第1話『悩める竜の子』
「ふぁ〜.........」
気の抜けた欠伸をかましながら、私は今日も学校に向かっていた。
「昨日の夜は随分玲亜と話し込んじゃったなぁ.....楽しかったけど、お陰で寝不足だ.....」
授業が始まるまでに、どうにかして眠気を飛ばさないと。そんなことを考えながら、校門前に差し掛かった時だった。
「おはようございます!!!!!」
突然、左右の鼓膜を刺し貫くような大声がして、私は一気に目が覚めた。
「うわぁっ!?」
「貴様、何だその間の抜けた面は!気が緩んでいるぞ!朝の挨拶は真の始業のチャイムだ、眠いからと言って気を抜くな!」
思わず驚いてしまった私の耳に、再び大声が響く。いつの間にか、私の目の前で一人の女の子が腕組みをして立っていた。赤みを帯びた焦茶色の髪に、炎のように真っ赤な瞳。青空小の制服を着て、腕には生徒会の腕章を着けている。
「えっと、おはよう....き、君は....?」
「おっと、自己紹介が遅れたな。僕は青空小学校生徒会副会長、四年一組の華龍院 焔!!本日より副会長の公務として、朝の挨拶運動に携わっている!!」
「こ、声が大きい.....十分聞こえてるから、もうちょっと抑えて.......」
華龍院 焔.....そういえば、前に生徒会総選挙の結果発表の時に、名前だけは見たことがある気がする。月音さんが生徒会長なのは知っているけど、学年が違うこともありこの子のことはあまり知らなかった。
「ふふ、朝から精が出ますね。焔。」
すると、今度は私の背後から声がした。振り向くと、見覚えのある黒い高級車が停まっていて、ちょうど月音さんが日傘を差して降りてくるところだった。
「月音さん、おはよう。」
「姉さ.....会長!!おはようございます!!」
「おはようございます、お二人共。何だか珍しい組み合わせですね。」
「うん、多分お互いほぼ初対面だろうけど....」
「む.....貴様。会長に随分馴れ馴れしい様子だが?」
顔を僅かに顰めながら、私の顔をじっと見据える焔さん。そのあまりの眼力に、私は思わず背中に冷や汗をかいてしまう。
「あらあら、焔ったら....そんなに怖い顔をしなくても大丈夫ですよ。彼女は私のお友達です、悪い人ではありません。」
「そ、そうなのですか?」
「ええ、以前にも帰り道でご一緒したことがあるくらいには仲良しですよ♪」
「なっ!?き、貴様、それは本当なのか!?」
「えっ?う、うん....っていうか、こっちも自己紹介してなかったね。私は音羽 初、月音さんの同級生だよ。」
「音羽 初.....そうか、先日会長が話題に出していたのは君の事だったんだな。そうとは知らず無礼な態度を取ってしまった、本当に申し訳ない!」
焔さんはそう言って、深々と頭を下げた。
「だ、大丈夫大丈夫!気にしてないよ!」
「うふふ、焔は真面目な子ですからね。音羽さんはそれくらいで怒るような方ではないですから、どうぞ顔を上げて下さい。」
「うぅ.....面目ない。青空小生徒会副会長として、僕はまだまだ未熟だ。もっと精進しなければ!」
月音さんの言う通り、確かに真面目で良い子なんだろう。初めは驚いたけど、今のやり取りで少し好感を持てた。
「学年は違うけど、こうして知り合えたのもきっと何かの縁だよ。よろしくね、焔ちゃん。」
「う、うむ!此方こそよろしく頼む!...ただ、その.....ちゃんを付けて呼ばれると、少し気恥ずかしいな......」
「あっ、ごめん!歳下だからつい....じゃあ、焔、って呼んで良いかな?」
「ああ、その方がしっくり来る!改めてよろしく頼むぞ、音羽 初!」
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「こら、お前達!!急いでいても廊下を走るな!他の人にぶつかれば、軽い怪我では済まないこともあるのだぞ!」
「ゴミはしっかりと分別して捨てること!ゴミ捨て一つ取っても、人間性が問われるからな!」
「そこ!服装が乱れているぞ!幾ら私服であろうと、此処は学校だ。気を抜いていると思われないよう、襟元くらいは最低限整えておけ!」
焔は、自分の目に留まった問題を一つも見逃すことなく次々と正していく。その姿は、まるで風紀委員のようだった。
「この学校には風紀委員がありませんから、ああやって焔が率先して風紀を正す活動をしているんです。」
「なるほど、最近皆が色々きっちりし始めたのはそういうことだったんだ。」
「ええ、青空小がより良くなったのも焔のお陰です。...ただ、少し心配なことがあって.....」
「心配なこと?」
月音さんが指差した先を見ると、焔が誰かと言い争いをしていた。相手は柄の悪い男子生徒だ、多分六年生だろう。
「貴様ら、何だそれは!!」
「あぁ?見て分からねーのか、ガムだよガム。」
「そんなものは学校に必要ない!寄越せ、今すぐ没収する!!」
「は〜?何だようるせぇなぁ。お前四年だろ、六年にエラそーな口きいてんじゃね〜よ。」
「最高学年である貴様らが、下級生の手本にならないでどうする!!貴様らのような生徒を、僕は上級生だとは認めないぞ!!」
「あ?んだテメェ、あんまナマ言ってっとブッ飛ばすぞコラァ!!」
男子生徒の一人が、焔の胸ぐらを思い切り掴み上げた。
「ちょっ、流石に止めないと!」
「ええ、このままでは.....」
私と月音さんが焔の元に駆け寄ろうとした、次の瞬間。
「......此処まで言っても分からんか.........この愚か者共めがッ!!!!!」
焔はそう一喝すると同時に、全身に真っ赤な炎を纏い始めた。
「なっ!?」
「くっ、遅かった.....!」
炎はあっという間に大きくなり、不良達の周りを覆い尽くした。
「うわっちちちちち!?んだよこれ!?」
「言葉で言って分からないなら、その身に叩き込んでやる!!風紀を乱す者への罰をな!!」
焔に掴みかかっていた手を離し、不良達は炎の中で逃げ惑う。しかし、もう何処にも逃げ場はなかった。
「焔!もう十分です、彼らを解放して下さい!」
「ね、姉様!?はっ、しまった....!またやってしまった.....!」
月音さんの呼びかけに反応した焔は、我に返るなり目の前の惨状に狼狽え始めた。
「炎よ、消えろ!!」
私は《言羽》を使って消火器のガスのような気体を発生させ、炎を掻き消した。幸い、校内の備品や他の生徒にも被害は出ていないようだ。
「ひ、ひぃぃぃ!!逃げろーーー!!」
恐れをなした不良達は、一目散に逃げていった。不良達が忘れていったガムは月音さんが回収し、不要物として処分した。
「良かった、大ごとになる前に解決出来ましたね。音羽さんもありがとうございます。」
「ううん、怪我人が出なくて何よりだよ。」
私がホッと胸を撫で下ろしたその横で、焔はしゅんと肩を落とし俯いていた。
「........焔。」
「..........申し訳ありません、姉様.........僕......こんなつもりじゃ..........」
「分かっています、彼らに対する貴女の対応は正しかった。ただ、やはりその体質では......」
「......あの、姉様....って....?それに、さっきのは........」
「..........あぁ、そうだな。音羽 初、君には友人として....僕のことを話しておかなければならない。」
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姉様......嫦娥崎 月音の実家が立ち上げた大企業・嫦娥財団は、その勢力を拡大する為に様々な企業を営む名家と契約を結んでいる。そして、僕の実家である華龍院家も、嫦娥財団と契約している名家の一つだ。
華龍院家の歴史は古く、一人の女と一匹の竜から始まった。遥か昔、炎を司る気高き竜と、その竜が住む谷の麓にある村で最も美しいとされた娘が、互いに恋をし、結婚した。やがて二人の間に生まれた子どもは、もれなく竜の血を引いていた。竜の血を受け継いだ人間には、感情が昂るとその血が沸騰し、身体から炎を発生させるという特異体質が備わっていた。故に彼らは竜の子として崇められ、名門華龍院家として繁栄していった。
親から子、子から孫....華龍院家に生まれた者達の間で、竜の血は脈々と受け継がれていった。だがそれは次第に薄れていき、近年では特異体質を持って生まれる子どもは見られなくなっていたそうだ。僕の父上も竜の血を引いてはいるが、身体から炎を出すことは不可能だと言っていたからな。
しかし、そんな中で生まれた僕には、何故か赤ん坊の頃から例の特異体質が見られたという。所謂先祖返りというやつだ。それ故に、僕は幼い頃から、感情が昂った時....特に怒りを覚えた時には、全身から炎を発してしまい、周りに多大なる迷惑をかけた。お付きの者にも、友人にも、そして家族にまでも怖がられ....僕は、一時期心を閉ざし孤立していたんだ。そんな僕を初めて受け入れてくれたのは、他でもない姉様だった。
初めて姉様と出会ったのは、僕が小学生になる直前のことだった。嫦娥崎家が催した食事会の際に、僕は姉様と知り合った。
「ねえ、一緒に遊びましょう?」
「い、いやだ!どうせ、おまえにもきらわれる!」
「嫌いになんてなりませんよ?どうしてそんなこと言うのです?」
「だ、だって.....ぼくは、“りゅうのこ”なんだぞ!おこったらひをふくんだぞ!こわいだろ!」
「いいえ、ちっとも怖くありません。だって、それはあなたにしかない体質なのでしょう?」
「....そ、そうだけど.......」
「私のお母様に聞きました。あなたのお家は、けだかき竜の血を引いていると。あまり難しいお話は、私にも分かりませんけど.....とにかくあなたは、その竜のように強い人になるために生まれてきたんだと思いますよ♪」
「りゅうのように....つよいひと......」
その後、姉様は僕の体質を怖がる家族達に必死に抗議してくれた。結果、家族達は「偉大なる先祖からの賜物を持って生まれてきたのに、分かってやれなくてすまなかった」と泣いて僕に謝ってくれて、お陰で今ではすっかり関係も修復している。そして、初めは自分でも忌み嫌っていた、この身体に流れる竜の血も、今では僕の誇りとして語れるようにまでなった。
今の僕があるのは、ひとえに姉様のお陰だ。姉様は.....月音は、まるで僕の本当の姉のようにいつでも助けてくれた。だから僕は、彼女を姉様と呼んでいる。姉様の為なら、僕はこの命を投げ打ってでも尽くすつもりだ。気高き火竜の名の下に、僕は姉様を、そして姉様が中心となったこの青空小の名を守ってみせる!!
「...........と、最後は少し脱線してしまったが、以上が僕の生い立ちと体質についての話だ。」
「そっか......焔にも色々あったんだね。それで、月音さんの手助けをする為に今は副会長を?」
「ああ、姉様がこの学校の中心となるのであれば、その補佐は僕が務めなければと思ってな!」
自信満々といった表情でそう答える焔。一方、月音さんは相変わらず少し心配そうにしていた。
「......月音さん?」
「.........私は、最初反対していたんです。その体質では、副会長は難しいと。」
「えっ?どうして、焔の体質を認めてくれたって言ってたじゃんか。」
「確かにそれは認めています。あの体質は、彼女が生まれながらに持っている力であると。しかし、先程音羽さんも見たでしょう。彼女は感情が昂ぶると、今でもあのように炎を発します。」
「それは.....でも、先に悪いことをしたのはあいつらでしょ?」
「ええ、勿論相手が全面的に悪いと私も思います。とはいえ、あのまま焔にその場を任せきりにしていれば、今頃学校は火事になっていました。焔が持つ力は、彼女の感情が昂ぶれば最後、本人の意思とは関係なく発動します。そして、自力でその火を消すことは出来ないのです。」
いつになく冷静な月音さんの言葉に、焔は何も言えず唇を噛んで俯いてしまっている。
「.....焔がどんなに炎を出したくなくても、感情の起伏には逆らえない........ってことか.......」
「今後もああいった事があれば、焔は副会長として彼らに制裁を下す為、怒りの炎を燃やすでしょう。その時、私が焔の傍に居てあげられれば、ある程度彼女の怒りを抑えてあげることは可能です。ですが、四六時中お互い付きっきりになるのは、現実的にどうしても難しいことです。」
「月音さんも忙しいし、そもそも二人は学年が違うから普段は一緒に居られないもんね.......」
「.......僕も」
焔がようやく口を開いた。
「僕も、これ以上姉様の手を煩わせるわけにはいかない。出来ることなら、自力でこの体質を抑制しなければと日々考えている。」
「いえっ、出来ることなら私だって焔に付いていてあげたいのですよ?煩わしいだなんて少しも....」
「しかし!!仮にそれが出来たとしても、僕を止めに入ってくる姉様を傷つけてしまう可能性だってある!そうなったら......僕は副会長失格だ......!!」
「焔........」
「自分でもよく分かっている.....幾ら周りが僕の体質を理解してくれているとはいえ、今の僕の沸点の低さではまだまだ副会長の器になど相応しくないことは....だが、それでも僕は姉様を、生徒会長を支えたい!だから....自分の力で変わらなければ意味がないのだ......!」
必死に訴えかける焔の目には、涙が浮かんでいた。それを見て、私はある決心を固めた。
「.........焔の気持ちは十分伝わってきた。でも、一人ではどうにもならないことだってある。」
「で、ではどうすれば.......」
「生徒会で忙しい月音さんの代わりに、私が焔に協力する。焔がその体質を抑制出来る方法を、これから一緒に考えよう。」
「音羽 初......!....姉様の言った通りだ.....君は本当に良い奴だな!!」
「私も、この前月音さんに助けて貰ったからさ。そのお礼だよ。ということで月音さん、しばらくの間私を生徒会に入れてくれないかな?」
「......分かりました、許可しましょう。ただし、期限は一週間です。」
「うん、その間に必ず問題を解決させる。よろしくね、焔。」
「ああ!!僕も全力で君の心遣いに応えよう!!」
こうして、私は焔のサポート役として一週間生徒会に入ることになった。後輩が悩んでいるのを見過ごせないし、月音さんが困っている時に助けると言ったのは私だ。それに、何より焔の悩みを他人事とは思えなかったから。
「大丈夫.......きっと上手くいく。」
胸の前で拳を握り固め、私は気を引き締めた。
続く