IS-2

登録日:2011/02/04 (金) 00:55:52
更新日:2023/01/07 Sat 11:11:47
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IS-2はソビエト連邦が開発した戦車である。
ISとは当時の独裁…(ry…書記長である「ヨシフ・スターリン」の略である為、ドイツやポーランドではJSと表記されるが、本項目ではISで統一する。
JSで女子小学生とか連想した諸君には偉大なる同志直々に話があるのでトラックに乗りたまえ。

■開発経緯
当時、大祖国戦争真っ最中であったソビエト連邦は、T-34中戦車KV-1重戦車といった戦車を大量生産してドイツ軍に対抗していた。
ドイツ軍の主力はIII号戦車IV号戦車で、これらを相手する分には既存の戦車で十分で、むしろ優位であった。

しかし、1942年中期以降に少しばかり困った事が起きる。
彼の有名な伝説的戦車、ティーガーIの戦車の登場である。
数こそ少ないものの、既存の戦車には重大な脅威であった。

ドイツのT-34ショック程では無いが、ソ連軍は大いに慌てて、T-34の火力強化に走ると同時にティーガーIに対抗しうる新型重戦車の開発を決意した。
そうして開発されたのが、IS-1である。2じゃないよ。

このIS-1、KV-1よりも装甲や機動性が改善された優れた重戦車だったのだが、一つ問題があった。

火力である。

IS-1の砲は高射砲を元にした85mmD5-T L/51.6。
原型の52-Kは鹵獲車両を使用した試験だと、射程1000mでティーガーIを貫通可能と評価されていた。
ティーガーの88mmと同じような経緯を持つこれ、中戦車T-34の火力強化版としてIS-1よりほんの数か月遅れて生産が開始されたT-34-85と同じである。
「重戦車なのに中戦車と同じ砲ってどうなのよ。しかもティーガーIの56口径88mm砲より弱いし」
(※低抵抗被帽付徹甲榴弾のBR-365で射撃した場合の話であり、WWII後は改良されたBR-367の配備で同等の水準まで改善されている)
と、言われてしまったソ連開発陣は、IS-1の生産開始から僅か15日で火力強化を決定した。
IS-1涙目。

と言うことで、85mm砲の代わりに122mm野砲A-19を戦車砲に改造したD-25Tを載せて、ようやくIS-2が完成したのである。
ただし85mm砲は不良信管による過早爆発や実戦における正対角度の問題で前述の試験通りとなる機会は限られていたため
(※ドイツ側は85mm徹甲榴弾に対する危険距離を500m以内と判断しており、この数値はM4シャーマンの76.2mmM1A1 L/52よりも200m短かい)、
122mm砲の採用は正解だった(※ソ連側は射程2000m、ドイツ側は射程1500mでティーガーIの砲塔正面を撃ち抜けると看做していた)。

もっとも携行弾数が59発から28発とほぼ半減してしまい流石に問題視されたものの、車内容積の狭さと薬莢の長さはどうしようもなく弾数増加は見送られた。
大戦中の戦車兵は居住性や危険性の悪化には目を瞑り、戦闘室内の床や装甲の上に予備砲弾を積んで40発以上搭載してみせたという。
このためD5-Tを64口径に長砲身化して装甲貫徹力の改善が試みられたD-5T-85BM(初速:792m/s→900~910m/s)や
海軍砲のB-34を基にした56口径100mm砲S-34へ換装して携行弾数の増加を図る案もあったが、設計上の問題など諸事情で不採用となった。
1954年以降に実施された近代化改修ではスペースを工面したらしく、砲弾収納架を増設して25%増の35発まで増加している。

■実戦での活躍
無理矢理122mm砲を乗っけた為、砲塔は大変窮屈であった。
弾自体も重く、装填手は泣かされたらしい。
まぁ基本的にソビエトの戦車は乗り手に優しくないのだが…

しかし、それを補って有り余る程、122mm徹甲榴弾の威力は圧倒的であった
(※距離1000mで傾斜0度の装甲板へ撃った際の貫徹力は160mm前後に達し、イギリスの17ポンド砲やアメリカの90mm砲M3と同等以上の貫通性能を有した)。
ティーガーIだろうがパンターだろうが装甲最厚部をぶち破り、破れずとも装甲を損傷させて脆弱な内部に何らかの危害を及ぼした。
ティーガーIIの150mm傾斜装甲板でさえも距離500mから放たれた徹甲榴弾の命中によって内面剥離が生じることが射撃試験で確認されている。
これらの活躍から虎と豹を狩ると言う意味でアニマルキラーと言われた。

なおホプキンソン効果による撃破で流布されていたが、IS-2の榴弾はHESH/HEP(粘着榴弾)ではないのでこれは誤解である。
そもそも徹甲榴弾が弾切れしたか榴弾装填中に遭遇した場合ではない限り、陽動・牽制以外の目的で戦車に榴弾を撃つのは単なる悪手である。
ガールズ&パンツァー 解説欄 でも「榴弾ですらティーガーIの装甲を叩き割るほどだった」としれっと載っているが、
より大口径の152mm榴弾が直撃して帰還したパンターも鹵獲されたティーガーIに対する射撃試験でも部分変形に留まっており、事実に反している。
ただし装甲の薄い上面や背面へ命中させた場合は撃破も確認されていて、溶接部破断で擱座に追い込んだ例もある。
ちなみにソ連が実施したフェルディナント(ティーガーの眷属で、後にエレファントへ改称)の80mm側面装甲板に対する射撃試験では、
射程300m~400mという近距離から9発もの122mm榴弾を撃ち込んで接合部損傷及び装甲板の亀裂発生で擱座に成功させたが、
122mm徹甲榴弾であれば距離2000mから貫通可能な上に内部炸裂による破壊効果が大きいため少数弾で撃破可能だった。
とはいえ、IS-2戦車兵だったボリス・サハーロフのように榴弾で戦車も突撃砲も簡単に撃破できたと証言する者もおり、
避弾経始が導入されていないIII号突撃砲やIV号戦車以下の装甲戦闘車両に対しては十分だったのかも知れない。

尤も、IS-2は榴弾を生かした拠点突破など、対歩兵に最も活躍した。
撃破されたIS-2の6割が、歩兵用の対戦車兵器、パンツァーファウストによる物だとか。疑問視する声もあるが。

防御力もまた優秀だった。
砲塔防盾は160mm、車体前面は傾斜角60°の100mm(見掛け上は200mm相当)、側面装甲でさえ90mm乃至95mmという充実振りである。
IV号戦車やIII号突撃砲などの48口径7.5cm砲、7.5cmPak40対戦車砲では貴重な硬芯徹甲弾を使用しても正面撃破は余り望めなかった程である。
ドイツ側のバトルレポートでは、必死に撃ち込んでいたら精神の耐えられなくなった戦車兵が敵前逃亡したお陰で助かったというエピソードがある程である。
ティーガーIの56口径8.8cm砲でさえ距離100m、パンターの70口径7.5cm砲でも600m位まで引き付けないと確実な貫通は期待できなかった。
IS-2からアウトレンジされずに済むのはティーガーII、エレファント、ヤクトパンターの71口径8.8cm砲か8.8cmPak43対戦車砲くらいなものだったのである。
もっとも初期型は熱処理の問題で装甲板に内面剥離が生じ易く、車体前面は120mmながら傾斜角が浅いため7.5cmPak41口径漸減砲に貫通される恐れがあった。
生身の兵にとっては悪魔的な存在で、決死の覚悟で至近距離から放つパンツァーシュレックやパンツァーファウストが最後の命綱となった。

しかし、これほどIS-2が活躍できたのは、その数の多さであろう。
ティーガーは1型、2型合わせて1,850両が生産された。
これに対しIS-2は後から現れたにも関わらず、改良型のIS-2mを含む生産量は3,500両である
(※IS-2mはポーランドの戦車研究家だった故ヤヌシュ・マグヌスキー氏による便宜的な造語で、ソ連側の制式呼称ではない)。
更にT-34は50,000両を軽く超えており…更に更にドイツはソ連だけで無く英米も相手しなくてはならず…

これ以上言う必要はあるまい…
実際には稼働率の問題でこの数の差はさらに広がったと思われる。

また、欧州戦終了後は満州侵攻などの対日戦でも使われた。
…対する日本軍の主力はチハたんなのだが…

■その後
戦後は東欧や中華人民共和国などの共産圏の国家に支給されたり、IS-2Mに改良されたりした。
実は戦争中に後継のIS-3やIS-4を開発しており、特にIS-3の存在は英米に新型重戦車の開発を決意させたほど狼狽させている。

2013年のウクライナ内戦では博物館から引っ張り出されて反体制派が使用した。つか弾薬と燃料残ってたのかよ。あとお爺ちゃんに無理させんなよ……

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最終更新:2023年01月07日 11:11