ミスターシービー(競走馬)

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&font(#6495ED){登録日}:2021/12/11 Sat 20:02:14 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 15 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- >&italic(){&bold(){83年、菊花賞。}} >&italic(){&bold(){その馬は、タブーを犯した。}} >&italic(){&bold(){最後方から、上りで一気に先頭に出る。}} >&italic(){&bold(){そうか…。}} >&italic() >&italic(){&bold(){&font(#ff0000){タブーは人が作るものにすぎない。}}} >&italic() >&italic(){&bold(){その馬の名は…}} > >#right(){――2012年 JRA CM The WINNER 菊花賞編より} &bold(){&ruby(Mr.C.B.){ミスターシービー}}とは、[[日本>日本国]]の[[競走馬>サラブレッド]]である。 なお、過去に同名の競走馬がおり、そちらは障害戦で4勝を上げている。 常識破りの走りで[[シンザン>シンザン(競走馬)]]以来となる史上3頭目のクラシック三冠を勝ち取った、恐らく最も愛されている[[三冠馬]]である。 メディアミックス作品『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』にも登場しているが、そちらでの扱いは当該項目参照。 →[[ミスターシービー(ウマ娘 プリティーダービー)]] 目次 #contents ※年齢表記はレース名を除き、現表記に合わせています *【データ】 誕生:1980年4月7日 死亡:2000年12月15日 享年:20歳 父:トウショウボーイ 母:シービークイン 母父:トピオ 調教師:松山康久 (美浦) 主戦騎手:吉永正人 [[馬主]]:千明牧場 生産者:千明牧場 産地:浦河町 セリ取引価格:- 獲得賞金:3億9,080万円 (中央) 通算成績:15戦8勝 [8-3-1-3] 主な勝鞍:83'皐月賞・&ruby(日本ダービー){東京優駿}・菊花賞、84'天皇賞(秋) *【誕生】 **血統~禁断の恋?~ 父トウショウボーイ、母シービークイン、母父トピオという血統。 父トウショウボーイは皐月賞や有馬記念等を制し、「天馬」の名を冠した70年代後半の名馬。シービークインも重賞3勝を達成した名牝と、良血同士の配合である。 だがこの配合、本来は&bold(){実現するはずがなかった配合}なのである。 父トウショウボーイと母シービークインは同じ日に行われた新馬戦で初対面。 レース自体はトウショウボーイが快速を見せつけ1着、シービークインは5着だった((ちなみに、この新馬戦には後にトウショウボーイと共に三強「TTG」を形成するグリーングラスも出走しており、4着に入っている。))が、馬主はこのトウショウボーイの走りを見て、何としても2頭を配合させたいと思ったらしい。 シービークインは引退後、浦河の&ruby(ちぎら){千明}牧場で繁殖牝馬となった。 しかし種牡馬入りしたトウショウボーイは日高軽種馬農協所有となったため、組合員の牧場の馬しか種付けできなかった。そのため、シービークインには種付けの権利がなかったのだ。 が、当時は内国産種牡馬が冷遇されていた時期、トウショウボーイに良血の牝馬は集まらない状態だった。 そこへ重賞3勝の実績馬シービークインが種付けしてほしいと言ってきた。このチャンスを逃すわけにはいかない、とトウショウボーイ側は思ったらしく、なんと&bold(){組合に黙って勝手に種付け}してしまう。 当然担当者はこっぴどく怒られたらしいが、シービークインは無事に受胎。 1980年4月7日、やや小柄で母親に似た美しい馬体、父親に似た美しいフォーム、両親から類稀なスピードを受け継いだ仔馬…後のミスターシービーが誕生した。&s(){生まれの時点で既に常識破りである。} その馬体は関係者に希望を持たせ、牧場の持ち馬として競走馬デビューした際「千明(&bold(){C}higira)牧場(&bold(){B}okujou)の代表」という意味を込め、戦前千明牧場から巣立った馬(1934年生まれ)と同じ「ミスターシービー(&bold(){CB})」と名付けられた。 *【戦歴】 **2歳 ~追い込み馬としての素質~ ミスターシービーは1982年11月16日の東京での新馬戦でデビュー。母の主戦騎手だった吉永正人を鞍上に先行策を取り2着に5馬身差をつける快勝。 なおこの吉永騎手は引退まで一貫してミスターシービーに騎乗することになる。 だがミスターシービーには一つ大きな問題があった。 問題というのは、気性である。 2戦目の黒松賞では大きく出遅れてしまう。このレース自体は引っ掛かりまくってしまったもののクビ差で辛勝。 3戦目のひいらぎ賞では発馬機内で激しく暴れ、結果黒松賞よりも大きく出遅れてしまう。 ところが、このレースでミスターシービーはその鮮烈な脚を見せつけることになる。 前走で先行集団を無理して追いかけてしまったために体力を大きく消費したことを受け、吉永はそのまま後方待機策を取った。そして最後の直線、猛然と追い込みをかける。しかしウメノシンオーをクビ差捉えられず2着。 元々ミスターシービーは両親同様、スピードに長けた逃げ馬になるのではと関係者から期待されていた。しかし、あの致命的すぎる出遅れから2着に喰い込んだその脚を見て、騎手である吉永はシービーに追い込み馬としての素質を見出した。 **3歳春、皐月賞 ~泥塗れの追込~ 3歳となった83年は2月13日の共同通信杯4歳ステークスから始動。 前走で敗れたウメノシンオーとの競り合いをアタマ差制して勝利、重賞初制覇となった。 続く弥生賞では内ラチ沿いから馬群を縫うように、上がり3ハロン35秒8の末脚で上がり快勝。 #blockquote(){&sizex(6){&bold(){&color(#800000){ターフの偉大なる演出家よ。}}} &sizex(5){その、偉大なる競馬叙事詩は、} &sizex(5){春の中山で始まった。} } そして迎えた4月17日、クラシック初戦皐月賞では一番人気に推される。降雨の影響で不良馬場で行われたこのレースでは道中は後方でレースを進めた。 一般的に追い込み馬には不利とされる不良馬場だが、向こう正面から上がっていくと最後の直線で先頭に立つ。その後は追い込んできたメジロモンスニーを半馬身差抑えて勝利。鞍上の吉永にとっては初のクラシック制覇であり、調教師である松山にとっては開業開業9年目での八大競走初制覇となった。 #blockquote(){&color(#F54738){&bold(){第一幕}} 雨、降りしきる春の中山、皐月賞。 不良馬場をものともせず、おまえは泥を蹴散らし、 馬郡を割って先頭におどり出た。 比類なき強さの片鱗。 激しく、壮烈なるプロローグである。 } **&ruby(日本ダービー){東京優駿} ~ジンクスブレイク~ 続く2冠目の&ruby(日本ダービー){東京優駿}では、パドックにてトレードマークのハミ吊りが切れてしまうアクシデントがあったが、単勝1.9倍の圧倒的1番人気に支持された。 …さて、当時の日本ダービーにはとあるジンクスがあった。 それは「10番手以内で第1コーナーを回らなければ勝てない」というもの。ダービーポジションというそれは当時のダービーが20頭をも超えるほどの頭数で行われていたが故のものである。 そして行われたレースで、シービーは出遅れてしまい、最後方からの競馬となった。無論、場内は大きくざわめいたが、「そんなの関係ねぇ」と言わんばかりに4コーナーで大外に出ると、直線では粘るビンゴカンタを一気に交わし、追い込んでくるメジロモンスニーも抑え込んでそのままゴール。 #center(){&sizex(6){&font(red,b,i){父を完全に超えました!}}} #right(){&bold(){盛山毅(フジテレビ)}} #blockquote(){&color(#F54738){&bold(){第二幕}} 緑、鮮やかなる初夏の府中、日本ダービー。 気の昂ぶりか、はたまた余裕か、 出遅れたおまえは、終始後方でレースを進める。 だが、4コーナーをまわり、おまえの末脚は爆発する。 直線一気、ターフを切り裂くものすごい追い込み。 並みはずれた強さの証明であった。 } かつて父であるトウショウボーイが敗れたダービーを取り、2冠馬となったミスターシービー。 しかし、大外に回る際に外に斜行してきたタケノヒエンを回避しようとした結果、キクノ[[フラッシュ]]と衝突、更に後方から進出してきたニシノスキーの進路を横切る形となったことについて審議となってしまう。 幸いにも優勝に変更はなかったものの、競馬評論家の中には「ミスターシービーを失格にすべきだ」と批判する者もいたりした。 一方でメジロモンスニー鞍上の清水騎手は「シービーの強さに脱帽ですよ」とコメント。 ここまで来たら三冠確実…[[というわけ]]にもいかないのが競馬の現実。 実際1964年のシンザンからタニノムーティエ、ヒカルイマイ、[[カブラヤオー>カブラヤオー(競走馬)]]、カツトップエースと、皐月とダービーを取った馬が4頭いたものの、いずれも菊花賞前にトラブルを起こし回避または惨敗。 シービーも夏に蹄を痛め、夏風邪を引いてしまう。無理を押して出走した京都新聞杯ではカツラギエースから7馬身以上離されての4着という結果に。しかし+12kgという太め残りでこれなのだから菊花賞は問題ない。そう判断した松山は三冠へ向け、厳しい調教を課していった。 **菊花賞 ~19年ぶりの偉業~ 菊花賞では前走の敗退、スタミナの問題、本競争で敗れた父の影響などで人気こそ落としたが、それでも一番人気に推される。 レースが始まるとミスターシービーは最後尾を追走し2コーナーもシンガリで通過。不安に駆られるファン達だったが、向こう正面でそんな不安も吹き飛んでしまうほどの衝撃的な出来事が起きる。 京都の3コーナーの坂はゆっくり上り、ゆっくり下るのが常識。 仕掛けのタイミングをうかがっていた吉永騎手は、前を走るアテイスポートの鞍上であり、前年度の優勝馬であるホリスキーの鞍上であった菅原騎手からのアドバイスを受け、常識に則りながら仕掛けようと、ほんの少し、シービーの手綱を緩めた…。 #center(){&sizex(5){&font(red,b,i){だが奴は…弾けた。}}} ゴーサインが出たと思ったシービーは、とんでもない猛スパートを始めてしまう。慌てて手綱を絞る吉永騎手だったが、シービーは止まらない。そのまま坂の上りで先頭に並びかけ、下りには早くも先頭に立つ。 このあまりにも非常識なレース運びに、観客席からは怒号と悲鳴が上がり、松山調教師は思わず「何をするんだ!」と立ち上がってしまったという。 もうダメだ…負けるに決まってる…絶望する馬主とファン達。 しかしシービーの脚は直線に差し掛かっても衰えない。それどころか更に伸びる。 #center(){&sizex(6){&font(red,b,i){大地が!大地が弾んでミスターシービーだ!}}} そのまま大きなリードを保ちながら最後の直線を逃げ切り、勝利。 #center(){&sizex(6){&font(red,b,i){史上に残る三冠の脚!史上に残るこれが三冠の脚だ!}}} #right(){&bold(){杉本清}} シービーは見事、シンザン以来19年ぶりとなる、史上三頭目の三冠馬となった。 父内国産馬の三冠は史上初。更にデビュー戦から三冠達成まで、全て一番人気であり、これも史上初の記録となった。 先代の三冠馬であるシンザンが19年前の馬であったため、シンザンのレースを見たことがないという人も多かった。そのため、シービーはファン達にとって、初めて目の前に現れた三冠馬だったのだ。 「この瞬間に立ち会え、お伝えできた事は本当に幸せです」という実況からも、当時の感動がありありと伝わってくる。 #blockquote(){&color(#F54738){&bold(){第三幕}} やわらかい日射しに映える秋の淀、菊花賞。 夏を越し、おまえの馬体にはさらなる力がみなぎった。 レースが三コーナーにかかったとき、 この劇はクライマックスをむかえる。 おまえは、坂の手前で先頭に立つというタブーを犯してしまったのだ。 あわや、と思った。 しかし、それも杞憂。他を力でねじ伏せてしまった。 まるで、脇役のいない演出主役の一人舞台。 &color(#F54738){&bold(){第四幕}} 競馬史上三頭目の三冠馬、ミスターシービー。 おまえが、ターフにその雄姿を見せるかぎり この英雄叙事詩は、さらにつづく。 #right(){[[ヒーロー列伝>ヒーロー列伝(競馬)]]No.14 ミスターシービー} } **4歳、天皇賞・秋 ~ミスターシービー、ここにあり~ …さて、一躍スターホースとなったミスターシービーだったが直後のジャパンカップ、有馬記念をともに回避。 これに対し、ジャパンカップ前の記者会見で外国の記者が「今年はミスターシービーという三冠馬が出たと聞いているが、出走していないのはなぜか。日本で一番強い馬が出ていないのはどういうことか」と問い質し、「正直なところ、失望した」と述べた競馬評論家もいた。 ちなみにこの年の有馬記念は、シービーの同期であるリードホーユーとテュデナムキングがワンツーフィニッシュ。シービーの世代の評価が高まった。 1984年はアメリカジョッキークラブカップ出走を予定していたが、降雪によりダートでの施行となる可能性から回避、中山記念は蹄の状態の悪化から回避。春シーズンを全休することに。 10月初旬に毎日王冠にて復帰。ほぼ1年ぶりの長期休養明けもあってか、初めて一番人気をサンオーイに譲ることに。しかしシービーは最後の直線、最後方から当時としては破格の上がり3ハロン&font(red,b){33.7秒}(推定)の末脚で一気に上がったものの、シービーが休んでた春の間に本格化したカツラギエースを捉えられず、2着に敗れる。&s(){またお前か。} なお、この競争の前日から「大型映像ディスプレイ」((後にターフビジョンという名称に決定する。))が設置されており、後方を進むシービーがスクリーンに映った瞬間、スタンドから大歓声が上がったそうな。 次走はこの年から3200mから2000mへ変更された天皇賞・秋。 レースでは&s(){いつものように}最後方から追走し、一時先頭から&font(red,b){約20馬身}の位置に置かれる形となる。 第3コーナーからスパートを掛けるも、ペースの問題か中々前に行けない。シービーは最後方のまま最後の直線へ。しかし、大外から前走敗れたカツラギエースを抜き去り、追い込んでくるテュデナムキングを抑え、コースレコードである1分59秒3を記録し勝利。この勝利により、シンザン以降続いていた天皇賞(秋)の1番人気連敗記録を19で止めた。 ちなみに、これ以降クラシック三冠馬(([[三冠牝馬]]ではアーモンドアイが2019年に勝利している。))による天皇賞・秋勝利は2021年12月現在もない((シンボリルドルフ、ナリタブライアン、コントレイルはいずれも敗北。ディープインパクト、[[オルフェーヴル>オルフェーヴル(競走馬)]]は[[凱旋門賞]]出走のため、そもそも出走していない。))。 **ジャパンカップ、有馬記念 ~皇帝との対戦~ 次走はジャパンカップ。ここには、シービーの天皇賞・秋の翌週に無敗での三冠を達成した[[シンボリルドルフ>シンボリルドルフ(競走馬)]]も参戦を表明。 果たして勝つのはルドルフか、シービーか、それとも外国馬か…と 言われてたが勝ったのは10番人気&bold(){[[カツラギエース>カツラギエース(競走馬)]]}。&s(){二度あることは三度ある。} 体調不良もあり4番人気となったルドルフは3着、1番人気となったシービーは10着と惨敗。闘争心を見せなかったシービーだったが、吉永騎手は「シービーは、バテて下がってくる先行馬を見たら行く気を出したのだが、さすがにジャパンカップではバテる馬がいなかった」「先行策を採るべきだった」と、自身の騎乗ミスを口にしている。 続く有馬記念ではファン投票こそ第1位に支持されるも、単勝1番人気はルドルフに譲ることに。 レース自体もインコースに突っ込んでしまったことが災いし、危なげなく抜け出したルドルフとルドルフにこそ差されたが先行のまま耐え抜いた&s(){またもや}カツラギエースの3着に敗れてしまう。 **5歳、天皇賞・春 ~引退まで~ 1985年は3月31日の大阪杯から始動。1番人気となったものの、斤量差ゆえかステートジャガーにハナ差競り負けてしまう。 続く天皇賞・春ではシンボリルドルフと3度目の対決。 最終コーナーこそ先頭で回ったものの、直線でルドルフにかわされ、同馬から10馬身以上離された5着に終わった。 その後、故障を発生し、引退。 通算15戦8勝。GⅠ4勝だが、ルドルフには一度も先着できなかった。&s(){まぁルドルフに国内で先着した馬はすべてシービーの同期だったわけだが。} 雨の中行われた引退式ではシービーを労う数々の横断幕が張られた。 翌年の1986年には父トウショウボーイと同じく[[顕彰馬]]に選出。史上初の父子顕彰馬となった。 *【引退後】 引退後は内国産種牡馬として初めて社台スタリオンステーションに繋養された。「ミスターシービーは素晴らしい種牡馬になるだろう」と期待をかけられ、初年度産駒から3頭の重賞勝利馬を輩出。2年目にもシャコーグレイドが活躍するとシービーの種牡馬としての人気は改めて高まる。 しかし、これが不幸の始まりだった…。 産駒の活躍とバブル景気もあり、シービーの種付け価格は&font(red,b){2000万円}と当時史上最高額が付けられる。しかしその後は先細り、トニービン、ブライアンズタイム、サンデーサイレンスの台頭もあって、[[トウカイテイオー>トウカイテイオー(競走馬)]]と入れ替わる形でレックススタッドへ移動。 1999年には種牡馬も引退。結局GⅠ馬は出ず、GⅡ馬のヤマニングローバルが一応種牡馬入りしたものの種付け依頼がろくに来ず産駒わずか12頭だったため、トウショウボーイの父系を繋ぐことはできなかった。 一応母父としてジャパンカップダートやフェブラリーステークス等を勝利したウイングアローを輩出した。 種牡馬としては失敗という評価がなされているが、種牡馬ランキングの最高位は12位。これを受け、本来はもっと評価されるべきだったが、初年度産駒の活躍により招いた種付け価格の高騰が普通に走っていても「価格に比べて走ってないじゃないか」と思われてしまい、結果種牡馬として失敗してしまった要因となったと、関係者が述べている。 種牡馬引退後は千明牧場で功労馬に。放牧地は同じく功労馬としてて繋養されていた母シービークインの隣であり、通常は乳離れ以降は巡り合う事の無い母仔が再会するという珍しい状況になっていた。&s(){といってもミスターシービーはシービークインのことを母馬と認識していなかったそうだが。} 2000年12月15日、父トウショウボーイと同じく蹄葉炎により、母に先立つ形でこの世を去った。 墓は他の名馬と異なりとても簡素なもので牧場の端側にあるが後に亡くなった母の墓が隣に並んでおり共に静かに眠っている。 *【創作作品での登場】 ・&bold(){『[[馬なり1ハロン劇場]]』} [[三冠馬]]会の一頭としてたびたび登場。 シンボリルドルフが対等の[[ライバル]]と認めている数少ない相手でもある。 ・&bold(){『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』} アニメにデザインのみが登場。コミック『シンデレラグレイ』にも登場していたが、アプリ版配信直前についにキャラクター紹介とCVが公開された。 どのメディアでも何故か台詞が異常に少なくいまいち影が薄かったが、エイシンフラッシュのストーリーにてアプリ内に初登場。 続いて追加されたロード画面の一コマ漫画では&bold(){雨の中傘を差さずに散歩をしてずぶ濡れになる}という一目でわかるフリーダムっぷりを見せつけており((雨の中あえてずぶぬれになる、という内容から史実における引退式がモデルではないかとされる。雨の中、後ろの客にも見えるようにするためにスタンドのみんなが傘を畳んだという逸話がある。))、そのキャラクターが育成シナリオ内でいかに示されるかを期待し本格的な登場を待ち望む声は多かった。 そしてSSRのサポートカードの実装などを経て迎えた2023年2月24日…ちょうどアプリリリース2周年の日に育成実装されることが決定した。 *【余談】 -レーススタイルについて ミスターシービーといえば「追い込み」で有名ではあるが、三冠レースではすべて「まくり」で勝利している。 これは最初の方にちらっと触れた、シービーの気性が関係している。 気性に不安があったため騎手が抑えていたがゆえに自ずと後方待機になっただけであり、騎手がゴーサインを出せば、勝手に行ってしまう馬だった。 ただ、4歳秋の毎日王冠、天皇賞・秋はそういった走りはできておらず、最終的にその走りをしても勝つことはできなかった。 4歳秋の時点で、シービーの全盛期は過ぎ去っていたのだろう。 それでも、最後方からレース後半で一気に先頭に立つそのレーススタイルは「シービー戦法」と呼ばれ、人気の一因となった。 -最弱の三冠馬? 古馬になってからの成績、ルドルフには一度も勝てなかったことから、一部からはミスターシービーのことを「最弱の三冠馬」とする声もある。 しかし、先述の三冠レースの際に見せたレーススタイルは、相当の力がないとできないものである。 また、一般的に「三冠馬のいる世代はレベルが低い」とされているが、シービーはその例外であり、クラシックで戦ってきた馬は[[ニホンピロウイナー>ニホンピロウイナー(競走馬)]]、カツラギエース、リードホーユー、スズカコバン……古馬GⅠを取った馬がこんなにもいるのだ((天皇賞(秋)でルドルフを破ったギャロップダイナも同期であるが当時条件馬でクラシックには出ていない。))。これらに打ち勝って三冠馬となったのだから、ミスターシービーが相当強い馬だったというのは疑いようのない事実だろう。 とにかく、一度YouTubeなどでレースを見てみるといい。最弱だなんて呼べなくなるはずである。 また、一部の新聞記者は「シービーの鞍上が岡部騎手だったらもっと成績が良くなっていた」というものもいたが、これに対し大川慶次郎氏は「ミスターシービーの三冠というのは、吉永さんが獲ったんじゃないか」、吉永と親しかった中島騎手は「その馬をもってして、前半を遊ばせて、だましだまし走らせて、後半一気に追って菊花賞を獲らせた。これはマーちゃんの腕があればこそだと思います。マーちゃんが乗ったから四冠も獲れた。僕ら他の騎手が乗ったら、こんな真似はできなかったはず」、カツラギエースを管理した土門一美調教師は「シービーはセオリーから外れてる馬だった。もしセオリー通りの競馬をしていたら、あれほどの成績は上がらなかったんじゃないか」と述べている。 ルドルフが王道ゆえの強さだったのに対し、シービーは非常識ゆえの強さだったのである。 -距離適性について 吉永は「2000mまでの馬」、大川は「本来マイラー」、中島は「あの馬の能力は本来スプリンター」と本来の距離適性はもう少し短いところにあったと、様々な関係者や評論家達は評している。 -競走馬としての人気 シービーについて語るなら、やはり語らなければならないのが、その「人気」である。 まず容姿だが、競馬評論家の井崎脩五郎は「一度遭ってしまったら人間でもゾクゾクするぐらい」、写真家の今井壽惠は「[[歌舞伎町]]の女形のよう」と評した。引退後には競走馬としては[[テンポイント>テンポイント(競走馬)]]以来となる写真集が刊行された。トウカイテイオー以前のグッドルッキングホースといえば、彼だったのである。 そしてレーススタイル。序盤は最後方につき、ファン達をハラハラドキドキさせつつ、直線での一気の末脚。三冠全てで見せた常識破りのレーススタイルに、魅せられたものも多い。 更に彼にまつわるエピソードも人気の秘訣。父母の交配にまつわる話。内国産馬同士の血統。母の2頭目が死産となり、以降繁殖能力を失った((このため、2021年現在、唯一の兄弟がいない三冠馬である。))ことも、日本人の琴線に触れるものだったのだろう。 [[馬なり1ハロン劇場]]の作者であるよしだみほは「まさにファンに愛されるために生まれてきた[[サラブレッド]]であり、1990年代の競馬ブームの下地を作った馬」としている。 -2012年菊花賞 項目冒頭のCMの放送年、2012年の菊花賞は[[ゴールドシップ>ゴールドシップ(競走馬)]]がミスターシービーを彷彿とさせる豪快な捲りを決めて勝利。これについて「ゴールドシップがCMを見て真似た」とか言われてたりする。&s(){まぁゴルシだし。} -芦毛好き ミスターシービーは芦毛を好み、芦毛の牝馬を相手にする時はイチモツがいつも以上にやる気を見せ、すぐ臨戦態勢に入れたというエピソードが残っている。 馬が好む毛色は芦毛が多いという俗説があるが、イチモツのやる気具合で芦毛好きということが判明した馬はおそらく彼だけではないだろうか。 -Mr.CB 2019年に連載開始した『Mr.CB』という漫画が存在するが、これはCB(センターバック)が主人公のサッカー漫画であり競馬とは関係ない。 もっとも、タイトルの由来はシービーと明言されており、主人公2人の名字が「千明」と「吉永」、といったネタも仕込まれている。 「ルドルフは叙事詩、シービーは叙情詩。」 そう言われるほど、ドラマに溢れ、人々に愛された三冠馬、ミスターシービー。その常識破りの走りは、これからも色褪せることはないだろう。 追記・修正よろしくお願いします。 #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,8) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - 子がいたらミスターエービーとかビービーとかになってたんだろうか -- 名無しさん (2021-12-11 21:17:02) - 上「シービー」って名前自体が牧場のブランド名なんでそれは無かったかと。一応スターシービーって仔はいたそうだが。 -- 名無しさん (2021-12-11 21:51:01) - 実は2代目ミスターシービーだったのね。初めて知った -- 名無しさん (2021-12-12 05:29:13) - Chigira Bokuto -- 名無しさん (2021-12-12 13:57:39) - ↑3 千明(Chigira)牧場(Bokujo)の頭文字から取ってるからそれはない。牧場はFarmだというツッコミは置いといて。 -- 名無しさん (2021-12-12 14:03:10) - 千明牧場生産じゃないのに馬名に「シービー」を持つ馬が持っといたことになるのかな…。オースミシャダイみたいな名前の付け方。 -- 名無しさん (2021-12-12 19:30:09) - 種牡馬として上手くいかなかった理由は色々あるんだろうけど、振り返ればトウショウボーイの血を父系で繋げる最大のチャンスだっただけに惜しかった。トウショウボーイ自体フィリーズサイアー気味だったから仕方ないのかもだけど -- 名無しさん (2021-12-12 21:52:26) - 怪我でもうボロボロの状態でも秋天勝ってるくらいのモンスターなので怪我がなければルドルフとの最強対最強が見れてたかもしれない… -- 名無しさん (2021-12-13 08:16:11) - 開幕タブー破りな波乱の馬生にレジェンド要素を感じる -- 名無しさん (2021-12-13 08:58:11) - オルフェーブルとコントレイルが出るまでは唯一の父内国産三冠馬。ヤマニングローバルもドラマチックだし、シャコーグレイドも語りがいのある馬。愛され血統よ。 -- 名無しさん (2021-12-13 17:23:22) - シービーはどこだ!? -- 名無しさん (2021-12-13 22:15:44) - ずっと由来がホンダのバイクだと思ってた -- 名無しさん (2021-12-15 23:25:09) - ライバルのカツラギエースもウマ娘化して欲しい -- 名無しさん (2022-03-05 01:29:46) - ↑(エースもウマ娘化が)きたぞ きたぞ! -- 名無しさん (2023-02-25 09:55:51) #comment(striction) #areaedit(end) }
&font(#6495ED){登録日}:2021/12/11 Sat 20:02:14 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 15 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- >&italic(){&bold(){83年、菊花賞。}} >&italic(){&bold(){その馬は、タブーを犯した。}} >&italic(){&bold(){最後方から、上りで一気に先頭に出る。}} >&italic(){&bold(){そうか…。}} >&italic() >&italic(){&bold(){&font(#ff0000){タブーは人が作るものにすぎない。}}} >&italic() >&italic(){&bold(){その馬の名は…}} > >#right(){――2012年 JRA CM The WINNER 菊花賞編より} &bold(){&ruby(Mr.C.B.){ミスターシービー}}とは、[[日本>日本国]]の[[競走馬>サラブレッド]]である。 なお、過去に同名の競走馬がおり、そちらは障害戦で4勝を上げている。 常識破りの走りで[[シンザン>シンザン(競走馬)]]以来となる史上3頭目のクラシック三冠を勝ち取った、恐らく最も愛されている[[三冠馬]]である。 メディアミックス作品『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』にも登場しているが、そちらでの扱いは当該項目参照。 →[[ミスターシービー(ウマ娘 プリティーダービー)]] 目次 #contents ※年齢表記はレース名を除き、現表記に合わせています *【データ】 誕生:1980年4月7日 死亡:2000年12月15日 享年:20歳 父:トウショウボーイ 母:シービークイン 母父:トピオ 調教師:松山康久 (美浦) 主戦騎手:吉永正人 [[馬主]]:千明牧場 生産者:千明牧場 産地:浦河町 セリ取引価格:- 獲得賞金:3億9,080万円 (中央) 通算成績:15戦8勝 [8-3-1-3] 主な勝鞍:83'皐月賞・&ruby(日本ダービー){東京優駿}・菊花賞、84'天皇賞(秋) *【誕生】 **血統~禁断の恋?~ 父トウショウボーイ、母シービークイン、母父トピオという血統。 父トウショウボーイは皐月賞や有馬記念等を制し、「天馬」の名を冠した70年代後半の名馬。シービークインも重賞3勝を達成した名牝と、良血同士の配合である。 だがこの配合、本来は&bold(){実現するはずがなかった配合}なのである。 父トウショウボーイと母シービークインは同じ日に行われた新馬戦で初対面。 レース自体はトウショウボーイが快速を見せつけ1着、シービークインは5着だった((ちなみに、この新馬戦には後にトウショウボーイと共に三強「TTG」を形成するグリーングラスも出走しており、4着に入っている。))が、馬主はこのトウショウボーイの走りを見て、何としても2頭を配合させたいと思ったらしい。 シービークインは引退後、浦河の&ruby(ちぎら){千明}牧場で繁殖牝馬となった。 しかし種牡馬入りしたトウショウボーイは日高軽種馬農協所有となったため、組合員の牧場の馬しか種付けできなかった。そのため、シービークインには種付けの権利がなかったのだ。 が、当時は内国産種牡馬が冷遇されていた時期、トウショウボーイに良血の牝馬は集まらない状態だった。 そこへ重賞3勝の実績馬シービークインが種付けしてほしいと言ってきた。このチャンスを逃すわけにはいかない、とトウショウボーイ側は思ったらしく、なんと&bold(){組合に黙って勝手に種付け}してしまう。 当然担当者はこっぴどく怒られたらしいが、シービークインは無事に受胎。 1980年4月7日、やや小柄で母親に似た美しい馬体、父親に似た美しいフォーム、両親から類稀なスピードを受け継いだ仔馬…後のミスターシービーが誕生した。&s(){生まれの時点で既に常識破りである。} その馬体は関係者に希望を持たせ、牧場の持ち馬として競走馬デビューした際「千明(&bold(){C}higira)牧場(&bold(){B}okujou)の代表」という意味を込め、戦前千明牧場から巣立った馬(1934年生まれ)と同じ「ミスターシービー(&bold(){CB})」と名付けられた。 *【戦歴】 **2歳 ~追い込み馬としての素質~ ミスターシービーは1982年11月16日の東京での新馬戦でデビュー。母の主戦騎手だった吉永正人を鞍上に先行策を取り2着に5馬身差をつける快勝。 なおこの吉永騎手は引退まで一貫してミスターシービーに騎乗することになる。 だがミスターシービーには一つ大きな問題があった。 問題というのは、気性である。 2戦目の黒松賞では大きく出遅れてしまう。このレース自体は引っ掛かりまくってしまったもののクビ差で辛勝。 3戦目のひいらぎ賞では発馬機内で激しく暴れ、結果黒松賞よりも大きく出遅れてしまう。 ところが、このレースでミスターシービーはその鮮烈な脚を見せつけることになる。 前走で先行集団を無理して追いかけてしまったために体力を大きく消費したことを受け、吉永はそのまま後方待機策を取った。そして最後の直線、猛然と追い込みをかける。しかしウメノシンオーをクビ差捉えられず2着。 元々ミスターシービーは両親同様、スピードに長けた逃げ馬になるのではと関係者から期待されていた。しかし、あの致命的すぎる出遅れから2着に喰い込んだその脚を見て、騎手である吉永はシービーに追い込み馬としての素質を見出した。 **3歳春、皐月賞 ~泥塗れの追込~ 3歳となった83年は2月13日の共同通信杯4歳ステークスから始動。 前走で敗れたウメノシンオーとの競り合いをアタマ差制して勝利、重賞初制覇となった。 続く弥生賞では内ラチ沿いから馬群を縫うように、上がり3ハロン35秒8の末脚で上がり快勝。 #blockquote(){&sizex(6){&bold(){&color(#800000){ターフの偉大なる演出家よ。}}} &sizex(5){その、偉大なる競馬叙事詩は、} &sizex(5){春の中山で始まった。} } そして迎えた4月17日、クラシック初戦皐月賞では一番人気に推される。降雨の影響で不良馬場で行われたこのレースでは道中は後方でレースを進めた。 一般的に追い込み馬には不利とされる不良馬場だが、向こう正面から上がっていくと最後の直線で先頭に立つ。その後は追い込んできたメジロモンスニーを半馬身差抑えて勝利。鞍上の吉永にとっては初のクラシック制覇であり、調教師である松山にとっては開業開業9年目での八大競走初制覇となった。 #blockquote(){&color(#F54738){&bold(){第一幕}} 雨、降りしきる春の中山、皐月賞。 不良馬場をものともせず、おまえは泥を蹴散らし、 馬郡を割って先頭におどり出た。 比類なき強さの片鱗。 激しく、壮烈なるプロローグである。 } **&ruby(日本ダービー){東京優駿} ~ジンクスブレイク~ 続く2冠目の&ruby(日本ダービー){東京優駿}では、パドックにてトレードマークのハミ吊りが切れてしまうアクシデントがあったが、単勝1.9倍の圧倒的1番人気に支持された。 …さて、当時の日本ダービーにはとあるジンクスがあった。 それは「10番手以内で第1コーナーを回らなければ勝てない」というもの。ダービーポジションというそれは当時のダービーが20頭をも超えるほどの頭数で行われていたが故のものである。 そして行われたレースで、シービーは出遅れてしまい、最後方からの競馬となった。無論、場内は大きくざわめいたが、「そんなの関係ねぇ」と言わんばかりに4コーナーで大外に出ると、直線では粘るビンゴカンタを一気に交わし、追い込んでくるメジロモンスニーも抑え込んでそのままゴール。 #center(){&sizex(6){&font(red,b,i){父を完全に超えました!}}} #right(){&bold(){盛山毅(フジテレビ)}} #blockquote(){&color(#F54738){&bold(){第二幕}} 緑、鮮やかなる初夏の府中、日本ダービー。 気の昂ぶりか、はたまた余裕か、 出遅れたおまえは、終始後方でレースを進める。 だが、4コーナーをまわり、おまえの末脚は爆発する。 直線一気、ターフを切り裂くものすごい追い込み。 並みはずれた強さの証明であった。 } かつて父であるトウショウボーイが敗れたダービーを取り、2冠馬となったミスターシービー。 しかし、大外に回る際に外に斜行してきたタケノヒエンを回避しようとした結果、キクノ[[フラッシュ]]と衝突、更に後方から進出してきたニシノスキーの進路を横切る形となったことについて審議となってしまう。 幸いにも優勝に変更はなかったものの、競馬評論家の中には「ミスターシービーを失格にすべきだ」と批判する者もいたりした。 一方でメジロモンスニー鞍上の清水騎手は「シービーの強さに脱帽ですよ」とコメント。 ここまで来たら三冠確実…[[というわけ]]にもいかないのが競馬の現実。 実際1964年のシンザンからタニノムーティエ、ヒカルイマイ、[[カブラヤオー>カブラヤオー(競走馬)]]、カツトップエースと、皐月とダービーを取った馬が4頭いたものの、いずれも菊花賞前にトラブルを起こし回避または惨敗。 シービーも夏に蹄を痛め、夏風邪を引いてしまう。無理を押して出走した京都新聞杯ではカツラギエースから7馬身以上離されての4着という結果に。しかし+12kgという太め残りでこれなのだから菊花賞は問題ない。そう判断した松山は三冠へ向け、厳しい調教を課していった。 **菊花賞 ~19年ぶりの偉業~ 菊花賞では前走の敗退、スタミナの問題、本競争で敗れた父の影響などで人気こそ落としたが、それでも一番人気に推される。 レースが始まるとミスターシービーは最後尾を追走し2コーナーもシンガリで通過。不安に駆られるファン達だったが、向こう正面でそんな不安も吹き飛んでしまうほどの衝撃的な出来事が起きる。 京都の3コーナーの坂はゆっくり上り、ゆっくり下るのが常識。 仕掛けのタイミングをうかがっていた吉永騎手は、前を走るアテイスポートの鞍上であり、前年度の優勝馬であるホリスキーの鞍上であった菅原騎手からのアドバイスを受け、常識に則りながら仕掛けようと、ほんの少し、シービーの手綱を緩めた…。 #center(){&sizex(5){&font(red,b,i){だが奴は…弾けた。}}} ゴーサインが出たと思ったシービーは、とんでもない猛スパートを始めてしまう。慌てて手綱を絞る吉永騎手だったが、シービーは止まらない。そのまま坂の上りで先頭に並びかけ、下りには早くも先頭に立つ。 このあまりにも非常識なレース運びに、観客席からは怒号と悲鳴が上がり、松山調教師は思わず「何をするんだ!」と立ち上がってしまったという。 もうダメだ…負けるに決まってる…絶望する馬主とファン達。 しかしシービーの脚は直線に差し掛かっても衰えない。それどころか更に伸びる。 #center(){&sizex(6){&font(red,b,i){大地が!大地が弾んでミスターシービーだ!}}} そのまま大きなリードを保ちながら最後の直線を逃げ切り、勝利。 #center(){&sizex(6){&font(red,b,i){史上に残る三冠の脚!史上に残るこれが三冠の脚だ!}}} #right(){&bold(){杉本清}} シービーは見事、シンザン以来19年ぶりとなる、史上三頭目の三冠馬となった。 父内国産馬の三冠は史上初。更にデビュー戦から三冠達成まで、全て一番人気であり、これも史上初の記録となった。 先代の三冠馬であるシンザンが19年前の馬であったため、シンザンのレースを見たことがないという人も多かった。そのため、シービーはファン達にとって、初めて目の前に現れた三冠馬だったのだ。 「この瞬間に立ち会え、お伝えできた事は本当に幸せです」という実況からも、当時の感動がありありと伝わってくる。 #blockquote(){&color(#F54738){&bold(){第三幕}} やわらかい日射しに映える秋の淀、菊花賞。 夏を越し、おまえの馬体にはさらなる力がみなぎった。 レースが三コーナーにかかったとき、 この劇はクライマックスをむかえる。 おまえは、坂の手前で先頭に立つというタブーを犯してしまったのだ。 あわや、と思った。 しかし、それも杞憂。他を力でねじ伏せてしまった。 まるで、脇役のいない演出主役の一人舞台。 &color(#F54738){&bold(){第四幕}} 競馬史上三頭目の三冠馬、ミスターシービー。 おまえが、ターフにその雄姿を見せるかぎり この英雄叙事詩は、さらにつづく。 #right(){[[ヒーロー列伝>ヒーロー列伝(競馬)]]No.14 ミスターシービー} } **4歳、天皇賞・秋 ~ミスターシービー、ここにあり~ …さて、一躍スターホースとなったミスターシービーだったが直後のジャパンカップ、有馬記念をともに回避。 これに対し、ジャパンカップ前の記者会見で外国の記者が「今年はミスターシービーという三冠馬が出たと聞いているが、出走していないのはなぜか。日本で一番強い馬が出ていないのはどういうことか」と問い質し、「正直なところ、失望した」と述べた競馬評論家もいた。 ちなみにこの年の有馬記念は、シービーの同期であるリードホーユーとテュデナムキングがワンツーフィニッシュ。シービーの世代の評価が高まった。 1984年はアメリカジョッキークラブカップ出走を予定していたが、降雪によりダートでの施行となる可能性から回避、中山記念は蹄の状態の悪化から回避。春シーズンを全休することに。 10月初旬に毎日王冠にて復帰。ほぼ1年ぶりの長期休養明けもあってか、初めて一番人気をサンオーイに譲ることに。しかしシービーは最後の直線、最後方から当時としては破格の上がり3ハロン&font(red,b){33.7秒}(推定)の末脚で一気に上がったものの、シービーが休んでた春の間に本格化したカツラギエースを捉えられず、2着に敗れる。&s(){またお前か。} なお、この競争の前日から「大型映像ディスプレイ」((後にターフビジョンという名称に決定する。))が設置されており、後方を進むシービーがスクリーンに映った瞬間、スタンドから大歓声が上がったそうな。 次走はこの年から3200mから2000mへ変更された天皇賞・秋。 レースでは&s(){いつものように}最後方から追走し、一時先頭から&font(red,b){約20馬身}の位置に置かれる形となる。 第3コーナーからスパートを掛けるも、ペースの問題か中々前に行けない。シービーは最後方のまま最後の直線へ。しかし、大外から前走敗れたカツラギエースを抜き去り、追い込んでくるテュデナムキングを抑え、コースレコードである1分59秒3を記録し勝利。この勝利により、シンザン以降続いていた天皇賞(秋)の1番人気連敗記録を19で止めた。 ちなみに、これ以降クラシック三冠馬(([[三冠牝馬]]ではアーモンドアイが2019年に勝利している。))による天皇賞・秋勝利は2021年12月現在もない((シンボリルドルフ、ナリタブライアン、コントレイルはいずれも敗北。ディープインパクト、[[オルフェーヴル>オルフェーヴル(競走馬)]]は[[凱旋門賞]]出走のため、そもそも出走していない。))。 **ジャパンカップ、有馬記念 ~皇帝との対戦~ 次走はジャパンカップ。ここには、シービーの天皇賞・秋の翌週に無敗での三冠を達成した[[シンボリルドルフ>シンボリルドルフ(競走馬)]]も参戦を表明。 果たして勝つのはルドルフか、シービーか、それとも外国馬か…と 言われてたが勝ったのは10番人気&bold(){[[カツラギエース>カツラギエース(競走馬)]]}。&s(){二度あることは三度ある。} 体調不良もあり4番人気となったルドルフは3着、1番人気となったシービーは10着と惨敗。闘争心を見せなかったシービーだったが、吉永騎手は「シービーは、バテて下がってくる先行馬を見たら行く気を出したのだが、さすがにジャパンカップではバテる馬がいなかった」「先行策を採るべきだった」と、自身の騎乗ミスを口にしている。 続く有馬記念ではファン投票こそ第1位に支持されるも、単勝1番人気はルドルフに譲ることに。 レース自体もインコースに突っ込んでしまったことが災いし、危なげなく抜け出したルドルフとルドルフにこそ差されたが先行のまま耐え抜いた&s(){またもや}カツラギエースの3着に敗れてしまう。 **5歳、天皇賞・春 ~引退まで~ 1985年は3月31日の大阪杯から始動。1番人気となったものの、斤量差ゆえかステートジャガーにハナ差競り負けてしまう。 続く天皇賞・春ではシンボリルドルフと3度目の対決。 最終コーナーこそ先頭で回ったものの、直線でルドルフにかわされ、同馬から10馬身以上離された5着に終わった。 その後、故障を発生し、引退。 通算15戦8勝。GⅠ4勝だが、ルドルフには一度も先着できなかった。&s(){まぁルドルフに国内で先着した馬はすべてシービーの同期だったわけだが。} 雨の中行われた引退式ではシービーを労う数々の横断幕が張られた。 翌年の1986年には父トウショウボーイと同じく[[顕彰馬]]に選出。史上初の父子顕彰馬となった。 *【引退後】 引退後は内国産種牡馬として初めて社台スタリオンステーションに繋養された。「ミスターシービーは素晴らしい種牡馬になるだろう」と期待をかけられ、初年度産駒から3頭の重賞勝利馬を輩出。2年目にもシャコーグレイドが活躍するとシービーの種牡馬としての人気は改めて高まる。 しかし、これが不幸の始まりだった…。 産駒の活躍とバブル景気もあり、シービーの種付け価格は&font(red,b){2000万円}と当時史上最高額が付けられる。しかしその後は先細り、トニービン、ブライアンズタイム、サンデーサイレンスの台頭もあって、[[トウカイテイオー>トウカイテイオー(競走馬)]]と入れ替わる形でレックススタッドへ移動。 1999年には種牡馬も引退。結局GⅠ馬は出ず、GⅡ馬のヤマニングローバルが一応種牡馬入りしたものの種付け依頼がろくに来ず産駒わずか12頭だったため、トウショウボーイの父系を繋ぐことはできなかった。 一応母父としてジャパンカップダートやフェブラリーステークス等を勝利したウイングアローを輩出した。 種牡馬としては失敗という評価がなされているが、種牡馬ランキングの最高位は12位。これを受け、本来はもっと評価されるべきだったが、初年度産駒の活躍により招いた種付け価格の高騰が普通に走っていても「価格に比べて走ってないじゃないか」と思われてしまい、結果種牡馬として失敗してしまった要因となったと、関係者が述べている。 種牡馬引退後は千明牧場で功労馬に。放牧地は同じく功労馬としてて繋養されていた母シービークインの隣であり、通常は乳離れ以降は巡り合う事の無い母仔が再会するという珍しい状況になっていた。&s(){といってもミスターシービーはシービークインのことを母馬と認識していなかったそうだが。} 2000年12月15日、父トウショウボーイと同じく蹄葉炎により、母に先立つ形でこの世を去った。 墓は他の名馬と異なりとても簡素なもので牧場の端側にあるが後に亡くなった母の墓が隣に並んでおり共に静かに眠っている。 *【創作作品での登場】 ・&bold(){『[[馬なり1ハロン劇場]]』} [[三冠馬]]会の一頭としてたびたび登場。 シンボリルドルフが対等の[[ライバル]]と認めている数少ない相手でもある。 ・&bold(){『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』} アニメにデザインのみが登場。コミック『シンデレラグレイ』にも登場していたが、アプリ版配信直前についにキャラクター紹介とCVが公開された。 どのメディアでも何故か台詞が異常に少なくいまいち影が薄かったが、エイシンフラッシュのストーリーにてアプリ内に初登場。 続いて追加されたロード画面の一コマ漫画では&bold(){雨の中傘を差さずに散歩をしてずぶ濡れになる}という一目でわかるフリーダムっぷりを見せつけており((雨の中あえてずぶぬれになる、という内容から史実における引退式がモデルではないかとされる。雨の中、後ろの客にも見えるようにするためにスタンドのみんなが傘を畳んだという逸話がある。))、そのキャラクターが育成シナリオ内でいかに示されるかを期待し本格的な登場を待ち望む声は多かった。 そしてSSRのサポートカードの実装などを経て迎えた2023年2月24日…ちょうどアプリリリース2周年の日に育成実装されることが決定した。 *【余談】 -レーススタイルについて ミスターシービーといえば「追い込み」で有名ではあるが、三冠レースではすべて「まくり」で勝利している。 これは最初の方にちらっと触れた、シービーの気性が関係している。 気性に不安があったため騎手が抑えていたがゆえに自ずと後方待機になっただけであり、騎手がゴーサインを出せば、勝手に行ってしまう馬だった。 ただ、4歳秋の毎日王冠、天皇賞・秋はそういった走りはできておらず、最終的にその走りをしても勝つことはできなかった。 4歳秋の時点で、シービーの全盛期は過ぎ去っていたのだろう。 それでも、最後方からレース後半で一気に先頭に立つそのレーススタイルは「シービー戦法」と呼ばれ、人気の一因となった。 -最弱の三冠馬? 古馬になってからの成績、ルドルフには一度も勝てなかったことから、一部からはミスターシービーのことを「最弱の三冠馬」とする声もある。 しかし、先述の三冠レースの際に見せたレーススタイルは、相当の力がないとできないものである。 また、一般的に「三冠馬のいる世代はレベルが低い」とされているが、シービーはその例外であり、クラシックで戦ってきた馬は[[ニホンピロウイナー>ニホンピロウイナー(競走馬)]]、カツラギエース、リードホーユー、スズカコバン……古馬GⅠを取った馬がこんなにもいるのだ((天皇賞(秋)でルドルフを破ったギャロップダイナも同期であるが当時条件馬でクラシックには出ていない。))。これらに打ち勝って三冠馬となったのだから、ミスターシービーが相当強い馬だったというのは疑いようのない事実だろう。 とにかく、一度YouTubeなどでレースを見てみるといい。最弱だなんて呼べなくなるはずである。 また、一部の新聞記者は「シービーの鞍上が岡部騎手だったらもっと成績が良くなっていた」というものもいたが、これに対し大川慶次郎氏は「ミスターシービーの三冠というのは、吉永さんが獲ったんじゃないか」、吉永と親しかった中島騎手は「その馬をもってして、前半を遊ばせて、だましだまし走らせて、後半一気に追って菊花賞を獲らせた。これはマーちゃんの腕があればこそだと思います。マーちゃんが乗ったから四冠も獲れた。僕ら他の騎手が乗ったら、こんな真似はできなかったはず」、カツラギエースを管理した土門一美調教師は「シービーはセオリーから外れてる馬だった。もしセオリー通りの競馬をしていたら、あれほどの成績は上がらなかったんじゃないか」と述べている。 ルドルフが王道ゆえの強さだったのに対し、シービーは非常識ゆえの強さだったのである。 -距離適性について 吉永は「2000mまでの馬」、大川は「本来マイラー」、中島は「あの馬の能力は本来スプリンター」と本来の距離適性はもう少し短いところにあったと、様々な関係者や評論家達は評している。 -競走馬としての人気 シービーについて語るなら、やはり語らなければならないのが、その「人気」である。 まず容姿だが、競馬評論家の井崎脩五郎は「一度遭ってしまったら人間でもゾクゾクするぐらい」、写真家の今井壽惠は「[[歌舞伎町]]の女形のよう」と評した。引退後には競走馬としては[[テンポイント>テンポイント(競走馬)]]以来となる写真集が刊行された。トウカイテイオー以前のグッドルッキングホースといえば、彼だったのである。 そしてレーススタイル。序盤は最後方につき、ファン達をハラハラドキドキさせつつ、直線での一気の末脚。三冠全てで見せた常識破りのレーススタイルに、魅せられたものも多い。 更に彼にまつわるエピソードも人気の秘訣。父母の交配にまつわる話。内国産馬同士の血統。母の2頭目が死産となり、以降繁殖能力を失った((このため、2021年現在、唯一の兄弟がいない三冠馬である。))ことも、日本人の琴線に触れるものだったのだろう。 [[馬なり1ハロン劇場]]の作者であるよしだみほは「まさにファンに愛されるために生まれてきた[[サラブレッド]]であり、1990年代の競馬ブームの下地を作った馬」としている。 -2012年菊花賞 項目冒頭のCMの放送年、2012年の菊花賞は[[ゴールドシップ>ゴールドシップ(競走馬)]]がミスターシービーを彷彿とさせる豪快な捲りを決めて勝利。これについて「ゴールドシップがCMを見て真似た」とか言われてたりする。&s(){まぁゴルシだし。} -芦毛好き ミスターシービーは芦毛を好み、芦毛の牝馬を相手にする時はイチモツがいつも以上にやる気を見せ、すぐ臨戦態勢に入れたというエピソードが残っている。 馬が好む毛色は芦毛が多いという俗説があるが、イチモツのやる気具合で芦毛好きということが判明した馬はおそらく彼だけではないだろうか。 -Mr.CB 2019年に連載開始した『Mr.CB』という漫画が存在するが、これはCB(センターバック)が主人公のサッカー漫画であり競馬とは関係ない。 もっとも、タイトルの由来はシービーと明言されており、主人公2人の名字が「千明」と「吉永」、といったネタも仕込まれている。 「ルドルフは叙事詩、シービーは叙情詩。」 そう言われるほど、ドラマに溢れ、人々に愛された三冠馬、ミスターシービー。その常識破りの走りは、これからも色褪せることはないだろう。 追記・修正よろしくお願いします。 #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,8) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - 子がいたらミスターエービーとかビービーとかになってたんだろうか -- 名無しさん (2021-12-11 21:17:02) - 上「シービー」って名前自体が牧場のブランド名なんでそれは無かったかと。一応スターシービーって仔はいたそうだが。 -- 名無しさん (2021-12-11 21:51:01) - 実は2代目ミスターシービーだったのね。初めて知った -- 名無しさん (2021-12-12 05:29:13) - Chigira Bokuto -- 名無しさん (2021-12-12 13:57:39) - ↑3 千明(Chigira)牧場(Bokujo)の頭文字から取ってるからそれはない。牧場はFarmだというツッコミは置いといて。 -- 名無しさん (2021-12-12 14:03:10) - 千明牧場生産じゃないのに馬名に「シービー」を持つ馬が持っといたことになるのかな…。オースミシャダイみたいな名前の付け方。 -- 名無しさん (2021-12-12 19:30:09) - 種牡馬として上手くいかなかった理由は色々あるんだろうけど、振り返ればトウショウボーイの血を父系で繋げる最大のチャンスだっただけに惜しかった。トウショウボーイ自体フィリーズサイアー気味だったから仕方ないのかもだけど -- 名無しさん (2021-12-12 21:52:26) - 怪我でもうボロボロの状態でも秋天勝ってるくらいのモンスターなので怪我がなければルドルフとの最強対最強が見れてたかもしれない… -- 名無しさん (2021-12-13 08:16:11) - 開幕タブー破りな波乱の馬生にレジェンド要素を感じる -- 名無しさん (2021-12-13 08:58:11) - オルフェーブルとコントレイルが出るまでは唯一の父内国産三冠馬。ヤマニングローバルもドラマチックだし、シャコーグレイドも語りがいのある馬。愛され血統よ。 -- 名無しさん (2021-12-13 17:23:22) - シービーはどこだ!? -- 名無しさん (2021-12-13 22:15:44) - ずっと由来がホンダのバイクだと思ってた -- 名無しさん (2021-12-15 23:25:09) - ライバルのカツラギエースもウマ娘化して欲しい -- 名無しさん (2022-03-05 01:29:46) - ↑(エースもウマ娘化が)きたぞ きたぞ! -- 名無しさん (2023-02-25 09:55:51) #comment(striction) #areaedit(end) }

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