コトノハバース・フューチャーストーリー
『摩天楼の天使達』
空を覆い尽くす鉛色の雲。その切れ間から、薄らと太陽の光が差し込み街を照らす。昨日一日中降り続けた雨が止み、少しずつ天気が回復に向かい始めた、ある日の午後。
「はっ、はっ.......」
駅の改札口を抜け、辺りを見回しながら小走りで何処かに向かおうとする少女の姿があった。肩より下まで伸びた白い髪、目尻は優しげに垂れ、瞳の色は鮮やかな薄紅。学校の制服と思わしきベージュ色のロングブレザーに、各箇所にフリルが施されたシャツとスカートを着ている。
「.....あっ、先輩!初先輩!」
しばらくして、少女は誰かを見つけたかのように声をあげた。その声を聞いて、行き交う人混みの奥に佇む一人の女性が少女の方に振り向いた。
「..........随分遅かったな、祈空。」
毛先が跳ねた短い茶髪、その中に混じる薄茶色のメッシュ。黒いロングコートを羽織り、同じく黒いズボンを履いたその女性は、側から見れば男性と見間違う程の高身長かつ中性的な容姿をしている。
「すみません、電車が遅れてしまってて.....」
祈空、と呼ばれた少女は、慌てて女性の元に駆け寄りながら申し訳なさそうに頭を下げた。
「....まぁ良い、依頼は既に受けてある。行くぞ。」
ぶっきらぼうにそう言い放ち、女性はコートの裾を翻しながら歩き出す。祈空もその背中を追いかけるように、女性の後について行った。
青空町から二駅程離れた場所にある大都会、蛍音(ネオン)市。この街では、ある特殊な凶器を用いた犯罪が横行していた。その凶器とは、《覚声機》と呼ばれる、使用者の声を原動力とし様々な効果を発揮するマイク型の道具。いつ頃からかは定かではないが、この覚声機が使われた形跡がある事件や事故が多発し始め、同時にそれらの犯罪を撲滅する為に立ち上がる者達も現れた。
彼女達も、その中の一人だ。
女性の名は音羽 初。青空小の卒業生であり、世界で初めて覚声機を手にした人間でもある初は、その力を犯罪ではなく犯罪者達の悪行を止める為に戦っている。そして、彼女の後輩にあたる小学六年生の少女、満昊 祈空は、ひょんなきっかけから初の仕事を手伝うようになった。
女性の名は音羽 初。青空小の卒業生であり、世界で初めて覚声機を手にした人間でもある初は、その力を犯罪ではなく犯罪者達の悪行を止める為に戦っている。そして、彼女の後輩にあたる小学六年生の少女、満昊 祈空は、ひょんなきっかけから初の仕事を手伝うようになった。
「今日はどんな依頼なんですか?」
祈空が初にそう尋ねると、初はタブレットを取り出した。文字や写真が羅列するページを開き、その画面のまま端末を祈空に手渡す。
「見えない何かに突然身体を斬り裂かれたと報告する奴らが相次いで現れた。情報によれば、事件現場を捜索した結果高濃度のノイズが検出されたらしい。今回もノイジャーの仕業で間違いないだろう。」
ノイジャーとは、覚声機を使って犯罪行為を行う犯罪者の総称である。覚声機を使うと、ノイズという特殊な電波が発生し、使用後もしばらくはその場に残り続ける。現場からノイズが検出されることで、犯人がノイジャーであるかどうかを割り出すことが出来る。
「使用された覚声機の詳細は不明だが、姿を消す、もしくは見えない刃を発生させる能力を備えていることは確実だと情報屋は言っていた。」
「相手に姿を見せることなく攻撃出来る覚声機......ということですね。何処から狙ってくるか分からないなんて、どう対処すれば....」
「いや、私の予想が正しければそんなに厄介な相手じゃない。その予想を確信に変える為にも、まずは被害者に話を聞きに行く。」
.................
..........................
「あぁ?んだよテメェ。」
被害者が搬送された総合病院で二人を待っていたのは、柄の悪い男子高校生だった。両腕には包帯を巻かれ、不機嫌そうに初の顔を睨みつけている。
「蛍音市立高校一年、鷲尾 雄吾で間違いないな。」
「だったら何だよ。」
「あんたに幾つか聞きたいことがある。事件当日、その腕を斬り裂かれる前に何か前触れのようなものを感じなかったか?」
「.....チッ....ああ、確かに感じたよ。その日は暑いくらいに風が吹いてなかったのに、急に強い風が吹いてきやがってさ。そしたら次の瞬間両腕から血がドバッと溢れて......」
鷲尾と呼ばれた少年は、忌々しそうに腕の包帯を摩った。
「なるほど。じゃあもう一つ、自分が被害に遭うようなことをした心当たりはないか?あんたを襲った犯人は、何かしらあんたに恨みがある筈だ。それと......」
「あ゛ぁん!?何だテメェら、俺を疑ってんのか!?俺は被害者なんだぞ!!」
入院生活のストレスからか、怪我の痛みからなのか、鷲尾はあからさまに苛立った声で怒鳴り散らした。すると、祈空が彼の手をおもむろに握ってそれを制止した。
「大丈夫ですよ、私達は貴方を責めるつもりはありません。この事件を解決に導く為には、貴方の力も必要なんです。どうか気を鎮めて、もう少しだけ協力して頂けませんか.....?」
「おっ........おお......わ、悪かったよ.......」
辛気臭い空気を包み込み、浄化するかのような祈空の優しい声色と微笑みに、鷲尾は思わず動揺し大人しくなった。
「話を続けるぞ。あんたの他にも、被害者は何人か出ている。そいつらとあんたは面識があったりするのか?」
初が持つ端末に映し出された被害者リストには、鷲尾の他に三人の男子高校生、いずれも鷲尾と同じ学校に通う生徒の名前が載っていた。
「ああ。武志、海斗、恭弥.....全員俺の知り合いだ。学校でよくツルんでたんだよ。」
「お友達....ということですね。」
「でも、まだ一人だけやられてない奴が居る。俺らのグループのリーダー、鮫島 大雅だ。」
その言葉に、初は何かを確信したように頷いた。
「最後に一つだけ、そいつは今何処に居る?」
「さぁな、あいつよくサボってるから.....ま、今頃は学校近くに居るんじゃね?」
「分かった。協力感謝する。」
初はそう言い残し、病室を後にした。
「ありがとうございました。お大事にして下さいね。」
祈空も頭を下げ、少し遅れて病室を出る。他の被害者の病室には立ち寄らず足早に何処かへ向かう初の後を、一生懸命追いかけていった。
「........犯人の目星、もうついたんですか?」
「ああ。どんな奴かは知らないが、犯人は被害者達に虐めを受けていた人間だってことは分かった。」
端末に映っている被害者リストと、あるネットニュースの記事を照らし合わせながら、初は祈空に説明し始めた。記事の見出しには、『蛍音高校 生徒が登校拒否に』という文字が載っている。
「先日、蛍音高校に通うある男子生徒が登校拒否になるという事件があった。虐め等が原因かと思われたが、学校側は黙秘。生徒達のアンケートもほとんど回答を得られなかったらしい。だが.....」
話しながら、初は画面を切り替える。すると、一人の生徒が背中を踏みつけられている画像や、サンドバッグのように何発も殴られる動画が映し出された。顔はボヤけてよく見えないが、殴られる度に苦しそうな声をあげている。
「........!!」
「被害者について調べて貰っていたハッカーから届いたリークの一部だ。奴らが使っているSNSのアカウントに載せられていたものだが、生徒に暴行をしている奴らの顔がリストの写真と一致している。奴らは生徒を虐める様子を撮影し、ロックを掛けたアカウントに投稿して楽しんでいた。ユーザーの人数も、今回の被害者の数とまだ襲われていない鮫島とで一致する。つまり、この事実は虐めの加害者しか知り得ないことだったんだ。」
「.....それで、初先輩はさっきの人に被害を受ける覚えはないのか、他の方と面識があったのかと尋ねたんですね。」
「そういうことだ。そして、そのノイジャーが次に襲うのは......」
初が何かを言いかけた、その時。
「ギャアアアアアーーーーーーッ!!」
遠くから、断末魔が聞こえてきた。二人はハッとして顔を見合わせ、声がした方に向かって走り出した。
「!!」
二人が現場に辿り着くと、スカジャンに坊主頭の男が足首を押さえて蹲っていた。指の間からは血が漏れ出し、男は苦悶の表情を浮かべている。
「チッ、遅かったか......!あんた、鮫島だな?」
「う、うぅ......っ、風だ......あいつらの言った通りだ.......!」
「風.......」
鷲尾も言っていた、身体が斬られる直前に吹いた風。ノイジャーの狙いは、やはり虐めに関わった加害者達だった。
「じっとしていて下さい、今止血します!救急車も呼びますからね!」
祈空が鮫島を介抱する隣で、初はじっと耳を澄ませていた。すると、初の真横を何かが通り過ぎたかのような強い風が吹いた。
「そこかッ!!」
初は咄嗟に身体を躱し、コートの中から覚声機《隻翼・甦 -ルシファーズウィング・リバイヴ-》を取り出した。
「姿を現せ!!」
覚声機に向かって初が叫ぶと、空間が歪み一人の少年が現れた。
「なっ....!か、身体が!?」
狼狽る少年の手には、覚声機とカッターナイフが握られている。ナイフからは、鮮血が滴り落ちていた。
「....《透明人間 -インビジブラー-》.....Cランクの覚声機か。自身の身体を透明化させることに特化しているが、気配を消すことまでは出来ない欠陥品だ。ま、使用者がお前みたいな素人なのも原因の一つだろうが.......被害者が言っていた斬られる直前に吹く風は、お前が迫り来る時に生じるものだったというわけだな。」
「くっ.....!あ、あんたがそうなのか!」
「....?何の話だ?」
「“堕天使”だよ!これを貰った時に言われたんだ、堕天使には気をつけろって!」
「.................」
初は何も言わず、再び覚声機を構える。すると、少年は引き腰になりながら叫んだ。
「く、来るな!僕は....僕の復讐は、まだ終わってないんだ!!」
「.....もうよせ。これ以上目立てば、今度は《Sirius》に狙われることになるぞ。」
「うるさい!!どうせ皆、僕の味方になんてなってくれないんだ!だったらいっそ....いっそ悪魔にでもなってやる!!透明化!!」
少年が覚声機に向かって叫ぶと、再び姿が消えてしまった。しかし、初は少しも焦ることなく、じっと耳を済ませながら相手の気配を伺っていた。
「.......何をしても無駄だ。」
初がそう呟いた瞬間、背後から風が吹いてきた。それを見越していたかのように、初は覚声機を起動させる。
「捻じ伏せろ.......《圧政ノ魔王 -ロード・オブ・プレッシャー-》!!」
透明化した少年の頭上に、巨大な岩が現れた。岩は勢いよく落下し、少年の身体を押し潰してしまった。
「ぐああああああ!!」
覚声機から手を離してしまった少年の姿が、岩の下から現れた。初はそれを拾い上げ、覚声機を無力化させる特殊なサインを書き込んで懐に仕舞った。
「か、返せよ!それが無いと僕は....!」
「残念ながら、もう終わりだ。これは回収させて貰う。」
容赦なくそう言い放つ初。すると、みるみるうちに少年の目に涙が浮かんできた。
「.....う...うう......わああああああん......!!」
背中に伸し掛かる岩が消えても尚、少年は地面に突っ伏して子どものように泣き喚いていた。
「.....お前が鮫島達に虐められていたことは知っている。それで登校拒否になり、自分を虐めた奴らに復讐する為に覚声機に手を出したことも。.....だが、それは大きな過ちだ。復讐からは、何も生まれない。誰も救われないんだ。」
「......じゃあ......じゃあどうすれば良かったんだよぉっ!!」
少年は泣き顔で初を睨みつけながら、抱え込んでいた鬱憤を吐露し始めた。
「毎日毎日暴力振るわれて、お金も盗られて.....誰かに言ったら弱みをバラすって脅されて!先生にも親にも、何にも言えなかったんだ!!何度自殺を考えたか!!......そんな時、あの人が現れたんだ......これで全て上手くいくって、覚声機をくれて...........」
「...............」
「けど.....それも嘘だった.......結局堕天使に負けて、何もかも奪われた!僕にはもう....何も残されてない.....!誰も僕に味方してくれないんだぁあああ.....!!」
完全に絶望しきった少年の目には、もはや一筋の光も見られなかった。すると、鮫島の介抱を終えた祈空がやってきて、少年の身体をそっと抱き起こした。
「......本当に、辛かったのですね。貴方の苦しみ....十分伝わってきました。」
「......き....君は........?」
「もう大丈夫です。これからは、私達が貴方の味方です。必ず....貴方を苦しみから救うと誓います。ですからもう一度、私達を信じて貰えませんか......?」
...........................
.............
数日後。少年を虐めていた、鮫島をはじめとする不良グループの少年達はSNSのアカウントや動画、写真を削除するように注意され、学校からも謹慎処分を受けた。本来なら退学でもおかしくなかったのだが、祈空の説得のお陰で謹慎に留めることが出来た。
「この期間を、是非反省の時間に充ててもらえたら幸いです。今からでも遅くありません、必ずやり直せますから。」
「ごめんなさ〜〜〜〜い!!」
更に、学校側も虐めがあったという事実を認め、今後は黙秘しないと約束した上で謝罪した。被害者の少年は、少しずつでも学校に復帰出来るようにカウンセリングや補習授業を受け始めた。
「二人のお陰で、荒んでいた心が回復してきました。覚声機に手を出したのは、僕の心が弱かったからです.....だから、これからは胸を張って生きていけるよう、強い心を育てていきたいと思っています。」
「ふふ、良かったです......♪ひとまずは安心ですね、先輩?」
「.....ふん。次は無いからな、もう二度と私の手を煩わせるなよ。行くぞ、祈空。」
「はい。....それでは、どうかお元気で。貴方の幸せをお祈りしています.....♪」
背を向けて立ち去っていく二人を見送りながら、少年は小さく呟いた。
「あの人.....堕天使なんかじゃなかった。二人の天使が、僕を救ってくれたんだ......」
「......あれだけやってたったの五万か.....相変わらず、割に合わない仕事だな。」
報酬金が入った封筒を片手に、初は憂鬱そうな溜め息を吐いた。
「でも、初めからこれだけ貰えるって分かった上で引き受けたんですよね...?」
「ん....まぁな。」
「やっぱり、初先輩ならそう言うと思っていました。どんなに安いお仕事でも、誰かがやらなければ事態は更に悪化していた筈です。それを率先して選んだ先輩は、とっても立派だと私は思いますよ♪」
「....勝手に決めつけるな、私だって慈善事業でやってるんじゃない。所詮世の中金だ、どれだけ綺麗事並べようが結局人間は金の為に働く生き物なんだからな。」
ぶつぶつと文句を言う初だが、祈空は知っていた。本当は報酬なんてどうでも良い、《Sirius》の目に付く前に覚声機犯罪を食い止めたい....その為にも、仕事を選り好みしている場合なんかじゃないと、初が常日頃考えていることを。
「.......何笑ってるんだよ。」
「いえ、何でもありません。初先輩は優しい人だなって、改めて感じていただけですよ♪」
「何でもなくないだろそれ......ったく、そんなのお前の気のせいだ。私はノイジャーを狩る“堕天使”なんだからな。」
「ふふ、そういうことにしておきますね....♪」
初に買って貰った新作のフラペチーノを飲みながら、祈空はにこやかに微笑んだ。その顔を見て、眉を顰めていた初も僅かに口角を緩ませる。
「.......さて、今日から新しい依頼だ。まだ行けるか、祈空?」
「勿論です、引き続きお手伝いさせて頂きますね。」
二人の天使は、聳え立つ摩天楼の下を再び歩き始めた。ノイジャーの脅威を鎮めるまで、彼女達の戦いは終わらない。
「....フッフフフ.......困りますねェ.........ワタシの仕事を邪魔されては..............」
FIN.