T-34(戦車)

登録日:2011/02/14(月) 04:05:09
更新日:2022/05/02 Mon 18:23:49
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T-34とはソビエト連邦が開発した戦車
第二次世界大戦における大祖国戦争と朝鮮戦争の緒戦で活躍。
ソビエト連邦がドイツ第三帝国に勝てたのは、少なからずこの戦車のおかげであると言える。


■開発経緯
1939年、ソビエト連邦の戦車の大半は、T-26軽戦車と快速戦車のBTシリーズであった。
T-26は歩兵支援用の戦車で、スペイン内乱では最強の戦車だったが、足が遅く、装甲も厚いとは言えなかった。
BTシリーズは機動性こそ良いが装甲が非常に薄く、八九式中戦車や九七式中戦車の短砲身57mm戦車砲でも貫徹され得る厚さだった。

スペイン内戦やノモンハン事変、後には冬戦争で、BTシリーズの装甲の薄さは重要な問題となっていった。
更に、ドイツ帝国がフランスやポーランド相手に「電撃戦」を行うと、戦車の戦争に置ける重要性は、高まっていった。



ソビエト赤軍は1937年、新型戦車の開発に着手する。


■T-34の技術的特徴

  • 傾斜装甲による高い防御性能
装甲が傾いていれば、弾を逸らして威力を減衰できる。簡単な発想だが、完成された傾斜装甲は本車が初。
現在でもロシア軍は傾斜装甲を非常に信頼する傾向があるが、本車の影響が大きいと思われる。

  • 野砲級の76.2mm中砲身と言う比較的強力な砲
ドイツ軍の主力のIII号戦車は50mm、IV号戦車は75mmの短砲身であった事を考えると、この差は非常に大きい。

  • 履帯の幅が広く、沼地などに強い
当たり前だが、雪の上ではスキー板を履いた方が沈みにくい。
地味だがロシアの大地では、非常に重要な事。

  • 簡素な作りで生産性が高い
最後になったが、戦争と言う広い視野で見れば、これが一番重要かもしれない。
1945年末まで約57,000両のT-34が生産された。
初期は走行距離300kmで壊れてしまうほど機械的信頼性は低かったが、徐々に改善されてパンターの約3倍である2000~3000kmに達している
(ただしシャーマンには劣っていて、朝鮮戦争で鹵獲された車両の評価は芳しくない)。
ドイツ軍でT-34に対抗できると思われる戦車(ティーガーIIIパンター、IV号戦車G型以降)は全部合わせても15,000両近くでしか無い。
III号突撃砲F型以降をオマケすれば23,000両超になるが、それでも半数に満たない。

…が、57,000両の内、なんと45,000両以上破壊された。

当時としては破格な500馬力に達するV12気筒水冷式V-2エンジンのお蔭で、良好な高速性能(最大55km/h)と長大な航続距離(300km超)を得ている。
アルミ合金の使用で軽量化にも成功しており、ドイツがフルコピーを検討したり、イタリアではP40重戦車用新型エンジン開発の参考にする程だった。
ディーゼル機関なので火炎瓶や火炎放射器による攻撃に強いという利点もあったが、装甲貫通後に内部で炸裂する徹甲榴弾に対しては効果が薄かったらしく、
大祖国戦争ではガソリンエンジン搭載のT-70軽戦車よりも焼損率が高く、朝鮮戦争では搭乗員の75%が車両火災で命を落とすという事態も生じている。
フィルターが欠陥品で耐久性や潤滑油消費量も予定した水準に満たさず、カタログスペック通りの機動力が発揮し難くなる欠点もあった(※戦後は改善)。
それでも傑作品に相応しい設計でその後も逐次改良が実施された結果、T-44のV-44、T-72のV-46、T-90のV-84といった発展型を系譜に連ねている。

■実戦において
独ソ開戦当初から、T-34は非常に大きな影響を与えた。
国防軍最高司令部作戦部長、アルフレート・ヨードルが日記に記すほど、この戦車は世界を震撼させた。俗にこれをT-34ショックと言う。

しかし、開戦当初のT-34は不良品が多く、またソビエト赤軍全体の混乱や練度の差で、敗北を重ねることになる。
幾ら一番良い装備でも、レベル1ではラスボスには勝てないのである。

1942年に入って、経験を得た赤軍は反撃に移る。それでも、戦術の稚拙さにより損傷は多かったが、圧倒的な物量と性能差がそれをカバーした。
1942年末から1943年中頃には、ティーガーやパンターと言ったT-34を超える新型戦車が現れたが、T-34は数の多さでそれを弾き返した。


精密な兵器を少数量産するより、簡素化された兵器を大量生産する。
戦いは数だよ、兄貴!である。
造り過ぎて戦車兵の養成が間に合わなくなる悲喜劇も招いたが、ドイツ戦車兵も大戦中期以降は練度の低下が著しく大勢には影響しなかった。


■バリエーション
  • T-34(истребитель仕様)
長砲身高初速の57mm戦車砲を搭載した型。
駆逐戦車と訳されがちだが、正規の管轄は戦車部隊である。
具体的な生産台数は不明だが、多く見積もっても300両を超えず極少数に留まった。
IV号戦車G型以降とも刺し違えられる性能だったが、費用対効果の割には合わないとされている。
T-34-57は後世における便宜的な呼称で、当時の制式名称ではない。

  • T-34-85
76.2mm砲の代わり85mm砲に搭載した型。
1944年から従来のT-34に代わり、1945年までで23,000両近くが生産された。
戦争後半では、完全にこちらが主力となっている。
ティーガーIに対抗可能なように開発されたが、真正面からでは未だに不利。
しかし側面や背面を狙えば十分勝機はあるし、高速徹甲弾であれば正面撃破も夢ではなかった。
後期型はエンジンがV-2-34Mに変更され、トランスミッション等も改良されて機械的信頼性が向上している。
また、これに対して、従来の76.2mm砲を装備したT-34をT-34-76と呼ぶこともある。
ドイツはT-34の後継中戦車として開発されながらも不採用に終わったT-43とその砲塔のみ流用した本車を混同していた時期もあった
(ちなみにT-43が不採用になった理由は生産体制の切り替えに伴う生産台数の減少を惜しんだためで、T-43の設計はT-34の改良に活かされている)。

年代や工場によって、砲塔の形が微妙に違い、一流のT-34マニアは一目で「○○年代、○○工場製っすね」と答えられるとか…
筆者は未だにT-34とT-34-85の区別しか付かない。


■戦後
戦後生産分も含めると最終的な量産数は65,000両を超えている(ソ連本国だけで6万両近くに達している)。
10万両以上と最多生産数を記録したT-54及びT-55が採用されるまで主力で有り続けた。
現代でもアフリカの諸国が使用しているとか。まさに耐久性と信頼性の証である。

つい最近、第二次世界大戦から今まで、ずっーと沼地で水没していたT-34が引き揚げられた。
驚きなのが、そのT-34、エンジンがちゃんと動いたのである。
酸素の少ない泥沼の中では、老化が遅いらしいが……T-34恐るべし。
2014年のウクライナ内戦でも親ロシア派が博物館所蔵車両の実戦投入を目論んだという。

■余談
ライバルのⅣ号やM4が当初から3人乗りの砲塔を持っていたのに対し、こちらの砲塔は狭くT-34-85でようやく3人乗れるようになった。
特に初期の砲塔は格別狭く、身長160cm程度が限度とされたとか*1

作りやすく、扱いやすい傑作戦車の代表格かつ、当時のソ連の絶望的戦況の象徴でもある。
その結果女性工員が作ったT-34を自身で戦場まで運転。しかもそのまま前線へという話が伝わる。

ソ連が大好きなスローガンを書き連ねた戦車としても多くの記録が残されている。
有名どころでは祖国の為に、〇〇(地名)へ、スターリン万歳!などなど。
一方でエストニア・ソビエト社会主義共和国のためにという無理やり言わされた悲哀を感じるフレーズや、戦車製造に寄付したのか〇〇コルホーズというスポンサー風車両も存在する。

これだけ作れば当然だが、先述のように世界各地に仕事場があり、東側諸国やアラブ諸国で多く姿が見られた。
またこれだけ作れば盗まれる車両も多く、第二次世界大戦中のドイツやフィンランド*2、戦後はアラブ諸国同士の戦争でさらに鹵獲され仕事場が拡大。
さらにこれらを基にした改造車両も大量に作られたため、T-34由来の車両は膨大なバリエーションを誇る。



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最終更新:2022年05月02日 18:23

*1 この乗組員の居住性を無視したスタイルはソ連戦車に脈々と受け継がれる。

*2 懐事情が厳しいフィンランド軍では、対ソ戦における最強格の戦車となった。