガフンダルはその後の言葉をやっとのことで飲み込んだ。手が怒りで震えている。

「やいやい。このチビナイト!ガフンダルの悪口なら許すけど、ゲルダさんの悪口は許さないからね!」真紅の脳裏に、別れのときゲルダが流した涙の結晶が甦ったようだ。

ガフンダルは、今にもノームナイトに掴みかかろうとする真紅を手で制する。こういった状況下でのガフンダルは不思議と威厳に充ちており、真紅ですら逆らうことができない。

「その通り、ワシは、たかがチンピラ魔道師だ。されど『玉虫色のガフンダル』じゃよ」ガフンダルの静かだが、威厳のある物腰にノームナイトは若干気圧されている。案外小心者なのかもしれない。

「まあ、ワシと、妻ゲルダをどのように評そうが貴殿の勝手じゃが、まずは、問題を出して正解すればそこな扉を開くという、職務に忠実であってもらいものじゃのう」

「わかった。では問題を出すぞ。もし解けなかった場合は、全員頭からボリバリと喰らうからな。覚悟しておけよ」今度は、ノームナイトの口が50倍ぐらいの大きさになり、鰐の口のようにパクパクと開閉している。口の中には、一本一本が剣のようになった鋭い歯が並んでいた。

「わかったわ。この『超難関クイズコース』での恐怖の伝説は、みんなこいつのせいなんだわ!おかげで、あんなにやさしいウンディーネさんや、恐妻家だけど気のいいサラマンドラも怪物扱いされてるのよ。もう許せない!パパ、出番よ!」

「どぉーれぃー!」



「あらパパ。いつになく張り切ってるのね」

「当たり前だろうが。大事な大事な一人娘を張り飛ばされたのだぞ。私は今猛烈に憤っている。どのような謎であっても、きっと、きっと正解を導き出してくれるわ」健一郎はガラにもなくヒートアップしている。

「ちょっとパパ。あんまり発熱しないでよ。持ってるとチョー熱いんだからさ」

「よし。我は誇り高き騎士であるから、騎士にちなんだ問題を出すぞ。ここに5×5のマス目があるだろう」ノームナイトはそういいながら、床を指差した。

「この左上のマス目から、ジェッタンのナイトと同様の動きで、全てのマスを踏破してみよ。ただし、一度足を着いたマスはもう二度と利用することができぬぞ。底が抜けてしまうからな。もしその場所へ足を踏み入れようものなら、この地下を流れる暗黒の地底大河へまっさかさまだぞ。途中で移動できるマスがなくなったら、全ての床が抜けて、一巻の終わりというわけだ。どうだ?怖いであろうが。それでも挑戦するというのか?」

「当たり前じゃない!」真紅は、大音声でキッパリと断言する。そして小声でボソボソっと、VAIOに向かって「ねえパパ」と付け加えた。「ところでガフンダル。ジェッタンってなに?」

「ジェッタンは、お前さんの世界でいうところのチェスのようなボードゲームじゃよ。ナイトの動きも、チェスと同じじゃな。8方向いずれかにまっすぐ2マス進んで、そこから左右いずれかに1マス動ける駒じゃ」ガフンダルが説明した。

「ふ。ふわはははははははははは!貰った!貰ったぞ」


VAIOから、部屋中の空気がビンビンと震えるほどの音量で、健一郎の笑い声が響き渡る。あまりの大音声に、真紅を始めノームナイトまで耳を両手で塞いでいた。

「ねえ。もしかして、答えがわかったの?パパ」

「無論だ。だからこそ、わざとボリュームコントロールを最大にしたのだからな。うるさかったか?」

「うん、そりゃあ・・えーっと、いいえ。ぜーんぜん」真紅は、ノームナイトに目にもの見せるためなら、もう、何でも許す腹積もりのようだ。

「ノームナイトが出題した問題は、『騎士の巡歴の問題』といって、いくつかの解が存在するぞ。ではこの画面を見てもらおうか」健一郎がそういうと、毎度のごとくスクリーンにウインドウがポンと出現した。


実際に動かす場合は、コード(他)のダウンロードでファイルを取得してください。

「5×5のマス目があって、左上のマスに、お馬に乗ったナイトさんがいるだろう。ここがスタート地点だ。黄色いマス目は、現在移動できる候補の地点だよ。このうち、どれかをマウスでクリックすると、ナイトがそこへ移動する。そして、元居た場所は黒くなり、もう移動できなくなるのだ。ちょっとやってみたまえ」

「うん。えーっと。まずここでしょ。ぴょんぴょーんと。あれ、『残念!手詰まりです』って出ちゃったわ。これからどうすればいいの?」

「どうするもこうするも、それは俗に言うゲームオーバーというやつだぞ。その場合は、『やり直し』ボタンを押すと、最初からやり直すことができる。

勿論、手詰まりになる前に、こりゃあとてもダメだと思えば、途中で『やり直し』することができる。このプログラムは自分で遊べるので、是非自力で解法を見つけていただきたい」

「じゃあねパパ。ワタシみたいにおバカで、答えがぜぇんぜんわかんない人はどうすんの?」何が嬉しいのか、真紅は満面に笑みをたたえている。

「なにをニコニコしておるのだ愚か者め。そういった、どうしようもない人のために、コンピュータ回答モードというものが用意されているぞ。『やり直し』ボタンの横にある『?』が書かれたボタンを押すと、コンピュータが、正解をステップ実行してくれるのだ。よし、ルビイよ。お前に回答を探させると日が暮れるから、この前ダークナイトを倒した時の要領でいくぞ」

「わかったわ。じゃあパパ、回答を表示させながらワタシの横を飛んでね」真紅はそう叫んで、床のマス目の上をピョンピョンと飛び始めた。

順調に各マスが消滅していき、とうとう最後のひとマスとなった。

「よしルビイ。あのマスで最後だ」

「わかってるわよ」真紅がそう叫んで、そのマスに飛び移ろうとすると、ノームナイトが跳躍してきて、そのマスに陣取った。

「なにしてんのよアンタ!邪魔だからどきなさいよ!」真紅がノームナイトに罵声を浴びせかける。

「往生際が悪いぞ。ノームナイト!」ガフンダルも叫び声を上げた。

「ふふふ。誰も最後まで邪魔はしないなどと言っておらぬよ。この部屋から出たくば、我を打倒してみよ。意地でもこのマスは踏まさぬぞ」

「そんなもの、ルール違反であろうが!貴様、精霊会議で糾弾されるぞ!」ガフンダルがなじったが、ノームナイトは、『フン』とばかりに無視している。

「お前達が全員死なば、誰も知らないということになろうぞ。誰も知らないということは、なかったのと同じことなのさ」

「くそー。こうなりゃ力ずくであのマスを踏んでやるわ!さあ、輝けよ、ホリハレコーン!」真紅は、ホリハレコンの短剣を鞘から抜いて高くかざす。短剣からは目もくらむような光が発せられたが、ノームナイトは少しばかり目を伏せただけであった。

「ルビイよ。ホリハレコンの短剣は、ノームナイトには効かぬぞ!」ガフンダルが叫んだが、真紅は聞く耳を持たなかった。

「そんなもの、試してみなきゃわかんないでしょ!」そう言って、ノームナイトに向かって、空中高く跳躍した。ノームナイトの両手のひらが、また百倍に膨れ上がった。ハエ叩きのように真紅を叩き潰すつもりだ。

「とぉぉーりゃぁー!覚悟しなさいよ!このタコ!」真紅が、ホリハレコンの短剣を大きく振りかぶって、ノームナイトに襲い掛かる。

「でえぇぇぇぇぇぇぇー」



と、叫び声とともに、突然、ノームナイトの姿が真紅の視界から消失した。目標を失ってバランスを失いかけた真紅であったが、なんとか体制を立て直して、最後のマスに着地した。その瞬間、ブーンと唸りをあげて、反対側の扉が開いていく。そして、着地したマスのその先には、右足を高く蹴り上げたパイソンが、あたかもブルース・リーのフィギュアのように立っていたのである。

「ふん。後方から、不意打ちで蹴り飛ばすのは卑怯な手だが、ノームナイトの奴には似つかわしい」

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁー」


ノームナイトの叫び声はだんだんと遠くなり、最後に小さくドッボーンと音がした。どうやら、自ら暗黒の地底大河にはまったようだ。

「やったぁー!」真紅はじめ、ガフンダルもチョントゥーも、ピョンピョン飛び跳ねながら手を打ち鳴らして喜んでいる。俗に言う、お祭り騒ぎである。

「やっぱりパイソンは頼りになるわね」真紅はそう言ってパイソンに駆け寄り、腕にしがみついた。相も変わらずパイソンは、真紅にしがみつかれて、赤外線こたつのようにいこっている。

「えーっとルビイ。そもそも問題を解いたのはこの私なのだけれども。あ、それから、この『騎士の巡歴の問題』には5×5マスの場合、300通り以上の解がある。このプログラムは1個見つかれば探索を終了するようになっているが、全部の解を探す処理が内包されているぞ。できれば、プログラムを改造して、全部の解を表示するようにしてもらいたいな、なんてさ」

もう、健一郎の話を聞いている者など、ひとりとしていなかった。


火の山(16)に続く
最終更新:2009年01月15日 11:26