パンター(戦車)

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パンター(戦車) - (2016/03/13 (日) 13:30:34) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2011/08/04 (木) 18:43:55
更新日:2023/07/12 Wed 04:44:36
所要時間:約 6 分で読めます




パンターとは、ナチスドイツ軍で使用された戦車である。
第二次世界大戦 半ばに登場し、ティーガーと共にドイツ軍戦車の代名詞的存在の戦車である。

制式名称はPanzer kampf wagen V panther。後にPz.Kpfw.pantherに替えられた。制式番号はsdkfz171。
日本では「V号戦車」とも言われるが、ドイツ読みの「パンター」、英語読みの「パンサー」、
古いドイツ語だと「パンテル」なんて呼ばれたりもする。
例によって例の如くどれも正解であるが、この項目ではパンターで統一する。
ちなみにパンターとは黒豹の事で、VK.16.02軽戦車や戦後の主力戦車に名付けられたレオパルドは斑模様の豹を指している。


開発経緯

1941年6月。ドイツ軍のバルバロッサ作戦を皮切りに、ドイツとソビエト連邦間で戦端が開かれた。
俗に言う独ソ戦の幕開けである。
ちょび髭伍長率いるドイツ軍は、フランス戦で見せつけた電撃戦を生かし、
またソ連内部の混乱、赤い嵐もとい偉大なる同志による大粛清によるソ連軍弱体化等も重なり、各地で勝利を重ねていく。

しかし、各地の兵士から共通の話がドイツ軍上層部に届いていた。

ドイツ軍兵士「ソ連の戦車強すぎィ!
_______味方の戦車砲も対戦車砲も効かないとかこんなんじゃ戦いになんないよ~」

その「ソ連の戦車」こそ、救国の鬼戦車、T-34中戦車である。
詳しくは項目を。

最初こそ、既に英仏と二年も戦争しているドイツ軍の経験と戦術で何とか対応してきたが、ソ連がT-34の数を揃えてきては不味い。
T-34を正面撃破できるのは有名な8.8cm高射砲の徹甲榴弾くらいで、5cm対戦車砲は高速徹甲弾で辛うじて可能といったところだった。
III号戦車の42口径5cm砲やIV号戦車の24口径7.5cm砲ではお話にならず、脆弱な履帯や装甲の薄い側背面への射撃を余儀なくされた。
これが俗に言われるT-34ショックで、何か対策を考えねばと考えたドイツ陸軍の偉い将軍は、

グデーリアン「おい、お前らなんとかしろ」

戦車委員会「任せて!」

戦車委員会を立ち上げ、T-34の調査を行った。その結果、

戦車委員会「お待たせ!三点に纏めたけど、良いかな?

1、装甲が傾いてる。傾斜装甲強ェ!
2、幅広履帯で泥沼雪道でもスイスイ~
3、76mm砲の貫通力凄ェ!

こんな所かな?」

グデーリアン「と言うわけです総統。」

総統閣下「じゃあそのT-34に勝てるような新型中戦車作って。はい、よろしく!」

そんな感じで、1941年11月末、開発が始まった。


特徴

この中戦車を開発するに辺り、ダイムラー・ベンツ社(DB)とMAN社の二社が担当した。
なおT-34をフルコピーする案もあったが、軽合金を多用するアルミディーゼルエンジンの量産が不可能で断念している
(パンターのマイバッハ社製ガソリンエンジンも量産車は軽合金素材を節約した物を採用している)。
最初は傾斜装甲・RR駆動方式等、戦訓をギッシリ詰め込んだDB社の戦車が有力であったが、
最終案でDB社の戦車をパク…参考にしたMAN社の戦車が採用された。

DB「恥を知れ恥を」

MAN「戦争は手段を選ばないのだよ(笑)
___では我が社の素晴らしい中戦車はこちら!」


  • 装甲と重量
正面の装甲は当初60mmの筈だったのだが、
総統閣下「もう一声~♪」
により急遽80mmとなった。
重量?最初30トン級戦車の筈だったのに計画纏まった所で40トン級に、総統のおかげで43~45トンさ!
言っておくが、パンターはチハたん(15トン)と同じ中戦車である。重戦車ではない。
当然重量は超過し、足まわりに大きな負担を掛けたが…
だがその装甲は「藍より出て藍より青し」、T-34を軽く超え1対1なら、ほぼ負け知らずだった。
しかし側面の装甲は比較的薄めだった(側面が薄いのは大体の戦車にも言えるが、パンターは正面に比べて特に薄かった)。
中口径対戦車砲や野砲・軽榴弾砲級火砲の徹甲弾(APDSやHVAPではなくても射距離1kmで70mm前後は貫通可能)に耐える厚さにすると、
ティーガーIやティーガーIIのようにメタボ化してしまうから仕方ない面もあるが。

  • 70口径7.5cm砲(7.5cm Kwk 42)
パンターは砲身長5.25mというとんでも無い長さの砲を装備していた。
大重量弾・強装薬で撃ち出す17ポンド砲には敵わないが、ティーガーIのアハトアハトよりも貫通力に優れていた。
射距離1,000mで傾斜角30度の装甲板に対する貫徹力は、Pzgr.39/42APCBC-HEで111mm、Pzgr.40/42(Hk)APCRで149mmに達した。
特殊仕様のM4A3E2中戦車シャーマン“ジャンボ”や実戦未投入のT-44中戦車という例外はあるが、敵側の主力戦車を遠距離で仕留められた。
流石にティーガーI対抗で開発されたM26パーシング重戦車やA41センチュリオン重巡航戦車及びIS-2重戦車に対しては火力不足だったが。
なお実現はしなかったものの火力強化策として、100口径7.5cm砲やティーガーIIと同じ71口径8.8cm砲に変更する案が検討されていて、
特に後者は携行弾数の減少と重量1トン増と引き替えに可能とされており、実際に搭載が計画されていた。
F型ではトレー式自動装填装置を組み込んだ7.5cm Kwk 44/2となる予定だったが、量産前に終戦を迎えてしまい実力は未知数である。
弱点として砲塔旋回の遅さ(D型は60秒/360度)が挙げられるが、A型とG型では最短18秒/360度に改善されて一応解消している。
F型は生産簡略化で30秒/360度に低下したが、IV号戦車J型と同様に手動式旋回補助機構が追加されて短時間なら旋回速度を上げられた。

  • 高性能光学照準装置
大戦後期のドイツ戦車共通の特徴といえるが、他国を上回る高性能の照準装置を装備していたため、同クラスの砲でも有効射程が長かった。
つまり一方的に射てるということなのだが、以前のドイツ戦車の火力では長射程にしても威力がショボくて意味がなかったのである。
パンターやティーガーの主砲は、大遠距離でも敵戦車を撃破できる威力を備えていたため、
場合によってはそれこそ倍近い遠距離から砲撃を行うことさえあった。

以後ドイツ軍と連合軍の戦車戦闘は、正面から激突する場合、まずドイツ側が一方的に砲撃を開始し、
次々味方が撃破されていく中で犠牲を払いながら突進、接近戦に持ち込んで相討ちというのが基本パターンになる。
つまりドイツ戦車を撃破するために味方は大量の返り血を浴びねばならなかったのだ。
ただし実際の戦車戦は中距離で行われる場合が最も多く、日本戦艦のアウトレンジ戦法と同様に神話化している部分も少なからずある。
また大戦後半のドイツ戦車兵は練度低下が著しく、局地戦ではシャーマンやT-34に後れを取る事も決して珍しい事では無かった。

  • 幅広履帯と機動性
パンターの最高速度は55km/h。「総統閣下のもう一声事件」以前は60km/hの筈だったが、45トンの重量の為、低下してしまった。
それでも55km/hと言うのは当時としては高速。高性能なエンジンとサスペンション、ティーガーと同じ幅の広い履帯のおかげである。
もっとも1943年11月以降はエンジンの回転数を落とす等の足回りの負担軽減策が講じられた影響で、46km/hまでに低下している。

MAN「堅くて強くて速いって最強ですよ!しかも御値段は12万ライヒスマルク!
___IV号の10万ライヒスマルクに比べれば高いけど、ティーガーIなんて30万ライヒスマルクですよ!
___この性能なら12万ライヒスマルクは安いと思いますけどねぇ…(チラッ」


1942年5月、パンターは正式に採用されることとなった。
そして既に不利となりつつある戦局を打破する為、急ぎ生産が行われたのである。

実戦と問題

パンターは採用が決まると、ろくなテストもしないまま(死亡フラグ)急遽生産に向かった。
それほど当時は切迫した状況だったのである。それだけパンターへの期待は高かったのである。

そして1943年夏、200両程のパンターは早速配備され、東部戦線を一発逆転させる大作戦、
ツィタデレ作戦(またの名をクルスクの戦い)で大挙としてソ連の前に現れた。

総統閣下「あれだけ期待させたんだ、大活躍したんだろ?」

総統閣下…大変申し上げにくいのですが…

エンジンはオーバーヒートするわ、トランスミッションは壊れるわでまるで戦いになりませんでした。
あと極秘の戦車だったから
ドイツ兵士「何だこの戦車!」(驚愕)
って感じで誤射食らった。

そもそも運用部隊から構造的欠陥と初期不良に基づく故障率の高さが報告されて装甲兵総監だったグデーリアンの耳にも入っており、
だからこそ彼は作戦決行に反対する理由の一つに挙げてた訳だが、前線展開でその不安が的中した形になったのだ。
パンターは圧倒的なスペックを持ちつつも、敵と戦う前に故障。
「こりゃ戦えない」と撤退してる最中にまた故障、と凄惨な状況だった。
更に器材だけではなく用兵側にも問題があり、初の実戦部隊となった第10装甲旅団(実際は連隊規模)は練度不良で、
中隊以上の作戦行動や実弾射撃の訓練も満足に行えないまま投入されたという。

200両程あったパンターも、戦いが終わってみると40両程しか残っていなかった…

総統閣下「ちくしょうめえええ!」


しかし、その戦闘能力は連合軍を震撼させた。
特にソビエト連邦は迅速で、回収したパンター31両を徹底的に調べ尽くした。
うち、砲撃で撃破されたのは22両。だが正面装甲を撃ち抜かれた戦車は一両も無かった。
しかし、側面が比較的脆い、車体後部の燃料タンクが容易に燃え上がる事を発見している。

対してアメリカは
「いや、戦車の種類増やすの合理的じゃないしー。つかそもそも対戦車戦闘は戦車駆逐車(GMC)があるでしょ。
_とりあえずシャーマンの砲、少し強くするから、後は頑張って」
パンターをティーガーIと同様に独立重戦車大隊で運用される戦車だと誤解したせいもあるが、合理主義も考え物である。
英軍は以前から17ポンド砲の整備を注力していた事もあり、同砲搭載のシャーマン・ファイアフライを間に合わせている。

ティーガーとパンター、そして戦後。

パンターは改良されつつ第二次世界大戦を駆けた。
足回りの問題は最後までネックとなり、資源不足に因る装甲板の品質低下などの課題も残したが、
稼働率はIV号戦車には劣るとはいえ6~7割まで改善されている(ただし戦局の悪化した大戦末期では約5割という記録も残してる)。
よく言われている最終減速機の金属疲労はティーガーI用の物に換装すれば解決可能だったが、
量産に難があって今度は部隊配備に支障をきたすために見送られた経緯があったという。
稼働率についてティーガーにも及ばないと指摘する識者もいるが、部隊編成も考慮に入れると必ずしも頷ける見解ではない。
何故ならば独立重戦車大隊も装甲師団の装甲連隊も配備される整備中隊は1個で、更に戦車定数も大きな開きがあるからである
(1944年型編制だと、独立重戦車大隊はティーガー45両で、装甲師団の装甲連隊はIV号戦車101両及びパンター79両である)。
1両あたりの整備体制はティーガーの方が手厚く、平等な条件で比較検証された訳ではない事に留意すべきであろう。

戦後はドイツの武装解除に伴いドイツからは姿を消したものの、フランスがヴィシー政権下に建てられた工場でパンターを生産して配備していたり、ソ連の衛星国がT-55までのつなぎとしてモスクワから与えられていたりした。最終的には50年代後半まで稼動していたとも言われている。

ナチスドイツは、パンターを最終的には装甲師団の主力にしようと考えていた。
ティーガーが陣地突破や対戦車戦を主眼に置いていた、「特定の状況で活躍できる戦車」だったのに対し、
パンターはIII号戦車の後継として、「何でもそつなくこなす、万能戦車」として考えていたのである。

しかし、実際の所、パンターは終戦時に2,000両程度しか残っておらず、総生産数も6,000両近くに留まった。
各装甲師団に配備されたのは2個大隊中1個大隊のみで、終戦までIV号戦車(総生産数約8,500両)に頼る羽目になった。

しかし、この万能戦車の思想は現代まで続く「主力戦車」(MBT)の概念を形作っている。
この点も、現代では滅びた、ティーガー等の「重戦車」と違う所だ。

何かと調子が悪かったパンターだが、その血脈は確かに現代まで流れている。
そう、豹は今も戦場を走っているのだ。


追記・修正はパンターを整備してからお願いします。

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