横浜ベイスターズ

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横浜ベイスターズ - (2014/09/20 (土) 01:54:46) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2011/04/06(水) 09:26:52
更新日:2024/03/05 Tue 00:18:09
所要時間:約 7 分で読めます




横浜ベイスターズとは横浜に本拠地をおくプロ野球チームである。
テーマソングはTVKでよく流れる『熱き星たちよ』。

かつてはマシンガン打線を中心にAクラス争いをしたが、現在は球界屈指のネタ球団であり、そして12球団で一番弱いチームでもある。

1993年に大洋ホエールズから生まれ変わりベイスターズが誕生した。
ベイという名前の通り本拠地横浜スタジアムから歩いて数分で海があるのが特徴。
しかし、球界でスターになったのは18年で1度だけ


□歴史

◆発足から黄金期へ(1993年~1997年)
大洋時代の選手をベースに外国人のローズとブラッグスを獲得。

4年連続Bクラスというスタート。
1994年は借金わずか8という勝率の高さや日本一の巨人に勝ち越したことから史上最強の最下位と呼ばれ、
1995年は勝率5割でBクラスだった。
だが1996年は低迷し最下位の阪神とはわずか1ゲーム差であった。

しかし、1997年。
巨人、中日の低迷もありヤクルトと優勝争いを演じ翌年の優勝候補チームになった。

◆優勝そして、わずかな黄金期(1998年~2001年)

前年優勝争いを演じた勢いそのままにマシンガン打線が爆発し38年ぶりの優勝、日本一を達成。
権藤監督ののびのび野球が上手くハマった形である。

1(遊)石井琢
2(中)波留
3(左)鈴木尚
4(二)ローズ
5(一)駒田
6(右)佐伯or中根
7(捕)谷繁
8(三)進藤

この打線はベイファンは忘れないスタメンであろう。
投手陣は中継ぎローテーション制度。
大魔神佐々木が神懸かり的な活躍をしMVPと流行語大賞を獲得。
チームは短い黄金期を迎える。

1999年は野村、佐々木の故障により3位に終わるもローズの活躍もありチーム打率は前年を上回った。

しかし、2000年。
佐々木のメジャー移籍を皮切りにVメンバーが次々と離脱。
金城、木塚の大ブレイクはあったが崩壊の足音が聞こえ始めた。
オフには権藤監督、ローズ、駒田が退団。

翌年は西武黄金時代の森が監督に就任。
180度違うスタイルに選手も混乱。
ルールに救われ3位は死守したものの波留と進藤が移籍し、オフには谷繁が移籍。


そして、暗黒時代が始まった…

◆TBS時代…暗黒時代(2002年~)
野球規則で揉めたためTBSが仕方なく親会社になった。

Aクラス争いを続けた横浜が大洋時代以上に弱小チームとなることになるとは誰が思ったのだろう…

  • TBS就任後の簡単な成績
2002年…春先大型連敗をしダントツ最下位
2003年…打線爆発も投手陣炎上、春先大型連敗+90敗越え
2004年…春先首位に立つも最後は最下位
2005年…投打が噛み合い3位と久しぶりのAクラス
2006年…一時期巨人と最下位争いをするも最下位に逆戻り+オープン戦、交流戦、シーズンの最下位三冠達成
2007年…移籍組の活躍もあり首位に立つが夏場の失速でプレーオフを逃す
2008年…ダントツ最下位に逆戻り、5年振りの90敗。首位打者内川の打率がチーム勝率を上回る奇跡
2009年…再びダントツ最下位+2年連続90敗+3年ぶりの最下位三冠達成
2010年…序盤は最下位脱出(創設時の楽天よりも長く最下位にいた)も交流戦で失速しダントツ最下位+3年連続90敗の快挙達成

ど う し て こ う な っ た


…とりあえず落ち着こう。

ここまで弱い原因は沢山ある…

①育成が下手なためドラフトで獲得した選手が活躍しない

②移籍選手の大半が30歳前後(ピークをすぎた選手多数)しかも、補強ではなく補充

③連れてくる助っ人外国人の大半がダメ害人

④親会社から見放されている

主な理由はこの辺である。


①に関しては投手陣はフォームを魔改造され劣化。
野手陣は主力選手の後釜を発掘せず移籍した際にポジション不在という事態が頻繁に起こる。
そのため横浜では一軍半の選手が移籍すると一年間二軍暮らしになることが多々ある。


②は即戦力しか考えないのに球団経営が赤字なためどうしても劣化した選手を獲得せざるを得ない。
だが、もう一度花開くこともなく消えて行く。
光山、山北、森笠、入来弟、野口、佐久本、大西、デニーetc...
一昔前のパワプロ経験者なら聞いたことのある名前がズラリ並んでます…。

まぁ、種田、門倉、土肥、工藤、仁志、寺原、渡辺直など一部例外もいるが。

近年はパリーグから補強を続けたため劣化パリーグオールスターになっている気が。

2011年は各球団で問題を起こした中村紀洋を獲得したがどうなることやら…


③はローズ、ブラッグスを境に連れてくる外人がネタだらけ
以下数々のネタ
ウドの大木ターマン
ホームランしか打てないヤング
広島相手しか打てないグラン
3億払って一軍帯同数日コックス
荒れ球のみホワイトサイド
何故か楽天が拾ったウィット
いきなり打たれたソニア
出れば打たれるヒューズ
決め球なしウィリアムス
脅威の負け運ウッド&グリン
二軍のリーダージェイジェイ
打撃が売りの投手ホセロ
コーラガブ飲みチアソン
ドーピング疑惑ビグビー
敗戦処理ブーチェック
原発と地震が恐いけど帰ってきたリーチ
でも寸前×(1勝7敗)だったリーチ

などなどネタ外人だらけ。

ここ10年の自前ではウッズ、クルーン、ハーパーしか当たり外人がいない。

外人が使えない=戦力の計算が外れる→代わりがいないの負の連鎖が発生してしまう…


④は親会社に愛がないこと
これが横浜弱体化の最悪の元凶。
仕方なく親会社になったTBSのため球団経営も適当。
前述のダメ害人や補充の原因でもある。


チーム運営に関しては監督が2年くらいで交代するためにチームの方向性が定まらず主力選手が退団する。
牛島監督時代に補強の要望を無視して揉めたことからイエスマン体質の監督を起用する。

2010年オフはフロントの対応や負け癖のついたチームに関して選手から契約更改で批判された。

タイアップに関しても、
視聴率が取れず1年でラジオの中継を終了、
野球中継=ドラマの番宣枠(番宣の方が多い)、
H2の実写版で無理矢理メインキャラをベイスターズに入団させる、
リンカーンで横浜対阪神戦の始球式を行なうも巨人と阪神ネタしかやらない、
親会社なのに巨人と野村監督時代の楽天ばかりプッシュする、
選手やファンの反感を買う様な行為ばかりする事でファンから「赤坂の悪魔」とまで呼ばれる様になった。

あまりの弱さからTBSが親会社になってから資産価値が50億近く下がった。

そして2010年オフ、ついに身売り騒動が起きた
TBSがファンから嫌われてるためこのニュースにファンも大喜びした。

結果は…





交渉失敗しました

結局2011年も親会社はTBSです。


ベイスターズの未来はどうなるのか?


……かと思われたが2011年オフ、モバゲータウンの運営会社のDeNAが親会社に。

チーム名を横浜モバゲーベイスターズにしようとしてたが、ナベツネが「モガベーは野球協約に違反する」と言ったため、
最終的に横浜DeNAベイスターズに落ち着いた。

…落ち着いた?

この後は横浜DeNAベイスターズを参照


以下数々のネタ
ここでは2002年以降のネタの数々を紹介
「古木、あーっと!」に始まる古木克明の数々の伝説
種田のガニ股打法にあやかりタネダンスなる応援の存在
スペランカー多村仁志
マシンガン継投
いつしか生まれたやる大矢のスレ
シーズン途中にいなくなった大矢
監督が秋季キャンプ中に決まった
獲得した外人が来日前にドーピング疑惑発生
ドラフトで一場に裏金が発覚
数年後ドラフトで那須野に裏金7億円が発覚
直後に那須野とくまきりあさみの交際発覚
水差し野郎高宮
グラウンドで練習しないでサッカーしてる
遊び>越えられない壁>試合と練習
故障が癒えたランドルフを再契約→すぐに再発し解雇
鈴木尚典と佐伯と石井琢朗の退団方法がお粗末
ファン感謝デーでいきものがかりのライブ
バット投げの名手、早川が在籍(でも使えなかった)
中山エミリの妹と交際してから劣化した吉村
牛田の入場曲がパチスロエヴァ
スタメン表の記入ミスにより、翌日先発予定だった投手が急遽先発
フロント批判により1年で弥太郎を放出
代わりに総帥大沼を獲得→炎上
尾花監督試合中に居眠り疑惑
2011年5月1日探偵オペラ ミルキィホームズとコラボ
実力、人気共に最下位レベル(地元人気がない)
引退試合でホームランを放つクラッシャー村田(被害者:佐々岡・矢野)
ブラックホッシーの存在
シーズン中に合コンのセッティング
1試合9併殺を記録
TBS時代から2011年までの通算で借金600越え
総帥大沼の不倫発覚
西武二軍とほぼ一軍ベストメンバーで練習試合をして、5-13でボロ負け
二軍が社会人野球チームと練習試合をして、0-8でボロ負け

93年から2011年までの歴史を作った選手達
◇創世記
〇佐々木主浩
ご存じハマの大魔神。落差のあるフォークで幾多の記録を作った最強守護神。マリナーズを経て2004年に復帰したが完全に劣化しており、2005年引退。

〇ローズ
元々は守備が出来る二塁手として取ったが蓋を開けてみれば打つ方も凄かった最強助っ人。8年で打率3割7回記録。99年153打点はチーム記録。

〇石井琢朗
大洋最終年に野手転向し、創設1年目に盗塁王を獲得。
三塁から遊撃への転向を経て、その後は不動の1番打者としてチーム歴代1位の安打数を記録したが2008年不可解な形で解雇。

〇谷繁元信
創設初年度は守備の不安から控えに回ったが大矢の鬼指導を経て不動の捕手になった。
2001年オフ球団上層部と意見が合わずFAで中日へ。26年間主力であり通算出場試合数歴代1位はほぼ確実。2006年WBC日本代表。

〇三浦大輔
スローカーブを武器に初年度から現在に至るまで主力として活躍するハマの番長。2004年アテネ五輪日本代表。

〇ブラッグス
初年度にやってきたメジャーリーガー。引退までの4年間不動の4番を務めた長打力に加えて外野守備も優秀。ものすごく短気。

〇鈴木尚典
95年からレギュラーとして活躍し黄金期は球界を代表する打撃力で首位打者を2回獲得。
2004年から成績が落ち込み2008年不可解な形で解雇。黄金期においてレフトは守備の穴と呼ばれるくらい守備は下手。

〇進藤達哉
当時の日本人最高レベルの守備に加え意外性の打撃の持ち主として大洋末期から黄金期まで主力だったが、故障で半分離脱した2000年オフにオリックス移籍。

〇盛田幸希
シュートを武器に佐々木と共にダブルストッパーを形成。しかし、先発転向を境に不振となり97年オフ近鉄へ移籍。その後脳腫瘍から復活という伝説を残した。

〇屋敷要
大洋時代のスーパーカートリオの一人。晩年のため控えとして活躍したが93年オフに駒田獲得の資金確保のため解雇。

〇高木豊
屋敷同様スーパーカートリオの一人。衰えとローズの加入から一塁転向で結果を残したが屋敷と同じ理由で解雇。

〇山崎賢一
こけしバットで人気を博したベテラン。これまた駒田獲得のため初年度終了後に解雇。

〇畠山準
投手転向移籍を経て活躍した苦労人。波留・鈴木・佐伯の台頭から控えに回り代打要員で優勝に貢献。

〇野村弘樹
制球力抜群の初代エース投手。優勝翌年から故障で劣化し、33歳の若さで引退。

〇斎藤隆
96年初の二桁勝利をあげ覚醒するも故障で1年の離脱。
その後は復帰し黄金期はエース、暗黒期初期は守護神として活躍。先発再転向後は衰えから劣化したがアメリカ挑戦で復活。現在は楽天に所属。

〇駒田徳弘
94年FAで来た元祖満塁男。勝負強い打撃と守備を武器にキャプテンとして優勝に貢献。2000安打達成後球団と揉めて解雇され引退。

〇佐伯貴弘
初年度ルーキー。勝負強い打撃とお笑い芸人に匹敵する話術で愛された。暗黒期は3番4番として活躍したが2010年に不可解な形で解雇。

〇斎藤明夫
大洋後期のエース。特に活躍することはなく初年度に引退。

〇秋元宏作
谷繁の控えとしてチームを支えた捕手。2000年に相川と鶴岡が台頭したことにより引退。

〇波留敏夫
佐伯とチームのお笑いコンビを組み愛された走攻守そろったムードメーカー。2001年シーズン途中不振と干され気味だったことでトレード移籍し会見で涙を流した。

〇五十嵐英樹
初年度ルーキーの一人。ヒゲ魔神の愛称で親しまれた中継ぎ投手。

〇島田直也
打たせて取るピッチングでチームを支えた中継ぎエース。

〇小桧山雅人
バルセロナ五輪代表の初年度ドラフト1位。1年目はフル回転したが酷使が祟りその後は低迷。

〇永池恭男
石井と共に将来の担う内野手として期待されたが万永とタイプが被ったことにより97年オフ巨人に移籍。

〇デニー友利
ドラフト1位入団と甘いマスクということで毎年期待されていたが結果を残せず97年に西武へ移籍し覚醒。
2003年横浜復帰するも活躍できずアメリカ挑戦を経て中日優勝に貢献した後引退。通称デニキ。

〇有働克也
初年度から2年連続で開幕投手を務めた先発ローテの一員。

〇宮里太
初代選手会長で主に左の代打として活躍。黄金期初年度の97年に引退。

〇万永貴志
内野のスーパーサブとして2005年まで長きにわたってチームを支えた。応援歌がイメージと合わないことで有名。

〇井上純
左の代打兼代走要員でチームを支えた外野手。黄金期は代打の切り札を務めた。ロッテの2005年の日本一にも貢献。

◇黄金期
〇川村丈夫
1年目から二桁勝利をあげ黄金期はエースとして活躍、一時期の低迷を経て、暗黒期前半はクアトロKの一員として中継ぎエースを務めた。

〇金城龍彦
黄金期最終年の2000年野手転向2年で首位打者と新人王を獲得。その後2年は低迷するが2003年から3年連続三割二桁本塁打を記録し復活。
その後は隔年気味ではあるが強肩を武器にミスターベイスターズとして現在まで活躍。2006年WBC日本代表。

〇多村仁志
怪我を乗り越え2000年に1軍定着。
2003年中盤から覚醒し、チームの顔として2006年WBCで活躍するが故障が原因で同年オフにソフトバンクへトレード。しかし、2013年古巣へ帰還。
現在はスーパーサブとして活躍。故障の多さからスペランカーとも呼ばれる。

〇中根仁
98年脱税で出場停止を食らった波留の穴埋めで盛田とのトレードで近鉄から移籍。
勝負強い打撃で右の代打兼左投手先発時のスタメンとして活躍したチームの兄貴。2003年多村が一人前になるという願いが叶い引退。

〇阿波野秀幸
近鉄優勝を支えた左腕、巨人で低迷していたところをかつての恩師権藤に拾われ98年に移籍。2年間中継ぎとして優勝に貢献した。

〇西清孝
万年二軍暮らし⇒打撃投手を経て開花した苦労人。97年から2年間中継ぎとして活躍。

〇木塚敦志
1年目からリリーフとして活躍し長きにわたり活躍した闘志むきだしのサイドハンド。クアトロKの一人。

〇戸叶尚
ノーコンながら97年には二桁勝利を記録するなど次期エースとして期待されたが年々成績が低迷し、2000年オフトレードでオリックスへ移籍。

〇福盛和男
97年から先発中継ぎ抑えと便利屋として活躍するが2003年オフトレードで近鉄へ。
近鉄最後の守護神と楽天最初の守護神としても活躍。戸叶と共にイケメンとして人気もあった。

〇川端一彰
97年故障がちの進藤のバックアップとしてヤクルトから移籍。97年は少ない打席で打率三割を記録し、98年は守備固めで優勝に貢献。

〇荒井幸雄
ヤクルト黄金期を支えた大ベテラン。移籍初年度の98年から2年間左の代打として活躍。

〇小宮山悟
2000年FAを恐れたロッテから自由契約で移籍してきたベテラン右腕。
移籍2年目は三浦とのダブルエースで活躍したがオフにFAでアメリカ挑戦。その後1年の浪人を経てロッテに復帰した。

〇森中聖夫
99年から4年間中継ぎとして活躍した左腕。ゴジラ松井の大好物。

〇河原隆一
地元出身94年ドラフト1位左腕。97年から左のワンポイントとして活躍し、優勝にも貢献。

〇横山道哉
98年ハマの中魔神として1軍に定着。その後は伸び悩んだが日ハムへ移籍後、北の大魔神として復活。2007年自由契約で復帰し中継ぎとして活躍。

〇石井義人
2000年に代打兼右投手先発時のスタメンとして1軍定着。打撃はチーム屈指のレベルだったが守備のまずさが原因で2003年西武へ移籍。
打撃力を武器に西武ではスタメン、巨人では代打の切り札として優勝に貢献。

〇相川亮二
2000年に秋元から2番手捕手を奪い、2004年から正捕手を務めたが2008年オフチームに不信感を抱きFAでヤクルトへ移籍。
2004年アテネ五輪、2006年2013年WBC日本代表。

〇田中一徳
2000年高卒ルーキー開幕1軍の快挙を成し遂げた俊足の外野手。
極端なクラウチング打法や代打の切り札としてファンから愛されたが盗塁技術の無さが響き2006年解雇。

◇暗黒期前半
〇村田修一
ルーキーイヤーの2003年から主軸をはった主砲。2006年中盤から4番を務め本塁打王を獲得。
2008年北京五輪ではミスを連発したが2009年WBCでは故障離脱まで大活躍。しかし、最終年に不信感を抱きFAで巨人へ移籍。通称男村田及びケデブ。

〇内川聖一
高卒2年目から1軍に定着。守備に不安はあるが打撃力はチーム屈指で2004年に覚醒かと思われたがしばらくは控え。
2008年に一塁コンバートしたことで首位打者獲得と覚醒。2010年チームと完全に決別しFAでソフトバンクへ移籍。
現在まで6年連続打率3割と球界最高打者の一人。通称チック。2009年、2013年WBC日本代表。

〇種田仁
2001年シーズン途中に波留とのトレードで中日から移籍。ガニマタ打法といぶし銀の打撃で2年連続打率三割を記録するなどファンから愛された選手。

〇T.ウッズ
2003年から2年間4番を務めた怪物。年棒で揉めたため中日に移籍し、2008年まで活躍した。

〇小池正昇
98年横浜高校の1番打者で2005年にリーグ最多犠打+20本塁打を放つなど活躍したがその後は伸び悩み2008年シーズン途中に中日移籍。
優勝に貢献した後FAでDeNA初年度に復帰。引退試合で2ホーマーという伝説を残した。

〇古木克明
99年ドラフト1位。2002年僅か1ヶ月半で9本塁打を記録するなど将来を期待されたが、
チャンスに弱いうえに守備が当時の日本球界最低レベルだったこともあり、出番を失い2008年トレードでオリックス移籍するが結果を残せず解雇。
一時期格闘家転向⇒野球再開と現在に至るまでネタが絶えないある意味伝説の男。

〇クルーン
2005年不振の佐々木に代わり3年間守護神を務めたクアトロKの一員であり日本球界最速男。
劇場型ではあったがファンサービスを欠かさない性格で人気も高かった。

〇加藤武治
1年目からリリーフとして活躍した右のサイドハンドでクアトロKの一人。先発転向が失敗し、日ハム移籍後も復活ならず解雇。

〇ドミンゴ
2002年から先発ローテを務めた助っ人右腕。中日移籍後は二桁勝利を記録。ネットで使われる〇〇ンゴの由来はこの人。

〇門倉健
2004年福盛とのトレードで近鉄から移籍。
佐々木の代役を務めた翌年の2005年に最多奪三振を獲得し復活したが、
翌年オフ球団から「10勝しても10敗する」投手はいらないと言われ、FAで巨人に移籍するも活躍できず。

〇土肥義弘
西武で左の中継ぎエースとして活躍したが先発転向の要望を叶えるため2004年シーズン途中に移籍。無類の巨人キラーとして活躍したが2007年に解雇。

〇セドリック
2004年から2年間先発として活躍した左腕だったがノーコンがたたり解雇。

〇吉見祐二
2002年二桁勝利をあげて次期エースとして期待されたがその後は便利屋となる一方伸び悩み、2010年シーズン途中ロッテに移籍。
打撃力が異常によかったことで有名。

〇中村武志
2002年谷繁と入れ替わりで中日から移籍。既に衰えていたが、巧みなリードとキャッチングでチームを支えた後に創設初年度の楽天移籍し後に引退。

〇鶴岡一成
2004年相川の五輪離脱期間中に打ちまくり、中村から第2捕手を奪い一軍定着。しかし、2008年シーズン途中相川のFA移籍が確実なのにトレードで巨人へ移籍。
DeNA初年度の2012年FAで復帰し正捕手として活躍したが、チームのミスで久保の人的補償で今年から阪神へ。

〇竹下慎太郎
2001年から2年間活躍した左腕。入団時30歳というオールドルーキーだった。

〇野中信吾
高卒3年目で横山とのトレードで日ハムから移籍。チーム1の俊足で2005年から代走要員として活躍。2011年トレードでオリックス移籍。

〇中野渡進
2001年中継ぎでフル回転した長身右腕。性格の悪さが原因となりわずか4年で引退。

〇木村昇吾
2003年村田と共に新人で開幕1軍入り、便利屋として1軍に帯同していたが出番がなく2008年に広島移籍。その後は現在までスーパーサブとして活躍。

〇那須野巧
2005年ドラフト1位。
大学No.1左腕という評価をひっさげて入団するが、1年間中継ぎでフル回転しただけで終わり、2009年オフ、ロッテに移籍するが出番なく解雇。
2007年に入団前5億の裏金を貰っていたことが発覚。アニメてーきゅうの登場人物高宮なすのの由来。


他にもネタは沢山あるがベイスターズの未来を信じる方から追記・修正求む

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