一夜明けて、未だ、野鳥などがさえずる朝まだき、真紅たちはアリャネーの北西部にある、地下大洞窟の入り口に立って、神妙な顔つきで、ブルブルと震えながらガフンダルの話に耳を傾けている。外気は非常に冷たく、おそらく気温は5ノド(摂氏5度)もないだろうと思われた。
「さて諸君、いよいよ地下大洞窟へ突入するわけじゃが、ちとここで意識あわせをしたいと思うてな。そうじゃ、健一郎殿もでてきてくださらんか。健一郎殿」
ガフンダルが健一郎を呼び出すのを聞いて、真紅は一瞬顔をしかめたが、まあ昨夜の一件があったので、珍しく黙っている。
「なんでしょうかな。ガフンダル殿。またわたしのこの英知が必要だとでも?」ダークナイトの一件で、すっかり株を上げた健一郎は、いつになく横柄な態度であった。
― ふん。何よ。一回ぐらいうまくいったからっていい気になっちゃってさ。言っとくけどまだ信用したわけじゃないからね。パパ ―
「さて諸君、この地下大洞窟には、実は3つのルートがあるのじゃよ」ガフンダルが話を続ける。
「まずひとつめは、『モンスターてんこ盛りコース』じゃ。これは、断崖絶壁とか、みなの体をロープで結び、ファイトいっぱぁつ!せねばならないような危険な箇所がない代わりに、非常に入り組んだ迷路になっており、かつ人外の化け物がうようよと徘徊しておるのじゃ」
「ふーん。面白そうじゃん」真紅は、ホリハレコンの短剣を鞘ごと掌でぺしぺしと弄びながら、嬉しそうにそう言った。
「ふたつめは、『アスレチックコース』じゃ。ここはひとつめのコースとちょうど逆、すなわち化け物はほとんど生息しておらんが、難所、難所の連続なのじゃ。ルビイよ、ほれあれだ、『サスケ』みたいなもんじゃな。しかも、ちょっと体が触れただけで感電死してしまう、電撃イライラゾーンも控えておるわい。超人的な身体能力、集中力がなければ到底踏破は叶わぬぞ」
「面白そうだな。ぜひ俺はそれに挑戦してみたい」パイソンがきらりと眼を輝かせる。
「じゃあ、そのどっちかのルートでいいんじゃない」
「フム。ワシももともと、そのいずれかのルートを考えておったのだ。まだワシとルビイしかおら時点ではな。ところが現在は、ちとその頃とは違ったファクターがあるのでなあ」
「それは私のことですね」チョントゥーがなんとなく申し訳なさそうに言った。「でも、どちらのコースでも、なんとか頑張ってみますけど・・・」
「無茶を言ってはいかんよ、チョントゥー先生。やはりどちらのコースも危険じゃからのう。ところで、ワシが当時と違うファクターがあると言うたのは、チョントゥー先生のことではなく、この『群青色の健一郎』殿のことなのじゃよ」ガフンダルは、あごの無精ひげをさすりさすりするお得意のポーズでそう言った。
「私ですか?私はその、人外の化け物も『サスケ』も苦手でございまして・・・」健一郎がブーンとCPU冷却ファンを唸らせながら、不安そうに言った。
「先ほども申し上げたように、地下大洞窟を踏破するルートは3つある。その最後のひとつが、『超難関クイズコース』なのじゃ」
「『クイズコース』ですか?」健一郎が興味を示したようだ。その証拠に、ハードディスクアクセスランプが忙しく明滅している。
「そのコースにはみっつの部屋があって、通路で結ばれているのじゃが、それぞれの部屋には、太古の昔から生存している精霊が住んでおってな。こやつ等は、馬鹿が大嫌いなのじゃ。そこを人間が通ろうとすると、クイズを出題してきて、正解すれば通してくれるが、間違ったり、制限時間以内に答えられない場合は、頭からバリバリと喰ってしまうといわれておる」
「頭からバリバリですか?」健一郎は非常にビビっているようだ。その証拠に、CPU冷却ファンがものすごい音を立てて回転している。
「ガフンダル殿。そのう、事前対策問題集のようなものは販売されておらんのですか?やはりそれだけの重責をあなた、いきなりぶっつけ本番というのはいかがなものかと・・・」
「ない!」ガフンダルがきっぱりと言った。「なにせ、『超難関クイズコース』を踏破したのは、この世界でただ一人、大賢者ルートッシ・モデンナだけと伝えられておるゆえな」
「おお♪それなら、そのルートッシさんに、問題の傾向をレクチャーしてもらえばよいではないですか」
「だから、そのルートッシに会いに行くために地下大洞窟を踏破せねばならんのじゃってば」ガフンダルは呆れ顔だ。
「はあ」健一郎の声は今にも消え入りそうである。
「おおそうじゃ。その『超難関クイズコース』を通れば、おそらく空間に歪みがあるのであろうが、非情に移動時間を短縮できるのじゃよ。他のコースを選択すれば、おそらく洞窟内で一夜を明かす必要があるが、クイズコースなら、うまくいけば本日中にデラスカバリスカ山脈の向こう側へ出られるぞ。さすれば、マリーデルで発生した1日の遅延を取り返せるというものだわい。いかがか?健一郎殿」
「いやその、あのその、間違うと頭からバリバリというのが、どうにもその、こうにもその引っかかりましてですね・・・」健一郎はさらに歯切れが悪くなる。
ガフンダルと健一郎のやり取りを黙って聞いていた真紅であったが、とうとう痺れを切らしたように叫んだ。
「よし。じゃあその『超難関クイズコース』でいきましょ。決まり決まり!ワタシにはなんとなく物足りないけどね」
「ル、ルビイ」健一郎は可哀想なぐらいオロオロとしている。
「ねえパパ。もしそのみっつのクイズをみごとにクリアすれば、ワタシ、パパのこと見直しちゃうわよ」
「え?」
「それから、もしそうなったら、将来プログラマの道へ進むこと、ちょっとだけ考えてみてもいいかなぁ。なんてね」真紅は意味ありげな微笑をたたえつつそう言った。誰が見ても、本心ではそんなこと微塵も思っていないけれども、健一郎を調子に乗せるための方便だと見当がつく。しかし、親馬鹿健一郎には、そのことがまったくわかっていないようだ。
「よ、よーし。じゃあいっちょう頑張ってみるかな!」健一郎はすっかりその気になっている。全てのパイロットランプを忙しく点滅させ、CPU冷却ファンもフル回転であった。
「そうとも、このルビーなら立派な超武闘派プログラマになれ・・」
ビシコォーン!
よせばいいのに、いらないことを喋りだしたガフンダルの頬に、真紅の平手打ちが炸裂した。
「ひぃー」
「よし、決まりね。じゃあ行こうよ」真っ赤になった頬を手で押さえながらなみだ目になっているガフンダルに一瞥をくれて、真紅が号令をかける。
真紅たちは、列を成して洞窟の入り口へと入っていった。
洞窟の中は、外よりさらに気温が低く、吐く息が白くなる。ゲルダの島の洞窟のように、一面氷に覆われているわけではなかったが、ツララのようなものも散見された。ガフンダルが用意していた防寒着をみなに配りはじめる。
入り口から差し込む朝日で、洞窟の中は薄ぼんやりと明るかったが、細部はよく見えない。
「先を急ぐ気持ちはわかるが、ゆっくりと気をつけて歩けよ」と、時折先頭を歩くガフンダルの注意を喚起する声が飛ぶが、概ねみな黙々と、洞窟の奥へ向かって歩いている。洞窟へ入って5ノルゴルン(10分)ほど歩いてきたところで、いきなり真っ暗闇になってしまった。どうやらカーブに差し掛かって、陽の光が全く届かなくなってしまったようだ。
「ねえガフンダル!これじゃ、何も見えないわよ!」真紅が声を上げた。
「まあ待てというに。よいか、今いるところから動いてはならんぞ」
「動きたくても動けやしないわよ。一寸先は闇、お先真っ暗ってやつだわ。まるで、作者のこれから先の人生みたいなもんよ」
ど、どさくさに紛れて何を言っておるのか?!
やがて、ガフンダルが立っている場所にポッと小さな明かりがともり、じわじわと広がっていく。彼が持っているこうもり傘の先端部分が発光しているようだった。
「まあ便利なこうもり傘ね。と言いたいところだけど、もうちょっと明るくならないの?」真紅はさっそくクレームをつけた。確かに、とりあえず周囲数メートルの範囲なら、なんとか見えるようにはなったが、お世辞にも明るいとはいえない。
「まあそういうな。あまり明るくし過ぎて、暗闇に潜む魔性の者供を刺激してもいかんでな。もう少し各々距離を詰めて、塊になって歩け」
「そうよ。確かにいるわねここには。色んなモノが・・・」チョントゥーが、身震いしながらそう言った。「私、ちょっと霊感が強いほうだから・・・」
「うそ。チョントゥー先生には何か見えるの?」真紅がびっくりしてチョントゥーに尋ねた。
「ええそうね。多分この洞窟で命を落とした人たちなんでしょうけど、霊体がふわふわと歩き回ってるわ。やっぱり男の人が多いわね。若い人も年配の人もいるけど、腕がなかったり、足がなかったり・・・。頭が割れて脳ミソが見えている人もいるし、お腹が破れて、臓物がはみ出している人もいるわ。あ、年齢不詳の人もいるわよ。何でかって言うと、首がないの」
「ちょっとぉー。先生、そんな怖いこと、淡々と描写しないでくれる!」
「そういえば、俺も何やら気配を感じるな」と、パイソンが言い出した。
「やだぁー。パイソンまで・・・」
真紅は、思わずキョロキョロと周囲に目をやってみたが、彼女には全くその気がないようで、何も見えない。
「ワタシにはなんも見えないけどなあ・・・」
「ははは。ルビイ、何度も言うたように、お前さんの体からは、とてつもないエネルギーが放出されておるでな。魑魅魍魎など傍に近寄れぬわ。まあ、気の毒な亡者達には申し訳ないけれども、さりとて関りあっている暇もない。さ、先を急ごうぞ」
再び歩き出した一行は、やがて、どこかのホールのように広く、天井の高いところに出た。反対側の壁面には、その先へ進む穴が三つ並んで開いている。そして、ホールの中央あたりに、なにやら人影が見えた。
真紅たちは警戒しながらその人影に近づいていった。人影はどうやら男性のようだ。瞑目しており、微動だにしない。身に着けている甲冑はところどころひびが入り、手に持っている剣も真ん中より先が折れてなくなっている。なんとなく全体の輪郭がぼやけていて、体の向こう側がぼんやりと透けて見えたりしている。おそらくこの世の者ではなく、洞窟内で落命した冒険者の魂であろうと推測された。
真紅たちが男の傍に近寄ると、彼は突然目をカッと見開き、大きな声で「引き返すがよい!」と叫んだ。
「右の途は蛮勇の途。巨大な迷路と、人外の化け物がお前達を襲うだろう。強き力の裏づけを持たぬ勇気だけでは、到底踏破は叶わぬ。左の途は驕慢の途。そこでは、この洞窟自身がお前達の行く手を阻む敵となるのだ。己が身体能力を過信するものには、即刻死が訪れるであろう。そして真ん中の途は愚者の途。卑小な知恵に溺れる者は、三体の精霊が投げかけてくる謎の前にひとたまりもなく屈するであろう。それでもお前達は進むというのか!?」
亡者の声は、低いが張りと迫力があり、周りの空気がビリビリと共振するほどであった。
「勿論よ!ちょっとおっちゃん。私たちの邪魔をするつもり?もしそうなら、こっちにも考えがあるわよ」と言いながら真紅はホリハレコンの柄に手をかけた。
「あ、そ。じゃあどうぞ」
「あら」先ほどとは打って変わった軽い口調に、真紅は思わずズッコケる。
「わざわざここまで来た者に引き返せと言っても聞くわけはないだろうし、脅かされてすごすご退散するような腰抜けは、そもそもここまで来ぬだろうからのう。じゃ、早く行け」亡者は、真紅たちにはもう興味がないとでも言いたげに、手でシッシする。
「では通していただこうか。時に貴殿の名はなんと申すのか?」ガフンダルが亡者に尋ねた。
「我か?我の名はヘコタレマイオスだ」そういい残すと、亡者の姿は、すっーっと闇の中に溶け込み、そのまま消えてしまった。
「ヘコタレマイオスって誰?」ズッコケて、地面に体育座りしたまま、真紅がガフンダルに問いかけた。
「生涯をかけて、地下大洞窟の全ルート踏破に挑戦し続けた、いにしえの冒険者じゃよ。ま、『職業、サスケ』みたいなもんじゃ。残念ながら、『超難関クイズコース』で命を落としたと伝えられておる。余りに妄執が過ぎて、死してなお魂はこの場に呪縛されておるようじゃのう」
「ふーん。ちょっとカワイソウね」
「せっかくのヘコタレマイオス殿の忠告に対しては、重々感謝の意を表するとして、そろそろまいろうかの」ガフンダルは、申し訳程度に手をあわせる。真紅たちもそれにならって手をあわせ、いにしえの勇者に黙祷を捧げた。
そして、真紅たちは真ん中の入り口、即ち『超難関クイズコース』に向かって歩き出したのである。
最終更新:2009年01月09日 22:49