私の名は、実装寺健一郎。おそらく世界でワースト100にはいるほど、不幸のどん底にいる男なのだ。
なぜならば、今朝方、妻が突然倒れ、意識不明の重体であるとの連絡を受けたからなのだ。私は今アメリカにいるわけだが、それはこの場合何の関係もなく、本来であれば、仕事もなにもかもぶん投げて、己の搭乗する成田直通ジェットを手前勝手に『愛妻号』と命名の上帰国し、妻の元へ駆けつけなければならないのだろう。
だが今の私は、そのような夫として、いやさ人として当然のことすらできないのだ。
なぜなら私は今病院に入院しているからである。
昔同じ職場で働いていた、切れ者かつ山師である後輩の近藤から、アメリカ合衆国はシリコンバレイで、新たなベンチャー企業を起こすからぜひにも手伝ってくれないかと誘われたのだ。
自分は社長になって、面倒な雑務は一切引き受けるので、私には取締役兼開発室長に就任してもらい、手腕をふるって欲しいという。
設立1年後にはナスダックに上場し、多大なるキャピタルゲインを手にできるし、世界が注目する業績を上げて、グーグルに買収させれば、一気に億万長者いやさ兆万長者になれるぞといわれ、まあグーグルに買収云々は無理としても、頑張れば株式上場ぐらいはできるかもしれないと考えたのだ。
もしかして、千載一遇のチャンスかもしれない。そう考えて、妻と真紅を日本に残し、単身渡米したのである。
だが、考えが甘すぎた。あまりにも仕事がハードだったのだ。
アメリカにきて3ヶ月、一向に完成をみない自社プロダクトのマネジメントを任された私は、文字通り粉骨砕身、寝る間を惜しんで仕事に打ち込んだ。
せっかく八方手を尽くして借りることができた瀟洒なコンドミニアムにはほとんど帰らず、仕事場に泊まり込んで頑張ったのである。だがそれでも辛くはなかった。なぜならこの頑張りが自分の将来に直結すると思ったからだ。
だが、つい一昨日、社長すなわち後輩である近藤から、衝撃の通告を受けたのだ。そう、あろうことか『もう、開発予算が底をついた』というのである。
そんなはずはない。出資者を募って集めた資金が100万ドル近くあったはずなのだ。日本円にして1億円以上の大金である。たかだか従業員5名程度の会社で、どう使えば3ヶ月で1億円がなくなってしまうというのか。
近藤めを問いつめると、接待福利厚生費という名目の、己が遊興費に消えてしまったというのである。社用車として、1,000万以上もするイタリア製のスポーツカーも購入したとホザいている。どうやら、どこへ行ってもITベンチャーのCEOということでチヤホヤされ、止めどもなく浪費するようになってしまったらしいのである。近藤め、泣いて私に謝っていたが、そんなことをしてもらったところで、なんの役にも立たないし、そもそも、あまりのことに腹すら立たなかった。
私に人を見る目がなかったのだ。あんなガキのいうことを真に受け、アメリカまで来てしまった私が馬鹿だったのだ。
ただ、ベンチャー企業を興して、己の虚栄心を満足させたいだけの子供・・・。
緊張の糸がぷっつり切れてしまった私は、今まで経験したこともないような疲労感に襲われ意識を失い、その場に崩れ落ち、そのまま病院に運び込まれた。
医者には、『カローデス。シカモ、カローシスンゼンノネ』と言われた。カローシは日本語だ。どうやら日本の『過労死』という言葉は、世界的でも通用するようだ。そして、どのような働き方をすればこのようなひどい状況になるのか、今後のケースワークのために、詳しく教えてくれとまでいわれたのである。
私が倒れたことは、家族に心配をかけぬよう、日本には連絡しなかった。
今朝方、『妻が倒れたから、日本へ帰りたいのだ』と、巡回にきた担当医師に申告すると、彼は優しい口調で、『オー。ジャパニーズサムライ。君の気持ちはわかるが、もし君を今この状態で日本に帰せば、最悪死人が二人になる。君のワイフと、君の二人だ。申し訳ないが、医者としてそんなリスクは犯せない。ここはひとつ、君のワイフのことは日本にいる家族、親類縁者に任せて、今は君自身の回復に勤めるのだ。そして回復したアカツキには、ぜひ、シンケンシラハレヒレホレを俺に見せてくれよ。サムライ』と諭された。
それもいうなら『真剣白刃取り』だ愚か者。しかし彼のいうことは、全くもって正論といわねばならない。
ところが、その頼みとする、わが妻と寝食を共にしているはずの愛娘、真紅との連絡が全く取れないのである。
自宅へ電話しても、空しく呼び出し音が鳴るばかりだし、携帯にかけても『電波の届かないところにアルカ、電源が入っていないためカカリマセン』と、愛想もくそもない、デジタルねえちゃんの音声が流れるだけだ。妻が入院している東海大学八王子病院にも姿を見せていないという。
いったいどこへ行ってしまったというのだい?真紅。
まさか、『ふん。あんな人、本当のお母さんじゃないし、死のうが生きようが関係ないわ』などと、友達と一緒にカラオケボックスで『アゲアゲ♪』するような娘ではないし、ましてや、グレて家を飛び出し、年齢を偽って新宿のキャバクラで働き、スケベなオヤジ連中を手玉にとって、華麗な蝶のように舞うといった才覚もまだあるまい。
真紅はいったいどこへ?まさに、駆け出しのテクニカルライターが何をトチ狂ったか、無理して書いた陳腐な小説のプロットが如く、不幸に不幸が重なってしまった状況であるが、その中でも一筋の光明といえるのが、先ほど、医師の処方する薬のせいか、ウトウトとしたときに見た夢だ。あろうことか、夢に妻が出演してきたのだ。
妻は大きく胸元の開いたエロティックな白いブラウスの上に、OLの頃愛用していたボディコンシャスなショッキングピンクのスーツを着こんでいる。
ブラウスごしに、黒の勝負ブラジャーのヒモが透けて見えたりして、かなりの絶景である。しかし、なぜか、ポンデライオンが大きくプリントしてあるまえかけをしているという珍妙なスタイルだ。
なにやら、そっち方面のグラビアみたいな雰囲気を醸し出しているが、これはおそらく、三ヶ月間も妻とはなれて、チョー寂しいなという、無意識のエロースが作り上げた姿であろう。フロイト流に分析すれば。
「あなた。私のことは大丈夫よ。心配しないで。なぜなら、きっと真紅ちゃんが私を救ってくれるから。私が倒れてしまったというのに、あなたはそこから一歩も動けない状態でしょう。これは、神様がくれたチャンスなのよ。あなた、真紅ちゃん、そして私が本当に強い絆で結ばれるチャンスなの」
私が妻に何か問いかけようとした刹那、場面は暗転し、今度は、どこか草原のようなところを真紅がノートパソコンを小脇に抱えて疾駆しているシーンになった。
なにしろ真紅は陸上競技部のエースであるから、めちゃくちゃ速いのだ。突然真紅が停止し、おもむろにノートパソコンをパカッと開いた。そして、そこに映し出されていたものは・・・。
プログラミング言語Rubyのソースコードだったのだ。
そこで目が醒めてしまったのだが、私は一瞬で全てを悟ったのだ。私たち実装寺一家を襲ったこの窮地を切り拓く鍵は、プログラミング言語Rubyにあると。
なに?『そんな理不尽なぁ?』といいたいのかもしれない。だが、夢による啓示などというものは、おおむね理不尽なものなのである。
どこかの世界で、私たち実装寺一家の運命を見届けてやろうという、殊勝な方がおられるならば、ぜひともRubyをパソコンにインストールしておいて欲しい。
無理にとはいわないが。
Rubyの処理系は、実に様々なものがある。その中でも私がお勧めするのは、
ActiveScriptRuby(アクティブスクリプトRuby)という処理系だ。アートン氏が開発、配布している。
これは、 Windows上でかつ、InternetExproler(スペルを確認)専用であり、かつRubyの最新バージョンが使えないという弱点があるが、それを補って余りある優れた特長を持っている。
それは、『 WEBブラウザのスクリプトエンジンとして動作する』ということなのだ。要するに、クライアントサイドスクリプトとして、JavaScriptと同様に、htmlの中にRubyを埋め込むことができるのである。
<script language="RubyScript" >というふうに。
UNIX出身のRubyは、残念ながらコマンドラインベースのスクリプト言語なので、GUIアプリケーションの構築は苦手だ。他に、Tkや、GTk等のライブラリの力を借りなければならない。
だが、ActiveScriptRubyならば、 WEBブラウザが提供するオブジェクトを利用して、簡単に GUIアプリケーションを構築することが可能であるというわけだ。
繰り返すようだが、無理強いはしない。皆さんそれぞれ事情というものがおありだろうから。でも、インストールしておいたほうが、後々楽しいのではないかなと思うのだ。
よし。それでは電話がつながらないのなら、真紅にメールを送っておこう。
FROM : 実装寺健一郎<[email protected]>
TO : 真紅<[email protected]>
subject : いまどこにいるのだ?
親愛なる真紅
パパだよ。お母さんが入院したことは聞いた。
本当にびっくりしている。
君と連絡が取れなくて、パパは猛烈に強烈に、もう一声、
爆裂に心配しているのだぞ。
このメールを見たら、ソッコーでレスをくれたまえ。
追伸:
ところで真紅よ。まともに動くプログラムを作るコツは、
一にテスト、二にテスト、三、四がなくて五に妥協。だぞ。
これを肝に銘じておきたまえよ。
最終更新:2008年12月15日 08:34