a story-within-a-story of Tora
古の都のラプランカ kurt-sechel rhaplanca
この地の人々は、かつて山間の盆地で暮らしていたという。しかし、豊かな生活の中でいつしか感謝と清貧の心を忘れ――そのたびに破局を迎え、新たな地へ移住することを繰り返してきた。栄華を誇った悪徳の町は、神の怒りに触れ焼き尽くされた。あるいは、多くの人の腹を満たすだけの畑を望んだ結果、まだ開拓すらされていない土地以外のもの全てを失った。何度目かの移転の末、いま人々は、大きな湖のほとりの狭い平地で細々と生活を続けている。
数年前のことだ。地震のあと、急激に湖の水位が下がった。湖の出口で地殻変動が発生し、湖水が一気に抜けたのが原因だった。ともかくも、それまで湖底だった肥沃な大地が顔を表すことになった。これは僥倖か、それとも神の赦しであろうか?
だが、人々はこの新たな原野の開拓を躊躇った。愛着ある現在の土地にもまだ開拓の余地があるのが一つ。謙虚さを失い富を求めて色気を出すとまた厄災を呼び込んでしまうとの、この地ならではの考えかたも原因にあるだろう。そしてもう一つ――
ここしばらく雨が降っていないため、黒っぽい地面は乾燥して、どこまでも続く不規則な網目模様のひび割れに覆われている。しかしひとたび降水があれば、たちまち往時の姿を取り戻して、今度はどこまでも続く泥濘になることだろう。表土にごく浅い足跡を残しながら一方向に進んでいく数人の群れの中で、一人の女性はそんなことを思いながら歩を進める。
彼女の名はラプランカ。この地でその伝承を知らぬ者はいない、かの聖女の名前だ。とはいえ、ラプランカ伝承にあやかって娘にこの名を付ける親は今も昔も変わらず一定数存在するため、とりたてて珍しい現象ではないし破局の予兆でもないだろう、おそらくは。
やがて一行は目的の場所に着いたようだ。眼前の光景に、ラプランカを含む全員が思わず感嘆の声を漏らす。
乾いた藻が付着したままの建築物の数々。直線状に延びる泥土の道。流木に紛れてわかりにくいが、規則的に植えられた樹木の跡も見える。数百年前、いまの人々の祖先が住んでいた、移住の回数にして一度か二度の前の、都市の遺構だ。彼女たちはこの場所を調査するためにやってきたのだ。そして、もと湖底の開拓が進められていない理由もまた、この遺跡の存在である。
調査団は各自の役割に沿って、道という道を残らず測量し、建物一つ一つを記録することになっている。ラプランカは最初の建築物――おそらく一般住宅だったものと思われる――に足を踏み入れ、その間取りからここに住んでいた者たちの暮らしに思いを馳せる。ごくわずかに残る調度品などの物品の残骸から、当時の豊かさの度合いを今と照らし合わせて考える。“彼女”の名を冠する数多くの伝承からだけでは見えてこないものが、ここに確かに存在することを、彼女は実感する。
この都市の往時の姿と、またそれがなぜ滅び去ることになったのかを推定するためのプロジェクトはまだ始まったばかりだ。時間は掛かるだろうが、きっと実りある活動になることだろう。ラプランカは楽観的にそう思っていた。
数年の月日が流れた。世人の古跡への興味は時とともに薄らいでいき、新たな発見によって注目を集めるようなことも日に日に少なくなってきた。そんな中でも調査自体は順調に進行し、二度目の中間報告がなされて、計画はいよいよ終盤に差し掛かっていた。
事件はなんの前触れもなく起こった。その日、ラプランカはプロジェクトリーダーに呼び出され、解任を言い渡された。あまりにも不可解なタイミングでの処分を全く理解できず、困惑と怒りが混ざった感情を抑えつつ矢継ぎ早に質問を繰り出して、ようやく彼女にも事情が掴めてきた。
一つの有名なラプランカ伝承がある。その話で舞台となる町は例のごとく体制が腐敗していて、ラプランカは苛政に苦しむ民衆を率いて決起するが、失敗に終わる。一時はラプランカに付き従っていた人も多くが体制側に寝返り、もと仲間を密告するような状況の中、ラプランカと彼女を最後まで支持していた者たちは失意のうちに町を去る。そこに突然大洪水が発生し、町は一夜にして水の底に沈む。現在生きている私たちは、この最後までラプランカを信じ正義を貫き通した者の末裔である――その内容を大まかに説明するならばこのようになるだろうか。
そして、調査団のメンバーは――加えて世の中の多くの人々も、この伝承に登場する町のモデルこそがここの遺址であると考えている。実際にごく短時間のうちに水没したと見られること、町の様子などに多くの共通点が見られることなどが、最初の中間報告を経てすでに広く知れ渡っている。とはいえ、先日の二回目の中間報告では、伝承と相違するような内容も発表された。ラプランカが地形や住居跡などを丹念に調べてまとめあげた研究によると、この都市が水没した際の生存者の大半は裕福層と思われるという。
すなわち、いまこの地に暮らす人々は、どちらかというと退廃した体制側の子孫なのではないか。そのように読み取ってしまった権力者がいたく立腹し、論文の著者であるラプランカの解任を、さもなくば調査活動自体の中止を要求した。どうもそのような経緯があったらしい。
本来は別個のものであるはずの伝承と研究を綯い交ぜにした上それを理由にして追放するという態度に、ラプランカは大いに憤慨して抗議したが、ついに処分が覆ることはなかった。ラプランカは解任の上、遺跡への立ち入り禁止が命じられることとなった。問題となった彼女の論文は自主的な撤回という名目で削除され、大きな話題になることもなく忘れ去られていった。
それから二年間の動きは早かった。調査団は最終報告をまとめあげ、目的を果たして解散した。調査が終わると同時に遺跡はおそるべきスピードで整備され、新たに観光資源として生まれ変わった。かの伝承に登場する水底に沈んだ町と喧伝された土地は一躍脚光を浴び、遠方からも多くの人が訪れる名所となった。
ラプランカは研究の世界と距離を置くようになり、小さな町の学校に教師の職を得ていた。彼女は最初の頃こそ、自分が退いたことで調査が無事に完了したのだと納得しようと試みては煩悶していたものだが、子どもたちと触れ合う日々の中でその想いは次第に癒されていった。そうは言っても嫌な思い出ほど根深く残るもの、件の史跡が一般向けに公開され賑わっていても、彼女自身は足を運ぶ気になれなかった。ところが校外学習で当地を訪れることになり、とうとう彼女は重い腰を上げざるを得なくなった。
遺跡の中に入った途端、ラプランカは衝撃を受けた。彼女が世に出せなかった研究の成果が、都合の良い部分だけ切り取られて都合の良いように使われているではないか!
町の中心付近に立地する大邸宅には、豪華な家具什器が復元展示され、当時の文化の豊かさを誇示している。市場の跡には種々の商品の模型や客を模した人形が並び、彼女が推計した町の人口と併せ、活気があったことを窺わせる演出がなされている。しかしその一方で、この町が水没したときにどのような者が助かったのかはどこにも書いていない。そもそも、周囲よりさらに低い土地に存在し最も多くの被害を受けたであろう貧民街は、見学エリアにすら含まれていない。
彼女は絶望した。このような行為が平気でなされることこそが、まさしく我々が不徳の民の後裔であることの、何よりの証明ではないのか! なんとなれば、幼少の頃からラプランカ伝承を通じて「謙虚であれ」と刷り込まれてきたはずの人間が、どうしてこのような仕打ちをできるというのだ! ……いや、違う。そうではない。繰り返される「謙虚であれ」との教え、それこそが「謙虚である」という誤った自意識を植え付けているのではないか!
引率する子どもたちの前ですら彼女は平静を保つことができなかった。彼女自身も学校でラプランカ伝承を教え、ラプランカ先生のラプランカの授業と呼び名されて人気を博していたのだから。
ラプランカは“ラプランカ”を憎んだ。彼女は決意する。
私は聖女なんかではない。聖女ではないから奇蹟は起こせないし、もちろんあの遺跡を再び水の底に沈めることなんてできやしない。だけど、私は聖女ではない。聖女ではないから復讐はできるし、もちろんあの遺跡の評判を地の底まで落とすこともできる。どうせ悪徳の民を祖先に持つと言うのなら、汚い手を使ってでも、我を貫き通してみせる!
その日からラプランカの戦いは始まった。手始めに、彼女は一冊の本を書き上げた。それはかつて強制的に撤回させられた彼女の論文を再構成したもので、遺跡の展示を徹底的に批判し、拙速かつ安易な観光地化を推し進めた権力者・ファウリ――ラプランカを解任した黒幕でもある――の責任を厳しく問う内容である。しかしそれをすぐに上梓することはせず、タイミングを待ち続けた。
学校での教え方もまた変化した。特にラプランカ伝承に触れるときには顕著で、よく知られた物語の解釈でも批判的に捉え直し、描かれる理想郷の姿が本当に理想と言えるのかどうかを議論させた。このような授業内容は生徒の好き嫌いが分かれ、しばしば他の教師からも苦言を呈されたが、彼女は意に介さなかった。
そうして待つこと一年、ついに絶好機が訪れた。ファウリに遺跡の観光開発がらみのスキャンダルが発生したのだ。ラプランカはこのチャンスを逃さずに、かねてから準備していた本をすかさず出版し、醜聞に新たなネタを提供。自身のラプランカという名前もここぞとばかりにセンセーショナルに利用し、聖女対悪人の構図で世の耳目を集めることに成功した。
彼女のもとには連日のように取材が入り、その度に彼女は敵を大いに攻撃した。ラプランカを支援する声は日増しに高まり、同時に、遺跡に関する彼女の説も少しずつ広まりを見せ始めた。やがてファウリから脅威とみなされるようになったのだろうか、ラプランカの周囲で脅迫めいた事案が起こり始めた。
彼女は対決の時が近いことを知り、自ら教職を辞して備えた。ほどなく、案の定というべきか、ラプランカは名誉毀損で訴えられた。
多くの関心を集める中、時の人となったラプランカと疑惑の渦中にあるファウリの裁判の幕が開いた。事前の予想ではもっぱらファウリ有利と見られていたが、実際の審理は常にラプランカ優勢で推移した――確執の発端となった研究について言うならば、彼女より遺跡の区画の詳細をよく知る者はいないのだから。
このままでは分が悪いと読んだ原告側は、ラプランカへの人格攻撃に踏み切り、彼女に反感を持つ人物を目ざとく見つけてきては証言を求めた。調査団のメンバーの一人は、ラプランカの研究は夢想的であると口厳しく指摘した。学校の同僚教師の一人は、ラプランカの授業の実態と称して、彼女はラプランカ伝承の破壊者であると糾弾した。彼女にとって残念なことに、この戦術は世間の風評に対しては一定の成果を収めた。とはいえ、彼女にとっての最大の懸案事項はそこではなかった。
醜い争いは延々と続き、無為な月日のみがただひたすら過ぎ去った。大衆の興味が失われるまで時間稼ぎをしているのだろう、ラプランカにはそう思えた。それはある意味では正しく、長期戦の中で彼女の陣営は次第に疲弊し、支持者は減少を始め、軍資金は底を尽きかけていた。悲観的な考えが心を支配しようとするのを制止するのにも精一杯の努力を要し――ついに抑えきれなくなった。
暗雲垂れ込める空模様の日、支持者のうちのごく中心的なメンバー数人のみを集めて、ラプランカは彼らにもずっと隠していた心情を吐露した。もう疲れ果てた、この戦いから撤退したい、と。皆はラプランカを必死に励ましたが、いかなる慰撫の声ももう彼女には届くことはなかった。
子どもたちを率いて遺跡に行ったあの日の怒りは、告発本を執筆していた日々を支えていた闘志は、もはや彼女の心から完全に失われていた。ラプランカは自宅に閉じこもるようになり、降り出した大雨が彼女の感情を代弁していた。
決着は思わぬ方向からやってきた。大雨は遺跡を水没させ、虚飾に塗れた展示は泥を浴びて使い物にならなくなり、観光客を当てにした周辺施設も休廃業を余儀なくされた。遺構そのものも大きな被害を受け、特に貧民街地区の損傷が著しく、図らずも彼女の説を補強することになった。
水害を受けやすい場所であることは遺跡の特徴そのものからも明らかだったのに、自らの利益のために何の対策もしないまま開発を急いだ――結託していた業者も大損害を被った結果ファウリの敵に回り、彼はついに失脚した。
無人となった原告席を相手に勝利はしたというものの、ラプランカもまた多くのものを失った。闘争の中で流布された誹謗中傷による影響は未だ根強く残り、後ろ指を差され悪い噂話をされることもままあった。逆に、彼女を聖女として祀りあげるような動きもまた存在した。ラプランカはその両方に反発し反論もしたが、本人に直接火の粉が降りかかってくる場合を除き、時が過ぎ忘れ去られるに任せた。
損壊した遺跡の復旧にはラプランカも携わることになった。彼女の意見が通り、水没のダメージも基本的にはそのまま残し、最低限の修復と治水対策のみ行うことになった。その後も引き続きラプランカは学芸員としてこの史跡の研究を続けている。数々のラプランカ伝承を、その片手に携えながら。
世界はいま変革期を迎えている。得られる新たな知見は、時に我々のアイデンティティにとって不都合なこともあるだろう。だが、そこから目を逸らさずに真摯に受け入れた先に、パラダイムシフトは存在するのだ。
― 了 ―