大元帥明王

登録日:2025/10/27 Mon 11:53:20
更新日:2025/10/27 Mon 14:40:08NEW!
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■大元帥明王

大元帥明王(だいげんすいみょうおう)(梵:Āṭavaka)」は大乗仏教(密教)の尊格の一つ。
真言宗では、伝統的に“たいげん(すい)みょうおう”と呼ばれており、此れに合わせてなのか()元帥明王という表記も存在している。
また、漢訳仏典では元の名前を音写した阿吒嚩迦(あたばか)阿吒薄俱(あたばく)という表記が見られる。

尚、軍隊に於ける大将(最上位の将校)をも越える最上位の地位を元帥と呼び現すのは、即ちこの尊格に由来する呼び名である、とする説も存在している。

また、夜叉王クベーラの仏教に於ける姿と名前である毘沙門天"の眷属である八大夜叉大将の一つに数えられる無比力夜叉が、この大元帥明王と同体とされる。


【概要】

梵名のアタヴァカ(ク)とは、古代インド地方の非アーリア系の土着民族に信仰されていた地方神の名前であったと考えられている。
アタヴァカは森林(曠野聚落(こうやしゅうらく)=広野集落)に棲む荒ぶる鬼(夜叉)の類であったといい、ここから大元帥明王を曠野鬼(こうやき)(神)とも呼ぶ。

アタヴァカの棲む曠野聚落とは、かの祇園精舎のあった地であったという。
祇園精舎があったということは、アタヴァカは古代インドのコーサラ国の首都シュラーヴァスティー(舎衛城)の辺り(現在のウッタル・プラデーシュ州シュラーヴァスティー県のサヘート・マヘート遺跡)に根付いていた土地の神々(鬼神(荒ぶる神々)や龍、精霊達)の一つであったということになる。
そして、彼等が揃って当地へとやって来た釈尊の説法に聞き入る中で、余りの感動から音頭を取って集まっていた神々の仏教への教化を決めたのがアタヴァカであったという。
この出来事があったが故に、アタヴァカは仏道に帰依した鬼神達の王と見なされるようになり、ここから鬼神達の王=大元帥(明王)の名で呼ばれるようになったとされる。

また、アタヴァカの誕生に纏わる説話なのか、恨みを抱いた将軍が死後に夜叉となって転生して都城内の人々を殺戮せしめるとの請願を立てて憤死し、実際に多くの人間が命を落とすようになったことがあったという。
人々は恐れて、自らが生き残るために人身御供を捧げ、ある若い夫婦は生まれたばかりに至っては赤子を曠野に置き去りにしたが、これを察知した釈尊は夜叉となった将軍の霊を諌めて赤子を救ったという話も伝えられている。

アタヴァカは「太元御修法(たいげんのみしほ)」に記されたように、非常に強大な功徳を持つことから、祀る基準のそもそもが国土守護・国家鎮護のレベルから……という桁違いの霊験を持つ。
仏尊のカテゴリーとしては明王部に属するが、何方かと言えば大日如来の教令輪身として密教という思想そのものの主体となる不動尊を筆頭とする五大明王のようは存在とは違う、原始仏教の段階から外部から取り込まれた天部諸尊に近い性格の……しかし、他教ではなく仏教での信仰しか現代に伝わっていない類の古い起源を持つ鬼神であったということになる。

その呪力から、明王部の中でも、それこそ中尊である不動尊や、諸仏の中でも真言の功徳が特に高い孔雀明王とも並ぶ程の霊験のある尊格だとされている。

密教では、特に明王部の尊格は上記の不動尊の例に倣ってか如来や菩薩が衆生の教化の為に姿を変えた存在であると解釈されることがあるが、大元帥明王は其の強大な功徳から大日如来を筆頭として、様々な諸仏が強大な請願を成就せしめるために姿を変えたのだ、と説明されることもある。

【像容】

数ある明王部の尊格の中でも最も畏ろしい姿をしているとされ、面相には大忿怒相を浮かべているのが基本とされるが、聖天山正圓寺の木製立像では如来のような柔和な表情を浮かべている。
姿の説明としては一面六臂・四面八臂・六面八臂が伝えられ、各々の腕に様々な種類の武器を携えた姿で描かれている。
また、明王部の尊格の多くは菩薩部のような煌びやかな装飾を身に着けているのだが、大元帥明王は装飾の他にも毒蛇を巻きつけたり首から髑髏を下げていることが多く、元々は鬼神(夜叉)の類であるということが強く感じられるようになっている。

【真言】


  • オン・アータヴァカ・ソワカ(小咒)

  • ノウボウ・タリツ・タボリツ・ハラボリツ・シャキンメイ・シャキンメイ・タラサンダン・オエンビ・ソワカ(中咒)

【種字】





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最終更新:2025年10月27日 14:40