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覆面の下宿人(小説) - (2025/06/14 (土) 22:14:32) の1つ前との変更点
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&font(#6495ED){登録日}:2025/05/16 Fri 07:09:48
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#center(){&bold(){&sizex(5){&I(){oh, how I cursed him! }}}}
#center(){&font(#000080){&sizex(5){どんなにあいつを呪ったことでしょうか。}}}
#center(){&bold(){&sizex(5){&I(){not because he had torn away my beauty,}}}}
#center(){&font(#000080){&sizex(5){あいつが私の美しい顔を引き裂いたことではなく、}}}
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#right(){アーサー・コナン・ドイル著『The Adventure of the Veiled Lodger"』より。}
*概要
『覆面の下宿人"The Adventure of the Veiled Lodger"』 はアーサー・C・ドイルが執筆した探偵小説『シャーロック・ホームズ・シリーズ』の中の一篇である。
1927年にイギリスの雑誌ストランド・マガジンやアメリカのリバティ誌で発表された。
ホームズシリーズとしては最後期の作品であり、いわゆる『正典シリーズ』の短編56作品の中で55番目に発表された。
作品集としても最終巻の『シャーロック・ホームズの事件簿』に収録されている。
物語の特徴としては名探偵ホームズが事件の解決に何の寄与もしていないというか''事件に挑戦すらしていない''という珍しいパターンである。
[[事件に挑んだが失敗した>黄色い顔(小説)]]、[[強敵に敗れた>ボヘミアの醜聞(小説)]]というのですらない。
依頼としてホームズの元に持ち込まれなかったため、ホームズも積極的に調査しなかったというのもあるのだが
ワトスンはなぜそんな事件を記録した上にこうして発表しようとしたのかというと…?((ワトスンが保管しているホームズの事件の記録の中には、「失敗した」などの読者が満足できないであろう結末に終わったものもたくさんあるそうだが、ホームズの名誉のために隠しているのではなく読者の興味を引けないものを発表してもしょうがないから伏せているとのこと。))
*はじめに
まずワトスンはこれまでホームズと共に冒険してきた17年間のうちに膨大な数の事件の記録を得ているが
それらはそこに書かれている人間の''名誉や尊厳を傷つける状態ならば、世間に発表しない''というルールを
ホームズが自身の判断力と思慮深さを使って守っているため、読者は心配する必要はないと訴えている。&s(){[[ターナー「おい」>ボスコム渓谷の惨劇(小説)]]}
それでも不当な手段で事件の記録を奪おうとする者には逆に''全面的に告知する''ことをホームズから内諾を得たとして釘を刺すのだった。
しかしその事件の中でもホームズの関与が少なかった事件の中に&color(red){恐るべき悲劇}があるようで
そんな一つの事件を人名などはフェイクを入れつつ''事件そのものは忠実に記述して''発表するのだった。
&font(#808080){ワトスンそれ本当に発表して大丈夫なやつなのか?}
*登場人物
・ジョン・H・ワトスン
ご存じ名探偵の相棒で物語の記録者にして発表者。
前述したとおり、今回はこの事件を記録して発表する役割に徹しており、事件の解決そのものにはほぼ関与しない。
ホームズが力を発揮するための補助役に徹しているという意味では他の事件と同様なのだが…?
・シャーロック・ホームズ
ご存じ世界的な名探偵。
ただし今回は彼も事件の真相についての''聞き役''である。まさしく聞き役。
・メリロウ夫人
今回の依頼人の一人。サウス・ブリクストンで下宿屋を営んでいる年配の女性。
後述のユージニアに部屋を貸しており、ユージニアを心配するあまりホームズに相談することを思いつく。
金持ちで優良な借主のユージニアがいなくなることを恐れているが、もちろんユージニア自体を心配する気持ちもある模様。
・ユージニア・ロンダー
今回の真の依頼人。
ある理由により常に口から上を隠すようなヴェールをかぶっている。
金を持っている独身の女性で、誰にも会うことなく静かに暮らしたいという理由でメリロウ夫人の下宿を借りている。
しかし最近になって何か問題がおきたらしい。
*序盤のあらすじ
この物語の時系列は1896年なのだが、
その7年前にメリロウ夫人の前にユージニア・ロンダーが現れて下宿を借りようとしていた。
三か月分の家賃をポンと前払いするユージニアを断る理由もなく契約は成立するのだが
ユージニアは唇から上を''黒い覆面''(ヴェール)で常に覆い隠していた。
一度だけメリロウが偶然ユージニアの素顔を見たのだが
&font(b,#ff0000){見ない方がよかった、あれは顔と呼べるようなものではない}とのこと。
同じくたまたま見た牛乳屋はミルク缶をぶちまけて庭を牛乳まみれにしたほどである。
彼女はこの顔のために常に覆面を脱ぐことはなく、人の好奇の目から逃れる生活を望んでいたためにメリロウの家を借りようとしたのだった。。
メリロウ夫人は家族がおらず((ハドスン夫人(Mrs.Hudson)もそうだが、この場合のMrsは「女将さん」の敬称でもあるため結婚しているかどうかは名前だけではわからない。))他の使用人もいない。下宿として貸し出す部屋も一人分しかない。
その下宿も一般人が往来する通りから少し離れているため、ユージニアは下宿にこもって暮らす限りメリロウ以外の人間と接触せずに済むのである。
メリロウ夫人はその事情を了解し、(同じ女性として顔のことで他人に煩わされたくないという気持ちを理解したと思われる)
また家賃をしっかり払ってくれる上に他の生活態度も良好なユージニアが出て行ったら困るのである。
&font(#808080){悪臭を放つ化学実験をしたり深夜にバイオリンひいたり拳銃で壁に女王陛下のイニシャルとか作らないだろうし}
しかし最近になってユージニアがみるみるうちにやせ衰えていった上に、つつましい態度だった彼女が夜中に絶叫するようになったというのだ。
&sizex(6){&font(i,#ff0000){人殺し!残忍なケダモノめ!怪物野郎め!}}と。
心配になったメリロウ夫人はユージニアに対して「&font(i){牧師や警察に相談すれば気が晴れるのでは?}」と話すが
ユージニアは「&font(i){彼らでは私の悩みを解決できない。しかし&color(red){死ぬ前に}誰かに真実を話しておけば心が安らかになるかもしれない}」と返す。
そこでメリロウがシャーロック・ホームズの名前を出すとユージニアは急に乗り気になった。
「&font(i){すぐにホームズさんを呼んでください。私は''猛獣使いロンダーの妻''のユージニアだと伝えてください。それと''これ''も見せてください}」
「&font(i){もしホームズさんが私の思うような方ならば、これで来ていただけるはずですわ}」
ユージニアがメリロウに持たせたメモ用紙には「&font(b){アッバス・パルヴァ}」と書かれていた。
これらを聞いたホームズは顔色を変えて、ユージニアに会うことを決断したのだった。
*アッバス・パルヴァの悲劇
すぐにホームズは過去の事件の備忘録をひっくり返し、「アッバス・パルヴァの悲劇」の記録を探り出した。
これは検察側・被告側のどちらもがホームズに依頼しようとは考えもしないままに裁判が結審した事件であり
担当していたエドマンズ刑事がホームズに事件のことをいくつか話したからこそ知ったのだが、
ホームズも「検察の結論が間違っている」と直感で思ったものの&font(b){回答が導き出せないまま流れてしまった事件}である。
7年以上前、サーカスの興行師ロンダーは妻のユージニアや他の団員たちと共にサーカス興行の旅をしていた。
バークシャー州の小さな村アッバス・パルヴァ((バークシャー州…というかイギリスにアッバス・パルヴァという地名は存在しない。ちょうどこの時代にエジプトの副王だった「アッバス・パシャ2世」の名を女性系に変えてドイルが使ったものとみられている。後述のサハラ・キングと同様のアフリカ大陸ネタである。))でキャンプを張っていた夜に恐ろしい事態が起きたのである。
ロンダーはかつては一流の興行師だったが酒におぼれて身を持ち崩し、今は妻と少数の団員でドサ回りをしていた。
サーカスにはサハラ・キングという名の北アフリカ産((現在では北アフリカの自然界でライオンは絶滅しているが、この話の舞台である1889年頃にはまだモロッコからチュニジアにかけて亜種のバーバリライオンが生息していた。同シリーズの『マザリンの宝石』でもアルジェリアでライオン狩りをしたことがある伯爵が出てくる。))の大きなライオンがおり、ロンダーと妻のユージニアが大きな檻の中でサハラ・キングと芸をするのがサーカスの名物だった。
ウィンブルドンに向かう途中のアッバス・パルヴァでキャンプを設営し、その日の夜もロンダー夫妻はサハラ・キングに餌を与えるはずだった。
サハラ・キングに餌をやるのはロンダー夫妻のどちらか又は両人だけが行っていた。
「これでライオンはロンダー夫妻を保護者と認識して襲うことはないだろう」という考えによるものである。
当時の証言によればライオンがその通りに従わない可能性はあったものの、過去に大丈夫だったから今後もそうだろう…という思い込みがサーカス内にはあったらしい。
真夜中に突如&font(b){ライオンの咆哮と男女の悲鳴が響き渡り、}サーカスの団員たちがサハラ・キングの檻に集まると、
檻から約9メートルの位置に、&font(b,#ff0000){後頭部を叩き潰されたロンダーの遺体が倒れており、}
檻のすぐ近くには妻のユージニアがあお向けに倒れてサハラ・キングが&font(b,#ff0000){その顔にかじりついていた}のである。
ライオンの世話を唯一行うことのできる人間が2人ともやられてしまっており団員たちは騒然となったが
怪力男のレオナルドと道化師のブリッグスを先頭にした団員達が7~8人で
なんとかサハラ・キングを棒でつついて檻に行かせて鍵をかけることに成功する。
ユージニアは救護される際も苦痛のうめき声とは別に「&font(i,#ff0000){卑怯者…卑怯者!}」とうわごとを言い続けていた。
顔を嚙みちぎられたユージニアが証言できるほど回復するのに半年かかったが、証言の内容はさておき裁判の結果は
「ロンダー夫妻が餌をやるためにライオンの檻を開けたところサハラ・キングが夫妻に襲い掛かった」という&font(b){偶発的な事故}として結審した。
補足事項
>ロンダーは鋭い爪を持つ手で頭を一撃で叩き割られてそのまま倒れている
//
>サーカス一座の写真ではロンダーは巨大な醜い豚のような外見だが妻のユージニアはとても美人だった(ホームズの評価)
//
>最初のライオンの咆哮の際に女の悲鳴と男の悲鳴が''ほぼ重なるように響いていた''ことを複数の団員が聞いている
以上がこの事件のあらましなのだが、これを振り返ったホームズとワトスンは議論を重ねる。
>&font(b,#006400){ワトスン}:
>獣なんだからライオンが急に暴れることもあるだろう。判決通りの「事故」が正しいのではないのか?
//
>&font(b,#dc143c){ホームズ}:
>それを否定する材料がないが、僕の直感は違うと告げているんだ。
>&font(b,#dc143c){ホームズ}:
>救出されたユージニアがつぶやいていた「&font(i){卑怯者}」とは誰にどういう意図で言ったのだろうか?
//
>&font(b,#006400){ワトスン}:
>夫のロンダーに向けての言葉ではないか?彼が逃げずに立ち向かっていれば助かったかもしれない。それをしなかったので卑怯だと言った。
//
>&font(b,#dc143c){ホームズ}:
>ロンダーとユージニアの間は9メートル離れているからいくらライオンでも同時には襲えない。
>そしてロンダーは一撃で殺されてるからサハラ・キングはまずロンダーを殺した後に、檻のそばに戻ってユージニアを襲っている。
>この流れでユージニアがロンダーを責めるのは違和感があるな。
>&font(b,#dc143c){ホームズ}:
>ライオンの咆哮とほぼ同時に男女が悲鳴をあげているが、女はユージニアだとしても男の悲鳴は誰なんだろう?
//
>&font(b,#006400){ワトスン}:
>そりゃロンダーだろう。
//
>&font(b,#dc143c){ホームズ}:
>ロンダーは一撃で頭を割られているからそれ以降は声を出すことはできない。
>ユージニアと距離が離れていることも考慮して、それなのに2人の悲鳴が''同時に発生する''というのはどういう状況だろうか?
>&font(b,#006400){ワトスン}:
>こういうのはどうだ?ライオンが檻から出たときに9メートル先にいたのはロンダーだけではなくユージニアもそこにいた。
>そしてロンダーが恐怖で背中を向けるとライオンは獣の習性でそちらに飛びかかってロンダーを殺す。
>ユージニアは自分で檻の中に入って鍵を閉めれば安全だと考えてそれを試みたが、檻の手前でライオンに押し倒される。
>&font(b,#ff0000){顔をかじられている}ユージニアは「ロンダーが背中を見せたからこうなった。2人で立ち向かえば助かったかもしれないのに」と考えて「卑怯者!」と言ったんだ。
//
>&font(b,#dc143c){ホームズ}:
>いい考えだと思うよ。だが檻の鍵は''壊れたり異常なことにはなっていない。''夫婦がどちらも檻から離れていたならそもそも''ライオンの檻はなぜ開いたんだ?''
//
>&font(b,#006400){ワトスン}:
>我々の知らない第三者がいたんじゃないか?そいつが夫妻を憎んでいて襲わせたとか?
>普段は夫妻と仲良く芸をしていたライオンが狂暴になったのもそいつが何かしたのかもしれない。
//
>&font(b,#dc143c){ホームズ}:
>ロンダーは酒癖が悪くて酔うと誰にでも暴言を吐いたり鞭で叩いたりしていたらしく恨む奴は多かったようだ。
>だからその仮説はありえるかもしれないな。
…こんな感じで情報の整理はできたものの決定的な材料はないので
ホームズとワトスンはユージニアのお招きにあずかることにしたのだった。
*告白
#center(){&sizex(4){&font(b,#ff0000){作品の真相のネタバレ注意}}}
2人はメリロウ夫人の下宿でユージニア・ロンダーと対面する。
ユージニアは唇から上をヴェールで隠していたが、スタイルや立ち居振る舞いや声などから
かつては相当な美貌だったのだろうと思わせる女性だった。
ユージニアがホームズに少しづつ語ったところによると、事件発生時点では''ある人物''をかばうために虚偽の証言をしていたが
その人物が亡くなったためかばう必要がなくなってしまう。
だからといって警察やマスコミに話せば格好のスキャンダルとして民衆のゴシップネタにされてしまい、
既にライオンにかまれたサーカス女として騒がれたのにまた同じことになれば弱りきったユージニアの心身では耐えられない。
おそらくユージニアはもう長く生きられないと自覚しており、穏やかに死を迎えたかった。
それまで真実を聞いてくれる人物としてホームズを選んだのだった。
世間から隠れて暮らすユージニアは読書や新聞の購読だけが楽しみで、それによって知ったホームズであれば悪いようにはしないと考えたのである。
ホームズは彼女の希望を汲むとは確約できなかったがそれでもユージニアは過去の過ちを告白する。
ユージニアは産まれも育ちもサーカスの娘であり、少女の頃から芸をしつけられて過ごしていた。
花形芸人だったロンダーに見初められて結婚したが彼女の立場的に他の男が選べるわけでもなかった。
それからユージニアの日々は''地獄に変わっていった。''
ロンダーはユージニアをいじめ抜き、他の女へ目移りをし、逆らう者は他の団員であっても殴りつけていた。
芸人として一流であったために金を持っており多少の罰金くらいなら払って済ませていた。
当時の英国はカソリックとそれをベースにした英国国教会の思想のために離婚のハードルが非常に高く、
大貴族であっても離婚したければ''自分たちを離婚させるためだけの専用の法律''を国会に提出して専用の法を根拠にしなければ離婚できなかったのである。
とはいえちょうどこの頃に離婚の条件が緩和されていたものの、平民が離婚するには莫大な金と弁護士を用意して何年もロンドンで裁判する必要があり実質的に無理だった((ちなみに本作の時期プロ入りしていた英国の推理作家アガサ・クリスティも、筆名にもなった最初の夫クリスティ氏に愛人がいる事が判明してから1928年に調停離婚するまで2年の歳月を要した。なお離婚後元夫は愛人とくっつき、娘を引き取ったクリスティ先生も数年後考古学者と再婚している。))。
(一応これはロンダーの側も同様であるが。)
そんなユージニアの前に現れたのが怪力芸の団員のレオナルドだった。
ロンダーは外見も醜い豚で心の中はもっと汚かったが、レオナルドは屈強な肉体のイケメンでありユージニアを心配して守っていた。
ロンダーも筋肉男のレオナルドに直接喧嘩を売ることはできず、そしてユージニアとレオナルドは愛し合うようになった。
ロンダーは腹いせにユージニアをもっといじめるようになり、ついに命まで危険にさらされることになったため
ユージニアとレオナルドはロンダーを&font(b,#ff0000){殺す}計画を立てたのだった。
計画は全てレオナルドが立てていた。((ユージニアはレオナルドに罪を押し付ける気はなく、純粋にレオナルドの知識がなければ計画立案ができなかったそうな。))まず''先端に鉛を詰めた棍棒を用意し、そこに釘を5本打ち付ける。''
そうすることでライオンの爪に似た形の凶器が完成し、怪力男のレオナルドが振りかぶって殴れば一撃で&font(b,#ff0000){ロンダーの頭を砕くことができる。}
本来ならロンダーとユージニアがサハラ・キングに餌をやるべきタイミングで、レオナルドがこっそり忍び寄ってロンダーを撲殺する。
警察がロンダーの死体を調べてもライオンに殴られたと判断するだろう。
そしてユージニアがサハラ・キングの檻を開けて悲鳴をあげれば''ライオンによってロンダーが殺されたように見える''という殺害トリックである。
このトリックは概ね成功し、ロンダーの殺害とライオンの檻を開けるところまではできた。
#center(){&font(b,#ff0000){しかし…。}}
#center(){&font(b,#ff0000){すぐ目の前で人間が撲殺されるという異常な現象、そして漂う血の臭い。}}
それがサハラ・キングの獣の本能になにか良からぬ効果をもたらしたようだ。
ライオンは檻から飛び出し、そばにいたユージニアにのしかかる。
ユージニアは恐怖で絶叫した…がそばにいたレオナルドも''同時に悲鳴をあげる。''
レオナルドは棍棒を持っていたのだからそれでライオンに殴りかかれば事態は変わっていたかもしれなかった。
だがレオナルドは屈強な肉体があってもライオンに立ち向かう勇気はなく、愛する女が喰われかけているのに''背中を向けて逃げ出した。''
ユージニアが最後に見たのはレオナルドの背中、あとは&font(b,#ff0000){熱くて臭いライオンの口の中だった。}
半年後、ユージニアは自分の顔を鏡で見て絶望したが、どうにか証言できるほどに回復した。
レオナルドは自分を見捨てて逃げた卑劣漢だが、裁判で彼を告発するということは''レオナルドを絞首台に送るということである。''
さすがにそれはできなかったためユージニアは証言を行わず裁判は事故として結審した。
ロンダーの遺産としてそれなりの金が残った''手負いの獣''はただ他人に見つからずにひっそり死ぬことだけを望みとして穴の中にこもったのだった。
レオナルドの訃報を聞いて彼をかばう理由がなくなった代わりに昔の悪夢がよみがえったのだろう。
うなされたユージニアは生きているうちにホームズに全てを打ち明けようとしたのだった。
ワトスンいわく''ホームズが他者にこれほどの同情の意を示したことはほとんどない''というほどの憐憫の言葉をかける。
事件のトリックとして重要な特製の棍棒はレオナルドが処分しただろうと思われるので
もはやホームズたちが気にかけるべき謎は残ってはいない。
ホームズ「事件はすべて終わりましたね」
ユージニア「はい」
#center(){&font(b,#696969){すべて終わりました。}}
ホームズとワトスンは立ち去るのだった。
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#include(テンプレ3)
突如ホームズが振り返り、ユージニアに''命を粗末にしないように告げる。''
ユージニアはこの後に自殺する決心を固めており、ポケットに&font(b,#ff0000){毒薬}を忍ばせていた。
ユージニアにとってはもはやこれ以上生きていく意味を失っていたし、うかつな慰めの言葉は火に油を注ぐのだが
ホームズは彼女がまだ生きていくべき理由についてこう切り返した。
「&font(i){意味がないなんて決めつけはよくない、''苦しみに耐えて生きる人の姿そのもの''が我慢が足りない市民への教訓となるでしょう}」
それを聞いたユージニアは覆面を外して答える。
「&font(i,#dc143c){あなたはこれに耐えていけるのかしら?}」
ヴェールの下は''顔とよべる構造物そのものがなく、''ただ理性と生気にあふれた美しい瞳だけがあり、それゆえに痛々しかった。
ホームズは無言で手を振って辞去した。
2日後、ホームズの元に毒薬の瓶と手紙が届く。
ユージニアは死の誘惑を断ち切り、ホームズの言葉通りに生きる決心をしたのだった。
*解説
本作は冒頭で示した通り、ホームズは事件の解決に関与していない。
推理小説としてみれば読者に謎を提示した後に解決編も描写しているので問題はないのだが
いつも活躍するメイン主人公が完全に傍観者ならぬ回答の拝聴者になっているという異色作である。
ワトスンの仮説がけっこういいところまでいってたこともある
しかし本作は最初のワトスンの警告から始まって
真実を明かしたい者と闇に葬りたい者、真実を聞きたい者と語りたい者がそれぞれ複数絡み合っている構成や
ホームズシリーズには無い…とは言わないまでも抑えることが多い&font(b,#ff0000){グロテスクな表現}を連発してみたり
最後の急展開などの文章の機微が見どころとなっている。
先ほど当時の英国では離婚が難しいと述べたが、
作者アーサー・コナン・ドイルの父親は晩年はアルコール中毒でまともな夫とは呼べなかったが、
それでもドイルの母親は離婚の手続きを踏むことすらできなかった。
そのためドイル母は15歳年下の若い男と同棲をするようになったが、
当時の価値観ではアル中の暴力や問題行動よりも母親の不倫の方がアウトな行為だった。
離婚して若い男と再婚しようにも最低でもドイル父が認めなければどうにもならず、
仮に離婚できたとしたとしても、ドイル母の生きていた時代には''元配偶者が生きている間は再婚が不可''だったのである。
幸い途中で息子のアーサー・ドイルが金や地位を得たお陰で父親をアルコール中毒のために精神病院へ入院させたのだが、
それはつまり離婚できないから「母の不貞行為」を訴えられない状態に死ぬまでさせ続けるのが精一杯だったのである。
そして事実上の離婚状態になっても父が死ぬまでの30年以上の間、ドイル母は「日陰者」として生きざるを得なかった。
つまり「酒乱で暴君の夫を妻が若い情夫と組んで謀殺するが、妻はその後ひっそりと人目を避けて暮らすことになる」という本作は
発表時点で亡くなっているとはいえドイルの母をモデルにしたのだろうとシャーロキアンの中では推定されている。
追記・修正はライオンに餌をやってからお願いします。
#include(テンプレ2)
#right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/
#vote3(time=600,5)
}
#include(テンプレ3)
#openclose(show=▷ コメント欄){
#areaedit()
- ドイル、基本的に結婚を良いものとして書かない傾向にある -- 名無しさん (2025-05-16 09:09:12)
- エピソード項目がなんで立ってるのかと思ったら、ホームズはパブリックドメインだからルール上セーフなのね -- 名無しさん (2025-05-17 00:03:13)
- いしいひさいちのパロネタ(顔ではなくケツ殴られて二つに割れたという漫才オチ)が面白すぎて名前だけは知ってたがこんな話だったのか・・・ -- 名無しさん (2025-05-17 12:04:59)
- 晩年の頃のホームズ・シリーズはネタ切れなのかマンネリ打破なのかやや変化球気味の作品が多いのだが、これもその一環(正直評価は高くないが) -- 名無しさん (2025-05-17 12:54:02)
- ライオンが一番可哀想 -- 名無しさん (2025-05-18 06:39:20)
- ↑5 シャーロキアンが考察してたけど女性の名前パターンなんていっぱいあるのにわざわざ実質的な主人公ワトスンと結婚するヒロイン役に実母の名前使う?って言われてそのメアリも死なせた上にそれ以外の『メアリ」も悪人か善人だけど不幸になる女にしか使わないのは母親に複雑な感情があるんじゃねとは言われている -- 名無しさん (2025-05-19 18:31:54)
#comment
#areaedit(end)
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*概要
『覆面の下宿人"The Adventure of the Veiled Lodger"』 はアーサー・C・ドイルが執筆した探偵小説『シャーロック・ホームズ・シリーズ』の中の一篇である。
1927年にイギリスの雑誌ストランド・マガジンやアメリカのリバティ誌で発表された。
ホームズシリーズとしては最後期の作品であり、いわゆる『正典シリーズ』の短編56作品の中で55番目に発表された。
作品集としても最終巻の『シャーロック・ホームズの事件簿』に収録されている。
物語の特徴としては名探偵ホームズが事件の解決に何の寄与もしていないというか''事件に挑戦すらしていない''という珍しいパターンである。
[[事件に挑んだが失敗した>黄色い顔(小説)]]、[[強敵に敗れた>ボヘミアの醜聞(小説)]]というのですらない。
依頼としてホームズの元に持ち込まれなかったため、ホームズも積極的に調査しなかったというのもあるのだが
ワトスンはなぜそんな事件を記録した上にこうして発表しようとしたのかというと…?((ワトスンが保管しているホームズの事件の記録の中には、「失敗した」などの読者が満足できないであろう結末に終わったものもたくさんあるそうだが、ホームズの名誉のために隠しているのではなく読者の興味を引けないものを発表してもしょうがないから伏せているとのこと。))
*はじめに
まずワトスンはこれまでホームズと共に冒険してきた17年間のうちに膨大な数の事件の記録を得ているが
それらはそこに書かれている人間の''名誉や尊厳を傷つける状態ならば、世間に発表しない''というルールを
ホームズが自身の判断力と思慮深さを使って守っているため、読者は心配する必要はないと訴えている。&s(){[[ターナー「おい」>ボスコム渓谷の惨劇(小説)]]}
それでも不当な手段で事件の記録を奪おうとする者には逆に''全面的に告知する''ことをホームズから内諾を得たとして釘を刺すのだった。
しかしその事件の中でもホームズの関与が少なかった事件の中に&color(red){恐るべき悲劇}があるようで
そんな一つの事件を人名などはフェイクを入れつつ''事件そのものは忠実に記述して''発表するのだった。
&font(#808080){ワトスンそれ本当に発表して大丈夫なやつなのか?}
*登場人物
・ジョン・H・ワトスン
ご存じ名探偵の相棒で物語の記録者にして発表者。
前述したとおり、今回はこの事件を記録して発表する役割に徹しており、事件の解決そのものにはほぼ関与しない。
ホームズが力を発揮するための補助役に徹しているという意味では他の事件と同様なのだが…?
・シャーロック・ホームズ
ご存じ世界的な名探偵。
ただし今回は彼も事件の真相についての''聞き役''である。まさしく聞き役。
・メリロウ夫人
今回の依頼人の一人。サウス・ブリクストンで下宿屋を営んでいる年配の女性。
後述のユージニアに部屋を貸しており、ユージニアを心配するあまりホームズに相談することを思いつく。
金持ちで優良な借主のユージニアがいなくなることを恐れているが、もちろんユージニア自体を心配する気持ちもある模様。
・ユージニア・ロンダー
今回の真の依頼人。
ある理由により常に口から上を隠すようなヴェールをかぶっている。
金を持っている独身の女性で、誰にも会うことなく静かに暮らしたいという理由でメリロウ夫人の下宿を借りている。
しかし最近になって何か問題がおきたらしい。
*序盤のあらすじ
この物語の時系列は1896年なのだが、
その7年前にメリロウ夫人の前にユージニア・ロンダーが現れて下宿を借りようとしていた。
三か月分の家賃をポンと前払いするユージニアを断る理由もなく契約は成立するのだが
ユージニアは唇から上を''黒い覆面''(ヴェール)で常に覆い隠していた。
一度だけメリロウが偶然ユージニアの素顔を見たのだが
&font(b,#ff0000){見ない方がよかった、あれは顔と呼べるようなものではない}とのこと。
同じくたまたま見た牛乳屋はミルク缶をぶちまけて庭を牛乳まみれにしたほどである。
彼女はこの顔のために常に覆面を脱ぐことはなく、人の好奇の目から逃れる生活を望んでいたためにメリロウの家を借りようとしたのだった。。
メリロウ夫人は家族がおらず((ハドスン夫人(Mrs.Hudson)もそうだが、この場合のMrsは「女将さん」の敬称でもあるため結婚しているかどうかは名前だけではわからない。))他の使用人もいない。下宿として貸し出す部屋も一人分しかない。
その下宿も一般人が往来する通りから少し離れているため、ユージニアは下宿にこもって暮らす限りメリロウ以外の人間と接触せずに済むのである。
メリロウ夫人はその事情を了解し、(同じ女性として顔のことで他人に煩わされたくないという気持ちを理解したと思われる)
また家賃をしっかり払ってくれる上に他の生活態度も良好なユージニアが出て行ったら困るのである。
&font(#808080){悪臭を放つ化学実験をしたり深夜にバイオリンひいたり拳銃で壁に女王陛下のイニシャルとか作らないだろうし}
しかし最近になってユージニアがみるみるうちにやせ衰えていった上に、つつましい態度だった彼女が夜中に絶叫するようになったというのだ。
&sizex(6){&font(i,#ff0000){人殺し!残忍なケダモノめ!怪物野郎め!}}と。
心配になったメリロウ夫人はユージニアに対して「&font(i){牧師や警察に相談すれば気が晴れるのでは?}」と話すが
ユージニアは「&font(i){彼らでは私の悩みを解決できない。しかし&color(red){死ぬ前に}誰かに真実を話しておけば心が安らかになるかもしれない}」と返す。
そこでメリロウがシャーロック・ホームズの名前を出すとユージニアは急に乗り気になった。
「&font(i){すぐにホームズさんを呼んでください。私は''猛獣使いロンダーの妻''のユージニアだと伝えてください。それと''これ''も見せてください}」
「&font(i){もしホームズさんが私の思うような方ならば、これで来ていただけるはずですわ}」
ユージニアがメリロウに持たせたメモ用紙には「&font(b){アッバス・パルヴァ}」と書かれていた。
これらを聞いたホームズは顔色を変えて、ユージニアに会うことを決断したのだった。
*アッバス・パルヴァの悲劇
すぐにホームズは過去の事件の備忘録をひっくり返し、「アッバス・パルヴァの悲劇」の記録を探り出した。
これは検察側・被告側のどちらもがホームズに依頼しようとは考えもしないままに裁判が結審した事件であり
担当していたエドマンズ刑事がホームズに事件のことをいくつか話したからこそ知ったのだが、
ホームズも「検察の結論が間違っている」と直感で思ったものの&font(b){回答が導き出せないまま流れてしまった事件}である。
7年以上前、サーカスの興行師ロンダーは妻のユージニアや他の団員たちと共にサーカス興行の旅をしていた。
バークシャー州の小さな村アッバス・パルヴァ((バークシャー州…というかイギリスにアッバス・パルヴァという地名は存在しない。ちょうどこの時代にエジプトの副王だった「アッバス・パシャ2世」の名を女性系に変えてドイルが使ったものとみられている。後述のサハラ・キングと同様のアフリカ大陸ネタである。))でキャンプを張っていた夜に恐ろしい事態が起きたのである。
ロンダーはかつては一流の興行師だったが酒におぼれて身を持ち崩し、今は妻と少数の団員でドサ回りをしていた。
サーカスにはサハラ・キングという名の北アフリカ産((現在では北アフリカの自然界でライオンは絶滅しているが、この話の舞台である1889年頃にはまだモロッコからチュニジアにかけて亜種のバーバリライオンが生息していた。同シリーズの『マザリンの宝石』でもアルジェリアでライオン狩りをしたことがある伯爵が出てくる。))の大きなライオンがおり、ロンダーと妻のユージニアが大きな檻の中でサハラ・キングと芸をするのがサーカスの名物だった。
ウィンブルドンに向かう途中のアッバス・パルヴァでキャンプを設営し、その日の夜もロンダー夫妻はサハラ・キングに餌を与えるはずだった。
サハラ・キングに餌をやるのはロンダー夫妻のどちらか又は両人だけが行っていた。
「これでライオンはロンダー夫妻を保護者と認識して襲うことはないだろう」という考えによるものである。
当時の証言によればライオンがその通りに従わない可能性はあったものの、過去に大丈夫だったから今後もそうだろう…という思い込みがサーカス内にはあったらしい。
真夜中に突如&font(b){ライオンの咆哮と男女の悲鳴が響き渡り、}サーカスの団員たちがサハラ・キングの檻に集まると、
檻から約9メートルの位置に、&font(b,#ff0000){後頭部を叩き潰されたロンダーの遺体が倒れており、}
檻のすぐ近くには妻のユージニアがあお向けに倒れてサハラ・キングが&font(b,#ff0000){その顔にかじりついていた}のである。
ライオンの世話を唯一行うことのできる人間が2人ともやられてしまっており団員たちは騒然となったが
怪力男のレオナルドと道化師のブリッグスを先頭にした団員達が7~8人で
なんとかサハラ・キングを棒でつついて檻に行かせて鍵をかけることに成功する。
ユージニアは救護される際も苦痛のうめき声とは別に「&font(i,#ff0000){卑怯者…卑怯者!}」とうわごとを言い続けていた。
顔を嚙みちぎられたユージニアが証言できるほど回復するのに半年かかったが、証言の内容はさておき裁判の結果は
「ロンダー夫妻が餌をやるためにライオンの檻を開けたところサハラ・キングが夫妻に襲い掛かった」という&font(b){偶発的な事故}として結審した。
補足事項
>ロンダーは鋭い爪を持つ手で頭を一撃で叩き割られてそのまま倒れている
//
>サーカス一座の写真ではロンダーは巨大な醜い豚のような外見だが妻のユージニアはとても美人だった(ホームズの評価)
//
>最初のライオンの咆哮の際に女の悲鳴と男の悲鳴が''ほぼ重なるように響いていた''ことを複数の団員が聞いている
以上がこの事件のあらましなのだが、これを振り返ったホームズとワトスンは議論を重ねる。
>&font(b,#006400){ワトスン}:
>獣なんだからライオンが急に暴れることもあるだろう。判決通りの「事故」が正しいのではないのか?
//
>&font(b,#dc143c){ホームズ}:
>それを否定する材料がないが、僕の直感は違うと告げているんだ。
>&font(b,#dc143c){ホームズ}:
>救出されたユージニアがつぶやいていた「&font(i){卑怯者}」とは誰にどういう意図で言ったのだろうか?
//
>&font(b,#006400){ワトスン}:
>夫のロンダーに向けての言葉ではないか?彼が逃げずに立ち向かっていれば助かったかもしれない。それをしなかったので卑怯だと言った。
//
>&font(b,#dc143c){ホームズ}:
>ロンダーとユージニアの間は9メートル離れているからいくらライオンでも同時には襲えない。
>そしてロンダーは一撃で殺されてるからサハラ・キングはまずロンダーを殺した後に、檻のそばに戻ってユージニアを襲っている。
>この流れでユージニアがロンダーを責めるのは違和感があるな。
>&font(b,#dc143c){ホームズ}:
>ライオンの咆哮とほぼ同時に男女が悲鳴をあげているが、女はユージニアだとしても男の悲鳴は誰なんだろう?
//
>&font(b,#006400){ワトスン}:
>そりゃロンダーだろう。
//
>&font(b,#dc143c){ホームズ}:
>ロンダーは一撃で頭を割られているからそれ以降は声を出すことはできない。
>ユージニアと距離が離れていることも考慮して、それなのに2人の悲鳴が''同時に発生する''というのはどういう状況だろうか?
>&font(b,#006400){ワトスン}:
>こういうのはどうだ?ライオンが檻から出たときに9メートル先にいたのはロンダーだけではなくユージニアもそこにいた。
>そしてロンダーが恐怖で背中を向けるとライオンは獣の習性でそちらに飛びかかってロンダーを殺す。
>ユージニアは自分で檻の中に入って鍵を閉めれば安全だと考えてそれを試みたが、檻の手前でライオンに押し倒される。
>&font(b,#ff0000){顔をかじられている}ユージニアは「ロンダーが背中を見せたからこうなった。2人で立ち向かえば助かったかもしれないのに」と考えて「卑怯者!」と言ったんだ。
//
>&font(b,#dc143c){ホームズ}:
>いい考えだと思うよ。だが檻の鍵は''壊れたり異常なことにはなっていない。''夫婦がどちらも檻から離れていたならそもそも''ライオンの檻はなぜ開いたんだ?''
//
>&font(b,#006400){ワトスン}:
>我々の知らない第三者がいたんじゃないか?そいつが夫妻を憎んでいて襲わせたとか?
>普段は夫妻と仲良く芸をしていたライオンが狂暴になったのもそいつが何かしたのかもしれない。
//
>&font(b,#dc143c){ホームズ}:
>ロンダーは酒癖が悪くて酔うと誰にでも暴言を吐いたり鞭で叩いたりしていたらしく恨む奴は多かったようだ。
>だからその仮説はありえるかもしれないな。
…こんな感じで情報の整理はできたものの決定的な材料はないので
ホームズとワトスンはユージニアのお招きにあずかることにしたのだった。
*告白
#center(){&sizex(4){&font(b,#ff0000){作品の真相のネタバレ注意}}}
2人はメリロウ夫人の下宿でユージニア・ロンダーと対面する。
ユージニアは唇から上をヴェールで隠していたが、スタイルや立ち居振る舞いや声などから
かつては相当な美貌だったのだろうと思わせる女性だった。
ユージニアがホームズに少しづつ語ったところによると、事件発生時点では''ある人物''をかばうために虚偽の証言をしていたが
その人物が亡くなったためかばう必要がなくなってしまう。
だからといって警察やマスコミに話せば格好のスキャンダルとして民衆のゴシップネタにされてしまい、
既にライオンにかまれたサーカス女として騒がれたのにまた同じことになれば弱りきったユージニアの心身では耐えられない。
おそらくユージニアはもう長く生きられないと自覚しており、穏やかに死を迎えたかった。
それまで真実を聞いてくれる人物としてホームズを選んだのだった。
世間から隠れて暮らすユージニアは読書や新聞の購読だけが楽しみで、それによって知ったホームズであれば悪いようにはしないと考えたのである。
ホームズは彼女の希望を汲むとは確約できなかったがそれでもユージニアは過去の過ちを告白する。
ユージニアは産まれも育ちもサーカスの娘であり、少女の頃から芸をしつけられて過ごしていた。
花形芸人だったロンダーに見初められて結婚したが彼女の立場的に他の男が選べるわけでもなかった。
それからユージニアの日々は''地獄に変わっていった。''
ロンダーはユージニアをいじめ抜き、他の女へ目移りをし、逆らう者は他の団員であっても殴りつけていた。
芸人として一流であったために金を持っており多少の罰金くらいなら払って済ませていた。
当時の英国はカソリックとそれをベースにした英国国教会の思想のために離婚のハードルが非常に高く、
大貴族であっても離婚したければ''自分たちを離婚させるためだけの専用の法律''を国会に提出して専用の法を根拠にしなければ離婚できなかったのである。
とはいえちょうどこの頃に離婚の条件が緩和されていたものの、平民が離婚するには莫大な金と弁護士を用意して何年もロンドンで裁判する必要があり実質的に無理だった((ちなみに本作の時期プロ入りしていた英国の推理作家アガサ・クリスティも、筆名にもなった最初の夫クリスティ氏に愛人がいる事が判明してから1928年に調停離婚するまで2年の歳月を要した。なお離婚後元夫は愛人とくっつき、娘を引き取ったクリスティ先生も数年後考古学者と再婚している。))。
(一応これはロンダーの側も同様であるが。)
そんなユージニアの前に現れたのが怪力芸の団員のレオナルドだった。
ロンダーは外見も醜い豚で心の中はもっと汚かったが、レオナルドは屈強な肉体のイケメンでありユージニアを心配して守っていた。
ロンダーも筋肉男のレオナルドに直接喧嘩を売ることはできず、そしてユージニアとレオナルドは愛し合うようになった。
ロンダーは腹いせにユージニアをもっといじめるようになり、ついに命まで危険にさらされることになったため
ユージニアとレオナルドはロンダーを&font(b,#ff0000){殺す}計画を立てたのだった。
計画は全てレオナルドが立てていた。((ユージニアはレオナルドに罪を押し付ける気はなく、純粋にレオナルドの知識がなければ計画立案ができなかったそうな。))まず''先端に鉛を詰めた棍棒を用意し、そこに釘を5本打ち付ける。''
そうすることでライオンの爪に似た形の凶器が完成し、怪力男のレオナルドが振りかぶって殴れば一撃で&font(b,#ff0000){ロンダーの頭を砕くことができる。}
本来ならロンダーとユージニアがサハラ・キングに餌をやるべきタイミングで、レオナルドがこっそり忍び寄ってロンダーを撲殺する。
警察がロンダーの死体を調べてもライオンに殴られたと判断するだろう。
そしてユージニアがサハラ・キングの檻を開けて悲鳴をあげれば''ライオンによってロンダーが殺されたように見える''という殺害トリックである。
このトリックは概ね成功し、ロンダーの殺害とライオンの檻を開けるところまではできた。
#center(){&font(b,#ff0000){しかし…。}}
#center(){&font(b,#ff0000){すぐ目の前で人間が撲殺されるという異常な現象、そして漂う血の臭い。}}
それがサハラ・キングの獣の本能になにか良からぬ効果をもたらしたようだ。
ライオンは檻から飛び出し、そばにいたユージニアにのしかかる。
ユージニアは恐怖で絶叫した…がそばにいたレオナルドも''同時に悲鳴をあげる。''
レオナルドは棍棒を持っていたのだからそれでライオンに殴りかかれば事態は変わっていたかもしれなかった。
だがレオナルドは屈強な肉体があってもライオンに立ち向かう勇気はなく、愛する女が喰われかけているのに''背中を向けて逃げ出した。''
ユージニアが最後に見たのはレオナルドの背中、あとは&font(b,#ff0000){熱くて臭いライオンの口の中だった。}
半年後、ユージニアは自分の顔を鏡で見て絶望したが、どうにか証言できるほどに回復した。
レオナルドは自分を見捨てて逃げた卑劣漢だが、裁判で彼を告発するということは''レオナルドを絞首台に送るということである。''
さすがにそれはできなかったためユージニアは証言を行わず裁判は事故として結審した。
ロンダーの遺産としてそれなりの金が残った''手負いの獣''はただ他人に見つからずにひっそり死ぬことだけを望みとして穴の中にこもったのだった。
レオナルドの訃報を聞いて彼をかばう理由がなくなった代わりに昔の悪夢がよみがえったのだろう。
うなされたユージニアは生きているうちにホームズに全てを打ち明けようとしたのだった。
ワトスンいわく''ホームズが他者にこれほどの同情の意を示したことはほとんどない''というほどの憐憫の言葉をかける。
事件のトリックとして重要な特製の棍棒はレオナルドが処分しただろうと思われるので
もはやホームズたちが気にかけるべき謎は残ってはいない。
ホームズ「事件はすべて終わりましたね」
ユージニア「はい」
#center(){&font(b,#696969){すべて終わりました。}}
ホームズとワトスンは立ち去るのだった。
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#include(テンプレ3)
突如ホームズが振り返り、ユージニアに''命を粗末にしないように告げる。''
ユージニアはこの後に自殺する決心を固めており、ポケットに&font(b,#ff0000){毒薬}を忍ばせていた。
ユージニアにとってはもはやこれ以上生きていく意味を失っていたし、うかつな慰めの言葉は火に油を注ぐのだが
ホームズは彼女がまだ生きていくべき理由についてこう切り返した。
「&font(i){意味がないなんて決めつけはよくない、''苦しみに耐えて生きる人の姿そのもの''が我慢が足りない市民への教訓となるでしょう}」
それを聞いたユージニアは覆面を外して答える。
「&font(i,#dc143c){あなたはこれに耐えていけるのかしら?}」
ヴェールの下は''顔とよべる構造物そのものがなく、''ただ理性と生気にあふれた美しい瞳だけがあり、それゆえに痛々しかった。
ホームズは無言で手を振って辞去した。
2日後、ホームズの元に毒薬の瓶と手紙が届く。
ユージニアは死の誘惑を断ち切り、ホームズの言葉通りに生きる決心をしたのだった。
*解説
本作は冒頭で示した通り、ホームズは事件の解決に関与していない。
推理小説としてみれば読者に謎を提示した後に解決編も描写しているので問題はないのだが
いつも活躍するメイン主人公が完全に傍観者ならぬ回答の拝聴者になっているという異色作である。
ワトスンの仮説がけっこういいところまでいってたこともある
しかし本作は最初のワトスンの警告から始まって
真実を明かしたい者と闇に葬りたい者、真実を聞きたい者と語りたい者がそれぞれ複数絡み合っている構成や
ホームズシリーズには無い…とは言わないまでも抑えることが多い&font(b,#ff0000){グロテスクな表現}を連発してみたり
最後の急展開などの文章の機微が見どころとなっている。
先ほど当時の英国では離婚が難しいと述べたが、
作者アーサー・コナン・ドイルの父親は晩年はアルコール中毒でまともな夫とは呼べなかったが、
それでもドイルの母親は離婚の手続きを踏むことすらできなかった。
そのためドイル母は15歳年下の若い男と同棲をするようになったが、
当時の価値観ではアル中の暴力や問題行動よりも母親の不倫の方がアウトな行為だった。
離婚して若い男と再婚しようにも最低でもドイル父が認めなければどうにもならず、
仮に離婚できたとしたとしても、ドイル母の生きていた時代には''元配偶者が生きている間は再婚が不可''だったのである。
幸い途中で息子のアーサー・ドイルが金や地位を得たお陰で父親をアルコール中毒のために精神病院へ入院させたのだが、
それはつまり離婚できないから「母の不貞行為」を訴えられない状態に死ぬまでさせ続けるのが精一杯だったのである。
そして事実上の離婚状態になっても父が死ぬまでの30年以上の間、ドイル母は「日陰者」として生きざるを得なかった。
つまり「酒乱で暴君の夫を妻が若い情夫と組んで謀殺するが、妻はその後ひっそりと人目を避けて暮らすことになる」という本作は
発表時点で亡くなっているとはいえドイルの母をモデルにしたのだろうとシャーロキアンの中では推定されている。
追記・修正はライオンに餌をやってからお願いします。
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- ドイル、基本的に結婚を良いものとして書かない傾向にある -- 名無しさん (2025-05-16 09:09:12)
- エピソード項目がなんで立ってるのかと思ったら、ホームズはパブリックドメインだからルール上セーフなのね -- 名無しさん (2025-05-17 00:03:13)
- いしいひさいちのパロネタ(顔ではなくケツ殴られて二つに割れたという漫才オチ)が面白すぎて名前だけは知ってたがこんな話だったのか・・・ -- 名無しさん (2025-05-17 12:04:59)
- 晩年の頃のホームズ・シリーズはネタ切れなのかマンネリ打破なのかやや変化球気味の作品が多いのだが、これもその一環(正直評価は高くないが) -- 名無しさん (2025-05-17 12:54:02)
- ライオンが一番可哀想 -- 名無しさん (2025-05-18 06:39:20)
- ↑5 シャーロキアンが考察してたけど女性の名前パターンなんていっぱいあるのにわざわざ実質的な主人公ワトスンと結婚するヒロイン役に実母の名前使う?って言われてそのメアリも死なせた上にそれ以外の『メアリ」も悪人か善人だけど不幸になる女にしか使わないのは母親に複雑な感情があるんじゃねとは言われている -- 名無しさん (2025-05-19 18:31:54)
- 離婚が難しい上に離婚が成立しても元配偶者が生きている間は再婚できないがバレずに殺せばおk、そりゃ殺しにかかるわな -- 名無しさん (2025-06-14 22:14:32)
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