立花宗茂(戦国武将)

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立花宗茂(戦国武将) - (2025/01/29 (水) 23:28:25) のソース

&font(#6495ED){登録日}:2020/12/20(日) 21:02:30
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&font(#6495ED){所要時間}:約 5 分で読めます
 
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&ruby(たちばな){立花} &ruby(むねしげ){宗茂}は[[日本>日本国]]の[[戦国武将]]にして&bold(){リアルチート}と誉れ高い人物の一人。(1567-1643)
※彼は何度も名前を変えていますが、便宜上宗茂と表記します。


**●生い立ち
1567年、現在の[[大分県]]豊後高田市で九州の名門、大友家の重臣にして戦国時代史上最も義理堅い男といわれる&bold(){高橋紹運}の長男として生まれる。幼名は千熊丸。
ちなみに、同年代には[[真田幸村>真田幸村]]や[[伊達政宗>伊達政宗(戦国武将)]]がいる。タグの「67年トリオ」も参照されたし。
彼の生家である吉弘家は一族の殆どが主家である大友家に忠誠を尽くして果てた忠義の一族である。

・吉弘鑑理…祖父。大友家の重鎮として活躍。一族の中では数少ない畳の上で最期を迎えられた人物。
・吉弘鎮信…叔父(高橋紹運の兄)。大友家衰退の最大の原因とされる耳川の戦いにて戦死。
・高橋紹運…実父。岩屋城にて島津軍と戦い玉砕する。
・立花直次…実弟。またの名を高橋統増。宗茂は子をなせなかったので彼の子が立花家を継ぐこととなる。
・吉弘統幸…[[いとこ]](鎮信の子)。改易された大友家復興のために戦い戦死。

後に養父となる[[立花道雪]]は雷神として名高く、長年大友家に尽くしてきた男であったが、後継ぎに恵まれず、宗茂の実父である高橋紹運に宗茂を養嗣子に欲しいと申し入れた。
しかし長男であり、高い器量を持つ宗茂を後継ぎにしたいと思っていたのは紹運も同じで、最初は拒絶しようとしていたが、
度重なる道雪の懇願に遂に折れ、宗茂は1581年に立花家の養子となり、道雪の実子である&bold(){ギン千代}((漢字で書くと門に言。環境依存文字のためギン千代で統一する))と結婚する。
宗茂の養子入りの際に、紹運は宗茂に刀を渡し、「もし私たち親子が敵味方に分かれることがあれば、これでこの父を討て」と命じたという逸話がある。
ちなみに高橋家は宗茂の弟が継ぐことになるが、その弟も最終的には立花姓となるために高橋家は断絶となる。


**●大友家臣~豊臣時代
二人の偉大な父の薫陶を受けて育った宗茂は大友家でもめきめきと頭角を表すが、彼が元服する頃には大友家は既に斜陽にあり、多くの有能な家臣も島津や毛利との戦で戦死していた。その中には前述の通り彼の叔父も含まれている。
そんな中、既に高齢だった養父・立花道雪も病没し、実父である紹運も岩屋城にて壮絶な戦死を遂げる。
有能な家臣を多く失い、主家である[[大友宗麟>大友宗麟(戦国武将)]]も&font(l){主に本人の自業自得で}既に耄碌&消沈しきっており、かつての覇気は皆無となっていた。
そんな中、宗茂は父の志を継いで島津軍に対抗し、[[秀吉>豊臣秀吉(戦国武将)]]が来るまで耐え抜き、大友家を存続させることに成功する。
その忠義と武勇は秀吉も唸らせ、&bold(){剛勇鎮西一((九州ナンバーワン))}と言わしめ、筑後柳川の領地を与えられ大名となる。
なお、彼のいとこである吉弘統幸も同じく功績を秀吉に認められ皆朱の槍((前田慶次が持っていることで有名な赤い槍。上杉家の重臣が何故あいつがあれ持っているんだ、それなら俺にも持たせろと景勝に抗議した逸話がある))と言う、武士としての誉とも言える槍を受け取っており、弟の直次も体を張って兄を守り、秀吉や宗茂から絶大な信頼を得る。つくづく英雄の家系と言うものであろう。
彼ら家臣のお陰で主家となる義統も秀吉に気に入られるようになるのだが…?

朝鮮出兵の際は寡兵を率いて大軍を撃破する等、相変わらずの大活躍を見せるものの、[[島津義弘>島津義弘(戦国武将)]]が大暴れしたせいであまり目立てなかった。
また、旧主である大友義統(吉統)は仲間の討死の誤報に騙され、それが秀吉の怒りを買い、改易の憂き目にあってしまった。
この義統、父宗麟からは考えられないほどの&bold(){暗愚}であり、後の関ヶ原の戦いでもやらかし、そのせいで宗茂のいとこが死んでしまっている。前述の通り一途に忠義を貫いた結果とも言えよう。

[[関ヶ原の戦い>関ヶ原の戦い(戦国時代)]]では、自分を厚遇してくれた秀吉に恩義を感じ、西軍に属することとなる。この際家康も彼をスカウトしていたようだ。
結果的に西軍は敗北し、帰宅しようとしたところ[[命からがら落ち延びてきた>島津の退き口]]島津義弘と合流し、共に帰宅することとなる。
島津家は父の仇でもあるため、家臣から「&font(#ff0000){いっそのことここで殺しちゃいましょう}」と進言されたが、これを断り、これ以降二人は友誼を結ぶこととなる。
流石は「義に生きた男」と称えられた紹運の息子である。[[松永久秀>松永久秀(戦国武将)]]や[[宇喜多直家>宇喜多直家(戦国武将)]]どもはこの親子の爪の垢を煎じて飲んで来い。
&s(){久秀「最近は私も再評価が進んでるんですぞー!!」}
&s(){直家「講談やゲームのイメージを押し付けるなー!!」}

その後は東軍に降伏し、立花家は改易処分を喰らって宗茂は浪人の身となった上、妻のギン千代はその二年後に死去。
二人の間に子供はなく、妻の死によって戸次((立花道雪の旧姓。道雪の本名は戸次鑑連))の血はここで絶えてしまうことになった。
なお、柳川の領民からは非常に慕われていたようで、彼のために命を投げ出してまで戦うと言う者までいたようだ。
彼が柳川を去った後も「いつか絶対戻ってくる」と信じていた。そしてその願いは20年の時を経て現実となる。


**●浪人~大坂の陣
浪人時代には加藤清正の客分となったり、教養を高めてみたり剣術を開発したりと様々なことを試していった。
その間お坊ちゃま育ちで苦労をあまり知らない彼に辛い思いをさせまいと家臣は奮闘していた様子。
また、[[家康>徳川家康(戦国武将)]]は彼を必死に説得し、陸奥棚倉((現在の福島県棚倉町))1万石の大名に復帰することに成功する。
大坂の陣で再び豊臣につくことも考えられ、家康もそれを恐れたが宗茂は「今の主君は徳川であり、豊臣とは他人」と言い、活躍する。
1620年、柳川藩主だった田中忠政の無嗣改易((跡継ぎがいなかったために断絶))というラッキーも伴い、&color(orange){&bold(){旧領復帰を成し遂げる。}}
なお、関ヶ原の戦いで西軍についた大名の中で、旧領復帰を成し遂げた人物は&color(red){&bold(){立花宗茂ただ一人}}である。


**●復帰後~晩年
復帰後は戦国の世を知らない将軍・徳川家光に[[戦国時代>戦国時代(日本)]]の昔話を語ったりするなど、基本的には江戸に在住していたようだ。
また、浪人時代に磨き上げてきた教養が発揮され、茶会や能、狂言等も執り行っている。

1637年にはキリシタンの弾圧と暴政が背景となり&bold(){島原の乱}が勃発する。
九州にいてなおかつ戦国時代を知る男…つまり&bold(){立花宗茂}の出番である。
この時立花宗茂は御年70歳であるが同じく70代の水野勝成と共に往年の槍働きを見せ、周囲を驚かせたと言う。
また、この時に彼は「&font(#ff0000){世が平穏無事だと武士の士気は緩むからこの乱がもう少し長く続いて欲しい}」と発言したそうである。

その後、養父同様に子宝に恵まれなかった彼は家督を甥立花忠茂に譲り隠居。
1643年に76歳で大往生を遂げる。
以後柳川藩は宗茂の弟の子孫が継いでいくこととなる。


**●そのリアルチートぶり
***人格面
・人となりは優しく穏やかで心が広い
・人徳があるが驕り高ぶることはない。
・功績があっても自慢することがない。
・人を使うのも自然にできる。
・自然と善良な振る舞いができる。
・こびへつらう人は遠ざけ、贅沢を禁じ、民に対しても優しい。
・部下を励ますには義をもってし、そのため皆が宗茂の役に立とうとする。
・用兵術も奇襲でも正面攻撃でも優れており、戦えば必勝。
(以上、『名将言行録』より &bold(){ベタ褒めである})

『名将言行録』自体は幕末から明治維新の時期に書かれたものであり、江戸時代の軍記物や講談を元にした記述である。
言うなれば「この人物の二次創作における扱い」のようなもので信憑性は薄い。要するに三国志の[[趙雲]]と同じような感じ。
しかし、宗茂に関しては「大体本当だったのでは…?」と思わせる何かがある。

***能力面
・軍法については「&font(#ff0000){特別なことをせずとも普段から自然にやってれば、みんな奮戦してくれる}」「&font(#ff0000){敵の狙いをこっちが先にやれば勝てないことなんて無い}」と&s(){[[出来杉君>出木杉英才]]のようなことを}述べた。
・一方で「&font(#ff0000){謙信公は8000人程度の兵を用いるのが合ってたらしいけど、&bold(){自分はせいぜい2000人ぐらいしか手足のように操れない}}」「&font(#ff0000){[[軍事関連なんて人それぞれ違うんだから自分らしくやったら良いんだよ>けものフレンズ(アニメ)]]}」と述べる。&s(){そう簡単に出来たら苦労しないんですけど…}
・文武両道で剣術や弓術以外にも茶道や香道、蹴鞠、笛なども万能。

***逸話・軍功など
・子供の頃から大物。見世物の見物中に人が殺されるような騒ぎになっても、「&font(#ff0000){今日の見世物はこれで終わりか}」「&font(#ff0000){逃げようと慌てる必要はないだろ。こっちは張本人じゃないんだから斬りかかってこないよ}」と冷静に述べ、最後まで見物してから無事に帰る。
・同じく子供の頃、襲いかかってきた猛犬を刀で峰打ちにする。それを聞いた紹運は「何故斬らなかった」と[[問い詰め]]、「斬るのは人間に対してであって、畜生には刃を向けるとは聞いていない」と答え、父を唸らせた。
・初陣で敵将の腕に矢を命中させ、組みかかってきた相手を仕留める。
・立花の養子になる際、紹運から「戦国の世ゆえ、もし立花と高橋が戦になればそなたは立花の先頭に立ちこの刀で私を討ち取りに来い」という言葉と共に託された長光を終生手元から離さなかった。
・秀吉に剛勇鎮西一(九州ナンバーワン)と讃えられたのは先述の通りだが、家康からも&font(#ff0000){『信玄、謙信、信長クラス』}だと褒められ、また恐れられる。
・あの本多忠勝と並んで「東西無双の者」とも讃えられる。
・先述のように関ヶ原の戦いで西軍についた大名の中で唯一、旧領復帰を成し遂げる。
・家光の世になってからも江戸城内で下手すれば将軍以上のVIP待遇を受ける。
&s(){この人、2周目とか転生者とか専用チートコマンド持ちとかじゃないかな。}

**●余談
最も有名な名前といえば立花宗茂だが、これは晩年の名前であり、幾度となく改名をしている。&font(l){それこそイメチェンしたいからヘアスタイルを変えてみようという感覚で}
その中で最も有名なのが元服直後の名である統虎であろう。これは宗麟の子の大友義統から賜った名前である。
余談だが大友家の家臣は大名の名前を賜る風習があるようで、家臣の殆どに「鑑((宗麟の父、大友義鑑))」「鎮((宗麟の本名は大友義鎮))」「統」のどれかがついている。
他にもいつ名乗ったか分からない宗虎、正成、親成、尚政、俊正、経正、信正がある。
最終的に出家して「立斎」と名乗った。
また、苗字も三度変わっており、吉弘→高橋→戸次→立花となっている。

妻であるギン千代との間に子供がいなかったことや、宗茂が立花城から離れた時から別居生活を送っていたことから、夫婦仲が悪かったとよく言われているが、
この風聞には「子供がいない=性交渉がない=夫婦仲が悪い」とみなされがちな当時の風潮が強く影響していると思われる。
&s(){伊達政宗「心中お察しするぜ。俺も側室の方に先に子供が出来たせいで、昔はよく愛と不仲って言われてたし…」}

関ヶ原から帰還した宗茂をギン千代が出迎えた、改易された宗茂の再起を願って寺社参りを欠かさなかった、大名に復帰した宗茂が最初に行ったのが寺を建てて妻の菩提を弔うことだった等、
夫婦仲が悪かったとは思えないエピソードが残っており、別居生活を送ってはいたが、実際の夫婦仲はさほど悪くはなかったのかもしれない。
ちなみにギン千代の死後に宗茂は継室を迎えているが、彼女との間にも子供は出来ておらず、元々宗茂は子供が出来にくい体質だった可能性もある。

後述の理由で一般知名度は低く、ゆかりの深い[[福岡県]]や[[大分県]]でも彼を知る人間は少ないが、戦国時代を少しでも知っている人からの評価は非常に高い。ちなみに福岡だと[[黒田官兵衛>黒田官兵衛(戦国武将)]]、大分だと大友宗麟が地元の英雄として一般的人気が高いか。
コーエーが独自にとった都道府県別戦国武将人気アンケートでは戦国時代を知る人ばかりだからか彼とゆかりの深い福岡県と大分県ではぶっちぎりで一番人気だった。二県で人気があるためかあの島津義弘を抑えて九州全体の戦国武将での人気ナンバーワンの座も掴み取った。

前述したように現在の立花家は宗茂の甥の血統なのだが、その甥の兄立花種次(旗本→三池藩初代藩主)の末裔の一人に、第92代総理大臣にしてモントリオール五輪クレー射撃選手でもあった麻生太郎氏がいる。
麻生氏の先祖には他にもより歴史が近くメジャーな吉田茂や大久保利通がいるため立花氏の末裔でもあることは滅多に触れられないものの、巡り巡って一時でも立花の血が海を越えたり日本の頂点に立ったのは興味深いかもしれない。


**●彼を取り扱った作品
このようにリアルチートかつ清廉潔白な[[完璧超人]]として名高い立花宗茂ではあるが、戦国後期の人物かつ元々は辺境の大名家の一家臣で、[[信長>織田信長(戦国武将)]]との絡みも皆無なため、メディア露出などは少なめで、一般知名度も低めである。
関わった戦も朝鮮出兵、関ケ原、大坂の陣、島原の乱などわりと有名どころが揃っているものの、逆に有名どころ過ぎてどうにも他のもっと濃い面々に食われている感は否めない。
なんなら嫁の方が有名だしインパクトも高かったりするので…実際コーエーからは「ギン千代の旦那」と言う扱いを受けているし…

・「信長の野望」シリーズ
大友家末期の名将として活躍する。寿命も長いので活躍させやすく、義理堅いのでまず裏切られないのも嬉しいところ。
また、作品によっては最強の戦法を貰えることもあり、嫁や養父とともに縦横無尽に戦場を駆け巡る。
しかし、コーエーからの扱いはギン千代>宗茂であり、道雪が死んだ際はギン千代が家督を継ぐ。&font(l){何のために結婚したんだ}
また、蒼天録や戦国立志伝等の反乱や独立ができる作品では彼が大友家から反乱を起こしても立花家の家紋が貰えない。((これは戸次家、つまり立花道雪の血縁に紐づけられている設定のため))
更に更に作品によっては「統増((弟の名前))」と誤植されることも…

・「[[戦国BASARA]]」シリーズ
[[当該項目>立花宗茂(戦国BASARA)]]参照。
忠義を尽くし、本人も非常に強いという武士の鑑のような男。武人としての評価は一貫して極めて高いが気弱で優柔不断な性格のため彼の本性を見抜いた人物からは辛辣な評価を下されている。
だが、心の中で常に何かを呟く愛嬌のあるおじさんとして描かれている。
君主である宗麟とは子供のわがままに振り回されるおじさんのような関係。
え?宗麟は子供なのに宗茂はおじさん?史実での宗茂は幸村や政宗と同い年?
&bold(){知らん。BASARAではよくあることだ。}
後述の無双もそうだが、立花宗茂はアクションゲームにおいては[[ネタキャラ]]化する傾向にあるようだ。

・「[[戦国無双]]」シリーズ
こちらも[[当該項目>立花宗茂(戦国無双)]]を参照。嫁さんに遅れて登場した。
BASARAとは打って変わってこちらでは[[イケメン]]の西洋風の騎士っぽい風貌をしている。
嫁が雷の化身なのに対しこちらは風の化身として物事を風でよく例える。
元々ネタ寄りのキャラであるが「真田丸」では幸村やモブ武将らが熱い台詞を述べる戦場で、&bold(){使いまわしセリフで適当な事言う}ので更にネタにされてしまった。 
[[無双シリーズ]]の設定を借りたポケモン+ノブナガの野望ではシデンの国のブショー((ポケモン本編で言えばトレーナー))として登場し、リーダー((ポケモンで言えばジムリーダー、信長の野望で言えば大名))のギンチヨを支えるパートナー的存在となる。相棒ポケモンはムクバードであり、ギンチヨのルクシオ共々第4世代を代表する[[序盤ポケモン]]の選出となった。

・「仁王」シリーズ
初代「仁王」にのみ登場。妻の誾千代とは2匹1対となる守護霊“夫婦雷犬”の片割れを分け合っている。
誾千代が諸事情により子を産めなくなってしまったためお互い遠慮がちになっており、それが周囲には不仲に映ってしまっている。
鬼退治のために太宰府に向かったきり戻ってこなくなった宗茂を救うために主人公ウィリアムは誾千代と同行するのだが、太宰府の地下遺跡で二人を待ち受けていたのは宗茂…&bold(){に擬態した宿敵・エドワード・ケリーであった}。
ウィリアムの守護霊のみならず宗茂の雷犬までも奪ったケリーは彼の姿と技を模倣して襲い掛かってくる&s(){があまり強くはない}。
後に本物の宗茂と手合わせする機会もあるが、こちらは流石に本物と偽物の差なのか格段に強い。かといって倒せないほどの相手ではないため、次篇に進む事をそっちのけで宗茂に挑み続けるプレイヤーも少なくない。
次作「仁王2」では装備のみ登場。キャラクリで見た目を寄せれば宗茂気分を味わえなくもないが、残念ながら誾千代の装備は刀のみであるため立花夫妻の完全再現はできない。

・太閤立志伝V
主人公となる武将の実績が高い(彼の場合は戦に沢山出て勝利していること)状態で彼の好感度を最大まで上げる(お茶会に誘うか南蛮渡来の宝を与える)と主人公として使用出来るようになる。
コーエー作品としては貴重なギン千代より目立つ宗茂が見られる。
彼を主人公としてプレイするとギン千代と結婚して立花宗茂に改名するイベントが発生する。また、秀吉死後のシナリオで彼を主人公としてプレイし、関ヶ原に勝利するifも存在する。見事勝利するとかつての大友領である豊後一帯と黒田官兵衛の居城だった中津…つまり現在の大分県全域を占領できる。
基礎ステータスは当然高い。敵として戦う時は父である高橋紹運、もしくは立花道雪の下で戦うことが多く、二人の父も当然強いのでかなり厄介な相手となる。
2022年に発売されたDX版では道雪と共に専用技能「雷神」を習得する。列を攻撃出来る範囲攻撃で雨の場合に威力が上がる強力な技能だ。
なお、この[[ゲーム]]には養父の概念がないため道雪のことを父と呼んでくれないし一門扱いもされない。
ただし「妻の父親」という立場が反映される汎用イベントの時は道雪が現れてくれる。

・戦国大戦
SEGAのゲームでも勿論優遇…と言いたいが&bold(){出てきたのはギン千代の方が先であった}。
群雄伝(ストーリーモード)のギン千代伝でも登場する。
しかし群雄伝の会話イベントは原則その武将のカードを入れないと発生しないのだが、彼は&bold(){デッキに登録しなくても普通に登場する}。((ギン千代伝の実装時に手に入る彼のカードが時期が過ぎると入手困難となるEXのみ、かつEXカードは基本群雄伝カードに選ばれない為このような形になった))
お陰で「背後霊」(妻より長生きしたのに…)「ギン千代の付属品」等と呼ばれた。
そして肝心の活躍も己の信念の元暴れまくるギン千代に引っ張り回されるという少々残念な扱いであった。一応彼女の支えとなるシーンもあるのだが。
しかしその後も次々とカードが実装。どれも文武両道の高レアリティで強力な計略(そのカードが持つ固有の技みたいなもの)の持ち主であった。

だが群雄伝ではカード追加後も「敵の[[中ボス]]A」のような存在。
秀頼に村正で危うく討たれかけ狼狽した家康に&bold(){他の家臣ともども威圧されるという}少し可哀想な役目もあった。


・[[御城プロジェクト:RE~CASTLE DEFENSE~]]
主人公にしてプレイヤーの分身である「殿」。
敵である兜の軍勢により城が落城し命の危機であった所を、突如現れた城娘「柳川城」によって命を救われる。
柳川城が立花宗茂の居城であった事やストーリーで「関ヶ原の戦いで石田三成に与するはずだった」と述べている事もあり、殿は立花宗茂がモデルではないかとプレイヤーには推測されている。((この世界では著名な武将はほぼ死亡。死んだ後はその人格を模した「兜」という存在になるのだが、宗茂の兜は登場していない=生きている事からもそう考えられている))
なお柳川城がヒロイン役だが、後に新たなヒロイン役としてギン千代がモデルと思われる「立花山城」が登場した。

普段は無言を貫く殿だが、城娘との好感度を上げる絆イベントでは通称「殿語録」と呼ばれるはっちゃけたセリフの選択肢が存在する。((一応、その選択肢では好感度は上がらない))

例:北条家の治世を讃える小田原城に対して''「でも結局滅んだんだよね」''

・修羅の刻
西国無双編でのメイン敵。不破虎彦と嫁を賭けて争った。

・[[殿といっしょ]]
かなりの熱血漢であり、&bold(){出る漫画を間違えているのではないか}というほど主人公っぽい。口癖は「~ですとも!」
栗のイガを踏んだ逸話は&bold(){「より深く刺した」}という狂気じみた話に変貌を遂げ、梶〇一騎的な意味不明な特訓に没頭している。
冷血なギン千代とは幼馴染であるがその性格ゆえに常に冷淡に扱われているが、師匠・後の義父である立花道雪からは見込みがあると言われている。
その一方で短絡的かつ不躾な所があり、知恵は回るが主君・宗麟に対しては無礼な態度が目立つ(まあ本作の大友勢は大体そんな感じだが)。
名前を矢鱈変えた史実に関しては、[[仮面ライダーのフォームチェンジ的なもの>最強フォーム(平成ライダー)]]だと思っているらしい(作中では山本勘助も同様の見識だったりする)。

・[[境界線上のホライゾン]]
彼の名を継いだ「襲名者」として、真面目で気さくな好青年[[立花・宗茂>立花・宗茂(境界線上のホライゾン)]]が登場。
立花家の武勇に長けた一人娘[[ギン>立花・ギン]]に認められるため何回も挑んでは負け、それでも諦めずに努力を重ねた結果彼女の両腕を落とす程腕を上げた事で、立花・宗茂の名とギンの夫になる事を認められた過去を持つ。
最初こそ敵としての登場だったが、2下エピローグで妻と共に主人公陣営に加入している。&font(l){しかし嫁の武装の方が分かりやすく派手でかつ他女性陣ともよく絡むので旦那の方は微妙に目だたないのであった。}


追記修正は二人の父を持っている人にお願いします。

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- リアルチートとしての能力面のまとめが欲しい  -- 名無しさん  (2020-12-21 00:59:38)
- 無双2のギンチヨとの関係についての記述は悪かった事しかなかったな  -- 名無しさん  (2020-12-21 12:12:15)
- 名将なんだが、ぶっちゃけ嫁さんの方が有名  -- 名無しさん  (2020-12-21 18:20:31)
- 御城プロジェクト:Reの殿のモチーフが宗茂さんらしい。嫁が柳川城だし。  -- 名無しさん  (2020-12-21 20:39:00)
- 子供ができないというのは武家棟梁として落第だろうが、兵法面でも内政でも文句なしだった。誰かが言っていたが、本多忠勝より人として上だろう。  -- 名無しさん  (2020-12-22 08:44:03)
- ぜひ大河ドラマで取り扱ってほしいけど、盛り上がるエピソードが少ないのが難点  -- 名無しさん  (2020-12-22 10:05:37)
- ↑利家と松みたく嫁さんとのダブル主人公ならワンチャンあるかも  -- 名無しさん  (2020-12-22 12:30:14)
- ↑↑盛り上がりのエピソードは、立花城、大津城、文禄・慶長の役、島原の乱などいろいろある。大河ドラマで扱ってほしいのは賛成だが、NHKが許可せんだろうな。戦ばかりでセットに金がかかりそうというのもあるが、〇倍時代から南北にいろいろ言われたくない政府が許可せんだろうよ。  -- 名無しさん  (2020-12-22 15:44:55)
- 「戦国夫婦列伝 ~ね盗られ物語~」だと誾千代との関係は不仲説を採用してたような  -- 名無しさん  (2020-12-22 23:07:56)
- ↑↑ 仮にその辺描写しても「戦いました。強かったです」で大体終わっちゃいそうなのも問題な気がする  -- 名無しさん  (2020-12-23 10:25:11)
- 逸話を列挙するだけで創作キャラを複数合わせたみたいな状態になるので、コレを嫌味なく描ける気がしねぇ…  -- 名無しさん  (2020-12-23 10:45:51)
- ホライゾンでもチートだったなあ。しかし気分で改名してるのがもし歴史再現されてたらガル茂に蜻蛉切耐性付いてて本多君ヤバかったのではないだろうか。  -- 名無しさん  (2021-01-03 23:09:06)
- 項目にある通りではあるけど実家の吉弘一族も全員義理チートなんだよな。彼や紹運の義理堅さは家系によるものかも知れない  -- 名無しさん  (2021-02-14 12:16:10)
- よく関が原に宗成がいたらどうなっていたんだろう?宗成・秀包の義兄弟コンビの活躍が見たかった。  -- 名無しさん  (2021-04-04 10:48:09)
- 誾千代以外にも足利と今出川家の血を引いた矢島八千子や葉室氏の子を側室にもらっている。この人に子どもがいないのは種無しだったというより、若い頃戦戦で子作りする暇がなかっただけにも思える  -- 名無しさん  (2021-04-04 11:41:15)
- ↑彼女らは後妻ね、継室だから。誾千代亡き後の正式な妻よ。  -- 名無しさん  (2021-04-16 09:03:53)
- この人とか後漢の劉秀とかエルサレムのボードワン4世とか、たまにリアルチートと呼べるような人物が実在するから歴史は面白い  -- 名無しさん  (2021-08-08 17:23:33)
- 何故か余り毛利秀包との友情と決別の話が上がってこない。天才揃いの元就の息子の中でも特に武芸に秀でてた秀包とめっちゃ気が合ってたらしいし。互いに尊敬し合ってた最強コンビって事で話題性は十分だしいつか秀包も含めて1567年カルテットにになって欲しい  -- 名無しさん  (2022-05-23 22:09:52)
- 断絶したのは吉弘系高橋氏で秋月系高橋氏は生き残ったので誤解なく  -- 名無しさん  (2024-10-26 18:50:57)
- 名前コロコロ変わるからそういう意味でも大河向きでは無いかも…?(殆ど動機も定かではない) 最後は統茂じゃなく宗茂なのは彼にとってはかつての主君・義統よりご隠居(宗麟)の方が思い入れあったんだろうか  -- 名無しさん  (2025-01-27 20:26:59)
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