コトノハバース・フューチャーストーリー
『迷える子羊』
「.........もう終わりなのかい?“堕天使”さん?」
研ぎ澄まされた切っ先を相手の喉元に突きつけながら、女は笑みを浮かべる。“堕天使”...........初は、地面に倒れ伏したまま、目線だけを動かしてその女の顔を睨みつけた。
「黎明の子、明けの明星よ。貴方は斬られて地に倒れてしまった。.......これじゃ、旧約聖書の記述通りじゃないか。残った片翼まで手折られて、最期は大地に抱かれて消える......ふふっ、堕ちた天使には相応しい末路だね。」
「............................黙れ......................」
「おっと、まだ口答えする程度の余裕は残っていたか。残念だけど、私は君と違って甘くない......とどめは念入りに刺すことにしているんだ。」
女はそう言って、切っ先をゆっくりと横に向ける。そして、初の首筋を確実に斬り飛ばせる位置で手を止めた。
「悪く思わないでくれ。私も、かつての友を自らの手で葬るのは辛いんだ。でも.......こうでもしなければ、あの人の目的は永遠に果たされない。」
中段に掲げられた刃が、月光を受けて銀色に煌めく。眼鏡の奥で双眼を閉じ、女は別れの言葉を初に告げた。
「...........冥福を祈っているよ。音羽 初........」
...................................
...................
「今回お前さんらに片付けて欲しい依頼は、こいつだ。」
蛍音市内にある喫茶店の一角。情報屋、MC.ムーサは、ノートパソコンの画面を初と祈空に見せながら言った。画面にはニュースの見出しと共に真っ赤に燃える建物の写真が映っている。
「ここ最近、蛍音市内の大型ショッピングモールやアミューズメントパークで次々と大火災が起こってるのは知ってるよな?」
「はい、毎日のようにニュースで報道されていますから.....」
「....その火災を起こした犯人が、ノイジャーだっていうのか?」
「ああ。現場を調べた結果、どの場所でも同じ種類のノイズが検出された。炎を操る覚声機か、もしくは爆発を起こす覚声機が使われた可能性が高い。」
ムーサは話しながらキーボードを叩き、複数の覚声機の写真が載ったページを開いた。
「候補としてはこの辺りだ。ここまでの大炎上を起こすとなると、そんじょそこらの低ランクモノじゃ火力が足りねえ。」
「Aランク以上......ということか。強敵だな.....」
「だからこそ、一番の手練れであるお前さんの出番ってわけだ。.....“堕天使”ちゃん。」
「........分かった。」
初はコーヒーを飲み干すと、代金を机に置いて立ち上がった。
「今回の事件、間違いなく《Sirius》の連中も目を付けている筈だ。奴らに先を越される前に、私がノイジャーを止める。」
「先輩.............」
「.....祈空、お前はどうする?今回は今までとはレベルが違う。危険に身を晒したくないなら、無理について来なくても良い。」
「.....私は..........」
祈空は俯きながら、自分がどうするべきか悩んでいた。いつも以上に難易度の高い依頼を受ける初のことが心配で堪らない反面、万が一爆発に巻き込まれたらと思うと怖くて足が竦んでしまう。本当は初のように迷い無く立ち上がりたいのに、どうしようもなく身体が震えて動かないのだ。
「お節介なこと言うようで悪いが、オレはやめた方が良いと思うぜ。」
「で、でも!」
「嬢ちゃんはまだ後先長い小学生だ。命を散らしてもおかしくないような場所に、みすみす行くのはオススメ出来ねえ。」
「.....そう.......ですよね.............私がついて行っても、足手まといになるだけですもの.....」
膝の上に置いた手をきゅっと握り固め、祈空は更に深く項垂れる。覚声機はおろか、女児符号すら持っていない自分にも、必ず何か出来ることがあると信じてきた。だからこそ、今回の依頼に参加出来ないことは彼女にとって大きな遺恨であった。
「...........」
そんな祈空を見て、初はそっと自分の手を彼女の手に重ねた。祈空はハッとして、ゆっくりと初の方に顔を向ける。
「.......お前が初めて私の手伝いをすることになった時、約束しただろ?お前が手伝って良いのは、お前が出来る範囲のことだけだって。」
「............はい.....」
「だから、お前が気に病むことは何もない。お前が出来ないことは、私がやるべきことでもあるんだ。」
初は祈空の頭をそっと撫で、普段は滅多に見せないような優しい笑顔を向けた。
「約束する。私がお前の分まで戦って、必ず生きて帰ってくる。........その時は、いつもの笑顔で....私を出迎えてくれないか。」
「っ.........分かりました....でも、無理だけはしないで下さい。私からも.....約束です。」
「.....ああ、努力はするよ。」
お互いの小指を絡め、二人は約束を交わす。不安は残るものの、祈空は初の言葉を信じて待つことを心に決めた。
「...........それじゃ、行ってくる。」
「はい、行ってらっしゃいませ。ご武運をお祈りしています.......」
数時間後。
「.....ひとまずこんなところか。」
初は聞き込みで集めた爆破事件の情報をまとめ、次に現れそうな場所やノイジャーの正体を絞り込んでいた。
「狙われたのは全て大型店舗、蛍音市内で既に爆破されたのは七軒中五軒.....次に奴が狙うのは、残り二軒のうちのどっちかなのは間違いない。でも、現行犯を押さえるなら二分の一を当てる賭けになる.......」
祈空に手伝わせるわけにはいかないとはいえ、やはり一人では無理があったか。初がそう思った時だった。
「......お困りのようですね、“堕天使”さん。」
初の背後で、凛とした声が響いた。振り向くと、白いスーツの上から同じく白いマントを羽織り、長い黒髪を風に靡かせて一人の女性が立っている。初と目が合った瞬間、女性は妖艶な笑みを浮かべて「ご機嫌よう」と挨拶した。
「.......あんた............《Sirius》か。」
「よくご存知で。その通り、特務警察機関《Sirius》の綾川 久乱です。.....お久しぶりですね、音羽 初さん。」
久乱と名乗るその女性は、笑みを絶やさないままゆっくりと初の方に歩み寄る。しかし初は、眉を顰めて久乱の顔を睨みつけた。
「....悪いが、再会を喜ぶつもりはない。今のお前は....いや、お前らは......私の敵なんだからな。」
「あら、そんな悲しいことを仰らないで下さい。私達はノイジャーから市民を守る為に活動しているのです。目的は貴女と同じなのですよ?」
「.....お前らなんかと、一緒にするんじゃねえ.......ッ!!」
初はギリッと奥歯を鳴らし、低い声で唸るようにそう言った。
「.......知ってるんだよ..........お前ら《Sirius》が、捕縛したノイジャー達を処刑してることは.......」
「当然でしょう?彼らは醜い罪人なのですから。街を脅かす罪人を処刑し、人々の平和な生活を守る......それが、私達《Sirius》の役目なのです。」
「確かに、ノイジャーは犯罪者だ。中にはテロレベルの危険な行為をしでかす輩も居る。けど.....だからって、奴らの言い分も聞かずに殺すのは間違ってる!覚声機犯罪を撲滅したいなら、奴らがノイジャーに身を堕とした理由を探って二度と同じ過ちを繰り返させなければ良いだけのことだろ!」
「.............」
久乱は何も答えない。それでも尚、初は自分の主張を訴え続けた。
「....だから私は、お前らに目を付けられる前のノイジャーに接触して、覚声機を回収し更生のチャンスを与えてやってるんだ。たとえ“堕天使”と恐れられ、疎まれようが......ノイジャー達を正しい道に連れ戻す為にな。」
コートの中から、覚声機《隻翼・甦》を取り出し、それを久乱に突きつけながら初は叫ぶ。
「今此処で止めてやるよ、お前ら《Sirius》の間違ったやり方を!街の平穏も、ノイジャーの未来も.....私が救ってみせる!!」
その瞬間、久乱の笑顔は一瞬にして無表情に変わった。獲物を見つけた毒蛇のような冷たい視線で初を見据えながら、久乱は小さく呟く。
「........相変わらず、甘い人...............そんな綺麗事で、人を救えるとでも...........?」
久乱がゆっくりと手を掲げると、建物の影から無数の警官隊《Hunter -追跡者-》が現れ、初の周りを包囲した。ある者は銃火器、またある者は覚声機を手にしている。
「......我々の公務を妨害するのであれば、貴女もノイジャーと見做します。赦しを請うなら....今が最後ですよ。」
「........お前こそ、可愛い部下をこんな所で大勢喪っても良いのか?そっちがその気なら、私も容赦するつもりは無い。こいつらの命の保証は出来ないぜ。」
「この程度で脱落する部下なら、所詮その程度です。....懺悔の時間は終わりました。皆さん、後は頼みましたよ。」
くるり、と久乱が踵を返して立ち去った瞬間、Hunter達は一斉に初目掛けて襲いかかってきた。
「....ったく.........予想外の展開だな。けど、私には祈空との約束があるんだ。そう簡単に屈するわけにいかないんだよ......!」
初は瞳を金色に輝かせ、背中に巨大な片翼を出現させた。彼女が“堕天使”と呼ばれる由縁....その一つが、彼女が力を解放させた堕天使ルシファーを彷彿とさせる姿なのである。
「かかって来い.......全員跪かせてやる!!!」
.................................
.................
「.............初先輩.......」
初の名を口にし、一人蛍音市内を彷徨う祈空。日が落ちる前には帰らなければいけないと思いながらも、初のことが気がかりで帰る気になれずにいた。
「.......本当に.........これで良いのでしょうか.........このまま、何もせず待っているだけで..........」
道行く人は、誰も祈空には目もくれず通り過ぎていく。一秒、また一秒と、止まることなく進み続ける時間のように。今この空間の中で止まっているのは、未だ迷い続けている祈空の心だけだった。
「....私一人じゃ、どうしようも出来ない......玲亜先輩と美奈先輩に頼りたいけど、どう相談すれば良いか分からないし......」
迷えば迷う程、足取りが少しずつ遅く、重くなる。靴の爪先を引きずり、歩幅も小さくなっていく。
「何か始めなきゃ、何も変わらない..............それは分かってるのに、どうしても思いつかないよ.......」
そして、とうとうその場で歩みを止めてしまう祈空。目の前で長く伸びている彼女の影帽子に、一粒の涙が溢れ落ちた。
「......悔しい.....悔しいよ......っ.....どうすれば良いのか....もう分かんないよぉ.....っ.......」
どんなに両手で拭っても、涙は後からすぐに溢れてくる。いつの間にか、祈空の周りには誰も居なかった。冷たい風が吹き荒ぶ夕空の下で、祈空はただ一人泣きじゃくっていた。
『...............可哀想に。』
「.....えっ?」
誰も居ない筈の空間で、突然別の声がした。
『嗚呼、なんて哀れな子羊ちゃんなのでしょう。ワタシも思わず貰い泣きしてしまいそうです、ヨヨヨヨヨ......』
祈空は辺りを見回すが、やはり誰も居ない。しかし、その声は右から左へ、そしてまた右へと、祈空の周りをぐるぐると回るように響き渡っている。
『.....でも大丈夫。ワタシがアナタに、最後の道標を示してあげましょう。さぁ顔を上げて、どうぞお進み下さい。』
言われた通りに祈空が顔を上げると、いつの間にか目の前に十字路が広がっていた。
『さぁ....どうぞ此方へ。道の真ん中に立つように........』
すると、さっきまで一歩も歩けない程重かった自分の足が、十字路の中心に向かって歩き始めた。
「えっ...?えっ?何....これ.......?」
困惑しながらも、祈空は歩みを進めていく。そして、中心まで辿り着いた祈空の目の前に、突然何者かが現れた。
「....!?」
『フッフフフフ........初めまして、可愛い子羊ちゃん。』
細く長い四肢、目測2メートルはある高身長を黒いコートに包み、頭にはシルクハットを被っている。顔は真っ白で、目と口の部分だけが黒い。まるで仮面に空けられた穴のようだが、よく見ると微妙に動いていた。
「本当の.....お顔..........?」
『フッフフフ、男前でしょう?』
驚く祈空の顔を見下ろしながら、仮面顔の男はニィッと口角を吊り上げて笑った。
「.....貴方は......誰ですか.........?」
『残念ながら、名乗る程の名など持ち合わせておりません。ですが......そうですねぇ、《R -アール-》とでもお呼び下さい。』
そう言って、Rと名乗る男は丁寧にお辞儀をした。
「......私に、何かご用ですか?」
『それは此方の台詞です。アナタがワタシを呼んだのでしょう?』
「えっ....?そ、そんなつもりは.......」
『フッフフフ....ワタシには分かっていますよ。アナタは今、行くべき道を探している迷子の子羊ちゃんだということが。』
そう言って、Rは一瞬にして姿を消した。かと思えば、今度は祈空の背後に現れた。
「!!い、いつの間に....!」
『分かれ道までやって来たけれど、どの道に行けば良いのか分からない。それで泣いていたのでしょう?ワタシを....呼んでいたのでしょう?』
Rは再び姿を消し、次は祈空の足元に顔だけ出して現れた。
「ひっ!?」
『おやおや、そんなに怖がらないで。ワタシはアナタが助けを求めているのを聞きつけ、アナタに道を示す為にこうして会いに来たのですから。』
「道を.....示す為に........?」
ズズズ......という音と共に元の身長に戻ると、Rは少し背を曲げて手袋を嵌めた手を差し出した。
『その通り。ワタシは迷える子羊ちゃんを導く案内人にして.........』
『.........覚声機を売る、売人です。』
.....................................
......................
「ハァアアアアアアッ!!」
初が放った光の刃が、何百人ものHunterを同時に刺し貫いた。Hunter達は倒れ伏し、そのまま起き上がることなく力尽きた。
「......はぁ......はぁ..........これで、最後か......余計な体力使わせやがって、ったくよ......」
忌々しげに舌打ちしつつ、初は泥と血で汚れた頰を拭う。
「..........さて、随分長い寄り道しちまったな。そろそろ本来の依頼に.......」
「戻れるとでも思ったかい?」
その声と共に、突然初の足元が抉られるかのように勢いよく爆発した。
「な.......ッ!?」
咄嗟に身を翻し、初は爆風から逃れる。すると、砂埃の奥から拍手の音が聞こえてきた。
「流石、八年経ってもキレが良いね。“堕天使”.........いや、初ちゃん?」
「......その声..........まさか.........!!」
次第におさまっていく砂埃の奥から現れたのは、久乱と同じくスーツとマントに身を包み、眼鏡を掛けた金髪の女性だった。
「やぁ、久しぶり。」
「...........お前まで....《Sirius》の傘下になってやがったのか...................」
「.............明石 月那!!!!!」
To be continued...