「プレイ日記/英雄集結/董卓/上級/魔王董卓の殺伐たる天下取り 第4部」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る
プレイ日記/英雄集結/董卓/上級/魔王董卓の殺伐たる天下取り 第4部 - (2011/10/14 (金) 16:17:59) のソース
<ここまでのまとめ> 梟雄董卓に率いられた騎馬軍を用いて、何人の武将を殺せるのかをテーマにプレイ日記を書いています。 251年からここまで15年の間に殺した武将は226人です。 ≪犠牲者リスト≫(各回ごと、すべて処断or戦死した順) -廬植、王匡、馬休、馬岱、馬騰、馬超、馬鉄、馬雲緑、楊氏、韓遂、龐徳、龐会、梁興、張横 -朱儁、皇甫嵩(戦死)、成宜、楊秋、李堪、王伉(戦死)、張嶷、楊柏(戦死)、馬玩、羅憲、程銀、侯選、秦宓、呂凱、楊任、楊松、陳寿 -陶謙、廖立、董承、何進、呉巨、張松、郭攸之、劉諶、劉岱、王渾、向寵、荀顗、荀勗、王業、藩濬、閻行、馮習、李氏、司馬昭、司馬伷、孔伷、樊建、傅士仁、濮陽興、毌丘甸、楊肇、馬謖、司馬師(戦死)、申儀 -王允、陳到(戦死)、毌丘倹(戦死)、袁遺、顧譚、何晏、司馬攸、司馬炎、楊済、程昱、夏侯威、典韋、司馬懿、司馬孚、司馬朗、司馬望、周旨、羊祜、張春華、王淩、辛毘、呂虔、高堂隆、王祥、王惇、何植、劉辟、王韜、丁儀 -関彝、夏侯淵、夏侯恩、曹洪、夏侯和、夏侯恵、傅巽、橋瑁、陳珪、鮑三娘、徐庶、雷銅、呉蘭、劉封、劉琦、鄧芝、陳震、★馬邈(戦死)、曹昂、曹丕、曹植、夏侯徳、万彧、陳登、董厥、呉班、黄忠、黄月英、蒯良、許靖、黄祖、劉琮、趙累、趙範、黄皓、孫皓、曹純、曹爽、裴秀、高幹、劉璿、張紹、沮鵠、呂曠、袁紹、袁熙、袁尚、劉氏、沮授、審配、麹義、辛評、高柔、呂威曠、眭元進、張邈、藩鳳、穆順、曹豹、鄒靖、王桃 -龔都(戦死)、傅彤、韓莒子、荀諶、魏攸、諸葛瞻、董允、譙周、向朗、趙広、郤正、華覈、歩協、滕胤、徐晃、曹髦、曹訓、傅僉、関靖、公孫続、公孫範、辛憲英、孟宗、劉巴、梁緒、公孫瓚、王平、張翼、孫乾、沙摩柯、諸葛喬、丁原(戦死)、厳綱、劉和、王門、鄒丹、張南、田疇、単経、張華(戦死)、田予、李厳、田楷、公孫越、蒋義渠、州泰、田豊、季雍、楊奉 -馬忠、孫朗、孫匡、樊氏、馬遵、卞喜(戦死)、楊修(戦死)、曹宇、宋謙、逢紀、陸績、夏侯尚、卑衍、婁圭、王濬、呉懿、韓当、祖茂、王粲、賈逵、施朔(戦死)、裴元紹、関寧、蒯越、麋竺、毌丘秀、帯来洞主 全武将の3分の1を殺したことになります。みなさんのお好きな武将、お気に入りの武将が入っているかと思います。ごめんなさい。これからより増えていくと思いますが、ご了承くださり、お付き合い頂ければうれしいです。 ≪指名手配≫ -賈充、公孫度、呂拠、王修、董旻、許攸、孫仲 ≪董卓軍武将リスト≫ -董卓、李儒、李傕、郭汜、華雄、徐栄、樊稠、胡軫(疾走)、牛輔、李粛(明鏡)、董白、成公英、陸凱、楼玄、張球、張承/胡遵、閻圃、張衛(掃討)、張魯、徐質(猛者)、費耀(猛者)、楊昂(猛者)/胡車児、李通、于禁、邵悌(威圧)、張繍、賈詡(深謀)、鄒氏、張済(連戦)/桓範、蘇飛、国淵、韓忠、歩隲、諸葛誕、蔡琰、臧覇、左奕、崔林、董昭、夏侯玄、太史慈、太史享、温恢 /張梁、杜預、楊阜(指導)、鄧茂、韓徳、張闓、朱異、謝旌、留賛、鍾毓、張緝、張悌、王異、凌統、劉度、賈華、吾彦、陳矯、楊祚、厳畯、蒋欽、文虎、賈範、牛金、孫魯班、周泰、何儀、程遠志、高昇、張曼成、公孫恭、孫観、陳蹇、孫礼/賀斉、張郃、王双、魯粛、黄蓋、鮑隆、管亥 #ref(http://www4.atwiki.jp/sangokushi11/?cmd=upload&act=open&page=%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%A4%E6%97%A5%E8%A8%98%2F%E8%8B%B1%E9%9B%84%E9%9B%86%E7%B5%90%2F%E8%91%A3%E5%8D%93%2F%E4%B8%8A%E7%B4%9A%2F%E9%AD%94%E7%8E%8B%E8%91%A3%E5%8D%93%E3%81%AE%E6%AE%BA%E4%BC%90%E3%81%9F%E3%82%8B%E5%A4%A9%E4%B8%8B%E5%8F%96%E3%82%8A%E3%80%80%E7%AC%AC%EF%BC%94%E9%83%A8&file=sangokushi113.png)黒:董卓、灰:呂布、白:王朗、緑:劉備、赤:鄧艾、紫:孟獲、黄:鍾会、桃:袁術 *第4部 「面従腹背」 第8回 毎度ながら長くだらだらと書いてしまって読みづらい文章と思います、本当に申し訳ないです。 今回で第8回となりましたが、まだもう少し我が軍の戦いは続きそうです。 お付き合いいただければ幸いでございます。 北海城にて・・・ トタトタトタ… 賈詡「太師、大変でございます、太師。謀反寝返りの報せでございます。」 董卓「なにぃ!?なぁんだとぉ?」 華張太「なんと・・・ザワザワ」 董卓「ううむ…、してどこの誰じゃ謀反人は」 賈詡「新野太守の公孫度です。そして申し上げにくいのですが、太師の弟御の董旻様も・・・」 董卓「な、なんだと・・・弟が?馬鹿な」 華張太「ザワザワ・・・」 賈詡「そして問題なのが新野には兵力が60000いることです」 董卓「すぐに徐栄ら周囲の太守に連絡して、討伐させるのじゃ」 賈詡「ははっ、ではそのように。我らはいかがなされますか」 董卓「うむ、我ら本隊はここから濮陽を衝き、他の太守に睨みを利かせねばなるまい」 一同「ははーっ」 というわけで段々と殺伐というか泥沼な展開になってまいりました。 我ら董卓軍は当初の計画から大きく変更をすることになり、やや戦力分散気味です。 とりあえずは各部隊が目の前の敵軍と戦うことになります。そのため話があっちこっちに飛びますのでお許しください。 我が軍の兵力は『北海:70000』、『鄴:10000』、『陳留:25000』、『襄陽:30000』、『江陵:50000』、『漢中:30000』『陸口港:30000』、『河北以外の各都市:5000(河北は鄴以外0)』。これに遠征中の李傕ら45000で全てです。 忠臣たちの成長についてですが、廟と遺跡によって李傕の騎馬適性がSに、牛輔に特技『疾走』がつきました。能力も統率と武力は各々1くらいずつは上がっている感じです。 266年5月 文官系の高い官職に董旻をつけていたのだが、太守は武官系の官職が優遇されるらしく、董旻よりも2つくらい低い武官職の公孫度が新野の太守になってしまう。 あらどうしよう、と思っていたら公孫度は新野に着いた途端に呂布軍へ寝返ってしまったのだ。 あまりのタイミングの悪さに慌てるプレイヤーが新野の情報をチェックすると、兵は60000の金と兵糧も潤沢、そして新野所属の武将6人全員が寝返っていた。(笑) 登用して派遣したばかりの公孫度と呂拠、ちょっと前に登用した王修、そして元からいた董旻、許攸、孫仲。 特に董旻の造反はあの名将馬邈が死んだとき以来の衝撃であった・・・。 さて、自領のど真ん中に敵の大拠点が出来てしまった。 兵力も60000いるが、幸いなことに鍛冶や農場などを建てなかった都市なので敵の侵攻にはまだ時間がある。 徐栄と胡軫を上庸で戦闘態勢をとらせるものの、宛や許昌、汝南などは兵力5000ほどである。 どうなるどうなる?、と皆様に思っていただいたところで先に少し北の董卓本隊の動向を。 下邳で負けた本隊は徐州攻略をやめて、北海に賀斉他数名を残し、残りで濮陽へ攻めることにした。 同時に陳留の于禁らも出陣させる。こちらが濮陽攻略の本命である。 陳留では先の曹操軍滅亡をうけ、流浪の武将たちの登用に成功していた。 まず楽進、そして曹仁、陳羣、李典、さらに旧袁紹軍の袁譚、淳于瓊、呂翔といった顔ぶれである。 なかなかの良将たちなので、魏の4名は濮陽戦線に投入し、旧袁紹軍の3人は漢中へ派遣した。 さて、その漢中は太守の閻圃の下に30000近い兵がいた。これは成都攻めの兵である。 張曼成+袁譚8000、管亥+淳于瓊8000、閻圃+呂翔8000でまず梓潼へ向かう。 梓潼の鍾会軍は未だに涪水関を鄧艾軍と取り合っていて、15年間何やってるんだという感じである。 鍾会軍には厳顔と張任という2将がいたが、既に張任は捕らえられて鄧艾軍へ降っていた。 6月。その張任が守る涪水関へ鍾会軍の厳顔隊8000と我が軍3部隊が攻めかける。 もちろん涪水関は陥落し、厳顔隊はそのまま綿竹関へ向かう。すると成都城から部隊が続々と出てくる。 我が軍は成都の東、徳陽方面の一本道の隘路から攻めるべく迂回して進軍する奇襲策にでた。 だが隘路までくると、 張曼成「はっはー、このまま一気に本城を衝くぜー」 管亥「おう。・・・ん、待て、あれは・・・」 鄧艾「奇襲か?む、無駄な策だったな・・・それ今だ!」 張曼成「なぜこちらに敵軍が。まずい、岩だ!」 管亥「なんだ?部隊が身動きがとれんぞ!後退だ、後退しろ!」 厳顔隊が鄧艾軍にボコボコにされてすぐにやられてしまったので、敵はこちら側にも迎撃にきたのだ。 郝昭や鄧忠ら精鋭とぶつかる我が軍は、戦闘直前に袁譚、淳于瓊、呂翔ら3人が鄧艾軍へ寝返ってしまう。 副将がいなくなってしまった張曼成隊と管亥隊は攪乱をうけ、大損害、ほぼ壊滅。 仕方ないので、閻圃が火で殿軍をして撤退。24000の兵が半分ほどになってしまっていた。 今回の犠牲者 - 指名手配 -賈充、公孫度、呂拠、王修、董旻、許攸、孫仲、袁譚、淳于瓊、呂翔 新加入武将 -楽進、曹仁、陳羣、李典、 - まさか董旻がロイエンタールになるとは・・・ -- 名無しさん (2011-10-14 16:17:59) #comment