コンコードはダート合衆国海軍の航空母艦。元はウマムスタン海軍の外洋艦隊計画に基づきウマムスタンが所有するパールスの造船所で建造されたブルンクル級航空母艦の三番艦ゾルクルであった。
基本情報 | |
建造所 | バンダレ・アッバース造船所 |
運用者 | ウマムスタン海軍→ダート合衆国海軍 |
艦種 | 航空母艦 |
級名 | ブルンクル級 |
建造費 | |
母港 | バンダレ・アッバース→ |
艦歴 | |
計画 | 1939年度海軍造船計画 |
起工 | |
進水 | |
竣工 | 1942年初頭? |
引き渡し | 1942年6月頃 |
最期 | |
除籍 | |
要目 | |
基準排水量 | 22000t |
公試排水量 | |
満載排水量 | |
全長 | 231m |
売却先変更禁止なんて言われてないでしょ?(ダート行きの経緯)
1939年度造船計画に基づき建造された本艦であるが、カガンの代替わりにより海軍の方針が変更されるとともにアキツへ売却されることが決まった。しかし引渡しの時期に太平洋戦争(大東亜戦争)が勃発。東洋艦隊に睨まれた本艦はアキツへ渡るのが難しくなった。
そこへ真珠湾攻撃で空母の重要性を認識したダートが商談を持ちかけ、「三番艦を倍の値段で買い取るから合衆国に寄越せ」と申し込んだ。これに対し、ウマムスタン海軍はアキツへの輸出は既に決まっているようなものだからと丁重に断ったものの、1942年2月中旬のニューギニア沖海戦で空母天鸞がダート海軍のレキシントンを撃沈。ウマムスタンが輸出した空母がダート海軍の空母を撃沈しただけでウマムスタンは海戦に何ら関与していないが、それでもウマムスタン-ダート間の心情がやや悪化した。そのため、ウマムスタンはダートに対する釈明、更に大戦に対する中立姿勢を示すことも兼ねてダート海軍への三番艦輸出を決定。貴重な空母戦力のため、ロマーニャ海軍が存在する地中海やゲルウマン潜水艦が出没する北大西洋を避けて喜望峰経由でダート合衆国へ輸送された。
こうしてダート海軍に加わったゾルクルにはコンコードの名が与えられた。名前の由来はレキシントン・コンコードの戦いからであり、空母レキシントンの仇を取ることを意識して名付けられた。また、同名の軽巡洋艦が珊瑚海海戦で中破し、その後、アキツ海軍の潜水艦に沈められたこともあってその仇を取ることも意識された。
これぞまさに連鎖反応!?(余談、コンコードの乗員について)
コンコードの乗員は主にニューギニア沖海戦(天鸞艦隊と第11任務部隊、空母レキシントンを中核とした機動艦隊が激突した戦い。天鸞(ブルンクル)の項目を参照)で沈没したレキシントンの乗組員であった。当然、このある種の尊厳破壊に元レキシントン艦長は激怒し、ダート海軍上層部に怒鳴り込んだが、「空母は空母だ。それに同じブルンクル級空母ということはコンコードの弱点がそのまま天鸞の弱点となる。実際に乗り込み、動かすことでよく研究しろ」と言いくるめられ、最終的には納得して乗り込んだ。
なお、主にレキシントン乗組員が乗り込んだと言っても全員が同じではなかったようで、艦長に関してはニューギニア沖海戦の時の艦長のフレデリック・C・シャーマンから史実では第二次ソロモン海戦でワスプ艦長になっていたフォレスト・パーシヴァル・シャーマンに変更となった。また、この二人のシャーマンに特に関係はない。この結果、史実とは違いソロモン海戦で爆沈したワスプでの戦士をフォレスト・シャーマン提督は逃れ、ダートは後に最年少の海軍作戦部長となる優秀な人材を失わずに済んだ。
それじゃコンコードの戦争の始まり始まり(ソロモン海戦、鸞輸送妨害、ヘンダーソン飛行場奪還)
第二次ソロモン海戦によりダートは空母ワスプを喪失、エンタープライズとサラトガも損傷を負いしばらくは使用不可能となった。そこでダートは戦力の穴を埋めるため訓練完了早々にコンコードを太平洋に派遣、ホーネット共にガダルカナル島支援に回すことを決定した。空母コンコードは第二次ソロモン海戦後、直ぐにノーフォークから出港し、9月上旬にはアロハ諸島のオアフ島に到着していた。9月中旬にはニューヘブリディーズ諸島で先行していた空母ホーネットと合流し、ガダルカナル島に対するアキツ側の動きを警戒することとなった。
この頃天鸞、雲鸞を中心とするアキツ海軍機動部隊は輸送船を連れてガダルカナル島へ兵員と物資の輸送を開始、ダートの監視網を潜り抜けて輸送を成功させた。増援を受けてアキツ軍はヘンダーソン飛行場への再攻撃を開始、ヘンダーソン飛行場を奪還し、ダート海兵隊はテナルー川東岸へ撤退した。9月21日、ダート海兵隊の敗報を受け取ったダート海軍は直ちにヘンダーソン飛行場奪回及びアキツ空母撃破のため、空母ホーネットとコンコードを基幹とする艦隊をガタルカナル島沖に進出させることを決定。アキツに渡った同型艦、天鸞・雲鸞と干戈を交えることとなった。
艦載機同士の戦いはお互いに決定打を欠いた。あくまで輸送支援任務のためにソロモンに赴いていた天鸞・雲鸞艦隊は主に戦闘機を搭載しており、隙のない防空網でダート航空隊を寄せ付けなかった。第一次攻撃は二つの空母を同時攻撃、二次では天鸞を集中的に攻撃するなど戦術を変えたものの決定打にはならなかった。それはダート艦隊を狙ったアキツ艦隊も同じであり、攻撃機が少なかったアキツ軍もダート艦隊に有効打を与えることができず、13時にお互いを発見して始まった海戦は未だお互いに特に損害を与えることなく続いていた。