第三次中東戦争

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第三次中東戦争 - (2024/12/29 (日) 16:19:34) のソース

&font(#6495ED){登録日}:2011/06/16(木) 00:13:05
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&aname(※,option=nolink){※}
&font(#994c00){1958年 アラブ連合共和国(エジプト・シリア・イエメン)}
↓
&font(#994c00){1961年 崩壊}
↓
&font(#994c00){1963年 アラブ連合共和国連邦(エジプト・シリア・イラク)}
↓
&font(#994c00){1963年 崩壊}
↓
&font(#994c00){1971年 アラブ共和国連邦(エジプト・シリア・リビア)}
↓
&font(#994c00){1977年 崩壊}

#center(){
&font(#994c00){私とあなたは友達じゃないけど&br()私の敵国とあなたは敵同士}
&font(#994c00){大体そんな感じ&br()アラブ共和連合}}


第三次中東戦争
別名「&font(#ff0000){六日間戦争}」
期間 1967年6月5日~1967年6月10日


・主要交戦国
&font(#0000ff){イスラエル}

&font(#ff0000){VS}

&font(#994c00){エジプト&br()シリア&br()ヨルダン&br()イラク}





世界に
『イスラエル>>>(越えられない壁)>>>アラブ諸国』
を印象付けた戦争。

イスラエルが世界に警戒されだした[[戦争]]にして、度々話題に上る『&font(#ff0000){イスラエル領土問題}』の根。

#contents


*&bold(){・前史}
**&font(#994c00){アラブ側}

先の[[第二次中東戦争]]にて[[イギリス]]から運河を掴み、スターの座を駆け上がっている超時空シンデレラ&font(#ff0000){ナセル}大統領。

彼は二大超大国の片一方&font(#ff0000){ソ連}から最新兵器を大量に買い付け、名実共にアラブの雄となると、アラブ諸国に『&font(#994c00){アラブ連合}』の結成を呼びかける。
…しかし、諸国の反応は冷たいものであった。


理由は簡単。
#center(){『&font(#994c00){エジプト}が一番とか気にくわない』}
って事である。

&link_anchor(※){参照}
何とか傘下に付いたシリアはクーデターで倒れて連合も崩壊。

その後も
何故か結託してエジプトの足を引っ張る&font(#994c00){シリア・イラク}との連合の場合…

シリア「金持ちな俺等が稼いだ金を貧乏なエジプトが持ってくとか…ないわ」
イラク「シリアは親友だから嘘つくわけないもん!」

等、全く役に立たない所かマイナス以外の何者でもない。
役に立たない同盟だが支援ばかり要求される。
そして要求されれば&font(#ff0000){盟主}として支援する。

次第に国民も
「エジプトはアラブの為でなくエジプトの為に働くべき」
と、不満を漏らす様になる。




一方パレスチナにおいては、&font(#994c00){パレスチナ難民}によるパレスチナ奪還運動を支援し『&font(#994c00){パレスチナ解放機構}』を結成させ制御下に置こうとする。

と言うのも、&font(#ff0000){現状}の中東勢力ではイスラエル打倒は困難であり、なるべく「蜂の巣を叩くような真似を控えさせる」為であった。

この件について中東諸国は「&font(#ff0000){イスラエルに対する弱腰である}」とエジプトに対する批判が噴出。


そんな1966年、
ソ連製兵器の取説代わりに付いてきた&font(#ff0000){KGB}の諜報員が緊急情報を持ってきた。

『&bold(){イスラエルがエジプト・シリア攻撃の準備をしている}』

と言うのである。



この非常事態にエジプトはシリアと&font(#ff0000){共同防衛条約}を結び、国境に軍を展開。
イスラエル唯一のインド洋への航路チラン海峡封鎖を宣言。


1967年、中東が緊張する中6月5日の夜が明けた。






**&font(#0000ff){イスラエル側}

約10年前の「&font(#ff0000){第二次中東戦争}」後、アラブがくっついたり離れたりしているのを後目に、

イスラエルは戦術の中心を此までの「&font(#ff0000){歩兵}」から「&font(#ff0000){[[戦車]]}」へと転換。
ソ連の新型戦車「T-54」「T-55」に対抗してイギリスから「&font(#0000ff){[[センチュリオンMKⅢ>センチュリオン(戦車)]]}」をget。

等、イスラエルは着々と軍備拡張していた。


だが、国内では、
&font(#0000ff){エルサレム}の一部が未だ&font(#994c00){ヨルダン側}である事、
パレスチナ難民と周辺国によるテロ行為等で国外に対する不満が高まっていた。



そんな1966年、お隣シリアで&bold(){また}クーデターが発生。((1946年にフランスから独立してから1949年、51年、54年、61年、63年に続いて6度目のクーデター))



クーデターで&font(#ffb74c){メダパニ}状態のシリアはイスラエルに対し突然砲撃を開始するも、いつもの如くイスラエル軍に&font(#ff0000){フルボッコ}。
軽くこれを退ける。


だが、事態は一変。
何と、エジプト・シリアが国境付近に大軍を展開しだしたのである。

諜報機関「&font(#0000ff){モサド}」に調査させたところ、
中東利権に一枚噛みたい&font(#ff0000){ソ連}が先の裏小競り合いを利用して&font(#994c00){二国}に『イスラエルが攻めてくる』と焚き付けているらしい。


この事をアメリカに相談し、なんとか撤退の仲介をしてもらおうとするも「&font(#ff0000){ベトナム戦争}」で手一杯だったアメリカは&font(#0000ff){CIA}の判断に基づき、
『アラブ諸国の侵攻は無い』
と一蹴。


孤立無援の窮地にたたされたイスラエル。

両者緊張する中6月5日の夜が明けた。





#center(){&font(#ff0000){最早開戦は避けられなかった。}}

*&bold(){・本編}

6月5日未明、
イスラエル空軍が砂埃が舞い上がる程の低空飛行でエジプト、シリア、ヨルダンの上空に侵入。電撃的に空対地攻撃を開始し、ヨルダンの同盟国として同国内に展開していたイラク軍も攻撃した。

遂に「&font(#ff0000){ぷっちーん}」ときたイスラエルは奇襲攻撃を決行したのである。


この事はKGBを通じてソ連も事前に察知していたのであるが、何とアラブ諸国には&bold(){内緒にしといた}のである。



この攻撃によりアラブ諸国の空軍の殆どが壊滅。
こうして制空権がイスラエルの物になるやいなや、地上部隊が各地に侵攻。

シナイ半島ではイスラエル機甲師団の大迂回による敵陣地突破包囲戦。

ヨルダン方面では&font(#ff0000){聖地}『&font(#0000ff){嘆きの壁}』の再占領。

ゴラン高原では&font(#0000ff){シャーマン戦車}VS&font(#994c00){四号戦車}。


等、各所で熱い戦闘が繰り広げられた。




過ぎて6月8日、なんと&font(#ff0000){ソ連}が国連を通して双方停戦を呼びかけてきた。

ウハウハで&font(#ffb74c){ヘブン状態}だったイスラエルと、ズタボロで&font(#800080){顔面Blu-ray}状態だったアラブ諸国はこれを受諾。

結果、
エジプトはガザ地区・シナイ半島陥落
シリアはゴラン高原陥落
ヨルダンはヨルダン川西側地区陥落


イスラエルの完勝で第三次中東戦争は幕を閉じた。





*・その後
今回領土を分捕られたアラブ諸国は失地回復の為、散発的に攻撃を繰り返すも悉く失敗。

エジプトに至っては逆襲に遭い『&font(#ff0000){スエズ運河}』を占領される。
更に&font(#ff0000){ナセル}大統領が失意のうちに死去。
エジプトは指導者をも失った。

そしてパレスチナでは勝利に酔ったイスラエル国民および入植者によってパレスチナ人への差別や暴力行為が多発。
さらなる大勢のパレスチナ人が祖国を追われ隣国のエジプトやヨルダンに脱出を余儀なくされた。
これによってイスラエルは以降中東諸国を完全に侮るようになる。

しかし、国際社会はこのイスラエルの行為を重く見ており
アメリカですら「&font(#ff0000){やりすぎだぞお前ら...}」と苦言を言われる。
これによってイスラエルの国際社会の孤立が進んでいった。




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- 🇮🇱はこの頃から西側の北◯鮮だったのか………  -- M14砲兵軍曹  (2024-12-29 15:22:09)
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